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2011/10/29

新暦の10月に入る頃は、旧暦の七十四候の第48候、「水始涸」(田畑の水を干し始める)にあたります。(*)
それからほぼ一か月、いよいよ稲刈りの頃が近づいて来ました。

朝に夕に、日毎色を深めて金色に輝く稲穂の海を眺めつつ百姓としての幸せを噛みしめる、川口です。

今日の日暮れ時には、松明を掲げた一団の人々が太鼓を打ちながら田の中の道を行進して荒神様へと歩いてゆきました。やがて荒神様の境内で大きな焚火が燃え上がり、深くなりゆく闇へと煙と共に静かに紛れて消えて行きました。今年も再び荒神様が再生したのです。

こちらが今の我が田の稲たちです。

こうして色付きゆく稲穂の姿は誠に何物にも換え難く美しく、何とも言えない豊かな歓びに満たしてくれる光景ではあります。
が、それは同時に稲たちの枯れ衰え滅びゆく姿です。

4月に苗代に降ろされた一粒の籾から生まれでた幼い命が、やがて立派に生長を遂げ、花を咲かせ数千の新たな命を宿し育む。そしてたわわに穂を実らせました。

しかし、この営みを全うして数千の命を残すと同時に、それらの稲たち自らは滅んでゆきます。ちょうど荒神様が生まれ変わるように。その間およそ6か月。

数千年、或いは数万年前に人類が栽培を始めて以来、停まること無く続けられて来たこの稲の生命の巡り、親から子への生命の移り替りの姿は、美しいと同時に、実に峻厳な有り様でもあります。

しかし、稲以外の草ぐさたちの命から眺めるならば、一粒の稲の種籾がこうして立派な株に育つことが出来たのは、私が稲に手を貸してそれら他の草ぐさが生きる場を奪い、稲の育つ場を確保したからこそ。今、こうして立派に子孫を残して死んでゆく稲の姿のあるのは、実はその稲に命の場を譲り(わたくしに命を奪われて)子孫を残すこともなく滅んで行った数えきれない程の命の死があったからこそでもあります。

そうした数えきれない命の死があってこそ稲は無事育つことが出来る。そして、私は、そうして育った稲の子供たちの命を頂くことで命を繋いでゆく。

おのずから生まれ育ち、おのずから子孫を残し、おのずから死んでゆく…。そんな命の営みの定めに沿って稲は命を実らせ、私はその実った命を食べて自らの生命を養う。

不思議というには余りにも不思議な、絶えることの無い生命の繋がりに驚かされるばかり、秋はそんな季節です。

*) 今のお米農家は重い農業機械を使って稲を刈る為刈り入れ前までにしっかり田を乾かしておかねばならず、その為に8月の終わり頃からはもう田に水を入れないようになったのですが、昔ながらに手刈りするわたしの場合はこれから干せば充分ですし、稲の生育の為には実は10月頃までは田に水をいれておくのが良いようです。

2011/08/31

去りゆく夏を惜しむ日々になりました。
百姓への道を往く、川口巽次郎です。

暦では処暑、ようやく暑さもやわらぐ頃となりました。
二十四節気【処暑】の初候 第四十候は、「綿のはなしべ開く」頃、この谷間でも日中はまだ真夏の暑さですが、朝夕は肌寒い程、すっかり過ごし易くなり、私の畑でも和綿の花が揺れています。

田では無事、稲が開花し、穂を伸ばし始めました。

 

一枚の田を生命の舞台として、他の多くの生命に代わって場所を得た稲たちが夏の盛りにその生命を咲かせる姿は、実に神々しいものです。

さて、来週はいよいよ Junkstage の公演ですね。
こちらの「舞台」ではどんな花が咲くのでしょうか?とっても、愉しみですね!!!

