2010/01/24

一年以上音楽コラムを更新してきましたが、今月をもってジャンクステージを退会します。

実は理由はないのですが、ただ週一の更新から二週に一度となり、自分の中で緊張感がなくなり、放置していた状態になっていたようです。自分の記事というのは、アマチュアは勿論、プロでもライブハウスで育った人にはとても面白い記事だったと自負している。もっともっと書くことがあったのだが、自分で退会を決めておいていうのもなんだが、とても残念である。

 最後に自分にとっての音楽感を簡潔に語って終わりたいと思う。よく「音楽に年齢は関係ない」というが、はっきりいって年齢は関係ある。これは文学と訳が違う。十代の音楽と三十代の音楽では全く違う。どちらがいいというわけではない。しかしその年代にしか歌えないものがある。俗にいう「世代を超える名曲」というのは、そう簡単に生まれてこないが、だからこそ非常に価値のあるものなのだ。ましてや音楽で国境を越えることもあるのだから、神業に近い。

この記事を読んでいる人で、将来プロを目指している人もいると思うが、アドバイスしたいことがある。これは常々自分で自分に言い聞かせていることなのだが、プロというのは先ず音がでかい。ここがブロとアマの決定的な違いだ。色々なアマチュアのライブを見てきたが、小手先の技術だけ磨いて、小さい音を出して陶酔している。その顔の気持ち悪いことといったらありゃしない。バンドでも弾き語りでもそうなのだが、一発目の音の大きさで決定する。声量もMCもそうで、プロは腹から声をだしている。本当にライブハウスでなら、マイクはいらないというくらいに・・・逆説的に言えば「大きい音を出せるだけで既にプロ」ということだ。そんなことを言うと、

「何も大きな音を出せればいいってものじゃない」

というかもしれないが、安心していい。習字でも太いというだけで立派なのと同じく、声もギターも下手でも大きければ一流なのだ。それを証拠にアマの世界ではほとんどいないのだから。そして音楽は「顔でやるもの」でもある。いい顔してなきゃダメなのである。笑顔でステージに立つのは正しい姿だ。しかし何の根拠もない意味不明な笑顔なら、緊張したままで死に物狂いでステージに立っているほうが素敵だと思う。飾らないこと。いい意味で「デカイ顔」でステージに立つこと。結局大きさとは自信のことなのだ。

今後ジャンクステージから俺は姿を消してしまうが、この男はきっといつまでもどこかで歌っているであろう。

またいつの日か出会える日まで。出来ればその頃までには「本職」のシンガーに再び返り咲きたいとおもっている。

いままでありがとうございました。

大輔

2010/01/24 11:58 | 未分類 | No Comments
2010/01/21

JunkStageをご覧の皆様、こんにちは。
いつもJunkStageをご訪問いただき、ありがとうございます。

シンガーソングライター・大輔の「アラウンド30の音楽」コラムについて、現在、こちらの連載を一時休載とさせていただいております。
連載再開は2010年2月の予定です。
御愛読くださっている皆様にはご不便をおかけいたしますが、復帰をお楽しみにお待ちくださいますよう、心よりお願い申しあげます。

(JunkStage編集部)

2009/12/30

ライブハウスの世界でもそうだけど、バンドの連中というのは、とにかく挨拶が出来ない奴が多い。

「おはようございます」

これすら言えないで、何が出来るっていうんだよ。俺も色々な連中とライブしてきたけど、演奏がそこそこの奴等というのは、挨拶はしっかりと出来るんだよ。挨拶を一切しないバンドとかは、単なるチンピラであって、演奏聴く前からだいたいわかる。俺も挨拶は必ずする。しないと「恥ずかしい」のだ。

これは何もライブハウスの世界だけではなくて、あらゆる職業に通じる話だ。「当たり前だろ?」というだろうが、今は本当に挨拶のない時代といっても過言ではない社会になっているような気がする。

大昔の日本というのは、いわば挨拶の「超大国」だったわけで、接客業だけでなく、日本中が挨拶を心から大切にしていた時代があった。今でも一部ではそうしているのだろうが、ぶっちゃけ、芸能界とヤーサンの世界と、料亭くらいじゃないの?古き良き日本の挨拶を交し合っている世界は。

