2011/09/30

 

みなさま、ご無沙汰です。

 

多忙のため先月以来、投稿できずにブランクがあいてしまいました。

 

映画のコラムを2年半にわたってこのJunkstageに連載させていただきましたが、

諸々の事情で人生をリセットしなければならなくなり、

突然ですが今回でお別れとなります。

 

読者の皆さま、スタッフの皆さまに支えられて

ここまで続けることができました。

この場をお借りしてお礼を申し上げます。

本当にありがとうございました!

 

私は44才で本当なら若い人を導く立場でしょうが、

まだ私の人生は始まっていません。

本当の人生をこれから切り開いていきたい。

 

着ぐるみを身にまとったまま、気がつくと半世紀近く

自分探しの泥沼にはまっていたような気がします。

 

いい年をしてバカかと笑われそうですが、

これが私という人間なのだからしかたがありません。

 

せっかく44年もがいたのだから

最後までバカを貫いて求め続けたい。

 

立ちふさがる壁を突き抜けて青い鳥を捕まえたい。

http://www.youtube.com/watch?v=jwno_iKjMPU&list=FLje-kxjTvnyOghkiH_9II8A&index=1

 

死ぬまで炎をたぎらせた往生際の悪いジジイでいたい。

http://www.youtube.com/watch?v=zJFZ_c4vY2o&feature=BFa&list=FLje-kxjTvnyOghkiH_9II8A&lf=BFa

 

また皆様に笑ってお会いできる日を夢見て。

 

ありがとうございました!

 

 

2011/09/30 08:35 | 未分類 | No Comments
2011/08/31

劇団員ではなくダンサーにスポットを当てた映画だが、

今回、来たるJunkstage公演の応援企画、第2弾として

『フラガール』を取り上げたい。

 

ストーリー

舞台は昭和40年の福島県いわき市。

100年続いている炭鉱の町も、時代の流れで石炭から石油へとエネルギーの需要が移っていく。

閉山の危機に直面した炭鉱会社は

ハワイの伝統的な踊りフラダンスショーを目玉にした温泉施設「常磐ハワイアンセンター」を企画する。

このプロジェクトのリーダー吉本部長(岸部一徳)は地元の炭鉱の町からダンサーを募集したり、

東京からダンス教師を招聘したりと、精力的に準備に奔走する。

しかし、ダンス教師としてやってきたSKD(松竹歌劇団)出身の平山まどか(松雪泰子)は

複雑な家庭の事情を背負って都落ちした思いからやる気のないそぶりを隠さない。

ダンサーに応募した紀美子(蒼井優)たち炭鉱の娘は、

そんなまどかに戸惑い反発しつつも、

偶然目撃したまどかのダンスに魅せられ真摯にダンスの練習に取り組んでいく。

そんな紀美子たちの姿勢が教える気のなかったまどかの心を動かし、

まどかも娘たちに自分の技術を惜しみなく伝えていく。

こうして順調にまわり出したプロジェクトだったが、

仕事を奪われた炭鉱労働者たちに怒りの矛先を向けられ、様々な障害に直面していく……

 

 

鉱山で男たちは炭坑夫として女たちは選炭婦として一生懸命汗を流している。

祖父の代から続けてきたこの仕事をこれからもずっと続けていくことにこだわり、

リストラを断行する会社に反発し、プロジェクトを目の敵にする。

 

目の敵にされた吉本部長たちは炭鉱を見限って

ドラスティックに視点を切り替えて

新しいいニーズを創り出そうとしている。

 

今、私も会社には頼れない。

だからもう一つ仕事を持つ必要がある。

なければ創らなければどうしようもない。

仕事を生み出すには需要が必要で、

見当たらなければ創らなければならない。

 

新しいニーズを創り、集客すること。

 

この一番きつい作業を吉本部長たちはやっている。

浮ついた夢の世界を漂っているように見える吉本部長とダンサーたちは、

現実を生きているのだ。

 

確かな仕事で、一つの仕事でずっと何十年もいけるに越したことはない。

しかし残念ながらそういう時代は終わったと思う。

 

