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歴史オンチが歴史を語り過ぎても
間違いがあってはいけないのでこの辺で食。
前菜にフムスは2種類以上、サラダも2種類以上。
一般的なひよこ豆のフムスを食べてビックリ。
今まで自分が作っていたフムスは完全に間違っていた!
と思うくらい滑らかでクリーミー。
必ず出てきた茄子のフムスも、魚系のフムスも、
どれも滑らかで美味しいです。
サラダは代表的なパセリ、ミントとトマトを細かく刻んだタブレ。
そしてもう一つの絶対出て来るファトゥーシュ。
パリッと揚げた薄いレバノンのパンと野草がいっぱいで
甘酸っぱく味付けされているサラダは私の大のお気に入りです。
その他にも、ひき肉と米をぶどうの葉っぱで巻いたものなど、
本当にたくさん。
続いて温かい前菜。
チーズを巻いて春巻きのように揚げたもの、揚げ餃子のようなの、
この日は魚のメニューだったので小魚のフライ。
ひき肉のコロッケ。
ジャガイモのフライも必ず、そして魚を丸ごと揚げたのが
この日のメインでした。
肉の日は、
肉と米を煮込んだものにグレービーソースのようなのをかけて食べたり、
平べったいレバノンパンにグリルしたスパイシーな肉を包んであったり。
とにかく食べる、食べる、タベルーーーーーー
もうはちきれそう、、、とメインが終われば、
隣のテーブルにフルーツとデザートが用意され、
さらに食べます。
レストラン行くなら一日一食で十分まかなえます。
レバノンで食べた印象は、
全体的にレモン&ハーブを多く使い酸味が強いのとフレッシュ野菜が多い、
あと、カリカリクリスピー感がお好きなんだと思いました。
うちの子供たちが喜んでオーダーしていたのが
こちらのミントレモネード。
生のミントを氷と一緒にミキサーで回しレモネードで割ったもの。
爽やかで美味しい〜
さてやはりこの辺でちょっと歴史に戻りましょう。
先日は北東のシリア国境近くまで行きましたが、
今度は海岸沿いを南へ下がります。
海が綺麗。
国境に近づくとパレスチナ人住居地が。
もう一角が囲われた、独立した町のようになっていました。
あの山の向こうはイスラエルです。
一方的にイスラエルひどい、、、なんて思っていましたが、
ガイドと話をしていると、
「昔俺は子供を連れて空港なんか行けなかったよ。
パレスチナ勢力が強かった時は、クリスチャンだと迫害されたし、
子供の誘拐まであったからね。」
と、近代史も色々あるようです。
さあ古代に戻ります。
ティルス(Tyre) まで一気に下がるとまたいっぱいあります。
エシュマンの寺院、フェニキア人のヒーリングの神様が祀られたところ。
蛇の彫り物があり、今でも薬屋が蛇を使うのはここから。
毒が薬になるの原点です。
ティルス(スール)は紀元前約2500年前ほどに栄えたフェニキア人の都市。
紀元前1000年には首都となった地。
フェニキア人のネクロポリスがあるのですが、
その後に来たローマ人などのモザイクもたくさん。
「もう何千年前とか何百年前とか、頭が混乱する」
と漏らすとすかさず
「この門をくぐると300年の差があるよー、ついて来て!」
とガイドのエリオスさん。
2万人を収容できる競技場。
ここで青と緑のチームに分かれ、小さな馬車でのレースが行われていました。
各色のボールを10個持ち、一周ごとに真ん中の井戸ほどの穴に入れ、
入らなかったらカウントされないと、
2万人が賭け事をして楽しんだそうです。
海沿いへ行くとまた神殿。
神殿の床の上に古代ローマのモザイクがあり、
また違う勢力によりモザイクの上に大理石が敷かれ。
2018年、私がその上を堂々と歩く。
周りに水の道があるので浴場があったのでしょうが、
この大きなスペースはプールのようにも見えますが、
何なのかまだわかっていないそうです。
少し北へ上がりシドン(サイダ)へ。
十字軍の海の要塞。
フェニキア、バビロニア、ビザンツ、古代エジプト、カルタゴ、アッシリア、古代ローマ、アレクサンドロス大王、、、、、、
