Home > 【080802特別号】
それはたぶん半年くらい前の事。
韓国駐在中、友人の結婚式で日本に戻った時、
JunkStage代表の優さんとプログラマのK氏と喫茶店で、
今後JunkStageでやりたい事を話しました。
「イベントとかフリーペーパーとか動画対応したいね~♪」
などと、後先考えず気軽に発言。
それから数ヶ月後。
JunkStageスタッフブログに一つの記事がアップされます。
「JunkStage第1回公演のお知らせ」
( ゚д゚)ポカーン
しかも、スライドショー上映者の中に私の名前が。。。
Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)
という感じで、イベントへの参加が、
私の知らないところで決定していました。
イベント開催時、韓国にいる予定だったので、
スライドショーどうしようかな~、などと気軽に考えていたのですが、
会社の諸事情により5月末に日本帰国が決定!
日本に戻るのでスライドショーは無理だな・・・
イベントへの参加はあきらめていました。
しかし、帰国してすぐに優さんからJunkEventの
ミーティングに参加してほしいとの依頼がきます。
私はイベントに参加しないけど、ミーティングに行っていいのだろうか・・・
と、悩みつつも参加することに。
ミーティングで、いろんな意見を交わしている間に、
イベントに何らかの形で参加できないかな~と思うようになってきました。
JunkEventはギャラもないですし、
正直ボランティアに近いです。
社会人になってから、企画者になってから、
時間・金・技術といったものが、大きな基準になっていた私が、
このようなイベントにスタッフとして参加したいと思う事は、
私自身にとって驚きでした。
ああ、これがJunkStageの持っている不思議な「熱」なんだな~と、
改めて再確認できたような気がします。
人と人が交わって、いろんな熱を帯びていく。
月並みな言い方ですが、
JunkStageにはお金で買えないものがあるんじゃないかと思っています。
イベントを見に来てくれた人が、
少しでもそういうものを感じてくれたらいいな~
と、個人的に思っています。
ちなみにイベント当日は、裏方スタッフとして映像を担当することになったので
、
司会者・音楽と映像がずれた時は、心の中でこっそり
「リツずれてるじゃん∑(´д`lll;)」と突っ込んでいただければ幸いですorz
寒空、某所。いつのことだったかは、忘れた。
酔っ払ったわたしは3軒目で、女性よりも美しい男性が煌びやかなドレスに身を纏い
心の底から響く声で歌う店にいた。
彼(彼女?)までの距離、わずかに1メートル未満。10人ちょっとしか入らない、
小さな音楽バー。「いちばん大切な事は、いちばん大切なひとに、いちばん小さな声で届く」
そう言った昔の上司の言葉を思い出して、その距離感に、涙が止まらなくなった。
隣にはJunkStageの相棒、千映さんがいて、見て見ぬ振りをしてくれていた。
いや、「コイツ案外泣き上戸?」とあきれていただけかもしれない。
成人する直前に出会った彼女には、弱みを握られる一方だ。
数日後、新宿の地下の電波がたよりないバーにて桃生さんとスタッフ懇談をしていた。
Junkのみんなを呼んで、って言いかけたあと、
「文化祭がやりたい」
「イベントやろっか」 と、声が重なった。
ない頭で電卓を弾くわたしに、「金なら出す」とタバコ片手に言った姉御は、相当格好よかった。
「あのゥ、舞台がやりたいんですよ」
とりあえず専門家に相談しておけ、と思ったわたしが次に会ったのはクラシックコンサートを企画主催までこなす鷲見精一だった。
世間話をしていた鷲見さんは、見たことないくらい真顔になったあと
「Junkで…舞台…?」
「…もう、ホントにさー…」と、笑った。
咄嗟に実現性を計算したのであろう、と思ったのだが、鷲見さんは次の瞬間、また真顔に戻って言った。