ダブルワーク時代がすぐ傍に来ている今、自ら直面している問題として、

この作品のだれに魅力を感じたかはいうまでもない。

 

2011/08/31 11:22 | 映画 | No Comments
2011/08/24

 

読者の皆さま、ご無沙汰です。

8月に入ってから家運のかかった一大バケーションが入ったため、

コラムの更新が遅れてすみません。

いや、間違えた。

遊んでいたわけではありませんm。

ほんの少し、出奔していただけです。

さて、今回はお世話になっているスタッフで小説家の桃生さんから

我がコラムにリクエストをいただきました。

来たるJunkstage第3回公演の舞台に関係したテーマの映画について書いてほしい。

書かないとひどい目に遭わせるというありがたい打診をいただき、泣きながら書きました。

 
というのは真っ赤な冗談です。

さあ、吉祥寺のスターパインズ・カフェへ行く前に、

パリのシャンソニア劇場へお立ち寄りください。

 

 

ストーリー

舞台は1936年のパリ。

下町のミュージックホール、シャンソニア劇場は不況のため資金繰りが苦しくなり、

不動産業者ギャラピア(ベルナール・ピエール・ドナデュー)の手に渡って閉鎖の憂き目をみる。

長い間、裏方として劇場を支えてきたピゴワル(ジェラール・ジュニョ)は

同僚で芸人の女房にも男をつくって逃げられたあげく、職を失って酒びたりの日々。

食費にも事欠く父ピゴワルを見かねて、

息子のジョジョ(マクサンス・ペラン)は街角でアコーディオンを弾いて家計を助けている。

しかし、それが却ってあだとなり、ジョジョは警察に補導され、

母親のもとに預けられ、ピゴワルと離れ離れにされる。

家族を失ったピゴワルは、ギャラピアの手から劇場を取り戻す決意をする。

仲間のミルー(クロヴィス・コルニアック)やジャッキー(カド・メラッド)とオーディションを行い、

人目を惹く美貌と才能の持ち主ドゥース(ノラ・アルネゼデール)が仲間に加わる。

念願の公演再開を果たすが、ドゥースの歌以外は全く客に受けずマスコミに叩かれる日々。

あげくにドゥースも有名プロデューサーに引き抜かれて劇場を去ってしまう……

 
脚本がよく、最後までハラハラさせられ目を離せない。

シャンソニア劇場の浮沈が、ドゥースをとりまくギャラピア、ミルーとの三角関係に反映されていて、

それが逆に展開していくところも面白い。

彼らの三角関係のもつれにピゴワルもまた巻き込まれてしまうのだった。

このピゴワルはまさに名もなき善良な市井人の代表的な存在。

ギャラピアのような権力者とミルーに象徴される運動家に挟まれて運命を翻弄される。

ピゴワルに用意されているほろ苦くてほっとする結末には

監督のクリストフ・バラティエの名もないパリの下町の人々への愛がこめられているように思う。

もう一点、心に残ったのは、発想の転換ということ。

紆余曲折を経てドゥースが戻り、シャンソニア劇場を再開するにあたり、

芸人たちはさっぱり当たらなかったこれまでの芸を捨て、新たなスタイルに一新する。

この賭けが功を奏して公演は大成功を呼ぶ。

自分がやりたいことと、得意なことは違う。

思いもよらないことに自分の強みが、魅力が隠されていることだってあるのだ。

下町の失業者というマイナスの中に、観客の共感を呼ぶというプラス要素が潜んでいた。

行き詰ったら視点をずらしてみる。

自分を活かせる道を求めてあがいている私に

シャンソニアの芸人たちは大きな示唆を投げかけてくれる。

 

2011/08/24 10:01 | 映画 | 1 Comment
2011/07/31

原作は『ゲゲゲの鬼太郎』でおなじみの漫画家、水木しげると布枝夫人の無名時代からの苦楽を綴ったエッセイ。

その40万部突破した原作が鈴木卓爾監督によって映画化された。

 

