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2010/06/01

既に2度も書いた「谷間の宝物」、山菜についてですが、この辺りの地元の皆さんにとっては如何なるものなのか?と申しますと、実は、殆ど見向きもされずに放置されている存在なのです。私が山菜採りに興じている姿を見ても、あぁ、あの人、また採っているよ、よくもまぁ、物好きな…、という感じなのですね。もっと山奥の田舎に参りますと、農産物直売所などで山菜を販売し収入にしている方々も多くいらっしゃるので事情は異なるのでしょうけれど、この辺りは中途半端な田舎で直売所のような施設はありません。したがって、採集するのはお金に換える為ではなく、自分たちで食べるか、親戚などに分ける為、ということになります。山菜界の王者、「たらの芽」や、出始めの頃の女王、「筍」などの一般にかなり良いお値段で流通している類はやはりステータスがあり、それなりに採る方々がいらっしゃいます。が、他の山菜類、特に土筆、蕨(わらび)、薇(ぜんまい)、イタドリ、蕗、といった、比較的流通に乗らない、もしくは、乗っていてもそれ程高価なお値段は付かないもの達は極めて冷遇されています。ですから、私が蕨(わらび)を採らせていただいているお礼にと、休耕畑の持ち主のお宅にアク抜きした蕨ひと束をお持ちした際には、「私たちはもう蕨など食べたいと思わないのですよ。あく抜きも、料理も面倒でしょう?それに、蕨をたくさん食べたら癌になる、とテレビで言ってましたから・・・。あなたも余り食べない方が良いでしょう。」(標準語に翻訳済みです。)などと仰られて、丁重にお返し戴く始末。当初、この経験は、私にとって大いにショックだったものです。だって、こんなに美味しいものを食べずに捨て置くなんて、どーして!?!都会ではどんなに食べたくてもこんなに新鮮で美味しいものは手に入らない、将に「宝物」なのですよ!?!都会で暮らしていた私がこの「宝物」、山菜の美味しさを知ったのは、山歩きや山スキー(というかクロスカントリースキーみたいなスキーなんですが)が好きで、春先の山菜を食べさせて頂く機会に恵まれていたからですが、一度、この美味しさを知ってしまったら中々忘れられるものではありません。だから、仕事が忙しくて週末の山行にも行けなかった頃(そんな時代もあったのです・笑)には、東京で山菜の鮮烈な味と香りを懐かしんでため息を吐いていたものです。今のように、毎日のように自分で摘んだものを戴けるなどというのは、正しく夢のような贅沢なのに・・・。

一時は、真剣に、僕の価値観、感覚が異常なのだろうか…?と不安に襲われ悩んだものでした。
地元の皆さんがこのように「宝物」の輝きを見失ってしまうのは何故なのか・・・?

どんなに美味しいものでも沢山食べ過ぎると飽きてしまうからだ、というのが一般的な説明でしょう。どんな「宝物」でも希少性に欠け、余りに身近に溢れていてはその輝きも失せてしまう、という事情はあるでしょう。しかし、私の場合は、筍や蕨を10日以上も連続で殆ど毎食のように食べ続けていても全く飽きる気配もありません。寧ろ、時期の終わりが近づくにつれて名残惜しく、あぁ、また来年食べられるようになる日が待ち遠しい、楽しみだなぁ、と心底から思います。どんなに溢れていると言っても一年の極短い間食べられるだけのものなのですから。

最近になってようやく、どうしてそのような違いが生まれるのか?の謎が解けて来ました。

恐らく、地元の皆さんは余り「宝物」を活かす為の工夫、即ち、「料理」のバリエーションをお持ちでないなのです。

地元の方々の山菜料理と言えば、

1) お醤油味とお砂糖で煮る。
2) てんぷらにする。

殆どこの二種類だけ。全盛期の江夏投手や江川投手は直球とカーブだけで勝負できたらしいですが、どんなに美味しい食材であっても、この2つの料理方法、味付けだけが続いたのでは当然、飽きられてしまいます。

焼く、蒸す、揚げる、といった火の入れ方のバリエーションを増やすだけでなく、和風、イタリア料理風、フランス料理風、中華料理風などあらゆるバリエーションに応えてくれるのが山菜という食材の素晴らしい所なのですから、ぜひ、皆さん、もっと様々なお料理を試されたら良いのに、と思うのです。

例えば、筍を使ってイタリア料理、スパゲッティを作ろうと想っただけでも、

● ニンニクと唐辛子のオリーブオイルソース
● アンチョビソース
● ハーブバターソース
● トマトソース
● クリームソース
● 筍のミンチ入りラグー風ソース

などのバリエーションが可能です。これに組み合わせる山菜、野菜、肉、魚などを変え、パスタもスパゲッティだけでなく、ショートパスタ、リゾット、ズッパ(スープ)などへと拡げれば、もうそれだけで無限の料理が作れます。

和食ならば、

● 若竹煮(若布と出汁汁)、土佐煮(お醤油ベース)などの煮物
● 木の芽和え、梅衣和え、胡麻和えなどの和え物
● 直火焼き、バター焼きなどの焼き物
● 茶碗蒸し、筍饅頭などの蒸し物
● 炊き込みご飯やお寿司などのご飯もの
● 姫皮のお吸い物などの汁物

と、こちらも無限大。

つまり、この谷間の「宝物」の輝きを失わせない為に必要なもの、それは、不断の「料理の工夫」なのだ、と私は想うのであります。

ちなみに、「宝物」の輝きを増すためのもう一つの方法として、「換金できるようにする」という手もありそうですね。が、もし、それが実現された暁には、恐らく、このかけがえの無い「宝物」はもう、今のように私の口に入ることはなくなり、遠くの人たちの為だけに採集され、消費されるものとなってしまう事でしょう。そして、その時にはもう、この「宝物」達は今程には美味しく食べられる事も無いのではないでしょうか。。。

とすると、どうも私にとっては今のままの状態が一番だ、ということになりそうですね・笑

2010/06/01 01:08 | 暮らし, 食べる | No Comments

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