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2009/11/23

さて、今回は前回のつづきです。

私は子育てに奮闘する為、産休・育休を2度繰り返し、ホテルから離れている間、ホテルは建設費の未払いの関係で手放さないといけない危機が訪れた。

しかし、うちの父は悪運が強いのか?建物を買い取ってくれる大きな会社に出逢えた。建物は父の所有物ではなくなってしまったが、決められた家賃をそこに支払うことにより、経営権を失わずに済んだ。
休暇から復帰後の私はフロント兼オペレーターチーフとしての地位も手に入れ、バリバリ働いていた入社5年目の4月、私26歳。

経理の退社に伴い、お金の動きを知ってもらうためという名目で急遽私が経理配属になり、統括マネージャーという役職に就く事になった。
今考えてみれば、他人にお金の動きを知られたくなかったのだろうな。という感じだが、経理に入ってビックリ!!経営は火の車状態・・・
こんなんで本当にやっていけるのだろうか??と思いつつも言われた通りにやっていた。
その翌年の5月。観光協会から「○○さん(ホテル名)今月で閉館って聞いたんですけど本当ですか?」との電話。え??

私そんな話し聞いていないですけど・・・
もちろん他のスタッフも知らない。
「そんなことマネージャーの私も聞いて無いのでガセだと思いますよ。」と返答。虫の知らせなのか閉館と噂されている日の前日父方の祖母が亡くなり、急遽佐賀へ。
その間ホテルでは鹿児島地裁の裁判長やらホテルの持ち主やらが、家賃滞納を理由にした強制退去の通達及び強制執行に来たようだが、もちろん私が知らないことを残っているスタッフが知っているわけも無く、みんなが全く状況を把握していなかったため、強制執行は10日延ばしてもらえる事に。

その話を聞いた私が父を問い詰めましたが「大丈夫!何とかなるから!」の一点張り。結局その10日後、本当に強制執行をくらい、父は東京に資金繰りをしに行ったきり帰ってこず、私が立会い責任者という形であっけなくホテルとの別れを迎え、悔しくて涙が止らなかった。
この時の涙はホテルがなくなることと父の往生際の悪さ、ずるさに対する涙だ。
結局資金繰りがままならぬままホテルは閉館に追い詰められ、今は別の企業が別のホテルとして営業の準備をしているらしい。

強制執行を知らなかった=翌日以降の予約も受けたままの状態
だった為、強制執行の3日後に、単身でホテルの支社の事務所と実家がある東京へ飛び、3ヶ月間、予約の振替作業(お客様が屋久島で泊まる宿を確保するために他のホテルへ予約を振替させていただくこと)に追われていたがある程度の落ち着いたところで、父のいい加減さに嫌気がさし、あとのことは任せて家族の待つ屋久島に戻ることに。 今まで家庭を犠牲にしてまでホテルの仕事に追われていたのにいざ、ホテルがなくなってしまうと退屈でしょうがないと思い、とりあえず仕事探し。同じホテル勤めていた旦那ももちろんいきなり無職。

強制執行後、私が単身東京に行っている間に旦那は知り合いのつてで某大手レンタカー会社に働くことになり、それをきっかけに元々レンタカー業界に興味があった私も旦那とはライバル?の大手レンタカー会社に勤めることになる。それが20089月の話。ところが、また問題発生!?

ホテルの寮として使っていたアパートがあったのだが、実は母の名義になっていたので今回の強制執行とは関係がなく、母の手元に残ったのである。しかし、母は東京に住んでいる上、そのアパートが収入源だったので、急遽私がそのアパートの管理せざるを得なくなってしまったのだ。屋久島は家不足/職不足なのにも関わらず、なかなかアパートの住人は見つからない上、前の住人達が夜逃げ状態で居なくなっていたので公共料金は滞納しっぱなし、部屋の掃除もおろそかにしてしまったのでまずは掃除からスタート。

