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2016/07/08

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宛て処のない「帰り道」を思い浮かべながら
一度は辿った想いの道程と帰り道、
引き返しながら思い出さされ、炙り出される、
かつて自身が「痛み」と呼んだそこに在りしものたち。
それでもなお、その帰途で描き出されるものへ向けて
今度は戻ろうとする。その道を一途、還ろうとしている。

今やただひたすら眩しく光る道と、その先に見えるものを
以前より少しだけ近くに臨みながら、そこから一つ逸れた場所で
全てを抱えたままで振り返ろうとする。

かつて「想い」に向けて踏み出した者の、往きと帰りの物語は
やがて以前よりずっと静かに「帰り道」がはじまる。

確かさと不確かさ、ただ失うばかりではなく、
得たものを抱えて還る場所もまたその目的地なのだから。

「帰還者」展示冒頭文より

写真展「帰還者」、始まってしまえば早いもので
もう二週目になりました.

昨年の写真展「化身」では、初日に作品を構成する
一翼である被写体のケイさんに来場していただけたけれど
もう一つの翼であるところのえりかさんには
残念ながらご来場いただくことが叶いませんでした.

もちろんそこには、いろんな事情があったのだけれど
来場できなかったことを誰より悔しく感じていたのは
他ならぬえりかさん自身でした.

そして今年の写真展で、ようやく
えりかさんにご来場してもらえて、自身を写した
作品と共に撮ることが叶ったのでした.

自分が残した想いのカタチ、それを観ることを
誰よりも望みながら、身体が、心が動かない.
そんな忸怩たるものの中で、彼女にとっては
ギャラリーWALDへの道程は、果てしなく遠いもの
だったのかもしれません.

作品の前に立つえりかさんからカメラ越しに
伝わって来るのは、今日ここに立つまでに
日々感じ、考えたであろう、いろんなものが
綯い交ぜになった、強い想いそのものでした.

脚を運び、再びかつての自分が残したものと
対峙すること..「あのとき」の「あの時間」へ
還って「視る」、という決断をしてもらえたこと.
何よりそのことが、今回のこの「往きと帰り」の写真展に
すごく相応しいような気がして、僕自身胸が一杯になりました.

来た道をもう一度辿ってみる..
そこで感じられること、得られるものは、
帰り道だからこそのものでもあること.
それを教えてもらえたような気がしました.

作品としての区切りが、ひとつ付けられたような
今はそんな気がしています.

2015/10/29

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Model/KIKO.

10月2度目の更新..

夏の写真展閉幕以来、このところずっと
ふらりと旅に出てのスナップ撮りから
ちょっと気が抜けて体調下降とかあって
なんとか2度目の更新に間に合ったかな…
という感じです.

このタイミングでようやく新作へ
向けての新しい展開を始めることが
出来ました.

今回は自分が「人を撮る」ことの
その向こうに、何を見ようと爪先立って
いるのか…少し書こうかなと思います.

今回から共に作品制作に取り組んで
もらっている被写体さんはKIKOさん
この撮影が初めてのファーストショットです.

撮影経験もある程度豊富で
ちょっとこちらが臆するような雰囲気を纏っていて.

僕の個展へ来場していただいて
「自分がただデジタルで消費されてくだけではなくて
『カタチ』として残るものを残したい」
そう言っていただけて作品制作を
共にすることになりました.

彼女を見て、撮りたいと思う「カメラマン」は
たくさんおられることだろうし、
逆に僕ではもったいないような…

またまたそんな気持ちも湧いてこなくはないけれど
僕の作品を直に観てもらって、そう言っていただけことと
その熱意が気まぐれでなく本気だったということに
作家としてこれは本気で応えなければと
今回の撮影になりました.

kiko_colum

kiko_bw03

kiko_bw011

kiko_bw08

・・・そんなちょっとこちらが臆してしまうような
容姿や、雰囲気を纏う被写体さん、モデルさんと対峙したとき
そこでどうしても「人」を撮ろうとしてしまいがちで
当たり障り無い撮影になってしまうことは
写真展「化身」でのkeiさんの時にもあって.

それが良い方に振れるときは良いのだけれど
そうでないときは単に人だけにフォーカスを当てたものに
なってしまうことがあります.

僕自身としてはそこに在る、人を撮ってることは
確かなのだけれども、ただそれのみで完結させようとは
思ってなくて、人と場所と時間、季節…
そこに流れる空気から起ち上がってくる「何か」を
いつも捉えようとしています.

だから、今回のKIKOさんとの撮影では
あらためて「距離感」とか「遠近」
寄れるんだけども離れること
逆にそうでないときに寄れる気持ち…
そんな原点的なことをちょっと強調してみようかと
考えています.
このことは旅の先々で教えられたことでもありました.

だから「作品として残してみたい」
そう想ってもらえたことに対して
僕の今出来ることで応えたいと想うし
僕もまた、そこで何が見えてくるのかを
ファインダー越しに、そしてプリントとして
カタチになったときにどう感じるのか
その一点に向けて、全ての作業をやっていきたい…

そこはやっぱり被写体さんの想いありき…
ではあるけれど、今までと同じに
そこに依りすぎるのではなくて
このところの旅先での撮り歩きでも
感じたのと同じ、そこからの風景、光景から
何を感じ取るのか、何に感じてそこにカメラを向けたのか…

やっぱり僕の写真はそこにあるのかな..と旅先でも
今回のKIKOさんとの初撮影でも感じたことでした.

「人物を撮ること」=「ポートレート」….
単にそこに括られる写真ではなくて
そこに人が在って、想いがあって、
その場所、時間だからこそ産まれ得るもの
結局そのことが、誰かの心を震わせるようなものに
繋がっていくのかな..って考えています.

