2010/03/22

今回は『意志の勝利』観劇レポートをお送りします。

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昨年10月初旬に出かけたが、
公開終了間際でおまけに週末ということもあってか、
すでにシアターN渋谷、スクリーン1の75席はほぼ埋まっていた。

はやる気持ちを抑えて、上映開始前に肝に命じておかなければならないことがあった。
今観る私は、ヒトラーおよびナチスの正体を知っているという
公開当時に観た人たちとは比べ物にならない
大きなアドバンテージをもらっているということだ。

さて、妙な熱気?に包まれて問題作『意志の勝利』がはじまった。
ヒトラーを乗せた小型飛行機が雲の畝を分け入っていく冒頭のシーンは、
戦争特集番組でアーカイブ(歴史記録資料)として
頻繁に使われているからおなじみだ。

飛行機は古都ニュルンベルク上空を旋回し、着陸に備える。
街路に映るその影は、ドイツの国章である鷲を連想させる。

空港に着陸した飛行機から姿を現したヒトラーは、
あたかも巨大な鷲から舞い降りた戦争神のよう。
しかし、この神は近づきがたくはない。

飛行場からホテルまでのパレードでは、
赤ん坊を抱いた若い主婦から花束をもらったり、
宿泊先のホテルの窓から身を乗り出して
詰めかける大衆に手を振ったり、
ロックスターかサッカーのスタープレーヤーみたいで
親近感がわく。

厳めしさと親しみやすさ。

「緊張と弛緩」

これがこの映画のキーワードなのだと気づいた。

このキーワードで映画を眺めつづけると、
レニは緊張のシークエンスと弛緩のシークエンスを
織り交ぜて編集していることがわかった。

緊張のシークエンスでヒトラーのリーダーとしてのカリスマ性を叩きこみ、
弛緩のシークエンスで警戒心をといている。

ユーゲント集会でのヒトラーの力強い演説で頼もしいリーダー像をアピールし、
ユーゲントの野営キャンプで青年たちがふざけながら顔を洗い、
ゲームじみた訓練に興じる光景を挿入して、ほっと安心させる。

興味深いのはヒトラーの演説そのものが
緊張と弛緩でなりたっているということだ。

彼の演説は、特殊な波だ。
断固たる口調でまくし立てたかと思うと、沈黙し再びゆっくりと語りかける。
最初、振幅も波長も小さいのだが、
次第に両方とも大きくなっていき、
最後に振幅が最大になって波頭が崩れ、
砕け波のようなカタルシスを残して終わる。
 
緊張のシーエンスの中で彼の緊張と弛緩の演説は
いわば入れ子構造のような働きをしている。

だから、特殊な波はヒトラーの演説だけでなく、
緊張と弛緩でできているこの作品の全体構造でもあるのだ。

観ている私も、
この波に情緒を揺さぶられ、軽く陶酔しそうになった。
工夫されたカメラワークもその陶酔に拍車をかける。
幸い歴史知識が防波堤となって、この陶酔に陥ることを防いでくれた。

私のまわりの観客は表立った反応はなかったが、
ユーゲント集会でのヒトラーが演説を終え踵を返すシーンで
近くの席の若い女性が顔を輝かせて「すごーい!」と
叫んだのが印象に残っている。

その感嘆はヒトラーの演説そのものに対してなのか、
演説のなかにサブリミナル・カットで青年の笑顔を挿入した
レニのテクニックに対してなのか。
はたまた、もっと他のことに対してなのか
訊いてみたかった。

観終わって軽い高揚感を覚えたことは確かだった。
与えられたアドバンテージを差っ引いて考えると、
もし私がドイツ人でこれを当時に観たならば、
まんまともっていかれたかもしれない。
『意志の勝利』は今もって魔力を秘めた危険な映画だ。

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2010/03/22 06:56 | 映画 | No Comments
2010/03/08


ワールドカップ南アフリカ大会が近付いてきた。
歴代の大会で最も印象に残る大会は?と問われると、
1986年メキシコ大会と即答する人も多いだろう。

アルゼンチン代表のエース、マラドーナ。
伝説となった準々決勝イングランド戦での「神の手ゴール」と
「五人抜きゴール」で世界中を魅了した。
マラドーナのための大会とさえ呼ばれた。

