2015/09/08

皆さん、おはようございます。

ドン・ジョヴァンニのチラシが出来てまいりました。

dongiovanni.chirashi
なかなか危ない雰囲気のチラシでしょう?
似たものを画像検索してみたところ、
たった一つあったのが、11月の日生劇場のチラシ。
ただし、こちらは満月でした。

私がデザイナーさんに送った情報は以下の通り。

プレトークの時間等、常の如しです。
キャッチコピーは

お前たちか!我が息子を殺めたのは!
救世主を弑したのは・・・

「弑する(しいする)」というのは、
上位にある者を殺す、という意味です。
読める人も解る人も少ないでしょうが、
宗教的な意味も込めて、あえて使ってみました。

最後のシーンはピエタの像ですが、
今回LINEグループにも使っている画像は添付のものです。
ピエタの像が、演出全体の象徴です。
舞台上の象徴はスタウロス(苦しみの杭)ですが、
内容の象徴はピエタの像です。

ただし、今回は基本的な場所設定を、
イスラム原理主義過激派の支配地域としているので、
イスラムの象徴も取り入れてほしいと思います。
支配的な色は綠です。
これは、ムハンマドのターバンが綠だったことに由来するとか。
そして形の象徴は三日月と星。
太陽を象徴する日本とは違い、
あちらの太陽は灼熱を喚起するだけなので、
涼をとることのできる夜こそ、救いなのだそうです。
以上、デザイナーさんへの情報でした。
これらは言葉で説明できる情報、
いわば日の当たる情報です。
このデザイナーさんのすごいところは、
言外の、日影の情報をくみ取って描いて下さること。

イメージ通りでしたか?と尋ねられると返答に困ります。
なぜなら、イメージなんてそもそもしていないから。
でも、椿姫からクオリティのイメージはできます。
そのイメージ通りかといえば、答えはイエスです。

というわけで、どこにもないドン・ジョヴァンニ。
是非お越し下さい。

10月16日金曜房宿 午後6時45分からプレトークです。
場所は北新地のサロン・ドゥ・アヴェンヌ。

音楽グループ「Conceptus」発足の瞬間に
是非お立合い下さい。
開演したその瞬間が、発足の時です。
モーツァルト作曲&ダ・ポンテ台本
ドン・ジョヴァンニ ~ウィーン版~

全2幕 原語・字幕付
上演時間 2時間45分

ドン・ジョヴァンニ 大西 信太郎
レポレッロ  中野 文哉
ドンナ・アンナ  松浦 小夏
ドン・オッターヴィオ  島袋 羊太
ドンナ・エルヴィーラ  水野 昌代
ゼッリーナ  西田 安希
マゼット&騎士長  米田 良一郎

合唱  松岡 直美  山口 慧  中川 智樹  有本 裕之

ピアノ  石原 綾乃
ヴァイオリン  竹田 早希  藤井 里紗
音楽助手  小林 聡子 向谷 紗栄 上畑 藍子
指揮&チェンバロ&演出  梵智 惇声
制作  サロン・ドゥ・アヴェンヌ
Conceptus発足準備の会

2015/09/08 04:19 | 演奏会情報 | No Comments
2015/09/01

皆さん、おはようございます。

この度、ぼんちオペラの中核メンバーにより
音楽グループの立ち上げを致します。
ただし、発足そのものはドン・ジョヴァンニの公演開始を以て
発足と致しますため、それまでは
発足準備の会、ということで準備を致します。

さて、名称は「Conceptus」と申します。
ラテン語で、読んで字の如くコンセプト、ということなのですが、
ラテン語には色々な読み方が存在します。
これをイタリア語読みしますと、「コンチェプトゥス」ですし、
ドイツ語読みなら「コンツェプトゥス」です。
フランス語なら「コンセプチュス」みたいなことになるんでしょうか。(笑)
「コンケプトゥス」もありなんでしょうか。

これを、どの読み方をしてもらっても構わない、
各自の読みやすいように読んでくれ、という
自主性に任せるスタンスをとりたいと思います。

・・・ただ、発起人たる私が英語嫌いのため、
英語読みの「コンセプタス」だけは厳禁しようかしら・・・。(笑)
ちなみに、私は「コンツェプトゥス」と読んでいます。

ともあれ、何のためにグループを発足させるかというと、
集いの責任の所在を明らかにしておきたいから、
ということが大きいです。
例えばですが、そもそも我々はほわっとオペラからの出発でした。
ほわっとオペラはマスターが支配人でしたし、
制作がマスターだったので、
根本的な責任の所在はマスターにありました。

