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2016/04/05

皆さん、おはようございます。

今日よりちょうど1ヶ月前、
2016年3月5日、オーストリアにて、
20世紀から21世紀にかけて音楽界を牽引した偉大な指揮者、
ニコラウス・アーノンクール氏が逝去されました。

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私は昨年、盟友である水野昌代女史と共に、
音楽グループConceptusを立ち上げましたが、
私がぼんちオペラなるものの指揮、演出を行い、
バロックや古典派の音楽のみならず、
元々好むことのなかったヴェルディやプッチーニといった、
ロマン派後期の作品にまで、手を伸ばしている、
そのこと自体、アーノンクール氏の業績なくしては、
決して成立していないと確信しております。

思えば、1999年2月に、
神戸オペラ協会(現ニュー・オペラシアター神戸)の魔笛に、
僧侶役で出演したことが、決定打となりました。
この時、指揮者だったのが本名徹次氏で、
彼はオランダでアーノンクール氏の現場に立ち会い、
薫陶を受け、資料をひも解いて学んだ、
ピリオド・アプローチを日本でも実践されていました。

この古楽奏法とも言われるピリオド・アプローチ、
オペラをひたすら朗々と歌い上げる現代的な唱法を、
日々実践している人間にとっては、初めは不都合なものです。
繊細さが要求され、歌手の都合で歌うことができません。
愚かにも、その現場にいる間はそうとしか思えなかったのですが、
後日、日本人音楽家へのインタビュー書籍において、
本名徹次氏がとりあげられ、どのようにしてこの奏法に至り、
どのような資料で勉強したか、ということが書かれているのを見て、
検証した結果、これこそ私の中でモーツァルトを演奏する、
最適な方法論である、という結論に至り、
本名氏同様、レオポルト・モーツァルトのヴァイオリン教本など、
昔の教本や資料を漁り、研究しました。

この過程は、アーノンクール氏の存在なくしては、
決してたどることのできない過程でした。
この研究成果をもって、改めて歌唱法を見直すと、
ピリオド・アプローチとはなんと自由で楽な、都合の良い方法論なんだろう、
という評価に変わってしまったのです。
もちろんその興味は声楽のみならず、器楽にも及び、
小学校以来の指揮者としての欲が蘇り、
こうして今に至っております。

そんな2000年あたり以前のアーノンクール氏の録音に加え、
それ以降にも繰り出される演奏を映像や録音で聴き、
私なりの資料研究の結果も大胆に取り入れたものが、
現在の私の楽譜の読み方、演奏の仕方となっています。
私はオペラにおけるキャラクターテノール歌手としては、
それなりの仕事をしてきたつもりですし、
リート歌手としても、そこそこの能力はあると自負しています。
しかしながら、それらを支えているもの、
能力に加え、明確な方向性を与えてくれているのは、
紛れもなく、ピリオド・アプローチの概念です。
ぼんち独特の色を引き出すツール、
それはアーノンクール氏なくしてはあり得ません。

アーノンクール氏は間違いなく、私の「心の師」です。

その「心の師」の逝去にともない、
追悼の演奏会を開催しよう、という結論に達しました。
この人なくしてコンツェプトゥスはない、という人間の死に、
何もしないのは徳義に悖ることと思います。
ただし、準備期間がそれなりに必要です。
よって、一周忌に、という企画を立てました。
キリスト教式には一周年と呼びならわしていますので、
「アーノンクール一周年コンサート」とタイトルをつけ、
2017年3月5日(日)午後4時より、
大阪ミナミの島之内教会にて執り行うことに致しました。

プログラムは、「モーツァルトのレクイエム」です。
これには様々な版があります。
伝統的には、弟子であったジュスマイヤー補筆版、
現代になってジュスマイヤー版に修正を施したバイヤー補筆版、
ジュスマイヤーより先に、Dies illaeから Confutatisまでを補筆した、
モーツァルトが自分に次ぐ才能と称したアイブラー補筆と、
それ以降の部分をジュスマイヤー版で構成したランドン校訂版。
そして、20世紀半ばに発見された、アーメンフーガのスケッチを完成させ、
Lacrimosaの終結部を締めくくったのが以下の版です。
レヴィン版、モーンダー版、ドゥールース版、コールス版、鈴木優人版など。

アーノンクール氏自身は、バイヤー補筆版を用いていました。
追悼コンサートを通常の概念において開催する場合、
その遺徳を偲び、アーノンクール氏の用いたバイヤー版を選択するのが、
妥当であろうとは思われるのですが、
そこはそれ、何事も疑い、議論し、自ら考えて実践する、
という理念こそを受け継ぎたいと考えておりますので、
上記の補筆版の中から私が抜き出した、
梵智セレクションにて一周年の祈りを捧げたいと考えました。

