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2009/11/06

『うつ病』とかって怖いよねぇ。こないだもTVの話題になってて現代日本じゃ600万人が予備軍だとか。600万人とかっていったら感覚的には、誰も彼もがという数字だもんね。実際の僕の友人知人だって過去に苦しみ克服した人、危うい時期を経験した人達 10人どころじゃないもんさ。僕自身も浪人~大学1年の夏の頃に危うい時期があったよ。

毎日激しい頭痛と吐き気。かかりつけのお医者さんじゃ治らない。身体のどこかに重大な不具合があるのでは、と不安。大きな病院に行ってみたら『筋緊張性頭痛』と診断されて精神安定剤をもらった。精神安定剤!?!? そんなものもらったら余計に心配になるのが人情。しかも翌日学校の心理学の授業。テーマは、『心身症』。『筋緊張性頭痛』は『心身症』のひとつの症状としてテキストに記載されてる。とっても不安になりましたよ。

その後どうなったかというと、苦しんでる方には、申し訳ないけど、僕の場合は根が馬鹿でしてね。若いんだもの梅雨が明けて夏が来てってうちには、気持ち悪かろうと、頭痛かろうと悶々としたものが爆発してきちゃうわけですよ。バンドやって、テニスして、野球やって、スキーして、飲み屋でアルバイトして女の子のちょっかい出してって暴れ始めたら治っちゃった。
結局、なんだったかというとウチの場合、母がやたらと過保護で心配性で口煩いひとで自由奔放なロック少年の僕でさえ言うこと聞かざるをえないほど押さえつけられちゃってたみたいなのね。子供の頃のことだから、『ウチは、なんか変だなぁ?』とか思いつつもそれが我が家の常識。仕方なかったねぇ。たいしたことないねぇ。
TVなんかでこんな話題がでると、『現代社会は、ストレスが、、、』『いや、ストレスっていう言葉が一般的ではなかっただけで、ストレスはいつの世にもある、、、』『いや、戦時中は、、、』とかっていう話にもなるわけだけども、、、
生まれてきた時代は選べないからねぇ。。。

あぁ、そうだ。楽器店で店長だった時。アルバイトさんが当然いてくれるわけだけど、若いアルバイトさん達の葛藤が手に取れるほどに伝わってくるのよ。『本当は、こうありたい!本当の自分は、こうなんだ!』と実際の自分の置かれている状況の違いに苦しんでる。
コレ、普通だよね。若い人みんなが苦しんでる。ただ、当たり前ながら、重要な課題だ。

本当に苦しんでる方には、申し訳ないが、それほどでなくても ストレスみたいなものや、目的を見失ったことの喪失感みたいなのは、何時の世にもどんな世代にも誰にでもある。

昔のお父さん達なら、新橋や上野、御徒町、新宿あたりの立ち飲みで チェ・ゲバラの闘争と自分達の学生運動を会社の不満とダブらせて酎杯飲みながら熱く語ってれば、あるていど発散できたのかもしれない。

その後のお父さん達は、大変だよ。バブル期だから。もしくはバブル期直後だから。ちょいと飲みに行くにもカッコつけなきゃならないし、下手すると飲みに行く店なんかにも富裕の格差なんかを感じてたはず。立ち飲みみたいのは、激減してた。

僕、バブルの後期にかろうじて学生だったから、その当時の飲み屋なんかでアルバイトしてた。まだその当時は、今じゃ考えられないほど酷いもんだった。『会社で飲むってのは、お父さん達が、女子社員のお尻を触る会なのか?』みたいに思うことが何度もあった。ロクな世界じゃなかった。セクハラなんて言葉もない時代だった。それで無礼講なのか?酷い分、現実離れしたイリュージョンだったのかねぇ?

まぁ、ともかく、日常的に仕事帰りに飲んで騒いで!っていう場が労働者の精神衛生上 必要不可欠なんだと思うのね。
だけど、せめて飲んで騒いでスッキリしたくても、学生みたいに仲間と語り合いながら馬鹿飲みするのは、大人として こっ恥ずかしい。と考える人達も多い。大人がハメを外して満面の笑みで楽しめる場なんて日本には、なかなかないからね。どうしたもんかね?
女子社員相手にセクハラしても、キャバクラ行っても、その他もろもろの性風俗なんかに行っても本質的に楽しいハズがないんだしね。
で、Salsaの話なんですが、、、というか、そのあたりの話なんですが、、、

