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2012/05/31

大学までの、片道30分余りの道のりを、自転車通学している。
理由は主に、健康的な目的と経済的な目的のため。
要するに、三十路の体力づくり兼交通費の節約だ。

しかし、爽やかな若葉の中を疾走する季節もあっという間に過ぎ去り、
自転車族にはツラい季節がやってこようとしている。
梅雨、そして、夏だ。

五月は五月で、穏やかならぬ天気が続いた今年。
それにしても、東京はいったいいつから、
スコールが降るような街になったのだろう。

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さてさて、さきほども述べたような理由ではじめた自転車。
さりとて、自転車と電車の違いというのは案外大きい。

自転車を漕ぐという行為は、思いの外、能動的行為だ。
自転車を漕ぎながら文庫本を読むわけにもいかないし、
携帯を打ちながらなどもってのほか。
ヘッドフォンで音楽を聴きながら走行する人をよく見かけるが、
あれだって実は、都道府県別の交通規則で禁止されていたりする。

目的地に到達する為にペダルを漕ぐ。
それ以外の行為というのは、ほぼ何もできない。
そういう意味では生産性は皆無に等しい。

一方、電車。
通勤通学の数十分、場合によっては1時間を超える時間をいかに潰すか、
あるいは、単に暇潰しをするのではなく、そこで生産的な行為をする、
というのは、割と大都市圏に通う人が一度は考えるテーマだろう。

本を読む、ゲームをする、メールを返す、寝る、等々。
やろうと思えば、片手で携帯を打ちながら、片手でカロリーメイトでも貪り、
耳にはヘッドフォン、みたいな、五感フル活用もできないことはない。

電車という公共空間の中ではあるのだが、
そこには、個人個人が、ある種の私的空間を形成することができる。
とはいえ、そこは公と私のはざまの非常に不安定な空間でもある。

実は、ここ最近、その不安定さこそが、自分にとっては貴重な時間だった?
という疑問がわいてきている。

電車の中でなにをするでもなく物思いに耽る。
ふと思い付いたアイデアの種を携帯のメモ機能で書き留める。
という、知らず知らずのうちに身に付いていた習慣的行為が失われたことで、
自分の中での知的生産性というか、インスピレーションの源泉が、
急速に枯れていっているような不安がある。

これだけなら、自転車を漕ぎながらでもできそうなものなのだが、
自転車の場合、完全な公共空間を横切っているだけなので、
そこに不安定空間は生まれない。

よく、自宅やオフィスで仕事をするより、喫茶店のほうがはかどる、
なんて声を耳にするが、まさに喫茶店というのは、電車に近い空間と言える。
あの、公共の場にありながら、私的な作業をする、という不安定さが、
ほどよい刺激となってインスピレーションを呼び起こす、
というのは、あながち無い話でもないのではないだろうか。

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少し話は逸れるが、満員電車、というのは、日本の、特に首都圏の、
ある種の典型的な表象として語られることがよくある。
そして、そんな満員電車の中で、片手で器用に携帯を打つ様子が、
海外のメディアで紹介されていたりもする。

ガラパゴス携帯、などと揶揄されて久しい日本製携帯電話は、
その機能のみならず、インターフェース、つまり文字入力キーにおいても、
とある特徴を有している。

それは、キーサイズが大きい、ということ。
スマートフォン以前の海外の携帯電話というのは、
割とおしなべて小さなキーを採用している。
明らかに、欧米人の指のサイズの方が、日本人のそれより大きい、
にも関わらずだ。

これに関する説明としてよく語られるのが、日本製携帯電話のキーは、
片手で打つためのキーサイズ設計である、ということ。
欧米は、日本に比べると電車よりもずっとクルマ社会なので、
移動中に携帯電話でメールを打つという行為をほとんどしない。
移動時間を何か他の行為をして潰すことに、根本的に慣れていない、
と言ってもいい。

「持ち運びができて、移動した先々で使えること」と、
「移動中に使えること」というのは、実は似て非なる要望なのだ。
モバイル、というのは、欧米では文字通り持ち運びできればOKなのだが、
日本の場合、持ち運びながら使う、という小器用さが求められてくる。