ただ、マスターの体調がよろしくなくなるにつれ、
どこまで責任を持って制作していただけるか、
不安を感じてきたのが正直なところです。
マスターが一線を退こうものなら、
ほわっとオペラの一翼でしかなかったぼんちオペラは、
たとえ店が存続しようとも壊滅の危機に瀕します。
そこで、団体、あるいはグループの結成を
いずれはしなければならない、という話を、
水野さんにしていたのがほぼ1年前の状態でした。

それが年末になって、
マスターの引退より悪い知らせが届きました。
マスターの体調が原因の、完全閉店です。
もちろんマスターや家族の負担を考えると、
それが最善の道だったとは思いますが、
ライブの場所として関西で有名だったほわっとが
なくなってしまうというのは、
関西の楽壇にとっても大きな損失だと思いますし、
普通に考えて、ぼんちオペラの危機でもありました。

それが、さほどに最悪の事態ともならず、
ぼんちオペラにとっての危機ともならなかったのは、
昨年の「コジ・ファン・トゥッテ」と「トスカ」が
立ち上げを頼まれていたアヴェンヌオペラの助走として、
アヴェンヌで上演され、今年の「椿姫」から本格的に
アヴェンヌオペラを始動させることが決まっていたからでした。

だからといって、単純にアヴェンヌオペラへの乗り換えが、
今後のぼんちオペラにとって絶対の安泰材料となるわけではありません。
稽古場所の確保一つ考えても、
きちんと責任の所在が明確になる形が必要だと思われました。
つまり、特別な事情がない限り、
その名前で会場をとる、団体名が必要というわけです。

これが設立の背景事情なのですが、
普通であれば、仲間が集って何かやろうとして、
その集いに名称をつける、という手順であろうかと思われます。
我々はそれとは逆の順序で、実績に基づく集いがあり、
それにやっと今、名称をつけるに至ったわけです。

そして、同じグループを設立するのであれば、
誰もが自分のアイデアを形にする権利を有する、
開かれたグループにしたいという願いを持ちました。

こういう経験はありませんか?
何かの演奏会に出演していて、
独特のアイデアを提案した時に、
「それは自分の演奏会でやってちょうだい!」
と言われたことが・・。

自分の演奏会、と簡単に言いますが、
なかなか演奏会を開くことは簡単ではありませんし、
人数を要するものであればなおさらのことです。
しかも、その言葉を発した人は、
「自分の演奏会」を段取りしてあげる気も、
後援してあげる気も、
それどころか、その演奏会に出演してくれる気も、
おそらくはないでしょう。
こんな無責任な言葉で相手を失望させていることに、
きっと気づいてもいないでしょう。
つまり、その時の演奏会に限らず、
提案されたアイデアそのものに対する拒絶、
ということに事実上なってしまっています。

私がこだわるのは、
「自分の演奏会でやって!」とは決して言わず、
「じゃあそれ、うちの演奏会として企画してみて!」
そう言って、うちで段取りしてあげられる、ということです。
その意味で、私の悲願は、
ぼんち発信でない、他の人の企画で動く部門が
完全に機能してくれることです。
つまり、Conceptusは色んな人の企画が動き、
ぼんち企画があくまでもその中の一つとなることです。
そんな意味で、私がいなくなったら消滅する、
そのようなグループ、団体では困るのです。

私が発起人、という名称を使うのも、それが理由です。
発起人は発起した当人しか名乗り得ない名称です。
ですから、Conceptusについては私しかなりようがない。
これが「代表」ならば二代目、三代目がある話です。
でも、「二代目発起人」は理屈上あり得ません。
これは、私が権力者となる構造を回避するとともに、
跡目相続をめぐって争いが生じることを回避するためです。
一番ボスであるはずの私の権力を予め骨抜きして、
この団体に権力者はいない、という姿勢を
後々の為に明確にすることがねらいです。

一応、外部に求められたら
代表としての役割は当座私が果たしますが、
それは必要があってそういう顔をするだけのことで、
内部に対して行使しない、という手本を示しておきます。

長くなりましたが、以上のような背景で
新しい音楽グループの設立説明と致します。
では、以下に趣意書を記しておきます。

Conceptus発足準備の会設立趣意書

当会は梵智惇声を発起人として、
音楽グループConceptus発足の準備を目的とし、
これに賛同する音楽家をメンバーとして設立するものである。
なお、Conceptusの発足は2015年10月16日金曜房宿、
サロン・ドゥ・アヴェンヌにおける
オペラ公演「ドン・ジョヴァンニ」開演に時を同じくする。
発足日は、同日が宿曜占術による最大の吉祥日である
甘露日にあたることにより設定された。

