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2009/12/02

ぼんち、という響き、少し笑いを含むニュアンスを感じませんか?
梵智というのは前回ご説明しましたように、もちろん姓ではありません。
道号といって、俳号のようなものですから、私がつけたわけです。
しかし、完全に私がつけたのか、というと、これも違います。

今回は、なぜ私が「ぼんち」なのか、それを説明したいと思います。

これは、私が坊さんであることよりも、オペラ歌手であったことに起因します。
とある友人の勧めに従って、上方落語を見聞きし始めたことが発端です。
この友人は、オペラ歌手として作品全体についての見識を持つことができるように、
という意味で、私に落語を勧めてくれました。
落語は基本的に扇子と手ぬぐいだけを小道具にして話を進めていきますが、
そこには観客の想像力が必要不可欠です。
この想像力がオペラの舞台を把握し、より高い視点から演技を考える力となる、
そういう目的で落語を勧めてくれたわけです。

ただ、この友人は私の性格の一端を見落としていました。
オペラを始めたのも、当然「これは良い!」と思ったからですが、
つまり私は、「これは良い!」と思ったらそれを見聞きするばかりではなく、
人前に出てそれをやってみたい、という衝動に駆られる人間なのです。
だから実際にオペラの舞台に出るわけでして。

はい、というわけで、素人落語を始めてしまいました。
もちろん落語を喋る時の喉の使い方は歌とは違います。
しかも、影響がないわけではなく、本気で一席喋りますと、
一ヶ月は歌の方が使い物にならなくなります。
このため、2年で実演はやめてしまいましたが、
その間につけられた名前の方は残ります。
この名前を「高座名」と言いますが、私の高座名は「船場家ぼんち」。

大阪は中央区、船場の生まれであり、今も住んでいます。
その、商人の町「船場」の「アホぼん」というのがその意味合い。
名付け親は初舞台をした催しの代表者の方でした。
もうだいぶ前に亡くなられてしまったのですが、
本当に世話好きな方でありました。(合掌)

それから時は流れ、インターネットの世界、
ことにオペラ業界で「ぼんち」といえば私のこと、
という認識が広がりまして、
今では俗名で呼ばれるよりは「ぼんち」と呼ばれる方が、
私としてもしっくりくるようになりました。
そんな折、高野山で得度することになり、僧名を考えることになったわけですが、
世話をして下さった方が、「ぼんち」を僧名にしてはどうか、
という提案をして下さいました。
字は今使っています「梵智」。

これはいい、ということで帰宅したのですが、
調べてみると一つ問題がありました。
「梵」という字が人名用漢字として認められておらず、
改名するに際し、受理されない名前だ、ということがわかったのです。
「梵」の字を別の字に置き換えることも検討したのですが、
そこでふと一つの可能性を見出しました。
僧名は別につけ、「梵智」を道号にする、という発想を。

真言宗の坊さんの場合、道号というのは通常持ちません。
これは禅宗、中でも臨済宗において使われているようです。
しかし、禅も大好きな私にはぴったりの方法。
それで「梵智○○」にする、ということに決めたわけです。

残るは肝心の僧名です。(笑)
道号から決める坊さんなんて、どこにもいないでしょう。
下手すると、住職資格をとってからつけるくらいですし、
得度早々なんて、何とも生意気な話です。
しかし、私は梵智という名前を正当なものとしたかった・・。
そう、我々芸をもって身を立てんとする人間には、
芸名、ステージネームというものがございます。
この必要性から、あえて得度と同時に道号も持つことにしました。

そんなわけで、多少は字画も気にしつつ、
最終的には字画など気にしないで、(笑)
つけた僧名が「惇声」でした。

さて、次回はこの「梵智惇声」という名前の意味合いをご説明致しましょう。

2009/12/02 01:08 | 私の説明書 | No Comments

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