梵智セレクションの概要は、
Confutatisまではランドン校訂版、それ以降はレヴィン版、
というものです。
まずレヴィン版の評価から申し上げますと、
多少学問の匂いはするものの、モーツァルト自身が完成していれば、
おそらくこの規模と内容であっただろうと思われるところに
最も肉迫した補筆版であると信じております。
特徴としては、ジュスマイヤーの仕事には一定の評価を与えるがゆえに、
残すべき要素は残し、直すべきところは直し、という姿勢の仕事、というところ。
つまり、歴史的事実に対しても、一定の敬意は払われているということです。

その意味では、積極的な補筆ではなく校訂ですが、
ランドンの仕事も、モーツァルトの同時代人の仕事、
つまり歴史的な経緯を評価した姿勢であります。
Confitatisまでのアイブラーの補筆は実に見事です。
少々モーツァルト本人の色から逸脱した要素もありますが、
モーツァルト本人から称揚された才能を駆使し、
ジュスマイヤーより高度な補筆が施されています。

私の評価としては、ランドンと似通ったところがあります。
基本的には同時代人の仕事を優先させたいこと、です。
しかし、ジュスマイヤーには足りないことも多く、
それを最も合理的に埋め合わせているのがレヴィンなのです。
よって、この2つを組み合わせることが、
モーツァルトが完成していたならば、という歴史上の「もし」を
納得できる形で実現出来ているのではないか、
というシミュレーションになるわけです。

さて、梵智セレクションにはおまけがついています。
全曲終了の後、簡単な解説を挟んで、
アーメンフーガのスケッチ、モーンダー版のLacrimosaとアーメンフーガ、
というものを演奏して終わります。
モーンダー版の特徴は、ジュスマイヤーの徹底排除にあります。
そして、初めてアーメンフーガの補筆をした人なのですが、
心情的に、モーツァルトの哀しい死に寄り添った、
情緒を満足させるアーメンフーガであり、
おまけとして演奏するのには良いと思っております。

そして、この演奏会ではレクイエムの全体演奏に入る前に、
実演で、モーツァルトの残した状態をご提示申し上げ、
いくらかのレクチャーをしたいと考えております。
これは、アーノンクール氏のやり方を私なりに踏襲するものです。

私はこれまで、幾度となく恐れていました。
アーノンクール氏の亡くなる日がいつ来るのか、と。
そんな中、昨年12月5日に引退表明をされました。
その時、3ヶ月後が危ないんじゃないか・・・
そんな考えが頭をよぎったのですが、
本当に、きっちり3ヶ月後にその日が来るとは、
何とも不思議なものです。

2016/02/12

皆さん、おはようございます。

セヴィリアの理髪師ってどんなオペラだと思っておられますか?
少なくとも、悲劇だと思って観ていらっしゃる方はおられないと思いますが、
さりとて、吉本新喜劇も真っ青のドタバタ喜劇ではないことも明白です。
オペラ・ブッファというジャンルだという認識もあるかと思いますが、
ある源泉資料にはドランマ・ジョコーゾとも書いてあります。
これは、かのモーツァルトによる「ドン・ジョヴァンニ」も同じです。

言葉の解釈には様々あるものの、
少なくとも、バカバカしいお笑いを一席、というのでないことは確かです。
つまり、笑いをとるためのものではないということです。
言い換えると、お客に笑ってもらうことが目的の作品ではない、ということなのです。

このオペラが作曲されたのは1816年、
ちょうど200年前のことですが、
その時にはこの話の続編、モーツァルトの「フィガロの結婚」は
30年前に作曲されていたわけですし、
1790年代にはボーマルシェは「フィガロ」の続編となる、
「罪ある母」を書いていたわけですから、
ロッシーニにしろ、台本のステルビーニにしろ、
この時結婚した伯爵夫妻が、後々どんな夫婦関係を築くのか、
断片的知識であるとしても知ってはいたことと思います。

しつこいようですが、この2、3年後、
フィガロがスザンナと結婚する段になって、
伯爵夫妻にはその後20年余りに渡る亀裂が決定的となり、
数年の間にロジーナがケルビーノの子供を産むことで、
20年という長い長い冬の時代が夫妻に訪れるわけです。
その前日譚である「セヴィリアの理髪師」において、
ロッシーニが笑い追求の作品を作るとは到底思えません。

そしてロッシーニたちがなにを考えていたにせよ、
私はあくまでも「フィガロ」や「罪ある母」の前日譚として捉えます。
従って、笑いをとるための演出はしません。
しかし、稽古段階で発見できた、「あるある的な笑い」は、
人間の本質に迫ることができる現象なので、
大いに歓迎したいところです。
見た目に普通っぽいと思いますが、
このオペラをドタバタ喜劇と思っておられる方には、
そうでないことが斬新に映るかもしれません。

