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2013/07/03

お久しぶりです。 あっという間にもう7月ですね!長い間、休載すみませんでした。

本当はもう少し早く更新をしたかったのですが、大学病院で手術を受けることになったばっかりに色々なハプニングがあり、結局手術は2回も延期になり、3月に無事手術を終えてきました。まだ、今月中にもう一度放射線治療のための入院があるのですが、少しずつ更新予定です。

大学病院での初診は1月7日。 鹿児島大学病院での甲状腺診察日は週に2回しか無いので前の病院から紹介状を受け取ってから1ヶ月ほど待っての初診。

以前の病院では手術を含めての入院期間は2週間程度と聞いていたのだが、大学病院では高度な技術をたくさんの患者さんに提供することが目的ということで要するに、大学病院での技術(治療)が終わったらあとは家に帰るか転院して様子をみてください。という流れが当たり前らしく、先生に言われた入院日数は手術含めて7日間。

入院が憂鬱で仕方なかった私にとっては短い入院期間はラッキーな話だったのだが、入院案内の説明を受ける際に「個室希望」とお願いしたら「個室は病院側の判断で重症患者優先になるので甲状腺じゃ大部屋だと思いますよ・・・」とのこと。 普通に考えたら「癌」っていうだけで重症なのに大学病院からしてみれば甲状腺癌は軽症のレベルに入るということに驚きつつ安堵。

結局、個室はダメということだったので大部屋で我慢することを前提にいよいよ手術日と術前検査日が確定。

術前検査はかなりの診療科のハシゴの上に、造影CT、PET-CTなど初めて聞く検査ばかりな上に外来診療日はだいたい週2~3日という診療科ばかりなので相当な日数と時間がかかるのだが、「屋久島から来るのでどうにか少なめの日程でお願いします。」とお願いし、相当キツキツなのだが2日間にまとめて検査を受けられるように調整してもらった。離島在住はこういう面で優遇してもらえるからありがたい。

で後日、術前検査も終わらせて手術まであと少しというときに、主治医から、普通じゃ考えられないような発言。

「実は日高さんを見かけた脳神経外科の教授が別の病気の可能性も疑っているみたいで脳神経外科へ一度行ってみてもらえませんか?」と。

さすが大学病院。すれ違った患者さんのことまで心配してくれるんだ・・・感心しつつ、結局このせいで当初の手術日は延期となる。

後日、脳神経外科の診察を受けに行ったのだが、検査の結果は経過観察ということで「また1年後に・・・」とのこと。ただ、普通の病院だったら1年後をめどに自分でおおよその日程で検査に行くのだろうが、さすが大学病院。1年後にきっちり予約を入れられた。「採血があるので朝食は食べないでくださいね。」と言われたが1年後のことなんて覚えているわけがないだろ~!と思いながら手術日を待った。

そして入院まであと1週間ほどとなったある日、携帯に大学病院から電話が・・

電話の相手は私の主治医。話を聞いてみると、「緊急で手術をしないといけない患者さんが居るので手術日をずらしてもらえないか?」とのこと。 相変わらず私の甲状腺癌の手術は緊急性が無い軽症なのね~などと思いながら、知らない人の命を救うべく、2度目の手術延期。

で、当初の予定より1ヶ月遅れで無事入院と手術を終えてきました。

大学病院って高度な技術の上にとても忙しいんだなぁと思いながらまだ月1ペースで通院中。

術後すぐは声が出なかったり、首に力が入らなくて頭痛がひどかったりしましたが術後1ヶ月はGW限定でレンタカーのアルバイトに復帰し、術後3ヶ月経った現在というか今週末は去年に引き続きオープンウォータースイミングで2.5キロの遠泳に挑戦するつもりです。

長くなりましたが甲状腺ホルモンの薬を毎日飲みながら以前と同じコンディションを保つことができるようになりましたのでこれからも連載を続けていきたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。

05:49 | 番外編 | 半年ぶりの更新と大学病院での出来事 はコメントを受け付けていません
2012/12/23

前回の続き。 甲状腺の癌かもしれないという可能性を不安になりつつ、12月か1月に実家帰省をしようと思っていたので、病院に行くまでの期間に4日間実家帰省をし、病院の診察日に私は羽田から鹿児島へ。旦那と子供は屋久島から鹿児島へ行き、病院で無事に合流。