何も最敬礼までしなくてもいいと思うけど、今の時代というのは声すら聞こえないんじゃないかと思うよ。

挨拶をしっかり出来る職場というのは、それだけで気持ちがいいものだ。

ちなみにライブハウスでは挨拶をして、それをシカトしてきた人間に、

「いい歌だったね!これから飲みに行かない?」

と言われても、シカトすることにしている。どんな美女であってもシカトすることに決めている。

暴力には暴力。シカトにはシカト・・・

もしこの日記を読んでいる人が、バイトであっても教える立場の人間なら、挨拶しない新人にはボロクソ言ってもいいと思う。

挨拶だけで人間関係が好転した例はいくらでもある。

挨拶だけで、人格を決められるのは悔しすぎるだろう。しかし多くの社会人はあなたの挨拶を必ず見ている。

2009/12/30 11:41 | 未分類 | No Comments
2009/12/05

去年の5月からライブをしていない。8月のジャンクの舞台のオープニング曲を制作してからもほとんどギターには触っていなかった。別に忙しいからと言うわけではない。いや、「忙しい」という理由でギターが弾けないという人は、そもそも音楽を「仕事」にも「趣味」にも出来ない人だと思っている。本当にギターが好きで趣味にしている人は、1日で10分でも15分でも弾ければ満足している。心の中にギターが存在しているか、していないか。俺の今年は全くといっていいほどやる気がなかった。理由はわからない。しかしこれまた理由がわからないのだが、ギターが弾きたくなってきて、ライブがやりたくなってきたので川崎のライブハウスに連絡を入れたら、1月9日が空いているというので、その日にやる事になった。

思えば、今年最後のライブは5月で、やはりこの川崎のライブハウスだった。来年は1月9日から出発である。久々のライブではほとんどの曲を新曲でやりたいと思っている。そしてこの日は、mixiの中でのみ知っている女性(面識はない)も「一緒に出演して みない?」と誘ってみたところ、okとの事で、非常に楽しみである。

そうそう。この「楽しみ」という感覚がギターにも、歌にもなくなっていたのだ。そして完全に心が飢えはじめてきたので、 また楽しさを求め始めたのだろう。音楽をやっていて毎日楽しいわけではない。時には長期的に嫌になるときもある。一時期いやいや音楽をやっていて完全な神経症になったことがあるので、自然にあるがままにやっていく。音楽が嫌いな日は嫌いでいいし、好きな日は思い切り楽しむ。1番最悪なのは、本番直前に嫌になってしまうことだ。(最もこれは音楽に限った話しではないが)

考えてみれば、ジャンクステージでは過去のライブの話しばかりで、告知は初めて なことに気がつく。今年はもうライブはないが、来年は音楽を存分に楽しみたいと思う。

2009/12/05 12:37 | 未分類 | No Comments
2009/11/13

「人間食べる為に生まれてきた」という言葉を聞いた事がある。

飽食暖衣の時代にはピンとこない言葉かもしれない。でもいざ食料がなくなれば、人は昆虫だってなんだって食べる事だろう。戦時中の食事などは我々の想像をはるかに絶するものである。今飢え死にする事のない国にいる我々には「食べる為に生まれてきた」って言葉は似合わない。しかし食事に対する感謝の気持ちを踏まえつつ今日は色々と話しを進めていきたい。

俺には音楽という夢があるのだが、現実の冷たさに挫折して絶望に浸っていたころ、遮二無二と生き方を導いてくれる本を探して読みふけっていた。スポーツ選手、芸能人、哲学者etc沢山の本を読んだ。特にその著者の「不遇時代」にスポットをあてた。ある日有名な心理学者の本と向き合っているとこんな言葉が記されていた。