2011/08/06

月日の経つのは早いもので、旧暦の7月に入り、今日は七夕(棚機)の節句、まだまだ暑い日は続きますが、間もなく立秋を迎える頃となってしまいました。

前回のコラムは端午の節句に公開しましたから、ほぼ2か月間の長きに亘るご無沙汰、これでは隔週(レギュラー)ならぬ隔節句ライター(ゴメンナサイ!)、百姓への道を往く、川口巽次郎です。

この間、7月初には無事人生3度目の田植えを終え、以来、今日までのほぼ1か月間、毎朝晩、田畑で草を刈る日々を過ごしておりました。わたくしたちのお米作りは、「自然農」のやり方ですから、超スローな完全手作業なのですが、今年は昨年よりは田植えも草刈りも順調に済ませる事が出来ました。

お蔭で、今、私たちの田では夏の日差しを浴びて稲たちがすくすくと育ってくれています。

私にとっては3度目のお米作りになりますが、それでも、ついこの間までは苗代であんな幼い姿で揺れていた命が、このように立派に育ってくれている姿に接すると、奇跡を目の当りにしているような心持ちがします。

特に今頃の田の面を渉る風に稲の葉先が揺れて波打つ様を眺めていると、余りの美しさに気が遠くなるような心持ちになって、しばし立ち尽くしてしまいます。

 

田の畦では、昔のままに大豆や黒豆を植えています。「畦豆」と呼ばれます。こちらも元気に育ってくれています。

こうして田植え後の約一か月間、稲や豆が負けないように草を刈ってあげて、無事こうして成年の姿にまで育ってくれたならば、後は水の調整をするだけで、田や畦の沢山の生命と稲、豆たちに任せて実りの時を待つ、即ち、田での仕事は収穫の時までしばしのお休みに入ります。そのしばしの休息の時の始まりが「お盆休み」なのですね。

ところで、私たちの田は僅か7畝(700㎡)弱、現代の農業機械、肥料、除草剤、農薬を使ってお米だけを作るのであれば、年間実働5日程度で十分に収穫出来てしまうであろう程の、極々、小さな一枚でしかありません。しかし、わたしたちのように「自然農」の理に沿った手作業で、機械も、薬、肥料も使わなければ、2人でも片手間では対応出来ない程の広さなのです。

それでも、そんな小さな田であっても、きちんと守ることが出来るならば、わたしたち2人の命を一年間に亘って支えてくれるに余りあるめぐみを与えてくれるのです。

先ず稲は、一年を通して食べる主食、ご飯になります。翌年分の籾を取り、仮に、2人で毎日三食、一合づつのお米を食べても余る程の量が収穫できます。余るお米を、畦豆(大豆)と合わせて、必須調味料であるお味噌(米味噌)を仕込みます。更に、稲の裏作として、冬から春にかけて育てる麦と畦豆とを合わせれば、お醤油が仕込めるのです。お醤油にした残りの小麦は、折々に粉に挽いて、うどんやパンにして戴けます。暑い夏の日にはご飯よりも小麦の粉ものが美味しいですからね。

つまり、この1枚の小さい(けれどもわたしたち2人の体力にはほぼ見合った広さの)田さえあれば、わたしたちが、日々、十分な食べ物を戴いて生きることが、保障されるのです。

このような「お話」は、田舎で百姓暮らしを始めた当初のわたくしにとってはおよそ法外な「夢物語」に過ぎませんでした。しかし、今、これは、わたくしにとっては単なる「事実」です。

この一枚の田が在りさえすれば、わたしたちは、農薬は勿論、外部から一切の肥料(化成、有機を問わず)を持ち込む事も無く、最小限の道具(鍬とスコップと鎌)だけを使って、一切の機械や化石燃料(かつての厖大な生き物達の亡骸)の力を借りる事も無く、自らの命を守ることが出来るのです。

それなのに、今、この日本では、そうして人の命を支えてくれる力を持つ豊かな田畑山を、棲むことすら出来ない程に自らの手で汚してしまうという、目を覆うばかりの事態が進行しています。果たしてこの世に生きる物としてこれ以上に愚かな行為があるでしょうか?