とりあえず子宮頚がんの結果は家族で来るように言われてないんで一人で先生の所へ。結果は悪くないけど良くもない。通常だったら経過観察3ヶ月というところだけど手術適用範囲には入りかけてるから島から通うのが大変だったら手術しても良いですよ~。と先生から島民を気遣う優しいお言葉を頂いたのですが、なんせこのあと甲状腺の結果を旦那と聞かないといけないわけで、家族で来いというぐらいだからよっぽど悪いに違いない!と思い、子宮の方の先生には「甲状腺の結果が悪そうなんでとりあえずは甲状腺優先にして子宮は3ヶ月後にまた来ます」と伝え、婦人科の結果は終了。

いよいよ午後から甲状腺の結果。私が「癌かもよ~?」などとふざけていた為、旦那は不安でしょうがないらしく診察室の前で落ち着かない様子。 「日高さ~ん」と看護師さんに呼ばれて、子供は待合所で待たせて旦那と2人、診察室へ。 先生の第一声。「先日の細胞診ですが、悪性でした。病名は甲状腺乳頭癌。一番おとなしいタイプの癌で進行はゆっくりタイプです。ただ、2cmまでが早期発見で日高さんは2.6cmで早期の段階を超えていますので早めの手術をおすすめします」と言われ、その後は淡々と手術までの検診の案内とCT・術前検診の予約。あっという間に手術までの検診日が決定。 ただ、先生は「命には関わりませんが」と言っていたのでほっと一安心。 というか、私なりにも甲状腺がんについてはネットで調べており、10年生存率は95%以上というデータがほとんどだったのでさほど心配していなかったのだが、旦那はやっぱりショックだったようだ。

私なんてガン保険貰ったら旅行に行こうとか相当軽い気持ちなんですけどね(笑)

そして先日、ガン告知後初の造影CT検査なるものを受けに行く予定だったのだが、検査前日に病院より電話があり、「外科の先生を話をしたのですが、今まで早期以上の大きさは手術したことが無いのでうちじゃ手術は受けられないということになりました。」

え??

全て日程が決まってから病院に断れるなんて・・・ガーン・・

とりあえず、大学病院を紹介してもらえることになり、大学病院の手術実績を見ると甲状腺手術では鹿児島県No1だったのでまぁラッキーだったかなと思い、これからは大学病院で診察・手術・入院となるようです。

初診も手術も全て来年を予定しており、来年は色々と忙しくなりそうなのでしばらくここでの屋久島話については休載をさせていただきたいと思っております。

命に関わる病気ではないので療養中も新しい話題を色々貯め込んでおきますね。

それではまたここでコラムを掲載できる日を楽しみにしばらくゆっくりさせていただきます。

11:58 | 番外編 | (休載のお知らせ)島民特典と予期せぬ病気の宣告 後編 はコメントを受け付けていません
2012/12/23

今年も気がつくとあとわずか。 相変わらず気温が10度を切ることが無く、まだまだ過ごしやすい日が続いています。 先日実家(東京)に帰省した際はダウンとマフラーをしても全然寒かったのに鹿児島まで戻ってきたらダウンとマフラーじゃ暑く、結構場違いな人になっていました(笑)

10月頃から病院だなんだと鹿児島本土に上がることが多く、月に1~2回は行っています。

ちなみに屋久島から鹿児島市内までは高速船の直行便なら1時間50分。種子島経由便だと2時間30分かかり、乗る時間帯によって経由か直行か分かれるのである。 金額は往復14,000円なのだが、屋久島からの往復であれば島民割引ということで13,000円で行くことができる。 島からの交通機関は高速船の他にフェリーや飛行機もあるのだが、どちらにも島民割引があり、とてもありがたい。

そして鹿児島市内に行くとたいていが1泊泊まりになることが多いのだが、市内のビジネスホテルでは島民割引を採用している施設が多々あり、とてもありがたい。ちなみに私が先日利用したホテルではネットの宿泊サイトを使って最安値の素泊まりで予約をしたのだが、島民は朝食がサービスらしく、朝食券を頂き、宿泊明細書には「離島朝食0円」と記載されていた。