「……すごいことになるよ。」
あのときの鷲見さんの表情には、いままででいちばん、オチた。オチたぜ。鷲見さん。
とりあえずは会場を探さなくてはならない。
他力本願で次に相談したのは、バスケバカの傍らバンドマンであり、お兄様は舞台俳優というフィルコさん。
クラシックとバスケの両方ができる舞台…
フィルコさんはおもむろに携帯を取り出すと、馴染みのライブハウスに値切り交渉を始めた。
もちろんトレードマークの、八戸弁で。
「いくらで」の「ら」にアクセントがあるところが、ポイントである。
主たる出演者を集めたキックオフミーティングで、突如仕切りのセンスを見せたのは
演出家であり舞台作家であるイトウさんだった。
必要な役割、コスト、手配などを淡々と説明していくイトウさん。
「で、つまりすごく重要なのは“総合演出家”ってことですね?!」
のわたしのひとことに、その場にいた全員の視線がイトウさんに集中した。だって、本業だし。
オトナらしく、空気の読めるイトウさんは、「えっ」のひとことを3分の1くらいで飲み込んだ。
もう自身とは何年来の付き合いかわからない舞台女優の帯金ゆかりが、そんなイトウさんの正面で力強く頷いた。
そんなゆかりを見てイトウさんは、もう一度「えっ」を飲み込んだ。
公演1ヶ月前には、整さんが切れ長眼鏡にびしっとスーツで、
コスト計算のわけのわからない資料を携えて現れた(さすがラサール→東大)。
淡々とコストと危機管理の場合分けを、これ以上ないくらい丁寧にする整さん。
その横で電卓を握り締める腐女子1名(握り締めるだけ)、
ゼロが書けないOL1名、割り算を筆算するときの記号がわからなくなるJunk代表。
「おまえら…」と絶句した整さんの表情は、危機感そのもの。
そんな整さんに「人さらい」の称号を与えられたわたしは奔走した。
DJをつかまえ、映像クリエイターをつかまえ、出演者を強引に新規ライターにする裏技まで。
当日配るパンフレットの編集は〆切直前の桃生さんに丸投げしたし、
広報は千映さんに丸投げしたし、おみやげ考案はクラモチさんに丸投げしたし、
当日の受付嬢は顔採用の上「着物でお迎えしない?」とセクハラまがいの発言をした。
元彫刻家のリツさん(家の庭は野生の美術館そのものだ)に「丸太を展示してください」と言って断られたが、それ以外はおおむねよくやった。と、思う。
気がついたら、Junkすぎてわけのわからないプログラムができていた。
それでいいのだと思う。
この日に多くの邂逅が生まれるであろうことを、わたしは確信している。
■綱渡り
「フィルコ様 ライター・スタッフミーティングをやりますので、出席の程宜しくお願いします。場所は~・・・。」
ライターとしてこのJUNKに世話になって約8ヶ月。2月の寒い夜のこと。
中だるみというわけではないが、忙しさにかまけて記事の更新頻度が落ち気味の俺に、こんなメールが飛び込んできた。
「とうとう来たか。」
こちとら不況の世を渡った中小企業のサラリーマン。「肩たたき」が執行されるときの雰囲気、臭い。嫌と言うほど見てきた。
規模、クオリティを拡大しつつあったこのWEBマガジン。どこから連れて来るのか強烈に面白いライターが続々と増えている。
同時に「入れ替え」も静かに進行していることを俺は見逃してはいなかった。
「ヤられる。間違いない。」
額に嫌な汗が滲んだ。「バスケの楽しさを広く世の中に周知させる」という使命をまだ全然果たせてない。俺はここで降ろされるわけにはいかない。だいたいにしてバスケはまだシーズン途中だ。ミーティングの会場についたとき、人生最高の土下座の準備は出来ていた。
乱れる鼓動を必死で抑え、冬でも陽気なウザいオジサンを装いつつ会議の席に着く。
雑談を交わしながら、秘技「亜光速土下座」を繰り出すタイミングを計る。ヤラれる前にヤル。それが俺の流儀だ。
そのとき、須藤代表の口がこっちを向いて動いた。今だ!亜光速モードON!!
