JunkStageをご覧の皆様、こんばんは。
いつもJunkStageをご訪問いただき、ありがとうございます。
現在、「ソウルに響く映画評」執筆中のライター・東出達也さんが私事多忙のためこちらのコラムを一時休載とさせていただいております。
再開は9月初旬です。
連載を楽しみにしてくださっている皆様には申し訳ございませんが、再開をお楽しみにお待ちくださいますよう、お願い申しあげます。
(JunkStage編集部)
紆余曲折の最果て、第9地区の宗谷岬に流れ着いたころにバンド名が決まった。
全員ボーカル兼ギター4人にベース1人、ドラムとキーボードはいないスタイル。
斬新と残念をかけてZZN’S(ジージーエヌズ)に着地した。
曲はOさんからは『精霊流し』というビーンボールが投げられたり、
ついでいうと、私からもドアーズの『ジ・エンド』というチェンジアップを投げて
エイリアンらしさを見せてやろうとしたが、
Y先輩がすかさずジャストミートして場外に運んだ。
直球、カーブ、スライダーとエイリアンたちがまた思い思いの乱れ投げを演じたが、
結局、ZZN’Sのネルソン・マンデラ、Y先輩によって
『true love』というベタベタモンスーンな当時の披露宴定番ソングに閣議決定された。
私たちZZN’Sの「似合わねーよ」の大ブーイングを
「あと3日しかないんだ」というY先輩の非暴力不服従オーラでみなは黙った。

あと3日ということは?
練習できるのは昼休みの正味3時間てことだ。
いやリアル正味の時間は昼飯かき込む時間を除いた45分×3で135分間。
あぜんとする私たちZZN’S
「1分て100秒くらいに増やせられないのかな~」
とどこまでものどかなベース担当Hさん。
あんたの体重じゃないんだという全エイリアンの無言の突っ込みもむなしく、
そして、私たちは、途方に、くれた。
「エイリアンと指が連動するギター」
たとえるならそんな感じで
私たちは3倍速のスピードで、ストロークをした。
しかし、ストロークする右手は3倍速にできても
探りながらコードを押さえる左手は3分の1倍速。
ラヴ・バラードがデス・メタルになり
ZZN’Sを激励に来たI君を昇天させた。
しかし、そこはエイリアン、
当日は懸命に時空のゆがみを矯正して
ハードコア・パンクに押しとどめることで
カップルの前途をなんとか保つことができた。
めでたし、めでたし。
めでたく、ないか…
「つゆ雨を、集めて臭し、目黒川」
連日の雨のため、工場沿いを流れる目黒川のプランクトン繁殖も
峠を越し、
「春過ぎて 夏きにけらし、ボディコンの、衣ほすてふ、大崎2丁目」
一首詠むごとに東京砂漠に変わり果てた工場の一角にも時は流れ、
夏が訪れようとしていた。
この間、ホンジャマカの石塚を陰気くさくしたようなHさんが
何を思ったか新たに逆指名でエイリアンズ入りを果たし、
エイリアンズの生涯未婚率は一気に60パーセントに跳ね上がった。
一角だけ21世紀を前に、ひと足早く無縁社会に突入していた。
そのころには私も『第9地区』の主人公のように指がピック化しはじめた。
「シー・ラヴズ・ユー」や「ノーファア・マン」などのいくつかのビートルズナンバー。
ブルーハーツやブームをストローク弾きできるようになっていた。
マーシャルのアンプでオーバードライブをかけて音を歪ませて
トリップに拍車がかかっていたころだった。

会社の後輩I君が結婚することになり、
2次会でわれらエイリアンズに1曲やってほしいという
アンビリバボーな依頼が舞い込んだ。
離婚の新記録を樹立する気なのか。
結婚相手の写真を見せてもらう。
かわいい子だった。
I君はおとなしくまじめな好青年だった。
一角を訪れたレコードはない。
これはまずい。
どうやら我々がエイリアンだということを認知していないらしい。