ちなみに官公庁や病院などの用事の際も「屋久島から来てるんですけど」と言うと、時間の融通が利いたり、病院に関しては来院回数が少なくて済むように色々と調整をしてもらえる。

そして私の病院の話。 屋久島町でも健康診断・ガン検診など、町で推進してくれているのだが、今のところ私の年齢で町から案内が来るのは子宮頸ガン検診のみ。

いつもは社会保険加入者だと1回1,000円で受診ができるのだが5年に1回は無料クーポンが届くのである。 ちなみに今年はその無料クーポンでした。 町民の検診場所は近くに検診車が来る日に受付票を持って行くのだが、無料クーポンは検診車以外にも鹿児島市内の病院でも利用ができるということだったのでせっかくだから他の検診も受けてみよう!と思い、鹿児島に友達と行くついでにオプションで乳がんやら甲状腺やらも軽い気持ちで受けてみた。

検査の結果は郵送で届くのだが、全く軽い気持ちで受けた検診結果は残酷なもので 乳ガン・・・・腫瘤陰影のため、1年の経過観察。 子宮頚ガン・・若干の異形成が確認されるため要精密検査 甲状腺・・・・血液数値異常無し。甲状腺に腫瘤が確認されたため要精密検査。

と、全く予期せぬ検診結果が届き、翌月すぐに精密検査を受けに行くことに。

特に子宮頚ガンはグレーゾーンらしく、癌じゃないけど経過観察3ヶ月は免れないかも?とのことで手術もありうるとの話だったので先生には「離島からしょっちゅう通うのは大変なんで微妙なラインであれば経過観察より手術の方が助かります」と伝え、帰宅。 甲状腺科では腫瘍の良悪判断の為、首に針を刺され、腫瘍から細胞を取り、検査。 子宮も甲状腺も結果聞きに来るのは大変なので結果は郵送でお願いしますと伝え、帰宅。 病院行くのも一苦労なわけです。

そして1週間後に甲状腺科の結果が到着。開けてみるとそこには「医師から詳しい説明をいたしますのでできればご家族もご一緒に外来にお越し下さい」と一言。いやいやいや、離島なんで行くの大変なんですけどなぜ家族も一緒に??と不平不満を感じつつ、10日後に予約。 我が家の場合は旦那を連れて行くとなると子供も連れて行かないといけないんで経済的にも大変なわけで・・・ついでに子宮の結果も来院して聞くことにした。しかし、先生に呼び出されるということはよっぽど悪いのかもしれない。もしかして癌?・・・ガーン・・・・ と思いつつ、ネットで甲状腺がんについて調べる日々が続く。

長くなるので次回に続く。

11:38 | 番外編 | (休載のお知らせ)島民特典と予期せぬ病気宣告 前編 はコメントを受け付けていません
2012/11/30

気がつくと今年もあと1ヶ月。 屋久島も明日から最低気温がようやく一桁になるらしくそろそろコタツを出そうかと思う今日この頃。

屋久島といえば、離島ということもあり、電化製品を買おうと思っても欲しい物が手に入らなかったり、輸送費がかかる分物価が高かったり、洋服なんかも売っているお店が少なかったりと買い物に関しては昔から不便なイメージを持っているのですが、なぜかうちの近所にあるおもちゃ屋さんはある意味すごいんです!

ここに出入りしているのは昔から子供ばっかりなのだが、旦那が子供の頃(30年前)から存在しているらしく、思わず「懐かしい!」と思うような逸品が眠っているのだ。

ミニ四駆やら年代物のフィギュアやお城の模型など、骨董品屋にある様なお宝おもちゃがたくさん売っており、地方から買いに来るマニアも居るらしい。

しかし年代物のお宝ばかりかと思いきや、最新型のテレビゲームもたくさん取り揃えており、先日ネットでの予約を逃し、発売日直前にはどこのネットショップも予約ができなかったソフトが発売日の2日後に普通に店頭に並んでいた。 子供の誕生日プレゼントにあげる約束をしていたからこれには本当に救われた。