それが夏が終わってのこの数ヶ月、旅先で
いろんなものに触れたり、撮ったりしたことから
学ばせてもらえたことなのかな..と思ったりしています.

当面は来年3月の2度目の「モノクロームショウ」へ向けての
KIKOさんとの作品撮りとなっていくことと思いますが
彼女の熱意や想いに応えつつ
昨年よりも一歩でも半歩でも進めたこと
ほんの少しでも掘り下げられたことを
感じてもらえるような作品に繋げたいと思っています.

昨年のモノクロームショウ…その作品の完成型..
そこまで行けたらと…

まずは僕自身が作品創りをコントロール出来るとこは
しっかりと把握しながら彼女を撮って出た「色」「彩」
というものに囚われないようにしながら
僕がずっと追いかけている
「モノクローム」を目指したいと思っています.

そこから先に、またあの夏が、
きっと見えてくると思うから.
どうあれこうしてまた、胸の高鳴りを
感じることは悪くはないかな..と
思ったりしています.

2015/10/21

sajin_hito

sazin_03

sazin_sank

「あの日」見たものの続きを
今の僕は見れているのだろうか.
果たしてそれは、自身が、また僕が大切にしたいものたちが
そうあろうとして望んだことなのだろうか.

これから進むべき道とその分岐点は
いつものように砂塵の向こうに隠れて
よく見えないけれど.

此処でこうして向こう側を
いつまでも見つめていられる自分を
せめて今は大切にしたいと思うのだ.

sazin_1096

sa1996_02

sa1996_03

砂丘の砂は姿を変える
時間が見たものの続きを忘れさせる.

けれどここでしか感じ得ない
写し撮り得ないものがきっとあって

だからきっと、いつだって砂塵の向こうにある
あの日見たものの続きを追いかけたくて
今もまたここでブーツを蹴っては三脚を担ぎ、
カメラを手に砂丘を登るのだ.

「ちゃんと見えている..だから、大丈夫」

そう思えるようになるまでには
20年くらいの時間もまた必要だった…
そういうことかもしれないとも思う.

10月.
カバー写真に使っていただいておりながら
更新が遅くなってしまいました.

少しずつ、でも着実に「次へ…」という
気持ちを育みながら、今はちょっと寄り道..
という感じで、風景やスナップを撮ったりしています.

今の自分の行動半径が何処までなのかを
確かめるたのというか…
知りたいと思うことと「あの日」の場所を
もう一度訪れること、そこでの自分が、
これから自分が創ろうとしているものに
どう対話していくのか…

そのことにすごく興味があって最近はよく
各地を旅しています.

とは言っても本格的に風景写真!という感じで
撮ったり技巧を凝らしたりするふうでもなく
持ちたいカメラに付けたいレンズを付けて
気持ちの向くままに撮ってるような感じです.

物語とか、背景に流れるものとかは
全部後付けで、その場で思ったことでも無くて
だから、心象風景ともちょっと違うくて.

でもきっとこの「行動」してくこと、撮ってくことの先に
新しい作品とか、展示とかに繋がっていければと
思うし、いるのだと思っています.

だから今は砂丘の星空と、
植田先生の写真美術館への旅路の中で
あの日見たものの続きを
また懲りずに追いかけてみたいと思います.

sazin_hosi

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今回は旅帰りということで過去も含めながら
ちょっと写真を贅沢に使ってみました.

2015/06/02

cap_kei1
Kei.

cap_erika
Erika.

わたしたちを、繋ぐもの
それがあなたの言う、
真っ直ぐ通した軸だとしても

その両軸から聞こえ続ける
不協和音と免れない違和感で
包まれ、歪み、軋みながら
変異していくこと
目醒めさせたもの

それを止めることは出来ない
止めることなど出来やしない.

6月になりました.
写真展まで1ヶ月を切って
これからいろいろなことが動き出して
明らかになっていくことになりそうです.

思えば写真展のお知らせを
こうして書かせてもらうこと
3年連続なんですね…

それは僕自身初めてなんだけれど
こうして継続と積み重ねることで
新たに届く場所、目指せる世界があるのかな..
とか感じています.

だから、今回はこの写真展「化身」を
あらためて言葉を整えて
まとめ的に書いてみたいと思います.

掲載した写真と、前述した言葉は
実際に会場でもキャプションとして
入り口付近に貼り出すものになります.

構成する作品はキーアートとして
大きいA1サイズのプリント合わせて約30点.
無光沢ラスター印画紙のカラープリントです.

僕の写真展では珍しいことですが
そこに被写体である二人の名前を明記して.

僕自身としては、
1年前から撮らせてもらっていて
ある時点でそれが途絶えてしまった
Erikaさん.

そんなところへ絶妙なタイミングで
ふっと現れてくれたKeiさん.

それは全くの個別で何の共通性も、
繋がりも無いけれど
それこそが実は今回の重点でもあって.

そのどちらが欠けても今回の写真展での
作品構成は成り立たなかったことで
それを踏まえて考えると、僕の写真展の中では
一番女性的なものになったかな..と思います.

「こちらが主演のように思えるけれど〜
きっとほんとは〜だよね」

「メインに据えられるものを
〜にしているのはたまたまですか?」

・・・そんなふうに
ポストカードやフライヤーを観て
やりとりしてもらえることが
なんだか自分でも嬉しくて.

ギャラリーにはいつもの感想ノートの他に
「被写体さんへ向けて」のノートも置きます.
そしてそこへ書いてもらえた言葉たちは
お二人のどちらにもお伝えします.

