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2015/01/13

気がつけば、あっという間に、2014年が終わって2015年になっていた。
時間が年々加速しているように感じるのは、やはり歳のせいだろうか。

一説によれば、
小さい頃は、その1年がそれまでの人生に占める割合が大きいのに対し、
(例えば、10歳のときの1年は、人生の10%を占める)
大人になると、その割合が年々減少していくので、
(例えば、30歳のときの1年は、人生の3%ちょっとしかない)
相対的に、短く感じるんだとか。

合点がいくような、いかないような…


さて、昨年も、あちこち飛び回っていた一年だった。

一応、ブータン研究者を名乗っているので、今回はブータンの話をしよう。
とはいっても、もう既に、昨年の現地旅行記は全3回に渡って書いたので、
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=583
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=592
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=601
今回は、一歩引いた目線から、現地で考えていたこととかをば。

ブータン、という国で特筆すべきことは、
まず第一に、山岳国家である、という点だと思う。
ブータンを訪れれば訪れるほどに、その印象は強くなっていく。

日本も山岳国家と言われることもあるが、ブータンはちょっと次元が違う。
スイスも山岳国家とか言っているが、一度ブータンを経験すれば、
あんなの平地にちょっと山があるだけに見える。
それぐらい、ブータンには、どこまでも山しかないのだ。

ところで、ブータンの国土面積は、九州と同じ程度しかない。
日本全土に比べて1/10程度、世界全体では136位に相当する。
にもかかわらず、ブータンで東西横断(九州の南北とほぼ同じ長さ)すると、
車で走り続けても、二泊三日コースで20時間くらいかかる。
本州縦断(青森から山口まで)するのと同じくらいだ。
筆者は、そのブータンならではの道路事情を、
延々といろは坂を走っているようなもの、と形容することにしている。

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(写真:ブータンの山道)

単純な平地に比べて、山地のほうが、
同じ底面積に対して、表面積は多い。
もしも、国土面積を厳密な表面積をもとに測ったならば、
ブータンは世界で何位になるのだろうか?

今回、ブータンの、どこまでも続く山道を走りながら、
そんなことに思いを巡らせていた。


ところで、以前どこかで触れたかもしれないが、
ブータンには未だ、世界遺産が存在しない。

世界遺産は、現在、世界中で1,000を超える件数が登録されている。
その中で、文化遺産と自然遺産の両方の条件を兼ね備えた、
いわゆる複合遺産は、たったの30件ほどしかない。
その代表格は、ペルーの「マチュ・ピチュの歴史保護区」だ。

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(写真:マチュ・ピチュ)

ちなみに、日本には複合遺産は存在しない。
2013年に世界遺産に登録された富士山は、
当初、自然遺産としての登録を目指していたが断念し、
「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」という名称で、
文化遺産として登録された経緯がある。

個人的には、富士山は複合遺産を取れてもおかしくないと思うが、
それだけ、複合遺産に登録されるのは難しい、ということになる。

閑話休題。

ブータンは、本当かどうかは定かではないが、
かつては、あえて世界遺産に申請していなかった、と言われている。
その理由は、多くの観光客が訪れることで、重要な信仰の対象が、
単なる観光名所として消費されてしまうことを恐れたのだとか。

2001年に世界遺産条約を批准し、
これまでに8件の暫定リスト(要するに登録候補)を載せているが、
現在まで、そのいずれも登録には至っていない。

参考)ブータンの世界遺産暫定リスト
http://whc.unesco.org/en/statesparties/BT/

自然遺産候補も、文化遺産候補も、優れたものを保持しているものの、
現実的に、登録のためには、その保存体制の継続性なども審査対象となり、
その障壁を乗り越えるのは容易ではない。

例えば、ブータン最大の聖地と呼ばれ、多くの外国人観光客も訪れる、
タクツァン僧院という寺院がある。
この寺院は、標高2,000mを超えるパロ谷の断崖絶壁に位置しており、
また、8世紀にチベットから仏教を伝えた高僧が虎に乗って飛来した地、
という伝承の残っている由緒ある仏教史跡である。

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(写真:タクツァン僧院)

しかし、1998年、火災により全焼。
2005年に再建されたものの、残念ながら、その歴史的価値に瑕がついた。
本来であれば、単独での登録も十分可能な重要史跡であったはずだが、
現在、暫定リストにおいて、
「パジョ・ドゥコム・シクポとその後継者たちに縁のある聖所群」を
構成する史跡の一つに数えられるに留まっている。

さらに、2012年には、ウォンディ・ポダン県の県庁であり、
宗教上の中心地でもあるウォンディ・ポダン ゾンの焼失事件も起きた。
こちらは未だ再建のメドが立っていないものの、やはり、暫定リスト上で、
「ゾン群 : 世俗的権威および宗教的権威の中心地」を
構成する史跡の一つとなっている。

こうした事実が、ブータンにおいて、歴史的建造物を保護し続けることが、
いかに難しいか、という負の証明になってしまっている点は否めない。

今回、ブータンの山々を抜け、いくつかの仏教寺院や史跡を訪問した。
その中で考えたのは、一つ一つの史跡や自然景観の登録が困難であれば、
もういっそのこと、ブータンの国全体を、
「ブータン-チベット仏教史跡群を擁するヒマラヤの大渓谷」とか、
そういう名称で、複合遺産登録してしまえばいいのに、
という、身も蓋もない発想。

さすがに乱暴すぎるだろうか。
一応、「バチカン」が国をまるごと世界遺産登録した、という前例もあるし、
ブータンは、国家政策で「自然環境保全」と「伝統文化保護」を謳っており、
あながち有り得ない話でもないと思っているのだが…

2014/12/04

先般、ご案内させていただいた、今年のブータンシンポジウムが、
先週末、盛況のうちに、無事幕を閉じた。
中身が濃い議論が繰り広げられ満足した、との声を多数いただき、
まずは一安心、といったところである。

事務方として、100人規模の「シンポジウム」なるものを運営する、
という作業を、これで3年間続けたことになる。
3回も同じことをすれば、人間、それなりに経験というものが蓄積される。
手前味噌ではあるが、今回はなかなか上手くいったのではないかと思う。