一番大事にしたいのは、あくまでも
アルマヴィーヴァ伯爵と、ロジーナとの純愛物語です。
その純愛のために、20年以上も夫妻が苦しむことになる、
まさにその序章がこの「セヴィリア」なのです。
ロジーナに与えられた追加アリアは、
作品内では最後の伯爵による大アリアと対になっていますが、
「フィガロ」の3幕のアリアDove sonoに繋がる作品だとも考えています。

これらを達成するために、
バルトロの扱いも、そうそうコミックにするわけにはいきません。
彼にはあくまでも、壁として立ちはだかっていただきたいのであって、
愚か者がみんなの笑いものにされるのではなく、
恐ろしい壁だったものが、最後には笑われる立場に追い込まれ、
その屈辱感が「フィガロ」での登場に現れねばなりません。

演者の皆さんには、お客様をして、
「フィガロも観てみたい」と思わしめる演唱を期待したいと思います。

2016/02/03

皆さん、おはようございます。
エイプリルフールにいつものアヴェンヌで、
「セヴィリアの理髪師」を上演致します。
まずは概要をご覧下さい。

セヴィリアの理髪師
~無益な用心 或は アルマヴィーヴァ~

G.ロッシーニ作曲&C.ステルビーニ台本
P-A.カロン・ド・ボーマルシェ原作
全2幕 原語・字幕付
上演時間2時間45分

アルマヴィーヴァ伯爵:谷口 耕平
ロジーナ:山口 慧
フィガロ:坂上 洋一
ドン・バルトロ:米田 良一郎
ドン・バジリオ:大西 信太郎
ベルタ:松岡 直美
フィオレッロ&アンブロージョ
&士官:中野 文哉

合唱:神矢 匡 中川 智樹 繁 亮太

ピアノ:石原 綾乃 小林 聡子
音楽助手:向谷 紗栄
指揮・チェンバロ・演出:梵智 惇声

制作:Conceptus
サロン・ドゥ・アヴェンヌ

2016年4月1日(金)19時開演
今回がまず第1回目のご案内になります。

例によりまして、レチタティーヴォ一部カットしますが、
曲そのものには一切カットを致しません。

それどころか、1曲増えます。(笑)

No.14a として、嵐のシーンの直前に、
ロジーナのアリアが挿入されます。
初演から3年後に、その時のロジーナのために追加された、
「ああ、もし本当なら」です。
日本では藤原歌劇団の前回の公演で、
全曲上演としての初演がなされたアリアです。

そもそもロッシーニは喜劇であるブッファより、
真面目なオペラであるセリアが書きたかった人で、
セヴィリアは、実はその中間帯の作品に属します。
そしてその中にこの追加アリアを置いてみるとどうなるか・・・

確たる答えは聴いていただくしかないものの、
私の見解を言わせていただくと、
このアリア単体を見ると、完全にセリアのスタイル。
恥ずかしいことに、時折思い出してはメソメソしてます。
かなり泣けるアリアなんですよ・・・楽譜の指示に従えば。

そんなこのアリアがあることで、
セヴィリアという作品自体がもっとセリアに寄るし、
喜劇と正劇の中間帯にあるということが、
よりはっきりとわかるようになります。

そして、歌ってくれる山口慧ちゃんですけども、
彼女にお願いして正解だった、と痛感しています。
このアリアには知性、品性が不可欠ですが、
彼女の声にはその両方があります。
歌い口においてもそれを忘れさえしなければ、
曲の技巧性云々を超越したパフォーマンスになるはずです。
YouTubeにも転がっているのですが、
いずれも後半が速すぎて情緒と結びつきません。
音楽の作りにおいては、我々が上を行くと自負しています。

希望と失望、信頼と不信に苦しむ10分少々のドラマが、
嵐の場面も含めて繰り広げられます。
ここを見るだけでも、お越しになった労力が報われるでしょう。
どうか泣きに来てください。

公演日はウソ真っ盛りの日程ですが、
来てみたら、「うっそピョン!公演なんかしないよ」
なんてことはございませんので、是非お越し下さい。

2015/09/08

皆さん、おはようございます。

ドン・ジョヴァンニのチラシが出来てまいりました。

dongiovanni.chirashi
なかなか危ない雰囲気のチラシでしょう?
似たものを画像検索してみたところ、
たった一つあったのが、11月の日生劇場のチラシ。
ただし、こちらは満月でした。

私がデザイナーさんに送った情報は以下の通り。

プレトークの時間等、常の如しです。
キャッチコピーは

お前たちか!我が息子を殺めたのは!
救世主を弑したのは・・・

「弑する(しいする)」というのは、
上位にある者を殺す、という意味です。
読める人も解る人も少ないでしょうが、
宗教的な意味も込めて、あえて使ってみました。

最後のシーンはピエタの像ですが、
今回LINEグループにも使っている画像は添付のものです。
ピエタの像が、演出全体の象徴です。
舞台上の象徴はスタウロス(苦しみの杭)ですが、
内容の象徴はピエタの像です。