「二軸相反」

真ん中に在って作家として通した車軸の
その両輪に繋がれた二人の中で動くもの
そしてそこで感じられ、伝わる気配と
動き始める何か.

不可触な、確固たる絶対感か
抗い、足掻くものか

それはどちらが…なのか
どちらも…なのか.

まずはそんなふうに作品構成の中へ
導入させてもらえたらと思っています.

2015/02/16

コンセプト用01

何者でもない人たち
何者にもなれない人たち.

何者かになりたくて
何者にもなれなくて.

留まったもの
留まらなかったもの.

コンセプト02

声が聞こえますか
姿は見えていますか.

車軸で繋がる両輪に在って
ぶつかり合うのは
私たちの中の「けもの」.

今回はこの前コラムで発表させてもらった
来る2015年7月の博多WALDでの写真展「化身(けしん)」の
コンセプトアート、これが初公開です.

写真に文字を置いたりするのは
あまり好きではないので
ポストカードやフライヤー以外で
こんなふうにデザインするのは
着想段階で指針になるものを
ギャラリーや被写体さんへ伝える必要もあるから.

二人の被写体を並べて展開させるという
コンセプト的なものは、初めからそうしようと
考えていたのではありません.

ひとつのことを終え、新しいものへ向かい始める.
そしてもう少し先へ..と写真を撮ってく中で、
誰かと繋がったり、かと思えば切れたりもする.

流れや潮目が変われば、当然ですが
新しい作品として、どう結実させていくのか
変化するし、それはいつも移ろいの中にあります.

そしてこの2月、7月の本展示まで
半年を切ったところで、ひとつの方向として
このカタチへと結び付いた…という感じです.

二人は全くの他人同士で見ず知らず.
その他人同士を僕という作家…
それを車軸として通すことで両輪に置き
無理矢理だけど繋げようとする.

置くというか並列させてぶつけ合わせていく..
相容れないものに軸を通すことから
発生する軋み、歪み、虚実…

どこまでが作り話でどこまでが真実か
もうそれは創る僕自身にも、
被写体となった二人にもわからない.

どちらにとって、誰にとって
それが相応しいことなのか
より残酷なことなのか.

創る側の僕としては、わりとフラット.
並列させて展開してく中で
どちらがどういう役割を…
とかそういったものはありません.

ただ思うのは、翻ってそれはすごく残酷で
意地悪なことをしている..
という自覚もあります.

前作「深入り」で露出や直接的だと言われて
僕自身そうした意識もあったけれど
今作はたぶん見えないだけで、
それよりずっとエグイことのような気がしています.

並列させてくと決めたなら
とことんまで意識して並列させていく.
決して触れ合わせることはしない.

例えばいつものように
ポストカードを創ることにしても
それを今回では「二人分」2種類を制作します.

もしかしたら、いつもの感想ノートも
「二冊」用意するかもしれません.

ただ、僕の意図はどうあれ
二人を撮った作品は同じ空間で
向かい合わされることになります.

誰と誰を比べるのか、比べないのか
何と何を比較するのか、しないのか.

どちらからどう感じて
肩入れするのか
撥ね付けるのか
それがどういう結末をもたらすか.

後のことはもう、全部観てもらえた
人たちの中に何かがあれば、
それで良いと思っています.

冒頭で書いたキャプションも
前々から考えていたものでもなくて
撮ったものを現像編集してく中て
降って来たように浮かんだ言葉…
それを走り書きして並べているだけです.

ただ、言えるのはこうして並べた
二つの写真の隙間が接近したり
離れたりはしながらも、その作品たちが
決して繋がることも接触することも
ないだろうということ.

留まってしまったこと
留まらずに進むこと
選択したことの意味と結末.

隣り合わすけれどくっつかない
むしろその間隙にこそ意味がある.

僕は写真作家であって
精神分析学者でも偉大な批評家でもないから
せめて出来ることといえばこれくらい.

二人分の想いを並べていこうすることさえ
重く、大それたことだと感じてしまうのだけれど.

ともあれ、写真展は7月.
昨年の新宿も7月でした.

また少し、騒々しくて忙しくなるだろうと
思っています.

それはやっぱり余裕とか無いし
物心ともにすごく苦しいし痛い…

だけど、僕はこうして行くしかない.
応えてくれるものを求めてはいないけれど
届きたいってところが未だ消えてはいないと
胸の鼓動が教えてくれるから.

2015/02/08

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2月.
ここJUNKSTAGEさんの方もリニューアルされるとのこと.
それに応じてコラムの連載形式も変わるとのことで
大きな変化の中で、これからも僕のコラムがここに在ること
そこで果たしてちゃんと応えられるものが書けるのか
ちょっと不安だったりしているところです.

告知の写真の方が先に来てしまいましたが
「MONOCHROM SHOW」開催まで1ヶ月切りました.
作品の方はほぼ完成、という感じです.

なので今回は「MONOCHROM SHOW」出展作品について
少し話したいと思っています.

テーマは「モノクロであること」とギャラリーWALD指定の
270mm×270mmの木製パネルを使用すること.作品は2点.

掲載したポストカードにもありますが
写真だけではなく絵画やオブジェあらゆるものから
作品を創り出しておられる、福岡アートシーンの
錚々たる作家の方々が参加出展されています.
並んだお名前見るだけでドキドキしてしまいます.
ていうかぼくも出展作家なのですが…

こっからはJUNKSTAGE限定、このコラムでしか
書かない「MONOCHROM SHOW」出展作品の
制作にまつわるお話です.