なお、以下に記すConceptusの説明は、
そのまま同グループの設立趣意書として転用し得るものである。
音楽グループConceptus は、
器楽、声楽、コンサート、オペラを問わず、
音楽作品や舞台作品の持つメッセージを最重要視し、
企画発案者の明確なコンセプトを柱として
研究、上演を行うグループであり、
正式名称表記をラテン語で Conceptus とする。
なお、名称の発音については
ドイツ語読み、イタリア語読みなど、
話者各人の好みの発音を用いられることとし、
あえて発音統一への努力を放棄するものである。

「Conceptus 」設立の目的

老若男女を問わず、音楽作品や舞台作品について、
作品、及びその実施方法について考察し、
研究する者が積極的に企画発案者となり、
明確なコンセプトを打ち出して上演する場となることが、
当グループ第一の目的である。
その目的の実施によって、観客が真の芸術に触れ、
人間の真実に至ることを心より祈念するものである。

「Conceptus 」の柱

次の2部門によって構成される。
1:ぼんち発信による企画
2:ぼんち以外の発信による企画
1は梵智惇声による発信の企画であり、
コンサート、オペラなどの上演であり、
特にオペラについては「ぼんちオペラ」と称される。
2は梵智惇声の発信ではない企画であるが、
上演形態については1と同様、特に制限は設けない。
いずれも、器楽演奏家、声楽演奏家など
必要な人員をその都度メンバーとして招集し、
作品創造に必要最小限度の上下、主従関係のみ許容して
制作にあたるものである。
なお、1と2のいずれが主眼であるか、との問いには、
2こそが発起人の主眼であると、書き添えておきたい。

「Conceptus 」の構成員

当グループは発起人の梵智惇声と、
その規模に従って必要とされる役員の他に常の構成員を置かず、
上演作品の必要に応じて出演交渉の上、
その都度参加メンバーとして扱われ、
報酬の分配は極力公平を期すよう行われる。
但し、発足以前のぼんちオペラ参加者を含む参加経験者は、
特に拒否の意思表示がない限り優先的に候補者として
出演交渉される可能性を持つ。
いわば会友のような位置にあると思われたい。

「Conceptus 」の事務局

当グループの事務局は発足にあたって
その基本的な所在地を決定するが、
会場確保の為等の必要に応じ、
窓口となる参加メンバーの自宅など、
適宜臨時の事務局と称することを許容する。

2015/08/31

皆さん、おはようございます。

ぼんちオペラの今後の上演計画について、
多少具体的に書いてみたいと思います。

まずは10月16日のモーツァルト作曲「ドン・ジョヴァンニ」
この日については、後ほど発表することもございます。

次回は4月1日にロッシーニ作曲「セヴィリアの理髪師」
そして、その続編であるモーツァルト作曲「フィガロの結婚」を
夏に上演致します。
これらはボーマルシェの戯曲を原作とする、
「フィガロ3部作」のうち、最初の2作品です。
いずれは第3部のミヨー作曲「罪ある母」とセットで
上演することが出来たら、と考えています。
12月あたりにプッチーニ作曲「ラ・ボエーム」が上演出来たら、
とも考えています。

さて、その次の年、2017年についても構想があります。
この年は歴史ものを上演したいな、と。
まずは尾上和彦作曲「藤戸」
源平合戦においてあったとされる悲劇が元ネタですが、
これを、ぼんち独自の視点でお届けしたいと考えています。
そしてモンテヴェルディ他の作曲「ポッペアの戴冠」
その15年後くらいの話になる、
モーツァルト作曲「皇帝ティートの慈悲」

尾上作品については、
いずれ「仏陀」も取り上げたいと考えています。
また、そろそろ「カルメン」も実現したいところです。
「コジ」や「トスカ」も再演したいところです。
「椿姫」に関しては、おそらくお蔵入りでしょう。
私の表現したいことは、ヴェルディ版では不可能な気がしています。

「こうもり」と「メリー・ウィドウ」についても、
取り上げたいと考えています。
私は一体、いつ死ねるんでしょう?(笑)