ただし。
あまり冒険をしなかったので、当然といえば当然の結果でもある。
もちろん、安全に安全を見越していても想定外の事故はつきものだし、
そういう意味では、事故無く終われたことを喜ぶべきなのだが、
どうしても、「置きにいった」感は否めない。
そして、そのこと自体の良し悪しは、現時点ではまだわからない。


過去2回は、いずれも、「パネルディスカッション」方式を採用した。
念のため説明すると、
「掲げられたテーマについて、異なる意見を持った複数(3人以上)の討論者によって、公開で討議を行う」(Wikipedia調べ)
方法のことである。

たぶん、一番わかりやすい例は、
選挙の際にテレビで放送される党首討論、だろうか。
ただ、単なる足の引っ張り合いで討論の体を成していないこともあり、
あまり良い例とは言えないかもしれないが…

パネルディスカッション方式の狙いは、
一つは、議論を戦わせながら、最終的にテーマに沿った結論が導かれること。
もう一つは、さまざまな意見が交わされている様子を見て、
聴衆の一人一人が、何らかの新しい着想を持ち帰ること。
この二点ではないかと思う。

ところで、ひょっとすると、
「掲げられたテーマについて、異なる意見を持った複数で討議を行う」
という文言を見て、「ワークショップ」という手法が頭に浮かんだ方も、
あるいはいらっしゃるかもしれない。

主にまちづくりにおける住民参画の現場で用いられる集団討議の方法で、
「多くに人が集まって意見を出し合い、より良いアイデアを創出すること」
がその大きな目的となる。

個人の意見の単純な足し算(場合によっては引き算)ではなく、
掛け合わせて全く新しいアイデアを生み出そうと試みること、
と言い換えてもいい。

どちらの方式にも、上手くいくための共通のルールがある。
それは、議論の着地点が明確でなければならない、ということ。

ただ発散するだけのパネルディスカッションは、
聴講者は、何の話をしていたのか文脈をつかみ切れず、
パネリストも、議論が噛み合わずに消化不良に終わる、
と、あまり良いことがない。

ちなみに、着地点を定めるといっても、
あらかじめ結論を用意しておく、ということではない。
それでは、パネルディスカッションやワークショップが持つ、
「複数人で議論することで、新たなアイデアを発見する」
という、発想法としての側面が全く機能しなくなってしまう。


翻って、今回のシンポジウムでは、上述の問題を踏まえて、
オーソドックスな「講演」形式を採ることにした。

パネルディスカッション形式は、異なる意見を持つ者を集める、
ということになっているが、実際には、
異なる分野、異なるジャンルの人同士を集めてしまうと、
意見が違いすぎて、そもそも議論にすらならない。

また、聴衆は、さらに分野、ジャンルがバラバラの人が集まっており、
パネリストは、聴衆に配慮して、自分がどういう経歴を持っているのか、
という背景事情から懇切丁寧に説明しなければならない。
そして、そんなことを一人一人やっていたら、
それだけであっという間にタイムアップになってしまう。

ある限定された分野、ジャンルの中で、
パネリスト、聴衆ともに、共通のバックボーンを持つ、
そういう場合でのみ、パネルディスカッション形式は効果を発揮する。
というのが、いまのところの筆者の見解である。

そう考えると、ブータンという共通項はあるものの、
それだけではあまりにも幅が広すぎて、
結局、それぞれ好きなように喋って、まとまりを欠いたまま散会、
という過去2回の苦い記憶が蘇ってくる。
あれはあれで、議論があっちこっち飛んで予測がつかなくて面白かった、
というマニアックなご意見もあるにはあったのだが…

というわけで、今回は、一人一人にまとまった持ち時間を与えて、
好きなように喋ってもらおう、と相成ったわけである。

結果的に、今回に関しては、この変更は功を奏した、と思われる。
特に、それぞれの喋り方や資料の使い方にも個性が表れ、
約4時間近い長丁場でも、中だるみせずに楽しんで聞くことができた。
また、この形式であれば、聴衆は、自分の興味のあるトピックスだけを
集中して聴く、ということももちろんできる。

やや全体のテーマに対してとってつけた感が否めない部分もあったが、
だからこそ、もしパネルディスカッションにしていたら、
もっと無理矢理感が出て、それぞれの面白い部分が消されてしまったかも、
とも思う。

何よりも、タイムマネジメントが圧倒的に楽である。
講演者がある程度時間を守ってくれることが前提ではあるが、
少なくとも、今回に関しては、みなさまのご協力もあって、
驚くほど時間通りにきっちりと終了することができた。


さて、次回はどうしようか。
また「講演」形式にするのか、「パネル」にチャレンジするのか。
はたまた、全く違う新しい試みを取り入れていくのか。
いや、そもそも次回も自分が事務方をやるのか。

このあと、おそらく反省会があるので、そこで議論されることになるが、
さあ、どうなることやら。

2014/11/15

ブータン研究者のはしくれとして、
「日本ブータン友好協会」なるところに、以前から顔を出している。
というか、頻繁に顔を出しているうちに、
若い小間使いが不足しているという、割とありがちな理由で、
あれよあれよという間に、幹事になってしまった。

同会は、日本とブータンが国交を結ぶより前から存在しているという、
ブータン界隈においては由緒ある会の一つ。
現在においても、未だ、日本にはブータン大使館が無いため、
要人の来日時の懇親会開催や留学生の受け入れなど、
随所でその存在感を発揮している。

さて。
同会では、例年12月に、ずばり「ブータン」をテーマにしたシンポジウム、
その名の通り「ブータンシンポジウム」を開催してきたのだが、
今年は、普段より少し早い、11月29日(土)に開催する運びとなった。
というわけで、小間使い要員として、その準備に追われる日々である。

今年のテーマは、「ブータンに近代化はなぜ必要か?」。
「ブータンに近代化は必要か?」ではないところがミソだ。

2011年の国王来日以来、ブータンという国の名前だけは知っている、
という日本人はかなり増えた。
体感では、1,000倍くらいになった。冗談抜きで。
もちろん、10,000人に1人だったのが、10人に1人になった、
くらいの感覚ではあるのだが。