文庫本やノートPCの小型化についても、同様の文化の違いが顕著に表れる。
日本人ほど「移動中に使えること」にこだわる人種というのは珍しいのだ。

そんなふうに、各種機器が、実に日本的な発展を遂げてきたわけだが、
残念ながら、自転車通学をよりリッチにするためのソリューションには、
どういうわけか全くと言っていいほどお目にかかったことがない。

確かに、貧乏学生を相手にしても商売が成り立たないだろうとは思うのだが、
さて、そこをなんとか、どなたかお願いできないものだろうか…

2012/04/23

博士課程に進学して早3週間。

当面の課題は、
「これから3年間の学費、研究費、そして生活費をいかに確保するか」
に尽きると言っても過言ではない。

大学院生、特に博士課程の学生が、生計を立てる手段には、
主に次のようなものがある。

・奨学金
・日本学術振興会の特別研究員
・助手
・アルバイト

奨学金は最もスタンダードな生計手段だろう。
学内、学外含め、貸与(返済要)もしくは給付(返済不要)の2種類があり、
もちろん、給付奨学金の方がハードルが高い。

なお、多くの奨学金で、両親の収入が採用条件に含まれる。
要するに、金持ち家庭の場合、奨学金をもらえないケースが多い。

ただ、正直なところ、学部の学生までは、親の収入が学業の妨げにならないように、
という配慮は理解できるが、院生ともなれば、自力で生計を立てるケースも多い。
その場合、「金持ちの息子・娘は奨学金がもらえない=大学院生になりづらい」
という逆転現象も起こり得る。

独立行政法人・日本学術振興会が募集する特別研究員という制度に応募する、
というのが第二の手段。
これは、簡単に言えば、国がカネを出して研究者を養成しようというもの。
月額20万円と、新卒並みの金額が2〜3年間支給され、研究に専念できる。
が、もちろん、採用されるためのハードルは非常に高い。

助手は、大学内で職を得る一つの手段。
こちらも、研究に専念できる環境を確保できるが、採用枠は非常に少ない。

アルバイトは、…みなまで言うまい。

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とまあ、ざっと書き連ねてみたが、詰まるところ、カネに困らず研究できるのは、
ごく一部の限られたエリートだけ。当たり前だが。
それ以外は、バイトに明け暮れ、研究者なのかフリーターなのかわからない、
そんな生活を送ることになるのだ。残念ながら。

ただ、ごく個人的な持論を言えば、
研究一辺倒、というスタイルが、果たして良い研究環境かというとそうでもない、
とも思う。

前回の記事でも書いたが、半勤半学というスタイルで、
理論と実践を行きつ戻りつ、というのが自分としては理想的。

ただひたすらに与えられたカネで研究に没頭するというのは、
ハングリーであること、そして、社会との接点を持つこと、
その2つを失ってしまうような気がしてしまう。

で、なんだかんだ、自分はなにかしら実務に行き着きそうな、そんな予感。
が、学生という身分で、実のある仕事というのは、なかなかに得難いもの。

確かに、企業側からすれば、週3勤務くらいはまだ許容範囲としても、
長期でフィールドワークに抜ける可能性がある学生を雇用するのは、
リスク以外の何物でもない。

自分の場合、曲がりなりにも実務経験が3年間あるので、
おそらく、他の学生より、多少は条件に合う仕事が多いとは思う。
それでも、研究との両立は至難の業であることに変わりは無い。

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というわけで、今のところ、残り少なくなってきた貯金を食い潰す日々が続く。
懐も寂しく、かつ、社会との接点も薄れていくジリ貧状態。

そうは言っても、焦らず、しっかりと職探しをしたい。
実の無いバイトにかまけて、学を疎かにするようでは、
それこそ、会社を辞めてまでここに戻ってきた意味は無いのだから。

2012/03/29

3月25日。
世の中は、前田敦子の「卒業」の方に注目が集まっていたようだが、
当大学でも、晴れて卒業式が挙行された。

なお、大学院の場合は、卒業式、ではなく、学位授与式が正らしいが、
AKB48ですら「卒業」という言葉が成り立つのだから、
我々がちょっとぐらい誤用したところで大したデメリットはあるまい。

