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2011/03/06
 
東京は梅がきれいに咲いております。フィルコです。こんにちわ。
私の花粉症は4月からのタイプなので、それまでの期間は2~3月ピークの皆さんに対し、優越感をもって過ごしたいと思います。
 
 
さて今回の【BBE】バスケ・バカ・エッセイはのテーマは「感ずべきこころ」
エロ話ではありません。楽しいバスケの話です。
 

バスケの「楽しい」って、何ぞ?

これを書き出すと本当にキリがなくて。

バスケの楽しみ方って本当に人それぞれで、それこそ星の数ほどあると思います。まあ、それはどんなスポーツにも言えることだけんど。

「勝つからこそ楽しいんだ」なんて真顔で仰る方も多いですし、そりゃその通りと思いますが、プレ-の一つ一つ、単なるドリブル、パス一つとっても、そこには無限の楽しみ方があるわけで、殊に東京アパッチのブースターになってからは、見るバスケとして「肩の筋肉の動きのセクシーさ」とか「フリースローを打つ前の深呼吸のセクシーさ」とか、そんなセクシー中心な見方があることまでも教わりました。誰からとはいいませんが(笑)。

 
世の中は広うございます。これはもうバスケットボールの表面のツブツブを眺めているだけで身もだえするほどに楽しくなってしまうという変態感受性の強い方や、皮と皮の間のミゾにとてつもないエクスタシーを覚えてしまうど変態素晴らしい感性の持ち主も必ずやいることでしょう。いやそれはもうフェチズムの域か(笑)
 
「何事まれ、感ずべきことにあたりて、感ずべきこころを知りて、感ずる」

とは、私の座右の銘だったりする江戸時代の偉いオッサンの言葉ですが、これってまさに本質的なことだと考えています。

沢山のバスケ馬鹿の方が、どうにかしてバスケをメジャースポーツにしようと日々粉骨細心東奔西走五里霧中しておられます。私自身はてんでアマちゃんで、実はここで「バスケバカ」と名乗るのもカナリ恥ずかしかったりするのですが、見たり聞いたりしてきたことから考えて、今必要なのは「感ずべきこころ」を育てること、その機会を出来るだけ沢山作ることだと思うのです。

それは、バスケ自体のハードウェアやソフトウェアなどの「感ずべきこと」の問題というよりは、人によっては「スポーツ文化」と呼ぶものの問題です。

かの神マンガ「スラムダンク」は、まさに「感ずべきこころ」に訴えかけた作品だったんだなと、この年になって改めて思います。私は、最終巻の山王戦「セリフのないラスト数分間」がとても好きです。

本当に全力で戦った試合の記憶って、あの風景そのもの。

スライドショーみたいな断片的な記憶。音は、全く無いか、自分の息遣いだけ。淡い色彩。タイムアップした瞬間の、急にボリュームを全開にしたような歓声。作者の井上氏はその風景の殆どを、コートの中の視点で描いています。たぶん一緒にコート上で戦っていたのかと。

あのシーンを読むことで、限界ギリギリのバスケを見事に追体験できるのですよ。私なんか今でも血が熱くなるのを感じます。バスケの楽しさ、「感ずべきこころ」を知る教科書の好例だと思います。ああ、これを話し出すと終わらなくなるのでヤメ。続きはまた今度。

bjリーグがスタートした2005年以降、いろいろな地殻変動が起きて、各地で子供達が直接バスケに触れる機会が増えています。沖縄と仙台では子供達の将来の夢として、ついに「プロバスケ選手」が登場したそうです。これは何よりも実現したかったことの一つで、関係者の皆さんは本当に嬉しかったんではないでしょうか。俺でさえめちゃくちゃ嬉しいもの。

なので、

「感ずべきこころ」を育てる機会を地道に増やしていくこと、さすれば、おのずと道は見えてくるのではないかと。

ただ、

ボールのツブツブを撫ぜて恍惚としている子供を見かけたら、「それはもう少し大人になってからにしましょう」と注意をしてあげた方が、その子の健全な成長のためにはいいかもしれません。

そのまま成長を見たい気もしますが(笑)

 
 