などを経ると
「え?十字軍?最近よね??」
と勘違いしてしまいます。
歴史の勉強をもっとすればよかった。。。
さて、このシドン(サイダ)。
ここも古代からの都市なんですが、今でも活気のある都市です。
町の入り口は建具屋さん、
地震対策で建物同士を全て繋げて、迷路に迷い込んだ感じ。
スパイス、ナッツ、オリーブ、ぶどうの葉の漬物、石鹸など。
この後石鹸ミュージーアムも行ったのですが、
シリア同様、この辺も石鹸を作っていたそうです。
パン屋さん。
神戸の元町は一本ですが、
ここはそれが迷路状。ガイドと一緒に行ってください。
そして
「ラッキーだよ!一般公開してないのに開いてる!」
と入らせて頂いたのが聖ニコラス教会。
向かいに小部屋があり正面に絵が。
「サン・ピエトロだよ。今から西へ行くと決めたのがここ!!!」
と言われ、ピンとこなかったのですが、
え?
サン・ピエトロ?ヴァチカン???
歴史を歩いてるとジワジワ感じます。
迷路の中にこんなに綺麗に再建出来るものか!と思うくらい、
地元の富豪が立て直したソープミュージーアム。
そして別の富豪の別宅も見せて頂きましたが、
外からは全くわからない世界でした。
この他にも、北の海沿いの最古の都市ビブロス。
アルファベットの元になったフェニキア文字の発祥地、
バイブルの語源となった地。
「最古の都市っておかしくない?ここ??」
と質問したメキシコ人に対してガイドの返事は、
「現在にも形として残っている、そして現在まで都市として栄えた最古です。
歴史はまだまだ未知の世界」
との答えでした。
また、ハリッサの山の上から海岸までのケーブルカー&リフトは
高所恐怖症の人は先に申し出てくださいと言われたくらいのスリルで
景色バッチリでした。
そしてまだまだ飛ばしてはいけないのが、
ジェイタ洞窟!
撮影禁止なので写真はないですが、
ジェイタ洞窟、レバノン、で検索してみてください。
素晴らしいです。
と7日間の旅、書ききれない興奮が冷めやまず、
最後のレバノン出発。
「車を2時に用意しておきました。」
とホテルから。
3時間以上前、空港からも近いし、早くない???
と思いながら着いた空港。
私が甘かった、おそるべしベイルート。
搭乗ギリギリ間に合ったくらい、きっちり3時間かかりました。
小さな子供を3人、4人連れた家族が多くいたのですが、
みんな優しいのです。
西欧社会で「お先にどうぞ」は通じないんだとイタリアに住み続け思っていたけど
ここはやはり東なのか、
子供を抱っこしながらでも「どうぞ、どうぞ」なんて言われます。
どれだけ並び続けても、子供が泣き叫んでも、
イライラしてどうしようもない人はいないんですね。
また長くなりましたが、
レバノンへ行かれるならベイルート発のツアーがたくさんあるので
ベイルートを拠点に動けます。
参考までに、
私たちがお世話になったガイド付きツアーは、Kuruban Travel
英語のほか、フランス語、ドイツ語でも詳しくガイドしてくれます。
そしてもう一つ最大にお世話になったのがフェニキアホテルベイルート
全てが最高としか言いようがありません。
ここの人たちを見ていると、自分の態度を見直さないと
と思わされるほどでした。
後もう一つ、遺跡地区を色々と回りましたが、
各地から出てきた埋蔵文化遺産のほとんどが、
ベイルートにある国際博物館に収めてあるので必ず行くことをお勧めします。
最古のアルファベットを掘った石棺もここにあります。
載せきれない写真がまだまだ山のようにあるのが残念、
そして行けなかったところがまだまだあるので、
是非また行きたいと思います。
もっと歴史の勉強をしてから。。。
前回、とうちゃんレバノンへ行くと書いたのですが、
帰ってきたとき
「すっごいよかったーー!!想像と全然ちゃう!」
と土産物と土産話がとても羨ましかったのですが、
ふふふ、チャンスが来ました。
再度とうちゃんにレバノン行きの仕事が入り、
それなればと私たちの分も!とチケットを取り行って来ました!