お見合いからわずか5日のスピード婚。夕ご飯に道端の野草。ろうそく下での漫画制作。

今の時代にほとんどの人が体験する機会のない、いってみれば非日常の世界が展開されている。

そこにすーっと引き込まれていった。

映画のなかにあふれる非日常のなかで、いちばん新鮮だったのはしげる(宮藤官九郎)のニーズへのこだわりだった。

しげるは自分の書きたい妖怪ものや戦記ものばかり描き、子供たちが望んでいる漫画は描かない。

この読者ニーズをいっさい考えないしげるの頑なな姿勢に強烈な非日常の魂を感じた。

彼のこのスタイルが布枝(吹石一恵)を巻き込んでの非日常の空間を作り出すまさに源になっている。

 

もう一人、しげるに似たキャラクターとして、しげるの家を間借りする似顔絵描きの金内志郎(村上淳)が登場する。

この金内はかつてしげると同じ貸し本漫画家だったが

自分ニーズにこだわり編集者から見放されて仕事がなくなり妻子と別れてしまったのだった。

今や部屋代の支払いにもことかくほどの極貧ぶりと自分ニーズへの愛着はしげると似ているが、

決定的な違いがある。

金内には布枝という存在がいないことだ。

今の寄る辺のない窮状を嘆き、過去を悔んでいる金内はもうひとつのしげるの人生にみえた。

しげるの人生が一歩ずれると金内の人生になる。

その意味では布枝というパートナーの存在の大きさに改めて気づかされる。

 

布枝は一見地味で縁の下にいるが、しげるの生殺与奪を握っている核となる存在だ。

布枝がしげるの前から姿を消せばあっという間に金内になるだろう。

いっさいの妥協はない。妖怪とともに心中する。

そこまでの妖怪への痛烈な思い入れを切らさずに来れたのも布枝という存在があってこそだったろう。

2011/07/31 12:22 | 映画 | No Comments
2011/07/19

業田良家原作の4コマ漫画は週刊誌連載中に時々目を通していた。

別に買ってまで読むほどではなく、病院で診察を待つ間やふらっと入った本屋で立ち読みしたり、

そんな時間つぶし感覚で不定期に味わっていた。

 

主人公の幸江(中谷美紀)という女はいつ見てもヒモのイサオ(阿部寛)に金を巻き上げられ、

散々ひどい目に遭わされているのだが、どういうわけだかじっと耐えているだけなのだった。

たまに目を通すといつもこんな感じで、幸江の気持ちがわからずイライラさせられた。

結局いつの間にか連載は終了してしまったらしく、

それっきり時間つぶしでそれを目にすることはなかった。

だから私はその断片の薄幸な幸江しかしらなかった。

そのコミックが実写映画になった。

ウリのちゃぶ台返しはVFXが漫画っぽい味を醸し出していて、

重くなりそうになるストーリーの中で揺り戻し的なよいアクセントになっていたが、

なぜこのギャンブルと酒におぼれるイサオに真っ当そうに見える幸江が献身的に尽くしているのか、

はたまたそういう性癖の女なのか、見ているうちに次第に原作同様イライラが募ってくる。

 

そんなフラストレーションでかたまったころ、幸江が事故に遭って一気に時間が遡り、

あまたの謎がすっと腑に落ちた。

圧縮された時空に少女時代からイサオとの出会いまでの秘められた思い出が

涙分をほどよく飛ばして濃縮されていて、

知らないうちに新たに自分の涙を加えて絶妙な濃度に還元しているのだった。

巧みな情への迫り方に、してやられたと思ったところですでに後の祭りだが、

この落とされ方は悪い気分ではない。

2011/07/19 09:33 | 映画 | No Comments
2011/06/30

人はどのようにあかりを携え、それぞれの人生を歩いていくのだろう。

ある者は自分の力を信じ、煌々とあかりを灯して目標に向かって突き進む。

ある者はあかりに覆いをかけ、照度を落としてくらげのように人生の荒波を漂っていく。

また、ある者は挫折や障害に見舞われるうちに、やがて自らあかりを吹き消してしまう。

 

 