ワールドカップをアルゼンチンに持ち帰ったマラドーナを出迎えに
150万もの群衆が空港から大統領府までの沿道を埋め尽くした。
 

 沿道に出た人には、

単なるひまつぶしや物見遊山の人、

前評判の低さに反する予想外の結果に純粋にうれしくなった人、

その思いの熱さはバラエティに富んでいたことだろう。

しかし、人の海に入るとその温度は高まり、

瞬く間に上昇した心中海面温度は小型のハリケーンを生みだす。

そして思考を吹き飛ばしてゆくのかもしれない。これはスポーツの祭典だから嵐のような非日常の陶酔が、新鮮で微笑ましくもある。私もこのシーンが好きだし、

一体感を感じたいと思う。 

しかし、それを意図して特定の政治家や政治集団にやってしまったらどうだろう。

それからさかのぼること半世紀。

このフリーズ熱狂をヒトラーという類まれなモンスターを使って
映画でやってしまったのが、レニ・リーフェンシュタールだ。

前年に政権を獲得したナチス党は、古都ニュルンベルクで
1934年の9月4日から一週間にわたって開催された
「意志の勝利」と題された党大会を、
新首相ヒトラーのカリスマ性をアピールする意味合いで
プロパガンダ映画としての製作をもくろんだ。

製作をヒトラーから要請されたレニは、
撮影への全面協力と最終編集権を含む作家的自由をヒトラーに確約させ、
メガホンを執った。

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この『意志の勝利』は、ナチスのプロパガンダ映画として悪名高い。
21世紀の現在でもドイツでは一般上映が禁止されているほどだ。

監督のレニ・リーフェンシュタールは、戦後、戦犯として逮捕は免れたが、
事実上、映画界から追放された。

このいわくつきの映画が昨夏69年ぶりに日本で劇場公開され、
私は、吸い寄せられるようにシアターN渋谷へ観にいった。

なぜなら、この映画を高校生のころからずっと観たかったのだ。

ビデオでもDVDでもなく、スクリーンで。

一人でくつろいだ状態ではなく、他の観客に埋もれてワンオブゼムで。

ゼムの反応とワンである自分の心の動きをチェックしたかったのだ。

次回はそのレポートを書いてみたい。

2010/03/08 10:58 | 映画 | No Comments
2010/02/21


人は極限状況に置かれたとき、
自分では気付かなかった才能を発揮することがある。

それは、無我夢中で生きていると、
無意識のうちに思いがけないところである日突然開花するのかもしれない。

私の職場は大学にあるが、学生食堂で遅い昼食を摂っていたときのことだった。

 

その学生食堂は広くオープンなスタイルで一般の人も自由に利用できる。
セルフサービスで食券を券売機か窓口で買ってそれをカウンターで料理と交換する。
食べ終えた食器はトレーにのせたまま返却口に戻すシステムだ。

 

時間は午後2時を回っていたため、客は4割くらいの入りだった。
私はカレーを食べ終えて、返却口まで食器をのせたトレーを下げにいった。

 

返却口にはコンベアが常時動いており、トレーを置くと洗い場まで運ばれていく。

トレーを両手で持って返却口に近づくと、妙な不自然さを感じて立ち止まった。

 

コンベアの前に初老のおっさんが佇んでいる。
茶フレームのメガネに同系色のブルゾン。

 

おっさんやら子供やらはたいていいるので、
おっさんそのものは珍しくはないのだが、
違和感を醸し出している原因はおっさんの逸脱した行為だった。

 

トレーをコンベアにのせて速やかに去っていく。
それが返却口で皆がとるノーマルな行動である。
それ以外のことをここでする人はいない。
ここで歌ったり、お茶を飲んだり、寝たりすることは常識外の行為となる。

 

おっさんはトレーも持っていないのに返却口から離れなかった。
左手にスーパーの買い物袋をさげ、右手に箸を握り、じっとコンベアを見つめている。
箸はシザーハンズのようにおっさんの掌と一体化している。