一見おもちゃ屋とはわからないような目立たない地味な造りの店にも関わらず、探しているおもちゃが絶対みつかるというまさにレアなおもちゃ屋なのである。

正直、「どうせ屋久島だからな」と思いながらお店にあるかどうか聞きに行って、おばちゃんが得意気に「あるよ!」と言われることがほとんどで島に住んでいながら何度も感動させていただいた。

最近はおもちゃと言えばトイザラスやら家電量販店やらホームセンターで買うのが当たり前になっているのだが、こういう古びたおもちゃ屋さんというのは本当に貴重な存在ではないだろうか。

ただ、おもちゃ屋さんだけあって売っているものは基本的には全て定価というのがたまにキズなのだが年代物に関しては箱の色が色あせていたりするものもあり、絶対にプレミアものだと思われるものも値引きして売っている。

きっと私がおもちゃマニアだったらたくさん買い占めるだろうなと思いつつ、あまりおもちゃには興味が無いのでたまに子供のゲームを買いに行くときに、博物館気分で昔のおもちゃを眺めて懐かしさに浸ってしまう。

皆さんも屋久島に来た時にはぜひ覗いてみてはいかがでしょうか?

安房のおもちゃ屋さんは一店舗しかないのでぜひ探してみてください。おすすめです!

11:27 | 番外編 | 島に存在するレアなおもちゃ屋 はコメントを受け付けていません
2012/10/31

相変わらず日中はポカポカですが、夜は鍋が恋しい気候になりました。明日から11月。ようやく台風ともお別れと言ったところでしょうか。

さて、前回の続き。

バッドコンディションの中、オープンウォータースイミングは予定通りの時間に開会式が行われ、スタート地点に行く時はわざわざ皆さんの前で名前を読んでいただき、スタッフや応援者の方々とタッチをしながら入場。なかなか粋な演出。

タイムの計測方法は各人足にICチップ式の計測バンドをつけてスタート。今までの屋久島のイベントではあり得なかったハイテクさに感動(笑)

そして、カウントダウンとともにスタート。

屋久島の場合、2.5キロも真っ直ぐ泳いだところで目的地はおろかやっぱり海なので、今回は浜辺からスタートし、3箇所に置いてあるウキ(しかもかなり巨大)を2周回ってまた浜辺へ。スタート地点がフィニッシュ地点というわけです。

2.5キロコースの参加者はゲストのオリンピック選手、ミズノスイムクラブの方々始め、普段からジムで泳ぎこんでる方やオープンウォーター経験者も多数おり、全く経験も無く、全く練習もしていないど素人の私にはちょっと場違いな感じ(笑)それでも申し込んだ以上は完泳を目指そうと思い、どうにかスタート。

やっぱり皆さんやりこんでるだけあって最初からクロールで全力泳ぎ。

とりあえず私もクロールでついて行ってみましたが、ど素人の私的には「みんなのペースでついて行ったら完泳は無理かも?」と思い、途中からビリ覚悟で平泳ぎに切り替え。

何よりも風と台風による波のせいで真っ直ぐ泳いでも横に流されるため、クロールだと前を向けない分まっすぐのつもりが目的地からそれているという状況になること間違いないことを確信し、目的地を見渡せる平泳ぎでのんびり行くことにした。

制限時間は2時間とのことだが開始早々、腕時計が止まるというアクシデント。3気圧防水には耐えられなかった様。そりゃそうだ(笑)

泳いでる間は、ライフセイバー・巡視船・カヤッカーが常に見守ってくれており、参加者の安全の確保を図ってくださっており、安心して泳ぐことができたが、泳いでいる最中に「どうして私は2.5キロにエントリーしたのだろう・・・」と何度後悔したことか・・・(笑)

ビリで泳いでいると体力的に問題があるのかと思われ、カヤッカーやライフセイバーの方の横を通る度に「大丈夫ですか~??」と声を掛けられる始末。 順位はビリでしたが完泳するための体力を確保するための作戦なので元気に「大丈夫ですよー」と言い続けていたらもう誰にも心配されなくなっていましたが(笑)

どれだけの時間が経ったかわからない中、どうにか2周回り、フィニッシュゲートまで直進(300mぐらい?)となったとき、意外と全然元気だったのでクロールに切り替え、どうにか3人抜きでビリは免れ完泳。

