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2015/02/16

コンセプト用01

何者でもない人たち
何者にもなれない人たち.

何者かになりたくて
何者にもなれなくて.

留まったもの
留まらなかったもの.

コンセプト02

声が聞こえますか
姿は見えていますか.

車軸で繋がる両輪に在って
ぶつかり合うのは
私たちの中の「けもの」.

今回はこの前コラムで発表させてもらった
来る2015年7月の博多WALDでの写真展「化身(けしん)」の
コンセプトアート、これが初公開です.

写真に文字を置いたりするのは
あまり好きではないので
ポストカードやフライヤー以外で
こんなふうにデザインするのは
着想段階で指針になるものを
ギャラリーや被写体さんへ伝える必要もあるから.

二人の被写体を並べて展開させるという
コンセプト的なものは、初めからそうしようと
考えていたのではありません.

ひとつのことを終え、新しいものへ向かい始める.
そしてもう少し先へ..と写真を撮ってく中で、
誰かと繋がったり、かと思えば切れたりもする.

流れや潮目が変われば、当然ですが
新しい作品として、どう結実させていくのか
変化するし、それはいつも移ろいの中にあります.

そしてこの2月、7月の本展示まで
半年を切ったところで、ひとつの方向として
このカタチへと結び付いた…という感じです.

二人は全くの他人同士で見ず知らず.
その他人同士を僕という作家…
それを車軸として通すことで両輪に置き
無理矢理だけど繋げようとする.

置くというか並列させてぶつけ合わせていく..
相容れないものに軸を通すことから
発生する軋み、歪み、虚実…

どこまでが作り話でどこまでが真実か
もうそれは創る僕自身にも、
被写体となった二人にもわからない.

どちらにとって、誰にとって
それが相応しいことなのか
より残酷なことなのか.

創る側の僕としては、わりとフラット.
並列させて展開してく中で
どちらがどういう役割を…
とかそういったものはありません.

ただ思うのは、翻ってそれはすごく残酷で
意地悪なことをしている..
という自覚もあります.

前作「深入り」で露出や直接的だと言われて
僕自身そうした意識もあったけれど
今作はたぶん見えないだけで、
それよりずっとエグイことのような気がしています.

並列させてくと決めたなら
とことんまで意識して並列させていく.
決して触れ合わせることはしない.

例えばいつものように
ポストカードを創ることにしても
それを今回では「二人分」2種類を制作します.

もしかしたら、いつもの感想ノートも
「二冊」用意するかもしれません.

ただ、僕の意図はどうあれ
二人を撮った作品は同じ空間で
向かい合わされることになります.

誰と誰を比べるのか、比べないのか
何と何を比較するのか、しないのか.

どちらからどう感じて
肩入れするのか
撥ね付けるのか
それがどういう結末をもたらすか.

後のことはもう、全部観てもらえた
人たちの中に何かがあれば、
それで良いと思っています.

冒頭で書いたキャプションも
前々から考えていたものでもなくて
撮ったものを現像編集してく中て
降って来たように浮かんだ言葉…
それを走り書きして並べているだけです.

ただ、言えるのはこうして並べた
二つの写真の隙間が接近したり
離れたりはしながらも、その作品たちが
決して繋がることも接触することも
ないだろうということ.

留まってしまったこと
留まらずに進むこと
選択したことの意味と結末.

隣り合わすけれどくっつかない
むしろその間隙にこそ意味がある.

僕は写真作家であって
精神分析学者でも偉大な批評家でもないから
せめて出来ることといえばこれくらい.

二人分の想いを並べていこうすることさえ
重く、大それたことだと感じてしまうのだけれど.

ともあれ、写真展は7月.
昨年の新宿も7月でした.

また少し、騒々しくて忙しくなるだろうと
思っています.

それはやっぱり余裕とか無いし
物心ともにすごく苦しいし痛い…

だけど、僕はこうして行くしかない.
応えてくれるものを求めてはいないけれど
届きたいってところが未だ消えてはいないと
胸の鼓動が教えてくれるから.

2015/02/16 10:38 | アート, 写真, 未分類 | No Comments

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