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2015/12/31

皆さん、おはようございます。

今年の終盤は慌ただしい時期となりました。
10月16日にこれまでのぼんちオペラのグループで
新団体を立ち上げました。
この10月16日の公演「ドン・ジョヴァンニ」も大変でしたが、
新団体の立ち上げにともない、
色々な話が浮上してきて、責任が大きくなり、
6月から勤務していたお寺を退職することになりました。
これが11月のことです。
そして12月は年末のコンサートが重なり、
同時に来年の準備を始めなければならず、
神経をすり減らすこととなりました。

お蔭で不義理するところも多くなりましたが、
未来へ向かって着実に進んでいることを以て
ご容赦いただけたらと思います。

詳しくは新年のご挨拶にて申し上げますが、
ぼんちオペラのグループでしかなかった我々、
これからは規模を拡大していきます。
これまで培ってきたものを、
外に向かってぶつけてみる時が来たようです。

音楽というのは、一人では出来ません。
仮に、音楽行為そのものは一人で出来ても、
それを広く周知し、運営することは一人では出来ません。
それが出来る人もいるようですけども、
私に出来ることではありません。
でも、どこにもないものを創り出す自信だけはあります。
ええ、それしか自信ないのです。
他のことはダメ人間です。

似たようなことがお坊さん業務にも言えるような気がします。
私は拝むことは、それほど質の悪い人間ではありません。
祈祷についても、それなりに能力はあるようです。
つまり、成果はそこそこ期待していいと思います。
音楽におけるこの状況は祈祷能力に支えられてもいます。
しかし、無難な人間であることは出来ません。
万人に好かれる態度を身につけることも出来ません。
「功績を残さなくてもいいから、無難であれ」
こういった組織の一員に求められる態度でいることは、
私には無理な相談です。

音楽家はこの逆です。
成果さえ出せば、みんなに多大な迷惑が出るような、
そんな重大な欠陥でもない限り、
多少の難は目を瞑ってもらえるのがこの業界です。
逆に無難なだけでは淘汰されてしまいます。
こんな180度態度の違う世界の両方に、
どっぷり身を漬けることなど、到底不可能です。

ですから、私は音楽家をメインとします。
しかしながら、お坊さんとしてのスキルはありますし、
還俗するつもりは毛頭ありません。
何より私は、宗教家です。
宗教家としての精神を音楽にもろに反映しますし、
それが私の宗教活動のメインでもあります。
同時に、お坊さんとしてのスキルも活用します。
ご供養、御祈祷、葬儀なども承ります。
つまり、他人が住職の寺の看板を背負いはしないが、
個人的に坊さんの仕事は受けます、ということです。

今後はこのようなスタンスで生きて参ります。
来年もよろしくお願い致します。

2014/03/09

皆さん、おはようございます。
私は今、佐村河内氏に感謝しています。
童謡コーラスなどで初めての時、
自己紹介をするわけですが、
坊さんであることをひとしきり説明した後、
音楽家としてのプロフィールを言うのです。

テノール歌手でございまして、
オペラの指揮・演出もやっております。
作曲もやらしていただいておりますが・・・と、

ここで一言付け加えるのです。

「ちゃんと自分で作曲しております。」

まず間違いなく笑っていただけます。
これで雰囲気が和むことは間違いなしです。

このギャグが言えるのは、
間違いなく佐村河内氏のおかげです。
これが感謝せずにいられるでしょうか。

まあ、あちこちでこんな風に自己紹介する、
作曲家は出現しているだろうと思います。
もちろん、不謹慎をものともしない人に限りですが。

しかし、佐村河内氏の会見はひどいものでした。
嘘つきというのは、すぐ他人に向かって
あいつは嘘つきだ、という傾向を
これまでの人生の中で感じてきましたが、
見事にそれをやらかしてくれていました。
自分の嘘を取り繕うことはせずに、
相手の悪質さを言い立てることで、
論点、耳目をそちらに集めてしまうのです。

第一、仮に新垣氏が嘘を言っていたとしても、
佐村河内氏があそこまで言えた義理でしょうかね?
悪くとも、化けの皮のはがれた狐と狸の化かし合いです。
佐村河内氏に義が宿ることはあり得ません。

そもそも、あのような性質の佐村河内氏を告発するにあたり、
新垣氏がわざわざでっち上げを語って、
そこを佐村河内氏に突っ込まれるような愚行をするでしょうか?
下手に嘘を言ったら、そこで争われるに決まっています。
嘘は佐村河内氏が遙かに上手、プロなんですから。(笑)