式は9月初めだという。
あとひと月あまりしか時間はなかった。
しかもエイリアンズで練習できる時間はトリップタイムに限られている。
このままではこの二人は二次会後に別れてしまう。
I君カップルの名をギネスに掲載させてはならない。
ちなみに世界最速離婚レコードは中国浙江省のカップルで3時間、
ショービズ系は20世紀初めのハリウッドスターの6時間だった。
残念だ。上には上がいた。ワールドレコードは無理か。
しかしまだ日本レコードの心配がある。
これはトリップなんぞして遊んでいる場合ではない。
I君のために一刻もはやくバンド名を決めなければ。
さっそく一週間後、
第9地区会議場(工場のコンクリート上)にて
貴重なトリップタイムを削って、
私たちは第一回バンド命名会議を開いた。
私を含む5エイリアンが出席。
議長はYアンニュイ・レノン先輩だった。
Y先輩 「では、よい名前を思いついたエイリアンから意見をお願いします」
私 「プアーズはどうでしょう?」
Y先輩 「却下」

フラジャイルなカルテット、ドアーズと
将来の上野公園デビューを控えたエイリアンズを
メタフィジックに融合させた私の名案は秒殺された。
パールジャムをもじったセミプロS君の「パール妖怪人間ベム」も
寸殺でお蔵入りした。
「色ものバンドじゃないんだから。もっとマジメにやろうよ!」
Y先輩は憂いを帯びたレノン顔でみんなを見渡した。
最年長三十半ばのHさんが巨体をゆすっておずおずと挙手した。
「パンクバンドっぽくてもいい?」
Y先輩の顔がレノンからマッカ―トニーへぱっと変わった。

「おっ、どうぞどうぞ。カッコいいやつあります?」
「セックス・ムエンボトケーズてのは……」
Hさんが最後まで言い終わらないうちに、
Y先輩はレノン顔で肩を落として首を横に振った。

ふと背後に人間の気配に気づいて振り返ると
泣きそうな顔をしてこちらを見つめる
第9地区デビューのI君と目があった。
続きはまた次回。
今回は楽器にまつわるなつかしい思い出を書いてみたい。
20代半ばのころ、会社にギターのうまいYさんという先輩がいた。
Y先輩はビートルズが公式録音した213曲を
譜面なしにそらで弾けるという動くDVD並のフリークだった。
私はドアーズが好きでビートルズにはあまり興味がなかったが、
触発されてビートルズを聴くようなり、
ギターを弾きたくなってY先輩に弟子入りを志願した。
楽器といえば、ガキの頃にタテ笛とカスタネットの乱れアンサンブルで
まったりしたノラネコ界隈にアナーキーな緊張感を張り巡らせた杵柄があるくらいで、
ギターはほとんど触ったことがなかった。
こうして「3コード進行がロックだ!」の掛け声とともに、
私のラキンローラーへのトリップの日々がはじまった。
「レノンは○○○○に殺されたんだ!」
暗殺犯、マーク・D・チャップマンに話が及ぶと、
普段温厚な先輩は、阿修羅の形相で買ったばかりの私のフェンダーストラトをひったくり、
弦をぶち切らんばかりの勢いで『ゲット・バック』をかき鳴らし、
ぬるい5月の昼下がりを真夏に染めていった。
その緊張感は、かつてネコの毛もよだつ
ノラネコのタンゴならぬグルーヴを生んだ恍惚を
私の脳裏にゲットバックさせた。
それ以来、Y先輩がギターを持っているときに
だれかがチャップマンの名を口にしようものなら、
先輩はパブロフの犬のごときタイトさで反応し
『ゲット・バック』をストロークした。
1時間ある昼休みを15分で飯を食べ、残り45分間がトリップタイムだった。
ただし、腹が減ると、掘っ立て小屋を彷彿させる事務所の時計の針を進めて
弁当を食べ終えるとまた戻したので、実際の時間はカオスにつつまれている。
カーキの作業服の上から黒の皮ジャンをはおり
紅白ボディのフェンダーを抱えた私は、