わたしは、全ての人類がとは申しませんが、今よりももう少しだけ多くの人たちに、ささやかな田畑を守ることさえ出来れば自然のめぐみの力のみで自らの食べ物は自ら確保して豊かに生きることが出来る場所があるのだ、という事を、そしてそれに気付く歓びの大きさを、知ってもらうことが出来たならばさぞ嬉しいことだろうに、と想っています。

そうなれば、お盆休みには日本各地のそんな方たちのお宅を訪ねては、素晴らしく美味しいご飯のご相伴に預かる事も出来るのでしょうからね。

2011/06/06

今日は旧暦の5月5日、端午の節句。
あらゆる生命が輝き精気が横溢する季節です。

既に梅雨入りしたこの谷間で、田植えの準備に追われている、お百姓になりたい、川口です。

かつて、まだ田畑に立った事がなかった頃、4年前までのわたくしは、初夏には、あらゆる生命が育ってゆくのだろう、と漠然と思っておりました。

実は、そうではなく、夏を迎える頃に、静かに朽ちてゆく生命も沢山あるのです。

春先に花を咲かせて実を結んだ冬の草草の多くは初夏を迎える頃には枯れてゆくのです。
そんな冬の草達の田畑における代表の一つが麦。
「麦秋」という美しい言葉がありますが、今が、まさに、その時期。

私の田でも大麦がこんな風に、黄金色に染まりつつあります。新たな命を実らせて、自らは死の刻を迎えようとしている神々しい姿です。

この麦たちのように、新たな命を実らせて、そのものの命には終わりを迎えつつある草草がある一方で、今、まさに育ちつつある夏の草草たちもいます。

そんな夏の草草の代表が稲、お米です。

麦が実っている同じ田の片隅の苗床で、稲はまさに幼年期ならではの美しい緑色に輝いています。これから秋の実りを目指して成長して行く、幼い命の鮮烈な姿です。

こんなに大きくなったのですよ!

他方、こんなに妖艶に輝いていたエンドウも、今はこうして種を残し静かに滅びの時期を迎えています。

この様に、生命はとどまることなく、切れ目なく、交代してゆきます。

一つ一つの命は滅びますが、同時に沢山の次の命の種を残してゆく。

その滅びてゆく命の足元で、既に芽吹き始めている命が盛夏に向けて繁ってゆく。

やがて実りの秋にはその命も滅び、実りを残す。

田畑の総体で見るならば、生命は消えることなく、減ることなく、引き継がれ、豊かに、豊かに、と巡ってゆくのです。

想わず、頭を垂れずには居られない、そんな光景です。

だって、そのめぐみを頂くことで私も命を保っているのですから。

そもそも、宇宙の中にあって、わたしたちの生命も本来はそんな風に巡るべきものだったのではないでしょうか?

それなのに、今の私達は、何百万年もの生命の巡りから産まれた貴重な化石燃料を数百年で使い尽し、何億年もの時を経て鎮まっていたウランを掘り出し、燃やして、刹那に消える電気へと変えて蕩尽し、生命の巡りを妨げる厖大な放射性物質を排出しています。

私たちは本当にそんな風にしてしか生きられないのでしょうか?田畑で生まれ、死んでゆく命のあり様を見ていると、決してそうではないはずだ、と想うのです。

さて、間もなく、この谷間の田にも水が入ります。気が遠くなるような、田植えの日々が始まります。

2011/05/26

皆様、大変にご無沙汰しておりました。
百姓になりたい、川口巽次郎です。

この度、改めまして、JunkStage レギュラーライターとして継続して記事を書かせて頂ける事となりました。
私の百姓を目指す日々のつれづれを、今後も末永く皆様に愉しんでお読み頂けるならば、それに優る歓びはありません。
今後とも、ぜひ、よろしくお願い致します。

先ずは、ようやく春の気配が漂い始めた3月初旬のあの午下がり、東北を襲った大震災の猛威、そして、その後の深刻な原子力発電所の状態によって、被災地の皆様方が今もお心を休めることの出来ない日々をお暮しになっていらっしゃる事に、心からのお見舞いを申し上げます。

それにしても、放射能汚染によって、何代にも亘って慣れ親しんで来た土地、家、田畑を離れなければならない方々が居らっしゃる、そのことを想うと、本当に言葉もありません。どんなにか辛いことでしょうか!

