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2009/04/08

仕事と趣味を兼ねて映画をよく見る。映画館で見るのは年に数本で(それも最近はドラえもんなどが入ってくる)、あとはほとんどDVD。一昨年は毎日、多い日は3本も見ていたのでたぶん400本以上、昨年は200本は見たと思う。自分の息子だったら、「理由をつけてDVDばかり見ていないで、ちゃんと仕事をしなさい!」と言うと思う。

好きな監督がブニュエルという偏屈なので、合わない映画のほうが多いが、たぶん妻との別れから逃げていたのだろうと思う。
ベニチオ・デル・トロ(チェも良かった)の「悲しみが乾くまで」を昨年見て、ああ、やっぱり現実逃避する人、ワケのわからん行動をする人がいるんだなと思った。私には良い映画だった。

別に書いているブログで知り合った、やはり奥様と死別された方から教えてもらった映画「ホリデイ」という映画。「大きなあらすじは別にして、女の子がいるシングルファザーが出てきて、その男のセリフが私の気持ちの代弁をしているんだよ。見てよ」というので見ようと思ったが、ラブコメの代名詞のような女優さんが出ているので敬遠してしまい放置していた。昨日見るものが無くて見てみたら、「そうそう、そうなんだよ」という約5分のシーンに納得。「我々」の気持ちを代弁してくれてありがとうと言う感じ。

娘は4年生になった。「クラス替えがあって誰と一緒で誰と離れちゃった、先生は終業式に遅刻した可愛い先生がまた担任でクラブ活動が始まるので楽しみだけど教科書がちょっと厚くなって重くなったし6時間授業が多くなって遊ぶ時間が無いじゃないか!」とまくしたてる。元気でなにより。

新聞を読んでる隣で学校とのやり取りの連絡帳を読み始め、「熱があるのでお休みします。風邪でお休みします。今日もお休みします。って、私、1年は熱出したり風邪引いたりお腹こわしたりばかり」

「うひゃ~、自分で書いた字が読めない。下手な字だな~。あ、これ父親の字か、ゲラゲラ」

「2年3年と二年続けてギョウチュウ検査のフィルムを無くしてしまったので予備をくださいって。同じところを読んだのかと思ったよ、まったく。今年はちゃんと無くさないでくださいねお父様。忘れ物多いですよ。聞いていますか?」などとからかっているので、仕方なく一緒に見ると、1年は本当に休みが多かった。2年も1学期と3学期。2週間熱が引かないなんてこともあった。

3年は無遅刻無欠席。

「なんで私こんなに休んでいたの?」というので、「踊らなかったからだよ」というと、「そうか。踊って笑うと元気になるからね」

1年で休みが多かったのは、なぜ母親は死んだのか。そういう家族はどうするのか。不安がいっぱいで夜眠れなかったから。何度か朝まで話をしていたことがあるから休みも仕方ない。2年はちょっと荒れたクラスだったのと、母のことを引きずっていたことが混ざっていたのか。ちょうど同じ頃、父親もうつ病になったし仕方ないことか。

3年になりたての頃、学校や友達のことでグズグズ言っている時に、安心感も与えてやれない母性に欠ける父親なので「踊るか!」と一緒に滅茶苦茶な歌を歌いながらハチャメチャな踊りを踊った。それ以来嫌なことやじと~っとした雰囲気の時は踊ることにしている。お上品な踊りではなく、首がぽろりと落ちそうなもの。笑いながら踊って疲れて眠るのが我が家の健康法か。近所の方には申し訳ない。

「4年も元気に踊って乗り切ろう!友達でしょげている子がいたら、うちにつれてきてみんなでよだれ垂らしそうになりながら踊ろうよ!」と言うと「やだ。かっこ悪いもん。家だけのことにして誰にも言わないで欲しい」と真顔で反論。