「バカンスはどこへ行ったのー?」
がこの辺の合言葉のように夏の間交わされるのですが、
「今からレバノン行く」とイタリア人に答えると、
大体が、
80年代に内戦応援に行ったとか、
シリア、パレスチナで戦争やってるとか、
レバノン人を見たら泥棒だと思えだとか、
アラブは顔と裏腹で何考えてるかわからないだとか、、、
散々な答えが返って来たのですが、
皆さんはどのような印象をお持ちでしょうか?
私もアラブの地は初めてだったので
肌を出して歩いてもいいものか?
宗教などの話をしてはタブーなんだろうか?
テロがまだあると聞くけど、子供を連れて大丈夫だろうか?
などは頭をよぎったんですが、
それより、
歴史オンチなかあちゃん、
子供達が一生懸命勉強していて横で覚えた
「フェニキア人、船の達人達、紀元前15世紀の都市を作り上げた」
そこへ実際に行くかと思ったらワクワクが止まらないままいざ、
ベイルート着陸態勢、
思っていた以上に都会〜〜〜
和やかにビーチでくつろいてる人達、
大丈夫。
ホテルから丁寧に車を用意しておいてくれて街中のホテルへ移動。
ベイルートは全く普通の都会でした。
それ以上に人の、応対の仕方がとても丁寧で親切で
イタリア(の田舎)慣れした私には新鮮!
街中をブラブラ歩いたりもしましたが、
こんなショートパンツでも問題なかったし、
歩道に椅子を出して座っている人たちも
歩く際には足を引いて通してくれる、
当たり前だけどなんだか目に見えない親切心が。
こんな銃弾跡が残っているのも事実。
なんだか心が痛みます。
がレバノン人、
「レバノンは人が行き交う場所なんだよ。
この地には7つの都市が眠っている。
掘ればいくらでも歴史が出てくる。
誰かが来て色を塗り替え、自分のものだと言ったら
また違う誰かが来てそうする。
現在は代表的なものだけで18以上の宗教がレバノンだけであるけど、
お互いが尊重しあい、愛し合い、
良いことをすれば良いことが必ず返ってくる。
内戦もね、長く続いたけど、
他の力が働いたから長くなっただけで、
レバノン人はレバノン人同士を殺しても意味がないと思ってたよ。」
と。
さあ2日目から4日間連続で歴史ツアーへと出発。
絶対見たかったバールベック。でっかい!