 

この返却口常識を覆す彼の出で立ちが私の足を止めさせ、
彼の後方斜め45度の位置からおっさんを見守った。

 

学生らしき若者たちがトレーを連続してコンベアに置いた。
おっさんは流れてくるトレーの方へ軽やかなステップを踏み、
トレーとおっさんが重なった。

 

皿にはコロッケが1つ残されている。
血管の浮き出た右手が眼にもとまらぬ速さで動くと
その瞬間、きつね色の総菜は消えておっさんの口が動いた。

 

おっさんは体勢をととのえると、次のトレーを凝視し、
シザーハンズ化した箸を一閃させると
瞬く間に小鉢の漬物が消え、口のなかに投げ込まれた。

 

その見事な箸さばきと好奇の目をものともしない集中力に
私は打たれた。

 

おっさんは残りものを片づけると、何事もなかったかのように
飄然と去っていった。

 

その後ろ姿を茫然と見送りながら
おっさんは空腹のために追い詰められていたのかもしれないと思った。

 

長い間のひもじい想いがおっさんの眠っていた「才能」を開花させたのかもしれない。

 

コンベアの前に浮かぶおっさんの残像と
『やわらかい手』の中年主婦マギーが重なった。

 

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 夫を亡くしてロンドンの郊外に独り住む平凡な中年主婦マギーは
難病を患う孫オリーの高額な治療費を工面する必要に迫られていた。

 

それは孫が助かるにはオーストラリアで
6週間以内に手術を受けなければならないという差し迫ったものだった。

 

息子夫婦には今かかっている入院費と治療費を工面するのが精いっぱいで
オーストラリアへの渡航費と手術費を調達する余力はもはや残されておらず、
マギーは自分がなんとかせねばと焦りの極にいた。

 

イギリス版ハロワに出向いても学歴もキャリアもスキルもない中年のマギーは
紹介どころか一昨日来いとばかりにまるで相手にされない。
絶望してロンドン中心街を彷徨っているうちに
マギーは風俗街ソーホーに迷い込んでしまう。

 

ふと目に飛び込んできた「接客係募集 高級」の張り紙に
「接客係」が何を意味するかも知らず藁をもすがる気持ちでドアをノックするマギー。

 

面接の相手をしたロシア人オーナーは、
はじめはウェイトレスの仕事を想像していたマギーの世間知らずさにあきれていたが、
そのやわらかい手に「隠れた才能」を感じとり、積極的にスカウトしだす。

 

マギーは「接客」が、手で男をイカせる係だと知った途端、
嫌悪感を露わにして立ち去ろうとするが、
オリーの苦しむ顔を思い出して苦渋の中で「接客係」になることを決意する。

 

かわいい孫のために嫌悪感を押し殺して仕事に従事するマギーだったが、
隠れた「才能」が開花して、店はおろかソーホー中に
そのゴッドハンドぶりが響き渡る。

 

孫の命を救いたい一心で飛びこんだ平凡な主婦とは無縁な世界で
思いがけずにスターになったマギー。
それまで自分とは無縁の世界にいると思っていた
社会から疎外された人々とかかわるうちに
人生の歯車が予期せぬ方向にまわりはじめる……

 

シザーハンズおっさんとゴッドハンド中年女。
マギーは映画という虚構だが、おっさんは現実だ。

 

マギーの人生は「才能」が開花するまでクリアにされているが
おっさんがどんな人生を辿って「才能」を開花させたのかはまるでわからない。

 

わかっていることは目撃できた「才能」だけ。

 

そのたった一つ事実を手掛かりに

残りの「隠された」人生を想像で埋めていくのが映画の使命なのかもしれない。

2010/02/21 11:14 | 映画 | No Comments
2010/02/07

出版したい人と出版社の橋渡しをする「企画のたまご屋さん」というNPO法人がある。 
その理事長で出版プロデューサーの吉田 浩さんが主宰する「天才出版パーティー」が
先週末にアルカディア市ヶ谷で行われた。