夜警としてヘルシンキの労働者地区に暮らすコイスティネン(ヤンネ・フーティアイネン)は

蛍のように儚いあかりを灯しては消す行為を繰り返すやるせない日々を送っていた。

家族も友人も恋人もなく、相手になってくれるのはソーセージ屋の女アイラ(マリア・ヘイスカネン)だけ。

そんなコイスティネンにマフィアのボス、リンドストロン(イルッカ・コイヴラ)が目をつける。

リンドストロンは宝石店の暗証番号を聞き出すために

自分の愛人ミルヤ(マリア・ヤルヴェンヘルミ)をコイスティネンに接近させる。

チェーンスモーカーのコイスティネンは、ミルヤとデートしてはタバコをくわえ、

希望のあかりを灯すが、体よくあしらわれては、希望のあかりも、タバコももみ消してしまう。

 

映画はテーマを描写で表現するアートだが、

この『街のあかり』を通じて監督アキ・カウリスマキのアートに対峙する姿勢は徹底している。

カウリスマキは俳優からセリフを極力奪い取り、代わりに小道具を使って喜怒哀楽を浮き上がらせる。

そのカウリスマキ・カラーを象徴させるシーンがある。

ある日、コイスティネンはパブの前に犬が一週間も繋がれたままなのに気づく。

そばにいた少年(ヨーナス・タポラ)が飼い主について「強そうだよ」と感想をいうが、

コイスティネンはアドバイスを軽く受け流したまま店に入っていく。

屈強そうな3人組が飼い主だとわかるとアルコールの勢いをかりて文句をいいにいき、

殴られてあっさりと引き下がる。

顔から血を流して戻ってきたコイスティネンに少年と犬が注目すると、

彼はバツが悪そうに目をそらせて去っていってしまう。

何気ないシーンの中にコイスティネンの生きざまが凝縮されている。

繋がれたまま吠えることさえしない打ちひしがれた犬は彼自身でもあるのだ。

気弱そうな少年は彼の消えそうなあかりに似ている。

弱すぎるあかりが思慮を奪い、

いつも自分自身が傷つくだけで結局、誰の役にも立てず、何一つ得られない。

障害が立ちはだかるとすぐにあかりを吹き消して退散してしまう。

コイスティネンは自分もミルヤも、誰一人愛したことなどないのだ。

彼をすっぽり覆っているのは愛の対極にある無関心だけだ。

老練なカウリスマキは一切セリフの力を借りずに、

コイスティネンの儚げなあかりの手元を鮮明に照らしだしてみせる。

 

コイスティネンのあかりを陰らせる無関心という病をカウリスマキはどう料理するのだろう。

マフィアの姦計にはまり、宝石泥棒の冤罪をきせられても、

すべてを失った彼にアイラだけが好意を寄せても、

一向にコイスティネンの心に変化は訪れない。

我々を苛立たせるだけ苛立たせておいて、

カウリスマキはラストでようやくその秘伝のレシピをのぞかせてくれる。

やっと見つけた皿洗いの仕事も奪われたコイスティネンは、

リンドストロンにナイフで切りつけるが、逆に手下に瀕死の重傷を負わされる。

港にうずくまるコイスティネンのところへ少年と犬がアイラを導いていく。

倒れこむコイスティネンにアイラが「死なないで」と手を差し伸べる。

コイスティネンは「ここでは死なない」と声を絞りだすと、差し出された手を握りしめる。

簡潔なセリフと演技の背後で、無関心という病が癒え、愛というあかりが音をたてて灯る。

この隠し味はカウリスマキにしか出せない。

2011/06/30 10:12 | 映画 | No Comments
2011/06/16

アクシデントをハプニングに変えられる人は稀少だ。

それには高度な大人力が必要だから。

子供パワー隆盛の世の中で、

そんな絶滅危惧種のような大人になろうと少女が奮闘する様が

『ジュノ』では描かれている。

 