しかし、新垣氏も、作った作品の今後をどう考えているのでしょう。
私は、たとえケチがついた作品であっても、
例えば破棄するようなことってしない性質の人間です。
でも一つだけ残すまい、と考えている作品があります。

初演において、私の目の前で(私が歌った)、
最後の和音が前衛的だという理由で、
「無難な」和音に変更して演奏された作品です。
ピアニストの独断で、リハの時に宣言されてやられました。
このように、作品そのものに被害が出たものに限っての話です。

それ以外は、曲に限らず、文筆など、
あらゆる著作物に関して、
たとえそれが消したい過去にまつわるものであっても、
消したいとは考えられないのです。
もちろん、消してはいないし、
格納している場所は公開しています。
その時々の、私の分身だからです。

割と皆さん、書いたものを平気で消すんですよね。
私には信じられない光景です。
どうしても表に出せない事情があるものは、
人目には触れないように非公開にしたりもしますが、
しかし、削除は絶対にしないのです。

2013/11/27

皆さん、おはようございます。

私は指揮をしていますけれども、
指揮を他人に習った経験はありません。
講習会に出たことがないわけではないけれど、
それは振ることの講習というよりは、
指導者研修というか、練習の進め方の講習です。

では私の指揮は何をどう考えてしているのか、
といえば、それはアクセントとアーティキュレーションの指示、
という二つに集約されると思います。
フレーズのどこにどういう重みを置き、
どのような切り口の発音をするのか、
といえば、多少噛み砕いた言い方でしょうか。

そして、これはどんな指揮者でもそうでしょうが、
振り下ろす時よりも、振り上げる時の方が、
遙かにエネルギーや力を使っています。
テンポ、強弱という基本設定が、
すべてそこに込められてしまうからです。
これを伝え損ねると、意図通りの演奏にはなりません。

プロの方には釈迦に説法かもしれませんが、
これらのことをわかった上で、
私の指揮に対応して演奏していただきたいものです。
拍を演奏者に提供し続けることは私の業務ではありません。
一応拍は刻んでいますが、
それは、「いつ拍を刻むか」が問題なのではなく、
私が示しているのは、「どのように拍を刻むか」です。

そしてそのことは、
「どのように音楽を展開していくか」
ということと同義語なのです。
それは、「どのように時間を使うか」
という人生の問いを形成しています。

まさに、音楽は人生そのものなのです。

2013/02/10

皆さん、おはようございます。

予告していました、比較的抵抗の少ないバイトの話の前に、
一つだけお詫びしておきたいと思います。
コンビニバイトでの、お客の品評はともかくとして、
それより先に書いたバイト先で一緒に働いていた人に対するコメントは、
本当は思うことはもちろん、書いてしまうことは不適当なのです。
あまりにも上から目線的になりますから。

別に誰に指摘されたことでもないのですが、
書きながらも我ながら「こんな書き方はなあ・・・」
とは思っていたのです。
実はこの詫び言を書いていたのですが、
間違ってリセットしてしまい、決定稿のは入れ忘れてしまいました。

さて、抵抗が少なかったバイトは基本的に二つです。
まあ、ブライダルチャペルでの聖歌隊バイトは歌の仕事なので
ここでは取り上げないこととして、
音楽に関係のないバイトで私が抵抗感を持たなかったのは、
以下の二つです。

まず入力バイト。
そして、家庭教師や塾講師のバイト。

実は、私の入力は結構速いようです。
何の気なしに受けた事務系派遣の事務所でしたが、
入力の速さを驚かれました。
私がPCの入力をどこで覚えたか、ですけれども、
その基礎は高校時代に授業を受けさせられた、
英文タイプの訓練でした。
今ではないような古典的なタイプライターでの訓練でしたが、
これでブラインドタッチは習得できたようです。

そして大学卒業後のチャットでかなり鍛えられました。
実際の会話のようにチャットをするには、
相当の速さが必要です。
考えたことがすぐに指先に伝わって入力しなければ、
そういう会話にはなりません。

そして、・・・その事務所からではありませんが、
軽作業系の事務所から一度、入力の仕事に行ったことがあります。
3日間限定の仕事でしたが、どこだったかの家電メーカーから出た、
洗濯機だか何だかのリコール、まあぶっちゃけ、
不具合が発見された機種に関しての入力だったわけです。
その機種を販売した販売店からの、販売先の情報をひたすら打ち込む、
という仕事だったのですが、これは全く苦になりませんでした。
速さと正確さが求められ、それを達成するために、
私のスキルというものが役に立つ仕事だったからです。

