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先日、こんな記事がインターネットニュースに掲載された。
封建時代から一気に現代へ、ブータンを変える携帯電話
http://www.afpbb.com/articles/-/3013074
これについては、自身の研究対象にどストライクであったため、
何か物申すべき、と思ってあれこれ思案を巡らせてみたのだが、
まだまだ調査中で多くを語れないもどかしさもある。
あまり現段階で中途半端なことは言えないのだが、
過去に寄稿した文章で、このあたりに言及したものがあったので、
一部改訂を加えて転載してお茶を濁すことでご勘弁いただければと思う。
「ブータンの情報化」をテーマに研究をしている、という話をすると、
まず「どうしてそんな研究を?」という怪訝な顔をされることが多い。
「幸福の国」として語られることの多いブータンと、
「情報」という現代社会を象徴するような言葉とが、
上手く結びつかないのだろう。
たしかに、ブータンは近代化、特に先端技術を導入することに対して、
最大限の注意を払ってきた。
自然環境への負荷、伝統文化への浸食を最小限に抑えることが出来なければ、
経済的メリットを得られたとしても、結局は国民の幸福には繋がらない、
との考えからであった。
当然、情報化を進める上でも、慎重な政策が採られてきた。
かつて、ブータンの先代(第4代)国王は、
「欲望は人間が受け取る情報量と比例して増大する」と語ったという。
そこには、「情報」がもたらす影響力、
例えば、欲望を刺激され、過度の消費主義に走ってしまうことなどに、
強い警戒感を抱いていたことが伺える。
それは、「国民総幸福 (GNH=Gross National Happiness)」を提唱した、
先代国王自身にとって、最も恐れていた事態、と言える。
それでもなお、国家政策として情報化を推し進めなければならなかった、
その背景事情には、時を同じくして進行していた民主化への歩みが
大きく影響していると考えるのが妥当である。
「情報」が広く国民に開かれていることは、
「国民が、自らの良識に基づいた正しい判断を下す」ことを是とする
民主国家にとって、必須条件であったためだ。
このような経緯を経てブータン国民に与えられた「情報」は、
果たして彼らを「幸福」に導いているのだろうか。
学問的には、その問いに答えることは極めて難しい。
「情報」と「幸福」のあいだには、多くの間接的要因が折り重なっており、
その直接の因果関係を特定することはほぼ不可能に近い。
新しい「情報」、
例えば、隣国での生活の様子がテレビで紹介されることによって初めて、
自分たちの生活が相対化される。
つまり、彼らに比べて我々は貧しい、といった状況を認知することになる。
そのとき、人々の心に生まれるのは、憧憬や羨望だろうか。
そうしたプラスの感情が、ある種の原動力となって、
能動的に変わろうとするならば、
情報化はきっと国民を幸福へと導いていくだろう。
しかし、嫉妬や諦観に支配され、ネガティブな思考に囚われてしまえば、
その未来は決して明るくない。
「情報」そのものが善であったり悪であったりすることはなく、
全てはそれを受け取る人間の心一つ、ということになる。
さて、最後に一つ。
1960年代からはじまる、高度経済成長時代の日本。
その中に、工業化の次を見据え、技術革新によってもたらされる近未来社会、
「情報(化)社会」を夢想した先達がいた。
その中の一人、増田米二は、
情報(化)社会では、コンピュータが人間の知的労働を代替・増幅する、
という技術革新が、社会・経済構造だけではなく、
人々の価値観をも大きく変革することを予測した。
その一方で、彼の著書の中には、
情報社会の国民目標は「国民総充足 (Gross National Satisfaction) 」である、
という文言が出てくる。
工業化、情報化を経て、労働から解放された我々に待つのは、
生産力や効率性の高さを競い合うことではなく、
満たされた生活こそが、真に求める社会の姿になる、と予見したのだ。
当時の日本で、ブータンが提唱する「GNH」を紹介した文献等は皆無であり、
増田が、「GNH」という言葉を知っていた可能性は限りなく低い。
それでもなお、彼の提唱した「GNS」は「GNH」と驚くべき近似を示している。
この偉大な先達は、
「情報」に、満ち足りた未来(≒「幸福」な未来)を託したのだ。
GNH研究所 ニュースレター vol.7(2013年10月15日発行)より
※一部改訂
前回記事はコチラ
89.ブータンの「ネット選挙」(7)
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=497
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丸二ヶ月以上に渡る連載をお届けしてきたが、今回をもって最終回としたい。
最終回は、選挙期間中に現地で行ったインタビューをご紹介するとともに、
本連載のタイトルにもなったブータンにおける「ネット選挙」事情について、
改めてブータン独自の状況を勘案した上で、筆者なりの結論を記しておきたい。
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●首都ティンプー市民の声から
筆者は、ブータンの首都ティンプーにおいて選挙現場に立ち会った、
数少ない日本人の一人であった。
幸いにも、そこで、選挙前、選挙当日、そして、選挙後を含めて、
拾い上げることができた市民の生の声をお伝えすることにしたい。
《投票するかどうか?》
YES:28人(内、郵便投票:8人)/NO:14人
この結果は、奇しくも、今回の選挙全体の投票率66.1%と限りなく等しかった。
《なぜ投票するのか?》
大多数は、「より良いリーダーを選ぶため」や「良い政府を選ぶため」という意見で、
自らの意見を国政に反映させたい、という意識を強く持っていた。
その一方で、
・「生まれて2回目のチャンスだから」(54歳男性・無職・ティンプー県出身)
・「民主化は前国王からの贈り物だから」(63歳男性・建設業・チュカ県出身)
という、2008年に民主化を果たしたばかりの、ブータンらしい意見も聞かれた。
《なぜ投票しないのか?》
「忙しいから」「仕事があったから」という回答が多くを占めたが、
日本ではありがちな、いわゆる無関心層は皆無であった。
ただし、民主主義そのものに疑問を呈するような、
・「ルピー危機等問題山積で、DPTは問題があった。PDPも同じく期待薄。2008年以前が良かった」(27歳女性・販売業・サムツェ県出身)
・「選挙運動に問題があった」(31歳男性・無職・タシヤンツェ県出身)
という回答も散見された。
ブータンにおける選挙運動は、日本のそれとは異なる部分も多い。
例えば、ブータンでは、選挙カーが走り回ることも無いし、
街頭に候補者が立って、マイクを持って演説する、ということも無い。
街中は至って静かなもので、選挙の面影があるとすれば、
そこかしこに立っている選挙ポスター掲示板、くらいのものだろう。
基本的に、ブータン人は、ニュースを見るか、インターネットを見るか、
あるいは他の何らかの手段を使って、能動的に選挙に関する情報を取る、
ということになる。
《ニュースソース》
有効回答者 39人中、テレビ(BBS)を主なニュースソースとしていたのは 27人、
新聞(主にクエンセル紙)と回答したのは 15人であった。
※複数回答可。ただし、具体的な情報源については無回答もあり。
《ソーシャルメディア利用》
有効回答者 39人中、選挙に関してソーシャルメディアを利用したのは 14人。
30歳未満に限定すると、23人中 14人となった。(つまり30歳以上の利用者ゼロ)
《ディベートの閲覧》
日本の選挙と大きく異なる点の一つが「ディベート」だろう。
日本でも党首討論は必ずテレビで放送されているが、その視聴率は芳しくない。
一方、ブータンでは、有効回答者40人中、実に38人が、
何らかの手段で、候補者同士によるディベートを1回以上閲覧していた。
閲覧者の多くが、「満足した」という好意的な感想を述べていたが、
中には、
・「候補者が悪い言葉を使っていて良くない」(62歳男性・警備員・ツィラン県出身)
・「無理な約束をしている」(19歳女性・学生・プナカ県出身)
・「質問をしたくても時間が短過ぎる」(21歳男性・学生・サムドゥプジョンカル県出身)
という批判的は声もあった。
《政党の集会参加》
有効回答者 41人中 14人が、DPT・PDPのいずれか(または両方)の集会に参加していた。
《投票の決め手になった情報源》
有効回答者 25人中、「ディベート」が最も多く、10人が回答した。
その他、「テレビ」「新聞」「マニフェスト」など票が割れたが、
「結局、決めるのは自分自身」という声もあった。
なお、「ソーシャルメディア」と回答したのは、1名のみであった。
《PDPの勝因(選挙後)》
以下の回答は、概ね、現地での報道と相違ない内容であったように思う。
・「2008年にDPTが約束したことがあまり果たされなかった」(38歳女性・主婦・プナカ県出身)
・「インドの経済援助に関する悪い噂のせいではないか」(23歳女性・販売業・ティンプー県出身)
・「予備選で敗退した2つの政党がPDPを支援したからではないか」(28歳男性・農業・ティンプー県出身)
・「政権が変わることによって、システムが変わると期待されたのではないか。チャンスが与えられた」(46歳女性・主婦・ティンプー県出身)
《新政権に期待すること(選挙後)》
期待、というよりは、期待と不安が入り交じった回答が多くを占めた。
・「貧困層への支援をしてほしい。もし政権運営がうまくいかなければ、次回は勝てないだろう」(63歳男性・農業・ウォンデュポダン県出身)
・「若者に仕事を与えてほしい。ただ、不可能な公約だと思う」(20歳女性・学生・ペマガツェル県出身)
・「公約を果たせるのか疑わしい。5年間は短いと思う」(22歳女性・学生・ルンツェ県出身)
《その他自由回答》
・「PDPの失業率0%公約は不可能だ。DPTのほうが良い」(25歳男性・無職・ティンプー県出身)
・「自分はもうすぐ死ぬ人間なので、未来は若者が選ぶべき」(78歳男性・無職・タシヤンツェ県出身)
・「ソーシャルメディアには、従来のメディアにはない意見があったと思う」(28歳女性・銀行員・ルンツェ県出身)
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●ブータンの選挙は「ネット選挙」であったか?