即席ラキンローラーというより
無目的にカスタマイズされたチンドン屋だった。

毎日昼休みに工場の一角でフェンダーを抱えて
Y先輩とギター・アンニュイ劇場を上演しているうちに
どこから嗅ぎつけたのか、ギャラリーに同じ部署のOさんやSくんの顔があった。
運送会社から転職してきたばかりのSくんは、
ギターはセミプロ級のテクでレコーディングにも参加したことがあるという。
Oさんは会社では先輩だったがまだ20代前半と私より年下で、
かつ彼が神とあがめるさだまさしと見た目年齢が同じという
一人時間差攻撃による相手への心理的ゆさぶりを得意としていたナイスガイだった。
Oさんは休憩時間には大学ノートに詩をしたため、
定時を回るとイヤホンをして一目散に帰途についた。
最寄り駅で階段にかかれた矢印通りに上り降りしない乗客と
つかみあいになるくらいルールにタイトな一面も持っていた。
Sくんいわく生まれた瞬間からトリップ中のOさんは
自慢のマーチン・ギターを持参し、
さだまさしのナンバーを歌いながらつま弾いた。
その西方浄土から響くようなリリカルな裏声と
作業服から時折のぞかせる年季の入ったランニングシャツの捻じれが
周囲を仮死状態にした。
こうしてファンタスティックなメンバーが集った工場の一角は、
隔離されたエイリアンの住む『第9地区』さながら
女子の人口密度はマイナス537人を計測し、
寄ってくるのはアリだけというアンタッチャブルな空間になっていた。

続きはまた次回。
痛い。
これは文字通り「痛い」映画だ。
十字架上の死に至るまでのキリストの受難を描いたものだが、
この十二時間には人間が体現できる全てのドラマが煮詰まっている。
監督のメル・ギブソンはキリストの苦しみを描くツールとして
映画を効果的に使っていることに感心する。
映画のもつ効力とは。
それは絵画や小説を凌駕する立体感。
視覚と聴覚を同時に刺激して他のメディアを圧倒する臨場感。
ジム・カヴィーゼル演じるイエスの身体に
ローマ兵の鞭が振り下ろされ、皮膚が裂け、鮮血が飛び散る。
自分の身体が切り裂かれたような疑似体験。
思わず目をそむけたくなる。
血のにおいすら漂うほどのリアリティだ。
リアリティを感じるのは拷問の場面だけではない。
ローマ兵に合図するためにユダがイエスに口づけする場面では
二人のこわばった表情から
イエスのこれからの過酷な運命を予感させる不安が漂ってくる。
観ている者の第六感まで刺激して目覚めさせるカヴィーゼルの演技は見事。
観る前はメル・ギブソン本人が敬虔なクリスチャンときいて、
さてはプロパガンダか、布教活動かと警戒したが、
自分を痛めつけるローマ兵へのイエスのセリフに
クリスチャンかどうかなど関係なく
魂を鷲づかみにされ、ゆすぶられた。
メル・ギブソンの一切妥協のない作りこみと
それに応え身体を壊しながらイエスを演じ切ったジム・カヴィーゼル。
彼らの「パッション」が、この受難劇をプロパガンダとは別次元にもっていった。
今回は『意志の勝利』観劇レポートをお送りします。

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昨年10月初旬に出かけたが、
公開終了間際でおまけに週末ということもあってか、
すでにシアターN渋谷、スクリーン1の75席はほぼ埋まっていた。
はやる気持ちを抑えて、上映開始前に肝に命じておかなければならないことがあった。
今観る私は、ヒトラーおよびナチスの正体を知っているという
公開当時に観た人たちとは比べ物にならない
大きなアドバンテージをもらっているということだ。
さて、妙な熱気?に包まれて問題作『意志の勝利』がはじまった。
ヒトラーを乗せた小型飛行機が雲の畝を分け入っていく冒頭のシーンは、