ただし、今回は基本的な場所設定を、
イスラム原理主義過激派の支配地域としているので、
イスラムの象徴も取り入れてほしいと思います。
支配的な色は綠です。
これは、ムハンマドのターバンが綠だったことに由来するとか。
そして形の象徴は三日月と星。
太陽を象徴する日本とは違い、
あちらの太陽は灼熱を喚起するだけなので、
涼をとることのできる夜こそ、救いなのだそうです。
以上、デザイナーさんへの情報でした。
これらは言葉で説明できる情報、
いわば日の当たる情報です。
このデザイナーさんのすごいところは、
言外の、日影の情報をくみ取って描いて下さること。

イメージ通りでしたか?と尋ねられると返答に困ります。
なぜなら、イメージなんてそもそもしていないから。
でも、椿姫からクオリティのイメージはできます。
そのイメージ通りかといえば、答えはイエスです。

というわけで、どこにもないドン・ジョヴァンニ。
是非お越し下さい。

10月16日金曜房宿 午後6時45分からプレトークです。
場所は北新地のサロン・ドゥ・アヴェンヌ。

音楽グループ「Conceptus」発足の瞬間に
是非お立合い下さい。
開演したその瞬間が、発足の時です。
モーツァルト作曲&ダ・ポンテ台本
ドン・ジョヴァンニ ~ウィーン版~

全2幕 原語・字幕付
上演時間 2時間45分

ドン・ジョヴァンニ 大西 信太郎
レポレッロ  中野 文哉
ドンナ・アンナ  松浦 小夏
ドン・オッターヴィオ  島袋 羊太
ドンナ・エルヴィーラ  水野 昌代
ゼッリーナ  西田 安希
マゼット&騎士長  米田 良一郎

合唱  松岡 直美  山口 慧  中川 智樹  有本 裕之

ピアノ  石原 綾乃
ヴァイオリン  竹田 早希  藤井 里紗
音楽助手  小林 聡子 向谷 紗栄 上畑 藍子
指揮&チェンバロ&演出  梵智 惇声
制作  サロン・ドゥ・アヴェンヌ
Conceptus発足準備の会

2015/09/01

皆さん、おはようございます。

この度、ぼんちオペラの中核メンバーにより
音楽グループの立ち上げを致します。
ただし、発足そのものはドン・ジョヴァンニの公演開始を以て
発足と致しますため、それまでは
発足準備の会、ということで準備を致します。

さて、名称は「Conceptus」と申します。
ラテン語で、読んで字の如くコンセプト、ということなのですが、
ラテン語には色々な読み方が存在します。
これをイタリア語読みしますと、「コンチェプトゥス」ですし、
ドイツ語読みなら「コンツェプトゥス」です。
フランス語なら「コンセプチュス」みたいなことになるんでしょうか。(笑)
「コンケプトゥス」もありなんでしょうか。

これを、どの読み方をしてもらっても構わない、
各自の読みやすいように読んでくれ、という
自主性に任せるスタンスをとりたいと思います。

・・・ただ、発起人たる私が英語嫌いのため、
英語読みの「コンセプタス」だけは厳禁しようかしら・・・。(笑)
ちなみに、私は「コンツェプトゥス」と読んでいます。

ともあれ、何のためにグループを発足させるかというと、
集いの責任の所在を明らかにしておきたいから、
ということが大きいです。
例えばですが、そもそも我々はほわっとオペラからの出発でした。
ほわっとオペラはマスターが支配人でしたし、
制作がマスターだったので、
根本的な責任の所在はマスターにありました。

ただ、マスターの体調がよろしくなくなるにつれ、
どこまで責任を持って制作していただけるか、
不安を感じてきたのが正直なところです。
マスターが一線を退こうものなら、
ほわっとオペラの一翼でしかなかったぼんちオペラは、
たとえ店が存続しようとも壊滅の危機に瀕します。
そこで、団体、あるいはグループの結成を
いずれはしなければならない、という話を、
水野さんにしていたのがほぼ1年前の状態でした。

それが年末になって、
マスターの引退より悪い知らせが届きました。
マスターの体調が原因の、完全閉店です。
もちろんマスターや家族の負担を考えると、
それが最善の道だったとは思いますが、
ライブの場所として関西で有名だったほわっとが
なくなってしまうというのは、
関西の楽壇にとっても大きな損失だと思いますし、
普通に考えて、ぼんちオペラの危機でもありました。

それが、さほどに最悪の事態ともならず、
ぼんちオペラにとっての危機ともならなかったのは、
昨年の「コジ・ファン・トゥッテ」と「トスカ」が
立ち上げを頼まれていたアヴェンヌオペラの助走として、
アヴェンヌで上演され、今年の「椿姫」から本格的に
アヴェンヌオペラを始動させることが決まっていたからでした。

