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もう一か月もすると、再び田畑での仕事が忙しくなってきますから、それまでに、山でコナラの木を一本倒して椎茸の榾木の用意に薪作り。お味噌も仕込まないといけません。
そうして食べる事が、一番美味しくお米を食べる事だからです!(実は、単にお金を使わない為だけだったりもしますけど・笑)
籾殻を吹き飛ばして、摺り残された籾を選別してまた摺って、という工程ではまだ擂鉢を使いますが、人力だけでやるのに比べれば遥かに速やかに籾が摺れる様になりました!
気が付けばもう11月、本当に月日の巡る速さに驚かされます。
百姓見倣いの川口です。
雨ばかりの日が続いて日照不足が心配された今年のお米つくりでしたが、我が家の田の稲たちも立派に実りの時を迎えてくれています。
我が家でも先日から早生のお米から稲刈りを始めました。
こちらが刈り入れまで今暫らくとなった色とりどりの餅米たちです。
こちらは我が家の粳(ウルチ)米の最晩生のアサヒ。まだ緑濃く、これから一週間程ゆっくり熟れ太って貰います。
秋晴れの空が拡がる日を待って、稲を刈ります。
そんな秋晴れの一日はこんな風に過ぎて行きます。。。
稲刈り作業を始めるのは、朝露が消える10時過ぎ頃まで待ってから。
この日はこのやや早生の粳米、ヤマビコを刈り入れ。
株を掴んで一息にザクッと刈りとる。2株から3株をリズミカルに刈っては置き、刈っては置き。
お腹が空く頃まで、半畝程を刈り終えたら、畑でインゲン、トマト、ラディッシュ、人参、チコリにバジルを摘んで帰ってお昼ご飯に。
今日は、インゲンとパスタを一緒に茹でて、ジェノベーゼ(バジル)ソースで和えたリングィーネに。我が家の自然農のニンニクの味と香りが格別..。
トマト、ラディッシュ、チコリ、バジルのサラダに、朝、田に出る前に仕込んでおいた焼き立ての自家製酵母の人参葉入りフォカッチャを添えて。
デザートはピオーネ葡萄のジャムを載せた自家製全粒粉パンに、富有柿。
深焙りの珈琲を挽いて、淹れて…。
美味しい…。
余りのんびりしていると日が傾いてしまうから、再び田で畦の小豆を摘んで干す。畑で菊芋を掘って、大根、青菜を晩御飯のオカズ用に間引く。
そして、お日さまの下で少し乾いた稲束をどんどん藁で結束して、脇に抱えて運んで、稲架を立てて、掛ける。
掛け終わった頃には夕暮れが近づいて、片付けて家に戻れば、釣瓶落としに日が暮れる。
今夜は、土鍋で炊いた銀杏入りの摺り立ての玄米ご飯に、おかずは菊芋と間引き人参、岩手の菊池牧場さんの絶品チョリソーを炒めてきんぴらに。里芋と間引き小松菜のお味噌汁。大根の塩揉み。
摺り立てのお米、採り立ての野菜に、自家製味噌にお漬物。毎日食べてもまだ溜息が出る程に美味しい、最高のご馳走です。
ご飯を食べたら、もう直に眠くなりますから、お風呂に入っておやすみなさい!