もう一つの、いわゆる教育バイトですが、
私は国語教師なのですが、ものを教えるのは好きですから、
やはり苦痛にはなりませんでした。
手こずらされたりして悩ましいことはありますが、
そんなのは「生みの苦しみ」というやつです。
家庭教師もしましたし、個別指導塾の講師もやりました。

ちなみに、国語の授業が、「授業だけではもはや手遅れ」
という子供たちが結構います。
これはどういうことかというと、
幼少期に親や祖父母など、近親者による本の読み聞かせが
全くなされていない子供は、
他の必要に迫られるなど、何らかのきっかけがない限り、
国語の力が伸びることはほとんどない、ということです。

国語の力というのは、基本的に「読む力」と考えて間違いありません。
書く力は、前提として読む力に支えられているのです。
読むことが嫌いで、学ぶ喜びを知らない人というのは、
国語の授業、という範疇内で人生を変えてあげるのは無理な人です。
読む力が最大限に発揮されるのは、
書かれている内容が興味のあるものだった時です。
しかし、初めに読む力をある程度仕込んでおかなかったら、
そこに転がっている本が自分の興味あるものかどうか、
判別しようという発想さえ持たないことが大半。
こうしてみすみす、読む力をつけるチャンスを失っているのです。

この悪循環を断ち切るのは、相当に難しいと思います。
そして、この状態は国語の成績に跳ね返ってきます。
そこで塾にやってきたり、家庭教師を頼んだりするのですが、
この状態の人に「国語のお勉強」をさせてどうにかなる、と思うのが
そもそもの大間違いです。
手に入れ損ねた「読む力」の量は膨大です。
それが週1回や2回の授業を1年続けたからといって、
どうなるものでもないことくらい、
親御さんにはご理解いただきたいものです。

という、2回に渡る連載、
「ぼんち和尚のバイト秘話」でございました。

2013/02/09

皆さん、おはようございます。
私はこう見えて、相当にプライドが高いようでございます。
まあ、個人的に知っている人や、
当コラムの「説明書」カテゴリーを読んで下さった方は、
そんなことは先刻ご承知でしょうけれども。

当コラムサイト代表理事閣下とFacebookでやりとりをしていて、
バイトの話になり、是非コラムに、ということだったので、
早速に書かせていただく次第です。
ちなみに、閣下は書きたくならせる名人ですな。(笑)

世の中にバイトは数あれど、
私にはいくつか、やりたくないバイトというのが存在します。
それらの特徴は、以下の2つが主です。
まず、私のプライドを損なう。
次に、音楽家のテンションとあまりに落差がありすぎる。

前者の典型が、「軽作業」というやつです。
求人広告の文句として「誰にでも出来る簡単なお仕事です」と、
よく書いてあるのを見かけませんか?
多くの人には安心材料となる言葉かもしれないけれど、
私にとっては傷付く材料となる言葉です。

軽作業なるバイトを始めて最初にやった仕事は、
ユニヴァーサルスタジオジャパンの夜中の清掃でした。
施設内のレストランを掃除してたのですが、
明け方、椅子をテーブルの上に上げ、
床にしゃがみ込んで掃除していると、ふと気が付きました。
貴族と召使の身分の差というものの性質に。
感覚的に、なんですが、フランス革命以前に、
召使である、ということはこういうことなんだな、
当時の社会背景はこういうことだったんだな、と。
こんなところで音楽家根性出してどうする、とも思いましたが。(笑)

次に行ったのが物流センターばかり立ち並ぶ区域での、
物流センターのピッキングの仕事。
この時目についたのが、一緒に働いていた人たち。
大半が、「誰にでも出来る簡単な仕事」しか出来ないだろうなあ、
という人たちだったのです。
こちとら音楽家ですから、「誰にでも出来る」どころか、
「出来る奴は簡単にできるが、出来ない奴は逆立ちしても出来ない」
という業界です。
私も、簡単に出来るレベルではないものの、
逆立ちまでしなくったって出来る程度ではあると思ってましたから、
仲間を見てプライドが傷つきました。

もう一つプライドが傷ついたのは、
マクドナルドの仕事です。
作る方の仕事をしましたが、
怖いおばさんが一人いて、
恐ろしい声で「体を動かす!」と怒鳴るのです。

そもそも私は「頭で考えさせずに体で覚えさせる」という行為は、
低次元の人間が低次元の人間にさせることだ、
という発想があり、
私はまず頭で整理し、その後に実行する、
というツーステップを踏まなければいけない人間です。
直感に従うことはありますが、勘が働かないことはまず考えるのです。
ここも私のいるべき場所ではないと、
早々に退散を致しました。

