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2016/07/24

連日、話題に上っているので、ご存知の方も多いと思うが、『ポケモンGO』が人気沸騰中だ。ブータン研究と『ポケモン』に何の関係があるのか、と言われればそれまでなのだが…いや、実は無いようで有るから馬鹿にできない。

『ポケモンGO』、正式名称『Pokémon GO』とは、そもそもどんなゲームなのか。名前は耳にするけれども、実はよくわかっていない、という方も多いかもしれない。配信元の任天堂が出した公式リリース文によれば、「『Pokémon GO』は、位置情報を活用して現実世界でポケモンを捕まえたり、バトルしたりといった体験のできるスマートフォン向けアプリ」ということらしい。これを読んでも何のこっちゃかようわからん、という方は、以下の公式サイトを見ていただくと、あるいは、多少のイメージはつかめるかもしれない。いや、そもそも、『ポケモン』ってなんだよ、と言われてしまうと割とどうしようもないので、そこはなんとか自力で話題についてきていただきたい。

『Pokémon GO』公式サイト│The Pokémon Company

ところで、初代『ポケモン』、つまり『ポケットモンスター』と呼ばれるゲームが世に出たのは、今から20年前。当時、ゲームボーイで通信対戦ができるゲームとして一世を風靡し、日本国内をはじめ、世界中で人気を博した。その後、アニメ化されたことで人気が不動なものとなり、現在に至るまで、その人気は衰えるどころか、ますます勢いを増している感さえある。

さて、『ポケモンGO』である。昨年9月、任天堂、株式会社ポケモン、そして、Google発のベンチャーである米Niantic社が手を組んで、スマートフォンアプリを開発する、と発表されてから早一年弱。今年7月6日、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドでサービスが開始されると、瞬く間にスマホアプリ市場を席巻していった。米国内の大学構内で何十人もの学生がぞろぞろとポケモンを探して歩き回る異様な光景が、日本のマスメディアでも報道され、注目度を増していったが、この時点ではまだ日本での配信日は未定であった。日本での配信遅れは、予想外の人気ぶりによるサーバートラブルなどが原因であったと言われているが、真相は定かではない。

一方で、先行配信された国、特にアメリカでは、その絶大な影響力について、清濁入り混じったさまざまな議論が交わされる結果となった。『ポケモンGO』は、そのゲームの性質上、スマホを持ち歩いて屋外でポケモンを探す必要があり、そのため、いわゆる「歩きスマホ」を助長させるだけでなく、住居等への侵入や、車やバイクを運転中の利用による事故など、数多くのトラブルが発生している。それに対して、『ポケモンGO』のおかげで、これまで引きこもりだった人間が外出したり、うつや肥満といった症例にも良い影響を及ぼしているという声も上がっている。果ては、アメリカ大統領選挙でクリントン、トランプ両陣営が話題に持ち出すなど、その影響は政治分野にまで拡大しつつある。ただし、これらの議論はあくまでも配信後2週間余りのあいだに起きた短期的な影響に過ぎず、今後の配信元による対策などの動向が注視されるべきだろう。

任天堂の「ポケモンGO」、米で利用者数が歴代首位│日本経済新聞
「ポケモンGO」がうつ病や不安神経症を改善する 精神医学の専門家「前例ない効果」│The Huffington Post Japan
‘Pokemon Go’ finds its way onto the campaign trail│CNN


『ポケモンGO』狂想曲は、配信からわずか1週間足らずで、世界中へと飛び火した。しかし、順調にサービスが開始される欧米の国々とは対照的に、中東においては、極めて政治的な文脈と結びつけて語られる事態へと急転していった。未だ政情不安が続くイスラエル、パレスチナでは、自由に歩き回ることが許されない環境が、『ポケモンGO』を純粋に楽しむことができない悲哀を物語っていた。一方、戦火にさらされているシリアでは、「#Pray for Syria」のハッシュタグとともに、ポケモンの絵を持って佇む子供たちの写真が、反政府グループによるキャンペーンとして用いられた。また、『ポケモンGO』がイスラムの教えに反しているという、謂れの無い言いがかりとも言えるコメントが、公然とイスラム圏の政府関係者から発せられる事態も起きた。

ポケモンGO、イスラエルとパレスチナでも注目│AFP BB NEWS
ポケモンGOはイスラムを侮辱? トルコで禁止求める声│AFP BB NEWS
ポケモンGOを使って、シリアの子供たちは世界に訴える 「助けに来て」│The Huffington Post Japan

もちろん、『ポケモンGO』が世界経済に与えた影響も計り知れない。株式市場は特に敏感に反応を示し、任天堂株への買い注文が殺到する結果となり、いつしか、「アベノミクス」になぞらえて、「ポケモノミクス」と呼ばれるようになった。配信前に比べて2倍以上に急騰した任天堂株は、日本では未だ配信前にもかかわらず、東証における一日の単一銘柄による売り上げ高の記録を更新するなど、異常な盛り上がりを見せていった。菅官房長官はこの事態を受け、「我が国のコンテンツが海外を含めて広く親しまれることは極めて喜ばしい」と述べると同時に、今後配信を控える日本における、マナーや安全性への懸念も示した。

市場に「ポケモノミクス」 関連企業の時価総額、4日で1兆3000億円増│日本経済新聞
官房長官、ポケモノミクス「極めて喜ばしい」│日本経済新聞

そして迎えた日本配信当日、7月22日。筆者の職場である早稲田大学においても、配信日は期末試験期間真っ只中であったにもかかわらず、至るところでポケモンを捕まえようとスマホ画面を食い入るように見つめる学生たちを見つけることができた。それらを訝しげに眺める教職員とのコントラストが印象的な光景ですらあった。アメリカをはじめとした各国での状況を受けて、特に、歩きスマホ防止のための注意喚起があちこちで行われたが、残念ながら、抜本的な対策には至っておらず、効果は焼け石に水であったと言わざるを得ない。近いうちに、日本でも大きな事故につながる危険は避けられそうにない。

また、『ポケモンGO』のなかでの、ポケモンの生息地や重要なスポットには、国内のランドマークとなる建造物などが多くあるが、そのことが新たな問題の火種ともなっている。いち早く対応をしたのは出雲大社で、「厳粛な雰囲気に影響が出るのを避けるとともに、参拝者が思わぬ事故に遭うのを防ぐ」という理由から、『ポケモンGO』の利用を禁止することを発表した。他方、『ポケモンGO』を利用した集客を目論む動きも出てきており、日本においても、そのメリット、デメリットの両面からの議論が、今後、活発になっていくことが予想される。

あらゆる街で『ポケモンGO』が大盛り上がり! 配信日の都内各所をレポート│ファミ通 App
ポケモン 出雲大社が境内での使用禁止に│NHK NEWS WEB
ポケモンGOで「地方創生」の動き、図書館や美術館で活用広まる│Forbes JAPAN


と、ここまできて、ようやくブータンのご登場である。そう、果たしてどれぐらいの盛り上がりになっているのかは定かでは無いが、たしかにブータンでも、密かな『ポケモンGO』ブームが起ころうとしているようだ。そもそも、ブータンは、『ポケモンGO』が正式にサービスを開始した国には該当しない。だが、上述のイスラエルやパレスチナも、サービスが開始されていないはずの国・地域であり、どうやら、これらの場所においては、サービス利用に制限がかけられていない状態になっているようだ。

さて、ブータンにおいて、『ポケモンGO』をいち早くプレイしたのは、誰あろう、ブータン王国首相であるツェリン・トブゲイ氏その人であった。彼が、自身のFacebookページに「私が昨日出会った彼を見てくれよ!」というコメントとともに、ピカチュウと一緒に映った写真を投稿すると、多くのブータン人たちが感嘆の声をあげた。さらに、別のFacebookページでも、首都ティンプーにおいてポケモンを探す若者たちをとらえたスナップショットが公開されると、やはり多くのレスポンスが寄せられた。

