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2010/09/22

今回も引き続き、今夏の旅の記憶から。
ただ、前回までのブータン目線から一歩引いて、
少し大局的な話をしてみようと思う。

大局的、なんて言うと、さもデカい話をしそうだが、
そこはそれ、斜に構えた人間なので、あまり役に立つ話はしない。

今回は、その名もずばり、『バックパッカー』とはなにか?
という、普通に生きてるヒトにとっては、ややどうでもいい話だ。

前回、少しだけバックパッカーについて言及したのだが、
はて、そういえばバックパッカーってなんだろう、
と、キーボードを叩く指が止まったのが、そもそものきっかけ。

とりあえず、Wikipediaを叩いてみると、以下のように定義されている。

バックパッカー(英語: backpacker)は低予算で国外を個人旅行する旅行者のことを指して使われてきた言葉である。バックパック(リュックサック)を背負って移動する者が多いことからこの名がある。日本語では「パッカー」と略すこともある。こうした旅行(バックパッキング、英語: backpacking)はまた自由旅行や低予算旅行(budget travel)とも呼ばれる。
従来の旅行者との違いとして、移動に公共交通機関を使うこと、ユースホステルや安宿を伝統的なホテルよりも好むこと、世間的な休暇よりも長い期間に亘ること、バックパックを使うこと、観光地を見るだけでなく地元の住人と出会うことにも興味があることなどが挙げられる。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

簡単に言うと、
なるべく安い航空券で現地へ飛び、
なるべく安い交通手段で移動し、
なるべく安い宿に腰を据えて、
なるべく安い食事で腹を満たす、
ような人種のことを指す。

ただし、どこからがバックパッカーで、どこからが違うのか、
その定義は酷く曖昧なものだ。

例えば、1泊だけ高級ホテルに泊まったら違うのか。
例えば、移動は全てタクシーだったら違うのか。
例えば、観光には金銭を惜しまないヒトは違うのか。
例えば、厳密なスケジュールを立てているヒトは違うのか。

日額いくら以下で暮らす、みたいな定義付けも可能だが、
それだって、国が変われば物価も変わり、
一定した基準を設けることはなかなかどうして難しい。

さらに言えば、
実は、バックパックを背負っているかどうかはさして重要ではない。
単純に、彼らの旅のスタイルには、バックパックの方が向いている、
というだけであって、それが必要条件ではない。

そういう意味では、
今回の旅は、バックパッカーであった部分もあるし、
そうでなかった部分も多々あると言える。

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さて。
なぜ、彼らは『バックパッカー』に目覚めるのか。

そう、はじめからバックパッカーであるヒトはいないため、
必ずどこかで、目覚めた瞬間があるはずなのだ。

まず第一に、彼らの目覚めは若い時分、
特に学生時代に訪れる場合がほとんどと言って差し支えないだろう。

金は無いが、時間と体力がたっぷりあること。
それが、良いバックパッカーの絶対条件だからだ。

目覚めのきっかけは、
就職前の最後のモラトリアムであったり、
悶々とした日常からの脱却であったり、
あるいは、失恋の痛手を癒すためであったり。

実は、そこを上手く答えられるヒトは、あまりいない。

誰かの言葉を借りれば、「若さ故の過ち」と片付けられてしまいそうだが、
彼らは、社会の構成員であることを放棄しているのかというと、
どうやら、一概にそうとも言い切れない。

バックパッカーのバイブルとも言われる、
沢木耕太郎「深夜特急」を例に引こう。

この著書の中で、主人公はインドのデリーからロンドンまで、
乗合いバスで行く、という目的を果たすために旅をしている。

そして、その旅の理由を、こんなふうに述懐している。

ほんのちょっぴり本音を吐けば、人のためにもならず、学問の進歩に役立つわけでもなく、真実をきわめることもなく、記録を作るためのものでもなく、血湧き肉踊る冒険大活劇でもなく、まるで何の意味もなく、誰にでも可能で、しかし、およそ酔狂な奴でなくてはしそうにないことを、やりたかったのだ。
(出典:沢木耕太郎『深夜特急1 香港・マカオ』、新潮文庫、P25)

つまり、それが『旅』である必然性すら特に無かった、ということになる。

それが全てのバックパッカーに当てはまる真理だ、
などと言うつもりは毛頭無いが、ただ、頭の片隅に、
旅をしていない自分を、常に思い描きながら旅をする。
それが、バックパッカーの心意気であり、
唯一の社会との接点であるような、そんな気さえしてしまう。

