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2010/03/09

皆様、おはようございます。

話は中学校3年にさかのぼりますが、
音楽の先生であった小林先生の出るオペラやコンサートを
数回見に行ったものです。
その中に、奈良在住のある作曲家のオペラで、
先生がタイトルロールを演じたことがありまして、
我が家のすぐ近く、南御堂で上演されましたので、
見に行って気に入ってしまった作品があります。

それは尾上和彦という作曲家の「ブッダ」というオペラです。
今は「仏陀=求道の人=」という1本のオペラに完結していますが、
私が見た時は「ブッダⅠ=真理の人=」という1作目、
「ブッダⅡ=永遠の今=」という2作目が現存し、
3作目として「ブッダⅢ=生命の歌」が予定されている、
という3部作ものとして上演されていました。

その後、小林先生が留学される少し前、
「ブッダⅠ」は改訂・増補されて「=散華=」というタイトルになり、
そのタイトルロールであるシッダルタ(釈迦)を演じて、
先生はウィーンに留学されました。

大変暗いというか、陰気というか、
異様な雰囲気で始まるオペラでしたので、
一発で気に入ってしまいました。
また、これには1人2役で演じられる、
キャラクターテノール用のパートがあり、
いつかこのオペラに関わりたいものだ、
楽譜を見たい、と思うようになりました。

それとは別に、高校になって音楽の先生が替わり、
音大を出たばかりの女性の先生になったのですが、
どういうわけか、昔から年若い女性の音楽の先生とは
ウマが合わず、冷ややかになってしまったり、
険悪な空気になってしまったり、という傾向がありました。
この時もやはりそうなってしまいましたが、
私の歌の能力に目をつけてくれた人が1人現れました。

大阪音楽大学4回生で、教育実習にやってきた女性です。
その時、昼休みに音楽室で、
モーツァルトのオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」の一節を
ピアノを叩きながら歌っていたのですが、
それを聞いたその女性が私を自分の師匠のところに
連れて行ってくれました。

それから、大阪音楽大学受験を目指して、
声楽のレッスンを始めることになりました。

レッスンに通いだしたことで一定の自信が出来たのか、
オペラ「ブッダ」の事務局に、連絡を取りました。
次の公演予定はあるのか、と問い合わせたわけです。
すると、10月に東大寺大仏殿前で公演するが、
是非合唱に参加して下さい、というお誘いを受けました。
楽譜が手に入るのです。
即座にYesの返答を致しました。

稽古は基本的に、作曲家自身によって行われます。
彼は公演の指揮もするのです。
合唱の稽古には合唱の部分だけ抜き出した楽譜が配られましたが、
作曲家に頼み込んで全曲の楽譜をもらいました。
とりあえず東大寺の公演はそれで終わったのですが、
引き続いて、宇陀のお寺で上演されることになっていたため、
稽古が続行されました。

その中のある時、私のやりたい役をしているキャストが
いない状態での稽古がありました。
その時までにその役を覚えきっていた私は、
飛び入りでその役を歌いきりました。
それ以来、その役に限らず、
誰か男性歌手がいない時はそのパートの穴埋めをする、
という私独特の下積み修業が始まりました。

これは「ブッダ」に限らず、
その後初演された「堅花子の花(現・ヤカモチ)」でも
やはり全曲の楽譜をもらって準備したものです。
また、基本的に私は作曲もしますから、
「アイデアの変遷」「作品の変遷」というものにも興味があります。
以前のバージョンがどうなっていたのか、
という研究も、音源を借りて行いました。
ここが、私の「音楽学的研究」の基礎を作ったようです。
今でも、作曲家が初めはどういうアイデアを出し、
それをどう書き直して最終的な形に至ったか、
そこを追求せずして私の演奏はあり得ません。

このような研究のおかげか、
今でもこの作曲家のスタイルで作曲することが可能です。

ところで、こんな風に送っていた私の音楽生活ですが、
肝心(とは私は思ってませんでしたが)の高校生活は、
この音楽生活のためにメチャクチャになっていました。
なにせ、音楽の先生はお互いに気に入らないものだから、
まったく交流がなく、教えてももらわない。
そして学校へもろくに行かずに音楽ばかり研究してましたから、
学校の勉強、とりわけ元々苦手な理数科目は散々、
数学Ⅰに至っては2点という栄えある点数をとったこともあります。

私が自信あるのは音楽と宗教についての経験だけ。
およそ今とまったく変わらない状態が、
この時からあったわけです。
ただ、普通の人であれば、自信ある部分は部分として、
そういう散々な成績に対しては何らかの危機感を持つものです。
しかし私は、むしろ自慢にさえ思っています。
散々な成績を屁とも思わない自分を!

さて、恵まれているとはいえない学校生活だったのですが、
・・・まあ芸術的な方面にですけれども、
私を発奮させてくれた人がクラスメートにいました。
宝塚歌劇団雪組の元トップ娘役の「紺野まひる」です。
彼女は1年だけ、雲雀丘学園に在学したのですが、
1年間音楽の授業を受けていて、歌わされると
音楽室の中で聞こえる声は私と彼女の2人分だけでした。
音楽家目指して声楽のレッスンを受ける私と、
宝塚目指して励む彼女、
他に類似の方面を目指す人はいなかったのですから、
仕方のない話だったかもしれません。
この年頃の子は、滅多に声を出しませんから。

3年後、彼女は・・・彼女自身は意図せずしてですが・・・
私が東京でオペラデビューをするきっかけとなります。

さて、今日はこのあたりにしておきましょう。
次は、オペラデビューの話を書きたいと思います。
このあたりから、身の回りのどの事象を考えても、
これが起きなければ、今の私はない、
と言い切れそうなことばかりが起こっています。
その中のどれか一つがなかった、あるいは別のことだっただけでも、
現在の私はかなり違っていただろう、ということばかりです。

2010/03/09 04:08 | 私の説明書 | No Comments

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