それにしても、来週には同じ場所で博士課程の入学式があるのだから、
こんなにもテンションの上がらない卒業式も無い。
せめて、同じ研究室の後輩達の巣立ちを見送ってやろうと、
ちょっと高いシャンパンを贈ってやることに…したのだが、
まさかの、全く同じシャンパンを彼らも用意していた、という奇跡に遭遇。

去りゆく者たちと酒を交わしながら、夜は更けた。

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さて。
実のところ、博士課程に進む、という選択は、極めて悩ましいものだった。

以前にも書いたかもしれないが、会社を辞めたのも、
ビジネスの世界に嫌気がさしたとか、そういうことでは全く無い。
ただただ、一度触れてしまった「ブータン」というパンドラの箱の、
中身を覗かなければ気が済まなくなってしまったからだ。

修士を終え、再び見えたこの分かれ道は、
ある意味では、社会に戻ることができるかもしれない、最後の機会。

このまま大学に残るのか(もちろん入試はあったが)、
この経験を経て再びビジネスの道に戻ってみるか、
あるいは、全く新しい道を開拓するのか。

身体が二つあれば、または、一日が48時間、といわず36時間くらいあれば、
ビジネスとアカデミックの両立は、あるいは可能かもしれない。

裏を返せば、拘束時間は半分、報酬は半額、という働き方が可能なら、
半勤半学は成り立ちそうな気がする。
そして、それが、自分には一番向いていそうな気もする。

現代日本のパートタームワーク制度では、いかんせん、
拘束時間がコントロールできるが、報酬の額が微々たるもの。
これでは、「就職しない」という選択肢をそもそも選びようがない。

もちろん、大いに反論もあろう。
短い時間しか働かない人に責任ある仕事を任せられない、であるとか、
他の人と同じ時間帯で働いてくれないと困る、などなど。

ワークシェアリング、なんて、一時期流行ったりもしたが、
単純ルーチンワークでも無い限り、引継ぎだなんだと余計な手間ばかり増え、
結局、上手くいきそうにない。

無い物ねだり。
そんなに器用でもないし、そんなに体力もない。

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ただ、あながち、夢物語だとも思っていない。

人生の岐路で、一つの道を選び、専門性をとことん追求するのではなく、
目の前の手札をできるだけ減らさずに、そのときどきで、最前手を打つ。
そんな、夢が無いようで、夢のような、生き方もあるように思う。

ひとかどの者になりたい、という気持ちは、不思議と雲散霧消した。
元々、楽観的な性分ではあるが、ブータンと関わるようになってから、
「自分が世の中によって必要な人間ならば、きっと生かされるはず」
という、なんだか、神頼みのような思いが強くなった。

そんなわけで、もうすぐ、春。

2012/03/10

2月は、暇なような、それでいて忙しいような、
そんなふわふわした状態の中で、気が付けば過ぎていった。

たぶん、その大きな理由の一つは、
4月以降の自分の行く先が決まっていなかったこと。

博士課程に進むことが、半ば既定路線のようになってはいたけれど、
ウチの研究科は内部進学ができず、全員が一般入試を受ける必要があった。
ペーパーテストで基準点に満たなければ機械的に落とされる。
大学院なんて縁故の世界かと思いきや、そこらへんは至極ドライである。

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さて。
実は、博士課程進学の他に、もう一つ、来年の選択肢が浮上していた。
きっかけは、以下の求人を目にしたことだった。

ブータン政府観光局 求人情報
http://www.travel-to-bhutan.jp/archives/765

「ブータンで1年間働ける」
この2年間、ブータンに関わってきた人間にとっては、
この上も無く魅力的な、このオファー。

あまりに拙い語学力、そして、観光業未経験、という点を踏まえれば、
受かる確率は限りなく低いことは目に見えていた。

ただ。
異文化下で働く、という経験は実に得難い。
一応、一部上場企業でマネジメントの経験も僅かばかり積んでいたので、
まるっきりド素人というわけでも…たぶん無い。
ブータン研究をしてきたので、ブータンに関する知識も…それなりにある。
観光という、言わば「ブータン」そのものをコンテンツとみなした場合に、
どのようなビジネスが展開できるのか、その可能性にも食指が動いた。