秋も深まり暦は「霜降」、間も無く霜がやって来て、本格的な冬の到来となりますね。
この谷間の田畑でも、すっかり影が伸び、5時前にはお日様が山の端に隠れてしまうようになりました。田ではたわわに実った黄金色の稲の穂が揺れています。間も無く今年も稲刈りを迎えます。
この谷間に住む家と田畑をお借りして私が「農的な暮らし」を始めてから、早いもので6年目の冬を迎えようとしています。が、実は始めの2年間はわたくし1人身での単身田舎暮らしでした。その間、妻の方は東京での仕事を続けていました。当時の彼女の仕事場は日本橋。毎日、地下鉄に乗って家に帰る前に日本橋高島屋を巡ってお買い物を愉しむ日々を過ごしていたそうです。噂によるとカードのポイントが沢山貯まってポイントだけで何でも買えてしまうのではないか?というほどだったとか…(笑)。
月に一度程度は三連休を作ってはこちらに合流してくれて、一緒にお米作りの農作業を手伝ってくれたり、瀬戸内の季節折々の幸をふんだんに使ったご飯を作って一緒に食べたり、瀬戸内近辺を一緒に巡って遊んだり、といった時を共に過ごして愉しんではいましたが、当時の彼女の暮らしの中心はあくまでも東京での仕事、そして、お買い物(笑)だったのです。
そんな彼女が東京での職を辞して、私のここでの貧乏な(殆ど消費活動と無縁な)田舎暮らしに加わった事は、今、改めて想い返しても、実に大変な事だったなぁ、と想います。何しろ、この谷間では高島屋のポイントが幾らあっても何の役にも立たないですからね(笑) その上、そもそも彼女は、こちらでの暮らしを始めた頃の私と同様に過去に作物を育てた経験、知識はほぼ皆無。東京近郊の団地で生まれ育ち、私が多少は齧っていたようなアウトドアでの活動への興味や経験も、基本全く無し、な人だったのですから…。
…。
そんな彼女も、4年目ともなればこの谷間での暮らしにも漸く馴染んで、わたしに負けずにここでの暮らしを愉しんでいるのではないかな?と想う事が多くなりました。
例えば、最近は、こんな事が。
近隣の街の映画館の支配人さんがとてもアイディア豊かで積極的な方で、「スマホでつくる短編映画&CMワークショップ」という講座を地元の映像作家さんと一緒に企画・開催して下さったのですが、そちらに妻も参加したのです。ほとんどi-phoneだけで撮影、編集した6分間程のドキュメンタリー映画(?)ですが、完成時には他の参加者の皆さんの作品と共に、新幹線だって停まっちゃう駅前にある立派な映画館の大きなスクリーンで上映されたのです!初めて作った作品が映画館のスクリーンで上映して貰えるだなんて、素晴らしいですよね…。
この春から夏に至る間の、わたしたちの「自然農」による「農的な暮らし」の一端を切り撮ったドキュメンタリー(映画というよりスライドショーに近いかな・笑?)ですが、共に「自然農」でのお米作りを学んでいる友人たちの大量の組織票のお蔭もあって、有り難い事に、観客投票による優秀作品の一点に選出までして頂きました。
わたしたちの暮らしの有り様の一端を見て頂くことが出来ますので、ご紹介させていただきました。お愉しみ頂けたら幸いです!
暦の上では、既に「立秋」。確かに夜には鈴蟲の聲も聴かれ秋の気配も感じられるようにはなりましたが、日中の暑さは寧ろ一層厳しさを況しているかのような日が続いています。皆さま、暑さに負けず夏を満喫してお過ごしですか?大変にご無沙汰しておりました。お百姓を目指す、川口です。
恥ずかしながら、当コラム、なんと、2か月以上も更新しておりませんでした。
反省しようと、改めて過去の記事を眺めてみると、どうもこれは今年に限った事ではなく、毎年毎年、初夏から盛夏に掛けて更新が滞っています。
一体全体、毎年何にうつつを抜かして居るのか?と申しますと、そう、お米を育てているのですね…。
早いもので、今年はわたしたちにとってもう5回目のお米作りになりました。