フィルコ 「たいへんもーしわけ・・!!」
須藤 「舞台イベントをやろうと思います。フィルコさんスタッフで宜しくです。」
フィルコ 「ございま・・・・・・へ?(・¥・) 」
亜光速土下座を途中で停めるのは非常に危険だ。常人なら背骨が砕けているところだが、日々の激務(クレーム謝罪)に鍛えられた私は、かろうじて床を舐めることなく寸止めすることができた。
フィルコ 「ぶ、舞台?」
須藤 「そう、舞台!!読者の皆さんのために、ライターや、
違うジャンルの読者さん同士の交流の場を作りたいんです!」
全く想定外の展開だったがそこで焦る俺ではない。0.1秒で事態を飲み下し、さらに0.3秒でその先の行動を1000手ほどシミュレーション。
カタカタカタカタ・チーン!(昭和の表現)。チャンス到来とみた。
「ワタシ、バンドとかヤッテルのデ、ハコ(会場)トカ少しワかリマ~ス!コネもアりマ~スヨ!」
すかさず秘技「片言ハッタリ」を繰り出し冷静にその場を乗り切ると、あれよあれよと話は進んだ。
結局俺の役目は、ハコ探し(会場選びと交渉・セッティング)、ならびにバスケコーナーの企画、司会担当ということで、その夜の会議は終了。なんだか色々背負ってしまった感が無いでもないが、とりあえずクビは免れたらしい。
帰り道の遅い晩飯。スタ丼に餃子を付けた。
満腹感と安堵感で満たされたこの夜。後に大きな困難に見舞われることなど露にも思っていなかった。
突如現れた一筋の光に、「JUNKSTAGE」がなぜ「JUNK」STAGEなのか、俺はすっかり見失っていた。
■壁
大都会・東京には夢を抱えた人間が星の数ほど集まってくる。そしてその夢の数だけハコがある。
大きさは様々だが、だからこそ容易にぴったりのハコが見つかると思っていた。現に、今まではそうだった。
以前のバンド仲間で、今はレコーディングや音響の仕事をしているダチに連絡を取った。知り合いのライブハウスを幾つか紹介してもらい、担当者に会うところまでは何の問題も無く進んだ。まさにトントン拍子。いやトントントン拍子ぐらいか。むしろトトトン拍子かもしれない。
しかし、いいとこまで行きながら、なかなか最終決定に至ることが出来ない。いつも何かが引っかかる。
その原因に気づいたとき、俺は絶望の淵に突き落とされた。原因は出演者達の、まさに「JUNK」ぶりだった。
クラシック(ピアノ、チェロ、コントラバス)演奏で、車椅子バスケのパフォーマンスで、ぶっとび演劇で、お着物ショーで、写真で、サルサ歌い踊りまくりで、青年海外協力隊で、パティシエ修行で、フランス留学で、一夫多妻で、こんなに気持ちよく全方位に飛びまくった彗星達を、ひとつの舞台にまとめて輝かせるなど、そんな都合の良いハコがそうそうあるはずが無かったのだ。
しかも、お客さんにはゆったり楽しんでもらいつつ、ある程度の集客数(3桁以上)を見込まなくてはならんという。
ハコ探しは完全に壁にぶち当たった。きらびやかなショービジネスのジャングルで、俺は飢えた迷い狼になってしまった。
最初はあちこち調子良く吠えまくっていたが、結局はすべて断らざるを得なくなり、結果的にダチの顔も潰すことになってしまった。
自分の仕事の出来なさ加減にイラつく。難しいもんだ。
潤沢な資金があれば話は別なのかもしれないが、なんせこちらの手持ちは夢と希望と情熱だけ。
ギラギラした高度成長期の若者の気分だった。実際はヌラヌラしたおっさんなのだが。
■フラッシュバック
季節は春になっていた。
東京の桜は例年通りに咲き、通りは穏やかな光に満ちていたが、俺はといえばハコ探しの壁を超えられず、いまだ鬱々とした日々を送っていた。
珍しく仕事が早く引けた俺は、気分を変えるため長年世話になっている池ノ上のBARに向かった。
