先日学校公開があった。
授業参観ではなく、地域の人なら誰でも授業を見ることが出来る、結構いいシステムだと思う。登校から下校まで、休み時間も給食の時でもいつでも見ることが出来るし、金曜日と土曜日に行われるのでありがたい。
学校公開と同時に、作品展というものがあり、
娘の猫3匹のひなたぼっこの版画
子供ができてからは今の学校教育に疑問を感じ、
シュタイナーシューレの横浜校が翌年開校するということで、見学に行き、さらには
絵などは「曖昧な色・滲み絵」に特徴があり、色が滲んでも否定をせずに、
無論通常の授業もあるが、
母親が学校に参加することが多く、
今通っている公立小学校は、自然環境にも恵まれ、
いま思えばだが、
いろいろと批判されることが多い教師という仕事。
今だけの問題ではなく、
学校公開には土曜日に行った。「今日は日直なんだ」というので、
到着と同時に「着席」の号令・・・。
教育云々の前の段階にいる親ということですか。
正月とはなんと怠惰な気分にさせるのだろう。帰省をするわけでもなく、旅行に行くこともない正月を過ごすと、いわゆる「正月気分」で半月くらいはあっという間に経過してしまう。
という言い訳をして・・・
あけましておめでとうございます。
娘とふたりで迎える4回目の正月だったが、例年のように大晦日にあわてておせちを最小限揃え、普段は牛乳しか飲まない娘にジュースを買い与え、「本数が違うじゃないか」と抗議をされながら父は安酒を買い込む。
毎年行く神社に初詣に行き、これも恒例の映画を見に行き、あとはひたすら冗談を言いながら飲んだり喰ったり笑ったり。
元旦に映画を見に行くようになったのは、娘が3歳のときからだからもう7年になるか。
今年は「カールじいさんと空飛ぶ夢」を頼まれたので、「あぁ、ディズニーね、しかたありませんね」と渋々観たのだが、3Dの進歩に驚き、高いところが苦手な父は気分が悪くなりかけ、不覚にも2箇所くらいで涙が出てしまった
端的に言えば、年老いたじいさんがばあさんに先立たれ、二人で果たせなかった夢を追いかける話か?
3Dの難点はメガネ。涙を拭こうとするとメガネをいじることになる。帰りに「ねえ、泣いてた?泣いてたでしょ?感動した??」とうるさくてたまらない。泣いたわけではなく、涙が出ただけだと言っても「ディズニー映画では泣けないって言ってたじゃん、ハハッ♪」
そんな涙目父は、妻が逝ってからはあまり写真を撮らなくなった。デジカメだからもっと撮ってもよさそうなものだが、撮るのはほぼ携帯。撮られる楽しさを娘は持っているので携帯で撮り、小さな画面で笑う娘をたまにみてボケーっとしていると楽しい。無論携帯でも、凄い写真を撮る方がいらっしゃるが、凡人センスなしなので、ありきたりすぎる写真。機種交換の時に気に入ったものだけでも残そうと思っているが、たぶんそんなことも無いだろう。
家族の写真は撮るときの楽しさと、見る時の楽しさがあると思うが、娘がひとり立ちしたあと、一緒に見て懐かしむ相手がいないと思うと積極的に撮ることは無くなってしまった。ちょっと後ろ向きか?