だからといって、単純にアヴェンヌオペラへの乗り換えが、
今後のぼんちオペラにとって絶対の安泰材料となるわけではありません。
稽古場所の確保一つ考えても、
きちんと責任の所在が明確になる形が必要だと思われました。
つまり、特別な事情がない限り、
その名前で会場をとる、団体名が必要というわけです。

これが設立の背景事情なのですが、
普通であれば、仲間が集って何かやろうとして、
その集いに名称をつける、という手順であろうかと思われます。
我々はそれとは逆の順序で、実績に基づく集いがあり、
それにやっと今、名称をつけるに至ったわけです。

そして、同じグループを設立するのであれば、
誰もが自分のアイデアを形にする権利を有する、
開かれたグループにしたいという願いを持ちました。

こういう経験はありませんか?
何かの演奏会に出演していて、
独特のアイデアを提案した時に、
「それは自分の演奏会でやってちょうだい!」
と言われたことが・・。

自分の演奏会、と簡単に言いますが、
なかなか演奏会を開くことは簡単ではありませんし、
人数を要するものであればなおさらのことです。
しかも、その言葉を発した人は、
「自分の演奏会」を段取りしてあげる気も、
後援してあげる気も、
それどころか、その演奏会に出演してくれる気も、
おそらくはないでしょう。
こんな無責任な言葉で相手を失望させていることに、
きっと気づいてもいないでしょう。
つまり、その時の演奏会に限らず、
提案されたアイデアそのものに対する拒絶、
ということに事実上なってしまっています。

私がこだわるのは、
「自分の演奏会でやって!」とは決して言わず、
「じゃあそれ、うちの演奏会として企画してみて!」
そう言って、うちで段取りしてあげられる、ということです。
その意味で、私の悲願は、
ぼんち発信でない、他の人の企画で動く部門が
完全に機能してくれることです。
つまり、Conceptusは色んな人の企画が動き、
ぼんち企画があくまでもその中の一つとなることです。
そんな意味で、私がいなくなったら消滅する、
そのようなグループ、団体では困るのです。

私が発起人、という名称を使うのも、それが理由です。
発起人は発起した当人しか名乗り得ない名称です。
ですから、Conceptusについては私しかなりようがない。
これが「代表」ならば二代目、三代目がある話です。
でも、「二代目発起人」は理屈上あり得ません。
これは、私が権力者となる構造を回避するとともに、
跡目相続をめぐって争いが生じることを回避するためです。
一番ボスであるはずの私の権力を予め骨抜きして、
この団体に権力者はいない、という姿勢を
後々の為に明確にすることがねらいです。

一応、外部に求められたら
代表としての役割は当座私が果たしますが、
それは必要があってそういう顔をするだけのことで、
内部に対して行使しない、という手本を示しておきます。

長くなりましたが、以上のような背景で
新しい音楽グループの設立説明と致します。
では、以下に趣意書を記しておきます。

Conceptus発足準備の会設立趣意書

当会は梵智惇声を発起人として、
音楽グループConceptus発足の準備を目的とし、
これに賛同する音楽家をメンバーとして設立するものである。
なお、Conceptusの発足は2015年10月16日金曜房宿、
サロン・ドゥ・アヴェンヌにおける
オペラ公演「ドン・ジョヴァンニ」開演に時を同じくする。
発足日は、同日が宿曜占術による最大の吉祥日である
甘露日にあたることにより設定された。

なお、以下に記すConceptusの説明は、
そのまま同グループの設立趣意書として転用し得るものである。
音楽グループConceptus は、
器楽、声楽、コンサート、オペラを問わず、
音楽作品や舞台作品の持つメッセージを最重要視し、
企画発案者の明確なコンセプトを柱として
研究、上演を行うグループであり、
正式名称表記をラテン語で Conceptus とする。
なお、名称の発音については
ドイツ語読み、イタリア語読みなど、
話者各人の好みの発音を用いられることとし、
あえて発音統一への努力を放棄するものである。

「Conceptus 」設立の目的

老若男女を問わず、音楽作品や舞台作品について、
作品、及びその実施方法について考察し、
研究する者が積極的に企画発案者となり、
明確なコンセプトを打ち出して上演する場となることが、
当グループ第一の目的である。
その目的の実施によって、観客が真の芸術に触れ、
人間の真実に至ることを心より祈念するものである。

「Conceptus 」の柱

次の2部門によって構成される。
1:ぼんち発信による企画
2:ぼんち以外の発信による企画
1は梵智惇声による発信の企画であり、
コンサート、オペラなどの上演であり、
特にオペラについては「ぼんちオペラ」と称される。
2は梵智惇声の発信ではない企画であるが、
上演形態については1と同様、特に制限は設けない。
いずれも、器楽演奏家、声楽演奏家など
必要な人員をその都度メンバーとして招集し、
作品創造に必要最小限度の上下、主従関係のみ許容して
制作にあたるものである。
なお、1と2のいずれが主眼であるか、との問いには、
2こそが発起人の主眼であると、書き添えておきたい。