僕は、べつに日頃の労働者としての憂さを晴らすためにサルサ・クラブに足を運んだわけじゃない。他の人達もそうだと思うんだ。いろいろある仕事後の楽しみ方のひとつとして興味を持ったとかね。僕の場合は、明確だった。サルサという音楽に興味があった。いつかバンドの中で歌いながらパーカッションを叩く人になるためには、サルサのダンスが必須と思ったからだ。

で、はじめてみて当然ながら 思惑とは異なる実感を得る。まず『ペアで踊る!コレは言語じゃないのか!教養ではないのか!』と思った。つかの間、そう思った後、結局は、『楽しい!心も身体も発散できる!』と労働者の憂さを晴らすようになっていた。
その後、今度はブラジル音楽と出会ってしまうわけだけど、サンバやパコージ、MPBといった音楽(ボサノヴァではない。)に熱狂し、歌い、演奏し、踊る人達の笑顔をみてると、やっぱこの思いが強くなる!

労働者達には、この時間が必要なんだ!
戦後の日本にだって、ダンスホールがあってディスコがあって、クラブがあったわけじゃん。今更、サルサでもブラジルでもないじゃん。ってことになるんだけど、実は違う。
『大衆音楽とダンス』という娯楽に関してモノを知らない日本の大人は、風紀を乱すものとしてみるかもしれない。だけど、違う。

日本人にとって、踊る場所は、単にお酒を飲んで踊る場所に見えてしまうのかもしれない。それに飲むだけ、踊るだけなら、やっぱり実は、さほど意味がないと思う。
肝心なのは、『美味しいものを食べること。』『お喋りをすること。』
・人が集まる。
・仲間内で盛り上がる。
・知り合う。
・美味しいものをいただく!
・美味しいお酒をいただく!
・お喋りする!
・笑う!笑顔!
・歌う!
・踊る!
この全てが大事なのだと思う。

Junk Stageに書かせていただき始めた頃、僕は、これを、エンターテイメントだと考えてた。ちょっと変化してきた。より普通のこと。労働者の日常にあるべき普通のこととしか思えなくなってきた。

先日、嘆かわしい特番を観た。『日本の食文化が云々』という番組だ。日本の一家庭が摂取するカロリーは、主食やおかず類よりもお菓子が逆転してしまっているのだという。ビタミン剤とかの錠剤なんかを主食にしてしまってる連中もいるという。
いや、そう言えば、不愉快に思うことがある。温かい食事に興味を示せない人達が意外に多いのだ。たいていの食事は、あったかい方が美味い!ことさら日本人はアッツイのが好きだったりする!出てきたらアツいうちにスグ食う!なにに遠慮してんだか?くだらないことに遠慮してんじゃなかろうか? 池波正太郎さんなんかは、天ぷらは、親の敵でもとるようにスグ食え!と言ってる。
熱い料理が出てきて、お皿をみんなで覗きこんで、美味しそうだね!ってワクワクしながら食べて、『美味い!!!』ってみんなで叫ぶ心持を知らないのだろうか?なんと貧しいことか?貧しい日本人は、さらにそんなにまで貧しくなってしまったのか?と嘆きたくなることが多い。

仕事終わって終電で帰って駅前で食うあったかいラーメンにだって、家族が作ってくれる夕飯にだって、みんなで食べるお食事会だって、美味しいものを食べるということには、大切な心の栄養も詰まってると思うんだよね。

『楽しくお喋りをする。』というのも心の栄養だと思う。『言葉を話す。』と言うのは、意思を伝達する手段だけじゃなくて、人それぞれ心や頭の中にある微妙な機微なんかまでわりと表現できちゃう その人それぞれの表現ツールだったりもすると思うんだ。だから、できたらイイ気分でいろんなこと話したらイイ。人に理解できるかどうかなんか、飲んでる時に関係あるもんか!その独特の部分も表現した方がイイ。
サルサでも、ブラジルでも沖縄でもなんでもいいんだけど、人の営みの中に歴史のある人と食と音楽の時間というのは、やっぱり本当に素晴らしい意味があると思う。もちろんそこで出会う異性に期待することも含まれる。なんでもかんでも含まれる。

さて。 次回は、こんな馬鹿馬鹿しい理屈はやめよう♪ 心に栄養を得られると思って飲みに出かけるわけじゃないからね!

俺は、街の飲み屋が、遊び場が好きで、ビールとラムが好きで、好きなLatin音楽がデッカイ音で流れてるから飲みに行くわけだし

そこに行くと楽しい!と知ってるし、週末が来るとソワソワしちゃうパブロフ君であるという他に理由なんてない。

全ては、後からつけた理屈だからさ♪ みんな飲兵衛の言い訳♪ 

だけどみんな! あったかくて、美味しいもの食べてね!