ただし、多くの人がブータンとセットで思い浮かべるのは、
一つは、アントニオ◯木似の国王と美人の王妃さま、
もう一つは、「幸せの国」というキャッチフレーズ、
以上終了、というところであろう。

別にそれが悪いというわけではなく、
メディアでも、連日そういう取り上げられ方しかしなかったのだから、
至極、当然の結果である。

が、どうやらそのあたりの話が、ちょっと捻くれて伝わっている面もあり、
「ブータンは、経済的には貧しくても幸せなのだから、
 無理に開発を進めるべきではないのではないか?」
「ブータンに近代化は必要なのか?」
という声さえ囁かれるようになってきた。

これまで長年、ブータンに携わってきた人たちからすると、
こうした言説には、「ちょっと待ってくれ」と異を唱える声が噴出している。

ここで多くを語るには紙幅が足りないが、
ブータンの掲げる国是である「GNH(国民総幸福)」の柱の一つに、
「公正な社会経済発展」という文言がある。
これは、公正さを欠いた徒らな経済発展は競争を煽るばかりだが、
一定レベルの近代化は、国民の最低限度の生活を保障するために必要、
という意思表示でもある。

そして、これまでブータンに関わってきた多くの日本人は、
JICA(国際協力機構)をはじめ、このブータンの目指す道をサポートし、
共に開発を進めてきた、そういった人たちが大半を占めているのだ。
そのあたりの事実関係と、そして、これからの展望とを丁寧に説明すること、
それが、今回のシンポジウムの大きな狙いである。

以下、概要を掲載するが、詳しく知りたい方は、
ぜひリンク先の公式サイトを閲覧いただくことをオススメしたい。
http://www.japan-bhutan.org/symposium/3rd/


◎概要
日時:2014年11月29日(土) 13:00 本会議開場
   10:00 – 12:00 分科会(観光セミナー/ブータン勉強会)
   13:30 – 17:15 本会議
   17:30 – 19:30 懇親会 於:JICA地球ひろば 2階 カフェ
会場:JICA地球ひろば 2階 国際会議場 (JICA市ヶ谷ビル)
   〒162-8433 東京都新宿区市谷本村町10-5
定員:130人(先着順) / 懇親会定員:70人
会費:本会議 日・ブ協会会員,学生1,000円 / 一般1,500円 (当日2,000円)
   懇親会 日・ブ協会会員,学生4,000円 / 一般5,000円 (当日5,500円)

◎本会議登壇者
・上田晶子「よい近代化、わるい近代化」
 名古屋大学 大学院国際開発研究科 准教授

・小川康「ブータンから描く新しい医薬学教育」
 チベット医/薬剤師/早稲田大学大学院 文学研究科 修士課程

・白井一「技術工学教育と知識の移転による近代化とGNH」
 NPO法人 国際建設機械専門家協議会 代表理事

・津川智明 「ブータンの地方行政から見た近代化」
 JICA 地方行政支援プロジェクト 専門家

◎申込方法
下記、申込専用サイト(こくちーず)よりお申込みください。
http://kokucheese.com/event/index/220939/

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なお、当日の10:00〜12:00まで、同会場(JICA地球ひろば 2階)において、
分科会として、以下2つのセッションを開催する予定である。

・ブータン観光セミナー
 対象:ブータン旅行にご関心のある、すべての皆さま
 会場:セミナールーム201AB
 主催:ブータン政府観光局

・ブータン勉強会
 発表題目:「中尾佐助生誕100年、そのルートを検証する」
 発表者:高橋 洋(『地球の歩き方 ブータン』執筆)
 会場:国際会議場
 主催:日本ブータン研究所

定員は、各セッション 40人(先着順)。
参加費は、本会議と別で、500円(観光セミナー/勉強会共通)。

勉強会は、「中尾佐助」という名前にピンとくる方にはオススメだが、
ある程度、ブータンに関する予備知識が必要な上級者向け。
観光セミナーは、まだブータンへ行ったことが無いが、一度は行ってみたい、
という、ブータン初心者向けとなっている。

申込方法含めて、詳細については下記を参照されたい。
http://www.japan-bhutan.org/symposium/3rd/branch/

ちなみに、過去2回のシンポジウムの際にも、
本コラムにおいて記事を書いているので、ご参考まで。

第1回ブータンシンポジウム
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=398

第2回ブータンシンポジウム
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=530

2014/11/10

中編まで書いておいて三ヶ月近くも放置するという、まさかの大失態をやらかし、
読者のみなさまには、大変ご迷惑をおかけしております…。

さて。
前回は(といっても昔のことすぎて覚えていない方がほとんどだと思うが…)、
かなりお堅い話をしてしまった、というより、
正直、自分以外の誰にも得になりそうもない話をしてしまった、と猛省。
最終回となる今回は、もうちょっと柔らかい話、
東ブータンのおすすめ観光スポットをご紹介していこうと思う。

東は筆者にとっても初訪問ということで、当地の大学での用事を早々に片付けて、
あとは観光、と考えていたのだが、本当に思いの外早く、用事が片付いてしまった。
というか、日本に持ち帰らなければならない案件ができてしまい、
それ以上、ここにいても何も進まなくなってしまった、と言ったほうが正しい。

というわけで、割と本格的に、東ブータンの観光地巡りをすることと相成った。


そもそも。
読者の大半が、ブータン自体に足を踏み入れたことの無い方ばかりだと思うので、
いきなり、東ブータン、といっても何のこっちゃか分からないかもしれない。
少しばかり、ブータンの西と東と違いについてお話ししておきたい。
とはいえ、先にお断りしておくが、その筋の専門家ではないため、
ここを見ているブータン関係者で、「それは違う!」とお気付きの点があれば、
なるべくボロが出ないうちに、早めにご指摘をいただきたい。

西と東の違い、それは一言で言えば、文化の違い、ということになる。
が、それだけでは、身も蓋も無いので、もう少し説明すると、
西ブータンは、首都ティンプーや国際空港のあるパロを擁する、
ブータンの中では比較的早い段階から近代化が進んだエリアだ。
一方の東はというと、西ブータンから、山を越え、谷を越えて、
車で丸二日間かけてようやく辿り着く、ブータンの中でも比較的未開の地である。

