南極観測隊は、正式には日本南極地域観測隊という。
私が参加している隊は第50次、つまり50回目の観測隊だ。
1956年に第1次隊が派遣されて以来、途中3年間のブランクがあったものの、半世紀にわたって観
測が続けられている。
1次隊の出発した1956年というと終戦からわずか16年。敗戦からの復興の途上にあって、国民から
大きな支持を受けての門出だったそうだ。
今現在還暦を迎えようとしている人から上の人たちは、子どもの頃になけなしのお小遣いを観測隊
に寄付した思い出を持つ人も少なくない。
文字通り老若男女、子どもから大人までの支持を受けての出発だったらしい。
映画「南極物語」で知っている人も多い、犬のタロとジロのエピソードもこの時の話だ。
それから半世紀。
今の観測隊はどんなことをやっていて、隊員にはどんな人たちがいて、どんな生活をしているのか。
そんなことをこのコラムで伝えていけたらと思っている。
南極観測隊に対する一般の人たちのイメージとはどんなものだろう。
出発前によく聞かれたのは、「船はいつ出港ですか?」「犬は何頭くらい連れて行くんですか?」「南
極で何をやっているんですか?」「どれくらい寒いんですか?」などなど。
その都度、船では出国せずにオーストラリアまで飛行機で飛んでから船に乗ること、今は生き物は持
ち込めないことなどを説明してきた。
身近に南極経験者がおらず、特に南極に興味を持っていない限りは、一般的な理解度としてはこれく
らい。
裏を返せば、南極観測を主催している側からの情報発信が以下に少ないかの証ともいえよう。
私が南極から発信しているブログを見た何人もの人から、南極観測隊のイメージが変わったというコ
メントをもらった。
一隊員として、お役所的ではない視点から南極の現場の様子を伝えることは、南極観測事業の広報
としては少しは意味があるのではないかと思っている。
このコラムもそんな一役を担えれば嬉しい。
次回から、私が観測隊に入ることになったいきさつを書くことにする。
<ブログ「ANTARCTIC WIND」にて昭和基地から情報発信中です>
南極大陸から約4km離れたオングル諸島の中のひとつ、東オングル島に昭和基地はある。
第50次南極地域観測隊の一員として2009年1月15日に昭和基地に入り、2月2日に49次の越冬隊員と50次の夏隊員が基地を離れた後は、28人の越冬隊員だけで過ごしている。
大学時代に山登りをはじめ、ヒマラヤや極地に憧れを持つようになった。これまでにヒマラヤでの山登りには4回出かけるチャンスがあったが、極地に来るのは今回が初めてだ。
日本では札幌を拠点に山岳ガイドを生業としており、北海道内、道外、海外の山や森を歩いて1年を過ごしていたが、縁あって南極観測隊員となった。
今回、南極から発信している私のブログ「ANTARCTIC WIND」をご覧になったJunk Stageの須藤優さんから声をかけていただき、仲間に入れさせてもらうことになった。
須藤さんからもらったメールのタイトルは、「南極で豚しゃぶ・・・すごいですね。」
これは、東オングル島内で1泊2日のキャップに出かけた際、テントの中で豚しゃぶを食べたことを紹介したブログ記事を読まれてのことだ。
「南極観測隊」「昭和基地」というと皆さんは何を想像するだろうか。 タロウとジロウ?紅白歌合戦で時々出てくる人たち?南極料理人?
職業や学業で南極と関わりを持つ人や南極について特別の興味を持つ人以外、一般の人にとって日本の南極観測隊が現地で何をしているのかを知る機会は多くはないだろう。
中には、日本はまだ南極観測をやってたの?と思う人もいるかもしれない。
国際的な南極条約のもとに南極大陸への動物の持ち込みは禁じられていること、昭和基地のトイレにはシャワー式便器が取りつけられていること、基地内では人工的な環境下で野菜が作られていることなどなど、南極観測隊をとりまく環境はタロジロの頃とはすっかり様変わりしている。
一方で自然環境は昔と変わらず、基地の建物を一歩出るとそこには太古の昔から変わらない自然が息づいている。
ここでは、南極の自然や共に過ごしている仲間達のこと、仕事の内容などを紹介しながら生の南極情報をお届けするとともに、これまで私が過ごしてきた時間や空間と南極とのつながりを綴って行きたいと考えている。
仕事の関係で長期間昭和基地を離れるとき以外は、できるだけ毎週続けたい。
最後に、このような機会を与えていただいたJunk Stageの須藤優さんはじめスタッフの人たちに感謝の意を表して初回の原稿を終える。