1年間という期限付きなところも、実際のところ、かなり惹かれた。
研究活動を再開するとして、そこで培った人脈等は大きな財産になる。

早速、担当教授にご相談したところ、
「チャレンジしてみよ」との有難いお言葉。
肚は決まった。

というわけで、せっせと応募書類をこしらえて、果報を待つ。
実は、同時並行で上記の入試が進んでいたので、割とてんやわんや。

待つこと1週間。
大変残念ながら、不採用の通知をいただいた。
が、同時に、少しばかりホッとしたのもまた事実。

冷静に考えれば、自らは得るものがあまりにも多く、
が、しかし、ブータン側に与えられるものがあまりにも未知数。
ちょっと欲をかきすぎた。

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というわけで、無事、博士課程の合格通知を手にして、今日に至る。

逃した魚は大きいが、自分に足りないものを見つめ直すきっかけにはなった。
一にも二にも、英語力は身に付けておいて損無し。

実は、博士課程の入試も英語で、当落線ギリギリだった、ことは内緒だ。

来夏は、本格的に語学留学検討しよう…

2012/02/29

海外放浪癖があるくせに、残念なくらい英語ができない。
一人で海外に行ったりしてるんだから、
さぞ英語できるんだろうと思われてることが多いが、
行くのは基本英語圏ではないので、ほぼ無関係である。

むしろ、
非英語圏でコミュニケーションを取ろうとすると、
向こう側も英語に不慣れな場合が多いので、
しっかり構文を組んだ英語の方が、逆に聞き取ってもらえない。

で、「単語」+「ジェスチャー」のカタコト英会話を多用する。
そうやって、無理矢理コミュニケーションをとることに慣れてくると、
それに反比例するように英語力は下がっていく。
というのが、ここ数年の実感。

外国人とコミュニケーションを取ることへの抵抗感はほぼゼロになったが、
むしろ英語が喋れない人とのほうが、分かり合える気さえする。

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高校時代、英語は最も苦手な科目だった。
当時は、海外にさほど興味が無かったので、
正直、捨て科目とさえ思っていた。

高3のときには、担任だった英語教師にすっかり嫌われてしまい、
大学の合格が決まった後、担任にその旨を連絡したところ、
「そうか、残念だったねえ」
と、意味不明の回答が返ってきたのを記憶している。
(要するに、担任は、受かるはずが無いと思っていた)

そんなこんなで、今。

大学院生ともあろうものが、英語の一つもできないのは、非常にマズい。
何よりも、研究対象であるブータンは、実は隠れた英語圏なのだ。
ブータンでは、小学校から、ほぼ全ての科目を英語で教えており、
今の三十代以下くらいの若い世代のブータン人は、ほぼ100%英語ができる。

これまで3回の渡航で、そのことを痛感したこともあって、
この春休みは、絶賛、英語力の向上に努めている、とこういう次第である。

なお、今のところ、目立った効果は出ていない…

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そんな折、今週の週刊ダイヤモンドでこんな記事が。

凄絶!楽天の「英語公用語化」│週刊ダイヤモンド
http://diamond.jp/articles/-/16303

中身を読んでみると、「凄絶」と脅すほどのことはない、
普通の社員英語教育を施しているだけのようにも感じられる。

TOEIC推奨点数が、役員800点、課長以上700点、平社員600点らしいのだが、
600点程度の英語力では、日常会話すら覚束ないはず。
名ばかり公用語になりはしないかと、他人事ながら心配になる。

さらに記事を読み進めていくと、
「一部の社員をフィリピン・セブ島へ短期留学させた」との記載が。

実は、最近、友人から、「英語留学ならセブ島が断然安くていいらしい!」
という噂を耳にしており、その真偽を疑ってかかっていたのだが、
図らずも、こんなところで目にしてしまい、少しだけ疑念が晴れた。

