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2010/06/06

皆様、おはようございます。

今回は翌年、モーツァルトイヤーであった2006年に出演した、
「皇帝ティートの慈悲」、「こうもり&メリー・ウィドウ」
両公演について書いていきましょう。

前者にはタイトル役のローマ皇帝ティート役で、
後者には、両演目の指揮者、及びメリーの演出として参加しました。
前者が7月1日と2日、後者がその数日後という、
稽古日程としては過酷なものでした。

そんな過酷なスケジュールにしたのはなぜか、というと
私は仮にも大阪からの出張ですので、
効率的に稽古、上演しないとお金がかかりすぎるからなのです。
どちらも同じ団体の公演。(つまりY氏のプロデュース)
一方の稽古のない日に、他方の稽古を組むものですから、
私には休日というものがありませんでした。

「ティート」では主役を歌い、
「こうもり&メリー」ではずっと腕を振り回している、という状態。
これでは体はすぐにクタクタになってしまいます。
加えて、色々と思うように進まないことがありました。

まず、「こうもり&メリー」の合唱集めがうまくいきませんでした。
おかげで、実際に蓋をあけてみると、
苦心して書いた上演台本の意図は実現できなくなりました。
しかも、Y氏はプロデューサーであることの他に、
「こうもり」の演出、「メリー」のダニロ役をしていたのですが、
ドイツ語上演した「メリー」のダニロ役がいつまでも覚えられず、
それを誤魔化すために、「こうもり」の稽古ばかりするのです。
「メリー」は結構ダニロが活躍しますから、
それなりに稽古してくれなければ、立ちが決められない。

そして、同時進行の「ティート」がどんどん迫ってきて、
私にも余裕がなくなり、ものを考える力が失せてきます。
とうとう、「メリー」の演出が危なくなってきました。

さて、この「こうもり&メリー」には、
関西から私の友人も参加していたのですが、
彼が「メリー」の細かい演技をつけることを買って出てくれました。
つまり、私の台本に基づく下請け作業です。
Y氏からも、「どんどん下請けに出さなきゃだめだよ」
と言われたので、私はこの友人にかなり任せ、
最終的な調整のみ私がチェックして行うことにしました。
友人は、大変よくやってくれました。

一方、「ティート」の現場も大変なものでした。
私の組の女性歌手たちは皆、反Y氏派になり、
最終的には指揮者も反Y氏になりました。
ある時など、Y氏が演出の現場放棄をしたこともありました。
その結果、また統制がとれなくなって事態が紛糾、
一日として穏やかに終わる日はありませんでした。
それでも何とか上演が終わりました。

「ティート」が終わるまで、いかに私が殺人的スケジュールだったか、
よく表れていることがあります。
無事ティート役を終え、宿に帰って最初にしたこと。
それは、座ってテレビのスイッチを入れたことでした。
東京入り以来、1ヶ月ほどそこに滞在していたわけですが、
その間、一度もテレビをつけなかったのです。
役目の半分を終えて、初めてテレビをつける余裕が出来たのです。
もちろん、それまでにもテレビをつける時間くらいはありました。
でも、つけようと思うことも、つけようかどうか迷うことも、
一切なかったのです。
つまり、テレビのことなど、まったく意識にのぼりませんでした。
せっかく東京にいるのに、彼女と会う時間もありませんでした。
やっと会ったのは、「ティート」の後です。

さて、「こうもり&メリー」の方もかなり大変でした。
心理的に一番大変だったのが、メリーのキャストの1人です。
この女性キャスト、Y氏が以前より好意を抱いていた人妻で、
友達にはなっていたのですが、関係は持っていなかったと。
キャスティングの段階でY氏から、「カワイイよ」
そう聞いていたのですが、実際に稽古が始まってみると、
まったく可愛いとは思えない。
Y氏は何かと彼女の欠点をしつこく取り上げては、
横で指揮している私を差し置いて文句をつけていて、
彼女から発せられる嫌悪感が酷くて、
とてもじゃないけどカワイイなんて思える雰囲気ではない。

同じ年の秋に、別の現場で彼女と再会しましたけど、
この時はは気持ちよく仕事していたらしく、
その稽古で会った時に、初めて彼女を可愛いと思うことができました。
それくらい「こうもり&メリー」は異常な空気での稽古だったのです。

この「こうもり&メリー」がどんな公演となったか、
次回はそれを書いてみたいと思います。
期待を乞うても良いくらい、最悪なことになりました・・・。

2010/06/06 11:26 | 私の説明書 | No Comments

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