主人公のジュノは16歳の女子高生。

キュートな外見からはうかがい知れないほど内面は老成している。

友達のポーリーとの初体験で望まない妊娠をしてしまっても、

取り乱さずジョークを交えてポーリーに報告する。

ただ、そこはまだあどけなさが残る16歳。

少女に不釣り合いなパイプをくわえ物々しい肘掛椅子にふんぞり返って

無理に「大人」度を高めているのがほほ笑ましくも痛々しい。

このパイプは生む決心をして里親を探すときにもしっかりとジュノのサポーターとなっている。

 
パイプやサングラス、頑丈な椅子。

無理をしてタフにふるまおうとするとき、

ジュノはこれらで武装し、「大人」に変身する。

念願かなって理想のカップルを見つけ出すが、

養父候補のマークといつしかただならぬ雰囲気になっていく。

妻のヴァネッサと別れるといいだすマークを懸命になだめたり、

お腹が大きくなっていく自分とポーリーとのズレの中で心が揺れ動いたり、

ぐずる子供たちに懸命に背伸びして「大人」の対応を模索しているうちに

自分を見失いがちになる。

そして苦しみながらもついに自分の正直な気持ちに気づくジュノ。

いつの間にか変身道具は消えている。

なぜならファンデーションを塗りたくってわざわざ「大人」に化ける必要はなくなったのだから。

 
ごてごてした変身道具のかわりにギターで自分の想いを伝えるジュノは

もうカギカッコのとれた正真正銘の大人だ。

周囲に流されず自分らしく。

ただし自分の足で毅然と立って。ピンチにはユーモアというスパイスを少々。

アメリカの十代の妊娠問題を超越して、

人生という料理を美味しく味わうためエッセンスが

ジュノという一人の女の子の生き様にいっぱい埋め込まれている。

 

混沌とした未来も『ジュノ』というレシピがあれば飢えなくてすみそうだ。

2011/06/16 11:06 | 映画 | No Comments
2011/05/31

自作のロケットで宇宙飛行を目指す中年農場主チャーリー・ファーマー。

荒唐無稽ともいえるこの設定にも、

宇宙服姿のチャーリーが砂丘を馬で行くシュールな冒頭に思わず引き込まれてしまう。

 

 

監督のポーリッシュ兄弟は個人でロケットを打ち上げることと、

インディペンデントで映画製作をする自分たちを重ね合わせて作ったというが、

なるほど一から自分でやり遂げることにこだわってゆずらないチャーリーと兄弟の顔がダブる。

このチャーリーのモデルは、成功には大きなリスクを伴うことを教えた彼らの父親とのこと。

その意味では、チャーリーはポーリッシュ・ファミリーの遺伝子から創られたクローンであり、

父から息子へと受け継がれたメッセージをチャーリーが託されたことになる。

ただ、この映画が単なる私小説的な願望の投影で終わってしまうか、

万人の共感を呼び起こすことができるかは、

運命に対する反逆者としてのチャーリーと障害とのぶつかり合いの中で

観客を作品に引きずりこんでいく牽引力をいかに生み出せるかにかかっている。

 

ポーリッシュ兄弟はチャーリーのポジションを、

かつて宇宙飛行士の訓練も受けて専門知識も豊富な中年男のリベンジという

現代風な反逆者に据えた。

この一度挫折した中年が復活を誓うという物語が、

敗者復活の困難な現代で挫折し鬱屈を抱えるわれわれの共感を呼ぶ大きな要素となっている。

格差がじわじわと根付く現代において、

チャーリーはまさに代理戦争の仕掛け人そのものである。

中高年のリベンジは気力、体力の衰えもあり若者よりもずっと困難さを伴う。

ロケット打ち上げは非日常の極に位置する夢であり、

ごく日常的でささやかな夢と比べるとリスクと立ちふさがる壁の高さはエベレスト級だ。

この困難な設定どうしを融合すると不思議な化学反応が生じてモチーフが何倍にも膨れ上がるのだ。

チャーリーを通して兄弟の放つ熱せられたモチーフが燃料となり、

われわれはいつしか兄弟の仕掛けた宇宙空間へと放り出されている。

この「ロケット」は上映後もますます勢いを増してわれわれの脳裏を飛び続けることだろう。

 

2011/05/31 08:05 | 映画 | No Comments
2011/05/06

 