しかし、ここで筆者にはある疑問が浮かんだ。ブータンでは、当然、20年前に初代『ポケモン』が発売されたとき、このゲームをリアルタイムでプレイした人は誰一人いないはずだ。それもそのはず、1996年当時、ブータンには、テレビすらなかったのだ。その後、おそらく、ゲームをプレイした人や、アニメの『ポケモン』を視たことがある人が、多少は現れたことだろう。ただ、ブータン国内では、日本のアニメがもてはやされてはいるものの、『ポケモン』が爆発的に流行ったという話は聞いたことがない。『ポケモン』が、彼らにとって、共通の話題に成り得たことは、いままでなかったはずなのだ。つまり、世界中でいま最も熱いコンテンツである『ポケモンGO』に完全に乗っかった格好であり、一過性の流行としてあっという間に通り過ぎてしまうのではないかと予想できる。万が一、ブータンが、とんでもないレアポケモンの巣窟であったりしない限りは…

それに対して、アメリカや日本でのブームは、今後の動向が極めて読みづらい。今回のブームを牽引しているのは、大きく二つの動きがありそうで、一つには、初代『ポケモン』から連綿と続くゲーム、アニメを通して育った、20代から30代にかけての『ポケモン』世代による、ある種の共通のノスタルジーとしてのサービス利用。もう一つは、そうした世代を含む全世代を通貫する、単純なゲームとしての面白さへの没頭と世界的な流行に乗り遅れまいとする参加意識とがないまぜになった、なんとも言えない高揚感であろう。後者はある意味で、ブータンのような、『ポケモン』に馴染みの無い地域でも起こりうる流行現象ともリンクする。

かくいう筆者も、初代『ポケモン』をリアルタイムでプレイした世代でもあり、試しにプレイしてみて、シンプルなゲーム性ゆえの奥深さも味わった。一方で、率直に言って、現在のままのサービスであれば、飽きるのも早そう、という印象は拭えなかった。当然、百戦錬磨の任天堂が、そんな現状に気づいていないわけがなく、このまま手をこまねいてサービスが尻すぼみになっていくのを眺めているとは到底思えない。少なくとも、「歩きスマホ」問題へのテコ入れと、ゲーム性そのものを高める工夫を施してくることだろう。そんな、なんの根拠も無い期待を込めて、とりあえず、現時点ではこのあたりで筆を置くことにしたい。

2016/01/21

先週末、全国各地で行われた、大学入試センター試験。
筆者は、いまから16年前、20世紀最後の年に受けた(年齢がバレるが、まあいいだろう…)わけだが、なぜか今年、無性に「もう一度受けてみたら、果たして何点取れるのか??」という疑問がわき上がってきた。

ちなみに、18歳当時の自分は、正直言って、少なくとも、こと「試験」という形態においては、人生で一番勉強ができた時期だと思う。
自慢か?と言われれば、まあ自慢なのだが、実際、自分でも「ちょっと神がかっていた」という自覚はあるくらい、あの時の自分は確変モードに突入していた。

今の自分は、あの時からどれだけ衰えたのか??
なんか、もうそんなことが知りたかったのだ。
なんでそんなドM思考に取り憑かれていたのか、今思えば謎でしかないのだが…。

が、そんなちゃちな動機は、「英国数理社の全科目を解くだけで、単純計算で6時間40分を要する…」という事実の前にあっという間にしぼみそうになる。
あまりにも、そう、あまりにも面倒くさい。

とはいえ、一度、ネタになると思い立ってしまったからには、背に腹は変えられない…
という謎の信念に導かれ、気がついたらペンを握っていた。
何とも損な性格だ。


さて。
前置きが長くなったが、ここから実際の時間割順に解いていくことにする。
最初は、「社会」だ。

地理、歴史(日本史・世界史)、公民(現代社会・倫理・政治経済)から1科目選択。
現役当時と同じ科目を、ということで、ここは「現代社会」を選択する。

何でまた現社なんてマイナー科目を、とお思いの方も多いだろう。
が、こんなことを言ったら怒られそうだが、現役当時も正直「どれでもいい」と思って適当に選んだ。
本当にどれでもよかったのだ。
なぜなら、二次試験に進むために、社会の点数は関係なかったから…

というわけで、「現代社会」を解く。
60分の試験時間の半分程度で解き終わる。
それはそうだ。
わからん問題は全部何も考えずにすっ飛ばしたのだから。

結果。
100点中 48点

なんとも微妙だ。
ある種、常識に属するような問題もあるので、50点は超えたかったところ。


続いて、「国語」。
これはいけるんじゃないかと思っていた。
国語力なんてそうそう落ちないだろうし、落ちてたらちょっと日本人としてヤバい。

結果。
200点中 166点

悪くない。
現役時(180点)よりは若干落ちたが、そこは試験慣れの差だろう。
自分でも驚いたのは、古文、漢文も案外解けた、ということ。
どうやら例年より問題が簡単だったようだが、それでも、16年のブランク(その間、古文、漢文なんて触れてもいない)があっても、案外、いけるもんだ。


そして、「英語」。
これは、国語以上にいけそうな気がしていた。
というか、正直、英語だけは現役の時より明らかにできるようになっているはず…

結果。
200点中 172点

残念ながら、現役時(184点)に一歩及ばず。
リアルな場での英語力は、間違いなく当時より格段に延びているはずだが、こと「試験」となると、細かいミスが多発した。
それでも、8割5分取れたので、御の字だろう。
正直、ここまでの3科目を終えて、「おいおい、まだ全然いけるじゃん!」とノリノリだったことをここでご報告しておきたい。

そう。
当然、この後に地獄が待っていた…


次は問題の「数学」だ。
現役時代、最も得意だった科目。
事実、数学IA、数学IIBともに、16年前は満点だった。
そう満点だったのに…

結果。
数学IA 100点中 58点
数学IIB 100点中 47点
計 200点中 105点

まさかの50%OFF。
いや、薄々感づいてはいた。
高校数学ってやつは、「公式を暗記する科目だった」ということに…

国語、英語は、記憶力ではなく思考力を試される試験だ。
それゆえに、思考の瞬発力や正確性が問われる。
しかし、数学は、公式を覚えていなければ、もはや絶望しかない。

何がしんどいって、グラフ、図形問題が特にしんどい。
三角関数(sin, cos, tan)ってなんだっけ…?
指数・対数ってあったなあ…
微分・積分とか懐かしいわあ…
など。

単語だけが走馬灯のように頭を駆け巡るが、肝心の解き方が一切浮かんでこない。
そして、圧倒的に時間が足りない。
むしろ、よく半分取れたとさえ思う。

が、そんな数学の悲劇すら忘れさせる、衝撃の展開が待ち受けていた…


どんじりに控えていたのは、「理科」。
物理・化学・生物・地学からの選択。
もちろん、現役時と同じ、「地学」を選ぶ。

現社を超えるどマイナー科目、地学。
50万人を超えるセンター受験生のうち、毎年わずか数百人しか受けない、幻の科目、地学。
それは16年前から変わらない真実なのだが、なぜか、当時の自分は、地学に心底ハマっていた。
そう、ハマっていたのに…

結果。
100点中 26点

これはあかん…
四択を全て適当に答えた確率とほぼ変わらない得点率に、呆然とするしかない。
いや、実際、「わかった」と確信を持てる問題は2,3問で、あとは全部勘で答えた。
それほどまでに、全く「わからなかった」。
どれもこれも、一度は耳にした言葉が羅列されているのだが、「単語」としての記憶でしかなく、正確な意味が抜け落ちているので、何もわからないに等しかった。

例えば、こんな問題。
「プルームとホットスポットについて述べた文として誤っているものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。
 ①アフリカの下にはマントルの底から上昇するプルームがある。
 ②海嶺に沿ってマントルの底からプルームが上昇している。
 ③ホットスポットでは玄武岩質マグマが噴出する。
 ④太平洋プレート上にはホットスポットを起点とする火山島の列がある。」