カウンターには悪友のミュージシャンがバーテンとして立っている。昔懐かしい話に、こっちもやっと花が咲いた。
バーボングラスを傾けながら、ヤツがリリースしたアルバムの話しになった。そのとき突然頭の中にある光景がフラッシュバックした。
広いステージ。吹き抜けの高い天井にミラーボール。グランドピアノ。大きなスクリーン。
あれ?どこだ?いいんじゃねぇかここ。
「あのさ、レコ発ライブって、どこでやったんだっけ?」
「吉祥寺だよ。スターパインズカフェ。忘れてたの?ひでぇオヤジだな。」
うるせぇ、お前同い年じゃねぇか。と思いつつ、すぐにスターパインズカフェのHPを調べ、早速メールを打った。
■決断
翌日、スターパインズカフェから早速返事が来た。内容について詳しく打ち合わせたいとのこと。
しちめんどくさい質問にもきっちり回答を入れてくれている。
こちらの都合で何度も日付や時間を変更してもらったにもかかわらず、担当の藤崎氏は快く打合せをセッティングしてくれた。
メールの文章も丁寧で細かく気遣いが行き届いている。これは相当に出来る人だなと、期待感は高まった。
打合せ当日、約束時間より少し早めに現地に着いた俺は、先に会場に入れてもらい藤崎氏を待った。
はたしてフラッシュバックは間違ってなかった。地下1階と地下2階の吹き抜けの会場。高い天井は、そのまま可能性の高さを示しているように思えた。
「いやいや、お待たせしましてどうもすみません。ブッキングマネージャーの藤崎と申します。本日はわざわざありがとうございます。」
程なく現れたこの丁寧な挨拶の主は、上から、リーゼント、細身のデニムジャンパー、でかいバックル、革パン、革ブーツ。
早速打合せに入ったのだが、人当たりが良くとても丁寧な説明と、それを発信する目の前の完全なるロッケンローラーとのギャップを埋めるのに、少々時間がかかった。
説明を聞けば聞くほど、仕様的に間違いないと思えた。一番の障害になっていた「ピアノを弾く同じステージでバスケもする」という無理難題も、ここなら何とかなるかもしれない。費用面は厳しいが、頑張りゃギリギリ何とかなりそうな範囲だ。
「行ける。」俺の腹は決まった。あとは首脳陣の同意だ。
その日の打合せは、店の概要、料金プラン、設備、など一通りを説明をしてもらい、
こちらの演目については概略を伝えるぐらいで終わった。
スターパインズカフェといえば、かなり名の通ったプロのアーティストもライブをやる人気のライブスペース。
早く日程を抑えなければいけない。こちらの希望は8月2日。多忙な出演者が全国から集結するため、ピンポイントだ。
すぐに日程を合わせ、代表の須藤女史と再度同カフェを訪れた。
資料をもとに費用や演目について確認し終えると、女史は目を輝かせて一言。
「ここがいい。ここでやりたいです。」
藤崎氏に日程を押さえてもらい、ついにハコが決まった。
一時はどうなることかと思ったが、どうにかこうにか格好をつけることは出来たようだ。
帰り道、スタ丼に餃子とビールを付けた。
注)実はこの時点で8月2日に先約を入れている方がいましたが、藤崎氏の対処と先方のご好意により、
日程を譲って頂いた経緯がありました。この場を借りてお礼をさせて頂きます。
ありがとうございました。
■狩り
その後何度か主要スタッフによるロケハンを行い、徐々にプランを固め、これを書いている今は追い込みだ。
ロケハンでは「受付でJUNKSTAGEと言えば、いつでも入れるようにしておきます」などと言ってもらい、
海のものとも山のものとも知れない団体に、ここでも大変良くしてもらった。実際かなり無理も聞いてもらった。
ライターの立場で言うのもなんだが、力を持たない一介のWEBメディアにとって、大変ありがたい話だ。