今回のインタビューで、特にじっくりと話を聞くことができた2人の市民からは、
それぞれ、メディアに対するこんな声を聞くことができた。
「政党の公約はテレビや新聞から知ることができたが、ソーシャルメディア上でディベートができるのは建設的だと思う。ただし、どのように正義を実現するか。(ソーシャルメディアは)バイアスがかかる。以前のメディアに慣れているので、信じない人もいる。でも、大きな力を持つと思う」(21歳男性・学生・サムドゥプジョンカル県出身)
「メディアは、政治的選択を形成する大きな役割がある。ブータン人は政治を現実問題として受け止めて来なかった。PDPが政権を握る機会を得たことは良かったのではないか。良い変化を期待したい」(52歳男性・研究者・ペマガツェル県出身)
彼らに共通して言えることは、メディアに対しても、そして政府に対しても、
実に前向きな期待、あるいは、希望を抱いている、ということかもしれない。
もちろん、ネガティブな街の声が無いわけではなかったが、
ブータンの人々は、総じて、自分たちの国の行く末にとても楽観的であったように思う。
まだ、テレビメディアが誕生して十年余り、ソーシャルメディアに至っては5年足らず、
という環境の中で、それでも、ブータンの人々は、選挙においてメディアが果たす
「役割」というものを認識し、上手く利用できているような節も見え隠れする。
たしかに、今回の選挙戦におけるソーシャルメディア上での多くの議論は、
相手の意見を批判、否定する内容に終始してしまい、建設的なものとは言い難かった。
ただ、その中で、時には熱く議論に参加し、時には冷静に議論を傍観し、
ソーシャルメディアには何が出来て何に向かないのか、を彼らなりに選別していた、
ようにも見受けられる。
この連載をはじめた頃にも書いたように、
ブータンの選挙は、最初の時点で既にインターネットが存在していた、
いわば「ネットネイティブ選挙」だ。
ことさら、「ネット選挙」なんてカギ括弧付きで語るまでもなく、
彼らにとって、「選挙」で「ネット」を使うことは至極当たり前であると同時に、
そもそも「選挙」にも「ネット」にも習熟していない彼らにとっては、
「選挙」も「ネット」も、経験しながら日進月歩で進化させていくもの、なのだろう。
さて。
いずれにしても、新政権の真価が問われるのはこれからである。
前政権の5年間、そして、新政権の5年間が終わった後、次の2018年の選挙では、
それぞれの「実績」が評価される初めての総選挙が実施されることになる。
前回記事はコチラ
88.ブータンの「ネット選挙」(6)
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=493
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最近になって、日本では盛んに「ビッグデータ」という言葉が取り沙汰されている。
インターネット上に溢れる膨大な情報を如何に素早く的確に分析できるか、
ということが、「ネット選挙」解禁における一つの大きな目玉でもあった。
毎日新聞と立命館大学が共同で、ツイッター分析に乗り出すなど、
先の参院選の動向も盛んに研究されていたようだが、
さて、そこからどのような発見があったのかは、まだあまり漏れ伝わって来ない。
参考:毎日jp┃2013参院選 ネット選挙 ツイッター分析
http://senkyo.mainichi.jp/2013san/analyze/20130721.html
ところで、ブータンにおいて、どの程度ソーシャルメディアが利用されているのか、
という至極当然の疑問をお持ちの方もいるだろう。
ブータンの『秘境』というイメージと、ソーシャルメディアが、
上手く結びつかない人も多いのではないだろうか。
実は、2年ほど前に書いた記事で、そのことについて触れているので紹介しよう。
38.Facebook症候群
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=199
記事の中で、あまりにもブータン人がFacebookにハマり過ぎてしまい、
仕事が手につかなくなっている、という笑い話のような本当の話を書いたのだが、
さて、その後、状況はどのように変化したのだろうか。
結論から言えば、相変わらずブータン人はFacebookが大好きだし、
インターネットの普及率の上昇に伴って、利用者の数も確実に増加している。
2012年12月時点のユーザー数は 80,220人で、人口の約11.5%が利用している。
出典:SocialBakers┃Facebook Statistics┃Bhutan
日本でも、特に昨年1年間でFacebookの利用者は急増し、
2012年12月時点で、17,196,080人(人口比約13.7%)が利用している。
http://www.socialbakers.com/blog/1290-10-fastest-growing-countries-on-facebook-in-2012
若干、日本のほうが人口比の利用率では上回ったものの、
ほぼ互角、という状況はなかなか驚きではないだろうか。
それもそのはず、インターネットの普及率で比較すると、
日本が 79.1%に対して、ブータンは 18.5%と4倍以上の開きがある。
ブータンでは、実にインターネットユーザーの3人に2人が、
Facebookを利用している、という計算になる。
つまり、それだけFacebookへの依存度が高い、ということを物語っている。
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●ソーシャルメディアの光と影
前置きが随分長くなってしまったが、今回は、
選挙戦におけるソーシャルメディアの功罪に焦点を当てていきたい。
前回記事に引き続き、有識者へのインタビューを元に話を進めていこう。
まず、今回の選挙で、ソーシャルメディアはどのような効果をもたらしたのか。
クエンセル紙のチェンチョ・ツェリン編集長は、
「ソーシャルメディアは、緊急時には役立つが、選挙においては良い影響は少ないように思う。信頼性や寛容性に欠ける。それぞれがそれぞれに都合の良いことしか言わないので、悪口や悪い噂の温床にもなる。特に問題なのは、それらが事実であるか否か、確認できないことだ」
と語り、その負の影響力に警鐘を鳴らした。
BCMDのペク・ドルジ氏も、同様に、
「ソーシャルメディア上の発言は、フェアではない。あくまでも誰かの視点に立った意見にすぎないし、その良し悪しを判断できない。たまに、不快なコメントもある。ソーシャルメディアでの発言はチェックされているわけではない」
と述べ、必ずしもソーシャルメディア上での議論が建設的ではないことを指摘した。
そして同時に、
「プロのジャーナリズムとは、バランスの取れた視点を持つこと」
との見解を示し、既存のメディアとの違いに言及した。
ブータンオブザーバー紙のニードゥップ・ザンポ氏は、
「ソーシャルメディアだけを見ていると、(悪い言葉が飛び交っていて)ブータンが腐敗した国に見えてしまう」
と嘆いた上で、
「より健康的なコミュニケーションは、やはりFace to Faceが基本。テレビや新聞の取材では、必ず名前を出す」
と述べて、ペク・ドルジ氏と同じく、従来のメディアが、
情報の質の面では優位に立っていることを強調した。
一方、ソーシャルメディアの持つメリットについては、
クエンセルのチェンチョ・ツェリン氏が、「面白い話がある」と言って、
次のような話をしてくれた。
「ある親子が選挙の開票速報を、父親はテレビで、息子はインターネットで、それぞれ見ていた。息子が、ネットで速報が出たのを読み上げたが、父は信じなかった。後で、テレビで結果が流れた際に、父は息子に『なんで結果がわかったんだ?』と尋ねたという」