たぶん、地学の授業を受けたことがない人にすれば、「プルーム」ってなんやねん!?と思うだろうが、安心してほしい。
プルームという言葉は知っていたとしても、全部正しいような気しかしない。

こうして、国語、英語でコツコツ稼いだ自信は、数学、理科で根元からバッキバキに叩き折られた。


戦いは終わった。
最終結果は以下のようになった。

満点 2016年 2000年
得点 全国平均 得点 全国平均
現代社会 100 48 55.84 64 44.39
国語 200 166 125.90 180 112.92
英語 200 172 114.67 184 119.62
数学 200 105 106.84 200 131.04
地学 100 26 40.57 96 66.23
合計 800 517 443.82 724 474.20

かろうじて全国平均は超えたものの、ほぼ、国語と英語の功績でしかない。
わかってはいたけど、わかりたくなかった結果が白日の下に晒された。
ただ、それだけの事実が判明し、特にオチらしいオチもなかった。

数学と地学は、正直悔しいので、ちょっと勉強し直そうかな…

2015/04/07

突然だが、この4月から、早稲田大学で助手に嘱任することになった。
というわけで、これまで「脱サラ大学院生」という肩書きで書いてきた
このコラムも、若干のリニューアルをしようかと思っている。

が、新しい肩書きにまず悩んだ。
「大学助手」ではなんか格好がつかない。
「ブータン研究者」がニッチでよいかなと思うが、
「研究者」という文言がどうにも引っかかる。

脱サラして大学院に進学してから、早5年。
誤解を恐れずに言えば、その当時から、いや、いまに至ってもなお、
「研究者」になろうとか、目指そうとか、そういう気持ちは微塵も無い。
好奇心を満たす手段が、たまたま研究という道と重なっただけなのだ。

人が会社を辞める理由は、きっと人それぞれだと思うが、
自分の場合、とにかく、会社勤めよりも、研究がやりたくなってしまった、
ただ、それだけのことだったのだ。
それを両立させられるほど、器用でもなかったのだ。

真摯に「研究者」を目指す人にとっては、酷く不躾な物言いだと思うが、
だからこそ、「研究者」を名乗ることに、一抹の不安があるのだ。
とはいえ、当面は良い案も思い浮かばないので、
暫く「ブータン研究者」の肩書きを名乗ってみて、
自分自身、馴染むかどうか、判断しようと思う。

あわせて、プロフィール文も以下のように修正することにした。

旧)
3年間勤めた会社を辞め、大学院生に。おそらく日本で唯一、「ブータンの情報化」について研究中。GNH研究所 研究員。ライフワークは、競馬とTVゲームと海外一人旅。

新)
3年間勤めた会社を辞め、脱サラ大学院生を経て、2015年4月から早稲田大学 社会科学総合学術院 助手に嘱任。おそらく日本で唯一、「ブータンの情報化」について研究中。日本ブータン友好協会 幹事。


「助手に嘱任が決まった」と言うと、必ずと言っていいほど、
「このまま教授を目指すの?」などと尋ねられるのだが、
少なくとも、教授を目指すことは絶対に無い。

研究という道の先に「教授」という役職があるのは確かだが、
そもそも、これは自分だけに限った話ではなく、
「教授」になりたいと思って研究の道を志す人はあまりいない。

みな、自分の研究を進める上で、より研究がし易くなるように、
そして、研究で食べていくための一つの手段として、何らかの役職を求める、
という順序であって、その逆ではない。

翻って、自分の場合、何か違う仕事をして生計を立てながら、
趣味やライフワークの範囲で細々やっていく、でもいいと思ってさえいる。
つまり、研究で食べていく、という覚悟を決めているわけではない。

それはたぶん、曲がりなりにも3年間、会社勤めをした経験が、
あの世界の愉しさへの僅かばかりの未練と、そして、僅かばかりの自信とを、
自分に囁きかけてくるからだろう。

もちろん、もう5年も社会人生活から遠ざかっている人間が、
そうやすやすと通用するほど、ビジネスの世界は甘くない。
ブランクを埋めるためには、研究者になる以上の努力が必要だろう。

さて、この先どう進んでいくのか、それは自分でも未だに分からない。


一つだけ。
助手になるにあたって、自分なりに覚悟をしたことがある。

これまでの自分の研究姿勢を振り返ってみると、
自分が気になったことをとことん追求したい、ただそれだけ。
先人が何を考え、どんな足跡を残したのか、さっぱり興味が湧かなかった。
その結果、研究者としては致命的なほど本を読まなかった。

たぶん、根っからのフィールドワーカーなのだろう。
この3月、ブータンへ調査旅行で訪れた際にも、
現場にいる、ただそれだけで、モチベーションが湧いてくる。
そんな体験が度々あった。

逆に、自分にとって、最もやる気が起きない場所は、自宅だ。
現場から最も遠い場所、だからだろう。
安心するとか気が休まるとか、そういうことでもなく、
ただただ、負の磁場に取り憑かれたように、やる気を吸い取られていく、
そんな感覚に包まれる。

そんな放浪癖とも言える性質こそが、
自分を書物から遠ざけている一番の元凶のような気がしている。

先行研究という蓄積が、研究者にとって死ぬほど大事であり、
その上に自分のオリジナルの研究を積み重ねていくことに、
自身の研究意義を見出していく、という一連の系譜こそが「研究」
と呼ばれるものであるならば、自分がこれまでやってきたことは、
研究ではなく、あくまでも趣味の範疇だったのだろう。

ただ。
だからこそ。
さすがにそろそろ、本くらい読もうと思う。
覚悟、なんて大それた言葉を使っておいて恐縮だが、
「人並みに本を読むこと」を、自分自身の当面の目標としたい。

研究者が向かないから、ビジネスの世界に戻る、
という後ろ向きな転身だけは是が非でも避けたい。
そんな、中途半端な矜持が、そんな気を起こさせているのかもしれない。

とはいえ、何かしら努力目標でもない限り、たぶん何も変わらないので、
とりあえず、このコラム上で、読んだ本のレビューでも書いてみようか。
果たして、読者にそんなニーズがあるのかどうかはさておき…

12:00 | 雑記 | No Comments
2015/03/29

3月17日。
ブータン代表が、試合終了間際の劇的なゴールを決めた夜。
筆者は、ブータン東部に位置する、カンルンという街にいた。
試合が行われている首都ティンプーから、車で実に20時間の距離。

それでも、日本よりは近い、と思って勝手に親近感を抱きながら、
テレビでブータン代表を応援していたのだが…
よくよく考えると、日本からブータンへの移動は、
羽田空港の深夜便を使ってバンコクを経由すると、
乗り継ぎ時間を含めても12時間くらいで着いてしまう。

時間距離で計算すると負けている、という衝撃の事実に震えながら、
それでも、ブータン人の家庭にお邪魔させてもらって、
その雰囲気の中で試合観戦をできたことは、個人的には良い思い出となった。

さて、後編となる今回は、ブータン代表の華々しい活躍の裏にあった、
ブータンならではの面白いエピソードやちょっとした問題を紹介しよう。


一夜明けて、現地での報道

ブータン国内各紙は、その歴史的な瞬間をこぞって一面で伝えている。
特に、筆者が体験できなかった、首都ティンプーの狂騒は、
それはそれは物凄いものだったようだ。

平日16時のキックオフに備えて、公務員は午後休となり、
学校も半日で授業をやめ、こぞってスタジアムへ詰め掛けた、
というから、如何に今回の試合が国民的なイベントだったかが分かる。
ちなみに、入場料はなんとタダ。

客席は、試合開始の数時間前には満員御礼となり、
入場できなかった若者が木によじ登って観戦している写真が、
試合翌日の新聞に掲載された。

ちなみに、試合翌朝の、Kuensel紙の一面タイトルは、
“Another historic battle won in Changlimithang”。
直訳すれば「もう一つのチャンリミタンにおける歴史的勝利」となる。
一瞬、何のことか分からなかった(記事中にも触れられていない)が、
これは、チャンリミタンスタジアムが、かつての古戦場であり、
ブータン建国における重要な戦闘で勝利した場所であることとかけている、
と推察される。
そう考えると、ちょっとニクいタイトルのつけ方だ。