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少し話変わって。

今回の旅で、図らずも、
バックパッカーの聖地と呼ばれる場所をいくつか訪れた。

バンコク(タイ)のカオサンロード。
カトマンズ(ネパール)のタメル地区。
カルカッタ(インド)のサダルストリート。
デリー(インド)のパハールガンジ。

これらの街、というか通りは、外国人向けの安宿が密集した地帯であり、
通りを行き交う人種も多種多様。
なのだが、実際訪れてみると、驚くほどその姿形が似ている。
いや、その醸し出す空気が似ているというべきか。

そしてもうひとつ言えることは、
ここでは、バックパッカーこそが、彼らの生活を支える、
経済の屋台骨を担っている、ということだ。

安い安いといっても、それはあくまでも我々側の論理。
そこに住む人々にとっては、バックパッカーの落とす金額は、
現地人の平均よりは少なくとも高額で、
それ故に、外国人向けの商売人がこぞって押し寄せてくることになる。

実は、そのあたりの話を書いた(と思われる)論文を見つけたので、
それを読了してから今回のコラムを書こうと思っていたのだが、
どうにも英語ってやつが厄介で、残念ながら未読。

Backpacker Tourism and Third World Development
(バックパッカー旅行と第三世界の開発について)

この論文が読み終わって、また論点が整理できたら、
今回の話の続きでも書いてみようかと思う。

若干尻切れ感が否めないが、今日のところはこのあたりで。

2010/09/14

初の海外フィールドワーク(@ブータン)に訪れた8月。

そもそも、文化人類学とかそっち方面に知見があったわけではないので、
「フィールドワーク」といっても、実はあまりよくわかっていなかった。

ただ、一応、入門書のようなものを読んでみたし、
参考のために文化人類学の講義にも出席したりしてみたものの、
小手先のテクニックだけを学んだところで、
そのとおりになるはずなんてまずないだろう、という予感もあった。

何より、「何が分からないか分からない」から研究しているのであって、
何を探せばいいのか分かっているなら、誰か他の人がやればいい、
という思考に行き着いてしまうような難儀な性格が災いしてか、
結局、さしたる準備もせずに出発の日を迎えてしまった。

そういう意味では、ほとんど普段の旅と変わらない、
予定調和2割、行き当たりばったり8割といった混ざり具合で、
見て、聞いて、気になったことをメモして、という過ごし方。

結果、事前に連絡すべき人に連絡ができていなかったりと、
反省も多々あったのだが、自分なりには収穫もあったと思っている。

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今回の旅で印象に残ったエピソードの中に、こんな話があった。

チベット仏教を信奉するブータンにおいて、一番の聖地とされている、
「タクツァン僧院」という寺院に登っていたときのこと。

タクツァン僧院は、断崖絶壁に位置しており、
麓から険しい山道を2時間以上かけて登らなければ辿り着けない。
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だが、敬虔なブータンの人々にとっては、
この山に登れるということは、至上の喜びであり、
良い「カルマ(業)」を積むことに繋がるのだという。

ちなみに、カルマとは仏教用語で、「行為」を意味しており、
良い「行為」をすれば、それが良い「果報」として返ってくる、
というものである(ものすごいざっくり言えば)。

この山、馬に乗って登ることもできるのだが、そうすると、
「得られるカルマは、馬と折半になってしまう」から、
なるべく自力で登った方がいい、のだとガイドに諭され、
なんとかかんとか、頂上まで辿り着くことに成功した。

その帰路。
ガイド曰く。
「君は今日、普通にこの山に登るよりも、2倍のカルマを手にした」と。

なぜなら、「君がここに来てくれたおかげで、僕(ガイド)も、
今日ここに来て、良いカルマを得ることができた」からだという。

この言葉、宗教的な観念うんぬんは抜きにしても、
なんだかとても、素敵な発想のように思えたのだ。

この話が、いま自分が研究テーマとしている情報化の問題と、
どのように線を結ぶのか、いまはまだよく分からない。

ただ、彼らなら、金銭欲や物欲のためではない開発、というのも、
あながち夢物語ではないのかもしれない、
と、本気で思えるようになったのも、また確かである。

百聞は一見に如かず、とは良く言ったもので、
まさしく、自分の目で見てきたものについては、
自分の血となり肉となって、きっと良い研究成果をもたらしてくれる、
そんな予感がしてくる。

これこそが、馬に乗っていては得られない、
グッドカルマの成せる業、なのかもしれない。

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さて、話は逸れて。

ブータン、という国を研究しはじめて早半年。
各所で「ブータン研究家」なんて肩書で呼ばれることも増えてきたのだが、
実は、そう呼ばれることには凄く違和感を覚えている。

