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2018/09/16

歴史オンチが歴史を語り過ぎても

間違いがあってはいけないのでこの辺で食。

 

 

前菜にフムスは2種類以上、サラダも2種類以上。

一般的なひよこ豆のフムスを食べてビックリ。

今まで自分が作っていたフムスは完全に間違っていた!

と思うくらい滑らかでクリーミー。

必ず出てきた茄子のフムスも、魚系のフムスも、

どれも滑らかで美味しいです。

サラダは代表的なパセリ、ミントとトマトを細かく刻んだタブレ。

そしてもう一つの絶対出て来るファトゥーシュ。

パリッと揚げた薄いレバノンのパンと野草がいっぱいで

甘酸っぱく味付けされているサラダは私の大のお気に入りです。

その他にも、ひき肉と米をぶどうの葉っぱで巻いたものなど、

本当にたくさん。

 

 

続いて温かい前菜。

チーズを巻いて春巻きのように揚げたもの、揚げ餃子のようなの、

この日は魚のメニューだったので小魚のフライ。

 

 

ひき肉のコロッケ。

 

 

ジャガイモのフライも必ず、そして魚を丸ごと揚げたのが

この日のメインでした。

肉の日は、

肉と米を煮込んだものにグレービーソースのようなのをかけて食べたり、

平べったいレバノンパンにグリルしたスパイシーな肉を包んであったり。

とにかく食べる、食べる、タベルーーーーーー

もうはちきれそう、、、とメインが終われば、

隣のテーブルにフルーツとデザートが用意され、

さらに食べます。

レストラン行くなら一日一食で十分まかなえます。

レバノンで食べた印象は、

全体的にレモン&ハーブを多く使い酸味が強いのとフレッシュ野菜が多い、

あと、カリカリクリスピー感がお好きなんだと思いました。

うちの子供たちが喜んでオーダーしていたのが

 

 

こちらのミントレモネード。

生のミントを氷と一緒にミキサーで回しレモネードで割ったもの。

爽やかで美味しい〜

 

さてやはりこの辺でちょっと歴史に戻りましょう。

先日は北東のシリア国境近くまで行きましたが、

今度は海岸沿いを南へ下がります。

 

 

海が綺麗。

国境に近づくとパレスチナ人住居地が。

もう一角が囲われた、独立した町のようになっていました。

あの山の向こうはイスラエルです。

一方的にイスラエルひどい、、、なんて思っていましたが、

ガイドと話をしていると、

「昔俺は子供を連れて空港なんか行けなかったよ。

パレスチナ勢力が強かった時は、クリスチャンだと迫害されたし、

子供の誘拐まであったからね。」

と、近代史も色々あるようです。

さあ古代に戻ります。

ティルス(Tyre) まで一気に下がるとまたいっぱいあります。

 

エシュマンの寺院、フェニキア人のヒーリングの神様が祀られたところ。

蛇の彫り物があり、今でも薬屋が蛇を使うのはここから。

毒が薬になるの原点です。

 

ティルス(スール)は紀元前約2500年前ほどに栄えたフェニキア人の都市。

紀元前1000年には首都となった地。

フェニキア人のネクロポリスがあるのですが、

その後に来たローマ人などのモザイクもたくさん。

 

 

「もう何千年前とか何百年前とか、頭が混乱する」

と漏らすとすかさず

「この門をくぐると300年の差があるよー、ついて来て!」

とガイドのエリオスさん。

 

 

2万人を収容できる競技場。

ここで青と緑のチームに分かれ、小さな馬車でのレースが行われていました。

各色のボールを10個持ち、一周ごとに真ん中の井戸ほどの穴に入れ、

入らなかったらカウントされないと、

2万人が賭け事をして楽しんだそうです。

 

 

海沿いへ行くとまた神殿。

神殿の床の上に古代ローマのモザイクがあり、

また違う勢力によりモザイクの上に大理石が敷かれ。

2018年、私がその上を堂々と歩く。

 

 

周りに水の道があるので浴場があったのでしょうが、

この大きなスペースはプールのようにも見えますが、

何なのかまだわかっていないそうです。

 

少し北へ上がりシドン(サイダ)へ。

 

 