そういった環境が文化に与える影響ももちろん大きいのだが、
一番の違いは、やはり、民族、そして、言語の違い、に象徴される。
東ブータンに住むのは、主にツァンラ(シャチョッパともいう)と呼ばれる民族で、
彼らは、ブータンが、チベット文化の影響を受ける以前から当地に住んでいた、
いわゆる先住民族である。
また、ツァンラ以外にも、多くの少数民族が住んでおり、
一つ峠を越えれば、違う民族が住み、違う言語を話す、という場所も珍しくない。

現在、ブータンで広く話されている言語は、ゾンカと呼ばれており、
チベット語に近い言葉。
一方、ツァンラの人々が話す言語は、ツァンラカ(シャチョップカ)と呼ばれ、
東ブータンでは、ほとんどの地域で、このツァンラカがゾンカよりも通じる。
学校では、英語とゾンカを学び、家庭ではツァンラカを話す、といったように、
この地域の子供たちは、齢10歳に満たないうちから3ヶ国語を使いこなしている。


さて、まずはそんな東ブータンで最も大きい街、タシガンから紹介していこう。
タシガンは、西ブータンの中心地である首都ティンプーから、
車でおよそ20時間(2泊3日)かけて、ようやく到着する。
(一応、国内線もあるにはあるのだが、運航が流動的なため要確認)

ちなみに、Google Mapsでは、ティンプーからタシガンまで、
9時間弱との計算になっているのだが、どう考えても無理なので、あしからず。

EastBhutan
©Google Maps

実は、南のインド国境の街、サムドゥプジョンカルから陸路入国したほうが、
距離的にはだいぶ近いので、もう西ブータンは見た、という方にはオススメ。
ただし、インドのグワハティ空港を利用するため、インドビザが必要となる。

そんなタシガンは、西から来た場合、まず、本当にここが東の中心地なのか、
と驚くぐらい、こじんまりとした、素朴な味わいのある街である。
観光客が訪れることも少ないためか、みな、好奇の眼差しで見つめてくる。

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(写真:谷間にあるタシガンの中心街)

タシガンの街は、深い谷に沿った急斜面に作られており、
歩いて回るのはかなり辛いが、しかし、その高低差が織り成す街の風景は、
他のブータンのどの街とも異なる趣がある。
その中心に位置するタシガン・ゾン(城塞)も、大きさこそ小ぶりだが、
街からのゾンの眺め、そして、ゾンからの山々の眺め、ともに見事の一言である。

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(写真:小高い岩山の上に立つタシガン・ゾン)

このタシガンから北上していくと、道中、ゴム・コラと呼ばれる寺院が見えてくる。
ここは、ブータン歴史上随一の高僧パドマサンババ所縁の聖地であり、
寺院裏手にある巨岩の下には、パドマサンババの手によって封じられた土着の神が
眠っているという言い伝えがある。

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(写真:ゴム・コラの寺院本堂)

さらに川沿いを北上すると、やがて、周囲の景色が深い渓谷へと姿を変える。
その渓谷に沿って道なりに進むと、辿り着くのがタシヤンツェという街。
街の入り口まで来ると、視界は意外なほどに急激に開けて、
なだらかな斜面に広がる集落と棚田が一望できる。

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(写真:棚田が広がるタシヤンツェの街並み)

タシヤンツェの街で、まず目に映るのが、チョルテン・コラと呼ばれる寺院だ。
これは、他のブータンの寺院とは異なり、ネパール式の仏塔を擁する寺院である。
春には、東ブータン中の人たちが集まる祭りが催され、大きな賑わいをみせるという。

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(写真:チョルテン・コラの仏塔)

さらに、タシガンからほど近い、ラディ谷にある農村では、見事な棚田と、
時期によっては、牛耕などの伝統的な農作業風景を目にすることができる。

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(写真:牛耕の様子)

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(写真:美しい棚田にかかる虹)

また、ラディ谷への入り口にあたる、ランジュンという街には、
ウェセル・チョリンと呼ばれる壮麗な寺院がある。

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(写真:ウェセル・チョリンの寺院本堂)


また、その他にも、今回訪れることのできなかった場所がたくさんある。
例えば、メラ、サクテンと呼ばれる地域は、東の果てに位置し、
ブロクパと呼ばれる遊牧民族が住む、標高3,000mを超える高地である。
自動車道路の終点から徒歩で2日がかりでようやく辿り着く、
まさに秘境中の秘境と言えるだろう。

ともすれば、東ブータンは、西に比べて見るべきところの少ない場所に映る。
しかし、由緒ある寺院や、壮麗な城塞、そして、深い渓谷が織り成す美しい風景、
などなど、実際には、西にひけを取らないだけの観光資源を抱えた場所でもある。
観光客にとって、特に交通の面でかなりハードルが高いがゆえに、
かえって、昔ながらのブータンが色濃く残る場所にもなっている。

初ブータンで東まで制覇、となると、おそらく最低でも2週間近く必要だが、
もし時間がたっぷり取れるのであれば、そんな欲張りな旅も悪くない。
一度西を訪れたことがあるのであれば、東だけさくっと回るのであれば、
4-5日あれば要所は押さえられる。
その場合、一つでもテーマを持って、多少の予備知識を備えてから訪れることを、
個人的には強くオススメしたい。

(了)

2014/08/19

今回の東ブータン訪問の最大の目的は、ブータンの大学へ来ることだった。
日本には馴染みが薄いシステムだが、ブータンの大学制度は、
ブータン王立大学という一つの大学の下に、いくつかのカレッジがぶらさがる、
というかたちを取っている。

今回訪問したのは、そのうちの2校。
ジグメ・ナムゲル工科学院(Jigme Namgyel Polytecnic)と、
シェラブツェカレッジ(Sherubtse College)。
前者はその名の通り、理工系の学科が揃う大学で、
後者は、数学、物理学、社会科学などの学部を擁する、
ブータンで最も歴史がある大学である。