戦争特集番組でアーカイブ(歴史記録資料)として
頻繁に使われているからおなじみだ。
飛行機は古都ニュルンベルク上空を旋回し、着陸に備える。
街路に映るその影は、ドイツの国章である鷲を連想させる。
空港に着陸した飛行機から姿を現したヒトラーは、
あたかも巨大な鷲から舞い降りた戦争神のよう。
しかし、この神は近づきがたくはない。
飛行場からホテルまでのパレードでは、
赤ん坊を抱いた若い主婦から花束をもらったり、
宿泊先のホテルの窓から身を乗り出して
詰めかける大衆に手を振ったり、
ロックスターかサッカーのスタープレーヤーみたいで
親近感がわく。
厳めしさと親しみやすさ。
「緊張と弛緩」
これがこの映画のキーワードなのだと気づいた。
このキーワードで映画を眺めつづけると、
レニは緊張のシークエンスと弛緩のシークエンスを
織り交ぜて編集していることがわかった。
緊張のシークエンスでヒトラーのリーダーとしてのカリスマ性を叩きこみ、
弛緩のシークエンスで警戒心をといている。
ユーゲント集会でのヒトラーの力強い演説で頼もしいリーダー像をアピールし、
ユーゲントの野営キャンプで青年たちがふざけながら顔を洗い、
ゲームじみた訓練に興じる光景を挿入して、ほっと安心させる。
興味深いのはヒトラーの演説そのものが
緊張と弛緩でなりたっているということだ。
彼の演説は、特殊な波だ。
断固たる口調でまくし立てたかと思うと、沈黙し再びゆっくりと語りかける。
最初、振幅も波長も小さいのだが、
次第に両方とも大きくなっていき、
最後に振幅が最大になって波頭が崩れ、
砕け波のようなカタルシスを残して終わる。
緊張のシーエンスの中で彼の緊張と弛緩の演説は
いわば入れ子構造のような働きをしている。
だから、特殊な波はヒトラーの演説だけでなく、
緊張と弛緩でできているこの作品の全体構造でもあるのだ。
観ている私も、
この波に情緒を揺さぶられ、軽く陶酔しそうになった。
工夫されたカメラワークもその陶酔に拍車をかける。
幸い歴史知識が防波堤となって、この陶酔に陥ることを防いでくれた。
私のまわりの観客は表立った反応はなかったが、
ユーゲント集会でのヒトラーが演説を終え踵を返すシーンで
近くの席の若い女性が顔を輝かせて「すごーい!」と
叫んだのが印象に残っている。
その感嘆はヒトラーの演説そのものに対してなのか、
演説のなかにサブリミナル・カットで青年の笑顔を挿入した
レニのテクニックに対してなのか。
はたまた、もっと他のことに対してなのか
訊いてみたかった。
観終わって軽い高揚感を覚えたことは確かだった。
与えられたアドバンテージを差っ引いて考えると、
もし私がドイツ人でこれを当時に観たならば、
まんまともっていかれたかもしれない。
『意志の勝利』は今もって魔力を秘めた危険な映画だ。
お知らせ
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ワールドカップ南アフリカ大会が近付いてきた。歴代の大会で最も印象に残る大会は?と問われると、
1986年メキシコ大会と即答する人も多いだろう。
アルゼンチン代表のエース、マラドーナ。
伝説となった準々決勝イングランド戦での「神の手ゴール」と
「五人抜きゴール」で世界中を魅了した。
マラドーナのための大会とさえ呼ばれた。
ワールドカップをアルゼンチンに持ち帰ったマラドーナを出迎えに
150万もの群衆が空港から大統領府までの沿道を埋め尽くした。
沿道に出た人には、
単なるひまつぶしや物見遊山の人、
前評判の低さに反する予想外の結果に純粋にうれしくなった人、
その思いの熱さはバラエティに富んでいたことだろう。
しかし、人の海に入るとその温度は高まり、
瞬く間に上昇した心中海面温度は小型のハリケーンを生みだす。