しかしこんなに長い距離を泳いだことが無いから浜辺に上がった途端、水中との重力の差に勝てず足腰フラフラで立ち上がれず。嬉しいことに子供が浜辺まで迎えに来てくれたのだが、台風の波によりびしょ濡れ。

どうにか立ち上がりフィニッシュゲートまでヨタヨタ歩いてゴール。

運良くMBCの「ずばっと鹿児島」という鹿児島の番組のインタビューも受け気分はスター(笑)

それから完泳証とミネラルウォーターを頂き、即開封。普段ミネラルウォーターって絶対飲まないんですけど、高波のせいで塩水を結構飲んでいたので塩分の含まれない水がこんなにおいしいんだと思わず感動(笑)

その後は1キロコースも予定通り実施され、終了後は近くの漁港で表彰式兼パーティー。頑張ったからこそこのご褒美には本当に感動。 漁港では開催場所となった一湊区民の方々が地元の料理や首折れ鯖の刺身などをたくさん振舞っていただき、本当に至福の時でした。

ちなみに年代別表彰というのもあり、30代女子3位の症状もいただき、本当に良い思い出となりました。

余談ですが、インタビューは2分ほどでしたが、テレビに放映されたのはわずか一言(泣)

今年はプレ大会ですが、来年から第一回という形で7月頃に屋久島の恒例行事になるそうなので私も毎年参加していきたいと思います。 競技中にウミガメを見れた方も居るぐらい屋久島の海も自然に溢れてます。 皆様もぜひご参加いかがですか?

08:05 | 番外編 | 屋久島で初開催!オープンウォータースイミング 後編 はコメントを受け付けていません
2012/08/31

先日は今月3つ目の台風が屋久島を通過し、やっぱり今年は当たり年なんだなと痛感した今日この頃。

さて、今年の24時間テレビは義足の女の子が屋久島 縄文杉登山に挑み、たくさんの方々がテレビの前でワクワクドキドキしたにも関わらず、屋久島の気まぐれな天気に振り回され、結局残念な結末になってしまいましたね。 それもそのはず…ちょうどあの日は沖縄や奄美に猛威を振るった台風15号が屋久島に最接近した日なのだから。

そもそも24時間テレビのロケの話は放映の1ヶ月ほど前からガイドさんに通達があり、私もアパートのお客さんから家賃徴収時に初めて知り、それほどおおっぴらにされずに計画されてたらしい。

そしてロケ班は放映の一週間ほど前から屋久島入りしており、たくさんのスタッフで当日の準備をし、縄文杉までを衛星放送するためのケーブルを引いたりしていた模様。

日本テレビ側は「屋久島の環境に心掛けた撮影をしています」などとテレビでテロップが出て居たのだが、実際は縄文杉の裏手の立ち入り禁止区域でテントを張って寝泊まりしていたことがある島内ガイドさんのブログから発覚し、放映終了後、波紋を呼んだそうだ。

確かに昨日、日本テレビのスタッフと思われる人達が宿泊先のホテルの前で大量のテントを洗っていた。

テレビで屋久島の知名度を上げてくれるのは非常にありがたいことだと思うのだが、テレビのスタッフが率先してルールを破るのはどうかと思う。

それにスタッフがほとんど山籠もりだったのであれば屋久島への経済効果もあまり無かったと思うし(あくまでもここは私の憶測なのだが)

ちなみに今回の放映に関しても、島民的には(素人考えなのだが)本当に登るの??と思うぐらい天気も悪く、時間的にも普通に考えたら日帰りじゃ無理でしょ?と思う時間帯だったし、ガイドさんがついてたにしろ本当に今回の登山は正当性があったのか正直疑問が残るところだがチャレンジした子はまだ若いからまた最チャレンジをしてもらいたいと思う。

24時間テレビのスタッフの皆さん、本当にお疲れ様でした。テントの区域は良くないところでしたが一週間のテント生活は本当に大変だったと思います。縄文杉に行くと世界観が変わるとよく聞きますので皆さんも一度ぜひチャレンジしてみてください。