さらに、試合から2日後の紙面では、
ブータンサッカー協会から、選手とスタッフ全員にボーナスとして、
Nu.20,000(約3.5万円)が支給されると報じられた。
これは、ブータンにおける平均的な月収に相当する額である。


代表ユニフォームの希少価値

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(写真:意外とカッコイイ、ブータン代表のユニフォーム)
©Bhutan National Football Team

今回、渡航前に、上記の写真を見たとき、
どこかでこのユニフォームを手に入れられないだろうか、
と漠然と考えていた。
裏を返せば、一国の代表のユニフォームだし、
きっとどこかで手に入るだろう、と甘く見積もっていた。

この予見は、見事に外れることになる。
新聞各紙によれば、当日、スタジアム前で発売された、
ユニフォーム数百枚は、試合数時間前にあっという間に完売した。
筆者が、試合数日後にティンプーを訪れた際に、
市内のあらゆるスポーツショップを覗いてまわったのだが、
ついに、ただの一枚も発見することはできなかった。

そもそも用意している数が少なすぎるが最大の問題なのだが、
これまで、スタジアムでユニフォームを着て応援する、
という文化が、さほど根付いていないこの国で、
ここまでのお祭り騒ぎになることは想定外だったのだろう。

今回の教訓を踏まえて、二次予選の際には、
かなりの数のユニフォームが準備されるのではないかと思われる。
いや、準備されることを期待したい。
いや、欲を言えば、通信販売とか…はさすがに無理そうだ。


スタジアム収容人数の謎

ところで、以前、このコラムでも触れたことがあるのだが、
今回の試合が行われたチャンリミタンスタジアムは、
公式収容人数は25,000人ということになっているのだが、
個人的見解では、どう考えても15,000人が関の山だと思っている。

が、Kuensel紙は、観客数を30,000人と報じ、
Bhutan Today紙は20,000人と報じるなど、
今回の試合の観客数のカウントはまちまちである。

つまり、誰も正確に数えていなかった、ということである。
それもそのはず、先にも述べたように、入場料がタダだったため、
チケット販売数でカウントする、といった方法が取れないのだ。
国際公式マッチが、そんな体たらくでいいのか、という疑問はさておき。

それにしても、まがりなりにもFIFA公式戦を行うスタジアムが、
こんな杜撰な管理で果たしてよいのだろうか。
噂によれば、同スタジアムは、FIFAの認める国際試合のための
スタジアム要件を満たしていないという(真偽は不明)。

残念ながら、筆者は未だスタジアムに入る機会を得られていないのだが、
もし入る機会があれば、こっそり席数を数えてやろうかと画策している。


監督交代問題

ここ数年、ブータン代表チームの監督は日本人が歴任している。
これは、日本サッカー協会が、アジアのサッカー文化支援の一環として、
各国に経験ある監督を送り込んでいることに由来する。
詳しくは、日本サッカー協会の以下の記事を参照されたい。

【海外赴任レポート】ブータン 小原一典さん 2013年7月│日本サッカー協会
http://www.jfa.or.jp/jfa/international/dispatch/report/ohara.html

ただ、実は、スリランカとの2試合は、正式な監督が不在の状態であった。
前監督であった日本人の小原監督が退任した後、若干の空白期間があり、
その間に、今回のワールドカップ一次予選の試合が組まれていたために、
臨時監督として、プレイヤーとしてもブータン代表の経験がある、
チョキ・ニマ (Chokey Nima) 氏が暫定的に指揮を執った。

しかし、予選突破直後に、新たな日本人監督が就任することが決まった、
という報道が出るやいなや、ブータンサッカーファンの世論は、
「なぜ予選突破に導いたニマ監督を解任するのか!?」
という方向に傾き、ニマ氏の続投を望む声が大勢を占めるようになった。

これに対して、ブータン代表チームオフィスからの公式声明として、
新監督の就任が、試合前からの既定路線であった点、
ニマ氏は解任ではなく、ブータンサッカー協会の技術部長という立場で、
引き続き代表チームと関わっていく点、が説明された。
つまり、完全なファンの誤解であり、その火消しを図った、というわけだ。

その後、国際経験豊かな外国人監督への交代を容認する声もあがりはじめ、
不満の声は鎮火しつつあるが、ちょっと尾を引きそうな問題ではある。
そもそも、試合以前にはそれほど自国の代表チームに関心が無く、
意外(といっては失礼だが…)な勝利によって、にわかに関心が高まり、
結果として、情報の錯綜を招いた、というところだろうか。

新監督の築館氏は、若干の逆風の中での船出となってしまいそうだ。
さらに、二次予選では苦戦が目に見えているために、仮に全敗ともなれば、
その責任を問う声が再び高まる、ということも容易に想像できる。
この問題、しばらくの間、注視して見る必要がありそうだ。

なお、ブータン国内では、日本人監督就任について、
「もし、日本と対戦することになったらどうするんだ!?」
という懸念の声があがっているが、
日本だって、かつて、トルシエ監督時代にフランスと対戦し、
ザッケローニ監督時代にはイタリアと対戦している。

国際舞台では、そういうことは何も不思議なことではないし、
だからといって、そこに手心が加えられるようなことは有り得ない。
ブータンサッカー界は、そういった、世界のサッカー事情をも、
今後、経験していくことになるのだろう。

(了)

2015/03/22

日本でも新聞各紙やネットニュースなどで報道されたようなので、
ご存知の方も多いと思うが、サッカー・ブータン代表が、
2018年ロシアワールドカップアジア一次予選を勝ち抜くという、
ブータンサッカー史上初の偉業を成し遂げた。

前回記事で、「ブータンにとって、初めてのワールドカップ予選への参戦、
という歴史的な瞬間となる」と書いたばかりなのだが、
まさか、二次予選に進むというさらなる歴史的快挙を達成するとは…

が、日本での報道も、また、BBCなど各国報道を見ても、
ブータンがFIFAランキング最下位、という点にフォーカスした、
「世界最弱国の下克上」的な扱い以上でも以下でも無かった。

FIFAランク最下位、“最弱”ブータンが連勝で初のW杯1次予選突破│SOCCER KING
http://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20150317/292261.html

そこで、曲がりなりにもブータンを専門に扱う本コラムでは、
この話題に関して、どこよりもディープな記事を目指したいと思う。
書き始めたら恐ろしく長くなったので、前後編に分けてお届けする。


第1戦、番狂わせの序章

ワールドカップアジア一次予選は、アジアの中でもランキング下位の国、
ブータンを含む12か国が、抽選により決まった相手1か国と、
ホーム&アウェイで2試合を戦い、勝ったほうが二次予選に進出する、
という非常にシンプルな仕組みになっている。

ブータンは、対戦相手がスリランカに決まり、
3月12日にアウェイ(スリランカ)で、3月17日にホーム(ブータン)で、
それぞれ試合を行うことになった。

第1戦が行われたスリランカの首都コロンボは、高温多湿であり、
また、これまでの両国の戦歴からも、スリランカ圧倒的有利、
という下馬評であった。

ブータンは、4-1-4-1という守備的なフォーメーションを敷き、
予想通り、スリランカの猛攻を凌ぐ時間帯が続く。
ただ、ブータンも防戦一方ではなく、時折、カウンターから、
スリランカのゴールを脅かす機会もあった。

全体を通してみれば、試合自体はやや大味。
ロングボールの蹴り合いに終始していた感は否めないが、
それでも、お互いにゴールに迫るシーンが多く、
ファンからすれば、一喜一憂しながら楽しめる試合であった。

試合が動いたのは、後半39分。
攻撃的MFのツェリン・ドルジ (Tshering Dorji) が値千金のゴールを決め、
そのまま、1-0でブータン代表が勝利を収めた。


第2戦、ホームで迎えた歓喜の瞬間

ブータンは、アウェイゴールという大きなアドバンテージを得て、
しかも、ブータンにとって有利な標高2,400mという高地にある、
首都ティンプーで第2戦を迎えることになった。