2015/08/14

皆さん、おはようございます。
ドン・ジョヴァンニの稽古は進んでいっています。
もっとも、進度は速くありません。

というのも、今回の演出の仕方は、
これまでと少し違った進め方をしているからです。
今までさんざん書いてきましたように、
イスラムを例として演出していますが、
そういった大枠のイメージは持った上で、
細部に関しては、インスピレーション優位で
あえて事前に細かいことを決めずに、
現場に臨んでいます。

関係者には申し訳ないけれど、これではどうしても、
サクサクと進行するというわけにはいきません。
どうしてもこれは!というところは、
おおよそ荒立ちも進めました。
もちろん、指示不足の箇所もありますが。

そうした中で、人物のイメージが
明確になってくることもありました。
例えば松浦小夏さん演じるドンナ・アンナですが、
1ヶ月前にイメージを尋ねられても、
これから書くほどの説明は不可能でした。

まあ、書くだけでセクハラになりかねない内容ですが、
あくまでも作品の話だと思ってお付き合い下さい。
ドンナ・アンナについて、
私に確立しつつあるイメージは「お人形」です。
それも、フランス人形とかそういうイメージの良いものではなく、
「大人のおもちゃ」というか、「ダッチワイフ」というか、
そういう、男にいいように利用されるもの、という感じです。

もちろん、アンナに主体性がなくてそうなっているわけでも、
それがキャラクターなわけでもないと思っています。
でも、最終的にそういう存在でなければ生き延びられない、
という境遇に置かれている人だということです。
イスラム設定、それも原理主義過激派の支配地域、
という設定ですから、
男の決定に口を挟むことはもちろん、
ロクな教育も与えられてはいないでしょう。

ドン・ジョヴァンニにイスラム圏内から連れ出してはもらえない、
ということがわかった時点で、
オッターヴィオに殺されないように振る舞うしか、
生き延びる道はない、ということです。

こんな酷い状況を演出していること自体、
これじゃダメだ、という私のメッセージになります。
私は女性をそんな存在として扱い、
彼女たちが流す涙に目もくれない、
なんてことは到底できません。
私の女性に対する理想は、
まず、尊敬できる相手であること、です。

こんな女性はイヤだ、という見方も出来るでしょうけど、
それ以前に、女性をこんな生き物にしてしまうような、
極端な男性優位の社会がイヤです。

己の欲せざるところ、人に施すなかれ。

まさに、私の欲せざるところをやってくれているのが、
ドン・オッターヴィオの島袋羊太君です。
モラハラとセクハラのオンパレード。
最後はちょっとDVも入れてみようと思ってます。

2015/08/14 11:46 | オペラの話 | No Comments
2015/08/12

皆さん、おはようございます。
長らくご無沙汰致しました。
この間、お寺に勤め始めまして、
とりあえず慣れることに専念しておりました。

ということで、お寺ネタ。
このところ、お盆の回向期間ですので、
毎日経木塔婆の読み上げをしております。
「○○家先祖代々之霊、増進仏果菩提の為」
「○○△△信士、増進仏果菩提の為」
唱えては金一丁している今日この頃です。

増進仏果菩提の為、というのはいったい何でしょう?
ぶっちゃけて言えば、
あの世、若しくは転生先における仏道修行が進み、
悟りを得て仏陀の境地に到達しますように、
ということです。

こうして書いてしまうと、
悟りや解脱について考えたことのない人には、
今一つピンとこないと思います。
悟りを得て、仏陀の境地に到達するということが、
どういう状態になることなのかがわからないし、
我が身にそれが起きた場合、
喜ばしいのか、嫌なのかを想像したこともありませんから。

その境地がどんなものか、
一言で表すならば、
「苦悩がない」という言葉に尽きるでしょうか。

何か心や体にとって、痛いことを経験するとします。
普通であれば、その時も苦悩しますし、
次にその経験をせずに済むことを望み、
その経験が訪れるかも、というシチュエーションであれば、
確実に恐怖し、悩むことだと思います。
しかし、仏陀の境地にあれば、
痛みは感じますが、それが心の苦悩にはなりません。
どうしてこんな痛みを味わわねばならないのか!
なんて考えませんし、次に同じことが起きるにせよ、
恐怖したりはしません。
恐怖で苦悩することがないのです。

逆に、心や体にとって、心地よいことを経験するとします。
普通であれば、その時も喜びを感じますし、
再びその経験が出来ることを望み、
二度とその経験が出来ないかも、ということになると、
渇望は増し、恐怖し、苦悩に変わってしまうことだと思います。
しかし、仏陀の境地にあれば、
心地良さは楽しめますが、それが苦悩には変わりません。
もっと楽しみたい、なんて考えませんし、
二度とないことについても、何とも思いません。
喜びに執着することがないのです。