ちなみに私はまだチャレンジしてませんが…

08:57 | 番外編 | 先日の24時間テレビについて一島民としてこう思う はコメントを受け付けていません
2011/03/19

被災者の皆様には重ね重ねお見舞い申し上げます。

先日まで東京で1人暮らしをする母が心配で東京に行っておりましたが、余震がある程度落ち着いたのとこれ以上の休暇が仕事的に厳しいので16日、屋久島に戻りました。

東京では品不足・計画停電・ガソリン不足等でかなりの混乱が起きていましたが屋久島は現時点ではいつもと変わりませんでしたが、屋久島では船が欠航したらスーパーに食材が無いのが当たり前だし、近所のお店の閉店時間はだいたい19時とかだし発電所や夜間工事などによる夜間の計画停電も日常茶飯事でガソリン不足は無いけれどガソリンの値段は本土よりも1リットルあたり40円程度高いのでこういった不便さっていうのは慣れておくも大事なことだとつくづく実感。

多分、ずーっと東京に住んでいたら今回の不足騒動に関して私自身も買い溜めに走ってしまうタイプだろうと思うのだが、屋久島の不便さに慣れてしまうと、買い溜めに走る都会の人々が不思議に感じてしょうがない。

今回の震災で屋久島の住民もかなり心を痛めていて、率先して郵便局を通じて赤十字に募金をした方も多いようです。

保険の仕事で官公庁に出入りしているのですが、東京から帰宅した翌日、某官公庁に行ったらいつもは点いているはずの廊下の電気や事務所の電気が消えていた。
偉い方に「節電ですか?」と聞いたら「東北や関東の人達は電気が足りないわけだから自分達もできることから協力しないといけないからね。」と言っていた。その部署は一般の人は立ち入りができない場所なので見せかけの節電ではなく、自分達できちんと心がけている停電なのだなとつくづく実感・尊敬した。
前日まで東京に行っていた事、自分が見た東京の現在の状況などをお話しし、「節電・募金などできることからみんなでやって行きましょう」という私の個人的意見もみなさんに賛同頂き、とても嬉しく思った。

今回の震災で、学校関係・会社関係では募金活動を行っているところが多く、私の住んでいる地区でも募金活動をすると言っていたのだが、うちの地区では区民の家を役員が回って募金を回収し、区としてまとめて寄付すると言っていたのだがこの案は賛否両論である。

私自身、募金に関しては賛成だし、うちの母も「私は被災者じゃないから」と地震保険でおりるお金をそのまま郵便局を通して赤十字に寄付したそうだし、旦那も「明日は我が身。こういうときこそ助け合わないといけない」ということで会社を通して寄付をしたそう。私も会社を通して寄付をするつもりである。

しかし、募金というのはあくまでも任意というか善意なわけで、役員が家を回って回収に来るというのはどうなんだろうかと疑問に思う。

信用性・・・と言ったら失礼になるかもしれないが、屋久島の人はあっけらかんとしていると言うのだろうか・・・各家庭を回りながら「××さんはいくら入れてたよ。」とか「みんなだいたい○○○円ぐらい入れてるよ」なんていう風に言われるんじゃ無いかと思うと人それぞれの気持ちっていうのがあるわけだからそういうのがきちんと発揮できない気がしてしょうがない。

ま、私自身偉そうなことを言える立場では無いのだが、地区の募金活動に関しては公民館に募金箱を置く程度にして、区費を使って区の予算からもいくらか募金するとかそういう程度に留めるべきじゃないかと思う。

屋久島は地盤の関係で大地震が起きづらいという話を昔聞いたことがあるのだが、その話を知人にしたら、「地盤なんてきちんと見たことある人が居るわけ無いんだし、地盤一つでわかったら地震なんか未然に防げるでしょ?」と言われた。確かにそうかもしれない。

保険の仕事をしてる中で「自分はガン家系じゃないから」とか「今まで入院なんて一度もしたこと無いから」とかと言って保険に入らない人が結構居ますが、いつ病気になるかとかいつ死ぬかなんて誰にもわからない。それと一緒でいつ災害が起きるかなんて誰にも予測はできないわけです。