自分自身、個人学習をしながらつくづく思うのは、
読み書きは独力でなんとかなっても、話す聞くは実践が伴わないと無理、
ということ。

これまで留学なんて毛ほども考えたことがなかったけれど、
ここ最近、にわかに現実味を帯びてきている。

セブ、か…

2011/12/31

暮れも押し迫った12/31に、年内最後のご挨拶をば。

2011年を、みなさんはどんな年として記憶するのだろうか。
真っ先に思い浮かぶのは、どうしても、東日本大震災の年。

国際社会の中でも、どうやら同じ思いのようで、
Googleの作った、今年を振り返るしみじみする映像の中でも、
件の震災がトップに来ている。

この映像、もう少し作成時期が遅ければ、
金正日総書記死去のニュースも掲載されただろうか。

十年来のMacユーザーとしては、ジョブズの死も、哀しかった。
松田直樹の死も哀しかった。

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自分史的ニュースを、各月ごとに振り返ってみる。

1月 30歳へのカウントダウンスタート
2月 2度目のブータン上陸
3月 バングラデシュで東日本大震災の一報を聞く
4月 ボランティア活動のため被災地へ
5月 ゼミで気仙沼復興支援プロジェクト開始
6月 10年ぶりにパスポート更新
7月 サッカー女子W杯で川澄に萌える
8月 3度目のブータンで突撃100人インタビュー実施
9月 チェルノブイリ訪問
10月 競馬・凱旋門賞観戦&モンサンミシェル訪問
11月 ブータン国王歓迎レセプション参加
12月 ブータンナショナルデイで司会

と、大体ブータンづいていた1年だったことが浮き彫りに。
世間のブータンフィーバーも相まって、特に年の後半は、
割と慌ただしく日々が過ぎていった。

年明け早々には、この1年、というか修士2年間の集大成としての、
修士論文を提出しなければならない。
正直に言うと、まだ、書き上がっていない。

早い話が、ここでこんなコラムを書いている場合じゃない、ということだ。

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来年は、無事に修士を卒業できれば、
また、次の舞台へと歩みを進めることになる。

実は、まだ固まっていない。
齢三十になろうというのに。

ただ、少し考えていることもあるので、
多分、追々、ここでも公表できるだろう。

孔子曰く、三十にして立つ、と。
おそらく、ちょっと意味は違うだろうが、そこはそれ。
都合の良いように解釈するのも、ブータン流の幸せ力、かもしれない。

それでは、みなさま。
良いお年を!

2011/10/16

さて、前回の記事から、あっという間に1ヵ月。
サボりまくっててすみません…。

謝罪(言い訳とも言う)を並べ立てることはいくらでもできるけれど、
そんなもの書いてみたところで、全く読者が嬉しくないコラムなので、
前置きはこれくらいでご勘弁いただくことにしよう。

3週間弱に渡る旅先から帰ってきたばかりということもあって、
できれば旅のレポートを書いていきたいところなのだが、
いかんせん、8月のブータン調査旅行の話もまだ書いてないし、
今度もまた、割と考えさせられる旅だったので、まだイマイチ消化不良。

というわけで、今回は繋ぎの小ネタを少々。
みなさんにはあまり馴染みがないかもしれない、
「国際学生証」の話をしてみることに。

まず、「国際学生証」とはなにか?
別名ISIC(International Student Identify Card)カードとも呼ばれ、
ユネスコ承認の世界共通の学生用身分証明書、らしい。
Cardとカードがダブってるじゃねーか、という話はこの際置いておいて、
割と世界中で通用する、それなりに権威のあるカードのようだ。

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このカード、大学生協などで割と簡単に作れるので、
いままでも一応、持ってはいたのだが、
いかんせん、あまりそのメリットを享受したことはなかった。

というのも、
アジアの場合、このカードを提示したところで、
「なにそれ、おいしいの?」くらいの冷ややかな反応をされることが多々。
そんなのが積もってくると、だんだん、出すことすら躊躇いがちになり、
しまいには、海外に出る際に「コレ、ホントに持っていく必要あるのか?」
と、小一時間ほど悩んでしまう、という残念な結果が待っている。

今回、旅支度をしているときにも、正直、
「別にかさばらないし、とりあえず」くらいの軽い気持ちで荷物に忍ばせた。

ところがどっこい、
ヨーロッパの場合、効果てきめん。
至るところで入場料割引、場合によっては列車やバスの運賃すら割引になる、
素晴らしい魔法のカードに早変わりしたのだった。