苦痛は最小限、喜びは最大限、
しかもそのどちらにもとらわれないから、
苦痛も喜びもその場限り。

これがどれだけ素晴らしい状態かわかるでしょうか?
自分が苦痛を感じていることを客観的に考えて、
それが哀しく、残念なことである、と思ったことのない人には、
ひょっとしたらこれだけ解説してもわからないかもしれません。

しかしながら、この文章の目的は、
仏陀の境地の素晴らしさを説き明かすことではありません。
読み上げの趣旨こそが目的です。

「誰それ、増進仏果菩提の為」

この誰それに代入されるものは、私ではありません。
「梵智惇声、増進仏果菩提の為」
これは、未来において誰かが唱えてくれる読み上げでしょう。
私が回向の場においてすることはありません。
つまり、自分以外の誰それが、仏陀の境地に到達しますように。
そんな素晴らしい状態になりますように。
それが読み上げの趣旨です。

その願いそのものが素晴らしいではありませんか。
でも、実際に人間がしていることは何かといえば、
自分の増進仏果菩提の祈願ですらありません。
私たち密教行者が自行で祈願するのは、
悉地成就、ということなので、同義語です。
行中に
「護持仏子悉地成就の為に」
と唱えるのは、
「梵智惇声、増進仏果菩提の為」
というのと、同義語なのです。

大抵の人が願うのは、
増進仏果菩提とは無関係であったり、
酷ければ、全く逆のことであったりです。
増進仏果菩提の素晴らしさを想像できるだけに、
私にとってどれほど残念で悲痛なことか、おわかりでしょうか?

2015/08/12 11:43 | 坊さんからの話 | No Comments
2015/06/11

皆さん、おはようございます。

今日は10月16日のアヴェンヌオペラ公演、
「ドン・ジョヴァンニ」の構想についてお話し致しましょう。

まず今回は、前回2013年2月のほわっと公演とは違い、
ウィーン版にて上演することをお断りしておきます。
よって、オッターヴィオの2幕アリアがなくなり、
1幕にアリアが追加されます。
加えて、ドンナ・エルヴィーラに2幕アリアが、
その前にゼッリーナとレポレッロのデュエットが追加になります。
その他、レチタティーヴォが差し替えられたり、
レポレッロのアリアがレチタティーヴォに変わったりします。

さて、今回のメインテーマは、
排他的集団への当てこすりです。
主にイメージしていただくのは、
イスラム国などの原理主義過激派です。
これは、何教か、ということが問題なのではありません。
どんな風に信仰実践しているのか、が問題となります。
問題視するのは、異教徒を敵視して殺戮しても良い、
という実践の仕方です。
これを、新天地に行ってやっていたのが、キリスト教です。

そんなわけで、1幕冒頭のドンナ・アンナ以外、
女性はヒジャブと言われるスカーフを
頭にかぶってもらいます。
同様に、そのコミュニティに属する男性、
ドン・オッターヴィオとマゼットには、
かなり男尊女卑傾向があり、
オッターヴィオにはモラハラ傾向が、
マゼットにはDV傾向があります。

中でもオッターヴィオにはかなりの野心があり、
機会が訪れれば、味方でさえも切り捨てる冷酷さがあります。
ドンナ・アンナの価値は、娘婿になっていれば
指導者の後継者になれる、というところにあります。
そして、騎士長が早く亡くなれば、
より早く指導者の地位が手に入るのです。

もちろん、一夫一婦主義などではないので、
他の女性にも手を出しています。
そこへドン・ジョヴァンニを追いかけてきたアンナの姿が。
そして、騎士長にドン・ジョヴァンニが重傷を負わせた。
これらの状況を判断するなり、手当すれば間に合う騎士長に
自らとどめを刺して殺し、
「ドン・ジョヴァンニによる」騎士長殺害事件を演出し、
アンナをがんじがらめにして服従させようとし、
ドン・ジョヴァンニを杭に縛り付けて刺し殺し、
自ら地位を確定させていく。
そんなオッターヴィオを作ります。

DG image1

ちなみに、今回は騎士長とマゼットを、
二役でキャスティングしていますが、
マゼットは騎士長の隠し子として演出しています。
風貌がよく似ているため、
何かの時には騎士長の影武者にもなるのです。
最後のシーンで騎士長の亡霊として出てくるのは、
もちろんマゼットその人です。