5-1-3-1という攻撃的(?)フォーメーションを敷いたブータンは、
第1戦とは打って変わって、試合開始から果敢に攻めに出る。

そして、それはすぐに結実し、前半4分、縦パスから抜け出した、
CFのチェンチョ・ギェルツェン (Chencho Gyeltshen) が、
角度の無いところから爪先で合わせたボールがゴールに吸い込まれ、
ブータンが先制に成功した。

その後、スリランカの反撃を許し、同点にされたブータンは、
あと1点取られると、アウェイゴールの差で敗退の危機に。
その後、前半は一進一退の攻防が続いてハーフタイムを迎えた。

後半も半ばを過ぎると、高地の影響からか、
スリランカ代表の足が止まり始めると、ブータンは、再三、
GKと一対一のチャンスを迎えるも決めきれず、逆に後半41分、
一瞬の隙を突かれ、決定的なヘディングシュートを許してしまう。

これを、ブータンのGKがかろうじて弾き出して事なきを得ると、
そのすぐ後の後半44分、FKのロングボールから、
再び抜け出したチェンチョが、DF2人を振り切って右足を一閃。
GKの脇をかすめてゴールに突き刺さり、決定的な2点目が入った。
このまま逃げ切ったブータンが、2-1で勝利を飾った。

なお、この試合の模様は、BBS (Bhutan Broadcasting Service) が、
生中継し、全試合をYouTubeに掲載しているため、
もし興味がある方がいれば、ぜひご覧いただきたい。

この試合、2得点を決めたチェンチョ・ギェルツェンは、
Bhutan Today紙によれば、「ブータンのロナウド」と呼ばれる、
期待の若手プレイヤーらしい。
また、Kuensel紙によれば、試合当日風邪を引いていたらしいが、
真偽のほどは不明である。


FIFAランキング最下位から脱出

ランキング174位のスリランカを、209位のブータンが倒した。
これは、ランキングの上ではもちろん番狂わせの部類に入る。
ただ、試合を見る限りは、両国にそれほどの差は無いように感じた。

現行のFIFAランキングの算出方式では、150位以下の順位は、
試合数や対戦相手に左右されやすく、あまり意味が無いとも言われる。
裏を返せば、今回はたまたまブータンが2連勝したが、
スリランカが連勝する可能性だって十分にあった、と言える。

ところで、ここで2つの勝利を積み重ねたことで、
来月発表される、新しいFIFAランキングでは、ブータン代表は、
かなりのジャンプアップが期待できる。

というのも、ワールドカップ予選は、単なる親善試合等と比べて、
ランキングポイントに与える影響が極めて大きく、
ここでの2勝は、親善試合の5勝分くらいの価値に相当する。

ちなみに、筆者が試しに計算してみると、
127.5 というランキングポイントがはじき出された。
これを、現行ランキングに当てはめると、
156位インドネシア(129)と157位香港(127)の間に入る。

まさかの50位以上の大飛躍を遂げることになる。
もちろん、他国も変動があるため、そう単純にはいかないが…
ただし、先にも述べた通り、150位以下の順位は、
あっという間に上がったり下がったりするため、
大事なのはこの後、であることを申し添えておきたい。

なお、もし計算違いがあっても、そこはご容赦いただきたい。
細かい計算方式は、興味のある人は下記を参照されたい。
なお、正式なFIFAランキングは、4月9日に発表される。

Men’s Ranking Procedure│FIFA
http://www.fifa.com/fifa-world-ranking/procedure/men.html


二次予選は日本と対戦の可能性も!?

さて、ブータンが勝ち進んだ先に待っているアジア二次予選とは、
いったいどんな戦いになるのだろうか。

一次予選で勝ち進んだ6か国に、一次予選を免除された34か国が加わり、
計40か国が、抽選によって8組に分けられて争われることになる。
ホーム&アウェーの総当たり戦(各チーム8試合ずつ)を行い、
各組1位8チームと各組2位のうち成績上位4チームの計12チームが、
アジア最終予選に進出できる。

もちろん、この40か国の中には、日本や韓国、オーストラリアなど、
アジアの強豪がひしめいている。
抽選は、FIFAランキング上位同士が同じ組に入らないように、
ランキング順に組分けされるため、ブータン代表は、
自身よりランキングがはるかに上のチームと対戦することになる。

組み合わせ抽選は4月14日に行われる。
ブータン代表と日本代表との対戦が実現する可能性は1/8。

万が一、日本との対戦が実現した暁には、
旅行代理店と組んで観戦ツアーを企画しようと思うので、乞うご期待。笑

(続く)

2015/03/14

昨年考えたことシリーズ、第3弾(おそらく最後)はミャンマー編。

昨夏、ブータン、インドに続いて足を踏み入れたミャンマー。
急速に開発が進むこの国を、できるだけ昔の趣のあるうちに一目見たいと、
かねてより考えていたのだが、このたび、念願叶って初訪問となった。


まず、タイのバンコクからヤンゴンへ飛ぶ。
しかし、当地に降り立ってからしばらくの間は、
そこが思い描いていたミャンマーであることが認識できなかった。
それぐらい、ヤンゴンは、ほとんどリトルバンコクと言ってもいいほどに、
「あの」東南アジア独特の熱気と喧騒に満ちた街だった。

もちろん、昔のヤンゴンを知っているわけではないが、
もうここも開発が進んで、「あの」空気に呑まれてしまったのか、と、
勝手に残念な気持ちになったりもした。

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(写真:バンコクと見紛う喧騒に満ちたヤンゴンの街並み)

その気持ちは、翌日、観光地巡りをはじめて、より深まることになる。
ミャンマーといえば、タイ同様、敬虔な仏教国であり、
観光地といえば、そのほとんどが寺院やそれに類するものだ。

そして、寺院を訪れて、驚くのは、そのあまりの煌びやかさ、であった。
悪く言えば、カネの匂いがしすぎるのだ。

これでもかというほど電飾を施された仏像。
寺院の中にこれ見よがしに置かれたATM。
ドル札が汚いという理由で入場料を上乗せしようとするがめつい門番。

金箔を貼ったり、電飾でギラギラにして、仏像を美しく輝かせることが、
信者の徳を積むことにつながっているらしく、
敬虔な仏教徒であるミャンマー人は、信心の深い者ほど、
より多くのお布施を支払う。

もちろん、その信心を否定するつもりはさらさらないのだが、
「『信じる』の横に『者』を付け足すと『儲け』になる」
とはよく言ったもので…

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(写真:金ピカの仏塔がそびえるシュエダゴォン・パヤー@ヤンゴン)

いや、あるいは、日本だって、坊主がカネに汚い、という話はよくある。
むしろ、堂々とカネを無心してくる分、マシだと言えるのかもしれないが…


そんなミャンマーでは、やはり東南アジアあたりに蔓延している、
「擦れた」観光商売が幅をきかせつつある。

観光客と見るや、料金をふっかけてくるタクシー。
これ見よがしに芸を披露して小金をせしめようとする輩。
「幸運の仏像を拝め」とか何とか勝手に案内しようとするガイド。
などなど、次から次にやってきて、なかなか不快指数が高い。

しかしながら、直接面識のある方はご存知かと思うが、
筆者は、どうも、国籍年齢不詳な顔立ちをしているようで、
この点では、少々得をさせてもらったりもした。

簡単に言うと、現地人に間違われることが多々あった。
観光客扱いされないので、上記のような輩は大概スルー。
本当は地元の人しか入れないお寺に普通に入ってしまっていて、
後からその事実に気付く、なんていう事態も起きた。

ロンジー(男女ともに履く巻きスカートのようなもの)が、
なかなか快適そうだったので、1着仕入れようかと思ったのだが、
いよいよ現地人化待ったなし、となりそうで躊躇したりもした。