この話のように、ソーシャルメディアは速報性の面では優れており、
既存メディアと上手く役割分担をしていくことが重要になるだろう。
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●ブラックアウト・ピリオド
ブータンの選挙法における特徴的なものの一つとして、
48時間のブラックアウト・ピリオド(広報管制期間)が挙げられる。
以下、選挙管理委員会ソーシャルメディア利用規則 第6条を引用する。
投票日の48時間前から投票が終了するまでの間は、広報管制期間となり、以下の事項が法の下に制限される。
6.1.1 特定の候補者または政党に対して、支持または不支持を表明する選挙広報の出版、報道、放送。
6.1.2 インターネット広告にも本規制は適用される。しかしながら、広報管制期間前に公開され、期間中に更新されない限りにおいては、その掲載を継続することができる。
6.1.3 新聞、雑誌、その他の期間紙において出版される目的で準備された純粋な報道目的のニュース (インタビュー、実況等) は、特定の団体に依らず、公正な競争を促す限りにおいては、政治広報とは見なされない。
つまり、この間、いかなる候補者、有権者も、選挙運動に類する行為をしてはならず、
静かな2日間を経た後に投票日を迎えることになる。
投票日のみ選挙運動が禁止(選挙カーなどによる宣伝活動は前日の20時まで)となる
日本とは、様相がだいぶ異なる。
これについて、選挙管理委員会のダショー・クンザン・ワンディ長官は、
「48時間の広報管制期間は、各有権者が自身の選挙区へ移動する時間も考慮した。3日間とったほうが良い、という声もあるが、今回は適切だったと思う。今回、その間に何か問題が起きたという話は耳にしていない」
と述べて、その意義と妥当性について説明した。
—–
●ソーシャルメディアは誰のものか
クエンセル紙のチェンチョ・ツェリン編集長は、
「ソーシャルメディアは、教育を受けた若者のもの、という印象がある。多くのブータン人は、識字の問題もあり、インターネットにアクセスできない。スピードと同時に、どの程度の数の人に届くのかを考えるべきだ」
と語り、必ずしもソーシャルメディア上の声が、全てのブータン人の声を
代弁しているわけではない、という見解を示した。
一方、BCMDのペク・ドルジ氏は、
「ソーシャルメディアの監視は誰がどのように行うのか。ルールはあっても、それを運用することができていない」
という危機感をあらわにした。
これについては、選挙管理委員会のダショー・クンザン・ワンディ長官自身が、
「ソーシャルメディアを全て監視することは不可能だ」
と白旗を上げており、実際に、十分な規制ができていない反省も口にした。
しかし併せて、
「ソーシャルメディアも、他のメディアと同様に、伝える内容には責任を持たなければならない。それは、とりもなおさず、全てのユーザーが、自らの発言に対して責任を持たなければならない、ということだ」
と述べて、自主的な規制を促していきたい、との思いを吐露した。
さらに、「ただし」と前置きをした上で、
「自分自身の意見を述べる、というのは民主主義の基本なので、それをないがしろにしてはいけない。国民は鎖でつながれた犬ではない」
という言葉を口にして、今後、ソーシャルメディアが多くの国民にとって、
意見を述べるための受け皿になりうる可能性にも言及した。
最後に、クエンセルのチェンチョ・ツェリン氏の言葉を引用しておきたい。
「中東では、ソーシャルメディアが力を発揮して革命がなされた。だが、その後も混乱が続き、平和な社会は築けていない。ソーシャルメディアはあくまでも手段であって、どう使うかはその人次第だ」
ソーシャルメディアが何かを成すのではなく、
何かを成すのは、あくまでも人の力。
今回、ブータンの選挙でも、その片鱗のようなものを至る所で感じた。
前回記事はコチラ
87.ブータンの「ネット選挙」(5)
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=481
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●選挙におけるマスメディアの役割とは
一般に、国民が政策を評価する際に当該国のマスメディアが果たす役割は大きい。
しかし、ブータンにおけるテレビ放送は、ほんの十数年前、1999年に始まったばかり。
ブータンのマスメディアはまだ産声をあげたばかりである。
このことは、ブータン国民にとって、メディアの流す情報を取捨選択する能力、
つまり「メディアリテラシー」が十分ではないのではないか、という疑問につながる。
果たしてこのような状況下で、ブータン国民は何を考え、投票をしたのだろう。
こうした疑問を解消するべく、まずは、ブータンの各国内メディアを訪れ、
その責任者クラスの方々の声を拾うことにした。
まず、ブータン唯一のテレビ局である、BBS(Bhutan Broadcasting Service)で、
ゼネラルマネージャーを務めるアショク・モクタン氏は、
BBSによる選挙放送の姿勢について、次のように語った。
「ニュースでは、シンプルに、事実、生の声のみを報道している。与野党のいずれにも組しない。また、ディベートでは、モデレーター役に徹している。各47選挙区全てで、決められた時間を均等に配分して実施し、候補者の生の声をそのまま配信している」
このディベート放送に関しては、選挙管理委員会の意向は、
「(BBSで放送したのは)ディベートを見ることができる人数を最大化するため」
であり、直接ディベートに参加できない人への配慮、とのことであった。
また、「BBSが唯一の放送技術を持つ局」という理由も大きいようだった。
一方、マスメディアの役割について、前掲のアショク・モクタン氏は、
「(実質的な公共放送としての)テレビメディアの影響力は大きく、聴衆を教育する責務も担っている。例えば、ディベートは(国語である)ゾンカのみで放送されているが、これは、ブータン国内での国語の普及促進という意味合いもある」
と述べ、単なる御用聞きではないメディアとしての矜持も垣間見せた。
ブータンで最も古い民営新聞社の一つ(といっても設立は2006年)である、
ブータンオブザーバー紙の編集を手がけるニードゥップ・ザンポ氏は、
「どの政党がどのような政策を掲げているか、より多くの人々に理解してもらうことが重要である。政治イデオロギーやリーダーシップの在り方を問う紙面を作っているつもりだ。タブロイド紙ではないので、信頼性があり、真面目な話題のみを掲載する」
という、選挙における同社の取材方針を語ってくれた。
また、メディアと民主化に関するNGO団体、BCMD(Bhutan Centre for
Media and Democracy)の役員である、ペク・ドルジ氏は、
「メディアの役割は、民主主義文化を根付かせること」であり、
「(BCMDは)市民を対象に、こと民主化におけるメディア利用の在り方について、ワークショップやフォーラムの運営を通して教育している」と語った。
BCMDは他にも、学生向けの活動として、各大学にメディアクラブをつくり、
どのように報告書を作成するか、どのように課題を解決するか、
どのように人々にプレゼンテーションするか、を学ぶプログラムを用意し、
アイデアの創造や課題抽出といったスキルを身に付けさせる活動をしているという。
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●ネガティブキャンペーンの罠
往々にして、選挙戦というものは、終盤へもつれこむにつれて、