そして思考を吹き飛ばしてゆくのかもしれない。これはスポーツの祭典だから嵐のような非日常の陶酔が、新鮮で微笑ましくもある。私もこのシーンが好きだし、
一体感を感じたいと思う。
しかし、それを意図して特定の政治家や政治集団にやってしまったらどうだろう。
それからさかのぼること半世紀。
このフリーズ熱狂をヒトラーという類まれなモンスターを使って
映画でやってしまったのが、レニ・リーフェンシュタールだ。
前年に政権を獲得したナチス党は、古都ニュルンベルクで
1934年の9月4日から一週間にわたって開催された
「意志の勝利」と題された党大会を、
新首相ヒトラーのカリスマ性をアピールする意味合いで
プロパガンダ映画としての製作をもくろんだ。
製作をヒトラーから要請されたレニは、
撮影への全面協力と最終編集権を含む作家的自由をヒトラーに確約させ、
メガホンを執った。

この『意志の勝利』は、ナチスのプロパガンダ映画として悪名高い。
21世紀の現在でもドイツでは一般上映が禁止されているほどだ。
監督のレニ・リーフェンシュタールは、戦後、戦犯として逮捕は免れたが、
事実上、映画界から追放された。
このいわくつきの映画が昨夏69年ぶりに日本で劇場公開され、
私は、吸い寄せられるようにシアターN渋谷へ観にいった。
なぜなら、この映画を高校生のころからずっと観たかったのだ。
ビデオでもDVDでもなく、スクリーンで。
一人でくつろいだ状態ではなく、他の観客に埋もれてワンオブゼムで。
ゼムの反応とワンである自分の心の動きをチェックしたかったのだ。
次回はそのレポートを書いてみたい。
人は極限状況に置かれたとき、
自分では気付かなかった才能を発揮することがある。
それは、無我夢中で生きていると、
無意識のうちに思いがけないところである日突然開花するのかもしれない。
私の職場は大学にあるが、学生食堂で遅い昼食を摂っていたときのことだった。
その学生食堂は広くオープンなスタイルで一般の人も自由に利用できる。
セルフサービスで食券を券売機か窓口で買ってそれをカウンターで料理と交換する。
食べ終えた食器はトレーにのせたまま返却口に戻すシステムだ。
時間は午後2時を回っていたため、客は4割くらいの入りだった。
私はカレーを食べ終えて、返却口まで食器をのせたトレーを下げにいった。
返却口にはコンベアが常時動いており、トレーを置くと洗い場まで運ばれていく。
トレーを両手で持って返却口に近づくと、妙な不自然さを感じて立ち止まった。
コンベアの前に初老のおっさんが佇んでいる。
茶フレームのメガネに同系色のブルゾン。
おっさんやら子供やらはたいていいるので、
おっさんそのものは珍しくはないのだが、
違和感を醸し出している原因はおっさんの逸脱した行為だった。
トレーをコンベアにのせて速やかに去っていく。
それが返却口で皆がとるノーマルな行動である。
それ以外のことをここでする人はいない。
ここで歌ったり、お茶を飲んだり、寝たりすることは常識外の行為となる。
おっさんはトレーも持っていないのに返却口から離れなかった。
左手にスーパーの買い物袋をさげ、右手に箸を握り、じっとコンベアを見つめている。
箸はシザーハンズのようにおっさんの掌と一体化している。
この返却口常識を覆す彼の出で立ちが私の足を止めさせ、
彼の後方斜め45度の位置からおっさんを見守った。
学生らしき若者たちがトレーを連続してコンベアに置いた。
おっさんは流れてくるトレーの方へ軽やかなステップを踏み、
トレーとおっさんが重なった。
皿にはコロッケが1つ残されている。
血管の浮き出た右手が眼にもとまらぬ速さで動くと
その瞬間、きつね色の総菜は消えておっさんの口が動いた。
おっさんは体勢をととのえると、次のトレーを凝視し、
シザーハンズ化した箸を一閃させると