ロケハン、略さないで言えば、ロケーション・ハンティング。つまりこれは「狩り」だ。
ハコ狩り狼は、放浪の末に約束の地にたどり着き、仲間を呼んで狩りをすることが出来たのだ。
具体的に企画を詰める段階になると、スターパインズカフェとのやり取りは総合演出のイトウシンタロウ氏がメインになり、
俺はバスケ企画と司会に注力するようになった。ハコ狩り狼は、こうして役目を終えた。
しかし俺は忘れない。ハコ狩り狼として過ごしたこのハングリーな数ヶ月を。
ちゃらんぽらんな俺に力を貸してくれた多くの人々を。
そして俺は守り続ける。スターパインズカフェを一押しにしたもう一つの理由。
「わりと家に近いから。」
この秘密を。
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御礼
スターパインズカフェ 藤崎様 スタッフの皆様
青山・月見ル君思フ 朝河様 今関様
友人 高橋 尚行様
会場の決定までに多大なご協力を頂いた皆様、誠にありがとうございました。
おかげさまで、無事に第1回公演を迎えることができました。
私自身が動けるかは分かりませんが、本イベントも2回、3回と回を重ねていくつもりですので、
今後とも当JUNKSTAGEを宜しくお願い致します。
常夏トコナツおっぱおぱー!!
どうもどうもこんにちピョン!!
変態兼劇作家のイトウシンタロウですぼぎょーん!!
…はい。
皆様よくお分かりになりましたね。
そうです。
違います。
ぼぎょーんとか言いません、イトウさんは。
そして間違っても自分のことを変態などと認めません!
じゃあお前は誰かと問われれば、言わずもがなのオビカネなのでございます!!
HEYらっしゃい!!
本来ならここにはジャンクステージ第一回総合演出であるイトウ氏がつらつらとご挨拶だったり裏話だったりを書くはずだったのですが。
ちょっとそれどころじゃなくなりまして。
作劇が。
…執筆が。
本番までいよいよ1週間切ってるぜという今日この良き日(7月29日)、あたくしアンティーク臭漂う我が家でまだ見ぬ台本へ想いを馳せつつ、のんびりとかりんとうなど食しているのであります。
で、今イトウさんがマジで「食う・寝る・執筆」以外のことは断固拒否!!って雰囲気丸出しなので、バイトもせずすっかりかりんとう食うくらいしかやること無い私が急遽この記事を書くことになったんです!
と言っても、今回イトウ氏がジャンクステージ総合演出と演劇チームの作・演出を兼任するにあたり、何を書こうにも私はただまわりをウロチョロしていただけで、ほぼ何もしておりませんでしたのよ!
てへへ!…ていうかとほほ!
しかも。
何もしないならまだマシなものを、わたしってば本番10日前だというのに突然ゲロと下痢の集中豪雨に襲われ(Gの悲劇)まして。
頼る者のいない私はよりによってイトウ氏に助けを求めたのでありました。
帯「も…もしもし…イトウさん…たすけて…」
イ「…」
死にそうになり震えながら助けを求めているのになかなか助けに来ようとしないイトウ氏。
さすが執筆中!
イ「…何かあったらまた電話して」
いやいやいや何かあったから電話してんだってば!!
こんなにハッキリとオファーしてるのに!!
ギャグか!!
…という台詞もひどい吐き気で出てこず
帯「(ぜえ、ぜえ、ぜえ、)」
しばらく沈黙が続いたあと
イ「……(助けに)行こうか?」
この「行こうか?」という台詞のニュアンス。これ是非皆さんにも聞いていただきたかった。「コイツこのクソ忙しい時期に体調悪くしやがって…でもはっきりとは言えない、言える訳がない。」な意志露骨に飛び出しまくり。
もうそれこっちもビンビンに感じまくり。
けど今ゆかり家無き子レミ並みに身よりないから。
ほんとあなたが私の命の鍵握ってるから!!