ライターやデザイナー、イラストレーターといった、この種のパーティーに定番な方から
代筆職人、スイーツ愛好家、ダイエットアドバイザー、セクシャルアカデミー主催者、
そして、「くだらないネタプロデューサー」と名乗るレアメタルな方まで。
なんでもありな総勢350人もの出版関係者?が集うパーティーに2年ぶりに参加した。

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会場は、「なんだかわからない」と故岡本太郎氏がつぶやきそうな
アクティブな熱気が渦巻いていて、
巷でいわれている出版不況がうそのような盛り上がりだった。

パーティー主催者の吉田さんは、
たとえるなら東京国際映画祭のレポートで取り上げた
『少年トロツキー』の主人公レオン少年が
竜宮城へ行って帰ってきたような人。(全然、わからないか!)
出版への突き抜けた情熱を永遠に手放さない、アツい人だ。

ブームを巻き起こした「朝バナナダイエット」の仕掛け人、奥本 芳啓さんと
知り合えたことも大きかった。

とにかく、この日にこの場所で吸収した350のパッションを
消さないように、出版という目標を成し遂げたい。

2010/02/07 11:23 | 未分類 | No Comments
2010/01/24

では前回に引き続き……。

親父は車を最寄り駅の駐車場に停めると、
帰りはおふくろに車で迎えにこさせればいいと、
電車に乗るやいなや、缶ビールを次々空けていった。

アルコールもまた、彼の体内のリンパ系をギンガ系に置き換えることに貢献する。
「あの三角あたまの化け物、いっぺんみたかったんや!」
親父はどうやら『ジョーズ2』に連れていってくれるらしかった。

すっかりできあがりつつあった親父は、
映画館を居酒屋の暖簾のようにくぐると、
「やっぱりあれか。マス席は高いのか?」
とさっそく窓口のおねえさんに軽いジャブを浴びせた。
ここは国技館じゃねーつーの。えいがかん。
おねえさんは頬を急激に焼き餅化させていく。

「ほな、一般席でええわ。ザブトン2枚くれるか」
あるか、そんなもん! 
ジャブ2発目ともなると、おねえさんはすっと頬の空気を抜き、
笑っていいのかスルーするか、逡巡の極にいた。
このとき、私の脳内シネマでは『パピヨン』が上映されていた。

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なんとか親父を置き土産にしての映画館からの脱獄を思いとどまり、
千鳥足の親父を誘導して席に放りこんで、
終わるまで騒がないよう念力をかけた。

『ジョーズ2』は、
平和なビーチを巨大な人食いザメが恐怖に陥れる『ジョーズ』の続編。
スティーブン・スピルバーグからヤノット・シュワルツに監督が交代したが、
サメに立ち向かうヒーローは同じくロイ・シャイダーが熱演している。

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すでに間接描写でサメが出現しているにも関わらず、
「三角あたま、なかなかでてこんなー」
親父はあくびをすると、出てきたら起こすように私に命じて
そのまま意識を失っていった。

そんな親父はうたた寝モードを通過し、爆睡モードに突入していた。

人食いザメが現れる度に、ゆすって起こすが、
親父は蘇生しかけては、「毛布をくれ」とフライト・アテンダントにいうような
セリフをつぶやきながら瞬く間にあっちの世界へフェードアウトしていく。

親父がようやくこっちの世界へ戻ってきたときには、
映画はまさにクライマックスを迎えていた。

サメに襲われている子供たちを助けるために、
救助用ボートに乗ったロイ・シャイダーが海底ケーブルをオールで叩いて
サメを自分の方におびき寄せようとしている。
サメはその音に反応してケーブルを両手でつかんで挑発するシャイダーに襲いかかる。

「うわー、なんじゃありゃ!」
シャイダーの思惑通り、
ケーブルに噛みつき顎から目から火花を噴いて海に沈みゆくサメは
親父の眠気と正月気分を吹き飛ばすには十分だった。

帰宅後、
ほろ酔い親父の目からあやしいギンガ光線が愛犬シローに向けて放たれていた。
親父は釣り竿をのばすと手で叩いて、
私に合図をだしたらシロ―の鎖をはずすよう命じた。
どうやらシロ―をジョーズにしたてて
クライマックスシーンの再現をもくろんでいるらしい。
まだ親父の体内のギンガ系はリンパ系へ戻ってはいなかった。