僕の作品はというと、やはり写真なのですが
暗室時代からデジタルと、ずっと自分自身の
「モノトーン」というものを追いかけてきて
このグループ展で何が出せるのか、写真だからこその
写真でしか出せないモノクロームがあるのか..
と考えてみて、ひとつだけ、昨年の夏に東京で出逢って
試してみたかったもの.

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それが「アクリルフォト」でした.
写真ていうのは平面作品なわけだけど
僕が出逢った分厚いアクリルの向こうに見えた写真と
その映像世界は果てしなく透明で、平面であるのに
まるでこちらへ浮き上がって来るみたいな感覚があって

ギャラリーのスポット照明が、その厚いアクリルの槽に
入った後その中で角度を変えながら反射したり、
透過したりしながら作品を浮かび上がらせているようで.

透明度の高いアクリル、その向こうに貼られた写真
通過して出て行った光、閉じ込められた光…
たくさんの「光」「像」そのものがアクリルと写真の間にあるみたいで
それを「アクリルフォト」加工と聞いたときから
いつか機会があればやってみたいと思っていました.

それが僕が今回「MONOCHROM SHOW」へ出展する作品になります.
・・・で、これが生半可な加工ではないと
制作を始めてから色々解って来たのですが…

まずいつものようにお世話になってなっている
プリント、仕上げの職人さんに作品のプリントをお願いして
アクリル仕上げ前提なので僕の作品には
珍しい光沢での仕上げになり、プリントの方は順調に完成.

ここから写真前面に厚いアクリルを被せて仕上げるのですが
これが福岡、九州どこにもそれをやっているとこがないと.
作品そのものに重いアクリルを乗せる作業というのが
ものすごくデリケートで、ほんの小さなゴミやホコリの
混入も許されないシビアな作業となり、
リスクを考えるととても受けられない加工とのことでした.

mono03

じゃあどうしよう..どこもやってないからと
やっぱり諦めたくはない..どうにか実現させたい.

そこでやっぱり新宿で写真展したことって
こんなときに活きるんですね..
アクリルフォトをやっていて、信頼できるところを
東京の方から教えていただくことが出来ました.

そういうわけで270×270のプリントを2点
まずは試作として3mm厚と5mm厚を試してみました.

写真ではわかりにくいと思いますが
透明感とアクリルの切断面に至るまで
結果は完璧な仕上がり.

あとはギャラリー指定のパネルに貼り込むだけ…
アクリルの5mm厚ともなるとかなりの重さになるので
重みに耐えられるような接着方法があるのか
テストを兼ねて合わせてみましたが問題無さそうだと.

これで貼り付ける目処もたち、これならば10mm厚も
大丈夫そうだということで、最終的に10mmもの厚さのある
アクリル加工の作品になりました.

「MONOCHROM SHOW」というタイトルなだけに
モノクロの仕上がりには完璧を期すことがまず基本.
過日の写真展ではラスター無光沢プリントの
ギャラリーの照明に依って赤味が出て見えることで
すごく悩まされました.

なので、今回事前にプリントしたものを
WALDの照明下で見てみることも、すごく大切なことでした.
その結果、今回のプリントのモノトーンの仕上がりは
ほんとすごく良いトーンが出ていて赤味も無し.

参加される作家の方々のレベルを考えると
それなりに自分に出来る手は尽くして
創れたとも思うのですが、やっぱり怖いものは怖い…

だけどこのアクリルの槽の中には被写体さんや
完璧なモノトーンをプリントしてもらったラボの方
デリケートなアクリル加工を仕上げてもらえた
東京の製作所の方..たくさんの最高の人たちの手を経て
それを凝縮したように閉じ込めているものだから
そこのところは、胸を張って出せるかなと思っています.

mono05

mono06

後は実際展示するパネルに、イベントカラーと
クリアーを塗って仕上げます.ここでもWALDの森オーナーに
すっかりお世話になってしまいました.

マスキングテープを剥がしてパネルの準備は完了.
これにアクリル10mm厚で仕上げた作品を貼り込むだけです.

写真を額に入れての展示、ガラス越し
パネルにして生の感触での展示
それぞれ良さがあるけれど

今回初めてアクリルを使った加工をやってみて
写真と観る側との間に少し距離のある展示形式は
どんなふうに届くのかな..とすごく楽しみにしていて.

透明感と反射したり透過する光と
切り落とされたみたいな切断面と
浮き出るようでいて、閉じ込められもする.

正面から、横から..いろんな角度から
観てもらえたら良いなって思っています.

「MONOCHROM SHOW」出展作のタイトルは

「Kの槽」
-いつもそれは見えにくいものだから
切り口を透明にしてみたのです
そうすればきっと…-

タイトルの方はほぼ確定で「K」は僕の姓から..
だけでなくて、アクリルの向こうの被写体さんが
Keiさんだからというのもある感じです.

キャプションは多少いじるかもしれませんが
この文面である程度伝われば良いなと思っています.

作品のお披露目は・・・やっぱり3月4日です.

■2/9追記

ac01

ac02

今回試作した限りなく完成に近い展示公開前の作品は
無事モデルとなったKeiさんに直接触れてもらえる機会を得られました.

少し不思議そうに観てから、ふっと笑顔になってもらえる.
それって写真することのすごく大切な部分で.

それで互い交わされるものはただデータ渡すことの比じゃないと思えて.
費用も手間もかかることだけど、こんなふうに
想いのやりとりがそこにあるのなら、それでも良いな..と.
僕は写真を触れられる媒体としてやりたいな..と思ったのでした.

公開は・・・やっぱり3月で.

2015/01/24

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決して車軸の両輪のような関係には
なり得ない、むしろ互いに相反して
摩耗するものと知りながら.