十字軍の海の要塞。

フェニキア、バビロニア、ビザンツ、古代エジプト、カルタゴ、アッシリア、古代ローマ、アレクサンドロス大王、、、、、、

などを経ると

「え?十字軍?最近よね??」

と勘違いしてしまいます。

歴史の勉強をもっとすればよかった。。。

さて、このシドン(サイダ)。

ここも古代からの都市なんですが、今でも活気のある都市です。

 

 

町の入り口は建具屋さん、

 

 

地震対策で建物同士を全て繋げて、迷路に迷い込んだ感じ。

 

 

スパイス、ナッツ、オリーブ、ぶどうの葉の漬物、石鹸など。

この後石鹸ミュージーアムも行ったのですが、

シリア同様、この辺も石鹸を作っていたそうです。

 

 

パン屋さん。

 

神戸の元町は一本ですが、

ここはそれが迷路状。ガイドと一緒に行ってください。

そして

「ラッキーだよ!一般公開してないのに開いてる!」

と入らせて頂いたのが聖ニコラス教会。

向かいに小部屋があり正面に絵が。

 

 

「サン・ピエトロだよ。今から西へ行くと決めたのがここ!!!」

と言われ、ピンとこなかったのですが、

え?

サン・ピエトロ?ヴァチカン???

歴史を歩いてるとジワジワ感じます。

 

 

迷路の中にこんなに綺麗に再建出来るものか!と思うくらい、

地元の富豪が立て直したソープミュージーアム。

そして別の富豪の別宅も見せて頂きましたが、

外からは全くわからない世界でした。

 

この他にも、北の海沿いの最古の都市ビブロス。

 

 

アルファベットの元になったフェニキア文字の発祥地、

バイブルの語源となった地。

「最古の都市っておかしくない?ここ??」

と質問したメキシコ人に対してガイドの返事は、

「現在にも形として残っている、そして現在まで都市として栄えた最古です。

歴史はまだまだ未知の世界」

との答えでした。

 

また、ハリッサの山の上から海岸までのケーブルカー&リフトは

高所恐怖症の人は先に申し出てくださいと言われたくらいのスリルで

景色バッチリでした。

そしてまだまだ飛ばしてはいけないのが、

ジェイタ洞窟!

撮影禁止なので写真はないですが、

ジェイタ洞窟、レバノン、で検索してみてください。

素晴らしいです。

と7日間の旅、書ききれない興奮が冷めやまず、

最後のレバノン出発。

「車を2時に用意しておきました。」

とホテルから。

3時間以上前、空港からも近いし、早くない???

と思いながら着いた空港。

 

 

私が甘かった、おそるべしベイルート。

搭乗ギリギリ間に合ったくらい、きっちり3時間かかりました。

小さな子供を3人、4人連れた家族が多くいたのですが、

みんな優しいのです。

西欧社会で「お先にどうぞ」は通じないんだとイタリアに住み続け思っていたけど

ここはやはり東なのか、

子供を抱っこしながらでも「どうぞ、どうぞ」なんて言われます。

どれだけ並び続けても、子供が泣き叫んでも、

イライラしてどうしようもない人はいないんですね。

 

また長くなりましたが、

レバノンへ行かれるならベイルート発のツアーがたくさんあるので

ベイルートを拠点に動けます。

参考までに、

私たちがお世話になったガイド付きツアーは、Kuruban Travel

英語のほか、フランス語、ドイツ語でも詳しくガイドしてくれます。

そしてもう一つ最大にお世話になったのがフェニキアホテルベイルート

全てが最高としか言いようがありません。

ここの人たちを見ていると、自分の態度を見直さないと

と思わされるほどでした。

後もう一つ、遺跡地区を色々と回りましたが、

各地から出てきた埋蔵文化遺産のほとんどが、

ベイルートにある国際博物館に収めてあるので必ず行くことをお勧めします。

 

 

最古のアルファベットを掘った石棺もここにあります。

 

 

載せきれない写真がまだまだ山のようにあるのが残念、

そして行けなかったところがまだまだあるので、

是非また行きたいと思います。

もっと歴史の勉強をしてから。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018/09/15

前回、とうちゃんレバノンへ行くと書いたのですが、

帰ってきたとき

「すっごいよかったーー!!想像と全然ちゃう!」

と土産物と土産話がとても羨ましかったのですが、

ふふふ、チャンスが来ました。

再度とうちゃんにレバノン行きの仕事が入り、

それなればと私たちの分も!とチケットを取り行って来ました!

