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2013/05/30

豆の季節は、陽射しが強くなって山菜採集に歩き廻るにもそろそろ少し暑いなぁ、という初夏にやってきます。

 

我が家の畑の一番手は、キヌサヤエンドウ。

関西の方ではべたに「ウスイマメ(薄い豆)」と呼ぶそうですが、その呼び名通り、まだ豆が膨らんでいない扁平な「莢(サヤ)」を食べるお豆です。
さっと色好く茹でてサラダや和え物にして戴くと、新緑のように目に鮮やかな彩で、美味しいですね。
花を付けてから一週間もするともう莢が食べ頃に育ちます。旬には次々に実るので摘みきれない程に採れますが、実が入ってしまった(莢の中の実の粒が膨らんだ)ものでも、莢は少し硬くなっても味は濃くなるので、炒め物やポタージュスープ、ピューレにしてパンに載せたりすると、それはもう実に美味しいものです。
糖分と併せて鶯餡にすれば、和菓子やアイスクリームにもなります…(涎)
次に参戦してくるのがスナップエンドウ。
やはり莢ごと食べる豆ですが、絹サヤよりもずっと実が大きくなってプックリと莢に厚みが出たものを収穫して食べます。トウモロコシのような強い甘味があって美味しいです。
更に、実(ミ)エンドウ。
所謂、グリーンピースです。我が家では赤い実豌豆(餡蜜に入っているミツマメになります)も育てています。この豌豆を入れて炊いた豆ごはんの色合いの美しさ、薫り、美味しさは、梅雨時の最高のおご馳走の一つです。
ちなみに、豆ごはんに使うお米は、新米よりも古米の方が美味しいように想います。お鮨のシャリには古米が良い、という話は有名ですが、基本的に同じ理由によるのでしょう。
つまり、新米は水分や油分を多く含んでいるので、お米そのものの薫りや味が強く、他の食材、特に新鮮で繊細な味、香り、食感を持つ食材と併せた時に馴染み合うよりも喧嘩してしまい勝ちなのですね。
豆ごはんの神髄は、豌豆の鮮烈な風味と香り、そして、柔らかな豆の食感。古米はその枯れた静かな風味と少し強い歯応えの残る粒粒感で、豆の個性を静かにしっかりと吸収して受け止めてくれるから、それはもう、絶妙に美味しい組み合わせとなるのですね。
※ 勿論、「古米」といっても、普通に売ってる白米や玄米の古いものは駄目ですよ!籾のままで寝かせておいた「生きている」お米の「古米」が美味しいのです。
対して、新米では豌豆の鮮烈さ、柔らかさが喧嘩してしまうというか、生命力が溢れ過ぎたご飯になって、特に梅雨の季節には元気が付き過ぎる、いのちが強すぎるような感じがします。
塩味をやや強めに利かせ、丁度収穫期を迎える裸大麦と併せて上手に炊きあげた豆ごはん
は将に天国なお味です!(下の写真は、赤、緑2種の実エンドウと裸大麦入りの玄米リゾット)
そして、青豆の季節の掉尾を飾るのがソラマメです。
空に向かって伸びあがるように豆果(莢)を付けるから、「空豆」という説がある通りの姿で実りますが、食べ頃はその莢が項垂れて下を向いて少し黒ずんで来た頃になります。
はしりの頃、若めの青い豆果(莢)を収穫して莢ごと焼いて中の豆を皮も丸ごとに戴く、ソラマメの莢焼きは、実に美味しいご馳走です。
良く熟れた実を甘いズンダ餡にしたものも実に美味しい!!!
大豆と同様に、エンドウも蚕豆も完熟した豆を乾燥保存して保存食としても使う事が出来る頼もしい食材です。
エンドウもソラマメも、この辺りで種を播くのは霜が来る前の晩秋の10月半ば頃。長い冬を耐えて、こうして半年後に実ってくれる、有り難い命です。麦と相似た時期に一生を過ごす作物だからか、夏に向かう頃に戴く味は身体に沁みるます。

 

海に面した街の魚屋さんから、瀬戸内ではこの季節、青豆が美味し過ぎるから、皆が魚を食べるのを忘れてしまって魚の売り上げが落ちるのだ、という話を聴いた事があります。本当かどうかは解りませんが、その魚屋さんに我が家の摘み立ての青豆を少し持って行ったら、凄い量のお魚をオマケしてくれた事がありましたっけ。

確かに、筍の季節の終わりを告げる、淡竹、蕗に各種青豆を散らした精進散し寿司はこの季節のオールスターを揃えた最高のご馳走だ、と想います。

今年の梅雨時も、お豆を沢山食べて、マメマメしく働いて参りたいと想います。

2013/05/30 03:19 | 食べる | No Comments

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