翻って、この谷間には、あらゆる生命が巡る場所、田畑、山、川、海、空があり、私たちもそこに身を置く場所を頂き、こうして生きて在る。この一事が、こんなにも奇跡的なことなのだ、と改めて覚らされずには居られません。

今、田の一角の苗代では田植えに備えて稲の苗がすくすくと育ちつつあります。

すくすく育つイネの苗たち

畑では、紅い苺、緑のエンドウ、空豆が輝き、夏野菜達が芽吹き、育ち始めています。

エンドウの花

麦の穂も色づき始めて風に揺られています。

葡萄や柿、桃、梅の青々とした若葉が日々茂ってゆきます。

初夏は、田畑で、山で生命が躍動し輝く季節です。

朝日に輝く苺

そんな生命溢れるこの谷間で、わたしたちの生命も、今ここで、生きる場を与えられています。

この、掛け替えのない奇跡、幸せに、深く感謝いたします。

そんな幸せを噛みしめながら、今年も、田でお米を育てます。

私にとっては、「三度目の正直」のお米作りになります。

いつの間にか、お百姓を目指してのこの谷間での暮らしも4年目の夏を迎えます。
夫婦での田舎暮らしは2年目。

今日、中国地方は平年より10日以上早く梅雨入りしました。
次の新月にはそろそろ蛍が舞うことでしょう。

今年の田植えはいよいよ、6月の半ばから始まります。

2010/12/20

ようやく今年の米作りの作業をほぼ終えて、やや脱力している、百姓になりたい、川口です。

先日、脱穀作業について書きましたが、この週末ようやく全ての稲の脱穀を終えました。こちらが私が使っている足踏み式脱穀機。

足踏み式脱穀機を廻すの図 

昨年、初めてのお米作りをした際に、どうして脱穀しようかと困っていた私にご親切な知り合いの方が譲って下さったものです。既に木枠が虫に喰われてガタガタになっているご老体ではありますが、何とか今年も無事働いてくれました。

足踏み式脱穀機は鋳鉄で出来た頑丈な回転ドラムにUの字形をした突起を沢山付けたものです。踏み板を足で踏むと、はずみ車に連結されている歯車がこの突起付きドラムをグルグルと廻す仕組みになっています。回転するU字の突起部分に稲束を接触させて穂先から籾を弾き飛ばす訳です。弾み車を廻す音がなんだか機関車のようで愉しいものです。(ただし、少しだけならですが。)

足踏み脱穀機で弾き飛ばした籾には藁の破片などが沢山混じっていますので、篩(ふるい)にかけて大きな藁屑などを取り除きます。
それでも、細かな藁屑や、籾の成りはしていても米が入っていない未成熟の籾や小さなお米が混ざっていてそのままでは籾摺りが出来ません。
そこで、これらの細かい屑を取り除いてきれいな粒揃いの籾米だけを取り出す作業を行います。

それが唐箕かけ(唐箕選)です。
こちらがその様子です。

唐箕を廻すの図

1) ハンドルを廻すとドラムの内部にある大きな羽が廻って風を起こします。
2) ハンドルを廻しながら(風を送りながら)、上部のスタッカーからレバーで開口部の大きさを調整しながら脱穀した藁屑入りの籾をすこしずつ落としてゆきます。
3) 風が藁屑や軽い籾を吹き飛ばし、重い実が入った籾だけが排出口から出てきます。

こうしてようやく粒揃いの籾米を手にすることが出来るのです。

後は、年末年始の間、天気の良い日に庭にこの籾米を拡げて良く乾かします。(私は年末年始は留守にするので家の縁側に干しっ放しにしておきますが。)