もちろん、研究するからには、その道を極めてみたい、
という思いがあるのも事実ではあるのだが、
それとは裏腹に、5年くらいでまた新しい道を歩いていそうな気もする。

良く言えば、好奇心旺盛。
悪く言えば、飽きっぽい。

これまで、そういう生き方しかしてこなかったので、
1つの道を選択することに、必要以上にこだわりがない。
物見遊山で次々といろいろな道に首を突っ込んで行くのが性に合っている。

裏を返せば、その道の専門家には成り切れない、という弱みがある、
とも言えるかもしれない。

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先週末、本コラムの大元であるJunkStageが主催した、
「JunkStage Cafe」なるイベントが、東京・中目黒で開催された。
http://www.junkstage.com/100911/

その中で、旅好きが集まるスピンアウト企画が催され、
今回、そこにスタッフとして参加することができた。

そこで得た、というか紹介された肩書が、件の「ブータン研究家」である。
確かに、いま、旅好きの間では、ブータンはちょっとした注目を浴びており、
研究家を名乗ることで、人目を惹くことができるのは事実。

その一方で、この日集まったメンバーの話を聞いていて、
自分には「旅人」あるいは「バックパッカー」という肩書も、
ちょっと荷が重いような気がした。

何故って、彼らは、それこそ、
氷点下になりそうな砂漠の中で寝袋で一夜を過ごしたことや、
不用意に軍の施設を撮影してしまい警察に捕まったことや、
入国不可の国のビザを何ヵ月もかけて交渉して勝ち得たことなど、
辛かったエピソードと言いながらも、嬉々として話すのだ。

確かに、自分も、バックパックを背負って旅するのが嫌いではないし、
ヨルダンで、気温50℃の灼熱の砂漠を歩いて死にかけたことや、
モロッコで、タクシー運転手と口論になり警官に撃たれかけたことや、
インドで、乗合いバスのフロントガラスが走行中に大破したことなど、
普通の旅行者なら、二度と経験したくないであろう話も、
自分の中では、旅の笑い話として必要不可欠なエピソードになる。

なるものの、できれば楽な旅をしたい、というのが本音だ。
行き当たりばったり10割は、自分にはちと辛い。

金が唸るほどあるのなら、間違いなく安宿には泊まらないし、
旅の強者たちの話も、凄いとは思うが、真似したいとは思わない。

ただ、パックツアーは、たぶんもっと自分には合わない気もする。
人生そのものが寄り道だらけなので、寄り道ができない旅はすぐ飽きる。
予定調和10割も、相当辛い。

なんだろう、楽な旅というか、自分勝手な旅が好きなのだ。
たぶん。

やっぱり、自分には、何事も物見遊山が性に合っているのかも、
なんて考えながら、収拾のつかない思考に頭を巡らせる、
そんな残暑の夜。

2010/09/06

今夏の3週間のアジア周遊。
その旅の目的のひとつが、
「ブータンの情報化事情」をこの目で見ること、だった。

ブータンは、地球最後の秘境と呼ばれるほど、未開の地であった。

その国が、1960年代を境に近代化に着手したわけだが、
その開発コンセプトは、伝統文化と自然保護を最優先とする、
言わば、ブレーキをかけながらアクセルを踏むような、
ある種、矛盾した、危ういバランスを保ちながらの前進だった。

世界中が「情報化」を叫び出した1990年代に入っても、
ブータンでは依然としてテレビ放送、インターネットを禁止し、
その影響力が国内にもたらす混乱を抑えようとしてきたのだ。

そのブータンにおいて、
テレビ放送、インターネットが解禁されたのが、1999年のこと。

2003年には、携帯電話もサービスを開始し、
こと、情報化のツールにおいては、先進諸国と同じレベルに立った。

それから10年が経ったいま。
ブータンの人々は、情報ツールをどのように使いこなし、
また、国家としては、どのような方向に舵を切ろうとしているのか。

それを確かめるべく、今回、初めてブータンの地に降り立った。
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とはいえ、どこから見たらよいものやら、実は途方に暮れていた。

本気でフィールドワークをしようにも、
ブータン滞在には1泊200ドルの公定料金が定められており、
しがない学生の身には長期滞在どころか、1週間腰を据えることも難しい。

短時間でポイントを押さえて調査しなければならないのだが、
初訪問の、書物やインターネットの知識しか持たない状態で、
それこそ、あまりポイントを絞ってしまうのも、的外れになりかねない。