私は眼が相当悪くてかれこれ20年もの間、
越中島の検眼士にお世話になっている。
この間診てもらいに行ったついでに、
ふらっと深川に立ち寄った。

深川は深川不動尊や富岡八幡宮などの神社仏閣があり、
江戸情緒あふれるレトロな風情が
ドッグイヤーの21世紀を逆回転させるまったり感を醸し出している。
今やいやし空間と化した深川の
生々しくおどろおどろしい面をみせてくれるのが、
中田秀夫監督の『怪談』だ。

落語家・三遊亭円朝の傑作、真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)が原作。
『怪談』の中の深川はヒーリングとは正反対の
女のドロドロの情念の淵に様変わりして
火傷しそうなくらい煮えたぎっている。

ストーリー
舞台は江戸中期の深川。
藩士の深見新佐衛門は、借金の返済を迫る針師・皆川宗悦を惨殺し、累ヶ淵に沈めてしまう。宗悦の魂は怨霊となってとどまり、新佐衛門にとりついて狂わせる。酩酊状態の新佐衛門はその妻を斬殺し、自害して果てる。このため深見家は取りつぶされた。
20年の歳月が流れ、新佐衛門の忘れ形見の新吉はイケメンのたばこ売りとなった。
新吉は母親くらい歳の離れた三味線の師匠・豊志賀と運命的な出会いをはたす。
この豊志賀は宗悦の娘だったが、そんな因果をしらぬ二人はいつの間にか深い仲となっていく……

親の因果が子に巡り~
豊志賀はミュージシャンでストーカーというファンキーな江戸人だ。
しかもテレポーテーションという22世紀の離れ技を使って追跡する
いわば江戸の最先端をいくスピリチュアル・ストーカーである。

そのうえサイコキネシスで小動物を自在に操って新吉を苦しめる姿は
まさに女バビル2世といっていい。
ここではハエがロプロスで、ヘビがロデムということか。
ポセイドンになっているのは、まあ観てのお楽しみだ。

とにかくこの超能力アラフォー・豊志賀は、
その納豆なみの粘り気を帯びた情念で最強無敵の未来人へと進化を遂げた。

ジーンと目の奥が焼けてくる。
ヒューマン・ドラマ以上の感動をホラーは与えてくれた。
ホラーは侮れない。

2011/05/06 10:44 | 映画 | No Comments
2011/04/16

『雨あがる』

 どうも自分の好みか、鑑賞後に引きずる映画を選んでしまうが、
今回は久しぶりにさわやかな気分になれる作品。
黒澤明の脚本を小泉堯史監督が完成させた『雨あがる』。
一言でいうと、
剣術の達人なのに心根の優しさ故にチャンスをいかせない浪人と
やさしく見守る妻の物語。

ストーリー
三沢伊兵衛と妻のたよは、連日の豪雨で川が氾濫して渡れず、
近くの安宿に泊まっている。
そこには同じように足止めを食らっている貧しい人たちがたくさんいた。
彼らの中でいざこざが起こり、みんなの気分を和らげるために
伊兵衛は賭け試合で金を稼いでご馳走をみなに振舞う。
雨上がりに出かけた森の中で伊兵衛は若侍たちの果し合いに出くわして、
力ずくでそれをとめる。
その様子を目撃していた藩主、永井和泉守に気に入られ、
剣術指南番を要請される。
しかし家老たちの意見で御前試合を行ってから正式に決定することになる。
伊兵衛は内心自信たっぷりでたよに決まったも同然だと報告するのだが……
全員のキャラははっきりしているが、ステレオタイプにくくれないのが、
宮崎美子が演じるたよという女房だった。
穏やかな外見のなかに隠れた信念。
寡黙で殊勝な物腰の中から放たれる毒舌は、
そのギャップも手伝って彼女の信念をより強く聞く者の頭に刷り込む。
出しゃばらないのにここ一番で打ち込む楔の破壊力。
夫の人生はおろか、雲上人の人生観さえも動かすほどの影響を与える
たよの人間力が、饒舌が空虚さを生む今の時代に新鮮だった。

2011/04/16 12:09 | 映画 | No Comments

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