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2010/09/11

お百姓への遠い道程を今日も行く、川口です。

今日は朝から友人の葡萄畑でワイン用葡萄の収穫のお手伝いをして参りました。
今年は猛暑、少雨の大変に厳しい天候でしたが、それでも葡萄たちはたわわに実を付けていました。
美味しいワインになってくれる日が待ち遠しいです。

田では稲たちが無事に穂を出し、さまざまな姿で花を咲かせています。

まだまだ暑い日が続いてはいても、生き物たちは確実に秋の実りを結んでくれています。
有り難いことです。

さて、、、

私、川口は、自分や家族が日々の暮らしを過ごしてゆく上で必要な事々は、出来うる限り自分たちの手で賄ってできるようにしたい、と思いながら日々の暮らしを送っています。

別に「エコ」、だとか、「地球に優しく」だとか云う事ではなく、単に、そうして暮らす事から得られる歓び、愉しみに期待しているからです。

お米も、野菜も、自分で育てるのが愉しい。そして、それを自分で調理したものこそが、本当に美味しいのです。

春の山菜も、秋の実りも自分で採集するから愉しく、自分で調理するからこそ美味しいのです。

これは、極く短い間とはいえ、これまで百姓暮らしをしてきた経験から、確かな実感です。

ですから、食べ物に関する事に限らず、出来うる限り、自分の暮らしに関わることは自分で出来るようになりたい。そうすることが、今の自分にとっては最も愉しい事、やりたい事であろうから。。。と思っている訳です。

私的にはそれこそが「百姓」的暮らし、だと思っていますし、それが、所謂、「スローライフ」が目指しているところのものであろう、と思うのであります。

しかしながら、この、「スローライフ」(=私的には「百姓暮らし」)というやつ、やってみると、実に「忙しい」のです。

例えば、人間生活の基本要件として名高い言葉に、「衣・食・住」というのがあります。
ところが、この、「衣・食・住」の内で、今の私が何とか自分で自分の面倒を見られているのは「食」の極一部に過ぎません。

お米は自分で育て、脱穀、籾摺り、炊飯していますし、野菜も多くは自分で育て、山菜、果実も山から採集しています。味噌やお酢も自家製だし、パンも天然酵母を育てて毎日のように自分で捏ねて焼いています。

かつての自分から見れば、十二分に「現代人離れ」した暮らし振りだとは思います。

でも、油類や塩は勿論、パン用の粉や乾燥パスタ類は人様が作って下さったものを使って(買って)いますし、何よりも、毎日のご飯を作る為の火を焚く燃料はガスに頼っているし、水は蛇口を捻ると出てくる水道水。パンを焼くオーブンは電気に頼っています。

況してや、「衣」については、和綿なぞも育てて糸紡ぎや機織りもしては居りますけれども、とても実用には程遠い。精々、切れたパンツのゴムを通す程度であります。

「住」に関しては、恥ずかしながら、まだ何もやっていません。障子と網戸の張替えすら終わっていない!

それなのに、私の暮らしは、もう既にかなり少なくとも個人的には忙しいのです。

毎日、朝から晩まで、田畑で作物の様子を見て出来る限りの手助けをする。時には、山に収穫に出かけ、野菜の種を採る。その一方で、食事の支度でパンを捏ね、酵母をかけ継ぎ、籾を摺り、米を焚く。

どれも皆、手が掛かる作業です。そして相手が生き物である事が多いですから、どの作業にもそれぞれ、それなりの時間が掛かります。

ですから、私的に理想と考えている「百姓的」暮らしを実現する為には、大変な忙しい毎日の仕事をきちんと管理、運営できる能力が求められる事に気付かされるのです。

「スローライフ」とは、どうやら、「のんびりとした暮らし」では無いようです。
それは、「物事の進み方がゆっくりとしている暮らし」であって、その暮らしを守る当人は実に忙しいのです。

いつの日にか、そんな暮らしの諸々をきちんとやり遂げる能力を身に付けて、自分で織った布を身に着け、自分で作った椅子に身を沈め、自分で作った炉に、自分で集めて割った薪を燃やし、揺れる焚き火を眺めつつ、前年の秋に収穫した葡萄で作ったワインを開け、月に自分で作ったグラスを掲げて乾杯し、ゆっくりとため息を吐く、、、そんな時を迎えたいものです。

2010/09/11 05:46 | 暮らし | No Comments

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