まずは、見るともなく見る。
どこから着想が得られるかわからないなら、とにかく歩く。
というのが、自分なりに出した結論だった。

それに基づいて、
街中を歩き、
農村を歩き、
さまざまなお店を覗き、
いろいろな人に話を聞いた。
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それら、見聞してきたことを、帰国してから少しずつ整理しているが、
正直、まだ、そこから何か、本質を掴まえる萌芽のようなものを、
上手く見出せたとは言えない状況ではある。

なので、あまり切れ味のいい話はできないのだが、
それでも、自分なりに好奇心を刺激された話を、いくつか紹介したい。

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まずは、携帯電話に関して。

ブータンにおける携帯電話の普及率は、実はかなり高い。
数字そのものは50%前後というあたりだが、
そもそも携帯電話を使えない、あるいは使わないような、
高齢者や子供を除けば、その普及率は限りなく100%に近くなるという。

もちろん、それにはいくつかの理由がある。

「昔は、固定電話をひくことが夢だった時代もある」
というほど、ブータンではそもそも、電話が普及していなかった。
国土全体が山がちであるため、電話線をひくためには大金が必要であり、
そんな金を払える人間はごく少数だったのだ。

つまり、ブータンでは、ついこの間まで、
隣村との連絡手段は手紙(それも1日2日がかり)しかなかった。

そこへ、アンテナを1本立てるだけで通話が可能になるという、
携帯電話が流通しはじめると、ブータン人は我先にとこれに飛びついた。

リアルタイムで、隣村どころか、国の端と端でも話ができる。
こんな革命的なことは、いままでなかったのだ。

端末の価格や通話料金については、日本に比べれば格段に安い。
端末は安い物でNu.1,000(≒2,000円)くらい、
通話は1分間Nu.2(≒4円)前後、
SIMカードはNu.75(≒150円)くらいから手に入るとか。
(ちなみに、SIMロックフリーだ)

実際、街中で携帯端末を売っている店を覗いた感覚では、
下はNu.1,900から、上はNu.7,500くらいまで揃っていた。
インドかタイあたりから流れてきた中古端末が多いという。
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金銭的な面から見れば、非常に恵まれた環境だとも言えるが、
「こと通信手段に関しては、インドの衛星国状態になっている」
との声も聞かれたように、通信回線の敷設やその品質は、
大部分をインドの技術に負っており、
そのおこぼれに縋っているのが実態、という現実もあるようだ。

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次いで、テレビについて。
幸いにも、国営放送であるBBSの編集長という方にお話を聞く、
貴重な機会を得ることができた。

1999年まで、ブータンにはテレビ放送が無かった。
テレビを所持し、インドの衛星放送等を受信している者もいたそうだが、
公式には、テレビは20世紀末になるまで存在しなかったのだ。

そんな状況下において、テレビ放送を導入した意義を、
彼は次のように語ってくれた。

裸足の人が靴を手に入れれば、皆喜ぶだろう。
国民はテレビの導入を歓迎してくれたと私は思っている。

だが、同じ靴でも、NIKEがいいとか、Reebokがいいとか、
そういうブランド志向が出てくると話は変わってくる。
もっと、もっと、という気持ちは幸福には繋がらない。

いま、テレビ放送、特に国営放送は大きな岐路に立っているそうだ。
ブータンでは、国営放送のほかに、CATVが普及しており、
50を超えるチャンネルを視聴できるため、皆こぞって加入している。
そのあたりは、NHKよりも民放に群がる日本人心理に少し似ている。

そして、CATVで、例えばインド等の過激なバラエティ番組を視聴して、
その影響を受ける子供が急増している、というのだ。

もちろん、因果関係は定かではないが、
昔は窃盗などの軽犯罪すらほとんど無かった国で、
ドラッグ犯罪などが横行している、という現実がある。

アメリカでは、人が1人死んでもニュースにはならないだろう。
ブータンでも、軽犯罪はニュースにならなくなってきた。

彼はこんなことを言って、その状況を憂いていた。

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少し大袈裟ではあるが、ブータンはいま、
産業革命と情報革命が一緒にやってきたような、
そんな大きなうねりの中にある。