籾がよく乾いたら来年の種籾を取り分け、食べる分は米袋に入れて保存し、食べる時に籾摺りして玄米にしては食べてゆきます。

他方、穂先の籾を外した稲藁はそのまま田にばら撒いて戻しておきます。

田ではこのように稲架も空になり、一面に藁が振りまかれています。

 空になった稲架と振りまかれた藁の図

そうしておくだけで、冬の間に田の土壌に棲む微生物が藁を分解して、再び来年稲が育つ為の栄養に変えて行ってくれます。
稲が、田の土壌、生き物達、そして山からの水によってもたらされる様々な栄養を原料とし、太陽のエネルギーを使って半年かけて作ってくれたお米という実りを私が頂き、それ以外の部分は再び田に戻すのです。すると、それらの「親の亡骸」が、他の生き物達の力で、翌年に子が育つ為のいのちの源となってゆきます。

そんな生命の巡りからのお零れとして、私はお米を頂いて生きてゆくのです。

また、これだけの手間をかけていますから、本人にとっては絶対に本当にこれ以上というものはない、何よりも美味しいお米になるのですね。

さて、この冬の間には山で伐った木でご老体の脱穀機の枠を修理して若返らせてあげたいものです。

2010/12/02

燃えるような黄金色に色付いていた荒神様のイチョウもすっかり葉を落とし、この谷間では毎朝のように霜が降り、氷が張るようになりました。これからやってくる厳しい冬を今年はどうしてやり過ごそうか、と悩んでいる、百姓になりたい、川口です。

今週から、今年実った稲の脱穀をしています。

稲の場合の脱穀とは、稲刈りをした後で稲木に掛けて干しておいた稲の束の稲穂から、籾の粒粒を外す事を言います。

こちらが稲刈りを終えて稲木に干した稲達です。

101121_161114-1.jpg

ちなみに、Wikipedia を参照しますと、「脱穀(だっこく)とは、収穫した穀類(イネ、ムギ、ダイズ、アズキ、アワ、ヒエ、ゴマなど)を茎からはずすこと。イネの場合、稲扱き(いねこき)ともいう。 脱穀に続く、籾殻(もみがら)をはずす作業を脱稃(だっぷ)と呼び、脱稃を含めて脱穀ということもある。」 
という事ですね。

私は、実際に自分でお米を作るようになるまで、稲作というのは稲刈りでほぼ終わるものなのだろう、となんとなく思っておりました。

が、実際に様々な穀類、豆類などを育ててみますと、田畑で立派に実ったものを収穫してから、実際に食事として口に入れられるまでには実は大変な道程、手間がかかるものなのだ、という事を思い知らされるのです。

手順としては、以下のような感じです。

1) 稲刈り
    一反(10アール)は3~4日/一人
2) 天日乾燥 (稲木(はざ)架け)
    稲刈りと同時に実施する。作業期間は上記に含む。天候によるが、1~2週間程度干す。

3) 脱穀
    一反(10アール)当り8俵(一俵≒60kg x 8 = 480kg)程の収量だとして、足踏み脱穀機で4~5日間。
4) 籾選別(唐箕掛け)
2日から3日間。
5) 籾乾燥
一週間程。
6) 袋に保存
1日。

一反の田の収穫を終えるのに、しっかり朝から晩まで1日働いても、実働で2週間はかかるのですよ。

実際に炊けるご飯にする為には、更に、籾を外す作業(いわゆる「籾摺り」)が必要になります。
これを手作業でやると、更に膨大な時間がかかるのです。

注) 勿論これは現代の農業機械、コンバインを使って収穫作業をしている普通の米作農家の方々の場合には全く事情は異なります。コンバインでやれば、上記、稲刈りから脱穀までが小一時間。乾燥機に入れて数日乾燥させればお終い、です。

昨年は大変に豊作でしたので、これらの作業が本当に泣きたくなりそうに大変だったのでした。で、今年は半ば意図的に収量を減らしたので、その結果、何とか、音を上げずに作業を進められています。

これらの稲刈り後、お米を食べられるようにするまでの作業は、自分の為にしていても大変なもので、もしこれを他人様の為だけに、義務的にこなさねばならない作業だとしたら、つくづく退屈極まりない、苦痛に満ちた作業になってしまうであろうと、痛感せざるを得ません。