徐々にネガティブキャンペーンの様相を帯び始める。
自身の政策を声高に謳うのではなく、相手の欠点、弱点を責め、
他を貶めることによって、相対的な価値の向上を狙う、浅ましい戦い。
今回、ブータンにおいても、残念ながら、
一部のディベートが相互にネガティブキャンペーン化してしまった。
このことについて、BBSのアショク・モクタン氏は、
「メディアにはその責任を負うことはできない」と前置きをした上で、
「メディア上で何を語るかは候補者次第であり、そして、語られた内容をどう判断するかは有権者次第だ」との見解を示した。
クエンセル紙のチェンチョ・ツェリン編集長は、
「有権者は醜い選挙戦にうんざりしている」と同時に、
「2008年の選挙の時には、みな全てのディベートを見ていたものだが、今回はあまり見られていないのではないか」と、前回からの変化を口にした。
それは図らずも、ブータンの選挙戦が、多くの国の選挙同様に、
退屈で詰まらないものへと変貌を遂げる過程のようにも見受けられる。
また、「メディアはこの状態を静観している」と語り、
「有権者が望んでいるのは、尊敬に値する候補者だ。候補者には、ぜひ、確かな威厳を身につけてほしい」と、苦言を呈した。
一方、ブータンオブザーバー紙の編集を担うニードゥップ・ザンポ氏は、
「メディアとしてできることは、それらをハイライトさせることで、候補者を落ち着かせ、批判を止めさせること。マニフェストや公約の説明をせずに、批判に終始しているのは建設的な議論ではない、と気付かせること」
と指摘し、メディアが果たすべき役割に言及した。
BCMDのペク・ドルジ氏は、ディベートを一方的に聞くだけではなく、
有権者自身が「意見をシェアする場所が必要」との見方を示し、
オンライン上でのフォーラム運用の実例を紹介してくれた。
ただし、「フォーラムでは『実名』での発言が原則で、さもなければ、責任ある意見を示すことができなくなる」と警告も添えた。
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●選挙管理委員会とメディアの関係
選挙時におけるメディア報道の在り方、という点においては、
選挙管理委員会と各メディアとの関係性というのも、なかなかに興味深い。
BBSのアショク・モクタン氏は、次のように説明してくれた。
「基本的には選挙管理委員会のガイドラインに沿って選挙報道を行うが、決して『コントロール』されているわけではない。選挙管理委員会、メディア、政党が、それぞれ監視し合っているという、ある種の三角関係を形成している」
クエンセル紙のチェンチョ・ツェリン編集長は、
「クエンセルはもともと(選挙管理委員会に指摘されるまでもなく)、真実のみを伝えるメディアであり、うわさ話や虚構を掲載することはない。常に中立的な立場を維持し、決してどちらかに偏った報道はしない。特にブータンは小さなコミュニティなので、バランスを取ることに気を配っている」
と語り、BBSと同様に、選挙管理委員会によって、
「報道内容を『コントロール』されることはない」と断言した。
ブータンオブザーバー紙の編集を担うニードゥップ・ザンポ氏も、
「選挙管理委員会のガイドラインは、ジャーナリズムが本来備えているべき、自由、公平性、そして透明性を謳っているにすぎない。それらは、既に、自社の編集方針でも掲げている」
と述べ、選挙管理委員会があろうとなかろうと、
同紙の選挙に関する報道は変わらないことを強調した。
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ここまで見てきて感じるのは、ブータンメディアが、
選挙管理委員会との関係においては、強気な報道姿勢を貫いているように見えるが、
いざ、実際のディベート等を伝える段になると、中立性を保とうとする余り、
消極的な傍観者になってしまっている側面もある、という点である。
そもそも、メディアが客観性を保つ、とはいったいどういうことだろう?
『事実』を伝えるというのは、ありのままを伝えることとは違う。
目の前で起こる出来事を無編集で垂れ流すことを是としているかのような姿勢は、
権力の監視装置としてのメディア、という立場を放棄している、とも受け取れる。
いかに、発言者の意図を歪めずに要約(編集)して伝えることができるか、
その上で、いずれの主張にも偏らないバランスを保ちつづけることができるか、
ブータンメディアの質が、今後一層問われていくことになる。
これまでの記事はコチラ
82.ブータンの「ネット選挙」(1)
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=446
83.ブータンの「ネット選挙」(2)
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=451
84.ブータンの「ネット選挙」(3)
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=454
85.ブータンの「ネット選挙」(4)
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=461
86.速報:ブータン総選挙投票日ドキュメンタリー
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=475
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先週は、ブータンの総選挙の開票速報を見ながら原稿を書いていたが、
今週は、日本の参議院議員選挙の開票速報を横目に原稿を書いている。
大方の予想通り、自民党が圧勝し、自公連立政権が参院でも過半数を取った。
「ネット選挙」解禁が叫ばれた今回の選挙戦において、
果たして、インターネットやソーシャルメディアがどのような役割を担ったのか。
その影響力のほどは、これからの詳細な分析を待たねばならないだろう。
ただ、一つ示唆的な事例を挙げておきたい。
twitter上で最も多く呟かれた、政策キーワードは「原発」だったという。
しかもその多くは、「反原発」「脱原発」に関わるワードだった。
にも関わらず、「原発」の再稼働を決めた現自民党政権が多数票を獲得した。
このことは、いったい何を意味していると考えるべきだろうか…
参考:毎日jp┃2013参院選 ツイッターユーザーがつぶやいた政策キーワード
http://senkyo.mainichi.jp/2013san/analyze/20130704.html
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●選挙結果と「政権交代」の意味
さて。
既に日本国内でも報道があったのをご覧になった方もいるだろうか。
ブータンの総選挙は、日本よりも一週間早く、13日に投開票が行われ、
前野党のPDP(国民民主党)が勝利をおさめ、「政権交代」が果たされた。
前回、2008年時には、47議席中、たった2議席しか獲得できず大敗したPDPは、
今回、32議席へと大躍進し、実に全議席の3分の2を確保するに至った。
各小選挙区別の勝利政党は下図のようになった。
出典:Kuensel Online. http://www.kuenselonline.com/naresults/general.php
PDPの勝因、あるいは、前与党のDPT(ブータン調和党)の敗因は、
現地報道でもさまざまに語られているが、簡単にまとめると以下のようになる。
・2008年来、DPTは十分に公約を果たしたとは言い難い
・PDPのマニフェストは満足できる内容であった
・DPTが対インド関係を悪化させ、燃料費高騰を招いた?