ひと口に「お米作り」と謂っても、世界中には実に様々なやり方があるのですが、わたしたちは「自然農」に沿ってお米を育てています。
私がここで「自然農」と申しておりますのは、耕さず、農薬(除草剤)も、肥料も用いることなく、草や蟲を敵としないで、作物を栽培する、という事です。それ以外の細かい点については夫々条件に応じて別々ですけれどね。
6月には田植えをします。田植え機を使えば1時間も懸らない作業ですが、わたしたちの場合には、約10日程懸ります。
田植えを終えたら除草をします。除草剤を使っている方々にとっては全く発生しない作業ですが、わたしたちの場合は、稲が幼穂を育て始める8月初旬までの間、時間の許す限り、延々と続けることになる作業です。
ですから、この初夏から盛夏にかけての日々は、
朝起きて、田に行き、
お昼に戻ってご飯を食べたら昼寝をして、
夕方再び田に行き、
戻ってご飯を食べたら、
寝る。
ただそれを繰り返して日々を過ごします。
今年もそんな風に過ぎました。
田植えも、除草も、実に単調で、かつ、なかなか終わりが見えない、将に気が遠くなるような作業ではあるのですが、もう疲れ切って他に何もする気が起きない、などという程の重労働という事では決して無いのです。
そうではなくて、どうも、そうしているだけで満たされてしまって、敢えて他の事を求める気が起きない、そんな感じになってしまうのですね…。
朝のヒンヤリとした空気を吸い込みながら朝露を踏んで田へと歩いてゆく時の新鮮な心持ち。
夕暮れの空に拡がる夕焼けの美しさを見上げ、その一日の暑さ疲れを忘れてぽかんと立っている解放感。
そして、足元には水滴を浮かべた稲の葉先が光りながら風に揺れて、その真珠のような水滴は、朝には日の出と共に輝きつつ消えてゆき、夕べには残照に輝きつつ拡がって夜の帳に包まれてゆきます。
あぁ、美しいなぁ…、と眺めて過ごす、朝、夕…。
畑や山や家の手入れ、気になっている工作など、したい事はそれこそ幾らでもあるのです。
以上、夏休みの宿題、いや、コラムの更新をしていなかった言い訳でした・笑
すっかり更新間隔が開いてしまっているのに、桃生さんから素敵なお手紙(ライター紹介記事)を頂いてしまい、恐縮しつつ、とても嬉しくて、喜んでおります。今はこんなになってしまいましたが、6年前までは東京の外資系企業のサラリーマンだった、お百姓になりたい、川口巽次郎です。
実は、桃生さんのお手紙を読んでから、改めて自分がこちらで最初に書いたコラムを読み返してみました。
わたしがこの谷間での田舎暮らしを始めてから5年、こちらにコラムを書かせて戴くようになってからでも、既に3年もの月日を過ごして来たのですね…。
誠に光陰流水の如し、の感を深く致しますが、実は、今の暮らしの基本はこの連載を書き始めた頃、田舎暮らし3年目には既に出来上がっていた事に改めて気付かされて、少し驚きました。(言い換えるならば、この三年間で大して進歩、成長していないのかなあ、と苦笑せざるを得なくもあるのですが…。)
その基本とは、
食材は田畑と山から調達し、自分で調理する。
車や農業機械は持たない。
田舎のコミュニティーには無理に入らない。
の三つです。
どれも深い考えがあってした事ではなかったのですが、
たまたま住まわせて戴いた家の目の前、近所に田畑山があったから…。
車は持っていなかった(免許を失効していた)し、農機もこの家には無かったから…。
集落の皆さんとは縁の薄い余所者だったから…。
といった感じで、全て偶々そのような流れだったからそれに任せただけなのです。が、結果的には、これらを基本とした事で、わたしのこの谷間での田舎暮らしは自分の想像を越えて豊かになり、続けられるようになったのかもしれないな、と改めて想います。
田畑山からのめぐみを余さず戴こうと工夫を重ねている内に、全く買い物などに出掛けなくとも食べるモノが無くて困るという事は無くなりました。