さて、今回はナレーションを用いません。
字幕でカットしたレチタティーヴォを補いますが、
その内容は神、ヤハウェ、アッラーという目線で書きます。
一神教に対する冒涜と言われても仕方ないのですが、
いわば、預言書を私が創作しているような感じです。
読み方によっては、コーランのように見えるかも。

こうして書き出してみると、
ドン・ジョヴァンニってやっぱり幅広いというか、
懐の深いオペラですね。
どんなふうにでも出来る。(笑)

 

そして最後はピエタで〆ます。

DG image2

 

なお、キャストはこんな感じです。

ドン・ジョヴァンニ 大西信太郎

レポレッロ 中野文哉

ドンナ・アンナ 松浦小夏

ドン・オッターヴィオ 島袋羊太

ドンナ・エルヴィーラ 水野昌代

ゼッリーナ 西田安希

マゼット&騎士長 米田良一郎

 

2015/06/11 01:25 | オペラの話 | No Comments
2015/06/04

・・・とは、なかなか参りませんようで。

皆さん、おはようございます。
椿姫があり、その他諸々で1ヶ月半ばかりお休みをいただきました。

まずは椿姫、無事に終演致しました。
およそ及第点の内容だったとは思います。
色々難所や事故はありましたが、
そんなのはどのオペラでも同じことです。

とはいうものの、やっぱり手ごわかった。
それは、椿姫が、というよりは、
椿姫に対する自分自身の気持ちが、です。
簡単に言えば、夢の中にしかいない、
架空の異性と添い遂げようとしているようなもの、ですか。

私が愛しているのは、モデルとなったマリー・デュプレシーでも、
オペラ版のヴィオレッタでもありません。
あくまでも、椿姫原作小説のマルグリットです。
オペラをするにあたって、
原作小説に極力近づければ、
私の気持ちを形にすることができるのか、と思っていました。
残念ながら、そのアプローチではダメなようです。

通常のオペラ版よりも、事情説明は出来たと思いますが、
私のマルグリットに対する気持ちがわかってもらえそうか、
私の女の愛し方がわかってもらえたか、といえば、
おそらく否でしょう。

しかも、そのことに気付いて愕然としたのが、
オペラが終わって2、3日後のことです。
それもいきなり・・・。
この不満は、いずれボエームにぶつけたいと思っています。

さて、次は10月16日のドン・ジョヴァンニですが、
その前に超えねばならない山があります。
それが、7月3日です。

omoide2015

関西二期会の企画演奏会、「想い出のあの歌」です。
ひょんなことから出ることになりまして、
私が関わる演奏会としては珍しいものです。
私が歌うのは、
神田川、証城寺の狸囃子、犬のおまわりさん、
いつでも夢を、翼をください、アメージング・グレース
といったところ。
あとは、全体の合唱ですね。

親しみやすい歌をオペラ歌手が、という企画です。
チケットだけは売るほどありますので、
どうぞお越し下さい。

7月3日夜、場所は大阪ビジネスパーク駅、
あるいは大阪城公園駅のいずみホールです。
振り付きの歌もありますので、
見てる方は結構楽しめると思います。
やってる方は・・・結構必死だったりして、
隣の人の苦労を見るのが楽しかったりします。(笑)

次回は、ドン・ジョヴァンニのお話でも致しましょうかね。
相当変わったドン・ジョヴァンニになりますこと、
ご承知おき下さい。
ひょっとしたら私、殺されるかも!

2015/04/14

皆さん、おはようございます。

チラシのデザインがあがってきました。
ということで、改めて宣伝です。

image

 

実はこのチラシのデザイン、
私からのオーダーがかなり入っています。
というか、正直期待以上の出来です。

まず、オペラ劇場とか、シャンデリアとか、
そういう絢爛豪華に見える要素を
一切排除してもらうことをお願いしました。
これは形というより配色の問題として、
マフィアやヤクザの服装のデザイン、
例えば白のスーツに黒のシャツ、
赤とか金は、チーフや時計、アクセサリーなど、
ワンポイント的にあるものの、
支配的なのは白と黒、
というようなイメージをお伝えしました。

そもそも、椿姫の主人公といえばヴィオレッタで、
つまりは女性の話のはずなんですが、
期待以上と申し上げたのは実際の仕上がりで、
ここには女性を感じさせるものが何も描かれていません。
あるのは男性と思しき黒い影の中に書かれた、
キャッチフレーズの一文だけです。