決して私の人格が低いからだけではなく、恐らく万人が、何とかして、自分だけでもこの単調な作業の苦痛から逃れて、気儘に過ごしていてもご飯が食べられる立場になりたい、と痛烈に感じるであろうと確信できるのです。

きっと、そんなところから、人間同士の間に、支配/被支配の関係が生まれて来たのだろうなぁ、などと想いを馳せながら、日がな一日、脱穀機のペダルを踏み、籾を集める私です。

2010/09/03

大変ご無沙汰しておりました。百姓になりたい、川口です。

とても暑い夏、でしたね。
この谷間でも連日34度を超える猛暑の日々でした。
梅雨明け以来、未だに殆ど雨も落ちて来ない、畑の野菜達にとってはとても厳しい日々が続いています。

幸いにして、田にはご先祖様たちが作って下さった溜池から充分な水が降りて来ているので、稲たちは順調に育ってくれています。

この調子ならば、今年もこの辺り一帯は豊作が期待できそうです。

さて、私の夏の一日は以下のような日々でした。

朝、まだ谷間に日が差し込まない間に朝露を踏みながら田に向かいます。
まず、畦の周りを点検します。もぐらなどが空けた穴から水が漏れたりしていないか確認する為です。

異常が無いのを確認したら、畦(アゼ)で草履を脱いで、田に入ります。

夏の間、私は田には素足で入っています。

朝夕の、ひんやりとした田の水に足を入れるときの感覚はとても心地のよいものです。

田に入ったら、稲の株の間をかき分けつつ、一条(スジ)毎に稲の株一つ一つを調べながら草を刈ってゆきます。

稲の株の周りに稗(ヒエ)などの雑草が張り付いて根を張っていないか、一株一株を丁寧に調べ、張り付いている草は抜き取って、他方、株の間に生えている草は刈ってはその場に敷いてゆきます。

とても時間のかかる、根気を要する作業です。
午前中の数時間の間に5-6条も出来れば上出来でしょうか…。

私の今年の田の場合、一条に50株ほどの稲を植えていて、その条が100条ほどもありますから、急いでやってみたところで一日、二日では終わりません。しかも、一通りの草刈りが終わる頃には、最初に刈った草はまた伸びていますから、再び、一から同じ作業を繰り返さねばなりません。殆どギリシア神話のシジフォスに与えられた罰のようです。

一株づつ、点検しては草を刈り、ただ黙々と身体を動かし続けていきます。

次第に高くなって来る太陽の日差しに背中が焼かれてゆきます。時折、田の表を渉ってくる風が一層心地良く感じられます。稲の間で身体を動かすたびに蛙やゲンゴロウ、バッタ、蜘蛛、トンボなどの小動物達が周りを忙しなく行き来し、空中ではしきりにツバメ達が餌を追って飛び回っています。そんな森羅万象の生命の気配に充たされつつも、ただ黙々と草を刈っていると、次第に頭の中も空っぽになって行きます。

何だか、お経を唱えたり、瞑想したりしているみたいな感覚です。

私はかつては山歩きなどもしていましたが、長い登りを歩いている感じに似ているような気もします。

それでも、日が高くなる10時を過ぎる頃には、もうとても作業を続けていられなくなって、家に逃げ帰ります。

朝の6時頃から作業を始めても、意外にあっという間に過ぎてゆく時間です。

水を浴びて汗を流し、ご飯を食べ終わる頃には温度も上がり、吹き込む風も熱風に感じられるようになります。そうなったら、もうなるべく床の上、低いところでゴロゴロしているに限ります。本などを読んで過すのですが、暑さと、波のように訪れる眠気とで、なにやら目覚めているのか夢の中にいるのか定かでない長い午後のひとときです。