そういう意味では、擦れてしまった面と、擦れていない面と、
その両面を見ることができて、大変有意義な旅だった、とも言える。


そんなミャンマーではあったが、
一方で、まだまだ素朴な雰囲気も残る場所であったことは間違いない。

国内線の航空券チケットは手書きで、
機内では「好きなところに座ってもいい」とかいう適当さを味わう。
案内もなにもない洞窟寺院を拝観していたら、
いつの間にか観光客が全く居ない山中に迷い込む。
水上集落で思いがけず、地元民だけのお祭りに参加する。
煙草づくり工房見学していたら、タダでお土産をもらう。
(絶対カネを請求されると思ったら、本当にタダだった)
etc…

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(写真:洞窟寺院には無数の仏像が。このあと道に迷う…)

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(写真:やたらフレンドリーだった煙草づくり工房)

もちろん、たった10日間程度の滞在で、
ミャンマーを分かった気にはとてもなれないが、
この国の今昔と、そして裏表とを垣間見ながら、
いま、この時期のミャンマーを見ることができて良かった、
と素直に思った。

また、10年後くらいに、その変貌ぶりを見てみたい国の一つだ。

2015/03/05

過日、サッカーのブータン代表チームが、
ワールドカップ予選に参加するために出発、というニュースを見て、
「あれ、ブータンってワールドカップ予選出たことあったっけ?」
という疑問がはたと湧いてきた。

さて、以前も本コラムでお伝えしたことがあるが、
サッカーのブータン代表は、現在、FIFAランキング(注1)最下位に沈んでいる。
その大きな要因は、そもそも対外試合をほとんど戦っていない、ことにある。

注1)直近4年間の「国際Aマッチ(注2)」の結果から計算される。
注2)年齢制限のない代表チーム(=Aナショナルチーム)同士の国際試合。

FIFAの公式サイトには、各国の代表チームの戦歴が載ったページがあるのだが、
ブータンのページを見て、衝撃の事実が明らかになった。
なんと、2003年以来、実に12年間も「公式戦」を行っていないのだ!


(引用:http://www.fifa.com/associations/association=bhu/index.html

ちなみに、その、最後に行われた試合は、2003年10月17日、
相手はイエメン代表で、0-4で敗戦している。


俄然、興味が湧いてきたので、さらに調べを進めていくと、
「公式戦」と、いわゆる「親善試合」との意外な関係が見えてきた。

日本代表を見ている感覚では、親善試合とはその名の通り、
特にタイトルの懸かっていないテストマッチ的なものをイメージする。
互いに利害が一致した相手との調整を兼ねた試合、という位置付けだろう。
ところが、中には国際大会であっても親善試合扱いをされているものがある、
ということがわかってきた。

その前に、まず、説明しておかなければならないのは、
ブータン代表を組織しているブータンサッカー連盟は、
言わずと知れた、「FIFA(国際サッカー連盟)」、
日本も所属する、「AFC(アジアサッカー連盟)」、
そして、その下部連盟にあたる「SAFF(南アジアサッカー連盟)」、
以上の3つの連盟に所属している、ということ。

まず、FIFA主催試合で最も代表的なものは、
ご存知、4年に一度開かれるサッカーの祭典、FIFAワールドカップである。
ブータンは、2000年にFIFAに加盟したのだが、
これまで、ワールドカップには、予選にすら参加がかなわなかった。
つまり、今度行われる2018年大会の予選参加が、ブータンにとって、
初めてのワールドカップ予選への参戦、という歴史的な瞬間となる。

次に、AFC主催試合と言えば、先日日本代表がベスト8で敗退した、
AFCアジアカップが真っ先にあげられるだろう。
ブータンはというと、2000年、2004年と地区予選敗退、
その後は、ワールドカップ同様、予選にすら参加できてない。

ちなみに、前述の、12年前に最後に行われた公式戦は、
この、2004年アジアカップの地区最終予選であった。
残念ながらこのとき、ブータン代表は、6戦全敗、得点0、失点26で、
ダントツの最下位に沈んでいる。

そして、おそらく日本人の大半がその存在すら知らない大会で、
AFCチャレンジカップ、というAFC主催の大会がある。
簡単に言うと、アジアカップの下位ランクの大会。
AFC加盟国のうち、FIFAランキングで下から数えて16ヵ国が出場できる。

要するに、どんなにがんばってもFIFAワールドカップはおろか、
アジアカップ本大会に出ることすら夢のまた夢、という国を集めて、
下位層の底上げを目的として創設された大会、らしい。
(なお、2014年大会を最後に、その役目を終えたとして終了が決まった)

この大会は、実は、予選の試合は全て「親善試合」扱いとなる。
ブータンは残念ながら、2008年、2010年、2012年と、予選で敗退。
したがって、FIFAサイト上では、全て親善試合扱いとなっている。

最後に、SAFF主催試合で、南アジアサッカー選手権という大会がある。
ブータンは、この大会に積極的に参加しており、
2003年から、6大会連続(ほぼ2年おきに開催)で出場している。
が、この大会もまた、国際大会ではあるものの、全て親善試合扱い。

まあ、SAFF加盟国の中で圧倒的な強さを誇るインドですら、
FIFAランキング171位(2015年2月現在)という時点で、
大会自体のレベルも推して知るべし、といったところではあるのだが…


とここまで調べてきたところで、はたと立ち止まる。
「あれ、親善試合しかやってないにも関わらず、
 ブータンのFIFAランキングがここ数年上下しているのはいったい…?」


(引用:http://www.fifa.com/fifa-world-ranking/associations/association=bhu/men/index.html

と、ここまできてようやく、一つの誤解に気づく。
そう、筆者はこれまで、親善試合はあくまでも非公式試合であって、
FIFAランキングには影響しない、と考えていたのだが、
どうやらそうではない、ということ。

「親善試合」も、きちんと国際Aマッチとして、
ランキングポイントに加算されている、ということがわかった。
これ、意外と知らなかった人も多いのではないだろうか?

タイトルでわざと誤解を招くような書き方をしてみたが、
あくまでも、FIFAのサイト上で「国際大会公式戦」と表記するか、
あるいは、「親善試合」と書くか、という、
形式上の取り扱いに過ぎない、ということのようだ。

つまり、ブータンが、この空白の12年間で行った「親善試合」は、
名実ともに、れっきとした「公式戦」だった、ということが判明した。
という、なんとも締まりの無いオチである。

まあ、何れにせよ、FIFAが認める国際大会の予選会に出るのは、
実に12年ぶり、という点だけは確かである。


ここまで、ブータンのサッカー事情を追いかけてきたわけだが、
こんなくだらないことを真面目に調べているのは、たぶん自分くらいだろう。

ところで、最近、ブータンのサッカー界隈ではこんな話題も。

伊藤壇、ブータンのチームと契約!国と地域18番目│スポーツ報知
http://www.hochi.co.jp/soccer/world/20150227-OHT1T50203.html

アジア18カ国目のブータンリーグに挑戦。海外転戦の先駆者・伊藤壇の生き様│J SPORTS
http://www.jsports.co.jp/press/article/N2015030211210302.html

当然、ブータン国内のサッカーリーグはプロではないので、
契約、と言っても具体的にはどういう待遇なのか、
そもそも、どうやって生計を立てていくつもりなのか、
興味は尽きない。

今度、ブータンを訪れた際に、それとなく探りを入れてみようか。


2015/3/12追記

本日行われたワールドカップ一次予選第1戦で、
ブータン代表はスリランカを相手にアウェイで1-0の勝利!
歴史上初めて、ワールドカップ予選での勝ち星を得た。

次戦、3月17日、ホームでの戦いで引き分け以上であれば、
勝ち抜け、二次予選への進出が決まる。
ちなみに、ホームスタジアムがある首都ティンプーは、
標高2,000mを超える高地にあり、対戦相手に不利と言われる。

もし、二次予選に進めば、ドロー次第では日本と対戦の可能性も…
そうなれば、少なくとも日本での試合は見に行きたいものだ。

ところで、改めてFIFA公式サイトを見ると、
なんと、代表チームの戦歴が更新されている!