同時進行で住人募集もしていたが2ヶ月で埋まったのは12部屋中わずか5部屋。
またレンタカーの仕事と掛け持ちしながらだと思ったように掃除も進まず、結局勤めに行っているレンタカーが優先になってしまい、「このままじゃいけない!」と思い、レンタカーはパートだったので勤めて9ヶ月目の20096月に退社させてもらい、アパートに専念することを決意。ただし、落ち着いたら復職するという条件付で。しかしアパートをするだけでは母の収入になるのがいっぱいいっぱいで手間ばっかり掛かって私の収入が無い。7月に東京帰省する機会があったので以前ホテルでお世話になっていた取引先の方とランチをした際に相談したら「ウィークリーにしたら?」との話。
屋久島は民宿がメインでこんな小さい島なのに民宿の数は潜りも含めて150以上。ホテルは10件ほど。それなのにウィークリーマンションって実は無い!
私自身、ホテルに勤めていたときの職業病なのか「他のホテルに泊まると落ち着かない!」という妙なトラウマ?が残ってしまい、ウィークリーマンションが好きだったこともあり、興味があった。しかし、面倒くさがりやでわずらわしいことは嫌いな性格のせいか、「特別な許可とか申請とか・・・そんなの考えると大変だし。」と消極的になっていた。

しかし、知人は私と逆で行動派。その後、色々ウィークリー経営について調べてくれて、「ある程度のポイントさえクリアすれば今のままでもさほど問題無くできる」とのこと。
そうと決まればいざ鎌倉!ならぬいざ準備!でお部屋に置くための電化製品やら家具やらを鹿児島へ集めに行き、とりあえずは試験的に4部屋分だけ準備。そしてホームページも開設。
そして2009819日。レンタルルーム「ウィークリーYAKUSHIMA」をOPEN。気が付いたら自営業を始めていた・・・というのが今までの経緯である。実際起業を始めてみると、客層としては観光客よりもビジネスの方が多い。宿泊数も数泊の短期だけでなく、1年未満のウィークリー貸しのお客様がほとんどな為、OPENして3ヶ月あまり経った今では4部屋のウィークリー仕様では足らず、家具を買い足し、8部屋のディリー/ウィークリー貸しと4部屋の賃貸で運営中。
民宿を敵に回したくなかったのでビジネスメインになることが本来の目的。狭い島だからこそ変な妬みとか噂とか恐いし・・・()

屋久島では民宿がメインですが、誰にも気を使わず、料金も格安なウィークリーマンションを求めるユーザーも多いみたい。
ただしうちはアパートなのでウィークリールームだけど・・・長い文章になりましたが、読んでいただいてありがとうございました。
これからも屋久島の出来事とか変な常識とか日々の生活の中で感じた出来事などをUPして行きたいと思っています。まだまだ不慣れな上、都会っ子目線なので屋久島生活も日々驚き、日々勉強の毎日ですが、私のコラムで屋久島ファンが増えていただければいいなと思っています。

どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

2009/11/16

こんにちは、屋久島で「ウィークリーYAKUSHIMA」という滞在型アパートを経営する日高志乃です。今回は私のこれまでのことについて、2回にわたり少しご紹介させていただければと思います。

  *  *  *

私が住み慣れた東京を離れて屋久島に移住し、起業したきっかけ・・・

それは私が短大卒業の年、父のとんでもない一言から始まった。

「屋久島でホテルを始める!」

仕事一筋だった父が定年を間近に控えた2001年の話。

私は19815月 東京都にて大手ゼネコンに勤める父と専業主婦の母のもとに次女として生まれた。
小・中・高・短大まで東京で過ごし、たくさんの恋やらヤンチャやらやってきた。短大在学中は友達と遊ぶ毎日が楽しすぎて卒業後の進路なんか全然考えてなかった・・・まぁフリーターでもいいかなって。ところが、私の短大卒業の年、父が突然「屋久島でホテルを始める!」と言い出した。「仕事人間だから仕方ないか」と事の重大さに気付かずに「自分には関係無い」と聞き流していた。