もちろん、まだまだ、
テレビは、エンタテインメントツールに過ぎないし、
携帯電話は、コミュニケーションツールに過ぎない。

インターネットはといえば、
観光客向けのホテル等は、wi-fiも導入され先進国レベルなのだが、
実は、民間にはまだほとんど普及していない。

何よりも、パソコンは高価だし、
識字率がまだ高くないため、読めなければ使えないから、
というのがその理由だ。

話す聞く、と、読み書きとの間には、厳然たる溝がある、
ということを、改めて気付かされる言葉だった。

そのブータンでも、いま、教育水準も少しずつ上がりはじめ、
しかも、これからのグローバル社会を見越して、
全ての授業を英語で行っていると聞く。

が、それに対して、自国の言語をないがしろにすることは、
伝統文化保護の原則に反している、との批判もあるようだ。

情報化と一口に言っても、その背後のあらゆる事情を噛み砕かなくては、
議論が先へ進まない、まさに分岐点に、いまあるのかもしれない。

この問題、探れば探るほど、深みにハマっていくような感覚もあるが、
だからこそ、学問の面白さを内包している宝の山のようにも見える。
今はまだ、登山道の入口を見つけたに過ぎない状況のため、
これから少しずつ、その深淵に足を踏み込んで行きたい。

2010/08/30

去る8月7日から25日まで、約3週間に渡ってアジアを周遊してきた。
中国・成都からはじまり、チベット、ネパール、ブータンを経て、
インド北部を横断し、最後はタイのバンコクから日本へ帰国した。

本コラムではたびたび触れてきたが、
筆者の現在の主たる興味は、ブータンという国に向いている。

アジアの最貧国のひとつでありながら、
国民の97%が幸福と答える国、ブータン。

今回の旅は、その研究旅行という名目を含めつつも、
兼ねてから気になっていたその周辺国もまとめて回ってきてやろう、
という、とても欲張りな旅になった。

本コラムでは、今回から数回に渡って、
この旅で見聞してきたことを中心に、論を組み立てていきたい。

とはいっても、あまり深堀りすると、
このあたりの情勢はすぐに政治的、あるいは宗教的な問題に行き当たる。
もちろん、それは回避できない大きな問題ではあるものの、
そこの話をしはじめてしまうとどこまでいってもキリがないので、
できる限りそこを上手く丸めながら話を進めていくことにしたい。

そんなわけで、事情通の方にとっては、
むしろ退屈な話に終始してしまう可能性も大いにあるのだが、
そこのところは、どうかご容赦いただきたい。

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前置きが長くなったが、まず初回は総括的な話をしておこう。

最初の目的地は、成都を経て訪れたチベット・ラサ。

それこそ、政治的、宗教的にいろいろと物議を醸してきた地ではあるが、
今はもう、仄かなチベット仏教の香りを残した一大観光地、といった印象。

ポタラ宮のたたずまいは、宗教都市としての静謐さと荘厳さと、
そして、一筋の物悲しさを訴えかけてきているようにも感じられた。

まだ多くの問題が山積しているのは重々承知の上だが、
かの地で暮らす人々の目は逞しく、前を向いているように見えた。

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次なる目的地は、ネパール。
首都カトマンズ、そしてヒマラヤを望むナガルコットという村を訪問した。

カトマンズは、噂に違わぬ、喧噪と埃にまみれた街だった。
そんな街中の路地を、すりぬけるように駆け抜けるタクシー運転手の神業。
高名な仏寺よりもなによりも、そんなネパール人の器用さばかりが、
何故か強く心に刻まれてしまった。

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そして、今回の旅のハイライトである、ブータンへ。

様々な事前情報を入れていったものの、まず度肝を抜かれたのは空港。
山間を飛ぶ20名程度を乗せたプロペラ機が降り立った場所は、
およそ空港らしい設備が無く、そもそも他の飛行機が1台もいない。

一時代昔、といってもそんな時代を知らないのだが、の原風景がここに。
暮らしは至って質素、というより贅沢ということを知らない、という雰囲気。

今回の旅では、ブータンの表面をなでるだけに留まってしまったが、
さらに深くこの国を知りたいという思いを新たにした。

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続いて訪れたのは、インド。

幾人かの人に、インドに行ったらハマってしまうから止めておけ、
という妙な釘の刺され方をしていたので、余計な警戒をしていたのだが、
兎に角、暑さと匂いと小汚さに若干辟易気味だった。

ヴァラナシで、聖なる河ガンガーに沐浴しても、
アーグラで、世界一美しい墓、タージ・マハルを眺めても、
なかなか拭い切れない、インドへの淡い不審感。

インドへの思いが芽生えたのは、インドを離れ、バンコクへ降り立ってから。
バンコクの、東京に比べたら小汚いのだが、小綺麗な街並を見ていたら、
なんだか物凄く、物足りなさを感じてしまった。
ああ、これがインドにハマるということか、と認識するに至ったわけだ。

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と、駆け足で今回の旅を振返ってみたが、
これでは只の旅の日記帳なので、次週からはもう少し小真面目な話を。

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