先日見たときは、2003年10月17日のアジアカップ地区最終予選、
対イエメン戦が最終戦歴で、その後の試合は親善試合扱いになっていたが、
2013年9月6日、南アジアサッカー選手権グループリーグ、
相手は奇しくもスリランカ、が最終戦歴になっていた。

まさかの、後付けで親善試合が「公式戦」扱いになっていた、
という、さらに締まりのない展開。
それだけ、ブータン代表が国際試合を行うことが珍しいことの証明、
ということだろうか。

2015/01/28

昨年考えたことシリーズ、今回はインド編。

昨年は、2010年以来となるインド訪問を果たした。
といっても、ブータンへ陸路で出入国するための足がかりとして、
丸2日ほどの滞在でしかなかったのだが。

それでも、久しぶりにインドの雑踏と喧騒にまみれているうちに、
以前も気になった幾つかの疑問が、改めて沸々とわき上がってきた。

まず真っ先に浮かんだのは、「なぜ牛や犬は路上で寝るのか?」という問い。
インドに限らず、アジアの国々で車を走らせていると、
交通量の多い道路のど真ん中に悠然と牛や犬が寝そべっている光景に出くわす。
道路の脇には、広大な土地があるにも関わらず、である。

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(写真:こんな狭い通りにも牛が!)

もちろん、牧草地で優雅に草を食んでいる牛もたくさんいるが、
一定数の牛は、なぜか必ず道路へと出てくる。

彼らにとっても、車を運転するヒトにとっても、お互いに危険極まりない。
どう考えても、Lose-Loseの関係だ。
それなのに、いったい何が、
彼らをあのような「寝そべり行為」へと駆り立てるのか?

インド、ということで、牛が神聖視されているため、
どこに居ても、彼らの安全が脅かされることはない、という意見もあるだろう。
だが、それはあくまでもインドの牛に限っての話。
他の国の例や、ましてや犬については全く説明になっていない。

動物行動学に詳しい人で、誰か説明してくれる人はいないだろうか。


もう一つの疑問は、交通事情について。
特に踏切などの場面で顕著に見られるのが、狭い道幅に対して、
「扇状にあらゆる方向から我先に車が突っ込もうとしている」光景だ。
そこには、「道に沿って順番に並ぼう」などという意識は皆無である。

これに関しては、なぜ彼らがそういった暴挙に及ぶのか、
といった部分には、実はそれほど興味は無い。
たぶん、国民性とか、そういう言葉で説明されてしまいそうだからだ。

むしろ気になっているのは、交通工学の観点から、
真面目に順番に並んだ場合と、誰もが思い思いに突入した場合とで、
都市交通シミュレーション上、どちらがより効率が良いのか、
という疑問である。

これ、分解すると、2つの疑問を含んでいる。
より効率的に「全体が通過できる」方はどちらか、という問題と、
より効率的に「ある個人が通過できる」方はどちらか、という問題。

前者の疑問は、おそらく、順番に並んだ方が早いだろう、と思う。
というか、そうでなければ、あまりにも衝撃的すぎる事実だ。
世界中の交通事情がエラいことになる。

問題は後者だ。
おそらく、多くのインド人は「いかに自分が早く通過するか」を考えており、
渋滞全体の解消なんてのは知ったこっちゃない。
このとき、自身のいる位置が後ろであればあるほど、
大人しく待つより突っ込んだ方が、通過スピードの期待値は高まりそうだ。
結果、後ろにいるやつほど、前へ前へと迫り出してきて、あの事態を招く。

ここまでの推論が仮に正しいとするならば、どこかに閾値があるはずだ。
そう、どこかのラインより後ろの人たちは、
無闇に突っ込むよりも、きちんと列を作った方が、
通過時間が短くて済むはずなのだ。

ただし。
そこで真面目に、じゃあ自分は待とう、というのは愚策でしかない。
そんなことをしても、どんどん後ろから追い抜かれるからだ。
全員が右に倣えで列を作らない限りは、この論理には意味がない。

そもそも、いったいインドの教習所では何を教えているのだろうか?
インドの教本にどんな規則が書かれていて、
どこまでが守るべきで、どこからが「暗黙知」に頼る部分なのか、
そういうことは、どこまで教えているのだろうか?

これは道路事情に依るところも大きいのだが、
インド人ドライバーは、数センチの隙間もすり抜けるような、
抜群のドライビングテクニックの持ち主ばかりだ。
というより、そうでなければあの国でハンドルを握る資格が無い。
少なくとも、技術面に関しては、かなり凄腕の教官が多そうだが…


以上。
特に学問的な考察も裏付けも何も無い、ただの雑文なので、
何を馬鹿なことを真面目に考えてんだ、とご笑読いただきたいのだが、
もし、上述の内容に触れた論文等を見かけたことがあるという方は、
どうぞご紹介いただきたい。

2015/01/13

気がつけば、あっという間に、2014年が終わって2015年になっていた。
時間が年々加速しているように感じるのは、やはり歳のせいだろうか。

一説によれば、
小さい頃は、その1年がそれまでの人生に占める割合が大きいのに対し、
(例えば、10歳のときの1年は、人生の10%を占める)
大人になると、その割合が年々減少していくので、
(例えば、30歳のときの1年は、人生の3%ちょっとしかない)
相対的に、短く感じるんだとか。

合点がいくような、いかないような…


さて、昨年も、あちこち飛び回っていた一年だった。

一応、ブータン研究者を名乗っているので、今回はブータンの話をしよう。
とはいっても、もう既に、昨年の現地旅行記は全3回に渡って書いたので、
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=583
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=592
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=601
今回は、一歩引いた目線から、現地で考えていたこととかをば。

ブータン、という国で特筆すべきことは、
まず第一に、山岳国家である、という点だと思う。
ブータンを訪れれば訪れるほどに、その印象は強くなっていく。

日本も山岳国家と言われることもあるが、ブータンはちょっと次元が違う。
スイスも山岳国家とか言っているが、一度ブータンを経験すれば、
あんなの平地にちょっと山があるだけに見える。
それぐらい、ブータンには、どこまでも山しかないのだ。

ところで、ブータンの国土面積は、九州と同じ程度しかない。
日本全土に比べて1/10程度、世界全体では136位に相当する。
にもかかわらず、ブータンで東西横断(九州の南北とほぼ同じ長さ)すると、
車で走り続けても、二泊三日コースで20時間くらいかかる。
本州縦断(青森から山口まで)するのと同じくらいだ。
筆者は、そのブータンならではの道路事情を、
延々といろは坂を走っているようなもの、と形容することにしている。

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(写真:ブータンの山道)

単純な平地に比べて、山地のほうが、
同じ底面積に対して、表面積は多い。
もしも、国土面積を厳密な表面積をもとに測ったならば、
ブータンは世界で何位になるのだろうか?