そんな後ろ向きな親と怠惰な正月を過ごした可哀相な娘だが、学校に持っていった「日記」と「お手伝い日記」には、そこそこ楽しそうなことを書いていたので、まあいいかと思う。
ぐうたらな中にもアクセントがある。
3日が妻・ママの命日なので、その日は毎年おせちの残りを持って墓参に行く。おせちのおしまいの日。墓の前に座って極小宴会気分。母が亡くなった父のことを語りながら墓前でご飯を食べようと言う姿を見て「なんでこんなところで!」と思っていた私の中学生時代が恥ずかしいくらい、娘は嬉々として墓の掃除をしておせちをたいらげる。
ほんとうに母親似で良かった。
正月にこういう日があると旅行に出かけたりはなかなか出来ないが、娘が結婚して遠方に住んでも、3日には戻ってきて一緒に墓参りに行けるのではないか?という期待をほんのちょっと持っている。
それまでに10数年、怠惰な正月あと10数回。
ドラえもん磯野家バージョンらしい。20年後の父娘。
今年の娘の誕生日は土曜日だったので、午後から友達3人と家でず~っとボードゲーム。人生ゲームに始まって、複数のゲームを混ぜて勝手にルールを作り、「オリジナルゲ~ム!」などと叫び笑い悲鳴を上げて数時間。「そんなに大声出していたら喉が渇くだろう」とジュースを出すと、立ったまま一気に飲んでゲームに復帰する。
私の4年の時はどうだったんだろうか。女子特有なのだろうか。
一応誕生日だからケーキを食べている間だけは静かになるかと思いきや、1分もたつと常に2人は話をしていて常に2人は笑っているという状況に戻る。
こんな楽しそうな日常は、いつまで続くのだろう。
子供から大人になっていき、嫌なことや辛いこと苦手なこと、様々なことに取り組まなければならなくなる。それが成長なのだろうけど。
友人の米国人が「生まれてきてもたいへんなことが多い。これからは俺たちの時代よりもっとそうなるだろう。心の豊かさでは無く、違うところに幸福の評価が移ってしまったからね。だったら子供はいらない」と言っていたのを思い出す。
もうすぐクリスマス。
昨年の夏頃からサンタクロースの存在について何度も問いかけられたが、「信じない人のところにサンタは来ない」と言って誤魔化していた(去年もそんなこと書いた)
この2週間またまた「サンタクロースはどこから入ってくるか」「サンタクロースは何故私の好みを知っているのか」ちなみに返事は全部絵本の受け売り。
私は3年まで、妻は中学1年!まで信じていたが、いつまでだろうか。そろそろかなと思う。
サンタクロースの存在を確認すると、なんかちょっとだけ子供から成長するような気がする。成長を見るのは嬉しいが、まだ子供でいてもらいたい気もする。
娘の友達たちは既にサンタクロースにおねだりする物を決めていて、紙に書いて張ってあるらしいが、なかなか決められない娘はこれまで同様「私の好きなものを下さい」とイブの夜に書くらしい。
さて、何にするか。
今年のクリスマスは、「こんなご時世に子供はいらない」と語っていた前出の米国人家族が家にやってくる。もうすぐ3歳になる男の子を連れて。物凄い親バカで見ていて怖くなる一家。
誕生日やクリスマスに2人ではちょっと寂しくないか?と思って来てくれる娘の友人たち(と、そのお母さん方)、私たちの友達に感謝。
彼らからの私へのクリスマスプレゼントのような気がする。娘の笑顔が私には一番だから。
また1年続けられたJunkstageにも感謝!
ちょっと早いけど、今年最後です。
Merry Christmas & a Happy New Year
よい年をお迎えください。
父親のドイツ語、30秒持たず・・・。
早いものでJunkstageさんを知って1年が経過した。
スタッフ某さんにお誘い頂き、「どれ、どんなところなのか」と覗きに来て多くのコラムを、物凄く安いジンを飲みながら読んでいて二日酔いになったのがつい先日の出来事のよう。
そんなスピードで時間が経過していくものだから、娘と約束した江ノ島行きが半年以上?順延されて先週約束が果たされた。行こうと思えば電車で1時間なのに、なぜか構えてしまって行けなかったのは、やはり3人で行った記憶があるからか。3人で一緒に行ったところにもう一度娘と行き、記憶をしっかりさせてあげるのも良いと思うのだが、親の方が問題。
海辺でうろうろし、買い食いしながら参道を歩く。娘は「エスカー」が車とかトロッコとかロープウエイ的なものをイメージしていたようで、拍子抜けした顔が面白かった。
以前に3人で寄った店へ入ると、テラスの数席のうち2組が父親と小学生の娘、1組が母親と小学生の息子の組み合わせだった。