勿論、塩や昆布、油、小麦粉など、今はまだ此処だけでは調達出来ないものはまとめ買いして備蓄しています。が、東京で暮らしている頃には毎日のようにせっせと買って来ては冷蔵庫に入れていた牛乳、お肉の類は、ご縁がある方々から月に一度だけ届けて戴く贅沢品になりました。それだけで十二分なのです。
この谷間の周辺に毎日出掛けて行かねばならないような用事などありませんので、基本的にはずっと此処の家(田畑山)で過ごします。自転車で動くのも精々週一回程度。概ね往復2時間程度の行程を走る事が多いですが、それ位がとても良い気分転換になります。(毎日田畑山で身体は動かしていますので、運動は別にしたくは無いのですけど。)車があったら良かったのに…、と想うこともほぼ全くありません。
田畑では、こちらの記事でほんの少しだけご紹介させて戴いた川口由一さんの「自然農」を実践しているので、エンジンの付いているような農機を使う必要性も全く感じていません。まぁ、農機は車以上に高価ですし、置く場所もありませんから、そもそも持てませんけれどね・笑
川や道路、共同墓地の掃除などの集落総出の共同作業には参加させて頂いていますが、伝統行事の当番やお役には未だに一切入れて頂いていません。最初は何だか寂しく感じた事もありましたが、特にお祭り事などについては、集落独自のやり方や権利(お金)も絡む個々の事情があって、余所者が加わっても早々にお役に立てるような事は無いのだ、と後になって知りました。今まで入れて頂かなくて良かったなぁ、と今では想っています。
そんな暮らしが、僕にとっては快適で、何らの不便も感じないどころか、愉しくて仕方がない、というのが正直な所です。
3年前にも書きましたが、田舎に移った当初はこんな暮らしを長く続けられるとは全く想像していませんでしたので、こうして5年を過ぎてもまだまだこの暮らしが続けられそうである事は驚きです。
田舎暮らしを始めた当初の私は、よく自分の状態をこんな風に喩えて考えていたものです。
それまでのわたしのサラリーマン生活は、ポンコツなエンジンを騙し騙ししつつ懸命にゴンゴンと廻して雲の上の高空を維持して飛んでいたプロペラ機のようなもだった。墜落したら大変だ!と、これでも随分とじたばた足掻いて飛び続けていた20数年間だった。
でも、そんな此処での暮らしの中では最も大変な時期すらもが、何か愉しみに満ち溢れたものに感じられます。
今日は台風へと吹き込む温かい湿った空気の影響で雨が降ったりやんだり、秋冬野菜の種降ろしも終盤を迎える頃ですが、一休みの一日になりました。 ご無沙汰しております。お百姓になりたい、川口巽次郎です。
今年の夏もこの谷間は小雨でした。灌水もしてあげない中、野菜たちは一生懸命に身を縮めて暑さと乾燥に耐えつつ実を結ぶ準備をしていました。中には耐えきれずに枯れてゆく作物もあります。が、こんな小雨でも乾燥を好む瓜類はとても元気で、今年は胡瓜、縞瓜(冬瓜の親戚みたいな瓜)、メロンなどが特に良く採れました。中でも、余計な肥料や水をあげないで育った自然農のメロンの美味しさには、将に目を見張らされました。
立派に大人に成長し、出穂・開花した田のお米や畦の豆たちも今はもう結実して、これからは日夜、実を太らせて立派な子孫を残す為の営みへと入っています。幸せな晩夏の時間が過ぎて行きます。
先日、そんな田の様子を畦から眺めていると、お隣の畑の方が声をかけて下さいました。
「あなたの稲は農薬も使っていないのに、病気にもかからずに立派に育っていますねえ!一本づつ植えているから、株間も大きく空いていて風通しが良いからでしょうね。」
ちなみに標準語に翻訳する前の原語では以下のような感じです。
「ああさんとこんいねあくすりもせんのにええようんなっとってどがんもねえな!いっぽんばあうえよるんじゃけえ、ようかぶがすいとうでかぜんとおるけえらくじゃ。」