ここは一番残った神殿なだけで、敷地はとても広いです。
ガイドの説明はとにかく最初から最後まで、
フェニキア人が3と6の数字にこだわっていたかという事。
神殿の柱の数、建物の土台の数、形、何から何まで
3と6が鍵になっていました。
転がっていた柱のかけら、娘の身長140センチ。
フェニキア人といえば船、レバノン杉を使って船を作り、
杉を輸出して外壁に使う巨大な石を船でエジプトから持ち帰り、、、
嘘のような話です。
「ヨーロッパ人がアフリカ大陸を1周したとか残してるけど、
フェニキア人はそれより何千年前に3周もしてるんだ。」
だそうです。
ヒットラーはここからシンボルを取った。
風化してもまだ美しさが見える彫刻。
素晴らしいです。
ですが、
建設途中で他の勢力に堕ちています。
掘りかけの彫刻。
ビザンティン、古代ローマ、アラブ、、、
色々な勢力がここを順に牛耳りました。
5000年の歴史、熱が出そうです。
ここのもうちょっと先はシリア。
車の中から見えたシリア難民キャンプ。
つらつらと幾つも見えるのですが、それでもほんの一部。
現在レバノンの人口は7百万人、
内レバノン人が4百万人、パレスチナ人が百万人、シリア人が2百万人。
難民とはいえまた貧富があり、高原に家を建てて住んでいる人も沢山だそうで。
バールベックでお腹一杯なんですが、続いて行ったのがアンジャール。
いきなり紀元後8世紀。ウマイヤ朝時代カリフワリード一世が
たった10年で建てた都市です。
見栄え良く神殿を作ったのは反感買わないためだけ、
信仰心がなかったんだよとガイドの言葉。
湿地帯だったのを、樹木を植えて水を吐かせたり、
地震対策の石の組み方だったり、、、
どれだけ壊れても、アーチだけは残るんですね。
とそろそろ疲れたかあちゃんとは裏腹に、
「楽しいヨーーーー!」
と道端にいたラクダに乗って行ってしまう娘たち。。。
長くなるので次回に続かせていただきます。
かあちゃん、
モンタルチーノ時代は薪ストーブ、
現在は暖炉と10年以上、冬が来るたびに火をつけ続けています。
日本に暖炉のある家庭は少ないかも知れませんが、
キャンプなどで火をおこす時、
下からつけていませんか?
細い燃えやすいものから燃やして、
後からだんだん大きな木を足して、
燃え上がるまで空気を入れたり、
燃えやすいものをまた足したりと世話が焼ける。。。
私も10年以上そうやっていました。
煙をモーモーと出しながら
当たり前だと思い込んでいたこのやり方、
ときには(しょっちゅう)消える原因を
「木が湿っている!」と木のせいにしたり。
だけど今年の秋、
ふと目に止まったこちらの友達の投稿。
スイスのある科学者が
「火は下へ下がる」
と説明しているビデオ、
淡々とした口調で、
「燃え上がるのは炎であって、
火自体は下へ下がるので火は上からつける」との事。
で今年からはこれ。
暖炉が小さいため、斜めに置いてわかりにくいですが、
下から太い順に、縦横格子に隙間なく積み上げ、一番上で小さく燃やすのです。
わかりますか?
太い薪を縦に並べ、その上に同じ幅で今度は横向きに。
順に薪を細くしていき縦横を同じ幅で繰り返し一番上で燃やすんです。
このやり方、本当にすごいと思ったのは、
炎が上なので煙が少ない!
そして落ちた灰もまた萌えるので残りカスが少ない!
そう環境に優しいし煙突も汚れない、
何しろ、つきっきりにならなくても
消えない!!
目から鱗です。
どれくらい燃やすかを計算しながら木の太さと数を選び、
一度つけたらもう付けっ放し。
割り忘れたのか?と思うような太い薪でももう怖くない!
木が不揃いで時々コロンとかけらが落ちると危ないので、
手前には水を張った鍋や具を入れた鍋を置いておくと、
楽チン晩御飯の出来上がりだし、
いつでもあったかいお茶が飲めます。
グリルやパンのトーストだって網を乗せればオッケー。
ああ、手抜きって楽しい!
ありがとう、スイスの科学者さん!
皆さんも是非お試しを。
春ですね〜、、、
と言いたくなるような天気が続いている
南トスカーナのブオンコンヴェント。
眺めるだけで時間が、日々があっという間に過ぎていきます。
子供達は相変わらず
馬に夢中で、
ひとりぼっちのかあちゃん、
カメラ片手に何も持たず、
気ままに歩きに出ました。
えへへ、こんな景色を独り占め、いい気分。
周りには何もありません。
なんでしょう、
音もなく、誰もいない世界を楽しんでいると、
自分の陰を見るだけで楽しくなってきます。
あんまりにも綺麗なので、
草をかき分け池まで降ります。
でも、かき分けてはいけませんでした。
ビックリした野ウサギが!キジが!