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それでもそうすることに
何らかの意味を持たせて
絡ませようと推し進めていくとき.

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M1001923

いつしかそれは、作品を形成するにおいて
互いに欠くことのできない、
密接な関係となるのかもしれない.

元日に更新すると随分間が開いてしまった
ようにも感じてしまいます.

今回はまだ少し先の話になるけれど
夏に向けてちょっとずつ自分の頭の中で
練られている作品展開について書こうと思います.

現段階で、次回の展示ではおそらく
二人の被写体さんを織り交ぜたカタチに
なると考えています.

「絡み」

と、ちょっと扇情的に書いたけれど
「深入り」では一人の被写体さんを
数年かけて撮り続けた流れと変遷の中で
そこに「距離感」というものを意識して
構成していました.

今まで写真展して構成した作品中に
複数人、別個の被写体さんがいたことはありましたが
特別それを意識したことはありませんでした.

けど今回はあえて二人の被写体さんがいる…
それをはっきり意識して創ろうと考えています.

「俯瞰した視点で」と言い表すこともあるけれど
僕はそういう神の視点的な切り取り方を
出来ないと思うので、どこまでも正面から、
それぞれが写ったカットを両軸の関係として
視よう、創ろうとする.

フォーカスする二人の被写体さんは他人同士.
僕が撮った、ということ以外に
何らかの繋がりがあるわけでもないので
そこに相容れないというか、
どこか無理が出てくるのは当然だったりします.

撮られた時間、場所…
そこには両者それぞれの気持ちと想いが
あって、それは二人だけが持っているもので
同じものは二つとは無い、柔らかいようですごく硬いもの.

そんな硬質なもの同士を(無理矢理)絡ませようとして
作品構成をしていくと、乱暴なやり方でありながら
そこに扇情的な匂いのするものが立ち現れていくようで.

比較して比べようとするのか(何を?何と?)
同位置に置こうとするのか(何処と何処を?)
全く別個のものとして扱うか.(差をつける?つけない?)
そんな底意地の悪さと自己嫌悪とかもありながら…

それを考えていると、車軸という位置にいるのが
自分で、一人の作家として思うのは、
何もその両輪がいつでも円滑である必要はなくて、
むしろ両輪相反するものであったときに
問われるのは車軸となる者のチカラとか強さ.

それでも転がそうとするところに
作家のエゴを感じないわけではないけれど
そういうものを求めて新しい作品を創るのも
良いのではと、そんな感じで考えています.

複数の想い同士を絡ませて両輪として展開する…
またそんな難しくて深い領域に行こうとしてるくせに
いつも通り、自信なんて全くなかったりもして.

そもそもそういうことが写真で可能なのか
それもまた、今の自分には解らないけれども.

人の想いや痛み、感情というものの全てを
写真家、作家一人が制御出来たり動かしたり
把握出来たり、出来るつもりで何か達観したかのように
作品発表することはすごく大それたことだと思っていて.

ならばせめて、一作家として出来ること
それまで全く無関係だった人や物事の
感じたり抱えたりするものたちを
一人の作家を通して描き出していくことで
何かしら新しく産み出されたり
紡ぎ出されたりしてくものに仕上げていくこと.

これなら自分にも出来る可能性がある.
被写体さん始め、作品に関わり、触れてもらえた方々の中で
何か残せて、繋がればいいなと…

そういう関係性の中で、作家っていうのは
「車軸」となり得る存在だと思うから
ならなければならないと思うから.

少し複雑な作品になるので
導線となるような、キャプション的なものを
たとえば図録であったり、展示解説であったりと
綿密に考えてみたいとも思います.

あと、今回はたぶんカラー作品になります.
カラー作品は2001年の、湯布院での個展
「Freeze Blue」(於ギャラリーブルーバレン)以来です.
あのときは確かカラーとはいっても青しか無かったような気がします.

でもモノクロへの未練はもちろんあって
「あなたのモノクロが観たい」って言ってもらえるのは
すごく嬉しいけれど、今回は「色」を出してみようかと.

タイトルは…初発表で未だ仮称ですが

「化身(けしん・けもの)」(仮)

自信が無いのでグレー表記です…

次回はいよいよ3月に迫った「MONOCHROM SHOW」のこと
書きたいと思っています.

2015/01/01

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デザインその1.「新宿・感謝を伝えたい篇」

2015nenga_01
デザインその2.「それでも、もう少し先へ行こうと思う篇」
青いのは切なさか、とめどない冷たさか…そんなブルーです.

読者の皆様新年あけましておめでとうございます。

このコラムが掲載される頃
僕はちょうど東京から帰還している時間かな.

S氏..との再会は..新宿ロフトでの
2014年締めくくりと、
これから…これからのこととか
少し見えて来たりもしているでしょうか.

今年もまた、昨年同様に年賀状のネタバレから
2015年を始めたいと思います.

昨年はWALDでの写真展のご来場の感謝というか
サンクスレター含めて3種類の年賀状を
創りましたが、今年は2種類にしました.

デザインその1.「新宿・感謝を伝えたい篇」は
タイトル通り、新宿の写真展へご来場して
いただき、ご署名いただけた方々と
それを支えていただいた方々へ
ただただ感謝の気持ちを込めて出させていただきました.

デザインその2.「それでも、行こうと思う篇」
こちらは、やっぱり生きてくだけでも大変なのに
その上で作品創りしてくわけだから、
いろんなことあってそれに嫌気がさしたり
ぐったりしたりもするし、そのたびに疲れもするけど
でも、やっぱり胸の高鳴りがある限りは
頑張ってみたいよね..という想いを込めて
2014年にあったいろんな場面での
写真を使って作ってみました.