「人生の早い段階で、やりたい事を見つけた人は宝くじ五千万円を当てた以上の価値がある」

と。

今になってつくづくそう思う。むかし俺の友達の親戚が川崎市の竹藪から不明な一億円を発見して有名になった。(有名な竹藪事件)一部の金は拾った本人のものになったのだが、様々な人から「金を貸してくれ」とたかられて、その友達の親戚は焼鳥屋をやっていたのだが、店を新装したっきり完全にひきこもり状態になってしまった。そのほか宝くじが当たり人間不信に陥って、無人島で暮らしている人の話しだとか、むかしのアメリカの話しだが宝くじを当てた人の約四割近くがアル中になってしまったetc…早い話ビジョンのない者に大金など振り当てられても使い道がなく、酒に溺れるか更なる賭博に走るかってオチだ。(日本でも三億円を当てて、それを競馬に全てつぎ込んだ人もいる)…よく金で幸せは買えないというがあれは嘘だ。病気を治したり人を救うには金は間違いなく必要だ。人を幸せにする事は充分にできる。しかし同じ金でも「泡銭」になると人は幸せから遠ざかっていくのではないか?

俺にしてもやりたい事が早く見つかって本当にこの人生ついているんだと思っている。だから打ち込むものがあってスランプだ鬱だと言っていた自分が今ではおめでたく感じる。「やるべき事がない」、そして「探せない」人間にとってほとんど死活問題であろう。

だから夢を持っているものは、もうすでにポールポジションを取ったようなもので、ある意味「エリート」なんだ。だから「思うように行かない」とか「努力が実らない」などの悩みはバカの骨頂だ。よく音楽やってるアマチュアが「能力に限界を感じた」などとほざいているのを聞くとたまらなくなる。俺の座右の銘に死んだF1レーサー、セナの言葉がある。

「限界までの努力は誰にでも出来る。本当の努力は限界からの努力だ」

安易に自分に限界を設けてスランプだと嘆いていた怠惰な自分を叱咤するには十分すぎる言葉だ。

ちなみに本当のスランプ、限界は…走りたくて仕方ないマラソン選手の足の怪我や…投げたくてどうしょうもない投手の肩の故障…などの病からくる活動不可能な状態の事を言うんだ。活動可能な状態なのに、「けなされたからやる気が出ません」なんてそんな甘いものじゃない。

ドイツの文豪、ゲーテの言葉どおりだ。

人生は次のうちの二つである

したいけど出来ない

出来るけどしたくない

冒頭に話を戻すが、泡銭よりは打ち込むものがある方がはるかに幸せだ。

ちなみに人間の本当の限界は病気の為に、

「生きたくても生きれない」

って状態なんだと思う。

何か出来るなら何かやらなければ!

2009/11/13 10:38 | 未分類 | No Comments
2009/11/05

思えばジャンクステージで書き始めて、もう1年になる。mixiから代表・須藤さんにメールを送り、サンプル原稿を書き、合否の結果をドキドキしながら待っていたのを思い出す。そして合格した時はやはり嬉しかった。

あれから毎月欠かさず更新してきた。ある月を除いては。毎月アクセスランキングが発表されるが、いつも思うのである。

「一体誰が俺の記事を読んでいるのか?」

と。こんなこと書いたら怒られるけど、俺はmixiで宣伝した以外には、数人にしかジャンクで書いていることを教えていないのである。そして、ここずっとmixiでも宣伝していない。

でもベスト10には入らなくても、20位以内にはたいていランクインされている。さっき(ある月を除いては)と書いたが、実は試したのだ。1ヶ月まったく発表しなかったら、何位になるだろうか?・・・と。確かその月は40位だった。再び思った。

「一体誰が俺の記事を読んでいるのか?」

なんか少し自信がついた。自分の記事は嫌いな人には嫌いであろうが、全身ぶつけて書いているので、隠れファンがいるのかもしれない。だから今後も書いていきたいと思うし、もっと積極的に宣伝したら、かなりのアクセスがあるだろう、なんて思っている。

ジャンクで書き始めて、1番の思い出はやはり柏さんとジャンクの舞台のオープニング曲を作ったことだ。あの日から今日まで、1度もライブをやっていない。それを証拠にギターはケースの中で眠ったままで、ギターの弦もあの日のレコーディングのまんまだった。再びギターを弾こうと思いチューニング・メーターの電源を入れると、電池がなくなっていた。なんとかチューニングして、ピックを持った。柏さんからもらった(魔法のピック)だ。あのレコーディングの日、「これを使ってみなよ」と渡されて、そのピックで弾いたのだが本当にたまげた。こんなに音が出るのか!とね。
俺のギターは非常にいい音をしている。しかし眠らせているのでは、宝の持ち腐れだ。チューナーの電池も、ピックもカポタストもそうだが、もう一つ小物類の中で忘れてはならないものがある。「爪きり」だ。最近ギターから遠ざかっていたので、爪は伸ばし放題だった。随分と弾きずらい。丹念に深爪寸前まで爪を切り、再びギターを手にした。
「何故音楽をやっているか?」