「ええぞ。はなせ!」
親父はすっかりロイ・シャイダー気取りで
私に顎をしゃくって合図した。

鎖を離すと、シロ―は喜び勇んで親父の脇をすり抜け、
あっという間に姿を消した。

そのまま、シロ―は行方不明になり、
近所の電柱にたずね犬の張り紙をする私は、
失踪したシロ―がスティーブ・マックイーンにみえた。

3日後、顔を真っ黒にしてバツの悪そうな顔でのこのこもどってきたシロ―は
挫折感をたっぷりにおわせて犬小屋で爆睡していた。

そんなシロ―が、最後に流された絶海の孤島にとどまる決心をしたダスティン・ホフマンと重なり、
もののあわれを感じた小学生最後の正月だった。

2010/01/24 01:58 | 映画 | No Comments
2010/01/11

すでにおめでたさも……なくらいに薄れつつありますが、
本年もひとつよろしくおねがいします。

限りなく透明に近づいた謹賀な気分を再び濃くするべく、
今回は親父と正月にみた映画の思い出を書きます。
あれは小6の正月だった。
テレビの特番にも飽きて、こたつでグダグダしていた私に
親父が映画に誘った。

「なぬっ?」
うちの親父は休みだろうが片時もじっとしておらず、
釣りにいったり畑に出ている半農半漁な男で、
まさか映画をみるとは、1時間以上坐っていられるとは、
私の脳内メモリーには記憶されていなかった。
私の心臓はビクッと脈打つと体外に飛び出してカラータイマー化しはじめた。

映画に限らず、親父とだけは一緒に出かけたくなかったのだ。
親父はぱっとみた感じ、謹厳実直な勤め人にしかみえない。
しかし、年に一回くらい、
「あれっ」という異次元な空間をクリエイトする
ギンガ系から来た人になってしまうのだ。

ただし、ギンガ系といってもフィーゴやジダンといった
スーパースターの故郷の銀河系ではなく、
おサムい方のギンガ系だ。

どういう構造なのかわからないが、
親父の体内に埋め込まれたギンガ系センサーが反応すると、
光速でギンガに戻り、変身して再び私の前に飛んでくるのだ。

そしてあるときは、
ロケット花火を手に持ったまま点火し、
地面と垂直だった親父の右手は火力に引っ張られて平行移動し、
50メートル離れた生垣にスパークさせ、隣家の犬を半狂乱にさせたり。

またあるときは、
熱を出して寝込んでいるおふくろの姿をみて、
「よし! 漢(おとこ)の料理をつくったる」
と2時間待たせて脂汗を流しながら
「このルー、変やぞ⁉ なんかパン粉みたいなん浮いてくる」
とほんのりチーズの香りを漂わせたカロリーメイト・シチュー鍋を運んできて、
そのファンキーさで部屋の空気を一気に零下に引き下げたり。

油断していると天災のように
ギンガ系軍団の超絶テクニックを披露してくれるのだ。

「ひょっとして」
親父のレアな笑顔をみて、すでに変身してしまったのではと
敏感に天災を予感した私のカラータイマーは黄色く点滅している。

「よっしゃ、きまった!」
上機嫌の親父はしぶる私のことなどお構いなしに
腕をつかむとこたつから引きずり出し、半ば強引に車に乗せた。

続きはまた次回……

2010/01/11 02:41 | 映画 | No Comments
2009/12/24

前回にひき続き……
第2回『翔んだカップル』観劇隊出陣式の翌日に
Nと国鉄の最寄り駅で落ち合うことにした。

陽はすでに私の丸刈りの頭頂部を焦がすように照りつけていた。
待ち合わせ時間より20分も早く着いた私は、知り合いに出くわすことを恐れて、
ワンルームほどのちっぽけな待合室に入らずに駅舎の陰に隠れていた。
漆黒の壁にもたれながら、ちらちらと駅前に規則的に目配せを繰り返した。