マジ一刻も早く…しのごの言わずにさっさと来て…。
そんな私の必死の訴えと息遣いが功を奏したのか、1時間後に登場したイトウ氏。看病したというより苦しみ悶える私を観察しに来た、と言った方が正しいような気がしましたが、無事救急病院に私を輸送し点滴にまで付き合ってくれたのでありました。
そしてすっかり元気になった病院からの帰り道、「苦しんでいるゆかりが、ゾラという人が書いたナナという小説に出てくるすぐ性病とかにかかっちゃって最終的になんかよく分かんない病気にかかって真っ黒になって死ぬサタンっていう娼婦の子のその死に際似ていてとても(性的な意味で)良かった」という完全に私のキャパを突き抜けてる訳の分からない評価をいただきました。
その価値観、世界中でイトウさんだけだと思います絶対。
とにもかくにも具合良くなって良かったね!ハイそうですねほんとすみませんでした、これで執筆に集中出来ますねもう時間無いんで頑張って書いてください!おうそうだな!あははは!あははは…
と、大団円で終わったその2日後ですよ。
帯「もしもし」
イ「(ぜえ、ぜえ、ぜえ)…たすけて…」
きたーーーーーーーーーーー!!
恐れていたことが!!
あってはならぬことが!!! ああもうほんとすいません!!
それ絶対私のウイルスです!
今すぐ土下座したい。ひれ伏したい。
ひれ伏して且つ土下座したい。いっそいでイトウ邸に向かう私。
あのカンジ…病院行きは免れまい。 全身全霊嫌な予感でいっぱいになりつつチャリをすっ飛ばし、30分で到着するとそこにはGの悲劇に見舞われ過呼吸となり意識もおぼろげなイトウ氏の姿が。ああ!
リアルにひどい有様!!
大丈夫ですかイトウさん!?
するとイトウさん開口一番
「先日は…すぐに行かなくて…ごめん………思ったよりツライ…」
いや別にいいから!!
救急車こそ呼ばなかったものの、なんかもう仮死状態?ってカンジのイトウさんをタクシーに放り込み、病院へ。
しかしさすが大病院の救急外来はマジで一刻を争う患者にドクター達もてんてこ舞い、所詮急性腸炎レベルのイトウさんは「命に別状無いから」という理由であっさり後回しにされたのであります。
病院の廊下の粗末なベンチの上、手足しびれっぱなしでぶるぶる震えながら腹痛と過呼吸と戦い、さらに熱にうかされるイトウさん。
時々白目を剥いて意味不明なことを口ばしるイトウさん。
ちょっとコレ…ほんと可哀想だわ…。
なんか、可哀想もレベルを超えると蹴っ飛ばしたいとか言ってらんない。
ぜんぜんらんない。
萌えをはるかに越えた悶絶っぷり…。
正直人生でここまで「苦」な人を見たことが無かったので私もうっすらテンパッておりました。
おりましたけれども私なりになんとか励まそうと
「絶対ネタにするからね、絶対コラムに書くからね!この苦しみは無駄にはならないよ!!」
若干的外れなエールを送り続けたのでありました。
その後はやっとこさ診察してもらい、点滴を打ち、家に帰って丸1日熱と戦い…
で、あっさり1週間前ですよ。
ほんと…ほんと…イトウさんごめんなさい…(土下座)。
私のせいです、概ね私のせいです…!
この後、8月2日までの4日間がどうなるかは全く持って未知数ですけれども、とりあえず2人とも元気リンリンになったので、まあきっとどうにかなるでしょう!!
うん!
多分大丈夫!!
割と何とかなる!!
…ハズ!