例えば…

ロシアのクレムリン宮殿入場料
一般:350ルーブル(≒¥1200)→学生:100ルーブル(≒¥350)と1/3以下。

ラトヴィアのトゥライダ歴史保護区入場料
一般:3ラッツ(≒¥450)→学生:1ラッツ(≒¥150)と1/3。

などなど。
大概の博物館や美術館で、半額以下になるというお得感。
いままで邪険に扱ってきた彼をちょっと見直した。

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もうひとつの効能、というか本来はこっちが主のはずなのだが、
旅先での身分証明書としても勿論使える。

旅行中、何かあった時のために、身分証明書を持ち歩くことは必須。
ただ、普通はパスポートくらいしか国際的に通用する身分証明書がないので、
結果、パスポートを肌身離さず持ち歩くことにならざるを得ない。
しかしながら、その行為は、スリなどに遭って紛失するリスクと隣り合わせ。
なんとか持ち歩かずに済む方法はないだろうか、と考えたことがある、
という方もいるのではないだろうか。

そんな旅のマストアイテム、パスポート代わりの身分証明書として、
この国際学生証はそれなりの威力を発揮する。
何もないことに越したことはないのだが、何かあったときのお供に、
財布に忍ばせておくだけでも、安心感がちょっと違う。

とはいえ、国によっては、全く通用しないことだってあるし、
万能ではないことを理解した上で、リスクとの天秤にかける必要がある。

なにより、安宿を転々とするような学生の場合は、
そもそも、パスポートを宿に置いていくほうが、万倍危険…
そして、まともな宿に泊まれるようになった頃には、
もうすでに学生ではない、と。

世の中ってヤツは、なかなかどうして上手くいかないようにできている。

とまあ、「国際学生証」について、つらつらと書き連ねてみたものの、
最後の最後まで来て、はたと気づく。

よく考えたら、このコラムの読者に、「学生」なんているのだろうか、と。

2011/09/18

ブータンへのフィールドワーク、
帰国後すぐに、JunkStage第3回公演の準備、そして本番、
続けざまに、所属するゼミの合宿、
と、ハードなスケジュールが続く今年の夏休み。

まあ、夏休み、という時点で、世の社会人方からは、
「ハードとか言って、どうせ自分で蒔いた種だろ」と、
叱責を受けそうなところだが。

で、次のスケジュールはというと、
来週月曜(というか明日)から、またしても海外。
行き先は、東欧。

と言うと、チェコとかポーランドとか、
どうやらそのあたりを連想するらしく、
大概、「似合わねー」と一蹴される。

何を以て、自分がチェコとかポーランドが「似合わない」のか、
小一時間ほど問い詰めたいところだが、それはさておき。

「いや、ウクライナとかベラルーシとか」と応えると、
「あー、へー、ふーん」と、途端に曖昧な反応。

どうやら、国の名前は知っているものの、
どこにあるのか、なにがあるのか、あまりイメージが湧かないらしく、
「危なくないの?」と、大抵こうくる。

そりゃまあ、日本より危なくない国はそうそうないし、
よほど大掛かりな暴動でも起きていない限り、
その日の治安なんて、その日になって、現場に行ってみないとわからない。
そして、自分の場合、「わからない」ことは躊躇する理由にはならない。
ただ、それだけのことだ。

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さて。
危なくないのかどうかは、外務省の海外安全情報でも見てもらうとして、
「何しにいくの?」なら、もちろん答えられる。

タイトルで書いてしまっているのに、ここまで引っ張る意味もなかったのだが、
そう、一番大きな目的は、「チェルノブイリに行くこと」だ。

ただ、それが「何しにいくの?」という問いに100%答えているか、
というと、自分の中でも少し疑問がある。

というのも、自分がチェルノブイリに行ってみたところで、
それが、「何かの役に立つのか」どうかは、全くの未知数だからだ。

原子力発電所についての専門知識があるわけでもない。
放射性物質について研究しているわけでもない。

声高に原発反対を唱えているわけでもない。
その逆でも、またない。

身の丈に合った疑問設定とその能動的解決、
こそが、研究者として取るべきスタンスだとするならば、
今回の旅は、研究者としてではなく、
ただの一個人としての旅、でしかない。