バタバタとすごい勢い&迫力で逃げていきます。
一人ではありませんでしたね。
見えていなかっただけで、
自然の中でそれぞれ共存している所へ、
挨拶もなく入り込むかあちゃんは、
無断侵入者でした。
池の周りをぐるりとしてみたかったけど、
このままエゴを通して
ヘビやイノシシに怒られても怖いので、
ゼエゼエ言いながらまた登り、
なるべくトラクターの跡がある所を歩いて行くと、
いつの間にかどなたかの畑の真ん中に。
あらら、完全に不法侵入者な私。
が、まあ誰も咎めたりしないので
ここは本当に一人っきりで畑を突っ切りました。
広いですね、一人って余計に広く感じます。
やっと見慣れた道が見えて来た!
変な道を通ったから、誰だ?と見回りに来た馬達。
怪しいものではありませんーーー
ただいま〜
はー、
ちょっとひと周りしただけで、
地球の一片を歩いたかのような気分になれる私は、
かなり得な性格なんでしょうね。
かあちゃんが地球冒険している間に、
ずっと馬のお世話をしていた子供達。
田舎暮らしはドキドキワクワクが止まらない、
なんて話を興奮して喋る私に、
「あー、あの道?よく馬で通るよ」
と、軽く言われてしまいました。
さて、
毎日流されるように生きていた大阪生活を捨てて
イタリアの田舎生活を始めた私とは違って、
子供達はこの田舎が育った所で、
何回かは帰った事があるけど、
そうそう覚えていなかった日本、大阪。
どう感じたのでしょうか?
駅で入ったトイレから、
「おしりボタンの何処押すの?」
との声。
ほとんどひらがなしか読めない娘達、
読めたのは「おしり」だけ。
日本にはウォシュレットがあるとはもう知りましたが、
こんなサービスが公衆の場にあるなんてと
やはり感動。
12月に携帯を手にしてから手放せない長女、
でもこんな光景をみて
「ゾンビみたい」とつぶやく。
イヤイヤ、
あなた同じだから。。。
誕生日プレゼントにと長女を連れてUSJへ。
行きの電車だけでハリーポッターに出会えて大感動!!
大興奮押さえきれず到着、
人、人、人、、、、
どこもかしこも人だらけで、
携帯に出て来るwiーfiの多さに「信じられない」と。
小さい頃から遊園地が身近にあった私とは違い、
すべてが新しいもの。
3Dのアトラクションに乗っただけで
「あああああああ、、、、」
と今度は私の方が信じられない長女の声。
せっかく入場したのに、
いくつかの乗り物に乗っただけで
「もういいーーー」と。
冷静になってもう一度ハリーポッターへ。
冷静に見てはいけなかった偽物の岩や丸太に、
日本語を喋るハリーポッターに魔女ぶる係の人達、
1000年ほどもそのままの街に育った彼女には
すべてが作り物に気がついたようで。
あちこちにあるラーメン屋さんを見かけては、
「ラーメン食べたい!」と入ってみたものの、
私が作るなんちゃって野菜ラーメンとは違い、
「重いよ、、、」と食べ残し。
だけど母が連れて行ってくれた、
中華料理屋さんの中華料理は
「あれも、これも!」とバクバク食べる。
これも初めて観覧車。
ブオンコンヴェントの一番高い建物が7階建てで、
グラッタチエッロ(空を削る)って名前がついているのですが、
「あれは削らないね」とつぶやくと同時に
「本当に緑がないね」ともつぶやく。
せっかくだからと家では和食を用意してくれた母ですが、
子供達がだんだん食べなくなって来た。
なんでだろう???
もしかして???
