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2015/10/09

皆さん、おはようございます。

朝ドラで幕末から明治大正、というドラマをやっていますが、
ヒロインたち姉妹の結婚話を出勤前にチラ見することがあり、
この時代の商家の物の考え方を鑑みずにはいられませんでした。

昔の結婚は、戦国時代などはさらに極端な背景がありましたが、
基本的に家と家との結びつきであり、
個人の都合が考慮されることはありませんでした。
今でもイスラム諸国の結婚は、結構そんなのもあるんじゃないでしょうか。

西洋の貴族階級ともなると、
一応結婚は家と家の都合、国と国の都合で行われたものの、
そうした恋愛の介在しない結婚においては、
夫婦互いに愛を外に求めることを
半ば公然と行っていたこともあります。

ところがイスラムや日本でそこのところはどうかといえば、
そんなことをしたら命に関わります。
イスラムなら姦通で石打の刑、
日本でも二つ重ねて斬り捨ててオッケーという事例です。
しかも、妻と間男だけ。

ここでは日本を見ていきましょう。
商家などの子女に、子供の頃から許婚がいて、
有無を言わさずそこに嫁がされる、というシステム、
一体何のためにそんなことをしていたのでしょう?
当事者たちの意識としては家と家を結びつけることによって、
相互の家、家業の維持発展が目的だったでしょう。
しかし、全員がそう思って結婚を成立させているとしたら、
それは何を成立させていることになるのでしょうか?

数ある商家や武家が成立することで成立するもの、
それは社会です。
日本は島国で、ただでさえ孤立状態である上、
当時は鎖国体制にあったか、鎖国はしていないまでも、
その影響が引き続いていたかの状態であり、
実際、家と家の結婚は戦後も行われていました。

社会という名の全体の存続を優先させることを、
全体主義といいます。
その中においては、個人の幸福の追求は二の次、
というよりもむしろ、無視されます。
嫁いだ先で幸せになってくれればいいが、
不幸になったところで、全体の存続の前には無視、
嫁ぎ先で理不尽な扱いを受けたところで、
それは「運が悪かった」ような結論で終わり。

この「運が悪かった」部分を補完するのに使えるのが、
仏教の因果応報理論です。
「今が苦しいのは、前世の行いの報い」
この証明できない理屈で丸め込むわけです。
ひょっとしたらその通りなのかもしれませんが、
証明できない以上、その理屈で丸め込むことは間違っています。

しかし、証明できないという理由で、
その丸め込みが間違っている、という考え方は、
極めて現代的な発想であって、
当時の人たちに許される考え方ではありません。
それこそ命に関わります。
天皇家以下、その理屈で動いているわけですから。

そもそも、昔の人たちがそういう生き方をしていたからこそ、
今の私たちがあるようなものです。
昔の人たちが今のような考え方をしていたら、
国がどうなったかすら定かではありません。
歴史とはもはや善悪、是非ではありません。
こうしたからこうなった、の積み重ねでしかないのです。

2015/10/09 03:14 | 坊さんからの話 | No Comments

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