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2012/04/25

皆さん、おはようございます。
世の中には様々な発声法が存在しています。

・・・というよりも、発声法の宣伝が存在しているのですが。

しかし、発声法の表現としてよく使われる。
「こうしなければならない」
「こうすべきだ」
というのは、極端な発言ですけど、全部ウソです。

よく「悪いオーケストラがあるのではなく、悪い指揮者がいるだけだ」
という言い方があるんですけども、
その言い方を借りますとね、
「正しい発声法があるわけではなく、してはいけないことがあるだけだ」
ということが出来ると思います。

まず、声というのがどうしたら出るのか、
ということを考えてみて下さい。
そもそも、声というのは、声帯からしか出ません。
発声をどう考えるのであろうと、
その単純な事実から認識するより他ないのです。
しかし、声帯が振動して出る音なんて微弱なもんです。
それが、体という共鳴箱が使われることによって、
他人様に聞いてもらえる音量に達するのです。

するとね、言えることはたった一つになるんですよ。
声帯が無理な振動のしかたをすることなく、
共鳴箱が使用不能なほど力むことなく声を出すこと。
これが発声に関する極意です。

つまり、「してはいけないこと」の形に置き換えるとすると、

・声帯を無理に鳴らすこと
・共鳴箱に蓋をするほどガチガチになること

この2つの禁止事項さえしなければ、
正しい発声だと言えるはずなんです。
私を含めて、技術が未完成な歌手というのは、
その未熟な部分で、上記2つのうちどちらか、
あるいは両方のことが起こっている人のことなんです。

で、「正しい発声法があるわけではない」というのは
どういうことかというと、
どうすればどの音域のどんなシチュエーションでも、
禁止事項が起きないようになるか、ということについては、
人それぞれ違っていて、
万人がこう考えればそれが出来る、ということはない、
ってことなんです。

また、同じ人でも、今日と明日では、
考えねばならないことが別、ということもあり得ます。
体調や環境でそんなことは一気に変わるのです。
絶対に安心立命の教義を立てられるようなもんではないのです。

例えば、これまた極端な例ですが、
人によってはその育成環境のため、
大きな声を出したことがない、という人がいます。
この人に、いくら通常のレッスンを施したところで、
決して歌唱に使える声は出せやしません。
まずやらせなければならないのは、
多少喉を傷めようと(極端に傷めるのはNGですが)、
体がガチガチになろうと、
思いっきり声を出す、という行為自体に慣れることです。
体が無意識に築いたタブーを打ち破る必要があるのです。
正しい状態に導いていくのは、その後の作業です。

つまり、人によっては禁則さえ一旦忘れる必要がある。
それが発声法というものです。
逆にいえば、オペラ歌手の能力というものは、
実はそう特殊な能力というわけではない、ということです。
人によって手段を選ばずに訓練すれば、
誰でもそれなりに声を出すことは出来るようになるんです。
それも、楽音を、です。

2012/04/25 06:32 | 音楽理論 | No Comments

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