明日は我が身。屋久島でもみんなが一丸となって復興に協力できるようになりたいと思う今日この頃でした。

1日でも早い復興を心よりお祈り申し上げます。

01:25 | 番外編 | 東日本大震災を受けての屋久島の反応と支援 はコメントを受け付けていません
2011/03/14

連投で失礼します。
しかし、一人でも多くの方々に現在の状況を知っていただきたく思い、敢えて連投させていただきます。

携帯電話には自分が居るエリアで大きな地震が起こると

「緊急地震速報 ○○県で地震発生。強い揺れに備えてください(気象庁)」という内容のメールが大きな警告音と共に自動的に送信されてくることになっている様で、13日から1日に数回はこんな内容のメールにドキドキさせられている。もちろん、このメールが届くと同時に揺れを感じるので毎日不安な日々を過ごしている。

しかも震源地が安定しておらず、明日は我が身と感じるのは一緒の様で、13日からコンビニからは食料品・水・乾電池・電池式の携帯充電器・カップめん・パンなどが棚から一気になくなったきり、入荷未定の状態が続いている。

コンビニだけじゃなく、大手家電量販店ではこれ以外にもラジオや懐中電灯が品切れとなり、入荷日未定の状態が続いているようだ。

今日に限っては輪番停電などの影響により、どこの店に行っても節電の為に店の照明の数を減らして営業していたり、営業時間を短くしたり、終日閉店にしていたり、輪番停電が予想される時間帯の電車が運休になったりとどこに行ってもいつもの東京都は思えないような光景が続いている。

しかし、この状況の中でもいつもどおりに照明を点灯して営業している店もあり、一番電気を食うんじゃないかと思われるゲームセンターやパチンコ店は普通に営業しているんだから不思議というかちょっと無神経極まりない。

結局現時点では電気の供給量が確保できそうとのことで第5グループからの輪番停電のみ実施ということになったようだが、東京23区は荒川区以外除外地域というのもどうかと思う。

こういうときこそみんなで協力するものでは無いのだろうか。確かに交通機関やら官公庁等が麻痺するのは大変なことだとは思うが、電気が完全に供給不足になってしまったら3時間程度の停電では済まなくなるのだから・・・

今回の被災に伴い、至る所で募金活動が始まっています。

私の友達が働いている屋久島の喫茶店でも募金箱の設置とメニューによって売上の一部を募金する活動を始めたようです。

道端で手作りの募金箱を持って立ってらっしゃる方もいますが、失礼な話、こういうときにも関わらず人の善意を利用してお金を得ようとする方も居ると思います。

なので極力自分で郵便局などを使って義援金窓口などに送金するか、信用できる機関での募金をしたい思っています。

たとえば、日本の人口の半分の6千万人が一人100円募金したら60億のお金が貯まります。
これってちょっとの善意がたくさんの人を救えるってことですよね。

私の大好きな友達も今岩手で避難所生活を送っています。

少しでも早い復旧を願って皆さんも募金活動、節電に協力しませんか?

偉そうなことを言って本当にすみません。

重ね重ねになりますが、震災地域の早い復旧を心よりお祈り申し上げます。

実家にはネット環境が無いため、ネットカフェでの投稿ということもあり、こっちにいる間はしょっちゅう投稿ができるわけでは無いですがまた何か気付いた点、皆様にお知らせしたい点がありましたらできる限り情報提供をさせていただきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

3/14 22:42 人口を間違えていたため訂正しました。

05:44 | 番外編 | 大地震による東京の現状 はコメントを受け付けていません
2011/03/14

まず、震災の地域にお住まいの皆様には心よりお見舞い申し上げます。

3月12日、保険の仕事でお客さんの家を訪問している際に、臨時の町内放送で「東北地区の大地震の影響により、屋久島にも津波警報が発令されました」との放送があったため、状況を把握すべくお客さんの家でテレビを見せていただいたら宮城県、岩手県でのすさまじい津波の様子と、震災時の映像が流れていた。

最初テレビの映像を見た時には言葉も出ないというか「本当にこれが現実?」と状況を受け入れられないままテレビに釘付けになっていたのですが、よく見てみると「東北・関東で大地震」と書いてあり、思わず東京に一人で暮らしている母の安否が心配になり、電話を掛けてみたのですがそのときは結局連絡がつかず、夕方以降もずっと掛けてみましたが今度は電話がつながらないため、居ても立ってもいたれず、急遽東京へ向かうことにした。