それぞれ、この方にはこれかな…
という感じで、色々想い描きながら
宛名書いて発送しました.

2014年、昨年このコラムに

それぞれの想いと
それぞれの行方と

切り拓きながら進む.
そんな2014年です.

と書いていますが
自分の写真が自分の写真で
ある限りは、大げさ、誇大と言われても
そこから離れられはしないということが
昨年よく解ったので.

じゃあそういう場所で作品撮る、創るときの
ワクワクとか、ドキドキとかの
どんな小さなことでも気付いていられるように…

それはきっと原点みたいなものだと思うので
そこを大事にしながら、大きくなくていい
もう少し、ほんの少しだけ先へ
自分の写真を持って行きたい..そんな感じです.

今年もまたどうぞよろしくお願いします.

2014/12/29

co_last06

co_last05

co_last04

それまであった全ての事象と
自らが尽くせるありったけのもの
そこで導き出された答え
ひとつの結末と果たされたものと.

co_last02

co_last03

それまでに費やされた物心両面と
あらゆる想い.

苦しみ、哀しみ、負荷、負担、
温もり、冷たさ…愛.

それでもなお、胸に残る熱を
未だ燃え尽きずにいる僅かな火種
ただそれだけを頼りに

お前はその先へ
行こうとするのか?
行くことが出来るのか?

人の手の及ばぬ部分へ
手を伸ばすとき
それまでこちらから問いかけていれば
済んでいたものが
こちらに向かって
鋭く問いかけてくるものに変わる.

それでもなお…

2014年最後のコラムになります.
ここで新作からのカットをささっと掲載して
来るべき2015年へ向けて…

と行くべきところだけど
もう一つ、まだ今年果たすべきものが
残っています.

今年の7月、僕は新宿、しかもPlaceMという
夢みたいな場所で写真展することが出来ました.

それは今自分の手が届き得る最大限のところ.
自分が写真やって来たひとつの結果として
区切りを付けられるものになりました.

その辺りのことはたくさん書いて来たので…

実はそこでもう一つ、果たされた約束というか
結実したものがあって.

ここでは仮にS氏と呼ばせていただきますが
きっかけは2008年3月僕の体調が
急変したことから始まります.

一時は最悪の事態も考えられたりしながら
検査検査の毎日と進む症状.

自分の身体が予想も出来ないような
何か別のものへ変わって行く恐怖.

もう一度、再出発をと踏み出したところでの
病気によって身動き出来ない日々.
繰り返される頓挫と挫折.

THE STARCLUBのサイト.
すがるような気持ちで掲示板に書き込みをしました.

活動30年を越える、日本を代表する
パンクバンド…ファンの方々のみならず
メンバーからも言葉を頂きました.

「来る5/25のS☆CのGIGを撮ってもらいたい..ノーギャラですが」

それはTHE STARCLUBのご意見番
多くのロッカーたちから愛されている…
そんなS氏からの一声でした.

2008.5.25 博多DRUM SON
僕はTHE STARCLUB 「FANSのカメラマン」として
そこにいました.

たった一度の人生、生きてく中で
心底から完全燃焼した、もうこれ以上はムリだと

「心震わせる」

瞬間というものが幾度あるだろう
そんなことを考えながら撮影していました.

S氏は僕にこう言いました

「病気してる、そのことへの励ましとか
美談とかそんなんじゃなくて
落ち込んで悲劇の主人公気取ってるくらいなら
もっと他にやることあるでしょ
それを見失っちゃいないんでしょ
じゃあやろうよ..エールじゃないよ
オレはそのための火をつけるだけだから」

そしてこうも言いました

「そんでいつか、それがいつになってもいいから
君が何かを掴んで、そこへたどり着けたとき
今度はオレをそこに呼んでくれよ」と.

それから実際ほんとにすごい時間が
必要になってしまったけれど
たどり着いた場所…
それが2014年の新宿だったわけです.

こうして書くと、まあなんて素敵な話…
と思えてしまうかもしれないけれど
そこまでに至る経緯はもう…見映えとかスタイルとか
カッコとか拘りとか全部捨て去って、なり振り構わず
ただひたすら生きて、写真撮って、創り続ける..そんな日々で.

ただ言えるのは、日々の一日一日を
真正面から受け止めて、言い訳して逃げたり
小賢しい小細工を弄したりしない…

そういう真っ直ぐさというか愚直というか
そんな時間だったことは間違いなくて.

またそんな生き方が現実にあって、
自分にもそれが出来るのだと
今更のように気付けた上で迎えた
昨年から今年にかけての写真展でもあって.

その気持ちをそのまま持って行けた新宿で
S氏に報告が出来て、会場に来てもらえたこと.

それは写真作家としてのステイタスのための
写真展の実現とS氏との邂逅ではなくて
もっと単純で無邪気なもの…

「ほらね、やっぱやれたじゃん」

そう、もうその一言で
全部は語れているような気がして.

あんなにたくさんのことを経て
ここにいるのだけれど、100の言葉よりも
互いに深く届くものがそこにあって.

co_last01

僕が勝手に思ってたことだけど
どうにかあのときの約束が果たせたと.

そんな2014年という年を締め括るために
12/30新宿ロフトでのTHE STARCLUBの
イヤーファイナル…
それが一番相応しいだろうと、そう考えました.

心「踊る」よりも「震える」ようなこと.