煩雑になりますので、以下は標準語のみで。
私:「そうですね、よく育ってくれますよね。」
お隣さん: 「それでも蝗(イナゴ)に食べられるのは避けられないな。沢山居るなぁ。」
私:「全く沢山跳んでますよね。皆さんはイナゴ対策でも農薬を撒くのですか?」
お隣さん: 「蝗(イナゴ)対策に農薬撒く人もなかには居るけれど、蝗はその時だけ他所の田畑に逃げて出てしばらくしてから戻って来るだけだから大した効果はないな。」
私:「そうでしょうね。でも全部食べ尽くされてしまうような事はないし、我が家の稲の葉はしっかりしていて固いから、寧ろ稗を好んで食べてくれたりもするみたいですから、気にしなくても例年通り何とかなりますよ。」
お隣さん:「せっかく沢山居るのだから採って食べたらよいでしょう。」
というと、サッと手を伸ばして握った拳の中には蝗(イナゴ)が見事に治まっていました。
そして見る間に二匹三匹と捕まえて…。
という事で、仕方が無いから、わたくし、蝗を食べてみることにしました。
以前、お隣のおばあちゃんが遠くを見るような眼差しで、「田で捕って帰ったイナゴを炉端で塩焼きにして喰うたのが旨かったんじゃぁ…」と云うのを聞いて以来、いつかは喰べてみたいものでもあるな(でもちょっと怖い・笑)、と想っていましたが、ついにその時がやって来たのです。記念すべき我が百姓人生における狩猟生活への第一歩です。
数年前には猪を倒して豪快にその肉を焼いて喰っているマッチョな自分、というのを妄想していた事もあったのですが、意外にもスケールダウンしたデビュー戦となりました。
先ずは、私も蝗を捕まえてみます。最初は結構難しいものですが、何故か個体によっては私を舐めているのか碌に逃げようともしないで捕まるものもいます。何度か逃げられながらも試すうちには、子供時代に蝉やバッタを捕まえた頃の身体感覚も甦り、あっと云う間に10数匹を捕まえる事が出来ました。
この調子ならば売る程に捕獲する事も出来そうだ、と調子に乗りそうにもなりましたが、買ってくれそうな人も想い付かないし、もとより自分たちではそんなに沢山食べる気にはなりませんので、あっという間に狩猟は終了。
お隣のおばあちゃんは、蝗を捕まえてはその場で腰にぶら下げた針金に刺して筏(いかだ)のように並べていたものだった、と言っていましたが、初心者のわたくしにはそれは高度な荒業に想われましたので、現代人らしく、取り敢えずはビニールの袋に入れました。
袋の中でバシャバシャと跳ね回る音が哀れを誘います。
家に帰って、竹串に刺し並べ、直火で炙って羽やらを焼いてから、フライパンで塩煎りにしました。
なんだか香ばしい良い匂いが漂いました。
そして、晩ご飯の日本酒の肴に。
妻が小さな一匹を口にして言いました。「これは、ししゃもだねぇ!」
……
まぁ、そういう事です。
自然農の田では蝗も格別の味に育つようでした。
実はわたくし、大人になってからは蟲さんが大の苦手だったのです。自分がとうとうこんな事になったなんて、と感慨も一入に深いものがありました。
わたくしの狩猟生活、もうこちらの方面にはこれ以上進まなくても良いよなぁ、ともおもふ夕べ。
お酒が沁みました。
ちなみに、サラッと書きましたが、活きた蝗を火に炙る為に串刺しにするのが都会っ子には結構ハードルが高い様に想われました。まぁ、活き海老に串を打つのに比べればカワイイものですけど、蟲はまた格別ですからね…。
実は、後にご年輩の方に蝗の捕り方を見せて頂いたのですが、その方はその辺に穂を伸ばしている稗の穂軸を折り採って、捕まえた蝗の腹側の胸の辺りから背中に向けてさっとその穂軸を貫き通していました。すると蝗はぴくりともせずに静かになります。実に鮮やかな適切な殺め方でした。使うモノも全て身近な自然に還る素材でエコの極みです・笑。今後は私もこのやり方を見習おうと想います。
さて、次の狩猟生活へのステップアップの道は、池の鮒、空の雀か、はたまた、最近復活しつつあるという山の野兎か?乞う、ご期待を。