・予備選で敗退した2つの政党が、PDPを支援した
もちろん、個別の選挙区を見れば、上記の理由では説明のつかない現象も、
そこかしこで起きているわけだが、総じて納得のいく結果に収まったと言える。
この「政権交代」が意味するところは何だろう。
DPT政権下のこの5年間は、残念ながら、十分な評価を得られなかった。
これは事実と言えそうだ。
対インド関係悪化については、言い掛かりの面も多い(むしろこの5年間は
良化に努めてきた)ようだが、確かに、輸入超過によるインドルピー枯渇問題、
都市部と農村部の貧富の差の拡大など、主に経済面での失策もあった。
ただし、前回選挙で、「全ての公約実現」を期待していたのだとしたら、
ブータン人は、初めての選挙だったとはいえ、あまりにも楽観的過ぎた。
今回、PDPはそのマニフェストで、「失業率ゼロ」や「ヘリポート建設」など、
大盤振る舞いを約束し、結果として、それが多くの支持に繋がった。
しかし、「ばらまき政策」との批判が既にあちらこちらで上がっている。
国家歳入の半分を海外からの援助に頼っている同国にあって、
いったいどのように実現するのか、あまりにも見通しの立っていない、
行き当たりばったりな政策ばかりが並んでいるように、政治の素人にも見える。
ちなみに、今回、わずか2票差、という大接戦の選挙区が2ヶ所もあった。
特にそのうち一つの選挙区では、2,743:2,741 という、
敗れた方としては、悔やんでも悔やみ切れない僅差であった。
そして、そのいずれもPDPが制した、というのもまた特筆すべき点である。
憲法の規定で、「国民議会の定足数は3分の2以上」と定められている。
つまり、PDPは、仮にDPTが国会決議をボイコットしたとしても、
単独で決議を行うことが可能な数を確保した、と見ることができる。
こう考えると、2選挙区での2票差は、あまりにも大きい差だったわけだ。
さて、こうした状況を踏まえて、新政権はどのような船出をするのか。
国会における、その第一声に注目が集まる。
—–
●改めて浮き彫りになった選挙制度の課題
ブータンの国民議会選挙は、全47の小選挙区で争う仕組みとなっている。
しかも、予備選挙を実施して、まず本選挙へ進む政党を2つに絞り込み、
全ての選挙区で一対一の戦いを行う、という一風変わった選挙を行う。
つまり、議席を獲得するのは、予備選を勝ち抜いた二大政党のいずれか、
ということになり、議席数が奇数であることから、必ず多数党が生まれる。
前回2008年、そして今回2013年ともに、DPTとPDPの一騎打ちとなったが、
その詳細な結果は以下のようになっていた。
2008年 DPT:PDP=45:2(議席数比)=67:33(得票率比)
2013年 DPT:PDP=15:32(議席数比)=45:55(得票率比)
前回は、PDPが3分の1の得票があったにも関わらず、たった2議席しか
確保できず、多くの選挙区で惜敗を喫した。
一方、今回は全くその逆で、DPTは得票率比では肉薄したにも関わらず、
議席数では3分の1に届かなかった。
選挙管理委員会のダショー・クンザン・ワンディ長官(※)は、
「合計すると僅差にも関わらず、議席数に開きが出てしまうのは事実」
と認めながらも、以下のように説明した。
「2008年に民主化をして初めて、政党というものが組織された。
いきなり、複数の政党が政治に参加した場合、
過半数を取る与党が無ければ、政治が混乱したかもしれない。
民主主義の実践の第一歩として、二大政党制を採用した。
民主主義にはいろいろなスタイルがある。
大統領制の国もあれば、首相がいる国もある。
多くの事例を参考にしながら、なるべくシンプルな制度にした」
また、もう一つ、ブータンの選挙制度で気がかりなのは、
昨今、日本でも大きな話題になっている「一票の格差」問題である。
例えば、今回、最小の選挙区では、902人の有権者によって投票が行われ、
358:444 でPDPが勝利を収めた。
一方、最大の選挙区は、実に16倍に相当する、14,648人の有権者を抱え、
4,267:5,051 で、こちらもPDPが勝利した。
方や、444票で勝利し、方や、4,267票と、その10倍を獲得しながらも、
苦渋を舐めた候補者がいた。
この点についても同様に尋ねたところ、
ブータンで小選挙区制を採用している大きな理由は、
「各県から公平に議員を送り出せるようにするため」
との回答であった。
そして、特定の地域への利権誘導を避けるために、
「有権者の人数を均等にするために、県をまたいだ選挙区を設ける、
ということはできない」と述べ、
「全ての県が最低2人以上の議員を輩出することが重要だ」
との見解を示した。
上記の説明は、納得のいくものではあったが、
しかし、現行制度が最良である、というわけでもない。
まだ、歴史上たった2回の選挙しか行われておらず、
制度の見直しの是非を問うためには、サンプル数が少な過ぎる。
とはいえ、小選挙区制、そして、予備選と本選の二段階制、という、
ブータン独自の国政選挙制度は、まだまだ多くの改善の余地を残しており、
次回選挙へ向けて、大いに議論されるべき課題であることは間違いない。
※「ダショー」とは、ブータンにおける爵位に相当する称号。
(続く)
これまでの記事はコチラ
82.ブータンの「ネット選挙」(1)
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=446
83.ブータンの「ネット選挙」(2)
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=451
84.ブータンの「ネット選挙」(3)
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=454
—–
さて、都議選が終わったと思ったら、あっという間に参院選の告示日を迎えた。
東京都内では、わずか1週間の静寂を経て、再び選挙カーが走り回っている。
去る都議選では、このJunkStageのライターの1人である音喜多駿さんが、
みんなの党(北区)から出馬して見事に当選を果たした。
そうした事情も相まって、JunkStage周辺では、こと今回の都議選の関心は高く、
友人、知人が、twitterやFacebookで話題にあげることも多かった。
ちなみに、「ネット選挙」の正式な解禁は参院選からなので、
都議選においては、ネット上での選挙運動(投票を呼びかける行為等)は、
一応、禁止されていた。
一応、と書いたのは、
候補者であれば、もちろん選挙期間中(告示日から投票日まで)のあいだ、
twitterやFacebookの書き込みやメール等を用いた選挙運動を行った場合、
厳しく罰せられることになるが、このネット全盛社会において、
一般の有権者まで取り締まるのは、実質的には不可能に近かったためである。
話を戻すと、上記のようなJunkStage周辺の特殊事情を除けば、
それ以外の繋がりの人は、「投票してきました」的な発言が散見される程度。
もちろん、「誰々を支持します」的な発言は「ネット選挙」解禁前なので禁止、
なのだが、本当に禁止だからやらなかった(リテラシーがあった)のか、
それとも、投票率43.5%という数字が物語る通り、関心が低かっただけなのか、
都議選の状況だけではなんとも判断しようがない。
—–
ところで、「ネット選挙」という言葉が盛んに飛び交っているが、
いったい何が出来るようになったのか、そして、何をやってはいけないのか、
よくわかっていない人も多いのではないだろうか。
筆者も、正直なところ、調べてみるまではよくわかっていなかった。
あまりこのコラム上で「ネット選挙」講座をやるつもりはないので、
関心のある方は、参考にあげたリンク先あたりをご一読いただきたいのだが、
ごく簡単に説明すると、
候補者は、ネット(Webサイト、SNS、メール)での選挙運動が可能になり、
有権者は、上記のうち、メールでの選挙運動は禁止となっている。
それから、未成年は、一切の選挙運動が禁止される。
例えば、女子高生が「××とかいう候補、イケメンだからみんな投票して!」
とか呼びかけるのはダメ、ということになる。
参考:総務省┃インターネット選挙運動の解禁に関する情報
http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/naruhodo/naruhodo10.html
参考:ITmedia ニュース┃参院選公示・日本初のネット選挙運動もスタート
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1307/04/news022.html
さて、こうした「ネット選挙」の解禁が、どういった意味を持つのか。
これも、筆者自身の研究テーマからは外れる話なので、専門家の声を引用したい。
「ネット選挙」に関する著書を持つ、社会学者の西田亮介氏は、
一般有権者にとって、もっとも重要な点は選挙運動期間中に電子メールの利用等一部制限は残るものの、インターネット・サービスやTwitter、Facebookといったソーシャルメディアなどで候補者や政党の名前を書き込む行為の「違法状態」が解消することである
と述べている。
出典:Yahoo! ニュース┃ネット選挙解禁で、有権者にとって何が変わるのか?