もうやれることはやり尽くした
もうそろそろいい頃合いだと
妥協したり諦めたりが少しずつ増えて行く中で

それでもなお、あの身を焦がすような場所と
眩しく輝いて見えるものがあるのなら
未だ僅かに残る自分の中の熱源に
身を任せて進もうとするのか…

半端な気持ちで進めば
致命傷にもなり兼ねないどころか
自分が大切にしているものごと
壊してしまうかもしれない危ういバランス.
でも惹き付けて止まないもの.

ちょっと大げさになってしまったですが
2015年は3月、福岡のギャラリーWALDでの
「MONOCHROM SHOW」に完全新作で参加します.

あと7月…どうやら僕は夏に縁があるみたいですが
同じくWALDで写真展開催予定です.

その後のことは…
やっぱりちょっとまだ言えないかな…
というのが本音だったりします.

怖いというのもあるけれど
言ってしまうと抑えきれないものが溢れてしまいそうだから.

次回からもう少し楽に写真やりたいな..と
いつもいつも同じことを思うのだけど
楽だったことなんて一度も無いのになんでだろ…

今年も1年、このコラム読んで頂き
ありがとうございました.

ほんとに文章として拙劣で、
どんどん破綻してるような気がして
恥ずかしい感じですが…

来年、またお逢い出来ればと思っています
約束した場所で.

2014/12/18

bwch01

BW Challenge‬ Day1.
2008.9.28. 1:26 AM.
Model/Yukiko.

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BW Challenge‬ Day2.
2013.3.19. 23:21 PM.
Model/Erika.

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BW Challenge‬ Day3.
2014.11.25. 21:43
Model/Kei.

bwch_07

BW Challenge‬ Day4.
1998.Self and Miz.
「自我の灰色」福岡〜新宿1998より.

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Day5.final. 2001.
Model/Anonymous girl.
「自己嫌悪病棟 case1夜来るもの」より

前回の項で次回が今年最終回、と書いたけれど
ひとまずそれはおいとくことにして.

過日、僕はFacebookを中心に各国多くの
写真を撮る方々が参加している
「bwchallenge.」に参加することになりました.

ルールは5日間、1日ずつモノクロ写真を掲載して
#‎bwchallenge‬のハッシュタグを付ける..と.

特に縛りは無いみたいだったことと
敬愛している作家の方からの繋がり
だったので、託されたものを大切にしたいと
思って作品掲載することに決めた次第です.

ちょうど来年3月には福岡で「MONOCHROM SHOW」に
参加出展することでもあるし、新旧絡めながら5日間、
この機会に自分のモノクロームとトーン、階調にもう一度
対峙してみるのも良いのかも..という意味もありました.

それで、本来コラムのこの回は、
今年最後を締めくくるに相応しい
ものを用意していたのですが

5日間を終えて、掲載した作品の
それこそ新旧入り乱れながら、また
自分自身や今はもうわからない「誰か」へ向けた
手紙を書いているような感覚にもなって来て.

じゃあこの際、このコラムの場を借りて
それをずらっと羅列させてもらいながら
テキストを書いてみるのも試みとして
意味のあるものかもしれないと…

だから今回は、もう誰なのか、何故なのか
わからなくなってしまったものたちへ向けた
「モノクロームの手紙」..です.

ほとんど思いつくがままに記すので
長くなると思いますが…

Day 1.
一夜のうちの、数時間のうちに
紡ぎ出されてすぐに引き裂くように
千切れてしまったような夜の..そんな時間の中の1枚.

寒かったのか暑かったのか
何を会話で交わしながら撮ったのか
それさえも忘れ果ててしまったけれど

シャッターを切る度に自分の何処かが
痺れていくような、自分が知っているのとは違う
何処かの異世界へ連れて(連れられて)来て
しまったような…
そんな感覚だけは今でもはっきりと覚えています.

プリントして「展示」というカタチに
なっていないシリーズでもあって
まだこれをそうする時ではないのか
もうそうすべき時は過ぎてしまったのか
判然としないままのシリーズです.

そうするに相応しいプリントのカタチ…
銀塩とデジタルが僕が望むトーンを
プリント出来るような手段に巡り会えた時が
この作品群を出すべきタイミングかなと思っています.

Day 2.
実はすごく「とっておき」だったけれど
いろんなことが重なって行き先を失ってた作品.

この日は撮り進めている作品の経過報告と、
プリントのお渡し..で済むはずだった
そんな日の、撮るはずのなかったアクシデントのような
作品たちです.

OLYMPUS PEN E-PM2やフジのX20といった
いつもはスナップに使っている
軽量機材での撮影で、すごく乱雑な撮影現場になって
いつもの機材とは違う、不自由なファインダーの向こうで
後から後から溢れる意思と、熱に煽られるように
また深い夜へと入り込んで行って撮られたものたち.

いつだって自分の手に負えない「想い」って絶対あって、
それが何かを創る、産み出す..そんな方向へ向いたとき、
思いも寄らぬ、途轍もないものが残されていく…

或いはそこで何かを得たり失ったりもするけれど
あそこでそうしない限りその先へはきっと
進まなかったのだろうと思う作品たちです.

Day 3.
今まさに現在進行形になるシリーズです.
2015年へ向けての、起点になり得るのか
まだ模索の中、僕自身もまたすごく
楽しみでもあります.

昨年の福岡、今年の新宿と僕は写真展の会場に
言葉を添えることをしなかった.
それはたぶん、今まで言葉に依りすぎていたから.

でも写真と言葉、テキスト、キャプションの関係、
繋がりや言葉を使う危険さ..それをしっかり把握して、
的確で上質なキャプションやテキストを添えて
作家側からの最低限のものを伝えて
その上で作品観てもらうことをより深いものに出来ればと
考えたりしています.