東京でゼネコン勤務の人間がなぜ屋久島?なぜホテル?かというと、父の上司だった方が屋久島に魅せられて定年を機に移住され、その影響で父も屋久島に興味を持ち、遂には別荘まで建ててしまったのだ。
小学生の私にしてみればこの頃の屋久島はまだマイナーで大して文明も発展していない退屈なところ。
ご存知の通りの大自然だから当然夏には虫が多いし、見た事も無い黄緑の蛾と黄緑のカメムシ、手のひら程の大きな蜘蛛も出たりする不気味な島。父は夏休み初日に一緒に屋久島へ行き、仕事の為に2泊ほどで1人東京に戻って夏休み最終日に迎えに来るというパターン。周りに民家は殆ど無くて、ようやくできた友達の家まで3キロ。もちろんコンビニやファーストフードも無くて、おやつを買いに行くにも一番近い店は家から2キロのよろずや。母は運転免許を持っていなかったので遊びに行く時は徒歩。自転車を買ってもらったが登り坂がきつくて歩いて行ったほうがまだ楽・・・。

面倒くさがりの私には屋久島の魅力は理解しがたいものだった。
そんな屋久島休暇ライフは小学3年から6年まで続き、中学生になると部活や学校行事やらで、屋久島からは遠ざかっていた。
それでも両親は年に数回、別荘の手入れがてら屋久島へ1週間程滞在する事があり、私と5歳上の姉は2人きりで東京でお留守番。
父は大の旅行好きで私も乳飲み子の頃から国内外の旅行にたくさん連れて行ってもらった。私は屋久島には殆ど行かなくなったがゴールデンウィークや年末年始にはグアムやパラオ、バリ島など海外旅行三昧だった。何処に行ったかあんまり覚えていないけど旅行は楽しくって今でも大好き。
父はバリ島の有名ホテル「アマンリゾート」が大好きで「屋久島にもこんなアジアンリゾートを創りたい・・・」という発想が浮かんだようだ。そうとは知らず、海外旅行や日々の生活を楽しんでいた私にこの後訪れる人生最大の危機に気付きもしなかった。

短大卒業の2ヶ月前に父から急に「オープニングスタッフとして一緒に来てもらうから」と言われ、本気で「人生終わった・・・・」と思った。
だってあんなに虫が多くて何も無い島に住むなんて・・・都会育ちで遊び盛りの20歳のときに言われたら「あー私の人生終わったな」と思うしかない。しかもこの頃私には1年ちょっと付き合っていた彼氏も居たのに・・・。散々反抗して拒み続けたが、母に「今まで好き放題させてもらったんだから今度はあなたがお父さんを助けてあげなさい」と言われ、渋々了承することになった。
屋久島へ行く下準備として急いで車の免許も取り、彼氏とも遠距離恋愛をすることで合意し、いざ屋久島へ!

アルバイトは色々やってきたが、ホテルは初めてなので最初の1ヶ月間は他のスタッフ(みんな高校や専門学校を卒業した子ばかり)と一緒にプロの接遇の先生からメイクの先生まで来て頂いて、お金を掛けてみっちり研修させてもらった。この時すでにホテルが経営難への道を歩いていたとも知らずに・・・・入社して2ヶ月、1度東京に帰省し、彼氏に会った。彼氏はなんだか浮気の気配・・・・なんじゃそりゃ!?と思いながら不信感を募らせたまま、たった2泊の東京滞在はあっという間でまた屋久島へ。

その数日後に同僚に紹介してもらった後輩と仲良くなり、ちょっといい感じに・・・・でもなんか違うな。と思い、付き合うことには躊躇しつつも友達として毎日遊んでいたら今度はその彼が会社の後輩を家に招き、飲み会をすることになり、その後輩と仲良くなり、付き合うようになって、仕事の時間も合わないし家も遠いからその彼の家に気が付いたら居候というか同棲??
その一年後に妊娠をし、気が付くと2児の母。本当は3年働いたら東京に帰ろうと思っていたのに・・・()  *  *  *次は屋久島でのまさかの展開についてお送りします。