両校を訪れた理由は、自分自身の研究(ブータンの情報化)について、
調査の際の身元受け入れ先となる学部、または、研究者を探すこと。
何らかのコラボレーションを実現させることで、
ブータンでの研究がぐっとはかどり易くなるからだ。

ブータンに一般の観光客として入国する場合、
1日当たり200〜250USドルの公定料金がかかる。
車からガイドから宿泊から食事まで、全て込みの料金なので、
純粋に観光目的で来る分には分かりやすいシステムなのだが、
こと長期滞在するとなると、カネがいくらあっても足りない。
そもそも、観光ビザの滞在日数は最大2週間までしか許されていないので、
長期滞在すること自体が不可能なのだが。

ごく有り体に言ってしまえば、現地大学に受け入れてもらって、
研究ビザ、または、学生ビザを取ることができなければ、
実質、ブータン研究を長く続けることは限りなく難しい。
もちろん、これは多分、ブータンに限らず、世界中の研究者が、
海外でフィールドワークをする際に必ずぶつかる関門だろう。


まず訪れたジグメ・ナムゲル工科学院は、
実は、昨夏、同校の学長が日本を訪れており、
その際、ご縁があって、自分がコーディネート役になって、
当大学の理工学部を視察していただく機会を持ったことがあった。

学長は、末席にいた若僧のことを覚えていていただいたようで、
訪問してお話を伺いたい旨を連絡したところ、快く招き入れてくれた。
しかも、学長直々に校内を案内していただき、夕食までごちそうになった。
すぐに具体的な話には繋がらなかったものの、今後も引き続き交流をしながら、
何らかの可能性を探っていこう、という形になった。

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(写真:新築の図書館兼IT棟)

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(写真:機械実習室はちょっと古めかしい)

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(写真:キャンパスからの眺め。遥か向こうの平原はインド)

次に訪れたシェラブツェカレッジでは、
以前から、自分の研究に多少なりとも関心を持っていただいており、
もう少し具体的に、何らかのコラボレーションの可能性を探るために、
時間をたっぷり取って打合せをしよう、ということになっていたのだが…

何故か、訪問していきなり学長室に通され、
学長から「さあ、君は何ができるんだ」と、割とド直球を投げられる事態に。
念のため用意していた研究計画のプレゼンを慌ててしたところ、
示されたオプションは二つ。

一つは、研究者の交流や交換留学等を含む、大学間または学部間協定を締結し、
協定校の交換留学生として訪問すること。
そうすれば、ほぼ大学持ちで、安価に、しかも、より長期の滞在が可能になる。
もう一つは、自費留学生として同校に籍を置くこと。
この場合、学費+滞在費で、観光ビザまではいかないものの、結構な額がかかる。

当然、可能であれば前者の選択肢を選びたいところなのだが、
さすがにしがない学生の身では、「じゃあやりましょう」と即答はできない。
持ち帰って検討してみます、と言ってみたのだが、
さて、そもそも、協定を結ぶために何をすればいいのか、皆目検討もつかない。

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(写真:シェラブツェカレッジ正門)

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(写真:ITレクチャールームにて)

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(写真:キャンパス風景。時計塔は…止まってる)

大学の交換留学制度とかを上手く使えば、
2週間くらいの短期の交換留学程度なら、意外とセッティングできそうな気もする。
というか、そのプログラムを考えるのは、なんだか結構面白そうだ。
自分の研究そっちのけで、普通に仕事として請け負ってもいいレベルで。

そういえば、最近は、気仙沼でのプロジェクトも、
直接のアドバイザー業務もさることながら、コーディネート業も増えてきた。
だんだんと、コーディネーター役のほうが性に合っている気さえしてきて、
完全に本末転倒になりかけているが。

今回のブータン訪問は、そもそもが、暗中模索からのスタートだった。
さらに、シェラブツェカレッジまでの道程が、文字通りの五里霧中
学生の身分で、協定の締結なんて、それこそ雲を掴むような話だ。

大体、一学生の身分で、現地の大学の学長に立て続けに二人も会える、
なんてことは、日本ではちょっと起こり難い。
せいぜい、学部長と廊下ですれ違うくらいがいいところだ。
有難い機会をいただいたということで、しばし暗躍してみようと思う。

そういえば、高校の頃は、あやしいメキシコ人の校長と何故か仲が良かったので、
卒業後も連絡を取って会いに行ったりする間柄だったことを思い出した。
が、それはまた別のお話。

(続く)

2014/07/25

5度目のブータン訪問で、初めて、東ブータンへ足を踏み入れた。
(ずっと4度目と思っていたが、よく数えたら5度目だった)

首都のティンプーをはじめ、国際空港のあるパロも、西に位置しており、
おのずと、ブータン初心者の足は西へ向きやすくなる。
しかし、多民族国家であるブータンでは、
東と西で、言語から食生活まで大きく異なる。
西しか知らないブータン研究者など「もぐり」だと後ろ指をさされてしまう…
なんてことも、あったりなかったりするようだが、
とにかく、個人的に、一度は訪れなければならない地域だとは感じていた。

そもそも、ブータンは、国のサイズ自体が九州くらいしかない。
しかし、ちょうど九州を横に倒したような横長の国土を横断しようとすると、
同じくらいの距離を走る九州新幹線が1時間半程度で駆け抜ける長さを、
約24時間(12時間*2日、又は、8時間*3日)かけて車で走破する羽目になる。

ヒマラヤ山脈の南斜面に位置するブータンは、
国土のほぼ全てが急峻な山々で覆われていて、直線道路がほとんど無い。
どこまで行っても「いろは坂」を走り続けなければいけないようなもの、
と書くと、少しはその状況がつかめるだろうか。
なんか、こんなようなことを、過去にも何度か書いたような気がする。

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(写真:延々と続く「いろは坂」)

そんな劣悪な交通事情に、さらに追い打ちをかけるのが、天候である。
夏のブータンは、雨期にあたる。
ブータンの道路は、山肌をくり抜いて作られたものがほとんどなのだが、
残念ながら、そのくり抜かれた斜面は酷く脆いため、
雨が降ると、あちこちで土砂崩れが発生して道を塞ぐ。
さらに、道路そのものが崩れ落ちる、崖崩れも頻繁に起きる。
ちなみに、崖の下は、数百m下の谷底、という場所も珍しくない。