「言葉を手に入れるための写真」
そこへある程度は誘導しても良いのではないのかと…
このコラムでもまだ全くそこへは至っていないっていう
自覚はいつもありますが…

特に新宿での開催では、
自分の知らない街
自分のことを知らない人たち..

そういう場所だからこそ「テキスト」は
必要だったんだろうと思っていて.
それがフィクションでもノンフィクションでも.

それでもやっぱりあれはもう精一杯でもあって.
そこで出せるものを僕は持っていなかった.
課題となるものはそこから先にある感じです.

Day 4.
1998年の初個展「自我の灰色」から.
この写真展で「自我の灰色-Tokyo Edition-」として
僕は初めて「新宿」で写真展を実現…
と経歴上ではなっていますが、この時点での僕は
何も実現出来ていない..どころかむしろ死んでいて.

そんな状況の中にいて、それは全部自分が招いたこと
なんだけれど..ここからもう一度、
新宿へたどり着くまでに16年が必要になるわけで.

画面左に立っているのは僕自身で、レリーズケーブルを
使って撮影.ゴミ袋の後ろからストロボを入れて
手前からももう一灯…つまりライティングの計算や
コート、人が入れるサイズのゴミ袋…などの小道具と
このカットにはコンテがあります.
つまり初めから、これを撮るつもりだったわけです.

外見上も内面的にも、セルフポートレートでもあり
これが始まりでもあり、終わりでもある…

「愛しているのに」
「愛しているから」

これが撮れたから今がある.
撮らなかった未来もきっとあった.
それが幸せなことだったのか、
それとも撮らないでいた方が良かったのか.

そういうのが全部この一枚に入っている
ある意味決定的な作品です.

Day 5.
5日間のラストカットは
2001年の個展「自己嫌悪病棟 case1夜来るもの」 から.

この写真展はもうとにかく暗室とプリント..
それに尽きるような感じです.

それを現すように画像でも解りますが
何度も何度もネガキャリアに出し入れした証に
ネガに傷があります.
それがやけに生々しく感じられて.

全30点、508×610の大全紙を手焼きして
手作りの木製パネル貼りで展示したのは
後にも先にもこの写真展が最初で最後.

暗室の備わった滞在型の芸術施設
山口県の秋吉台国際芸術村に泊まり込んで
ひたすらプリントしたのですが
その合間、ふっと一息、喫煙所で見上げた
秋吉台の空の星がすごくキレイだったこと.

共同キッチンでの自炊とプリントの水洗、乾燥待ちの時間に
利用されていないホールを独占して好きな映画観たり.

アートだけに触れていられる場所に滞在することは
それは今思い出しても、胸が高鳴るようで
だから今でもあの「暗室」に焦がれる自分がいるのかなと
思っています.

少し専門的な話になりますが
この作品に使用している印画紙は
ILFORD マルチグレード4
FBファイバー/無光沢/滑面/バライタ印画紙.

実は僕は個展ではこの印画紙しか使っていないのですが
この印画紙が出してくれる黒の深さとトーンに
近づきたくて、昨年からの個展ではマット紙を使っています.

だけどこの印画紙が持つ圧倒的な黒の深さと冷たさ
無光沢に触れたときの感触にはまだまだ及ばない.

その上で、美術館収蔵などにも耐えうる
アーカイバルプリントにも適した印画紙なので
もうここまでの大規模な手焼きプリントをすることも
ないだろうと当時考えて、ウォッシュとリンスを施したのみですが
13年後の今も保存状態はすごく良いです.
いつか再び..があるかどうかはわからないけれど.

作品としては、その当時までは絵コンテとか
小道具で、まず先に物語やコンセプトありき..
の撮り方をしていたとこから
「今、ここで起こったことそのもの」を
紡ぎ出しながら撮る方向にシフトしたという意味でも
すごく重みのある作品です.

以上5日間の掲載作品が、混沌とクラクラ感でいっぱいの
作品だったことが、こうして並べてみるとよく解ります.
そして案の定、よくわからない長文になってしまい…

初個展から今年まで16年、その他入れると
およそ20年くらい、ずっと「モノクローム」と
階調、トーンを求め続けて来た自分がいて.

それはきっと技術とかノウハウでは無くて
ただひたすら求め続けること、
届きたいものに手を伸ばし続けること.

近づいてるのか、遠ざかってるのか
そのことよりも、そのときの自分が
「これが、自分の階調なのだから」と
前を向くことが出来るか.

写真を…その想いひとつと
求めたモノクロームのトーンのみで
ここまで来れていること.

それを手紙に書き添えて「モノクロームの手紙」を
投函したいと思います.

誰に宛てたものかは、今はもうわからないけれど
まだ見失ってはいないから.

■12/19 追記

このコラムを一気に書き上げたあと
不意に激しい吐き気に見舞われ…嘔吐.

人間っていうのは
意識下で、拒絶しているものや
それを現実として受け入れられないものと
向き合ったり、受け入れなければならない状況で

何かを強行して推し進めようとするとき
こういう反応が起こるものなのかもしれない.

思い出して現したいことと
それを拒否、拒絶しようとする反応.

撮ったときのその場では
どうでもなかったものが
何ヶ月か、何年かを経て
堰を切って押し寄せて来る感じ.

コラム書き上げて、作品を
ブラウザで並べて観ているときの感覚.

吐き出して自分の中から何かが出ていく感じ
もちろんそれは苦しいんだけれども
産み出そうとするってそういうことなのだと
どこかで納得する自分もいて.

それはきっと、今回僕が書いた「手紙」への
返事だったように思えてならない.

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