店の人が「今日はお父さんお母さんと2人っきりでデートの人が多いわね。一番奥のお嬢さんは「今日はママがいないからたくさん喋れるね」って、おませさんよね~。お嬢ちゃんもたくさんパパと話せるわね」と言って茶を置く。
店の人が離れると娘がヒソヒソ声で「いるとうるさく感じて、いないとちょっと寂しいとかって、わかんないのよねみんな」「うちはいっつもたくさん話しているもんね」と、なんだか高校生のような言い方と喋り方。
「私、最近寂しくないよ。たまにママの話をしてくれるから一緒にいるような気がするし」というので、以前に3人で来た時のことを話しながら歩くとすぐに夕暮れ。
もしかすると生まれた日の話のように、話をしていればリアルな記憶よりしっかりしてくるのかもしれない。そのうち「も~いいよ」と言われるまでベラ男でいるしかないな~と、ちょっと感傷的になりながら並んで海の向こうに夕日が沈むのを見ていたら「あ~もう!あとちょっとで沈む瞬間なのに、ト、トイレ、もう無理」と猛スピードで走り、猛スピードで戻ってきて最後の瞬間だけ見て「よかった間に合って」と言うので良かったね見れてと返すと「あ、それもね。おしっこも間に合ってよかったから2つ良かった」。
まだまだガキ。
小学生と思っていても来年5年生。Junkstageで1年、もう少しでママが逝って4年娘が生まれて10年結婚して14年。
あっという間に過ぎていくのだろう。
↑「この線まで波が来たらご飯の前に何か食べる」という自分ルールに墓穴を掘る。線がどんどん前になっていった。
勉強する習慣がほとんどなくなって数十年。新しい事を覚えるのが徐々に遅くなってきたと思う。
フォトショップやイラストレイタは日常使うが、ワードはあまり使わなかったのでレイアウトを整えるのに時間がかかったり。ワードの方が一般的には簡単なはずなのだが、この年になると覚えが悪い。
で、肩がこったりするので遠ざかる・・・。
今月下旬に、完全リスペクトなドイツのbandが日本に来るが、幸運なことに平均年齢45歳の我々のbandが前座を勤めることになって大喜び。彼らは英語も若干できるみたいだが、この機会にちょっとだけでもドイツ語を覚えようと10月から「NHKまいにちドイツ語」で勉強し始めたが頭がてんてこ舞い。
ぶつぶつと繰り返し単語や短い言葉を繰り返しているものだから、「それ、何?何語?」と訊ねてくる「俺はドイツ語をマスターしてその後はロシア語と韓国語を平行して覚えて中国語とフランス語スペイン語が出来るようになったら世界旅行に連れて行ってあげる」というとニヤニヤ。
あのニヤニヤは「ああ、またか」というもだろうけど、そういう性格なので申し訳ない。
食後の片付けを一緒にして「Dankeschön」というと、ウンザリした顔をしながら「You’re welcome」と返ってくる。9月まで家でバリバリブロークンな英語を適当に教えていたのを覚えているのはいいのだが、私のDankeschönがThank youに聞こえたのなら、私の発音はいったい・・・。
娘に限らず、子供の学ぼうという意欲は凄いと思う。だから疲れていても、学校や塾で習うことではない知識欲についてはなるべく逸らさずに、難しい返事しか出来なくてもしてあげようと思っている。
しかし、このところの「なんで?」の質問攻めは3歳の頃をはるかに超えている。この前の日曜日は生き物の話などからはじまり人類の進化日本の歴史慣わし食糧自給率世界情勢紛争問題。休日2時間くらいこんな話していて、経済評論家にでもなるのですか?と茶々入れたいところだがそんなことはさすがに出来ずにまともに答えるので休日も頭がてんてこ舞い。
このへんならまだいいが、苦手な分野になったら「一緒に調べよう」ばかりになるだろう。
その頃まで、中学生になっても毎日たくさん会話ができるような家庭であればいいけれど。
Bis später.(?)
いや~まいった。ほぼ毎年春先にくる「群発頭痛」。「そういえば今年はならなかったね」と娘に言われた翌日いきなり来てしまった。
この頭痛、普通の頭痛とは異なり「あ~痛い、もう、、あ~」と声を出さずにいられない。身動きも取れなくなり何も出来ない。放置すると何時間でも持続するし鎮痛剤が効かない。でも、生命の危機とかではないのだけが幸い。
かかりつけの病院に行くと、「今年はさ~こないのかと思ったよ」と、久しぶりにやってきた常連客をもてなす居酒屋のオヤジのよう。いつもの高額な薬を処方してもらって帰宅。
今回は非常に長く、約2ヶ月でなんとか治まりつつある。日本に1万人以上いるらしいので、だれか薬に頼らないでいい方法があったら教えてください。