今日から暦は小満の末節、「麦秋至」(ばくしゅういたる)候となりました。
私の田でも、昨年の晩秋に播いた麦達が実りの時を迎え黄金色に輝いています。
お米の苗代の草を抜きつつ、その黄金色の穂先が風に揺れる様を眺めていると、気が遠くなるような良い気持ちになってしまう、お百姓になりたい、川口です。
今、お米は苗代で小さな命を育んでいる最中、間もなく田植えの時を迎えようとしています。
他方、そんな田植えの時期を前に収穫の時を迎えるのが麦です。麦はちょうど今頃に実りの時を迎え、お米に場所を受け渡すようにして朽ちてゆくのです。
麦は、晩秋に種を地に降ろされ翌夏前には実りを結んで滅んでゆく冬の草です。対して、お米(稲)は夏の間に育ち秋に実り朽ちてゆく夏の草なのです。
この両者の性質を上手に組み合わせて日本国内の暖かい地域ではお米と麦との「二毛作」が盛んに行われていました。
とはいえ、本来は麦と米という2つの作物が好む環境は正反対。 お米は湿り気の多い水田で良く育ちますが、麦は湿り気を嫌い水捌けの良い畑でないとよく育ちません。
我々のご先祖さま方は同じ田で上手にこの2つの正反対の作物の性質に応じた栽培方法を見出し、実践して来たのです。 それだけで、十二分に畏敬に値する、とわたくしは思います。
しかし、今ではお米と麦の二毛作はすっかり廃れてしまっていました。まことに勿体無いことだと思います。
収穫したての裸大麦入りの玄米飯の薫り高い美味しさに舌鼓を打ちつつ、来し方に想いを馳せる私、百姓見習い、です
単調です。
あ、手刈りの話ですが…。 今では殆ど手で刈る人なんていないですよね。
田植、超、単調です。
あ、手植えの話ですね・・・。 今時、手で植えてる人って珍しいですよね。
草刈り・・・。 あ、手で鎌で刈る話です。
刈り払い機も単調だけど、鎌は更に徹底的に単調。
そもそも、農作業でなくとも単調なことって沢山ありますよね。
自転車、
単調です。
特に長い峠の坂を延々と登り続けるのって、文字通り死にそうに単調。
登山、歩くスキー。
単調。
で、私はどれにも結構嵌ってまいりました。
やった事の無い人に信じられないであろう、はまる単調、筆頭は、恐らく、自転車での登坂。
普通、最悪だと思いますよね。自転車で坂登るって。
でもね、違うんです。
もし、今度機会があったら坂を登っているサイクリストを観察してみてください。
絶対、みんな、顔がなんだかヘンに笑っています。
ハイになっているんです。
ランニング・ハイと同じ。
とっても苦しいんだけど、一線を越えると、何故か、ニタニタしてしまうんです。
だから、自転車乗りのかなりの人が、実は、坂を登るのが好きなんですよ。
で、私、自転車での坂道でも結構ハイになりますが、最近は、農作業でもハイになっている自分をしばしば見出します。
ハイ。
かなり、幸せです。
般若心経や光明真言を何万回も唱えるようなものです。
漸くクリスマスイブになって今年の米の収穫後の調整作業(脱穀、唐箕による籾選別、袋詰めと貯蔵)を終え、ほっとしている百姓になりたい、川口です。
冬至、すなわち、陰が極まる頃となりましたが、今頃に頂く籾摺りしたての新玄米には、殊の外身体を芯から温めてくれて得も言われぬ美味しさがあります。毎日のご飯が文字通り幸せを噛み締めるようなときとなるのです。
今年もお米は「自然農」の田で見事な実りを結んでくれました。
自家採取の種籾を田の一角の苗代に降ろした5月以来、草刈り、水管理、稲刈りを経て、一ヶ月稲木で天日に干した米を脱穀、唐箕掛けして袋詰めするまで、長いようで短い半年と少しの間でした。
* 耕さず、
* 肥料を作って持ち込むことなく、
* 草、虫を敵とすることなく(農薬などを用いることなく)
そして、最小限の道具と身体を使うだけで、一銭のお金を費やすことも無くして、完全な生命を宿した健康なお米の実りを、今年も得ることができました。
