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2013/05/07

今回、気仙沼を訪れた大きな目的は、新年度の挨拶回りだ。
昨年度、当研究室で行ってきた、復興まちづくりのための支援活動。
それを、今年も継続させてもらいたい、という行脚の旅。

まずは、現状把握のためのヒアリングを行う。
それを受けて、企画を持ち込み、先方へぶつけてみる。
向こう側の思惑を感じ取りながら、企画を微修正していく。
根本的なズレが生じていれば、改めて打合せの時間を持ちましょう、
ということになる。
時には、時間外の飲みニュケーションも必要になる。

なんのことはない。
サラリーマンをやっていたときに、やっていた「仕事」と、
何ら変わらない、日常的な業務が、そこにはある。
研究や支援と名を変えたからといって、それが変わるわけではない。

—–

違いがあるとすれば、それは、
「お金の流れ」と「責任の所在」の2点に集約されると思う。

オフィシャルとプライベートの線引きをする上で、
一番明確なラインは、対象からお金をもらっているか否か、だろう。
当然、金銭が発生していれば、プロとして仕事をしなければならない。
お金=責任、という構図がはっきりしている。

しかし、今回の活動は、気仙沼市からお金をもらっているわけではないし、
もちろん、支援をしている地元の人達からお金を受け取ることも有り得ない。

専門家(教授)であれば、話は少しわかりやすい。
研究計画を立て、それが承認されれば、研究費という形でお金が下りる。
今回のようなケースでは、専門家派遣、という枠組みで、活動資金を得ることもできる。

一方、大学院生という立場は、極めて曖昧だ。
自身の研究室が、研究資金を潤沢に持っていれば、その範囲内で活動することもある。
しかし、多くの場合、院生のフィールドワークは手弁当で行われるのが現実だ。

好きでやっているのだから…、とか、社会貢献がうんぬん…、とか、
思いだけで突き進んでいけるのは、最初のうちだけ。

ごく個人的な研究ならまだしも、支援活動という形を取っている以上、
手元に残るお金はなくてもいいから、せめて交通費と宿泊費だけでも…
と思うのは、長く活動を続ける上では、ごく当たり前の発想だと思う。
そうでなければ、いつまでも、オフィシャルとプライベートの境界線が、
はっきりしないままに、ずるずると流されていくことになる。
このような状態では、良い活動はできないし、双方にとってよろしくない。

さて、そんなぐるぐる回る思考を、自分自身の立場に当てはめてみると、
どうやら、いまここに至っても、活動資金の出所は安定しているとは言い難い。
オフィシャルな「仕事」として請け負って当地を訪れたのは、
おそらく片手の指で数えられるほどだろう。

つまり、「仕事」ではないから、「趣味」だと言っているのか、
というと、話はそれほど単純でもない。
その言い方だと、「責任」も放棄することになる。

自らを突き動かすもの。
それは、「仕事」であれば、「責任」だろう。
しかし、このケースにおいても、責任が生じないわけじゃない。
請け負ったことは、たとえお金が発生していないとしても、
「責任」を持って、きっちりこなす。
そうでない人を、地域が受け入れてくれるはずが無い。

でも、「責任」だけでは、説明できない、モチベーションの源泉が別に無ければ、
自分の行動原理を上手く説明できそうにない。

—–

そんな悶々とした自分をあざわらうかのように、
4月末の気仙沼では、東京から1ヶ月遅れの桜が見頃を迎えていた。

今回の訪問の顛末をまとめると、ざっと以下のようになる。

気仙沼に密着して活動を続けるNPOの職員と、打合せの後で、
打合せ時間の軽く3倍近い時間、飲んで歩いたりする羽目になる。

気仙沼で絶大な購読者数を誇る地域紙、三陸新報社の編集者と会えば、
「一緒に昼食をとる」という約束だったはずが、たっぷり3時間も定食屋に居座って、
店のおっちゃんに、笑いながら「帰れ」と言われたりする。

気仙沼出身の友人の紹介で会った、地元高校の元教員(というか友人の父親)と会えば、
毎回、「お土産を持って帰れ」と言われて、荷物が増える。

気仙沼で有名なコーヒーショップで、大学関係者と打合せをしていれば、
ふらっと、地元の有力企業の社長が現れて、声をかけてくれたりする。

仮設住宅で行われるお花見会に飛び入りで参加させてもらっていたら、
親しい自治会長さんからビールを勧められ、「車なんで…」と断ると、
今度はノンアルコールビールを持ってきてくれたりする。

などなど…

こんなふうに関わることができている地域と、
一緒に、同じ方向を向いて、未来を考えることができる愉しさ。
それを味わうために、自腹を切って、現地に通う。

これが、「趣味」でなくて、いったいなんだろう。

行動原理は何か、と問われたら、たぶん自分は、「知的好奇心」と答えるだろう。
そしてきっと、「知的好奇心」にもとづく活動を、人は「趣味」と呼ぶのだろう。

—–

最近でこそ、「気仙沼へは趣味で来ています」なんて、軽口を叩けるようになってきた。

たぶん、ここには、自分が「職を捨てて」やりたかったことが詰まっている。
そんな予感を覚えながら、また1年、気仙沼にお世話になろうと改めて思う。

2013/05/07 12:00 | 大学院生活 | No Comments

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