自分が「ならないね」と言った翌日に「痛い」と言いはじめたものだから、いつも狼少年のようなことばかりな父だから、親子の会話の2/3が駄洒落や空想話だから、最初は「うっそ~、ははっ。また『だったらどうする!』とか言うんでしょ。引っかからないよ、ふふっ、行ってきま~す」と全く信じてもらえなかった。が、学校から帰って薬の袋を見て「本当だったんだ。ごめんね」。
その日以来、晩御飯の後片付けと、食後のコーヒーをいれてくれるようになった。片付けは気が向くとしていたし、コーヒーも前からたまに入れてくれていたのだが正直不味かった。
頭の痛みが残っていると食後すぐにソファでぼや~っとしてしまうのでそのままにしていると「はい、コーヒーどうぞ。片付けもしておいたよ」。フィルターがどこにあって、豆がどこにあって、どのくらいの量を入れてどのくらいづつお湯を注げばいいのか、見ていて覚えたらしい。天才ですかね・・・。
もうしばらく仮病を使おうと思う。皿洗いの拭き残しが無くなる頃まで。
親がぐうたらな方が子供はしっかりする一例。
前日、娘が帰宅して「そういえば明日は都民の日で学校お休み。知ってた?」と聞かれ、ああ、4回目でもまたやってしまったか。「忘れていたがどうするか?」と聞くと「多分そうだと思って、OOちゃんともしかしたら午後から遊ぼうと約束してきたから大丈夫、安心して仕事していいよ」と、父親が覚えているわけが無いことを前提に行動してくれるようになったので、結構楽になってきたな~と考えながら、都民の日の最寄り駅で知人と待ち合わせをしていた。
「共同募金よろしくお願いしま~す」と声をそろえて赤い羽根共同募金。そうか、共同募金か。
私が小5の時、母親に勝手にセッティングされてこれに参加したことがある。前日からイヤで仕方なかった。募金しても大してお金が集まるとは思えず、それなら、その時間働いたお金を寄付した方がどれだけ効率が良いか。それに、ウチだって母子家庭でたいへんなのに母は何を考えているのだろうか。
更には、募金箱に細工をして、なんとか数百円くすねることが出来ないだろうかと真剣に考えたものだ。
そんな素性の父親だが、40過ぎて募金や署名集めを自分でするようになったのは、当事者になったから。ゲンキンなものである。
当事者にならないで、そうした活動が出来る方は、どれだけの想像力や知恵があるのだろうかと感心する。
募金と署名でお世話になった、キュアサルコーマの主宰者のおひとり、kyonさんという方が亡くなった・・・。
以前にもこのキュアサルコーマのことを書いたが、kyonさんも奇跡のような方のおひとり。
自らたいへんな状況にもかかわらず、多くの平滑筋肉腫の方々に情報と希望を与え、妻は勿論、妻が亡き後も娘や私にとても優しい気配りをして下さった。
kyonさんの奇跡のような人生は、キュアサルコーマのブログと
kyonさんを悼む ~日本の肉腫医療に新しい扉を開いたひと~
に大阪府立成人病センターの高橋先生、山村先生の追悼メッセージの中に。彼女の人生の、ほんの一部分しかわからないが、とても素晴らしい人生だったと思う。
私のこれまでの人生で3つ後悔していることがある。ひとつは内緒、大学を中退したこと、kiaraさんkyonさんに直接お会いして御礼を言う機会を逃してしまったこと。
ご冥福をお祈りします。
私が今も継続して募金活動をしているのは、キュアサルコーマのwebの維持費。
amazon.co.jpで買い物をしていただくとアフィリエイトとなり、1年分を取りまとめて寄付をしている。
今回だけ下記にリンクを貼らせていただくので、気が向いたらここ経由で買っていただけると幸いです。
キュアサルコーマ 活動費募金 アマゾンで買い物する時にはこちらから
このアフィリエイト収入は、全てキュアサルコーマの活動へ寄付を致します。
こんな善意のかけらも無い子供・青春時代を過ごしてきた親ではあるが、娘は毎週せっせとペットボトルのキャップを集めている。
「ワクチンワクチン」とか言いながら。
母親似で良かったと思う瞬間。
娘と一緒にいるのはとても楽しい。しかし、たまには友人のLiveに出かけたり、JunkなStageを見に行ったりもしたいので、母と娘に留守番を頼んで出かけたりもする。まあ、息抜きとか、世界を広げる作業ということか。
出かける前に「ちょっと、そのジーンズ穴開いているよ。パンツが見える」「髪の毛、寝癖が付いているよ」などと言われて、ジーンズは履き替えたものの、寝癖は直さずに出かけた。
寝癖のまま青山を歩いている人はいませんでしたね。老いては子に従えって事?