誤解を恐れずに言えば、好奇心に突き動かされた旅、だ。
チェルノブイリを五感でただ感じたい。
それ以上でも、それ以下でもない。

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今年の夏は、節電の夏だった。
そう記憶されるのだろうか。

節電は、何のための節電だったのだろう。
いま、目の前にある危機を乗り切るため、だろうか。

例えば、
「夜の時間帯は電力需要がそれほど高くないから節電は無意味だ」
という人が居る。
たぶん、それは正しい解釈なのだろう。
いまを乗り切るための節電、ならそうだろう。

でもいま、
自分の頭の中をよぎっているのは、
「来るべき未来に慣れる」ための節電だったのではないか、
という思い。

ヒトが、湯水のように電気を使う時代は、
あの日を境に、唐突に終わったのではないか、
という思い。

もし、そうであるならば、
ヒトは、昼だろうが夜だろうが、電気を制限して使う、
ということに慣れなければならない。

そして、そのことが、すとんと肚に落ちてから初めて、
未来のエネルギーを何に託すべきか、という話が、
感情論ではなく、真剣に議論できるようになると思うのだ。

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実は。
気付いている人は気付いていたかもしれないが、
去る、3月10日。
そう、あの震災の1日前。
自分は、このコラムで、こんなことを書いていた。

33.チェルノブイリに悲しい雨が降る
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=173

包み隠さず、正直に言うならば、
あの震災の後だからこそ、より強く、かの地を訪れたいという思いと、
自分のような物見遊山の輩が訪れていい場所ではないのでは、という思いと。
その葛藤は、まだ、解消されてはいない。

或いは、チェルノブイリを訪れた後のほうが、
その葛藤は、より一層、強くなるのかもしれない。
その無力感は、より一層、深くなるのかもしれない。

それでも。
25年という、歳月の重みを、その深淵を、少しでも知ることが、
きっといつか意味を持つと、そう信じて、歩みを止めずに居たい。

2011/09/02

2週間のブータン滞在を終えて、8月末日、帰国の途に着いた。

初めてかもしれない。
海外で、こんなにも大勢の人たちと言葉を交わしたのは。

いつも、自分にとって、旅は一人でするものだった。
最初は、特別一人旅が好きというわけでもなかったのだが、
気が付けば、一人が一番楽になってしまっていた。

もちろん、一人だからこそ、饒舌にならねばならない場面も多い。
飛行機や電車では、常に見知らぬ誰かが隣に座る。
自分がチケットを買わなければ、誰も自分をどこかへ連れて行ってくれない。

しかし、それにしても、有り余る一人の時間を、どう有意義に過ごすか。
それが、いつもの旅の専らの課題でもあり、楽しみでもあった。

………………………………………………………………………

翻って、今回。

まず、旅の主目的からして、「喋る」ことが求められていたのだ。
修士論文を書くためのインタビュー、しかも街頭インタビューを実行する。

我ながら、随分と行き当たりばったりなお題を掲げたものだ。

はてさて、その成果はと言えば。
ブータンの街角で、総勢100名超へのインタビューを敢行。
数字だけが答えを握っているわけでは勿論無いが、
数字は裏切らない、というのもまた真。

そこで得た数々の示唆を、どう論文として調理するのか。
食材は、たぶん、揃った。

それにしても。
ブータンの人々の、なんて温かいこと。
いや、あれは温かさとは違う、なにか別のモノなのかもしれないが。

兎に角、彼らはインタビューを断らないのだ。
「これが東京なら…」
と何度心の中で思ったことだろう。

ブータン人は、どちらかというとシャイな人が多い。
最初、声をかけると、どちらかというと怪訝な目をこちらに向けてくる。

でも。
こちらがちゃんと名乗り、インタビューしたい旨を誠意を持って伝えると、
彼らも、誠意で以てそれに応じてくれる。

勢い余って警察官にインタビューを試みた際には、さすがに、
「職務上、そういう質問には答えられないんだよ」
と苦笑いされてしまったが、他の国なら即座に銃を向けられてもおかしくない。

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もうひとつ、今回の旅で多くの言葉を交わすことになった理由がある。

それは、日本ブータン友好協会の親善旅行と日程が重なったこと。
残念ながら、こちらの都合でご一緒することはできなかったのだが、
「どうせ日程重なってるなら、行事に参加したら?」
と有難いお言葉をいただき、結局ほとんどの行事に参加させていただいた。