「Conceptus 」の構成員

当グループは発起人の梵智惇声と、
その規模に従って必要とされる役員の他に常の構成員を置かず、
上演作品の必要に応じて出演交渉の上、
その都度参加メンバーとして扱われ、
報酬の分配は極力公平を期すよう行われる。
但し、発足以前のぼんちオペラ参加者を含む参加経験者は、
特に拒否の意思表示がない限り優先的に候補者として
出演交渉される可能性を持つ。
いわば会友のような位置にあると思われたい。

「Conceptus 」の事務局

当グループの事務局は発足にあたって
その基本的な所在地を決定するが、
会場確保の為等の必要に応じ、
窓口となる参加メンバーの自宅など、
適宜臨時の事務局と称することを許容する。

2015/08/31

皆さん、おはようございます。

ぼんちオペラの今後の上演計画について、
多少具体的に書いてみたいと思います。

まずは10月16日のモーツァルト作曲「ドン・ジョヴァンニ」
この日については、後ほど発表することもございます。

次回は4月1日にロッシーニ作曲「セヴィリアの理髪師」
そして、その続編であるモーツァルト作曲「フィガロの結婚」を
夏に上演致します。
これらはボーマルシェの戯曲を原作とする、
「フィガロ3部作」のうち、最初の2作品です。
いずれは第3部のミヨー作曲「罪ある母」とセットで
上演することが出来たら、と考えています。
12月あたりにプッチーニ作曲「ラ・ボエーム」が上演出来たら、
とも考えています。

さて、その次の年、2017年についても構想があります。
この年は歴史ものを上演したいな、と。
まずは尾上和彦作曲「藤戸」
源平合戦においてあったとされる悲劇が元ネタですが、
これを、ぼんち独自の視点でお届けしたいと考えています。
そしてモンテヴェルディ他の作曲「ポッペアの戴冠」
その15年後くらいの話になる、
モーツァルト作曲「皇帝ティートの慈悲」

尾上作品については、
いずれ「仏陀」も取り上げたいと考えています。
また、そろそろ「カルメン」も実現したいところです。
「コジ」や「トスカ」も再演したいところです。
「椿姫」に関しては、おそらくお蔵入りでしょう。
私の表現したいことは、ヴェルディ版では不可能な気がしています。

「こうもり」と「メリー・ウィドウ」についても、
取り上げたいと考えています。
私は一体、いつ死ねるんでしょう?(笑)

2015/06/04

・・・とは、なかなか参りませんようで。

皆さん、おはようございます。
椿姫があり、その他諸々で1ヶ月半ばかりお休みをいただきました。

まずは椿姫、無事に終演致しました。
およそ及第点の内容だったとは思います。
色々難所や事故はありましたが、
そんなのはどのオペラでも同じことです。

とはいうものの、やっぱり手ごわかった。
それは、椿姫が、というよりは、
椿姫に対する自分自身の気持ちが、です。
簡単に言えば、夢の中にしかいない、
架空の異性と添い遂げようとしているようなもの、ですか。

私が愛しているのは、モデルとなったマリー・デュプレシーでも、
オペラ版のヴィオレッタでもありません。
あくまでも、椿姫原作小説のマルグリットです。
オペラをするにあたって、
原作小説に極力近づければ、
私の気持ちを形にすることができるのか、と思っていました。
残念ながら、そのアプローチではダメなようです。

通常のオペラ版よりも、事情説明は出来たと思いますが、
私のマルグリットに対する気持ちがわかってもらえそうか、
私の女の愛し方がわかってもらえたか、といえば、
おそらく否でしょう。

しかも、そのことに気付いて愕然としたのが、
オペラが終わって2、3日後のことです。
それもいきなり・・・。
この不満は、いずれボエームにぶつけたいと思っています。

さて、次は10月16日のドン・ジョヴァンニですが、
その前に超えねばならない山があります。
それが、7月3日です。

omoide2015

関西二期会の企画演奏会、「想い出のあの歌」です。
ひょんなことから出ることになりまして、
私が関わる演奏会としては珍しいものです。
私が歌うのは、
神田川、証城寺の狸囃子、犬のおまわりさん、
いつでも夢を、翼をください、アメージング・グレース
といったところ。
あとは、全体の合唱ですね。

親しみやすい歌をオペラ歌手が、という企画です。
チケットだけは売るほどありますので、
どうぞお越し下さい。

7月3日夜、場所は大阪ビジネスパーク駅、
あるいは大阪城公園駅のいずみホールです。
振り付きの歌もありますので、
見てる方は結構楽しめると思います。
やってる方は・・・結構必死だったりして、
隣の人の苦労を見るのが楽しかったりします。(笑)

次回は、ドン・ジョヴァンニのお話でも致しましょうかね。
相当変わったドン・ジョヴァンニになりますこと、
ご承知おき下さい。
ひょっとしたら私、殺されるかも!