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ryosukenishida/20130517-00025014/
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ryosukenishida/20130517-00025015/
つまり、先に指摘したように、「ネット選挙」リテラシーが高く、
ネット上で「選挙運動」に該当する行為をしないようにしていた有権者というのは、
実際にはごく少数で、大半の人達は、公職選挙法のなんたるかをよく知らずに、
twitterで、「××とかいう候補、選挙カーうるさすぎ。マジ落選すればいいのに」
とか、平気で呟いてしまっていた、というわけだ。
そして、今回の「ネット選挙」解禁は、その違法状態を解消する、
以上の意味を持たない、というのが西田氏の見解である。
—–
ブータンの話からだいぶ遠ざかってしまったので、少し引き戻そう。
個人的に、ブータンの「ネット選挙」の特異性の一つは、
「民主化した時点ですでにネット環境が存在していた」ことだろうと思う。
つまり、ブータン人にとって、自分の選挙区の候補者の良し悪しを、
twitterで呟いたり、Facebookで友人と議論したり、というのは、
当たり前のことであって、それが「禁止されていた」という経験が無いわけだ。
最初から禁止されていない、ことと、
押さえ込まれていたものが解禁される、ことの間には、
近そうで深い溝がある、に違いない。
というのが、今回のブータンの選挙に関心を抱いた一つの大きな理由である。
現時点では、まだ、ブータン人のネット上での議論というのは、
数字だけ見れば、それほど盛んではないようにも見える。
一応、各政党がFacebookの公式ページや、twitterアカウントを持っており、
そこで舌鋒鋭く政策をぶち上げたりしてはいるものの、
Facebookページの「いいね!」数は、
DPT(与党)が8,204、PDP(野党)が10,983、と5桁に乗るか乗らないか。
twitterアカウントの「フォロワー」数に至っては、
DPT(与党)が941、PDP(野党)が1,163、とさらに1/10になる。
(7月5日20時現在)
そもそも、ブータンは全人口で70万人程度と、東京の大田区程度しか人がいない。
太田区議選がネット上で大きな盛り上がりをするかというと、甚だ疑問である。
(大田区を貶めるつもりは無いし、もちろん、国政と区政は違うが)
そういう意味で、ネット上での議論を、量的な分析にかけようとしても、
おそらく良い結果は得られそうにない。
むしろオンラインだけではなく、オフラインの井戸端会議まで含めて、
どこで話題を仕入れて、それがどのように伝播していくか、
という一連の選挙コミュニケーションの在り方を捉えることができれば、
結構面白い話が出てきそうだ。
日常のコミュニケーションの中に「選挙」が組み込まれ、
それを「ネット上だから」と規制されること無く、SNS等で自由に話題にできる、
という点、その「当たり前感覚」が、ブータンの「ネット選挙」の特徴であり、
重要な要素ではないか、と睨んでいる。
(続く)
これまでの記事はコチラ
82.ブータンの「ネット選挙」(1)
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=446
83.ブータンの「ネット選挙」(2)
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=451
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先日、東京都議会議員選挙が行われ、昨年末の衆議院選挙同様、自民党が圧勝した。
これまで都議会で第一党であった民主党は、第二党の立場すら確保できずに、
127議席中15議席獲得(選挙前は43議席)という惨敗に終わった。
この都議選の中身に触れるつもりはさほどない。
個人的に注目すべきポイントは、この選挙が、
実質的に、7月の参議院議員選挙の前哨戦に位置づけられていたこと、
同時に、参院選での「ネット選挙」解禁を見越した選挙戦が展開されていたこと、
にある。
これを、ブータンの国民議会総選挙と照らし合わせてみる。
前々回、前回と既に触れた通り、ブータンの総選挙は、2段階に分かれている。
1ステップ目が「予備選挙」、2ステップ目が「本選挙」、である。
まず、予備選挙でふるいをかけて2つの政党に絞り込み、
本選挙では、各小選挙区ごとに、両政党から候補者が1名ずつ出て1対1の選挙戦を戦い、
その勝者が議席を獲得することになる。
もちろん、そう単純な構造ではないのは百も承知の上だが、
ある意味、この「予備選挙」を、今回の日本の都議選と比較してみると、
もしかしたら、何か見えることもあるかもしれない、と漠然と考えてみる。
そんな着想から、既に実施済の予備選挙を振り返ってみよう、
というのが、今回のお話。
—–
まず、ブータンの予備選挙の結果をご紹介する前に、
予備選挙に参戦した4つの政党を紹介しておこう。
といっても、あまり細かいことを書いても絶対に覚え切れないので最小限の情報をば。
まず、2008年総選挙で、47議席中45議席を占める圧倒的勝利をおさめた、
現政権与党である「DPT(ブータン調和党:Druk Phuensum Tshogpa)」。
次に、現野党の「PDP(国民民主党:People’s Democratic Party)」。
残る2政党は、今回新たに立ち上がった政党で、それぞれ、
DNT(ブータン協同党:Druk Nyamrup Tshogpa)
DCT(ブータン大衆党:Druk Chirwang Tshogpa)、と呼称されている。
事前予測では、基本的に、現与党であるDPTが強さを発揮すると見られていたが、
一方で、この5年間のDPT政権の実績に不満を持つ声も多く、
その声を味方に、現野党であるPDPがどこまで票を伸ばせるか、
あるいは、新党2つが、どこまで上記2つに割って入ることができるか、
というのが、主な争点であった。
選挙戦は、4月28日に国民議会が解散した時点から実質的にはスタートし、
予備選挙の投票日は5月31日、本選挙の投票日は7月13日にそれぞれ設定された。
その後、5月5日に予備選挙に出馬する政党の申請が締め切られ、
各党による本格的な選挙活動が展開されることになった。
先に結果から述べてしまえば、予備選挙における各政党の得票数(得票率)は、
下記のようになり、DPTとPDPが本選挙へと進出した。
(ちなみに、ブータンの全人口は約70万人、うち有権者数は381,790人)
DPT:93,724票(44.5%)
PDP:68,545票(32.5%)
DNT:35,942票(17.1%)
DCT:12,453票(5.9%)
また、各小選挙区別の勝利政党は下図のような結果になった。
出典:Kuensel Online. http://www.kuenselonline.com/naresults/primary.php
細かい政策論争をここで書くつもりはあまりなく、
むしろ、注目してほしいのは、得票率と各小選挙区別の勝利政党の関係である。
DPTは、47選挙区中33選挙区で勝利した。これは、割合に直すと70.2%となる。
続いて、PDPが12選挙区、DNTが2選挙区で、DCTは1つも1位を取れなかった。
なお、参考までに、前回2008年の選挙(本選挙)においては、
DPTが、得票率では67.0%であったが、47選挙区のうち45選挙区で勝利し、
議席数の割合では、実に95.7%を占めた。
さて、この結果が意味しているのは、果たしてどんなことだろう。
国民の支持率と選挙結果が必ずしも一致していないという矛盾だろうか。
今回の選挙において、DNTが勝利した2つの選挙区では、勝者が選挙から去り、
敗北した政党同士が争うことになった、という皮肉めいた現実だろうか。
あるいは、PDPが本選挙に向けて、DNT、DCTの票を効果的に取り込めば、
DPTを逆転するチャンスがある、という希望だろうか。
そのいずれもが正しいとも言えるし、正しくないとも言える。
—–
ここで一旦、都議選に話を戻してみよう。
今回の都議選の結果が、わずか1ヶ月後の参院選で激変することは考えづらい、
と考えている人がほとんどではないだろうか。
つまり、参議院選挙も、おそらく自民党が勝利をおさめるだろう、と。
もちろん、東京都民の声が、日本国民の総意ではないにせよ、
少なくとも、東京都が、全国民の1割の有権者を抱えていることは事実である。
そういう意味で、都議選は、参院選の前哨戦とは言いつつも、
実質的には、ほぼ勝負づけが済んでしまった、とも言える。
ここから1ヶ月で、自民党がなにか大失態をやらかさない限りは。
…本当にそうなのだろうか?