ようやくすっかり日が傾き、谷間の西の山の端に達する頃になったら、ようやく身体を起こし、再び田に出かけます。

そして、朝と同じように草を刈ります。
夕方には、朝ほどの時間はありません。
日が落ちて暗くなると活動を始める虫達に刺される前には退散します。

再び水を浴びて、夕暮れの風にあたっていると昼間の熱の火照りが静かに拭われて行きます。

後は、食事をして寝床に入るだけ・・・。そして、再び次の暑い日が始まるのです。

私の百姓的な夏の日々は、来る日も来る日も、こんな風にあっと言う間に過ぎ去って行きました。

永遠に続くかのようでありながら、同時に陽炎のように、儚く過ぎた日々でした。

まだまだ暑い日々は続いていますが、今はもう稲の穂が出始めました。穂が出て花が咲き始めたら、稲の受粉の妨げにならないように、田には入れません。

ですから、あの永遠に続くかのような夏の日々も終わり。
想い出となりました。

なんだか、懐かしいような不思議な心持ちで、しばしの休息を楽しんでいます。

2010/07/28

川口です。

ようやく、ようやく、田植を終えました。

昨年より2週間も遅れ、梅雨も明けてしまいましたが、ようやく終わりました。

今年の田植も、長かった…。

今、普通の農家の方々が為さっている田植(1反≒10アール程度の場合)はといえば、

1) ある初夏の日に田に水を入れ、ごがーっと、トラクターで代掻きをする。濃厚なココアのような泥水が張られた田んぼが小1時間後には出現する。
2) 翌日、田植え機に苗箱に育てた苗をセットして、田のあちらからこちらへと数回往復する。小1時間後にはもうキレイに苗を植え終えている。

以上!

という感じ。

勿論、事前には、田に肥料を入れて土を作り、除草剤を撒き、種籾を消毒し(農薬に漬け)、苗箱を並べて土を入れ、種籾を播き、といったそれぞれの作業はなさっていらっしゃいますが、現代のお米作りの行程は見事に自動化されていて、人が直接に手を掛ける部分は極く限られたものになっています。

田植が終わり、除草剤を撒くと、後は、ただ稲たちだけが、草が生えることもない田で、日々ぐんぐんと大きくなって行くのみ。

田に農家の方々の姿を見かける事は滅多にありません。特にする事もありませんから。(中には追肥や除草剤をなさる方もいらっしゃいますけれども。。。)

そして今、私のご近所の田は皆、こんな見事な青い稲の海となって一面に広がっています。

普通の田の様子

それに対して、こちらが田植が終わったばかりの私の田です。

私の田(田植終了時)

「はぁ~?これは、単なる草叢ではないですか?」と思いますよね・・・?

私もそう思います(笑)

田植を始めてから一ヶ月近く(*)、毎日のように田に通い詰めていたにも関わらず、この大差です。普通、これ、駄目でしょう?、と思われますよね・・・。

*) 実は今年はサッカーのワールドカップがありましたでしょ?あれで随分と早朝の労働時間を減らしてしまったのが遅れの大きな原因ではあるのですけど・・・(苦笑)。

でも、近くに寄ってみますと、稲らしきモノたちが列を為している様がご覧になれますでしょう?

私の田(アップ)

私の田では、浅く水を張った草叢に埋もれるようにしゃがみ込んで、草を押し倒し、掻き分けては、稲の苗を1本づつ、手で植えます。所謂、「自然農」の方法に倣っているのですが、およそ気の遠くなるような作業です。

何故、好き好んでそのように面倒な事をせねばならぬのか?という話はまたおいおい少しづつ。

今日の所は、

普通の田植(一反当たり)の所要時間: 1時間
私の田植(一反当たり)の所要時間:1ヶ月 # 今年はちょっと長すぎでして、理想は2週間以内ですが。。。

という、天文学的相違に、心から、呆れておいてください。

今は、余りにも大きな差が付いてしまっているかに見える両者の風景ですが、最後にはどちらでも立派にお米が収穫できるのです、いや、出来て欲しい!・笑

どうか、この先の展開を期待していてください。

これからも、ほぼ2週間は毎日、この田での草刈りを続ける、川口でした。

2010/06/30

「お百姓」を目指す川口です。

今、田植をしています。

私にとって、来年一年間、家族で食べるお米が確保できるか否か?が決する大変に重要な勝負の時です。忙しいです。

が、先々回に書きました通り、ご近所の田ではとっくに田植が済み、今はどこの田でも整然と植え付けられた苗が青々と、日々育って行っています。こんな感じ。美しいですね!