さて、もう一つの理由である、
「テンションに落差がありすぎる」職場はコンビニでした。
夜勤をしていましたが、私はその休憩時間を、
演奏会の準備、つまり譜読みに充てていました。
ところが、一応理解できるが興味のない分野の本を読んでいるようで、
全く頭にも体にもしみ込んできてくれません。
コンビニ店員のテンションでは音楽が入ってきてくれないのです。
春から初夏にかけて、3ケ月いましたがやめました。

ちなみに、夜勤のコンビニは人間観察、
とりわけ人間の本性を観察するには適した環境でした。
大阪市中央区長堀橋でしたから、ミナミの歓楽街がすぐ近所。
ということで、出勤後すぐに終電間際のサラリーマンを捌き、
続いて業者からの納品を受け、
その後、ミナミのホステスさんなど、周囲に住む人が
仕事帰りに買い物に来るのを相手するわけです。

えー、人間というのは、私みたいな生来の夜行性を除き、
朝起きて昼に活動、夜は寝る、というライフスタイルが
一番ストレスにならないようです。
こんなことを言う理由は一つ。
夜勤で私が相手していた人たちを観察するに、
大半がこの普通タイプの人たちだったからです。
つまり、そんな時間にコンビニにやってくること自体、
こういうことを意味しています。

本当はそんな時間に起きて外出していたくないのだが、
何らかの事情でそんな生活時間帯を強いられている人たち。

ですから、たいていが不機嫌です。
特にホステスなど、お客からもらったストレスを
こちらにぶつけてくる人が結構多い。
しかも、ストレスの発散のためか、
やたらとカゴの中の商品が多いことが大半で、
それらをグチャグチャに詰め込んでいるので、
袋詰めするにも手間暇がかかります。
するとすかさず、トゲのある声で
「はよしてや~!!」

中には、店員に「はい?」と聞き返されて怒鳴りつけるために、
わざと不明瞭に発音してタバコを注文する人、
という悪質なお客もいて、こちらのプライドも傷つき、
結局上記の理由2つが出そろってしまうことになります。

さらに、そこに夜勤という勤務の無理が加わってきます。
さっき私は夜行性だと言いましたが、
それは夜中が、芸術的な思考を凝らすのに、
私にとっては最適な時間帯だ、ということです。
はい、今も夜中ですね、2時11分を指しています。
その時間帯を不向きな仕事に奪われて、
大枠の生活時間帯にも関わってきて、
しかもテンションの落差から来る疲れが半端でない、
ということになると、もうどうしようもありません。

このどうしようもなさが、もう一つ別の仕事、
夜中の棚卸の仕事にもありました。
とあるユニクロの棚卸をしたのですが、
これも他の仕事に影響が少なからず・・・。
クライアントは私の仕事ぶりを気に入ってくれたそうで、
再度のお誘いはあったのですが、それ以降お受けしてません。

さて、次回は多少抵抗の少ないバイトについて書きましょうかね。

2012/04/18

おそらく皆さんが大好きだとおっしゃるオペラなんでしょうが、
私は大嫌いなんです。
これが大好きだとおっしゃる方々というのは、
それなりに相応の青春時代を過ごされた方じゃないでしょうか。
過ごしたかどうかはともかく、過ごしたと思ってはいらっしゃるでしょう。

皆さん、おはようございます。
私はこれまで、年上の人たちの中で育ってきました。
1階では繊維の卸問屋をやっており、
その上の階を住居にしていたため、
完全にボンボンとして育った人間です。
しかし、自宅ではもちろんのこと、
店に居たって社員たちは私より年上の大人。
そんな連中に命令したり、顎で使っていた子供時代です。
ですから今の50歳から60歳の人というのは、
私の5歳当時、21歳から31歳の若手の人たちだったわけで、
私にしてみたら顎で使っていた人たちと同年代、
えろう大人、という感覚は今でも持つことができません。

ただ、えろう大人ではなくとも、
自分と同じくらい、という感覚も持つことはできません。
そんな育ち方をしていましたから、
彼らの息子、娘世代にあたる同年代の人たちについて、
今は違いますが、中学、高校当時、
一緒にいることに違和感を抱いてしまう相手、という認識でした。