という質問に俺は、

「出会いがあるから」

と答えている。ギターを鳴らすと、今まで出会った人達の顔が浮かんでくる。ここで記事を発表しているのだって、ギターを弾いてきたからだ。
今後も書いていこうと思う。たまには、mixiでも宣伝しよう。

尚、タイトルと内容が全然まとまっていないが、祝1周年ということでお許しを・・・笑

2009/11/05 06:22 | 未分類 | No Comments
2009/10/29

俺の母親は看護婦をやってるんだけど、ある日同僚の看護婦と息子の話しになったんだって。でうちの親が、

「うちの息子懲りずにまだ音楽やってるんですよ」
そしたら、
「あらー。うちの息子も音楽やってますよ。ただのルンペンですよ。」

俺はその日そんな話しを聞かされた。興味ないけど一応言った。

「音源あるんならそいつの聴いてやるから。」

ってね。楽勝だと思った。俺は「ルンペン」じゃないし・・・。でしばらくして親がCDを俺に渡した。手にした瞬間「おや?」と思った。蝶ネクタイ をしてバイオリンを持っている。俺はCDの裏を見た。コロムビア・エンターテイメントと書いてあった。「メジャーの人間じゃねぇか!」
急いで歌詞カードに載っているプロフィールを見てみた。

子供の頃から音楽をやっている事。大学は芸大である事。何度も渡米している事。東京交響楽団の人である事。現在音大の講師をしている事・・・が書かれていた。

あの時ほど自分で自分を恥ずかしく感じた事はないね。ちなみに「ルンペン」とその親が言ったのは謙遜もあるのだろうが、子供達は医者か弁護士でその人だけ音楽をやっているらしいんだな。その人と比べたらそれこそ俺なんか「ルンペン」だもの。

東京交響楽団といえば、俺のうちから歩いて10分くらいのところにある「ミューザ川崎・シンフォニーホール」を根城にしている。あそこの「市民交 流室」で一度弾き語りやった事あるが、本当に音がよかった。あんな静かな空間って生まれて初めてだった。その何十倍もでかいシンフォニーホールはどんなも のか悩んだね。今でこそ東京楽団っていい扱いだろうけど、俺がガキの頃って考えられないくらい汚いところで練習していた。本当に絶句するくらい。それが小澤征爾さんのお陰か「日本のクラシックは凄い」という事になった。

☆指揮者の凄さ☆

俺忘れもしないが、むかしのお笑い番組「オレたちひょうきん族」って番組でしょっちゅう東京楽団が出演していた。お笑いにされちゃうんだけど、あ れもビートたけしが楽団のギャラの低さや汚いところで練習している事を不憫に思って出演させていたらしい。それでこんなのがあった。
ある芸人が楽団をそろえて指揮者をやった。その芸人は指揮者そっくりに指揮棒を振っている。だけど演奏はバラバラ。チェロからなにからグチャグチャ。でその芸人が怒った。

「お前らわざとやってるんだろ!」
って。そしたらある楽団員が、
「いえ、指揮に忠実に演奏しているだけです」
ってね。俺は子供ながらに凄いなとおもった。指揮者なんか飾りみたいなものでどうでもいいんだと思っていたからね。お笑い番組なんだけど俺は、
「クラシックって凄い」と本気で思ったよ。

今でもクラシック音楽家って尊敬しているけど、今もギャラとか安そうだね。さえないロック歌手のほうが上の立場だったりする。欧米に比べて文化水 準が低いといわれても仕方がない。作詞家や作曲家も偉大だけれど、古き良き楽曲を下のジェネレーションにリアルに伝えていく「演奏家」も立派な「芸人」だ し「芸術家」なのだから。