と、持って来た絞りたてのオリーブオイルを
食卓に置いてみると、
ごはんから納豆、
失礼ながらおかずや刺身にまでダバダバとかけて
「あ〜美味しい〜〜」
と食べ始める。
「都会でショッピングするの楽しみ〜」
なんて言っていても、
やっぱり動物を、
生き物を、
自然を探し求め、
そこから離れようとはせず。
ちょっと旅に出た宮島。
神社について、神様について、
聞くものをなるべくイタリア語を混ぜて
通訳、解説してまわると、
「神様を感じるよ」と感動。
ホテルに着いたらまず大浴場。
「これ、家にあったらなーーーー」
って、ムリです。
浴衣を大層気に入って、
鏡をなんども見直して、
部屋へ戻ると夕食が!!!
「信じられない〜!こんなの最高!!」と。
イタリアとは違って、
臭わない牡蠣に
「牡蠣、大好き!」になり、
ホテルの方達の笑顔のサービスに
「イタリアだったら裏がありそう」とまで言う。
毎日がんばった鉄棒で逆上がりが出来るようになり、
おばあちゃんと行ったプールで50m泳げるようになり、、、
最後の1週間ほどは、
「イタリアに帰りたくなーーい。
このままここで
毎日おばあちゃんのご飯食べて、
お風呂に入って
お布団で寝たいーーーー」
と毎日毎日。
「ま、ここに住むと学校行かないといけないけどね。」
の一言に現実に戻り、
トスカーナへ帰ってきました。
「遠くまで見えるよねーー。
大阪なら家、家、家で、このスペースはないね」
と。
将来はこのスペースに自分の家を建て、
おばあちゃん家の縁側と
肩まで浸かるお風呂と、
畳にお布団、庭には鉄棒を置くそうです。
なんとも将来が楽しみなかあちゃんです。
あああ、、、
日本が近づく〜
と、誰も聞く事がない心の叫びの一枚。
みなさん、遅いご挨拶ですが
開けましておめでとうございます。
かあちゃんは年末年始を16年ぶりに日本で過ごしておりました。
実家へ帰ると必ず言われるのが、
「自分の荷物の整理してよ!」なんですが、
今回ビックリしました。
イタリアへ渡る時にかなり整理したはずが、
まだまだ山のように自分のものが。
それも、幼少の頃の思い出はすべて捨ててあり、
あったのは思春期以降のガラクタコレクションばかり。。。
親の恩恵の上で生きてきた自分より、
自分の足で生きたんだ!とでも言いたかったのでしょうか。
その結果がガラクタだらけで
我ながら吹き出してしましいました。
ちょうど自分が、
子供達の年齢の時の思い出がなく残念でしたが、
そのかわり、
母と一緒に、
昔歩いた道々を歩き回り、
小腹が空いて買い食いをしたり、
馴染みのうどん屋でいつもの鍋焼きうどんを食べたり。
長年のブランクに、
最初はお互いギクシャクでしたが、
一緒にいる時間が増えると
閉ざしていた心が溶けるような。
帰国一週間後が私の誕生日でしたが、
我が家恒例の家でのお寿司で祝ってもらい、
正月用のあんもちを買い出しに行ったり。
母にとっては毎年の同じ事でしょうが、
母と一緒に歩き回る私は、
母としての母をじっくり観察タイム。
子供のとき、初日の出観に行ってたよね、
一緒に行こうか!
と山へ登り。
子供の時は、
「早朝からしんどいよ〜」
と思っていたけど、
改めて「素晴らしい事だ」なんて思ったり。
元旦の朝から、
いつもの近所の神社へ初詣へ出かけ、
孫達のこんな姿をどう見てたんでしょうかね?