夏休み中は家で仕事をする機会が多かった。仕事でメルマガをいくつか書いたり、宣伝用ブログに投稿したりすることが多く、毎日パソコンの前でかちゃかちゃやっている姿が父の仕事風景だったかもしれない。もっとダイナミックな仕事風景で、父親の凄いところを見せてやりたい気もするが仕方ない。
自分では「ちゃんと下書きをして、校正をしてから送信」と毎回思うのだが、なぜかそれが出来ない。「今回は時間が無いからいいか」と自分に言い訳をして、下書きもせずにやっつけちゃうから誤字脱字も多いしレイアウトも適当。
このコラムも随分読みにくい文章になっていると、次回投稿時に読み返すと反省する。
夏休みの終盤、やはりやり残した宿題があり、最終日は自由研究と「夏休みの自分新聞」に1日費やした。
自由研究は「脈拍をいろんな場面で調べて、どのくらいドキドキするか」をまとめた。寝起きは何回、何かをする直前と直後は何回とメモを取っていた。
腹筋10回、縄跳び50回、本を読む前後、階段50段駆け上った後、本を読んだ後、冷たい麦茶一気飲み、顔を洗ったあと、トイレに行った後・・・など。
最後の3つは直前より心拍数が減っていたのが寝癖父も驚いた。
自分新聞はあまりに悩んでいるので、「先に何を書くか決めて、レイアウトを決めてしまえ。それから文章量を考えて下書きした文を入れていけばいい」と、自らの経験を基に、的確な?アドバイスをしたつもりだった。
「ねえ、だいたい出来たよ。これから書くだけ」と満面の笑顔で持ってくるので見てみると、レイアウトを決めて見出しを書いてあるだけで、下書きが出来ていない。文章はどうするのかと聞くと「あ、ああ、頭の中に下書きしたから大丈夫」とちょっと困り顔で言い訳をする。ちょうど仕事用ブログを下書きナシで投稿したばかりだったので、なんだか娘にだけ強いるのは気が引けてしまったので、そのままさせると案の定・・・。
前半は大きな字で、レイアウトいっぱいになってくると小さな字で書く。もう4年だろ?低学年じゃないんだから!としかろうと思ったが、これが親の背中を見ながら育ったということであれば父親のせい。
もうちょっとだけ几帳面に!と今日も思いながら、また出来ない体たらく。
まあ、その分クリスマスに・・・(省略)
独身ひとり暮らしが長かった私は、ほんとうに殺風景な部屋に住んでいた。赤とかピンクの物が一切部屋になかった。
妻と結婚して初めて自宅に友人たちが家に来た時「あっ、ぬいぐるみがある。踏み潰して歩いていたような人が変わるもんだな」と言うのを聞いて、「そうなの?」とびっくりしていた妻に、どんな顔をすればいいかと数秒間目まぐるしく考えたのも、もう10年以上前か。
8月も下旬になると、昼間は蝉が鳴き夜は虫が鳴き、「夏か?秋か?どっちなんだ?」という気分になる。
そういう時期だから、昼間は「まだ夏!」と、のんびりしている娘も、夜になると「自由研究まだやっていない!ヤバイよ~!!」と焦りまくり。シメシメという気分。
1年のときはゆとり教育の弊害恩恵で宿題がなく、2年の宿題はまったく手付かずで最終日を迎え13時間でなんとか片付けた。このときは、見ている父親がしんどかった。つい手を出しそうになるのを我慢するのはたいへん。3年は余裕だと思っていたらやはり最終日に「自由研究が・・・」。
チェックをしない親がいけないのは分かっています。
3度目の正直、今年は比較的順調か?