2009/10/29 06:18 | 未分類 | No Comments
2009/10/24

俺はしいたけと数学が大嫌いなんだけど。でもそれに負けないくらいカラオケが嫌いだ。歌やっている人間というとみんな「カラオケ好き」と思っているんだろう。もちろん歌は大好き。いや愛してさえいる。しかし「歌いたくない」時だってあるんだよね、毎日考えているから。以前も飲食店の上司にスナックに誘われた事があった。三時間近く「お前も歌え」と言われたが、俺は頑なに拒み続けた。

実際深夜まで「歌え」「嫌です」の会話の繰り返し。俺が一度メジャーからCD出した事を知っているから余計に歌わせようとする。結局向こうが折れたのはいいが、「飲み屋のねぇちゃん達」はその日の事を鮮明に覚えていた。

「なんて神経質な客なんだ」と。

音楽やっているというとみんな「歌が上手い」と思ってるみたいだが、実際自己評価は「下手」。俺はシンガーソングライターにはなれても、「歌手」には絶対なれないと思っている。自己評価は、

「ギター下手」
「歌下手」
「作詞作曲センス最高」
なのだが、本職の人に聞かせると、「歌はこれからいくらでも伸びる。楽曲にパンチが足りない」という評価が相場。

なるほど。俺ってボーカルのセンスはあるのか・・・

そうおもっても、カラオケは嫌だ。強制となれば尚更嫌。では「カラオケは本当に嫌いか?」の問いに俺はこう答えている。

「聞くのは大好きです。老若男女の歌みんな好きです。」とね…。

カラオケは「歌いたい人が歌い、聞きたい人が聞けばいいじゃないか」というのが俺の持論。ちなみにおっさんが歌う「女性シンガー」の歌に心底感動したこともある。

だから聞いていたい。俺は歌が大好きなのである。無垢にカラオケやっている人が俺は好きだ。しかし俺は歌えない。

胸元にギターがない状態で歌うというのは、俺にとって「裸状態」なのだ。

カラオケに関してはずっとリスナーでいたい。誰かが俺の「お気に入りの歌」 を歌った瞬間はガッツポーズをしてしまう。イントロの時点で飛び上がりたくなる。

カラオケは歌いたい人が歌う。これがルールだと思っている。

2009/10/24 09:40 | 未分類 | No Comments
2009/10/20

評論家でも音楽ライターにしてもそうだけど、本来生活出来る時点でインチキだって。そんなに誉めたくなるようなアーティストなんていないはずだし。いても数人だ。その数人にしても、毎日作品を発表するわけではない。ライターだの評論家というのは、対象がないとやっていけない。するとどうするかというと、フリーの音楽ライターや、評論家は生活の為に好きでもないアーティストの作品も誉めなければ金にならない。その時点でもうダメなんだよ。

クラシックの世界にしても大物の評論家やライターというのは実は沢山いる。
でも誉めたくなるようなプレイヤーがいないから、大して記事も書かない。実はロックの世界にだって偉大なライターはいる。でも、出版社に所属すれば、否が応でも書かなければならない。新人は仕事選んでいる場合じゃないし。

そうなると一部の大物を除いては、評論家やライターで生活している人の記事ってのは悪いけど、日銭の為に書いてるだけなんだな。

文壇でもそうだけど、作家から認められている評論家、批評家というのは本業が他にある人が多い。だいたい人を誉めてれば金が入ってくるなんて甘い世界じゃないだろう。

ライターは感想ではなく、情報を伝えることが仕事なんだけど、優れたインディーズや天才的なメジャーの人間の記事を書く人っているのかね?
いたとしても、雑誌には載らない。載ったとしてもその記事も、なんか本当に使いまわしという感じで新鮮味がない。

俺がもし評論家になろうと決めたら、清貧極めるだろうね。実際才能のあるバンドなんか沢山いる。でも評論家やライターはそんなものにスポット当てて書いたら、変人扱いで以後仕事がこなくなってしまう。
見事な悪循環だ。俺なら変人扱いされても書くよ。金にならないのを覚悟で。