瞬く間に小鉢の漬物が消え、口のなかに投げ込まれた。
その見事な箸さばきと好奇の目をものともしない集中力に
私は打たれた。
おっさんは残りものを片づけると、何事もなかったかのように
飄然と去っていった。
その後ろ姿を茫然と見送りながら
おっさんは空腹のために追い詰められていたのかもしれないと思った。
長い間のひもじい想いがおっさんの眠っていた「才能」を開花させたのかもしれない。
コンベアの前に浮かぶおっさんの残像と
『やわらかい手』の中年主婦マギーが重なった。
夫を亡くしてロンドンの郊外に独り住む平凡な中年主婦マギーは
難病を患う孫オリーの高額な治療費を工面する必要に迫られていた。
それは孫が助かるにはオーストラリアで
6週間以内に手術を受けなければならないという差し迫ったものだった。
息子夫婦には今かかっている入院費と治療費を工面するのが精いっぱいで
オーストラリアへの渡航費と手術費を調達する余力はもはや残されておらず、
マギーは自分がなんとかせねばと焦りの極にいた。
イギリス版ハロワに出向いても学歴もキャリアもスキルもない中年のマギーは
紹介どころか一昨日来いとばかりにまるで相手にされない。
絶望してロンドン中心街を彷徨っているうちに
マギーは風俗街ソーホーに迷い込んでしまう。
ふと目に飛び込んできた「接客係募集 高級」の張り紙に
「接客係」が何を意味するかも知らず藁をもすがる気持ちでドアをノックするマギー。
面接の相手をしたロシア人オーナーは、
はじめはウェイトレスの仕事を想像していたマギーの世間知らずさにあきれていたが、
そのやわらかい手に「隠れた才能」を感じとり、積極的にスカウトしだす。
マギーは「接客」が、手で男をイカせる係だと知った途端、
嫌悪感を露わにして立ち去ろうとするが、
オリーの苦しむ顔を思い出して苦渋の中で「接客係」になることを決意する。
かわいい孫のために嫌悪感を押し殺して仕事に従事するマギーだったが、
隠れた「才能」が開花して、店はおろかソーホー中に
そのゴッドハンドぶりが響き渡る。
孫の命を救いたい一心で飛びこんだ平凡な主婦とは無縁な世界で
思いがけずにスターになったマギー。
それまで自分とは無縁の世界にいると思っていた
社会から疎外された人々とかかわるうちに
人生の歯車が予期せぬ方向にまわりはじめる……
シザーハンズおっさんとゴッドハンド中年女。
マギーは映画という虚構だが、おっさんは現実だ。
マギーの人生は「才能」が開花するまでクリアにされているが
おっさんがどんな人生を辿って「才能」を開花させたのかはまるでわからない。
わかっていることは目撃できた「才能」だけ。
そのたった一つ事実を手掛かりに
残りの「隠された」人生を想像で埋めていくのが映画の使命なのかもしれない。
出版したい人と出版社の橋渡しをする「企画のたまご屋さん」というNPO法人がある。
その理事長で出版プロデューサーの吉田 浩さんが主宰する「天才出版パーティー」が
先週末にアルカディア市ヶ谷で行われた。
ライターやデザイナー、イラストレーターといった、この種のパーティーに定番な方から
代筆職人、スイーツ愛好家、ダイエットアドバイザー、セクシャルアカデミー主催者、
そして、「くだらないネタプロデューサー」と名乗るレアメタルな方まで。
なんでもありな総勢350人もの出版関係者?が集うパーティーに2年ぶりに参加した。

会場は、「なんだかわからない」と故岡本太郎氏がつぶやきそうな
アクティブな熱気が渦巻いていて、
巷でいわれている出版不況がうそのような盛り上がりだった。
パーティー主催者の吉田さんは、
たとえるなら東京国際映画祭のレポートで取り上げた
『少年トロツキー』の主人公レオン少年が
竜宮城へ行って帰ってきたような人。(全然、わからないか!)