8時をやや回ったころ、チャリを飛ばすNの姿を横目で捉えた。
「おおっ」
20分にも及ぶ眼球トレーニングの賜物か、はたまた単なる偶然か、
私の視野角は魚類化していた。

一人爽やかな感動に包まれながら、
チャリを止めて眠そうな面でこちらに歩いてくるNに握手の手を差し伸べた。
Nはそんな感動など露知らず、にやけ顔と真顔をほどよくブレンドして握りかえした。

駅員にもことさら怪しまれずに最大の難所を突破したNと私は、
国外逃亡を図る指名手配犯のように緊張した面持ちで
何も考えずにホームに滑りこんできた上り電車に飛び乗った。
鈍行を乗り継ぎ、見知らぬ街を右往左往して2時間後。
民族大移動ならぬ中坊エロ移動の末、
ようやく私たちは目的の映画館にたどり着き、
ポスターの中でほほ笑む薬師丸ひろ子とご対面したのであった。

私はすでに大仕事を成し遂げたような高揚感に包まれ、

××中学エロ移動。 
1980年に三重県で起きた中学生のエロスを追求した崇高なる移動のこと。
この移動が、とある中学生における思春期の萌芽と発露の分岐点となった。
 
とマイ歴史教科書にゴチック体で書き留めておきたかった。

興奮が冷めやらぬ中、私とNは慌ただしく席につき、
待ちに待った『翔んだカップル』が始まった。

薬師丸ひろ子と鶴見辰吾の派手な取っ組み合いあり、
薬師丸がゴミ捨て場の段ボールに自転車で突っ込むシーンありで、
原作のコミックより演出は過激だった。

私はワクワクしながらお目当てのシーンを待ち構えた。
しかし待てど暮らせど、
鶴見が海パン一丁でスイカをかぶりついたり、立ち小便をしたりと、
私にとってはどうでもいいシーンばかり続き、
次第にこれは失敗したか、と頭を抱えた。 
(この川縁での立ち小便のシーンは、今改めて観返すと
カメラを鶴見の頭上に据えて俯瞰の状態で捉え、
徐々に下へ回転させていくなかなか面白いアングルだ)
隣りのNもハチに刺されたような顔をしている。

あきらめモードに入りかけていたとき、
薬師丸と鶴見が夜明けのリビングで今までにない求愛モードに突入しはじめた。
これはいよいよかと目を見張った。
Nも前の座席に両手をついて視線はスクリーンに釘付けになっている。

求愛モードの二人は絡み合いながらソファの向こうに倒れた。
と思うやいなや、
ジョギングをする鶴見と自転車で伴走する薬師丸の
健康的な姿に切り替わった。

茫然自失のうちに、エンドロールとなった。

帰りの電車で私とNは無言だった。
Nの浮かべる苦渋は、落城の迫った戦国大名を彷彿させた。
車窓に反映された私は、のどに魚の骨が刺さったようなあどけなさを残していた。

2009/12/24 11:20 | 映画 | No Comments
2009/12/13

ここらで東京国際映画祭のレポートはひと区切りにして、
思春期デビュー中学時代にみたほろ苦い思い出の映画について書いてみたい。

今から30年前、小学校からの悪友だったNという同級生がいた。
Nとは同じ中学に進んだが、クラスは違ってしまった。
それでも、私は休みの日には相変らずNの家へチャリで行っては、
他のメンバーを交えて野球やゲームに興じたりマンガをみたり、
まったりと過ごしていた。

夏休みに入ったある日、いつものようにNの部屋でくつろいでいると、
『翔んだカップル』というマンガの単行本をみつけて
何気なく読んでいたら、その面白さにハマってしまった。

ストーリーは、
地方から東京の名門高校、北条学園に合格した田代勇介は単身上京する。
勇介は海外に駐在することになった叔父の留守番代りに
広い一軒家に一人で住むことになる。
一軒家での一人暮らしを持て余した勇介は、
男性限定という条件で同居人の紹介を不動産屋に依頼した。
そして、勇介の家にやってきた待ちに待った同居人は、
なんとそのかわいさで入学早々学校中のアイドルになった
同じく地方出身の同級生、山葉圭だった。
原因は圭という名前で男だと決めつけた不動産屋の手違いだった。
学校にばれて退学になることを恐れた勇介は圭を追い出そうとするが、
圭は退去を拒否し、
二人のあつれきがお色気シーンも交えてコミカルに描かれていた。