図書の贈呈式。
東日本大震災の犠牲者へ向けた法要。
ブータン産マツタケによるBBQパーティ。
そして、ブータン首相も招いての懇親会。

一人では到底会うことも叶わなかったであろう大物にも会うことができ、
また、協会のみなさんも、途中で紛れ込んできた若造を迎えてくださった。

また何よりも。
まだブータン研究をはじめて1年そこそこの駆け出しの身で、
それこそ、30年に渡って、日本とブータンの架け橋になってきた方々と、
夜、酒を交わしながら親交を深めることができたというのは、
何物にも代え難い、貴重な時間となった。

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さて。
まずは、帰国して頭の整理をしている段階なので、このあたりで。

実によく喋った旅のあと。
日本で過ごす一人の夜は、いつもにも増して、静けさを感じている。

インタビューの中身については、また後日。

2011/06/06

五月病に罹るヒマもなく、割と慌ただしく過ぎた5月。

先日ご案内した、「日本ブータン研究会」をはじめ、
毎週のように修士論文絡みの発表が重なり、
また、合間を縫うように舞台を観て、映画を観て、美術館を巡って、
と、そうこうしているうちに、世間はすっかり梅雨に入っていた。

さて、困ったことに、
研究会やら修論発表の様子を、ここでコラムに書いたところで、
正直、面白可笑しくなる要素がひとつも無い。

仕方無いので、やや古い話になる上に、
できれば諸事情により隠しておきたい過去なのだが、
「ブータン人留学生と行く、ドキドキお台場ピクニック編」
を、完全ノーカットでお届けすることにしよう。

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5月某日。
お台場海浜公園。

ほんの数日前に、日本ブータン友好協会主催の、
ブータン人留学生を招いたイベントがあるという知らせを受けた。

十数人のブータン人が一同に介する貴重な機会ということもあり、
勇んで出掛けてみたのはいいが、参加するメンバーはほぼ初対面。
駅に着いてすぐに、明らかにそれらしき集団を発見するも、
一人も見知った顔がおらず、いきなりヒヨる。

内訳は、日本人4人に、ブータン人10人といったところ。

マトモに挨拶を交わす間もなく、テキパキと班分けされ、
買物班、待機班、場所取り班に分かれ、ミッションスタート。

で、場所取り班は、自分ともう一人(日本人)。
海辺の高台にブルーシートを広げ、しばし待つ。

が、そこは時間にルーズなブータン人。
待つこと30分強、ようやく買物班が到着。
なし崩し的に、会ははじまった。

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初っ端は、つい先日発表された「Royal Wedding」の話題。
ブータン人たち、途端にヒートアップ。

わいのわいのと、真っ昼間から酒を呑む。
ブータン人は、傍から見ればかなり日本人顔なのだが、
全員で食糧をがっつり手掴みで食べる姿に、戸惑う周囲の散歩客。

心の中で、「いや、日本人みたいだけど、ブータン人なんです
ああ、でも自分は日本人なんです」と呟く。

やがてはじまる、ゲームの時間。
まさかの20年振りの「ハンカチ落とし」。
もちろん、負けたら罰ゲーム付き。

ネイティブ・ジャパニーズとして負けるわけにはいかないところだが、
段々と回を重ねるごとに、なんだか全員すべからく1回は負けとこう、
みたいな、妙な空気になってくる。

で、そんな空気をしっかり読んで、がっつり負ける。
で、がっつり一気飲み。
で、割と吐きそうになる。
いい歳して、激しい運動の後に、アルコールを摂るべきではない。

その後は、だらだらとトークをしたり、歌を歌ったり。
ブータンの伝統的な歌を披露された後、
「ほら、お返ししなきゃ」という無茶振りが聞こえる。

そういう展開ですか、そうですか。
まさかの初対面の人たちの前で、「天城越え」熱唱。

またしてもガン見してくる周囲の散歩客。
いいさ、好きなだけ見るがいいさ。

それにしても、アカペラで歌詞も見ずに、
「天城越え」を歌い切れる自分もどうかと思う。

旅の恥はかき捨て。
違うか。

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