長い長い反抗期に終止符を打つかのように、
母と一緒に、
母に喜んでもらいたい、
と思って帰った私ですが、
一緒に居て気がついた事は、
外れかけたマフラーを巻きなおされたり、
歩く後ろからコートの裾をなおされたり、
バスの下車時に「小銭がない!」と焦る私に
ちゃんと用意してくれてあったり、
何かと世話を焼かれ、
それをそのままされてしまう私。
末っ子はいつまで経っても末っ子で、
かあちゃんはいくつになってもかあちゃん、
変わらないんですね。
今回は日本も冬休み中。
姉達家族も合流して、
全員が顔を合わせるのこれが初めて。
嬉しい楽しい幕開けとなった2017年、
同時に、
もっと帰るべきだな、と反省。
知らない国への旅行もいいけど、
やっぱり、
里帰りって最高!!
数週間前の状態。
火薬を仕込んでいるわけではありません。
秘薬を塗っている魔女でも、
爆弾を作っているわけでもありません。
もうすぐお姉ちゃんの誕生日。
モンタルチーノからブオンコンヴェントへ引っ越して来た年から
クラスのみんなを招待して誕生日会を開くようになり、
せっかくのパーティー、
ピニャータいるでしょう??
ピニャータ、
私が16歳の時にアメリカでお世話になった家族がメキシコ系で、
祝いの場にはこのピニャータが必ずありました。
庭の大きな木に紐で引っ掛けて、
紐の端をお父さんやおじさんが動かして、
上下に動くピニャータを、目隠して棒を持った子供が
叩いて割って中のキャンディーが落ちるのを待つ。
周りは「もうちょっと前!右!行き過ぎ!!」と、
スイカ割りの要領。
家族、友人が集まった楽しい思い出の一つです。
メキシコでは本来、宗教的な意味があるのですが、
元々を辿ると始まりはイタリアだとか。
でもこの辺では見かけません。
で、
イタリアの子供達で試してみたら、、、
やっぱりめっちゃ盛り上がる!!
ついでに作る私も年々盛り上がる!!!
去年はピアノに夢中になっている娘に、
鍵盤と音符を書いたピアノケーキ型。
後で出したケーキも同じ形に。
その前は、
「今の世の中ブッ怖し、新しい未来を作れ!」
と大きな思いで地球。
このくらいの年齢から、
堅くなかなか割れないのを作ると、
みんな必死で汗だく。
それを見るのもまた楽しい。
その前は
「キラキラ輝く9歳を!」
なんて毎年テーマを決めて作るのが楽しくて楽しくて。
でも最近やたらとおシャマになった娘、
さて、何を作る?
友達との会話を盗み聞いたりすると、
流行のアイドルのキラキラなショー、
ネイルアート、
携帯チャット、、、
興味があるのはそんな所でしょうか。
携帯を持たない娘の為に、
今年のピニャータは本気で携帯の形にしようかとも悩んだけれど、
周りでチラホラと言い始めた、
そのうち娘も通る道であろう『ディスコテカ』。
田舎の、あんまり楽しくなさそうなディスコテカに憧れるくらいなら、
かあちゃん、
場を借りて、音源、ディスコライトを用意して、
ディスコパーティーやってやろう!!
と鼻息を荒くして作ったのが
ミラーボールピニャータ!!!
どうだ!
どんな顔するかな!
とワクワクで娘の帰りを待っていたのですよ、かあちゃんは!
ところが出来上がりを見た娘、
「何これ?鏡?
綺麗だね〜、ピニャータどんなのかみんな楽しみにしてるよー。
それから、いつもの叩いて被ってジャンケンポンやりたいって言ってるし、
マンマの考えるゲームはどんなのかって楽しみにしてるし、
みんなでババ抜きやっても楽しいね。
数人はキッチンに居座って、全部のごはん食べるって言ってるよ。
だから今年も家でやってね!」
と。。。
まあ、
クラブやディスコへ行ったことないのでミラーボールにピンと来ないにしても、
まだやるの!?
叩いて被ってジャンケンポン!??
かあちゃんが思っていた以上に
まだまだ幼い娘で拍子抜けしたと言うか、
ホッ。。。
とうちゃん、
ごはんとケーキ、よろしくね。