今回、ブータンの、どこまでも続く山道を走りながら、
そんなことに思いを巡らせていた。


ところで、以前どこかで触れたかもしれないが、
ブータンには未だ、世界遺産が存在しない。

世界遺産は、現在、世界中で1,000を超える件数が登録されている。
その中で、文化遺産と自然遺産の両方の条件を兼ね備えた、
いわゆる複合遺産は、たったの30件ほどしかない。
その代表格は、ペルーの「マチュ・ピチュの歴史保護区」だ。

DSC04042
(写真:マチュ・ピチュ)

ちなみに、日本には複合遺産は存在しない。
2013年に世界遺産に登録された富士山は、
当初、自然遺産としての登録を目指していたが断念し、
「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」という名称で、
文化遺産として登録された経緯がある。

個人的には、富士山は複合遺産を取れてもおかしくないと思うが、
それだけ、複合遺産に登録されるのは難しい、ということになる。

閑話休題。

ブータンは、本当かどうかは定かではないが、
かつては、あえて世界遺産に申請していなかった、と言われている。
その理由は、多くの観光客が訪れることで、重要な信仰の対象が、
単なる観光名所として消費されてしまうことを恐れたのだとか。

2001年に世界遺産条約を批准し、
これまでに8件の暫定リスト(要するに登録候補)を載せているが、
現在まで、そのいずれも登録には至っていない。

参考)ブータンの世界遺産暫定リスト
http://whc.unesco.org/en/statesparties/BT/

自然遺産候補も、文化遺産候補も、優れたものを保持しているものの、
現実的に、登録のためには、その保存体制の継続性なども審査対象となり、
その障壁を乗り越えるのは容易ではない。

例えば、ブータン最大の聖地と呼ばれ、多くの外国人観光客も訪れる、
タクツァン僧院という寺院がある。
この寺院は、標高2,000mを超えるパロ谷の断崖絶壁に位置しており、
また、8世紀にチベットから仏教を伝えた高僧が虎に乗って飛来した地、
という伝承の残っている由緒ある仏教史跡である。

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(写真:タクツァン僧院)

しかし、1998年、火災により全焼。
2005年に再建されたものの、残念ながら、その歴史的価値に瑕がついた。
本来であれば、単独での登録も十分可能な重要史跡であったはずだが、
現在、暫定リストにおいて、
「パジョ・ドゥコム・シクポとその後継者たちに縁のある聖所群」を
構成する史跡の一つに数えられるに留まっている。

さらに、2012年には、ウォンディ・ポダン県の県庁であり、
宗教上の中心地でもあるウォンディ・ポダン ゾンの焼失事件も起きた。
こちらは未だ再建のメドが立っていないものの、やはり、暫定リスト上で、
「ゾン群 : 世俗的権威および宗教的権威の中心地」を
構成する史跡の一つとなっている。

こうした事実が、ブータンにおいて、歴史的建造物を保護し続けることが、
いかに難しいか、という負の証明になってしまっている点は否めない。

今回、ブータンの山々を抜け、いくつかの仏教寺院や史跡を訪問した。
その中で考えたのは、一つ一つの史跡や自然景観の登録が困難であれば、
もういっそのこと、ブータンの国全体を、
「ブータン-チベット仏教史跡群を擁するヒマラヤの大渓谷」とか、
そういう名称で、複合遺産登録してしまえばいいのに、
という、身も蓋もない発想。

さすがに乱暴すぎるだろうか。
一応、「バチカン」が国をまるごと世界遺産登録した、という前例もあるし、
ブータンは、国家政策で「自然環境保全」と「伝統文化保護」を謳っており、
あながち有り得ない話でもないと思っているのだが…

2014/06/21

これまで、気仙沼で復興支援と銘打ちつつも、
お世話しつつお世話されつつの、ほどよい関係を築いてきた。

中でも、お世話になっている箇所の一つが、
学部生のフィールドスタディツアーでたびたび訪れている、
リアスアーク美術館である。
http://www.riasark.com/

同館は、美術館でありながら、博物館色も混淆した、
さながら、地域の総合ミュージアム、といった趣をなしている。
震災以前から、郷土の民俗資料、特に「食」をテーマとした、
海と山にかかわる農耕・漁労文化について常設展示を行うなど、
地域に密着した文化活動の継承役を担ってきた。

東日本大震災後、しばらくの間、休館となっていたのだが、
2012年7月に一部再開、2013年4月に全面再開となった。

再開後、筆者自身が同館を訪れた最大の目的は、
新たな常設展『東日本大震災の記録と津波の災害史』を拝覧するためであった。


同展の主たるキーワードは、「記憶」である。

常設展の冒頭には、
「東日本大震災をいかに表現するか、地域の未来の為にどう活かしていくか」
という問いかけがある。

同展示の目的を、端的に表すとすれば、
震災の記録を残し、
その記録を、正しい表現を用いて伝達し、
それを以て、人々に記憶として定着させ、
来るべき未来の災害を防ぐ、
ということになるだろうか。

展示品は、写真203点、被災物155点、歴史資料等137点からなる。
震災後、被災者でもある学芸員自らが、約30,000点もの現場写真を撮影し、
250点もの被災物(中には数mに及ぶ巨大なものもある)を収集した。
それら膨大な一次資料を元に、同展示は構成されている。

写真には、それを撮影した瞬間の学芸員の生々しい言葉が付されている。
被災物には、その持ち主(あるいは関係者)のエピソードが、半分実話、
半分フィクション、という虚実入り交じる形で掲載されている。
一点一点を丁寧に見ていくと、長ければ丸半日程度の時間を要する、
非常に見る側の体力・精神力を求める展示、でもある。

併せて、震災を考えるためのキーワードと、想起すべき短い論考とが、
学芸係長(震災当時、学芸員)の山内氏によって書き起こされている。
被災した者に対して、あるいは、被災していない者に対して、
投げかけられる言葉は、あまりにも率直で、そして、強い。

例えば、以下のようなものである。

瓦礫(ガレキ)とは、瓦片と小石とを意味する。また価値のない物、つまらない物を意味する。
被災した私たちにとって「ガレキ」などというものはない。それらは破壊され、奪われた大切な家であり、家財であり、何よりも、大切な人生の記憶である。例えゴミのような姿になっていても、その価値が失われたわけではない。しかし世間ではそれを放射能まみれの有害物質、ガレキと呼ぶ。大切な誰かの遺体を死体、死骸とは表現しないだろう。ならば、あれをガレキと表現するべきではない。


個人的には、既に同美術館に4-5回訪れており、
その度に、同展示を拝覧させていただいている。

変わらぬ写真、被災物、キーワードの展示でありながら、
時が経つにつれて、その意味合いが少しずつ変化していく。
そんな経験をさせてもらっている。
驚くほどに、全く飽きることがない。

気仙沼市内各所で見聞を重ね、その都度、この展示に戻ってくると、
断片化した誰かの喋ったことや何処かで見たことが、頭の中で反芻される。
こうした脳内の反復作業を通して、脳内のHDDに記憶が焼き付いていく。
「記憶」の獲得の瞬間を、実感として認識することができる。

正直言って、この展示のためだけに気仙沼に行く価値がある、
それぐらいに、インパクトのある内容となっている。

なお、この展示について、
いくつか写真・映像付きのレポートやインタビューを見つけたので、
雰囲気を掴んでいただくためにも参照されたい。

後世に記録を伝える │ NHK東日本大震災アーカイブス
http://www9.nhk.or.jp/311shogen/map/#/evidence/detail/D0007010160_00000

リアス・アーク美術館常設展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」、N.E.blood21 Vol. 46:千葉奈穂子 展、Vol. 47:石川深雪 展 │ artscape
http://artscape.jp/report/curator/10087541_1634.html

東北のいまvol.16 リアス・アーク美術館常設展 「東日本大震災の記録と津波の災害史」 残すこと、伝えること。 │ 東北復興新聞
http://www.rise-tohoku.jp/?p=4988


展示作品を収めた図録『東日本大震災の記録と津波の災害史』も出色である。
同書のあとがきの言葉を紹介して、本稿を締めたい。

当館が編集した「東日本大震災の記録と津波の災害史」常設展示には、震災以前からその地で暮らし、その地で被災者となり、これからもその地で生きていく者でなければ見えない事実、感じられない感覚を伝えるための表現を詰め込んだ。単なる資料の羅列ではなく、記憶を紡ぐための装置として資料を昇華し編集した。そしてその内容をこの図録に込めた。
我々の目的は風化を食い止めることでもなければ忘れさせないことでもない。知らなかったことに出会い、心を動かし、思考を巡らせ新たに記憶してもらうことである。
同一の経験がなくても、相似する経験を組み合わせ、想像力を働かせれば記憶は獲得できる。人間にはそういう力があると信じている。一人でも多くの人に、我われが経験したこと、我われが気付いてしまったことを共有してほしい。そして大切な人が暮らす未来を守ってほしい。

図録は、郵送でも購入可能だ。
あまり他人にモノを勧めることのない筆者だが、
これは、自信を持ってオススメしたい、珠玉の一冊である。
http://www.riasark.com/modules/news/article.php?storyid=133

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