« 「やさしさの木の下で―ぼくとびょうきとファミリーハウス」の進呈を始めます! | Home | こんな形のボランティアもあるのです。 »
今日の京都は、温かい日差しと、春の空気の流れに、とても和んでいます。
早咲きの桜も開花してくれるでしょうね。
新聞配達している私にとっては、これからしばらくは、ウグイスの鳴き声と、
綺麗な桜を楽しみながら仕事ができる素敵な時期でもあります。
今朝は、倉庫を清掃中です。
提供品の書籍を保管しておくための倉庫を格安で貸してくれている大家さんの、
お庭の木に刺しておいたミカンをメジロさんが食べにきています。
可愛いですね~♪

———————————–
さて、ハウスの利用者さんと、私のふれあい?を少しだけご紹介します。
時々、こんな会話になるんです。
「私は、いったい何をしたらいいでしょうか?」
これは、詳細な説明を付け加える必要があります。
難病の患者さんの治療が、高度なものになった場合、
無菌室など、完全看護の状態になります。
付き添いの方が、実際に患者さんの手を握ったりしながら、
話したりすることができる時間は、
一日の中で、ゼロから長くても1時間程度です。
完全看護ですから、窓越しに見守るしかないわけです。
眠っている時間も長く、付き添いとは名ばかりとなります。
こんなときに、先ほどの問いを私にぶつけてこられるわけです。
私は、いつも、こう答えるようにしています。
「病気は私たちに、何かを知らせようとしている」
「だから、私たちは、病気から学ばなければなりません」
何を、どう学ぶのか?
それは、人それぞれ。なんでもいいと思う。
でも、今、困難な状況にあるハウスの利用者さんに、
抽象的な回答になんの意味があるのか?と言うご指摘もあると思います。
この6年間に私が 学んだことは、病気や困難こそが、
人間的成長を手伝ってくれているということです。
ですから、病気に勝つには、(何でもいいから先ずは)学ぶことが大切です。
(これは一般論ですが)病気を克服できない大きな原因は、「無知」と「貧困」です。
だから、人間的成長なくして完治なしなんです。
———————————–
私も、いま2つの病気を抱えています。
ひとつは、「身体表現性障害」です。
病院を8箇所回って、最近ようやく判ったんです。
呼吸が辛いのです。これは結構こたえる。
もうひとつは、長年治療していますが、治る見込みはありません。
とても残念ですが、重症の私は、現在の医療では 完治することはないそうです。
医療の進歩を待つしかありません。
すぐにどうこういう様なものではなく、感染するようなものでもありませんが、
正直、とても辛いときがあります。
ただ、私に病気があることで、患者さんの気持ちが少しですが判ると思っています。
娘は、アトピー性皮膚炎ですが、彼女にも、痒くて辛いときに、いつもこう言っています。
「いつか治るかもしれないし、昔に比べたら、ずいぶん良くなっているね。」
「あと、アトピーと言う病気から何かを学んでみよう」
「なんでもいい、『辛い、痒い』という感情を学ぶっていうのでもいいし」
「先ずは、病気のことと、貴女自身のことを知る機会にしよう」など等。。。
娘は12歳の小学生ですが、病気を通じて「知る・考える・耐える」などを
学習しているんだと思います。
そういう機会を与えてくれている病気に感謝です。
病気で困難な状況にある方の精神状態を文字に表すことは、私には(能力が無いので)
難しいですが、ひとつだけ言えるのは、「まさに生きていると言うことを実感する瞬間」であると言うことです。
「生きることに必死になる。」
今の日本にいて、そんなことって、そうないですからね。