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(写真:天気がよければ、実に気持ちの良いドライブなのだが…)

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(写真:でも、たびたび土砂崩れで通行止めに)

どんなに広くても片側1車線、あるいは全部で1.5車線程度しかない道幅で、
土砂崩れや崖崩れに見舞われると、どうなるか。
対向車とすれ違うたびに、あと数十cmで崖下へ転落する恐怖に怯えながら、
熟練ドライバーの腕と、あとは、運を天に任せるほかなくなる。
そんなスリルが、下手すれば8時間とか12時間とか続くことになるのだ。

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(写真:対向車が来ると避ける隙間も無い)

ちなみに、冬はというと、もっと状況が悪い。
東西を貫通する道路は、ところどころで峠を越えなければならないのだが、
この峠、日本人の感覚とはだいぶ趣が異なる。
簡単に言うと、富士山より高い峠がごろごろある。
当然、冬になると、路面は凍結してしまうため、
峠を越えること自体が不可能になる、というわけだ。


さて。
今回、東ブータンを訪れたのは7月、ということで雨期真っただ中である。
もちろん、雨期のブータンを訪れるのは初めてではないので、
土砂崩れや崖崩れは、歓迎はしないが、ある程度想定済みであった。

が、今回、最も困らされたのは、実は「濃霧」だった。
たしかに、以前も濃霧に遭遇したことがなかったわけではないが、
今回ほど、命の危険を感じたことはなかった。

霧そのものが問題なわけではない。
霧がかかることによって、上述の全てのリスクが、大体5割増しになる、
ということが問題なのだ。

霧がかかっていると、
前方に崩れてきた土砂が堆積しているか判別できない。
前方の崖が崩れて道がなくなっていることがギリギリまでわからない。
前方からやってくる対向車が直前まで認識できない。
とまあ、こういった具合になる。

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(写真:深い霧のせいで、視界は10mほどしかないときも)

普段は、峠を攻める暴走車さながらに、
S字カーブを、クラクションを鳴らしながら減速せずに駆け抜ける、
走り屋顔負けのブータン人ドライバーたちも、
このときばかりは、かなり慎重な、若葉マーク付運転手のようになる。
ただ、その慎重さを補って余りあるリスクがそこにはあるのだが…

と、ここまで、ブータンの道路事情を書き連ねてきただけで、
結構な文量になってしまったので、今回はこのぐらいで。
次回は、なぜ東ブータンを訪れることになったのか、
その理由についてお話したいと思う。

2014/06/14

2014FIFAワールドカップ、ブラジル大会が開幕した。
開幕カードは、開催国ブラジルがクロアチアを3-1で破って幸先良いスタート。
これから、7月14日の決勝まで、1ヶ月に渡る熱戦が繰り広げられる。

今回のブラジルW杯、ちょっとだけ現地観戦を考えて、
念のためかかる費用を試算してみたのだが…
少なくとも50万円は下らない、という結果となり、あえなく断念した。
日本ブラジル間の往復航空券はそれほど高騰しているわけでもなかったが、
とにかく、ブラジル国内の国内線と宿泊が異常に値上がりしていた。
インフラ整備の遅れも指摘されており、交通・宿泊の面では、
おそらく、多くのトラブルが頻発することになるのではないかと思われる。

さて。
このコラムで、国別の戦力分析などをしてみたところで、
さほどニーズは無い、というか、場違いであることは承知しているので、
ここは少し目線を変えて、せっかくの機会なので、
ブータンのサッカー事情について紹介してみようと思う。


ブータンは…
現在、FIFAランキングで最下位(207位)タイ。
同率でサンマリノとタークス・カイコス諸島と並んでいる。
ちなみに、タークス・カイコス諸島なんて初めて聞いたが、
どうやら、西インド諸島に位置するイギリス領、らしい。

ランキングポイントは0ポイント。
これは、直近48ヶ月の間に、全敗(引き分けもなし)していることを意味する。
今回のワールドカップの予選には出場すらしていない。

以前のコラムでも触れたことがあるが、
ブータンは、かつて、2002年の日韓ワールドカップの裏で、
「The Other Final」を戦ってちょっとした話題になったことがあった。

ときは、W杯本大会決勝と同じ2002年6月30日。
場所は、ブータンの首都ティンプーのチャンリミタン・スタジアム。
当時のFIFAランキング202位のブータン代表が、
ランキング最下位(203位)のモントセラト代表を迎えて、
国際Aマッチとして、公式に「最下位決定戦」が行われたのだ。

ちなみに、Wikipediaでは、同試合の観客数が25,000人と記してある。
同スタジアムの公式な収容人数も25,000人となっている。
が、現地を訪れたことのある実感として、
どう考えてもこの数字は盛り過ぎではないかと思われてならない。
日本で、同規模のスタジアムを探したところ、等々力陸上競技場が該当した。

比べてみると…

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チャンリミタン・スタジアム ©Osman Veldan

800px-Todoroki_100911
等々力陸上競技場 ©WAKA77

スタンド部分の収容人数は割といい勝負に見えるが、
等々力が四方スタンドで囲まれているのに対し、チャンリミタンは半分しかない。
多めに見積もっても、15,000人程度と思われるのだが…
真相は、今度渡航した際に、もし覚えていれば検証してみたいと思う。

試合結果は、ブータンが4-0でモントセラトを下して、最下位の汚名?は免れた。
ただ、モントセラトにとっては、完全アウェイに加えて、
スタジアムが標高2,000m超の高地に位置しており、
これがそのまま実力差か、と言われれば、やや疑問符の残る内容ではあった。

モントセラトは、現在、ランキング166位とジャンプアップを果たしており、
ブータンは大きく水をあけられているのだが…
もはや、ランキング150位以下は大した意味を持たないとも言われているので、
実際に再戦した場合には、どのような結果になるのかは未知数である。

この試合は、なぜか日本とオランダの合作で、ドキュメンタリー映画化されている。
もし関心のある方は、ご鑑賞いただきたい。
http://www.amazon.co.jp/dp/B0000ABAOZ/

