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2011/01/25

実話に基づいた映画 (Based on a true story movie)

『モンスター』

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アメリカ初の女性連続殺人犯がヒロインだが、

悲劇のヒロイニズムに惑溺することなく権力闘争という

一歩引いた神の視点から俯瞰的に描かれている。

虐待、レイプ、売春と幼少時からあらゆる辛酸を舐めてきたアイリーンは

セルビーに出逢って自殺を思いとどまり生きる希望を見出す。

 女同士の濃密な関係は閉ざされた空間の中で徐々にアイリーンを変質させてゆく。

自殺から他殺への変質のきっかけがセルビーだとしても

最初の殺人は正当防衛に当たると思われるが、

不運にも殺人という一線を越えてしまったことにより

無意識のなかに蓄積されてきた男に対する憎悪にスイッチが入ってしまう。

「レイプ魔や暴力男は殺してもよい」 

このアイリーンの哲学は教育の機会を奪われたことに起因する短絡性の象徴でもあるが、

セルビーというアンプを通して増幅されていく。

 アイリーンの哲学こそ権力闘争の原型である。

彼女は性的虐待を受けてきたなかで

法が自分を守ってはくれないという冷厳な事実を学習してきた。

法は男性性の象徴であるから社会的弱者の娼婦を擁護しはしない。

法(男)は男を厳しく罰しない。

それならば力で邪悪な男を倒し正義のありかを神に示すしかない。

「神様に対して何も恥ずかしくない。例外があるの」

 セルビーに切々と訴えるアイリーン。

しかし父親に反抗しながらも「パパが救ってくれる」という甘えを内包しているセルビーの胸には届かない。

それは二人のトラウマのレベルに大きな隔たりがあるためだ。

アイリーンはセルビーにそそのかされ車を手にいれるために善良な男までも殺してしまう。

ついに例外を踏み越えてしまったことによって彼女の哲学は破綻する。

もはや聖戦(ジハード)としての大義を持ちえず彼女の権力闘争は挫折し、

ただの殺人鬼に成り下がってしまう。

セルビーはアイリーンの元を去りパパ(法)の元へ帰っていく。

愛のために哲学を踏み外すアイリーン。

保身のために法の手先になってしまうセルビー。

監督のパティ・ジェンキンスはこの二つの弱さをバランスよく配分することで

アメリカの抱える権力闘争のあり方に一つの重要なメッセージを投げかけている。

2011/01/25 09:21 | 映画 | No Comments

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