CDの売り上げは最低らしいけど、ライブに関してはまさに「バブルの状態」らしい。客も金はないけどライブは観たい、という時代になっている。こんなときこそ、アーティストも評論家もチャンスなんだと思うけどな。特に音楽雑誌や音楽番組というのは本当にクソ以下だ。
折角の「いいものは売れる」という時代もいつだってメディアがつぶしてきた。時流に関係ない、といわれてきたラジオですら横一列だもの。

だからネットの世界で革命を起こすアーティストが出てきてもいいと思う。

「優れた評論家のいないジャンルは絶滅する」

といわれるけど、音楽も文学も真摯な物書きがいなくなったのも原因の一つだ。本当は沢山いるんだ。優れた評論家もアーティストも。

職場でも音楽やっていないけど、音楽好きの人は沢山いる。そういう人が、
「最近の歌って良くないよねぇ」

なんて話しているのを聞くと本当に悲しくなってくる。

良いものはまだ沢山あるのに・・・。

2009/10/20 07:43 | 未分類 | No Comments
2009/10/18

こないだYouTube(ネットの共有動画)でモーツァルトを検索したんだ。もともと音楽はクラシックから入ったからね。しかもピアノ曲。小学生の時から聞いていた。でYouTubeでトルコ行進曲を検索したら、小学生女子の発表会かなんかだったんだけど、開いてみた。後半は間違いだらけだったけど・・・基本的にピアノを聞くって我々一般人はプロのしか聞いてないわけだ。あんなの弾ける人ってそういないし。でその女の子の演奏を聞いてて逆にたまげた。指使いが後半ぎこちなくなってきて、スローになってきた時はっきり見えたんだけど、とてつもなく難しい。

よくピアノは女、ギターは男ってイメージがあるけれど、クラシックピアノの人生って根性ものだ。一見指だけで弾いてるように見えるけど、肉体的にもしんどいだろうし、ギターとは比べものにならない。うすうすピアノ弾きには憧れがあったのだが、YouTubeのその子の動画を見て改めてピアノってすごい!と思った。ちなみに俺があの子位弾けるようになるのはもうこの人生で不可能だね。指をみればわかる。1日18時間練習してもダメだろうな。モーツァルトやベートーベン、シューベルトのピアノ曲って大好きでね。しかしあの時代のヨーロッパの音楽家ってすごいよ。ミュージシャンじゃない。「音楽家」だよ。同じ言葉でも日本で単なるシンガーソングライターが「音楽家です」と言ったら笑われるって。

ただ同じピアノでもピアノ弾き語りとなると、これは俺らギターとなんら変わらない。技術じゃない。歌だから。心。気持ちだよ。感性。
恋人がピアノ出来たら凄くいいね。教えてもらいたいよ。ギター弾く女とは友達以上発展しないけど、ピアノの女とギターの男って相性が凄くいいんだ。

クラシックの話しに戻るけど、バッハ以降ヨーロッパの音楽に対抗出来てるロックってありそうでない。ただやかましいだけだもの。最もビートルズは別だったけど。あとはジャズぐらいかな?でも楽器職人としてはむかしのヨーロッパのピアニストには太刀打ちできないって。ギターなら悪魔から魂とひきかえにギターの技術を授かった、といわれている伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソンぐらいだな。

冒頭に話しを戻すけど、ピアノ弾きは是非あの子の動画を見てほしいね。はたしてどうジャッジするのか。
俺がもしあの子に「お嬢ちゃん音楽出来るの?」
なんて聞いたら叩かれるだろうな。・・・ピアノを習うって、言い方悪いけどある時期「親のオモチャ」状態で、その時期本人が幸せと感じていたとは思えないね。でもある時思うんだろう。弾いてて良かったって。でも逆にベートーベンみたいに親を恨む奴だって必ずいるだろうし。習いごとってそんな感じだもの。

いいものを見たな・・・ギターも歌も下手くそな俺に残されているのは「歌詞」だけだね。いい部分を伸ばしていくしかない。楽器も、芸も、専門職も一朝一夕の精神じゃだめだって事だ。万事10年単位の努力が必要、遊んでりゃ下の世代に必ず、負ける。

2009/10/18 12:08 | 未分類 | No Comments

Next »