ちなみにうちの実家はマンションの12階で、マンションの下をちょうど地下鉄が通っているので地下鉄が通るだけでも多少の振動を感じていたので震度5の地震があったらどんなことになるのかだいたいの想像はついていた。

本来だったら、営業回りが終わってから一度会社に戻り、退勤登録をしてから家に帰るのだが、屋久島発の最終便に飛び乗るとしたら会社に戻っていたら間に合わないのでお客さんの家も足早に帰らせていただき、自宅へ向かった。

とりあえずは航空券の手配をしないといけないので帰ってからパソコンの前に直行し、屋久島発の最終便から乗継可能な鹿児島発羽田行きの便を探したのだが、なぜか購入ができず、とりあえず荷造りを先にしてから会社に直帰の連絡と休暇の連絡を入れて再度パソコンに向き合った。

どうもニュースの状況と照らし合わせてみると、当日は羽田空港が閉鎖になる可能性が高いようだったので当日の出発はあきらめて、すぐに翌日朝一で東京に行ける便への予約に切り替えた。

結局その日の夜は母からの連絡は来ず、眠れない一夜を過ごして翌朝屋久島空港に向かった。

前日に手配をしたときは屋久島発の便も鹿児島発の便も空席に余裕があったのだが、当日空港に到着したら人でごった返していた上に飛行機は全便満席になっていた。

やはり考えることは皆同じなのだろう。震災地域に家族の居る方や家のある方々が急遽関東地方に向かった様子でキャンセル待ちのや航空券の変更をする人で長蛇の列ができていた。

私は幸いにも前日から予約を入れていたので予定通り屋久島から飛行機に乗ることができたのだが、鹿児島からの乗り継ぎ便が欠航になってしまい、鹿児島空港で足止めを食ってしまった。

幸いにも母から無事との連絡を受けたのでさほど急ぐ必要はなかったのだが、まだまだ余震に油断ができない状況だったので少しでも早く母の元へ行きたかった。

結局、欠航便の次の便のキャンセル待ちを入れたのだが、この便に乗れる確証がなかったので、空港のインターネットコーナーで他社の便の空席と発着状況を確認したら全日空の便に空席があったため、キャンセル待ちした分は払い戻しをしてもらい、全日空の便に切り替えて東京に向かった。

交通機関に乱れは出ていたが幸いにも羽田から自宅近くまで行くバスは通常運行していたため、そのバスに飛び乗り、自宅へ向かった。

途中で東京タワーの近くが見えるのだが、テレビで放送していた通り、てっぺんが曲がっていて今回の地震の規模を改めて思い知った。

同じバスの乗客は東京タワーが見えた瞬間、ざわつき始め、携帯のシャッター音まで背後から聞こえてきた。

確かに珍しいことかもしれないけどあまりにも不謹慎過ぎる行動ではないかと思う。

屋久島の家を出発してから6時間後、ようやく実家に到着し5たのだが、家の中の様子を見て愕然とした。
ガラスケースに飾られていた母の趣味の香水やブランデーの瓶は全て倒れていたり割れていて、本棚の本は全部崩れ、壁に飾ってあった額縁も斜めになり、タンスの位置も絨毯と一緒に横にずれていた。

そして3か月前に私が誕生日プレゼントにと贈ったテレビも落下の衝撃で液晶が割れて見れなくなってしまったのだが、母がなんとも無かったのがせめてもの救いだった。

ちなみに震災時、母は家には居なかったそうなので被害に遭わずに済んだようだ。

我が家の時計は自身の地震の衝撃で止まっていた。

今でも行方不明の方や孤立してしまっている方、亡くなったり負傷された方はたくさん居るのでうちの母が無事だったからと言って良かったとは決して言えないが、早い復旧を願いたい。

15日までにマグニチュード7程度の余震が来る可能性は70%ということだがこれ以上の被害が拡大しないことを心から願いたい。

東京での状況については次のコラムへ・・・・

05:43 | 番外編 | 大地震の為、急遽実家へ はコメントを受け付けていません