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2012/09/30

今日は大型の台風が本州を襲っていますが、この谷間ではお昼過ぎには雨雲が去って吸い込まれそうに高い秋の青空が拡がっています。今夜は中秋の名月、美しいお月様を拝めそうな、お百姓を目指す、川口です。

さて、我が家の自然農の畑の一角では、今年も和棉たちの莢が弾けて綿を吹き始めました。 こちらは弓ヶ浜棉の在来種の茶棉です。

所謂、「コットンボール」ですが、元々の英語では Cotton boll と綴ります。実は、ball (球)ではないのです。bollとは「莢」(さや)の事なのですね。

上の写真の右上に緑色をした桃の果実のようなモノが見えますよね。実はこれが弾ける前の棉の莢なのです。開花、受粉から10日程でこのような実を膨らませ、40日程して種が成熟するとこの莢が弾けて左側のように綿が吹き出すのです。

英語的には、どちらも綿の莢、コットンボール、という事になるのでしょうが、日本では昔は綿が弾ける前の緑色をして垂れている莢を「桃(モモ)」とか、「朔(サク)」と呼んで弾けて垂れている「綿」とは区別していたようです。

戦後すぐの頃の小学一年生の「いろはにほへと」を教える教科書の「わ」の所には絵付きで、弾けた棉の実を「わた」、そして弾ける前の朔を、「もも」、などと書いて区別して教えていたのを博物館などの展示で見た事があります。

江戸時代頃からその頃までは日本人にとってそれ程に身近なものだったのに、今は知ってる人の方が珍しいですよねw

最近はお花屋さんなどでドライフラワーとして綿の枝が売られているのを目にするようになりましたが、それらは米綿などの新大陸綿で、旧大陸のアジア綿に属するこの写真の和棉とは随分風情が違います。米綿の方が大きさもずっと大きいのですが、一番の違いはその綿の吹き出す様です。米綿は、莢が弾けても莢と綿は上(空)を向いたままで、莢と綿も殆どくっ付いたままなのです。

それに対して、和棉の場合は写真のように綿が下方向に吹き出して、しばらくすると垂れ下がって綿がぶらぶらと揺れるようになるのですね。

これは、元々熱帯地方の植物であった棉が長い期間をかけて多雨のモンスーン気候に適応する種へと人の手で選別されて来た結果だと想われます。莢を下に向ける事で種が水で痛まないように守っているのでしょう。

実は、室町時代までは、まだ日本の気候で育つ棉はなかった為に、木綿布は輸入品の超高級品があるのみで、庶民には決して手の届かないものでした。

そんな辺りの事情を、民俗学の創設者柳田國男は『木綿以前の事』に書いています。

今では夢のようなお話です。

そんな訳で、「和棉」、ぜひぜひ、大切にしてゆきたいものです。

私はこの棉を収穫し、繰り、打って、糸を紡いで、自家製の布を織る、という贅沢極まりない作業もしています。

糸を紡ぐのにはこんな手作りの独楽(コマ)をもっぱら使っています。

立て簾越しに差し込む、すっかり穏やかになった秋の陽を浴びつつ、独楽で紡ぐそのスピードは糸車(チャルカ)の数百分の一、紡績機械と比べたら数千億分の一かな…。でも、その歓びは無限大なのです。

2012/09/30 06:38 | 和棉 | 1 Comment

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