私は女性を出すな、というオーダーはしていません。
もし私が、ごく一般的な解釈で上演するつもりであれば、
このチラシはおそらく最低の出来、
デザイナーに突き返して怒鳴り込み、
次から一切頼まない、というレベルの仕事です。
ところがどっこい、
実際にはこれほど私の意図を汲み尽くしたデザインは、
ちょっとそこいらにあるものではありません。

私が直接的に描きたいものは、
マルグリットをあんな風に扱った男の社会です。
そして、そのマルグリットを作り出した、
デュマ・フィスへの共感です。

これは自分がそんなことをしてから知ったのですが、
デュマ・フィスは自分がマルグリットのモデル、
マリー・デュプレシに書き送った皮肉交じりの手紙を、
椿姫の中で、アルマンからマルグリットへの手紙として、
少し膨らませてはいますが、ほぼそのまま使っています。
実は私は同じことをしてしまった経験があります。
今回の椿姫を組み立てる上で資料を読み漁っていて、
そのことを知った時には愕然ともしましたが、
それ以上に、ひょっとしたらデュマ・フィスは俺の前世か?
などと思うほどに親近感を覚えました。

もっとも、実際の上演では、
私の親近感などよりは、起こっていることの悲惨さ、
繰り広げられる世界の酷さの方が、
お客さんには伝わるであろうと思われます。
しかし、それこそがこのチラシで予告していることです。
チラシは、私が考えていた以上に告げています。
恐ろしい世界の話なのだ、と。

椿姫の根底の部分に触れたい方は、
是非お越し下さい。

2015年5月15日 午後6時45分からプレトーク、
そして19時上演スタートです。
デュマ・フィス「椿姫」

ヴェルディ「ラ・トラヴィアータ」より

ヴィオレッタ・ヴァレリー(マルグリット・ゴーチエ)  水津葵香子
アルフレード・ジェルモン  前田満
ジョルジョ・ジェルモン  山咲響
フローラ・ベルヴォア  松浦小夏
ガストン子爵  神矢匡
ドゥフォール男爵  大西信太郎
ドビニー侯爵  米田良一郎
グランヴィル医師  坂上洋一
アンニーナ  山口慧
ジュゼッペ  中川智樹
使者  中野文哉
合唱   山口慧  福岡さくら  中川智樹  中野文哉

ピアノ  小林聡子

ヴァイオリン  竹田早希

指揮・演出  梵智惇声

制作  サロン・ドゥ・アヴェンヌ
19時開演 18時45分よりプレトーク。

2015/04/14 03:45 | 演奏会情報 | No Comments
2015/03/31

皆さん、おはようございます。

実は先日、調伏護摩というやつを焚きました。
別名、降伏護摩ともいいまして、
要するに何かをねじ伏せる、というような護摩です。
伏せ調えるのか、伏せ降すのか、という言い方の違い。

時代劇や歴史ドラマなどで、
合戦に際し、領内の僧侶に命じて、
戦勝祈願・・・といえば良い言い方ですが、
相手を打ち負かす祈願をさせる、というシーンがあります。
護摩を焚いていれば、それが調伏護摩というやつです。

これを個人に向けて行うとどうなるかというと、
一般的には呪詛、つまり呪いだと考えられています。
確かに完全な間違いだとも言えない部分があります。
例えばここにどうしようもない悪党がいて、
この悪党が積み続ける悪業をどうにかして下さい、と
調伏祈祷をかけるとします。
何かで痛い目に遭うことがきっかけで改心出来る範囲であれば、
きっとそのようになるでしょう。
しかし、痛めつけたくらいでは改心出来なさそうな場合、
この悪党はかなり不本意な死を迎えることでしょう。

現象だけ見ていると、
AさんがBさんに祈祷をかけて、結果Bさんが死ぬ・・・
これでは呪ったようにしか見えませんよね。

 

chobukugomadan

さて、対象は何であれ、何かをねじ伏せてくれ、
と祈祷する以上、それは調伏の祈祷です。
そして、墨で染めたゴマとか、鉄粉とか、
およそ食えないもので黒いものを供物として火に投じます。
また、六器には刺のある葉っぱ、ヒイラギの葉を供えました。
これだけでも、怪しい呪詛をかけているように見えるでしょう。

しかも、こういった供物を火に投じつつ、
口で何と言っているかというと、
真言を書くのは差し控えますが、
ニュアンスとしては、「ドタマとってこんかい!」という感じ。