そしてそのマンガが、勇介を鶴見辰吾、圭を薬師丸ひろ子というキャスティングで
実写化され上映中ということを地方紙の映画案内欄で知った。
薬師丸ひろ子は、78年に『野性の証明』のヒロインとして高倉健と共演した売り出し中のアイドル女優で、

透明感のある声と愛くるしい大きな瞳で人気を博しており、
私とNもすっかり彼女のとりこになっていた。

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「おい、もしや?」
私は心の中でにやけつつも真顔で
「こんなシーンもあるんかな?」
単行本の中の勇介が圭の裸を妄想するシーンを
薬師丸ひろ子の裸を妄想しながらNに訊いた。

Nは当然といわんばかりにガッツポーズをクールに決めた。

私とNは円陣を組んで、第一回『翔んだカップル』観劇隊出陣式を挙行した。
「ファイトー、シュッパーツ!」

「で、映画館ってどこやったっけ?」

気ばかり急いて、肝心なところをおろそかにしてしまうという点で
私とNは似たものどうしだった。

「うわ~あかん! よっかいちや~!!」
そう叫ぶとNは新聞をカーペットにたたきつけ、がっくりと跪いた。

なんと私たちの村から40km以上離れた四日市市でしか上映していないのだった。

私はその場にばったりと倒れ、目頭を押さえた。

生徒同士で学区外に出かけてはならないという厳しい校則があり、
生活指導の強面教師たちを思い浮かべると科せられるであろうペナルティに
目の前が真っ暗になった。

私は一時間くらいその場に倒れていた。
Nもしょぼくれた顔でグラブをはめて軟球をもてあそんでいた。

薬師丸ひろ子のお色気シーンと生活指導TとIのいかつい顔が
私の頭の中で激しい相克を繰り広げていた。

やがて薬師丸ひろ子が55対45くらいでTとIを凌駕しだしたとき、
私は生徒手帳を投げつけた。

私とNは翌日、第二回『翔んだカップル』観劇隊出陣式を挙行した。
「ファイトー、シュッパーツ!」

続きは次回で……。

2009/12/13 10:26 | 映画 | No Comments
2009/11/30

モントリオールで猛威を振るった熱いウイルスが東京襲来!

ひき続きTIFFレポート第3弾!

影のグランプリと呼ばれる観客賞に輝いたカナダ映画
『少年トロツキー』も忘れ難い作品だった。

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©2009 TROTSKY PRODUCTIONS INC.

レオン・ブロンスタイン(ジェイ・バルチェル)は、
自分を20世紀初めのロシアの革命家レオン・トロツキーの生まれ変わりだと信じている
エキセントリックなモントリオールの高校生。

 どのくらい変かというと、二度の国外追放や暗殺される末路まで
そっくりそのままトロツキーの生涯をまねしようと固く決心している。
そんな彼のいちばんの関心事は、
トロツキーの革命同志だったレーニンと
最初の妻で革命のパートナー、アレクサンドラを探すことなのだが……

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© 2009 Toronto International Film Festival Inc. All rights reserved.

このレオン少年は熱い。とにかく暑苦しい高校生なのだ。
なにしろ自分のことをトロツキーの生まれ変わりだと思い込んでいるくらいだから、
16年間鍋に火をかけ続けたシチューのような

グラグラ煮え立ったしつこい熱さなのである。

キャラがあまりにも立ちすぎると観客の共感を呼びにくくしてしまうが、
不思議と病的な感じは漂ってこないのだ。
それはレオンがたんなる過信という病に取りつかれた誇大妄想狂ではなく、
批判に傷つくナイーヴさを持った、ふつうっぽい折れやすさを垣間見せるからだろう。

くわえて、マラディブなどモントリオールのご当地バンドを使ったポップな歌や、
『戦艦ポチョムキン』のパロディを挿入した遊び心が、
あり得ない設定の世界を親しみやすくするのに大きく貢献している。