 

「バカンスはどこへ行ったのー?」

がこの辺の合言葉のように夏の間交わされるのですが、

「今からレバノン行く」とイタリア人に答えると、

大体が、

80年代に内戦応援に行ったとか、

シリア、パレスチナで戦争やってるとか、

レバノン人を見たら泥棒だと思えだとか、

アラブは顔と裏腹で何考えてるかわからないだとか、、、

散々な答えが返って来たのですが、

皆さんはどのような印象をお持ちでしょうか?

私もアラブの地は初めてだったので

肌を出して歩いてもいいものか?

宗教などの話をしてはタブーなんだろうか?

テロがまだあると聞くけど、子供を連れて大丈夫だろうか?

などは頭をよぎったんですが、

それより、

歴史オンチなかあちゃん、

子供達が一生懸命勉強していて横で覚えた

「フェニキア人、船の達人達、紀元前15世紀の都市を作り上げた」

そこへ実際に行くかと思ったらワクワクが止まらないままいざ、

 

 

ベイルート着陸態勢、

思っていた以上に都会〜〜〜

和やかにビーチでくつろいてる人達、

大丈夫。

 

ホテルから丁寧に車を用意しておいてくれて街中のホテルへ移動。

ベイルートは全く普通の都会でした。

それ以上に人の、応対の仕方がとても丁寧で親切で

イタリア(の田舎)慣れした私には新鮮!

 

 

街中をブラブラ歩いたりもしましたが、

こんなショートパンツでも問題なかったし、

歩道に椅子を出して座っている人たちも

歩く際には足を引いて通してくれる、

当たり前だけどなんだか目に見えない親切心が。

 

 

こんな銃弾跡が残っているのも事実。

なんだか心が痛みます。

がレバノン人、

「レバノンは人が行き交う場所なんだよ。

この地には7つの都市が眠っている。

掘ればいくらでも歴史が出てくる。

誰かが来て色を塗り替え、自分のものだと言ったら

また違う誰かが来てそうする。

現在は代表的なものだけで18以上の宗教がレバノンだけであるけど、

お互いが尊重しあい、愛し合い、

良いことをすれば良いことが必ず返ってくる。

内戦もね、長く続いたけど、

他の力が働いたから長くなっただけで、

レバノン人はレバノン人同士を殺しても意味がないと思ってたよ。」

と。

さあ2日目から4日間連続で歴史ツアーへと出発。

 

 

絶対見たかったバールベック。でっかい!

ここは一番残った神殿なだけで、敷地はとても広いです。

ガイドの説明はとにかく最初から最後まで、

フェニキア人が3と6の数字にこだわっていたかという事。

神殿の柱の数、建物の土台の数、形、何から何まで

3と6が鍵になっていました。

 

 

転がっていた柱のかけら、娘の身長140センチ。

 

 

フェニキア人といえば船、レバノン杉を使って船を作り、

杉を輸出して外壁に使う巨大な石を船でエジプトから持ち帰り、、、

嘘のような話です。

「ヨーロッパ人がアフリカ大陸を1周したとか残してるけど、

フェニキア人はそれより何千年前に3周もしてるんだ。」

だそうです。

 

 

ヒットラーはここからシンボルを取った。

 

 

風化してもまだ美しさが見える彫刻。

素晴らしいです。

ですが、

 

 

建設途中で他の勢力に堕ちています。

掘りかけの彫刻。

ビザンティン、古代ローマ、アラブ、、、

色々な勢力がここを順に牛耳りました。

5000年の歴史、熱が出そうです。

ここのもうちょっと先はシリア。

車の中から見えたシリア難民キャンプ。

 

 

つらつらと幾つも見えるのですが、それでもほんの一部。

現在レバノンの人口は7百万人、

内レバノン人が4百万人、パレスチナ人が百万人、シリア人が2百万人。

難民とはいえまた貧富があり、高原に家を建てて住んでいる人も沢山だそうで。

バールベックでお腹一杯なんですが、続いて行ったのがアンジャール。

 

 

いきなり紀元後8世紀。ウマイヤ朝時代カリフワリード一世が

たった10年で建てた都市です。

見栄え良く神殿を作ったのは反感買わないためだけ、

信仰心がなかったんだよとガイドの言葉。

湿地帯だったのを、樹木を植えて水を吐かせたり、

地震対策の石の組み方だったり、、、

どれだけ壊れても、アーチだけは残るんですね。

とそろそろ疲れたかあちゃんとは裏腹に、

 

 

「楽しいヨーーーー!」

と道端にいたラクダに乗って行ってしまう娘たち。。。

 

長くなるので次回に続かせていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

2016/02/25

サグラダファミリア

 

ジャン!

