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2010/10/06

旅をしていて、いつも頭の片隅をよぎること。
それは、「貧困」という問題についてである。

道は舗装されておらず、絶えず埃が舞い上がる。
そんな道を、子供たちは裸足で駆け回る。
勿論、学校にも行けず、立派な労働力として店番に立つ。
そして、次々と現れる、客引き、物乞い、etc…

そんな光景を見ると、
件の問題が、むくむくと頭をもたげてくる。
同時に、何もできないやるせなさもこみあげてくる。

だが、はたと思いとどまる。
「貧困」という文字のいびつさについて。

貧しいということは、即ち、困っているということなのか。
貧しくとも充実した生活、というものはありえないのか。
そんなことを考える。

彼らの目に宿る、生への渇望を思う。
我々の目には、それが凄く尊いことのように思える。
そんなことを考える。

例えば、ブータンを訪れたときのこと。
農家の暮らしは、牛と犬と田畑に囲まれた、自給自足生活。
質素だが、それでいて、屈託なく笑う姿が印象に残った。
彼らは、少なくとも、貧しさに苦しんでいるようには見えなかった。

もしかしたら、日本でそれなりの生活を送る自分が、
そんなことを考えること、それ自体が、
ある種の蔑視を孕んでいるのかもしれない。

あるいは、彼らの姿に、郷愁にも似た思いを重ね、
日本人が失った何かを探し求めているのかもしれない。

そうして、いつまでも答えの出ない問いが、
旅をしている間中、ずっと頭の片隅から離れなくなるのだ。

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彼らは、貧しいから困っているわけではない。
政治的圧力によって、貧しさを強要されて困っているのだ。
という論調もある。

曽野綾子さんという、世界の貧困を救うために尽力されている方の、
著書の中に、こんな一節がある。

今や誰が、アフリカその他のかつての植民地の困難な経営を引き受けたいものだろう、と私などは思う。その結果「強国」が撤収した後、土地の人々の手に委ねられた自由は、或る意味では惨憺たる、時には残忍な結果さえもたらした。そしてその原因はいまだにかつてこの土地を支配したヨーロッパの強国にあると言われている。独立して早くも数十年が経つ国も多いと言うのに。
ものごとはすべてオール・オア・ナッシングではない。完璧な政策も人もない。その不完全性をまともに承認できないあらゆる人たちの眼が、共に貧困なのである。
(出典:曽野綾子『貧困の光景』、新潮文庫、P201)

昔ながらの牧歌的な生活を進んで営む人たちは、
経済的には「貧しい」が、彼らを「貧困」とは呼べない。

「貧困」は、その背後に被いかぶさる、
ナニモノかによって「貧しさ」に押し止められている状態、
のことを指すのではないか。

それは、あるいは、
人種差別による隔離の結果かもしれないし、
階級制度による職業の制限かもしれないし、
森林伐採による農地の減少かもしれないし、
地球温暖化による干ばつかもしれない。

そう単純な問題ではないのは百も承知の上だが、
貧困とは、一方で富や権力が生まれる陰に必ず現れる。
そういう構造が世界のいたるところにあるのは事実であろう。

寄付によって、そうした貧困を救おうというのが、
日向者ができる、ツケの支払い方なのかもしれない。
だが、それは一時的な救済にしかなりえないし、
何より、途中でピンハネされてしまい、
本当に貧困な人にそのお金が届く可能性は限りなく低いともいう。

が、だからといって、じゃあ寄付をするのは止めよう、
というと、何もしないで口ばかりの偽善者ということにもなる。
どこかの大富豪が何の気なしに寄付する1億ドルのほうが、
凡百の議論よりも遥かに有益であることは疑う余地が無い。

本当に貧困を救いたいのならば、
学者になるよりも、立派なビジネスマンとして大成して、
稼いだ金を余すことなく、貧困撲滅のために使えばいいのだ。
極論を言うならば。

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たぶん、自分自身、本当の意味で「貧しい」ということを、
本質的に理解できていないし、この先も理解できないだろう。

貧しい者たちは、その日暮らしに懸命であろうとすればするほど、
自らが貧しい立場に追いやられていることに気付かず、
富める者たちは、貧しいとは何かを頭では理解できるが、
本当の意味での貧しさを知り得ない、というパラドックス。

ただ、一度足を踏み入れてしまったからには、
目を逸らすことができない現実も一方では存在している。

世界の人口はまもなく70億人に達しようとしている。
そして、世界の食料資源は、およそ50億人を養うことができるという。
目に見えた人口過多が、搾取する側とされる側を生む。
それが、世界のいまの構造なのだ。
それを理解することが、まずは出発点になる。

自分は、貧困を救うために何かしよう、
なんて、真っ直ぐな人間ではないことは百も承知の上であるが、
旅に出ると、少しだけ、そういう気持ちが頭をもたげてくる時がある。

そして、そういう自分も、きっと、
そんなに悪くない自分だと、最近はそんなふうに思うのだ。

2010/10/06 12:00 | アジア周遊, 雑記 | No Comments

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