レオンはトロツキーの人生そのまま、

父親の経営する縫製工場でハンガー・ストライキを先導して、

親の逆鱗に触れて私立の寄宿舎学校からパブリック・スクールへ転校させられる。
そこにはドラッグとセックスが蔓延するいわゆる底辺校で、

生徒たちは遊ぶこと以外何事にも無関心。

学生組合もあるが名ばかりで部室は喫煙ルームと化している。
企画するのは集会じゃなくダンスパーティー。
そんな無気力な組合に熱いレオンが加入する。

初めはウザがっていた組合のメンバーも次第にレオンの情熱に感化されていく。

作品の中でレオンがどう作用しているかという視点で観ると
また違う旨味が引き出せる。

レオンという変り者を異物として表面上平穏な世界にポンと放り込む。
それによって、彼に関わる全員の本質が丸裸にされていく。
自分以外のことに無関心だったクラスメートには、
彼のパッションが熱伝導のように伝わり、
ついには彼らの重い腰を上げてしまう。

そう。

レオンは一種の善玉ウイルスなのだ。
関わる人みなに熱さを感染させてしまう。
そして役目を終えたら別の街へいって
そこでまたパッションをまき散らすのだ。

無関心という厚い頑固な氷を溶かす。
レオンの及ぼす作用は今世界が熱烈に求めているものに違いない。
いつの間にか、この21世紀のトロツキーに声援を送ってしまった。

2009/11/30 07:41 | 映画 | No Comments
2009/11/23

中国の新鋭監督は剛腕姫?
いろいろあってすっかり更新が遅れてしまいました!
TIFFからもうはや1カ月たってしまいましたが、
レポート第2弾をおとどけしやす。
 
コンペティション部門で賞には今回縁がなかったが、
中国の若い女性監督の手がけた『永遠の天』も印象に残った作品だ。

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©2009 Dreams of Dragon Picture

ストーリーを進めるために偶然に頼りすぎたり、
ヒロインの涙を流すシーンが多すぎたりと、
アラも目立つが、それでも最後まで引っ張られて見てしまう不思議な牽引力があった。

監督のリー・ファンファンは、ニューヨーク大学芸術学部で映画を学んだ
20代の若手で今回が長編デビュー作。
このTIFFにワールド・プレミア(世界初公開)をぶつけてきた心意気を買いたい。 

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左からリー・ファンファン、フアン・ミン、リウ・ドン

ヒロインのシェン・シンチェン(リウ・ドン)は、父親を事故で亡くし、

叔父の家で従弟のチェン・モ(タオ・シュアイ)と実の姉弟のように育つ。
幼馴染のミン・ユエン(フアン・ミン)と偶然同じ中学に進学し
二人の間に淡い恋心が芽生えるが、
ミンに横恋慕するクラスメートの出現や家族との軋轢が
二人の間に立ちふさがる。

そんな次から次へとわいて起こる障害にもめげず、
新型肺炎SARSの流行や北京オリンピック開催など激変する中国社会を背景に、
永遠に変わらない愛を探し求める二人の苦闘を描いたエンターティメント力作だ。

スクリーン上で展開される中国の変貌の様子を見て、
93年と01年に訪問した上海を思いだした。

上海はこの作品の舞台とはなっていないが、
ある意味激変する中国のもっともわかりやすいディスプレイといえる。

たった8年の間に、あか抜けない地方都市から
テレビ塔などの摩天楼がそびえる未来都市に化けた姿を目の当たりにしたとき、
得意げな中国人の前で思わず
「ここはどこ、わたしはいったいだれ」
と今や死語と化したボケを連発してしまった。

もちろんこの「未来都市」は今でもまだ張りぼてにすぎないかもしれないが、
それがいつしか中味が伴ってきそうな油断できない怖さがある。

とにかく映画作りにしろ、街づくりにしろ躊躇せずに
思い描いたものを品質にあまりこだわらずに形にしてしまう。

その剛腕が不思議な牽引力を生み出すのもしれない。
これは配給がついて日本で公開される予感がする。

2009/11/23 11:37 | 映画 | No Comments

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