当たり前のことではあるが、選挙において、有権者が投票をする際に、
選び方は大きく二つある。
政党で選ぶ、つまり、政策やマニフェストで選ぶのか、
あるいは、候補者で選ぶ、つまり、資質や人柄で選ぶのか。
多くの人は、おそらく、その両方を組み合わせながら選ぶ、と答えるだろう。
例えば、ある有権者が、都議選で、自分の選挙区の候補者Aに投票したとする。
候補者Aの属している政党がX党だったならば、次の参院選でも、
同じくX党に所属する候補者に投票する可能性が極めて高い、と言えそうだ。
しかし、この投票が、候補者Aさんの個人的な資質に惹かれて行われた場合、
もしかすると、参院選では、別のY政党の候補者Bに投票してしまうかもしれない。
このような後者型の、候補者個人で選ぶタイプの有権者が増えてくると、
途端に選挙の票が読みにくくなってくる。
候補者のどの点に惹かれるかは、それこそ、人それぞれだからだ。
ブータンでは、実は、予備選挙後に、本選挙に向けて、DPT、PDPともに、
敗退したDNTからの引き抜きを含め、候補者の差し替えを熱心に行っている。
そもそも、一度擁立した候補者を、選挙戦がはじまった後に差し替えるなんて、
そんなことが許されるのか、という法的、倫理的問題はさておき、
このことは、一つの事実を示唆している。
つまり、ブータンでは、多くの有権者が、政党ではなく候補者個人の
資質や人柄を重視する傾向が極めて強い、ということである。
もし、政党が重視されているのであれば、既に各選挙区において、
DPT対PDPの一騎打ちになることは確定事象であり、
そこでどんな候補者が立っているかはたいした意味を持たないはずである。
結論から言えば、ブータンの今年の総選挙は、
DPTとPDPの得票率が、前回選挙より拮抗してきていることもあり、
本選挙でどちらが勝利をおさめるのか、予断を許さない状況になってきている。
—–
さて、このあと、
「それでは、今回の都議選を、『ネット選挙』の観点から眺めてみよう」
という話をするつもりだったのだが、ここまで随分と長くなってしまったので、
一旦ここで回を区切ることにしようと思う。
もう少しだけ、この話にお付き合いいただきたい。
(続く)
前回記事はコチラ
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=446
—–
前回も書いたが、自分自身、たとえば日本国の選挙制度について、
教科書的な知識はあれど、「それが何を意味するのか」なんて、
さほど気にしたことがなかった。
それがいま、ブータンの選挙について調査しているのだから、
人間、いつどこでどのような興味が湧くかなんて分からないものだ。
ひとまず、ブータンの選挙制度の特徴を簡単にまとめてみたので、
日本のそれと比較しながらご覧いただくことにしよう。
まず、選挙権、つまり投票する権利を持つのは、
「ブータン国籍を保有する18歳以上で、1年以上当該選挙区に居住していること」
と定められている。
日本の場合、「日本国民で満20歳以上であること」となっており、
地方選挙の場合には、「当該選挙区に3ヶ月以上居住していること」
という条項が加わる。
ちなみに、日本でもいくつかの選挙権を失う条件(消極的要件)があるが、
ブータンの場合、「王族、宗教関係者は除く」という条項があるのが特徴的である。
なお、調べてみたところ、日本の天皇家(皇族)も選挙権を持たないそうだが、
理由は、「天皇家は戸籍を持たないため、戸籍保有が条件の選挙権は付与されない」
のだとか。
一方、被選挙権、つまり選挙に出馬できる権利を持つのは、
「25歳以上65歳以下の有権者で、大学の学位を保有していること」。
もし日本でこの条件が適用されると、国会議員の多くは職を失うことになる。
ブータンのこの制度には、賛否両論あり、特に後者については、
欧米の選挙監視団から、人権の観点から容認できない、との見解が示された。
さらに、この被選挙権にも、それを失う条件が定められているのだが、
「ブータン国籍非保有者の配偶者、公職者、法人の役員等は除く」となっており、
外国人と結婚したブータン人は、選挙に出ることすら叶わない。(投票はできる)
なお、日本における被選挙権はずっとシンプルで、
衆議院の場合であれば、「日本国民で満25歳以上であること」、
参議院の場合であれば、「日本国民で満30歳以上であること」、
のみである。
あるいは、日本人の中には、ブータンのように、年齢の上限を設けてほしい、
と思っている人もいるかもしれない…
参考:総務省┃選挙権と被選挙権
http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/naruhodo/naruhodo02.html
—–
さて、選挙制度というお堅い話が続くが、もう少しだけ我慢して読んでほしい。
つい先日まで、全く選挙に関心が無かった自分を棚に上げて言ってしまうと、
選挙制度というのは、その国のお国柄が色濃く反映されており、
なかなかに興味深いものだ。
閑話休題。
ブータンの国会は、日本をはじめ多くの国と同様に、二院制を採用している。
国家評議会(National Council)と国民議会(National Assembly)と呼ばれ、
国家評議会は、多少の違いはあるが、米の上院、日本の参議院に相当し、
国民議会は、下院、衆議院と同等のものと考えてもらえば分かり易い。
とはいえ、そこはブータン。
アメリカや日本の国政選挙とはだいぶ趣きが異なる部分もある。
まず、国家評議会の選挙は、ブータンに20ある県をそれぞれ1選挙区とし、
各選挙区(県)から各1名、計20名が選挙によって選ばれる。
ただし、国家評議会議員は、その20名に加えて、国王が指名する5名、
というのが選ばれ、合計25名体制となる、というのが非常に特徴的。
また、この国家評議会選に出馬する候補者達は、政党に所属することを禁止される。
日本において、衆議院の与党は自民党だけど、参議院は民主党、のような、
いわゆる「ねじれ国会」みたいな事態は起こり得ないことになる。
もう一つ、政党に所属する候補者達が争う、日本人にもおなじみの選挙、
に相当するのが、国民議会選である。
しかし、こちらもなかなかに面白い二段階制を採用している。
まず、選挙管理委員会に登録されている全ての政党が参加して行われる予備選挙、
そして、その予備選挙を勝ち抜いた2政党で争われ、47の小選挙区から各1名、
計47名の国民議会議員が選出される本選挙、という二段階がある。
予備選挙の時点で、各政党から47の小選挙区に候補者が擁立され、
有権者は、地元の選挙区の中で最も支持する1名に投票する。
しかし、ここでの投票結果は、政党を2つに絞り込む、という目的のみに利用され、
本選挙における投票には一切関わらない、ということになっている。
もちろん、有権者は、予備選挙と同じ候補者に投票するも良し、
気が変わって違う人に入れても良し、ということになる。
—–
と、ここまで選挙制度の説明をさせていただいたのだが、
随分と長くなってしまったので、今日のところはこれくらいにしておきたいと思う。
次回から、具体的な今回の選挙の中身について見ていきたい。
とはいえ、実は、今年の選挙は、国家評議会の選挙は4月23日に、
国民議会の予備選挙は5月31日に、既に実施済みであり、
残すは7月13日の本選挙のみ、という状況になっている。
この本選挙に向けて、このコラム上で情報を整理しながら、
自分自身、現地での調査の計画を立てていこうと考えている。
(続く)
さて、曲がりなりにも「ブータンの情報化」について研究している、
と銘打ってコラムを書いているにも関わらず、気が付けば、
もう半年もブータンに関する記事を書いていない。