 

地下鉄の駅の出口を登って行くと

いきなりこの姿!

ちょうど居合わせたイタリア人家族の子供が、

「カスピタ〜〜〜、、、」(ビックリ)

と、魂を抜かれたような叫びを出したのが納得。

 

と言う訳で、

週末を使ってバルセロナへ。

ピサから1時間半とお手軽だし、

もうそろそろ、

子供達も美術芸術が楽しい頃かと食よりも見物に行ってきました。

 

サグラダファミリア

 

中に入ってみると、

「ホーーーーー、、、、、、、」

高さと美しさに魂が、、、

正しく「カスピタ〜」です。

 

実はかあちゃん、

20数年前にも

サグラダファミリアに訪れているのですが、

その時は工事現場を覗きに来たと言うか、

模型や修復作業を眺めに来たと言った感じだったのですが、

20数年も経つとすっかり出来ていて改めて感動。

 

サグラダファミリア

 

天井の高さの感覚がわかりますか?

ガウディは自然の美を最優先し、

人間工学を突き詰めていたというのがよくわかります。

柱が途中から枝分かれ、

この細さで大丈夫なんだろうか???

なんて思ってしまいますが、

もう何十年も立っているのですから

計算の深さにまた感動です。

 

サグラダファミリア

 

横を見れば暖色のステンドグラスが、

 

サグラダファミリア

 

反対側には対照的に寒色の。

中で立っていると、

光の入り方や細工が、

まるでキノコの匂いが漂って来る巨大な森に入り込んだような

不思議な感覚に。

時間が来たので生誕の塔へ登ります。

 

サグラダファミリア

 

穴だらけでヒヤヒヤ。

予防だとか安全だとか、

ここではそんなのどうでもいいです。

美しいんです。

 

サグラダファミリア

 

上の方はまだまだ工事中。

写真を撮ったものの、

頭の中は

「落ちないように、てっぺんの細工も見たい、

でも前にも進まないと、、、」と

見るものや考える事が多過ぎて、

今から思えば、工事の人やら進め方やら

色んなものを見ればよかったと思いますね〜。

 

サグラダファミリア

 

こんな葉っぱの細工や鳩など、

ポロッと落ちないようにどうなってるのか??

なんて事に気を取られて、、、

 

サグラダファミリア

 

このテラス、

だいたいの人が降りて記念撮影をします。

かあちゃん達ももれなく撮りましたよ。

でも、

足下まで穴があり、そしてテラスの下には何もないかと思うと

最高に落ち着かない!!

 

サグラダファミリア

 

下りの階段と中、

「わあ、虹が出てるよ!」と子供達。

偶然なのか故意なのか、

高所の恐怖から一瞬解放。

20数年前には登りも下りもこの階段のみで、

手すりもなく観光客でごった返し、

「落ちるー、押さないでー」

と、半泣きになったのを思い出します。

 

サグラダファミリア

 

降りて受難のファザードへ出てみます。

左下にユダとイエスの接吻の像がありますが、

その左下の数字、

縦、横、斜め、どれを足しても33に。

キリストが亡くなった歳になるんですね。

 

サグラダファミリア

 

ドアには色んな言葉が刻まれていますが、

意味深です。

 

サグラダファミリア

 

別室には、

ガウディが実際に作った模型の残りや、

どのように発想されたのか、

などなどが展示してあります。

この模型、

色がついている部分がオリジナルで、

スペイン内戦時に壊された破片をまた、

繋ぎ合わせて作りなおしたものだそうです。

後何時間でも居れそうなんですが、

子供も疲れたしお腹も減ったし。

 

サグラダファミリアが完成まであと約10年、

また見に来ますよ〜。

 

それにしても田舎暮らしの私たち、

都会歩きには疲れた。。。

 

 

 

 

08:17 | 海外 | No Comments