恐ろしげなものを火に投じる身の行い、
そして真言を唱える口の行い、
この二つについては、呪詛と方法論は同じです。
だとすると、呪詛と一線を画す要素は何か、ということになりますが、
それは意密、つまり、心の行い、働きであります。
そして、護摩に限らずあらゆる修法の大事な部分、奥義の部分は、
まさにこの意密にあるわけでして、
そこが呪詛でないから、この修法が呪詛でないのです。

今回は、衆生の三毒、つまり貪(貪り)、瞋(怒り)、痴(愚かさ)を
調伏の対象とし、それに関連する諸々の悪心や悪縁が
伏せ調えられるように、という祈願をしました。

坊主の祈りとしては至極真っ当な内容だと思いますが、
それでもこの修法、色んな意味で痛かったことは確かです。
まず、必然的に刺だらけのヒイラギが目の前にあるわけで、
六器をいじるたびに痛かったことは言うまでもありません。

また、いきなり火が消えて、すごい煙が噴き上げ、
南蛮燻しを食らって目が痛かったの何の!
涙を流しながらの修法でした。
やがてついた火も、暴れること暴れること。
右手は危うく火傷するところだった場面が何度も。

 

chobukugoma

そして、何よりふらつくような疲労が・・・。

さらに不思議なことが続きます。
翌日の昼食を約束していた友人が、
深夜に料理をしていて、油が跳ねて右手に結構な火傷を負いました。
キャンセルを申し出るLINEを受け取った時、蒼くなりました。
決して直接的な関連があるとは思いません。
ただ、私が調伏護摩を焚いていなければ、
その火傷は今日ではなかったかもしれない、とは思います。
たとえ、友人に火傷を負うべき業があったとしても、
それは別の日に起こったのではないか、
というのが私の思うところです。

このように、調伏護摩の何たるかを、
身を以て経験することが出来たのは、
良い勉強にはなったと思っています。
息災、増益、敬愛という
普段修している祈祷でそこまでなったことは、
これまで一度もありませんでしたから。

そして、決して間違った願意ではない祈祷でさえ、
このような痛い現象を引き起こすわけですから、
本当に呪詛として使ったらどうなるのか、
考えずにいられない、という点でも
良い学びであったと考えることにしました。

2015/03/31 01:56 | 坊さんからの話 | No Comments
2015/03/31

avene traviata keiko2

avene traviata keiko1

 

皆さん、おはようございます。

いよいよ1カ月半となりました。
アヴェンヌオペラ「椿姫」の宣伝をさせていただきます。

5月15日夜、北新地のサロン・ドゥ・アヴェンヌにて
アレクサンドル・デュマ・フィス作の
「椿姫」を上演致します。
音楽はジュゼッペ・ヴェルディの「ラ・トラヴィアータ」より。
ヴェルディのオペラがやりたくてやるわけではない感満載の
宣伝の仕方でございますねえ。(笑)

何度も申しますように、
ヴェルディの「ラ・トラヴィアータ」は最も嫌いなオペラです。
如何にも、これがオペラでござい!という受容の姿勢が嫌いです。
英語を世界の共通語だ、とする見解に対して抱くのと同程度に、
かなりの嫌悪感を覚えます。

ですから、オペラの代表作には見えも聞こえもしないようにやります。
方法論は一つ。
楽譜に忠実であること!
そうやって、そこからデュマ・フィス作「椿姫」を作り上げます。

デュマ・フィス「椿姫」

ヴェルディ「ラ・トラヴィアータ」より

ヴィオレッタ・ヴァレリー(マルグリット・ゴーチエ)  水津葵香子
アルフレード・ジェルモン  前田満
ジョルジョ・ジェルモン  山咲響
フローラ・ベルヴォア  松浦小夏
ガストン子爵  神矢匡
ドゥフォール男爵  大西信太郎
ドビニー侯爵  米田良一郎
グランヴィル医師  坂上洋一
アンニーナ  山口慧
ジュゼッペ  中川智樹
使者  中野文哉
合唱   山口慧  福岡さくら  中川智樹  中野文哉

 

ピアノ  小林聡子

ヴァイオリン  竹田早希

指揮・演出  梵智惇声

制作  サロン・ドゥ・アヴェンヌ
19時開演 18時45分よりプレトーク。
プレトークは是非聞いて下さいね。
でないと、驚きと嫌悪感のうちに終わってしまうでしょう。

あ、嫌悪感を持って観ることは大いに期待します。
私のことを嫌いになって下さることは勲章でもあります。
その位置から見てほしい作品です。

2015/03/31 01:19 | 演奏会情報 | No Comments

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