2015/04/14

皆さん、おはようございます。

チラシのデザインがあがってきました。
ということで、改めて宣伝です。

image

 

実はこのチラシのデザイン、
私からのオーダーがかなり入っています。
というか、正直期待以上の出来です。

まず、オペラ劇場とか、シャンデリアとか、
そういう絢爛豪華に見える要素を
一切排除してもらうことをお願いしました。
これは形というより配色の問題として、
マフィアやヤクザの服装のデザイン、
例えば白のスーツに黒のシャツ、
赤とか金は、チーフや時計、アクセサリーなど、
ワンポイント的にあるものの、
支配的なのは白と黒、
というようなイメージをお伝えしました。

そもそも、椿姫の主人公といえばヴィオレッタで、
つまりは女性の話のはずなんですが、
期待以上と申し上げたのは実際の仕上がりで、
ここには女性を感じさせるものが何も描かれていません。
あるのは男性と思しき黒い影の中に書かれた、
キャッチフレーズの一文だけです。

私は女性を出すな、というオーダーはしていません。
もし私が、ごく一般的な解釈で上演するつもりであれば、
このチラシはおそらく最低の出来、
デザイナーに突き返して怒鳴り込み、
次から一切頼まない、というレベルの仕事です。
ところがどっこい、
実際にはこれほど私の意図を汲み尽くしたデザインは、
ちょっとそこいらにあるものではありません。

私が直接的に描きたいものは、
マルグリットをあんな風に扱った男の社会です。
そして、そのマルグリットを作り出した、
デュマ・フィスへの共感です。

これは自分がそんなことをしてから知ったのですが、
デュマ・フィスは自分がマルグリットのモデル、
マリー・デュプレシに書き送った皮肉交じりの手紙を、
椿姫の中で、アルマンからマルグリットへの手紙として、
少し膨らませてはいますが、ほぼそのまま使っています。
実は私は同じことをしてしまった経験があります。
今回の椿姫を組み立てる上で資料を読み漁っていて、
そのことを知った時には愕然ともしましたが、
それ以上に、ひょっとしたらデュマ・フィスは俺の前世か?
などと思うほどに親近感を覚えました。

もっとも、実際の上演では、
私の親近感などよりは、起こっていることの悲惨さ、
繰り広げられる世界の酷さの方が、
お客さんには伝わるであろうと思われます。
しかし、それこそがこのチラシで予告していることです。
チラシは、私が考えていた以上に告げています。
恐ろしい世界の話なのだ、と。

椿姫の根底の部分に触れたい方は、
是非お越し下さい。

2015年5月15日 午後6時45分からプレトーク、
そして19時上演スタートです。
デュマ・フィス「椿姫」

ヴェルディ「ラ・トラヴィアータ」より

ヴィオレッタ・ヴァレリー(マルグリット・ゴーチエ)  水津葵香子
アルフレード・ジェルモン  前田満
ジョルジョ・ジェルモン  山咲響
フローラ・ベルヴォア  松浦小夏
ガストン子爵  神矢匡
ドゥフォール男爵  大西信太郎
ドビニー侯爵  米田良一郎
グランヴィル医師  坂上洋一
アンニーナ  山口慧
ジュゼッペ  中川智樹
使者  中野文哉
合唱   山口慧  福岡さくら  中川智樹  中野文哉

ピアノ  小林聡子

ヴァイオリン  竹田早希

指揮・演出  梵智惇声

制作  サロン・ドゥ・アヴェンヌ
19時開演 18時45分よりプレトーク。

2015/03/31

avene traviata keiko2

avene traviata keiko1

 

皆さん、おはようございます。

いよいよ1カ月半となりました。
アヴェンヌオペラ「椿姫」の宣伝をさせていただきます。

5月15日夜、北新地のサロン・ドゥ・アヴェンヌにて
アレクサンドル・デュマ・フィス作の
「椿姫」を上演致します。
音楽はジュゼッペ・ヴェルディの「ラ・トラヴィアータ」より。
ヴェルディのオペラがやりたくてやるわけではない感満載の
宣伝の仕方でございますねえ。(笑)

何度も申しますように、
ヴェルディの「ラ・トラヴィアータ」は最も嫌いなオペラです。
如何にも、これがオペラでござい!という受容の姿勢が嫌いです。
英語を世界の共通語だ、とする見解に対して抱くのと同程度に、
かなりの嫌悪感を覚えます。

ですから、オペラの代表作には見えも聞こえもしないようにやります。
方法論は一つ。
楽譜に忠実であること!
そうやって、そこからデュマ・フィス作「椿姫」を作り上げます。