この極めて単純な事実を我が身をもって知る事が出来たことは、僕のこれまでの暮らしの中でも最も驚嘆と歓びに値する経験で、三年目のお米作りをおえた今となっては、この仕事無しに暮らす事など考えられない、そんな風になりました。
4年前まで都市での暮らししか知らなかった私なのに、人間、まことに大いに変わるものであります。
年越しを迎えるにあたって、この田の豊かな実りに心から感謝するのです。
脱穀を終えた稲藁を戻して振り撒いた田は、まるで絨毯を敷き詰めたようです。一見すると、生命の姿の無い冬枯れの景色ですが、実は、この藁の下では既に小麦、大麦が芽を出して春を待っているのです。
彼らと共に、またこの田で新しい年を迎えたいと思っています。
時の経つのは早いですね。もう12月になろうとしています。ようやく稲刈りを終えてほんの少しだけホッとしている百姓になりたい、川口です。
今年の冬は暖かい日が続き、例年ならば疾うに黄金色になっているはずの荒神様の銀杏の葉も11月の半ば過ぎまでまだ緑色、霜も遅れていました。
本来ならお米には数回霜に当ってもらってから刈りいれるのが理想です。寒気に触れた稲は、最後の力を振り絞るようにありったけの養分を実に送り込んで枯れてゆくからです。霜にあたったお米はそれだけ大きく甘味も増すことになる訳です。
刈り獲った稲は稲架にかけて天日干しします。天日干しも美味しいお米になってもらう為にはとても大切な作業です。刈り取られ干されている間にも、その稲の葉、茎からは最後まで子孫を残してくれるお米へと養分が送られ続けるからです。
近代機械農業のコンバインによる刈入れでは、刈入れと同時に実を稲わらと分離(脱穀)させてしまいます。ですからこの最後の親から子への栄養伝達、熟成過程が行われません。更に、脱穀したそのお米はすぐに乾燥機に入れられて、高温の熱風で乾燥されます。高温にあたって酵素が変質した籾米はもう芽を出すことが出来ない、謂わば、「死んだ」お米になってしまいます。そして、早ければ翌日にはもう籾殻も外され(籾摺りされて)、玄米として出荷、貯蔵されます。玄米になったお米は急速に酸化、劣化して往きますから、品質を保つ為に冷温貯蔵庫で保管されます。それでも、ゆっくり天日乾燥させた籾米をそのまま貯蔵したお米に比べるとどうしても劣化せざるを得ません。
収穫後の作業がこのように自動化され、作業時間が短縮されるようになったことは、農家の方々にとっての作業負担の多寡だけに着目するなら大いに素晴らしいことになりますが、殊、「美味しいお米を手にする」ことを第一義とする上では、このような方法は決して最良ではありません。
更に、コンバインや乾燥機、大型の籾摺り機などの大型農業機械の製作、維持、そしてそれを使った収穫作業や冷温貯蔵に投入され費やされる資源、エネルギーは膨大なものとなっているのです。
わたくしが実践している自然農の収穫作業に使う道具は鋸鎌(のこぎりがま)一本だけ。後はすべて身体だけを使った手作業ですから、時間はかかりますが投入されるエネルギーは極僅か。お腹を減らした私が食べるご飯があればよい。天日乾燥もお日様と風が頼り、稲架(はざ)も山から伐った木や竹などのやがては自然に還る素材だけで足りるのです。
そして何よりも、それが最高に美味しいお米を手にする為の「最善の手段」なのです。
やはり、お米はゆっくり天日でじっくり低温乾燥、熟成させ、籾を付けたままの状態、即ち、種を播けば再び立派な稲に生長する力を内包したままの状態で保存、そして、食べる直前に籾摺り、精米をする、それ以上の方法はありません。
もちろん、とっても、とっても、時間と手間はかかるのですけれども。
という訳で、ようやく稲刈りを終えたものの、これから始まる脱穀、唐箕掛けの再び気が遠くなるような作業を想うと、ちょっぴり、怖気づいている私なのです。