最後になるが、
実は、ブータン代表の歴代監督を日本人が務めていることを、
知っているという方は、果たしてどれだけいるだろうか。
行徳浩二氏(2008-2010)、松山博明氏(2010-2012)と引き継がれ、
現在は、小原一典氏(2012-)が指揮を執っている。

氏の略歴や活動概況が、日本サッカー協会のホームページに掲載されていたので、
こちらも、興味のある方は、ぜひご一読いただきたい。
http://www.jfa.or.jp/jfa/international/dispatch/report/ohara.html


ワールドカップ本大会において、強国同士がマッチアップする様は爽快であり、
今大会も、多くの記憶に残るスーパープレイが生まれることを期待したい。

と同時に、ブータンのような、サッカー弱小国においても、
日夜、ボールを蹴っているサッカー少年たちがいる。
今度、ブータンを訪れた際には、
ちょっと彼らに混じってボールを蹴ってみるのも悪くない。
そんな新たな楽しみに思いを馳せつつ、熱狂の1ヶ月を過ごそうと思う。

2014/04/30

先日、こんな記事がインターネットニュースに掲載された。

封建時代から一気に現代へ、ブータンを変える携帯電話
http://www.afpbb.com/articles/-/3013074

これについては、自身の研究対象にどストライクであったため、
何か物申すべき、と思ってあれこれ思案を巡らせてみたのだが、
まだまだ調査中で多くを語れないもどかしさもある。

あまり現段階で中途半端なことは言えないのだが、
過去に寄稿した文章で、このあたりに言及したものがあったので、
一部改訂を加えて転載してお茶を濁すことでご勘弁いただければと思う。


「ブータンの情報化」をテーマに研究をしている、という話をすると、
まず「どうしてそんな研究を?」という怪訝な顔をされることが多い。
「幸福の国」として語られることの多いブータンと、
「情報」という現代社会を象徴するような言葉とが、
上手く結びつかないのだろう。

たしかに、ブータンは近代化、特に先端技術を導入することに対して、
最大限の注意を払ってきた。
自然環境への負荷、伝統文化への浸食を最小限に抑えることが出来なければ、
経済的メリットを得られたとしても、結局は国民の幸福には繋がらない、
との考えからであった。
当然、情報化を進める上でも、慎重な政策が採られてきた。

かつて、ブータンの先代(第4代)国王は、
「欲望は人間が受け取る情報量と比例して増大する」と語ったという。
そこには、「情報」がもたらす影響力、
例えば、欲望を刺激され、過度の消費主義に走ってしまうことなどに、
強い警戒感を抱いていたことが伺える。
それは、「国民総幸福 (GNH=Gross National Happiness)」を提唱した、
先代国王自身にとって、最も恐れていた事態、と言える。

それでもなお、国家政策として情報化を推し進めなければならなかった、
その背景事情には、時を同じくして進行していた民主化への歩みが
大きく影響していると考えるのが妥当である。
「情報」が広く国民に開かれていることは、
「国民が、自らの良識に基づいた正しい判断を下す」ことを是とする
民主国家にとって、必須条件であったためだ。


このような経緯を経てブータン国民に与えられた「情報」は、
果たして彼らを「幸福」に導いているのだろうか。
学問的には、その問いに答えることは極めて難しい。
「情報」と「幸福」のあいだには、多くの間接的要因が折り重なっており、
その直接の因果関係を特定することはほぼ不可能に近い。

新しい「情報」、
例えば、隣国での生活の様子がテレビで紹介されることによって初めて、
自分たちの生活が相対化される。
つまり、彼らに比べて我々は貧しい、といった状況を認知することになる。

そのとき、人々の心に生まれるのは、憧憬や羨望だろうか。
そうしたプラスの感情が、ある種の原動力となって、
能動的に変わろうとするならば、
情報化はきっと国民を幸福へと導いていくだろう。
しかし、嫉妬や諦観に支配され、ネガティブな思考に囚われてしまえば、
その未来は決して明るくない。

「情報」そのものが善であったり悪であったりすることはなく、
全てはそれを受け取る人間の心一つ、ということになる。


さて、最後に一つ。

1960年代からはじまる、高度経済成長時代の日本。
その中に、工業化の次を見据え、技術革新によってもたらされる近未来社会、
「情報(化)社会」を夢想した先達がいた。

その中の一人、増田米二は、
情報(化)社会では、コンピュータが人間の知的労働を代替・増幅する、
という技術革新が、社会・経済構造だけではなく、
人々の価値観をも大きく変革することを予測した。

その一方で、彼の著書の中には、
情報社会の国民目標は「国民総充足 (Gross National Satisfaction) 」である、
という文言が出てくる。

工業化、情報化を経て、労働から解放された我々に待つのは、
生産力や効率性の高さを競い合うことではなく、
満たされた生活こそが、真に求める社会の姿になる、と予見したのだ。

当時の日本で、ブータンが提唱する「GNH」を紹介した文献等は皆無であり、
増田が、「GNH」という言葉を知っていた可能性は限りなく低い。
それでもなお、彼の提唱した「GNS」は「GNH」と驚くべき近似を示している。

この偉大な先達は、
「情報」に、満ち足りた未来(≒「幸福」な未来)を託したのだ。


GNH研究所 ニュースレター vol.7(2013年10月15日発行)より
※一部改訂

2014/02/28

さて、前回まで2回に渡り、
「ブータン研究者が、なぜ東北でまちづくりをするのか」
というテーマについて連載した。

ブータンでは、情報化について研究し、
気仙沼では、まちづくりについて実践を交えて学んでいる最中である。

正直に言って、震災を機に気仙沼に関わりはじめ、
そしていま、まちづくりの現場にこれほど深く入り込んでいるのは、
様々な偶然が重なった結果、という以外に無い。
そうでなければ、それまでほぼまちづくりについて素人同然だった人間が、
したり顔で「まちづくりやります」などと言ったところで、相手にされなかっただろう。