デュマ・フィス「椿姫」

ヴェルディ「ラ・トラヴィアータ」より

ヴィオレッタ・ヴァレリー(マルグリット・ゴーチエ)  水津葵香子
アルフレード・ジェルモン  前田満
ジョルジョ・ジェルモン  山咲響
フローラ・ベルヴォア  松浦小夏
ガストン子爵  神矢匡
ドゥフォール男爵  大西信太郎
ドビニー侯爵  米田良一郎
グランヴィル医師  坂上洋一
アンニーナ  山口慧
ジュゼッペ  中川智樹
使者  中野文哉
合唱   山口慧  福岡さくら  中川智樹  中野文哉

 

ピアノ  小林聡子

ヴァイオリン  竹田早希

指揮・演出  梵智惇声

制作  サロン・ドゥ・アヴェンヌ
19時開演 18時45分よりプレトーク。
プレトークは是非聞いて下さいね。
でないと、驚きと嫌悪感のうちに終わってしまうでしょう。

あ、嫌悪感を持って観ることは大いに期待します。
私のことを嫌いになって下さることは勲章でもあります。
その位置から見てほしい作品です。

2014/11/13

皆さん、おはようございます。

ぼんち版椿姫の概要が決まりつつありますので、
主だったところを情報公開していきたいと思います。

まず日時は2015年5月15日(金)夜・・・なんか5の倍数ばかりですが、
場所はサロン・ドゥ・アヴェンヌ、北新地です。
指揮と演出は私、梵智惇声が担当します。

ヴィオレッタ(マルグリット)は水津葵香子、
アルフレードは前田満、
ジョルジョ・ジェルモンは山崎享、
フローラは松浦小夏、
ドゥフォール男爵は大西信太郎、
ガストン子爵は神矢匡、
アンニーナは山口慧

・・・てなあたりですが、コンセプトをまとめましょう。

ナレーションで繋ぐ、とはいうものの、
いわゆるハイライト上演ではありません。
ジプシー占い師と闘牛士の場面はカットしますが、
それ以外は初演版にて全部やります。
ただし、3幕のデュエット「パリを離れて」は
2幕フィナーレの間に配置転換します。
これは、原作のプロットに従った処置です。

つまるところ、
これはヴェルディのオペラ「ラ・トラヴィアータ」の上演ではなく、
デュマ・フィスの「椿姫」を、
ヴェルディの音楽を使い、ナレーションによって
原作になるべく近づける形で再構成した、
いわば音楽劇であるとご理解下さい。
原作者デュマ・フィス、
台本作者ピアーヴェ、
作曲家ヴェルディ、
指揮・演出ぼんち
以上4人の合作と思っていただければよろしいかと。

上のキャストで、ヴィオレッタの横に括弧付きでマルグリット
と書きましたけれども、
ヴィオレッタを源氏名として捉え、マルグリットを本名と解釈します。
人々は・・愛人であるアルフレードさえ、ヴィオレッタと呼び続けます。
このこともアルフレードの性格付けの材料としたいと思います。
アルフレードには、やはり虚栄心があるのです。
このトップの女を愛人にし、しかも裏社会から救い出した、
というプライドが・・・。

1幕では、ヴィオレッタのいる社会がどんなにひどいものか、
ということを感じていただきたいと思います。
ヴィオレッタが花から花へを歌っている最中、
現れて愛を訴えるアルフレードを、
裏社会のAV撮影クルーが半殺しにする、という
極めて生々しく、ショッキングな場面を展開します。

ここでナレーションを挟んで、
内容は2幕に移ります。
2幕までの溝を埋めるのが目的です。
次のアルフレードのアリアを挟んで、そこで休憩です。
ですから、幕ごとの分類よりは、2部構成に仕立て直しています。

2部はそのままフローラのパーティでのギャンブルまでやりますが、
その後、アルフレードがフローラを新しい愛人にし、
種々の嫌がらせをヴィオレッタにしていく件を、
ナレーションによって繋ぎ、
それを止めるためにヴィオレッタがアルフレードに哀願し、
一夜を共にする場面に「パリを離れて」を移します。
それでも嫌がらせをやめず、裏業界のパーティに出入りし、
ストーカーまがいに振る舞うアルフレードを呼び出して話すところから、
2幕フィナーレの後半になります。

そこではアルフレードがヴィオレッタを皆の面前で罵倒し、
ギャンブルで稼いだ大金をぶちまけますが、
口ではアルフレードを非難しながらも、
ドゥフォール以外の人間は散乱するお金を拾い集め、
20ルイを残して、あとは懐に突っ込んで退場、
その残り少ないお金の中で始まる第3幕・・・
という展開です。
実際のヴィオレッタはバッカナールの合唱の間に息絶え、
死後の意識が見る妄想としてその後の和解シーンとなり、
最後はアルフレードやジェルモンが死の報せを受け取って幕となります。

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