娘の反対を押し切れなければ、アニマル浜口一家にはなれないわな。

02:09 | 家族 | 1 Comment
2009/04/01

31日で学童が終わった。

妻が亡くなったのが市への申し込み期限後だったため、娘が学童へ行き始めたのは2年生から。小学校に入って1年間、平日は祖母・私の母が来ていて、毎日「ただいま」と帰ってくるのが楽しかったらしく、また、1年間で学童内の1年生同士遊び方が決まっていたようで、2ヶ月前後は通うのが苦痛だったようだ。
家で「学童行きたくない」と言っても、「じゃあ行くな、一人で留守番していてくれ」といわれるのがわかってからは、では遊び相手を見つけよう、相手がいないときは本を読んでいれば良いと割り切ったり少し成長したりして適応できたようだ。

60人以上の子供がいて指導員さんたちはいつもてんてこ舞い。3時過ぎから場合によっては12時から6時まで、子供たちに60回「お帰りなさい」「またあした!」と笑顔を繰り返す。しょげている子がいると話を聞き、暴れている子を叱り飛ばし喧嘩の仲裁はせず見守り、一緒に外で遊びおやつを用意しイベントを企画して飽きないように工夫を凝らす。
短時間ではあるが、物凄いパワーと気配りだと感心感謝する。

娘が一番好きだったのは土曜日だったらしい。5-6人しかいないので午前中に散歩。お弁当の後は本を読んでカルタや卓球が楽しかったようだ。のどかな雰囲気が好きみたい。
24日に「卒会式」があり、1,2年生が3年生を送る。親も出来るだけ参加ということで参加したが、卒会生の「ひとこと」で娘は「二言三言」長い思い出を語っていたのが印象的。
あるお母さんはぼろぼろ涙を流していたが、小学校などとは違い共働き・片親家庭の子がくるところということで、本来は家で迎えてあげたいのにという特別な思いがあったのだろう。

30日31日と、仕事を30分早く切り上げて迎えに行った。先生たちは3年生16人の卒会生を送ったはずだが、それでも娘を送り出す時に涙が浮かぶ。

ふたりで学童からの最後の帰り道、「2年生の時はよくお迎えに来てくれて一緒に帰ったね」という。3年からひとり帰りにしていたので、懐かしかったのは父親も同じ。

学童に迎えに行き、あるいは途中で待ち合わせて手をつないで帰るのは今日でおしまい。

学童がいやだ、誰かと喧嘩した、いじめられた。そんな話を聞きながら「うまくいかんのかな」とちょっと辛くなった父親の帰り道の上り坂。

今日のご飯は何かな、なんで友達とうまく行かないのだろう、父はなんでこんなにバカなことばかり言うのだろう、もうちょっとママがいてくればな、と思って歩いていただろう娘の上り坂。

この道が想い出になるように、きっとこれからしんどい事も、いつかは想い出になるんだろう。

夕飯を食べ、いつもよりちょっと長い自由時間。私はメールチェック。娘は後ろのソファでへんてこな歌うたいながら学童の先生に渡すものの裁縫と絵本作り。

横に立って「ねえ、読める?面白いと思うよ。ゲラゲラ」というでの、チラッと見ると「うちのお父さんはとても優しいけど、お友達にはいえないようなギャグを連発するので、私は笑ってしまって勉強が出来ません。だから成績よりも健康に注意して頑張ろうと思います」と書いてあるので、「父は寡黙なクールな人間だったのに娘の影響でバカになった。どうしてくれるのだ。お前が絵本にそんなこと書くのなら、私はホームページにそう書くぞ」と真顔でいうと、「ねえ、やめて。恥ずかしいからさ。子供から大人に遺伝しないでしょ」

それはそうだが、なんとなく子供から大人への遺伝もある気がする。遺伝でなくても影響はある。

娘から優しさと笑顔を遺伝したような気がする。

喜怒哀楽、上下が激しい想い出をこれからも一緒に作ろうと思う。「下」の時は嫌な気分になるだろうが、後で楽しい想い出になるに違いない。

と思いながら、明後日から昼間娘をどうしようかと思いながら深酒。殊勝なことを考えても、数時間しか続かない。こういうところは遺伝してもらいたくない。

12:26 | 家族 | 1 Comment