この間、ブータンについて、何も動いていなかったのか、
というと、そういうわけでもなく、水面下では一応それなりに動いてはいた。
例えば、参加している日本ブータン友好協会という、
かなり由緒ある(日本とブータンの国交樹立より前からある)団体で、
縁あって幹事(つまり役員)に就任することになってしまったり。
さらには、GNH研究所という、これまたブータン関連の団体としては古株で、
「GNH (Gross National Happiness)」という考え方について研究しているところで、
これまた事務局をすることになったり。
とまあ、本職?である大学院生以外に肩書が増えて、役割も増えた、という。
いやはや、ブータン研究をはじめてわずか3年足らずのペーペーにも関わらず、
こうして要職で使ってもらえるというのは、実に嬉しい悲鳴である。
—–
前置きが長くなったが、今回のお題は、「ブータンの選挙」である。
情報化と選挙と、いったい何の関係があるんだ、とお思いの方もいるだろう。
かくいう自分も、正直言って、これまで政治や選挙については関心が薄かった。
そういう意味では、典型的な「無関心層」だったと言える。
そんな中、一つのニュースが舞い込んできた。
そう、「ブータンで、今年、総選挙が行われる」という報である。
2008年に民主化を果たしたばかりの同国における2度目の選挙。
実質的に「現政権の政策を評価して投票する初めての選挙」と言える。
日本で選挙と聞けば、
街を選挙カーが走り回り、駅前では候補者の演説が行われ、
テレビをつければ、政見放送や党首討論が盛んに流されている。
そんな選挙戦が思い起こされる。
「はて、それではブータンではどんな選挙戦が繰り広げられるのだろう?」
というのが、そもそもの疑問。
信号も無い国で、というか、車で行けない奥地の村が数多くある国で、
選挙カーがガンガン走り回っている姿は、とてもじゃないが想像できない。
駅前演説もなにも、ブータンには鉄道が走っていないので、駅が無い。
と、少し考えただけでも、日本とは相当趣きの違う選挙が展開されていそうだ。
さらに調べを進めていくうちに、いろいろと面白いことがわかってきた。
その一つが、ブータンにおける「ネット選挙」の可能性について、である。
近年、日本では「ネット選挙」解禁が話題となっている。
「公示日(告示日)以降の選挙期間にネットを使った選挙運動ができるということ」
(三浦博史,『ネット選挙革命』, PHP研究所, 2010)になる。
さらに、ソーシャルメディアの誕生によって、ウェブを通して国民が直接政治を動かす、
そんな未来(「民主主義2.0」)がすぐそこに来ている、という声もある。
一方、ブータンにおいては、民主化された時点でネット環境が存在しており、
「ネット選挙」を解禁するか否かという議論を飛び越えて、
どのようにネットを選挙に活用していくべきか、という議論が先行している。
2012年には、ブータン選挙管理委員会が、ソーシャルメディア利用規則を定め、
いち早く、選挙におけるソーシャルメディアの役割を規定している。
そう、ブータンの選挙は、初めから「ネット選挙」だったのかもしれない。
—–
日本に先駆けて実施される、ブータンの「ネット選挙」とは如何なるものなのか。
本コラムでは、これから数回に渡り、このネタを追いかけていこうと思う。
ちなみに、ブータンの選挙制度については、次回以降、詳解する予定だが、
ものすごくざっくり説明すると、「予備選挙」と「本選挙」にわかれている。
「予備選挙」とは、ブータン国内にある4つの政党の中から2つに絞り込む選挙。
そして「本選挙」は、その2党から出馬した候補者が、各小選挙区のなかで、
1対1の選挙戦を行い、国会議員を選出する選挙、である。
筆者は、この「本選挙」が行われる7月13日前後にブータン入りし、
現地での取材を敢行することを計画している。
というわけで、しばらくの間は、渡航前の準備段階ということで、
現地での報道の様子や、ネット上でのやり取り、さらに、予備選挙のリポート、
といった内容をお届けしていく予定なので、どうかお付き合いいただきたい。
(続く)
意外と聞かれて困るのが、「ご専門は何ですか?」という問いだったりする。
法律や経済、あるいは、建築や機械といった学問分野と違って、
自分の専攻する「社会科学」というのは、酷く捉えどころがない。
というより、「社会科学」という学問自体が、学際的な領域を指し示すもので、
まるっと法学や経済学を含むものでもある。
そもそも、この世の学問(広義の科学)を大きく3つに分類すると、
「自然科学」、「人文科学」、そして「社会科学」に分けるのが通例のよう。
これらはそれぞれ、自然、人間、そして社会を対象とした学問ということになる。
つまり、専門が「社会科学」というのは、あまりにも広過ぎる分野を指しており、
「もう少し具体的には…?」と続けて聞かれることもしばしば。
ちなみに、「社会学(Sociology)」と「社会科学(Social Science)」は、
似て非なるモノ。
もっと言えば、「社会科学」の一分野で、社会現象やそのメカニズム、
あるいは、社会ネットワークや組織を扱う学問が「社会学」である。
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自分の、というか、ウチの研究室の研究対象は、「情報」なのだが、
これもまた酷く漠とした言葉である。
「情報」を扱う学問と聞いたとき、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは、
「情報通信技術」に関する学問、つまり、「情報工学」のことではないだろうか。
おそらく、バリバリのエンジニアやプログラマの姿を想像して、
数学が得意な人の集まるド理系分野、と思っている人が少なくないように思う。
ただ、自分が属しているのは、どちらかというと文系寄り。
「情報」と人間社会との関わりや、その利活用といった内容の研究を行う、
「情報学」や「情報科学」と呼ばれる領域である。
ここで、また言葉の微妙なニュアンスの違いが出てくるわけだが、
先に述べたように、「社会学」と「社会科学」のケースでは、
「社会科学」の中に「社会学」が含まれるのだが、
それとは真逆で、「情報学」の中に「情報科学」が含まれる、
というのが、どうやら「情報」の分野では一般的のようだ。
実にややこしい。
さらに、「情報学」の中で、より社会科学的な分野を取り扱う学問体系としては、
「社会情報学」あるいは「情報社会学」という学問分野が存在する。
もはや、何がなんだか。
前者は、社会をキーとした「情報学」、後者は、情報をキーとした「社会学」、
という出自の違いを示しているのだが、結果的に、扱っている内容は酷似している。
が、学者という人種は、どうやらナワバリ意識が非常に強いようで、
なかなか、「じゃあ一緒にやりましょう」とはならないのが現状のようだ。
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最初に戻ると、自分の属しているのは、「社会科学」に分類される一分野、
であることはまず間違いない。
その中で、「情報」を扱う学問であることも疑う余地が無いのだが、
「社会情報学」と断言してしまえば、「情報社会学」と相容れず、
逆もまた然り、という、あちらを立てればこちらが立たず状態に陥っている。
結局、「ご専門は何ですか?」という問いに対しては、
「ブータンの情報化です」と、学問分野ではなく研究テーマを回答して、
ややお茶を濁したようになるわけで…
いい加減、依って立つところを定めた方がいいような気もしているのだが、
それすら揺らいでいる自分が、なんとも自分らしいような気もする。