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2010/10/14

「グローバリゼーション」という言葉を耳にしたことがあるだろうか。

辞書的な意味においては、
「社会的あるいは経済的な連関が、旧来の国家や地域などの境界を越えて、
地球規模に拡大して、様々な変化を引き起こす現象」
ということになる。

あるいは、主に経済学の分野で、
「運輸と通信技術の爆発的な発展や、冷戦終結後の自由貿易圏の拡大によって、
文化と経済の枠に囚われない貿易が促進する事態」
という狭い定義が与えられていた時代もある。

例えば、世界を股にかけて活躍する企業、
マイクロソフト、アップル、コカ・コーラ、マクドナルドetc…

彼らが、何故、世界中を席巻しているのか、
その根拠を説明する言葉が、「グローバリゼーション」と呼ばれるものだ。

ただし、上記に挙げた企業群の名前を見ても分かる通り、
これは、「グローバリゼーション」などという大それたものではなく、
単なる「アメリカナイゼーション」だ、などと揶揄されることもある。

いや、正直、この分野については門外漢なので、
あまり滅多なことを言えるような立場でもないのは承知の上なので、
それが良いとか悪いとか、それが正しいとか間違っているとか、
そこを論点にするつもりはあまりない。

しかし、今や、ある意味では、どんな研究分野でも、
この言葉の傘の下に居る、と言えることもまた事実であろう。

広く定義するならば、
今日、国境を越えて考えなければ解決しない問題は、
全てグローバリゼーションの範疇の問題、ということにもなるだろうか。

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毎度、例えがブータンの話になるが、
やはり今回もブータンを例に引こう。

世界経済の中に入ってしまえば、ブータンは小国中の小国だ。
人口わずか70万人。
その内、9割が農民で、半自給自足を営む生活。

しかし、彼らは、その状態でも、国を開き、
世界で勝負ができる、という強い信念を持っている。

彼らが望んだかどうかは定かではないが、
その一種独特の幸福観は、しばしば、
グローバリゼーションへのアンチテーゼとして引用されてきた。

経済的な価値だけが幸福を決める指標ではない。
言い換えれば、経済的な価値は幸福に繋がるとは限らない。

世界中の人々が、なんとなく心の奥底で思い起こしながらも、
なかなか言葉にできなかったことを、
ブータンは、国家という単位で、高らかに宣言したのだ。

全てが経済価値で決まる世の中。
芸術的価値の高い絵画=経済的価値の高い絵画、ではないはずなのだが、
いつのまにか、値段の高い絵は良い絵だと、みんなが思い込んでいる。
そんな「グローバリゼーション」。

感情論になってしまうが、
自分は、この国の人々が、マクドナルドでハンバーガーを食べる姿は、
やっぱり、あまり見たくないと思ってしまうのだ。

PCはWindowsだったけれども。

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世界を旅して歩く道中、いろいろな人に出会ってきた。
彼らに話しかけるとき、深く考えずに「英語」で話しかけてきた。

残念ながら、絶望的なレベルのカタコト英語で。

そう、たとえカタコトであったとしても、
英語が、一番通じる可能性が高いことを体験的に知っている。
あえて説明するならば、そういう回答になるだろうか。

ちなみに、世界の言語を使用人口順に並べた、こんなデータがある。

母語人口
1     中国語 (1,000)
2     英語 (350)
3     スペイン語 (250)
4     ヒンディー語 (200)
5     アラビア語 (150)
6     ベンガル語 (150)
7     ロシア語 (150)
8     ポルトガル語 (135)
9     日本語 (120)
10     ドイツ語 (100)

公用語人口
1     英語 (1,400)
2     中国語 (1,000)
3     ヒンディー語 (700)
4     スペイン語 (280)
5     ロシア語 (270)
6     フランス語 (220)
7     アラビア語 (170)
8     ポルトガル語 (160)
9     マレー語 (160)
10     ベンガル語 (150)

単位:100万人
出典:ケンブリッジ大学出版局「THE CAMBRIDGE FACTFINDER」
http://japan.wipgroup.com/useful-information/reference-material-data/gengosiyoujinkou.html

英語に関して言えば、公用語として認定されていない場合でも、
例えば日本のように、第一外国語として学習するケースは少なくない。
そう考えると、英語の潜在使用人口は、おそらく20億人くらいだろう。

ここで、少し自省してみる。

自分の絶望的な英語のレベルに?
いや、そうではなく、易きに流れて、英語を選択してきた自分に、だ。

まあ、かといって、相手の言語に合わせて多言語を操れるわけもなく。
俺は日本人だ、日本語でコミュニケーションを取ってやるぜ、
なんて意気込んでみたところで、そんな我執が通用するわけもなく。

そう、せめて挨拶くらい、彼らの言葉でできるようになろう。
それぐらいの敬意は払わなければ、と、密かにそう思った。

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今、本稿を執筆しながら、ニュースを眺めている。
チリの鉱山落盤事故からの救出劇の様子が映し出されている。

この話。
もちろん、お涙頂戴では終わらない、
根深い労働環境問題を孕んでいるのは間違いない。

それでも、地球の裏側の奇跡を、固唾を飲んで見守る。
その目線の目指す先はきっとひとつのはずだ。

こんなグローバリゼーションなら、うん、そう悪くはない。

2010/10/14 12:00 | ブータン, 雑記 | No Comments

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