出版への突き抜けた情熱を永遠に手放さない、アツい人だ。
ブームを巻き起こした「朝バナナダイエット」の仕掛け人、奥本 芳啓さんと
知り合えたことも大きかった。
とにかく、この日にこの場所で吸収した350のパッションを
消さないように、出版という目標を成し遂げたい。
では前回に引き続き……。
親父は車を最寄り駅の駐車場に停めると、
帰りはおふくろに車で迎えにこさせればいいと、
電車に乗るやいなや、缶ビールを次々空けていった。
アルコールもまた、彼の体内のリンパ系をギンガ系に置き換えることに貢献する。
「あの三角あたまの化け物、いっぺんみたかったんや!」
親父はどうやら『ジョーズ2』に連れていってくれるらしかった。
すっかりできあがりつつあった親父は、
映画館を居酒屋の暖簾のようにくぐると、
「やっぱりあれか。マス席は高いのか?」
とさっそく窓口のおねえさんに軽いジャブを浴びせた。
ここは国技館じゃねーつーの。えいがかん。
おねえさんは頬を急激に焼き餅化させていく。
「ほな、一般席でええわ。ザブトン2枚くれるか」
あるか、そんなもん!
ジャブ2発目ともなると、おねえさんはすっと頬の空気を抜き、
笑っていいのかスルーするか、逡巡の極にいた。
このとき、私の脳内シネマでは『パピヨン』が上映されていた。

なんとか親父を置き土産にしての映画館からの脱獄を思いとどまり、
千鳥足の親父を誘導して席に放りこんで、
終わるまで騒がないよう念力をかけた。
『ジョーズ2』は、
平和なビーチを巨大な人食いザメが恐怖に陥れる『ジョーズ』の続編。
スティーブン・スピルバーグからヤノット・シュワルツに監督が交代したが、
サメに立ち向かうヒーローは同じくロイ・シャイダーが熱演している。

すでに間接描写でサメが出現しているにも関わらず、
「三角あたま、なかなかでてこんなー」
親父はあくびをすると、出てきたら起こすように私に命じて
そのまま意識を失っていった。
そんな親父はうたた寝モードを通過し、爆睡モードに突入していた。
人食いザメが現れる度に、ゆすって起こすが、
親父は蘇生しかけては、「毛布をくれ」とフライト・アテンダントにいうような
セリフをつぶやきながら瞬く間にあっちの世界へフェードアウトしていく。
親父がようやくこっちの世界へ戻ってきたときには、
映画はまさにクライマックスを迎えていた。
サメに襲われている子供たちを助けるために、
救助用ボートに乗ったロイ・シャイダーが海底ケーブルをオールで叩いて
サメを自分の方におびき寄せようとしている。
サメはその音に反応してケーブルを両手でつかんで挑発するシャイダーに襲いかかる。
「うわー、なんじゃありゃ!」
シャイダーの思惑通り、
ケーブルに噛みつき顎から目から火花を噴いて海に沈みゆくサメは
親父の眠気と正月気分を吹き飛ばすには十分だった。
帰宅後、
ほろ酔い親父の目からあやしいギンガ光線が愛犬シローに向けて放たれていた。
親父は釣り竿をのばすと手で叩いて、
私に合図をだしたらシロ―の鎖をはずすよう命じた。
どうやらシロ―をジョーズにしたてて
クライマックスシーンの再現をもくろんでいるらしい。
まだ親父の体内のギンガ系はリンパ系へ戻ってはいなかった。
「ええぞ。はなせ!」
親父はすっかりロイ・シャイダー気取りで
私に顎をしゃくって合図した。
鎖を離すと、シロ―は喜び勇んで親父の脇をすり抜け、
あっという間に姿を消した。
そのまま、シロ―は行方不明になり、
近所の電柱にたずね犬の張り紙をする私は、
失踪したシロ―がスティーブ・マックイーンにみえた。
3日後、顔を真っ黒にしてバツの悪そうな顔でのこのこもどってきたシロ―は
挫折感をたっぷりにおわせて犬小屋で爆睡していた。
そんなシロ―が、最後に流された絶海の孤島にとどまる決心をしたダスティン・ホフマンと重なり、
もののあわれを感じた小学生最後の正月だった。