そんなわけで、当然、ブータンの研究を気仙沼の現場で活かす、という気もなければ、
逆に、気仙沼の経験をブータン研究に応用する、なんて場面も全く想定していなかった。

が、しかし。
ここへきて、まさかのコラボレーションが実現することになった。

そう、まさかの、気仙沼における「ブータン講座」開講!
自分がブータンについて研究している、という話をちらっとしたところ、
地元の方の食いつきが思いの外良く、あれよあれよという間に、そういう運びになった。

詳細はコチラ↓
140316_Bhutan-Kesennuma

いまのところ長期講座ではなく単発の予定だが、
もしかしたら、好評であれば引き続き…、なんてお声もかかるかもしれない。
さて、どんな話をしたら良いものか。

おそらく、気仙沼の人たちは、ブータンについての知識が、
「あの猪木に似た国王がいる国」
「王妃様が若くて美人だった!」
という程度の知識しかないわけで。
つまりは、2011年秋の国王訪日時のメディア報道のみがニュースソースなわけで。
やっぱり「幸せの国」について知りたがるんだろうなあ、と思うわけで。

難しいのは、このコラムでも昔書いた気がするが、
ブータンは、「幸せ」を目指す国であることは間違いないが、
いま現在「幸せ」な国かと言われると、ちょっと言葉に窮する。

少なくとも、日本でブータンに詳しい人達の前で、
「ブータン=幸せの国」という図式は、一種のタブーになりつつある。
一応、自分も、日本ブータン友好協会というところで、
縁あって幹事という立場にあるので、そう軽率な発言もできない。

ただ、一方で、真実をありのままに伝える、ことだけが重要というわけでもない。
気仙沼という地で、ブータンについて話をすることの意義はなにか。
気仙沼の人たちに、ブータンのどんな姿を伝えれば意味があるのか。
それ無しで、ただブータンについての知識をひけらかすような場にはしたくはない。

講座の開催は、3月16日(日)。
それまで、しばし悶々と悩んでみようと思う。
さて、どういう話をすることにしたのか、気になる人は、ぜひ気仙沼へ!

2013/12/04

昨年12月に開催し、好評を博したブータンシンポジウムが、
今年も、12月15日(日)に開催される運びとなった。
昨年の開催分についての記事はコチラ。
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=398

前回同様、運営スタッフとして準備に奔走する毎日である。
昨年は、まだ2011年のブータン国王来日の余波が残っていたからか、
あまり集客には苦労しなかった記憶があるのだが、
今年は少しだけ、昨年より出足が鈍い印象。

テーマもちょっとだけ重めなのも一因かもしれない。
題して、「ブータン、民主化への挑戦 —2013年総選挙までの道のりとこれから」。
政治に無関心な現代日本人を惹き付けるにはインパクトに欠ける。
いや、実はタイトルを付けたのは他ならぬ自分自身なのだが…

多くの日本人はご存知ないだろうが、今年の夏は、
ブータンの政治史上、とても大きな変化がもたらされた。
本コラムでも計8回という長期連載でお届けした、ブータンの総選挙。
そこで、これまでの野党が勝利し、政権交代が果たされたのだ。

とはいえ、ブータンが民主化したのは、今からたったの5年前、2008年のこと。
今年の選挙は、それ以来の、つまり、ブータン史上2度目の選挙。
政権交代、とはいうが、日本のように、55年体制が崩壊したのとは訳が違う。
もちろん、民主化以前からブータン政府を牽引してきた多くの政治家たちが、
今回の選挙で敗れたことによりその地位を追われたのは事実なのだが、
そのへんの込み入った話はここでは置いておこう。

さて、このシンポジウム、上記のようなやや堅めのお題ではあるのだが、
昨年同様、多くの「ブータンを良く知らないけれど、興味はある」という、
いわゆる認知層に参加してもらいたい、という意図は変わらない。
そのために、「よくわかる、ブータンの政治」的な資料も用意しているので、
もし、少しでも本コラムを読んで興味を持っている方がいれば、
あまり必要以上に恐れずに、気軽に参加してみていただけると嬉しい。

以下、詳細。

——

◎概要
テーマ:
「ブータン、民主化への挑戦ー2013年総選挙までの道のりとこれから」

日時:
2013年12月15日(日) 13:00 本会議開場
10:00 – 12:00 分科会(ブータン勉強会)
13:30 – 17:30 本会議(基調講演、パネルディスカッション)
17:45 – 19:45 懇親会(ブータン・ナショナルディ パーティ)

会場:
JICA地球ひろば 2階 国際会議場 (JICA市ヶ谷ビル)
〒162-8433 東京都新宿区市谷本村町10-5

定員:
130人(先着順)

会費:
本会議 日・ブ協会会員,学生1,000円 / 一般1,500円 (当日2,000円)
懇親会 日・ブ協会会員,学生4,000円 / 一般5,000円 (当日5,500円)

公式サイト:
http://www.bazam.net/jbfa/symposium/

◎登壇者
基調講演:
テンジン・リグデン(CEO, Bhutan Communications Services)

パネリスト:
青木薫(シデ・ブータン コーディネーター/ブータン日本語学校校長)
仁田知樹(前JICAブータン事務所長)
諸橋邦彦(国立国会図書館 調査員)
真崎克彦(甲南大学 マネジメント創造学部 准教授)

◎分科会
発表者:
高橋洋(地球の歩き方「ブータン」編集者)
藤原整(早稲田大学 社会科学研究科 博士後期課程)
平山雄大(早稲田大学 教育学研究科 博士後期課程)

※お申込みは以下の専用サイトから。
http://kokucheese.com/event/index/117765/

——

ちなみに、今年も、昨年と同じく、懲りずに午前中の分科会で発表をする予定。
お題は、「ブータンにおける民主化と情報化」。
ブータンにおける、選挙時のメディア報道やインターネットの活用状況などを、
選挙期間中のフィールド調査の様子も交えながら紹介していく予定である。

詳細は、こちらを参照されたい。
http://www.bazam.net/jbfa/symposium/branch/

一応、あまりブータンに関する基礎知識は必要としない、つもりだ。
分科会の他の2つのテーマは大変にマニアックなので、
あまりブータン通ではない自覚のある方、特に言語や地理に疎い方には、
手前味噌ではあるが、オススメをしておきたい。

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