普通の田の風景

他方、こちらが私の田です。一見するとただの草叢。この草叢に苗を1本づつ、草を掻き分けながら手植えしてゆくのが私の田植なのです。

自然農の田

こんな草叢でお米を育てるなんて!??一般の方には勿論、この辺りでお米作りをしている方々にとってはなお更に、信じられないやり方です。更に、私のお米作りは全て手作業。道具は鍬(くわ)と鎌(かま)。今時、機械は一切使いません。勿論、農薬も化学肥料も一切使わずに育てています。

所謂、「自然農」と呼ばれる栽培方法なのですが、昨年、私が生まれて初めてお米を作った際には、こんなやり方でお米が作れるなどとは私自身、全く信じられないことでした。それでも、半信半疑のままに、兎も角もやってみたら、立派なお米が出来た。それも、とてつもなく愉しく、そして、何よりも、とてつもなく美味しいお米を毎日食べられるようになった。だから、今年も性懲りもなく続けるのです。

恐らく、昨年程には収穫できないでしょう。けれども、全く出来ない、という事も無いはずだ、と信じて。そして、何よりも、来年食べるお米を確保する為に!

さて、実は、田植も大変な作業ですが、そこに辿り着くまでがまた結構大変なのです。

先ず、苗を育てねばなりません。
苗は籾から育てます。
私の場合は、昨年収穫したお米の籾を使います。籾殻を外して玄米にしてから毎日食べているお米そのものです。

こちらが発芽した籾。小さいです。こんな一粒の籾から数百粒もの籾が実るだなんて、実に脅威的です。

種籾の発芽

私の場合は田の一角に冬の間に用意しておいた苗代に、5月の始めに種(籾)を降ろして苗を育てています。

こちらが苗が育ちつつある苗代です。

苗代

苗代の苗が大きくなって来ると、田植に先立って田に水を入れます。

が、単に水を入れても田に水が溜まってくれるとは限りません。モグラなどの生き物が畦(=田の周りの土手)に縦横に穴を開けてしまっていたりすると、水を入れてもそこからどんどん流れ出て行ってしまう。

※ 山の斜面の棚田などだと、田の底から水がどんどん流れて行ってしまう場合すらあります。私の田の場合は幸いにしてそういう事はないのですが・・・。

そこで、水を入れたら田の周りの畦(あぜ)をぐるりとキレイに泥で塗り固めて水が漏れないようにしなければなりません。この作業を「畦塗り」と呼びます。

※ 最近はコンクリートの畦になっていたり、ゴムのシートをトラクターを使って畦に埋め込むのが普通になって畦塗りをする事も非常に珍しくなっているのですが。

私の畦塗りの道具は鍬1本のみ。先ず、田の泥を鍬で畦側に寄せ集めては足で踏んでよく練ってゆきます。田を延々、一周するまで、泥を集めては、踏んでゆきます。遠めで見ると、鍬を片手に躍っているかのようです。はっきり言って泥遊びにしか見えません。が、その実態は重労働の土木作業です。泥が良く練れたなら、畦側に引っぱり寄せて積み上げてゆきます。ここまでが初日の作業。

翌日、前日に寄せ上げておいた、やや固まって成型し易くなった泥を、鍬を左官屋さんの鏝(こて)のように上手に使ってキレイな堤防の風情となるように塗り固めて行きます。これも泥遊びしているようにしか見えません。が、大変な重労働です。

畦塗り後

ちなみに、今年の畦塗りはまた大変に苦しかった。何故ならば、去年やった時の苦しさをすっかり忘れていたからです。
その後の作業の苦しさや愉しさに紛れて、すっかり記憶から消えていたのですね。しかし、正直、かなりこたえました。夕方にはもう動けない、という位に辛かった。。。

という事で、本日はここまで。

次回は中々遅々として進まない田植の様子を実況できればと思います。

それでは。

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