自由研究がダメというのは、自分で考える意欲が足りないということだろから、来年は7月からその話題にしようと思う。
今年の夏休みはあまり夏っぽくなかったので、学校のプールにも行かなかった。家族では海水浴プール小旅行映画各1回、最低限の夏の思い出提供は出来たような気がするが、娘はどういう感想を持っているのだろうか。結果は10数年後に聞かされることになる気がする。
「夏休み終わりだな~」というと「それは言わないで。悲しくなるから」「言わなくても終わるときは終わるんだからさ、悲しくなること言わないで」と必ず言うので、面白くて毎日数回大声で言ってしまう。こうして文章にしてみると、とても酷いことをしたと反省。
「夏休みももう終わりだね」と、妻と会話をしたいなと思うが、娘もきっと「アホな父が毎日嫌だということを言うからなんとかしてくれ」とママに頼みたいことだろう。
夏の真っ只中17日が私の誕生日。
夏の終わり間際、25日は妻の誕生日。
毎年賑やかだった1週間。「夏なのに毎週ケーキは食べたくない」と思っても、笑顔で食べていた4年前までが懐かしく感じるのはたぶん親子一緒(娘はケーキは喜んでいたかな?)。
「早くいろんな事が過ぎ、もうちょっと穏やかな気持ちで夏の終わりを迎えたい」という気持ちと、「今のままが続いたらいいのに」と、「まだまだ波乱万丈も面白いんじゃないかふぇふぇふぇ(但し、娘に迷惑をかけずに)」という気持ちが34:33:33の割合。
ちょっとだけ穏やかな未来を希望する父と、賑やかな未来を夢見る娘。
今は一緒の気持ちだけど、きっとこれからいろんな違いが出てくるのだろう。
そうじゃなければ困るしね。
独身の時は夏が嫌いだったが、結婚して、子供が出来てからは大好きな夏が~。
終わっちゃうな~。
私は帝王切開で生まれて、人の出入りが激しい家だったために?乳児でも放置されたらしく、お腹がすいたと泣いていても、10-20分泣いていても抱き起こされず、あまりに泣いている時間が長いので隣人が来て抱っこされていたとか、授乳は顔を横に向かせて哺乳瓶を咥えさせられていたらしい。そんな話を数年前に母から聞いた。
「申し訳なかったけど、手術のあとがたいへんで体力が無かったのと、家での仕事が多くてあまりかまってやれなかった」。
泣いても無駄だと刷り込まれたのか、私はあまり人に期待をしない人間になったと思う。過度の期待は全くしない。よく「クールだね」と言われたが、ようは冷たい人間なのかもしれない。良い面もあるが悪い面も無論ある。
ただ、少なくとも社会生活が出来る人間にはなっているようなので、子育ての失敗ということではないと思う(客観的に見られないけど)
娘はO才まで母乳を飲んでいた(具体的年齢は、いつか娘がここを読まないとも限らないので・・・)。乳離れを何歳でして離乳食にして・・・という育児書は全く家に無かったので適当にしていた。妻が「もうXXしたほうがいいかな?」と聞いても「適当で良いんじゃない?」と答えていた。なので、「母乳立ち飲み」があった。眠る前には「ぱいこちょ~だい(と言っていた)」とはっきり喋ってむしゃぶりついて、父親と視線があうとにっこり笑い母親が「痛いから笑わないで」と。育児の専門家からするととんでもないことなのかもしれない。
そんな風にして、ママとのスキンシップが大好きだったので、死別後はたいへんではあった。今は父親の影響が色濃く出てきて、過度の期待はしなくなりつつあるが。
娘も一応へんてこな子供ではあるが、狭い社会ながらも社会生活は送れている。
何千年も何百億人も(もっとか?)歴史上に人がいて、「コレが育児の王道」というものは無いと思うがどうなんだろうか。
私は妻の病気再発までの当初5年、母親に比べて育児に関わる時間が少なかったのでなんともいえないが、何十億通りもの育児があり、その後の家庭教育が何十億通りある。王道なんて無いんじゃないか。
という事を会社で「私、育児に自信が無い」という24歳女子に話をしたのが昨年。
子供が出来たらしい。目出度い事です。
母乳立ち飲み娘が、今日風呂場で「頭を洗ってくれ」というのでシャワーをかけてやったら「そうじゃなくて、5歳くらいの時みたいに」というので、抱っこして洗おうと思ったが手が届かない。というか、もう足が床についてしまって・・・。
入浴洗髪は父親のダイスキな当番だったので久しぶりで嬉しかったのだけど、さすがは四年生。もう無理。
なんで洗ってもらいたくなったのかと尋ねると「なんかさ、なんだかわからないけど、いつから自分で頭洗うようになったのかなと思ったから」という。たぶん1年生から抱っこしないで洗うようになったと思うと言うと、「なんだかさ、ずっと昔のような気がするね」
きっと何か寂しいことがあったのだろう。
夏休みなのに、夏っぽくないからか。
4年前の夏休みを思い出したからか。
適当子育て中なので、それ以上はわからないが、そのうちなにかわかるかもしれない。
適当過ぎか?でも、これがウチの育児の王道だから、まあいいかと思う。
なので、NARUTOごっこをして眠ろうとしたら、「父のセリフはリアルすぎて、NARUTOごっこして眠るといつも怖い夢を見る」と言われたので、優しく「日向ひなた」の真似をしたら「ちょ、ちょ、ちょっと、似てないというか、気持ち悪~~~~いゲラゲラ・・・白眼!」と眠った。
これが我が家の王道だけど、果たしてこれでいいのだろうか・・・。