ま、そんな裏事情も含めどんなモノが出来るか楽しみに来ていただけたらと思いますハイ。
おっとそれはそうと、せっかくなので最後にイトウさんに総合演出の立場でお話を伺ってみようとおもいます!
イトウさん、今回のジャンクステージ第一回公演を総合演出するにあたって最も大切なことって何でしたか?
「えー、いろいろあったんだけどやっぱ体調管理だとおもいます」
……うーん、ごもっとも。
たしか、4月になったばかりのころの話だったように思う。
月1回、編集スタッフはミーティングを行っている。
その場で代表の須藤が言った一言が、受難の日々の始まりだった。
その日集まったスタッフを前にして、須藤はまずにっこりと笑った。
須藤の笑顔は要注意である。それは大抵無理難題を押し通すときに発揮されるものだからだ。
身構えたスタッフに、須藤は前置きもなく「イベントやることにしたから」。
イベント??
目が点になる一同。寝耳に水ではなかったが、当然のように宣言されてびっくりした。
だが、驚愕はまだ続く。
さらに須藤は、これでもかというスマイルとともに一言。
「パンフレットも作るからね」 これが、嵐のような二カ月をもたらしたわけである。
***
須藤の要望は、媒体資料を兼ね、なおかつイベント当日に来場してくださったお客様たちにJunkStageを知ってもらう、興味を持ってもらえるもの、ということ。
編集のスタッフのなかで、紙媒体での編集経験があるのはわずか2名。スタッフがパニックになったのもあにはからん、というところであろう。
とはいえ作るからにはいいものを、を合言葉にわたしたちは動き出した。
パンフレットを作るには、まず台割というものを作る必要がある。
どんな構成でどんな印象でどんな紙で、どんな風の冊子が作りたいのか、を書いた設計図のようなものだ。設計図が一番大事だからと、あるときは新宿で、あるときは渋谷で、浜松町で、誰に何を書いてもらおうか、と頭を悩ませること数日。
この人に話が聞きたい、という意見の採用でインタビューを、この人の原稿が読みたい、という意見からコラムの執筆を依頼することが、決まった。
致命的に時間が足りない、とあえぐような気持で、ライターの皆さんに執筆を依頼。
「2週間で書いてください」
そうとう無茶なお願いだったのに、誰も「いやだ」とは言わないでくれた。
多忙な中でインタビューを受けてくださった方たちも、快くド素人インタビュアーのおっかなびっくりな質問に答えてくれた。
***
これで中身はできた。次はデザインである。
今回の冊子のコンセプトは「手に持ってかわいいもの」。
天才好きの須藤をして天才と言わしめるDTPデザイナーの田原さんと御相談しつつ、デザインを決めた。女性陣が8割を占める編集スタッフのこだわりで、A5サイズ、マゼンダピンクをアクセントにしたポップでお洒落で、でもJunkらしい冊子はこうして次第に形になっていく。
原稿の誤字脱字チェックと並行して探していたのは印刷所。
清貧運営されているJunkStageはハッキリ言って貧乏である。
低予算で、でもかっこ可愛くて、という欲望丸出しなお願いをかなえてくださったのはカワチヤプリント様。数回に及ぶメールのやりとりのなかで、「わたしたちもいいもの作りたいですから」と言ってくださり、それを形にしてくれたときの感動。
***
そして、出来上がったのがこの冊子である。
▲見開きの1ページめ。かなり、格好いい。
パンフレットの右上には、田原さんが「ついでだから」とデザインしてくださった新しいJunkStageロゴが踊っている。ポップでスタイリッシュで複雑に絡み合った人間模様を象徴する、あたらしいJunkStageを象徴するデザイン。
スタッフのひとりが、「この冊子を見るためだけでもイベントに来る価値があるよね」といったが、それは決して身内贔屓だからではない。
このパンフレットをやっとみなさんにお届けできることを、スタッフ一同誇りに思っているのだから。