2011/02/20

先日、4人もの日本人アーティストが同時にグラミー賞に輝いたことに触発され、この4年間で初めて週間JUNKのトップに輝いてみたフィルコです。こんにちわ。愛してるぞ上原(ひろみ)。

今週からちょいと趣向を変えまして、軽めの「バスケ・バカ・エッセイ(略してBBE)」的なことも書いてみようかなと思いましたので書きますけどいいですか?いいですよ。じゃ書きます。
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「楽しくなくちゃスポーツじゃない!」

なーんてことは良く聞くフレーズですが、殊、この国でそんなコトが言われたのはいったいいつぐらいからなんでしょう。いや、まさに私自身そう思うし、そうでなくてはならないと思っています。勿論バスケについても同じで、本コラムでも口を酸っぱくして、それはもう5秒おきぐらいに繰返し述べてきたのは紛れもない事実です。

ワタクシ自身のことを省みてみますと、中学生あたりからそういう考え方を耳にするようになってきたのかな。あー、でも小学生の時にキャプテン翼ブームが起きて「ボールは友達!」ってものあったな。なんとなく「スポーツは楽しげなもの」っていう感覚は、そういえばそのときにはあったなぁ。

いわゆる団塊Jrのど真ん中ですので、これはだいたい1980年代の中ごろの話。この国がバブル経済に突入し無双JAPAN状態になり始めたころですな。


Photo:いわゆるジュリアナ

日本人が「楽しむことへのうしろめたさ」を持たなくなったのは、ちょうどこの頃と言われています。テレビのお笑い番組やエロ番組が、ある種のうしろめたい空気を少しも纏わなくなったのもこの頃。おおっぴらにお金儲けをして、めいっぱい誇らしげに楽しんだりお洒落したりすることに、照れがなくなったのもこの頃。キーワードは、ワンレン、ボデコン、イジリー岡田

今時のヤングなエブリワンには分りにくいかもしれませんが、それ以前、多くの日本人にとって、「楽しむこと」はちょっとだけ「申し訳ない」という気持ちとセットになっていたのだよ。それは子供心にもはっきりと理解されているものでした。

どういうイキサツでそうなったのかは、私にはわからん。「兵隊さん達が必死に戦っているのに」なのか「神様より楽しんだらバチ当り」のか、とにかくそうでした。質実剛健、質素倹約をヨシとする我々にとって、スポーツは鍛錬であり修行であり武道であったので、「楽しむ」ということはどちらかと言えばタブーに近いものだったんでしょうねぇ。スポーツとは「歯を食いしばって耐えるもの」。今でも体育会系文化にはそういう空気が色濃く残っています。あ、これは良し悪しを言ってるんじゃないのであしからず。

でもね、私は思うんです。みんなちゃんと楽しんでたよね。だって本質的に楽しいもの、スポーツって。じゃなきゃ続くわけがない。

ものごとには本音と建前があって、それはたまに悪いことのように言われることもあるけど、建前は社会のためで、本音は自分や大切なひとのためで、矛盾や不条理がデフォルトの世の中で、ものごとを続けていくための知恵の両輪ですわね。2面性はあっていい。っていうかなきゃ生きていけん。生まれた場所や皮膚や目の色で、一体この僕の何が分るというのだろうと、甲本ヒロト神もおっしゃっているではないか。これは関係ないか。


文化的にどうもこの国にあまり根付きそうにない「スポーツ」が、曲がりなりにも一応の根をはっているのは、きっと「ホンネとタテマエ」がちゃんと機能していたからなんでしょうね。

そう考えると今は随分何事もストレートになったなぁと思うことが多いです。好きなら好き、嫌いなら嫌い。だからこうしていい年になったバスケ馬鹿が満面のアホ面で「ちょー楽しい」とか言っていられるわけですが(笑)。ただ、分りやすくて便利になった反面、グレーな隙間が無くなってしまうのはちょっと寂しい気もします。何事も。

と、この国の過渡期に青春を過ごした、とっつぁん坊やのたわ言でした。

歯を食いしばって「苦しい」って思いながら、実はその中にひそかな楽しみを見つけたりする不健康な喜びも、スポーツの魅力の一つだよねぇ。

女子部活の体育会系サバサバの裏側に垣間見る、ちょいお耽美な雰囲気とかね。

うへへ。