そして、私の世界は音楽と宗教の中にしかありませんでした。
学校の関係上、音楽大学を受けさせてはもらえず、
感覚を共有できない同世代の学友と過ごした4年の大学生活です。
おかげで一般公演へのデビューは最低でも2年は早まりましたが、
そこは明らかに自分よりも年上の人間ばかりの世界。
私が最年少でなくなるには、およそ7、8年の歳月が必要でした。

意識の中心は音楽にありましたから、
中学以降、同世代の女性と付き合ったこともなく、
付き合いたいと思ったこともありませんでした。
同世代の女性を、きちんと女性として意識したのは、
小学校以来、関西二期会の研究生に入ってからが初めて、というありさまです。
二期会では、「同じ世界の住人」が集まったわけですから。
多少なりとも青春らしき日々だったのは、二期会研究生時代です。

ただ、音大生時代の話を何人もの人から聞きましたが、
そこにはやはり、私が欲しかったけれども得られなかった生活が、
繰り広げられていたように感じられます。
仲間と共有する青春の熱い血潮・・・。
私の人生には、それがあった、という感覚がありません。

その感覚が最も顕著なオペラが、この「ラ・ボエーム」です。
ここにあるのはごく一般的な恋のスタイルです。
そこのところが、オペラ好きにはたまらない要素なんでしょうが、
私が見ると、それは妬ましさの方が先に立ちます。
今更手に入れることは出来ない、青春の一コマなのですから。
そんな妬ましいものでありながら、作品としては泣かせてくれます。
しかし、そんな妬ましいものに泣かされたくはない。
それは私にとって、屈辱的な敗北です。

先だってほわっとでこの作品が上演されました。
新人たちのリクルートの目的で観に行きましたが、
実は、ボエームをまとめて観るのはこれが初めてです。

私の目の前には現実、それも大人としての現実だけがあります。
ほわっとのオペラでは現役学生も仲間ですけれども、
彼らの中ではどこか、学生だけの仲間意識があり、
到底私はその輪の中に入っていくことはできません。
彼らは私のことを、そこそこ年季の入った先輩だと思っています。

・・・この場合、先輩だと思ってくれている、のではありません。
私に言わせれば、「思われてしまっている」のです。
正直、かなり気づまりで嫌なもんです。
だからといって、今更大学院とかに入り直しても仕方ありません。
年寄りの冷や水とまでは言いませんが、
所詮はおっさんのすなること、です。
この、どうしようもないことが、すごく気になるんです。
私の埋め合わせのできないコンプレックスですね。

2010/09/17

皆様、おはようございます。

それではその後にY氏が要求してきた無茶について書きましょう。
本番は1月末。
10月から稽古を始めるわけですが、
もちろん初めは音楽稽古から始めます。
それには音楽上のアイデアを持っている私が欠かせません。
それなのに、私に対して、12月から参加するように要求してきました。
曰く、「テンポだけの問題じゃん」

とんでもない、細かいことが色々あるのが、
私のモーツァルトオペラに対する取り組み方です。
そこで私は、協会の会長を通じて抗議しました。
そこから、会長を通じた泥沼のメール合戦となりました。
10月に入り、稽古が始められたものの、
私のいないところでY氏は出演者たちに、
私の悪口を吹き込み始めました。
如何に私が無能であるか・・・。

その期間にやりとりしたメールは数々ありますが、
そしてそれを全て残してありますが、
これを書くためにさえ、見たいと思えず、
読み返してはいません。
思い返すだに胸糞の悪くなる最悪の思い出です。

そして10月の末、打ち合わせとして協会に呼ばれた私は、
正式に降板を通告されました。
別の公演を用意するから、という約束で・・・。
しかし、その約束はいまだに果たされていません。
あれからもう4年たちます。

私の十八番であるはずの「フィガロの結婚」で、
2度までも降板させられる憂き目に遭った私は、
このオペラにかなりのトラウマを抱いてしまいました。
それ以降、私はこのオペラに歌手として出ていません。
一本振り切るまでは出るまい、と決めたのです。
十八番のオペラにコンプレックスを抱く私。

来年2月26日、大阪のお好み焼き屋さんで、
もちろんオケ伴奏ではありませんが、
「フィガロの結婚」をノーカットで指揮・演出致します。
無事に終わらせられるよう、祈っている次第です。

2010/09/06

皆様、おはようございます。

さて、それでは本題に復しましょう。
内容をお忘れの方は、同タイトルのその1より
読み返してみて下さいね。

ダブルオペラの激務を終えて大阪に帰った私を待っていたのは、
まずは私が演出と指揮をする「フィガロの結婚」について、
私から演出が奪われたらしい、ということでした。
らしい、というのはなぜかというと、
協会のホームページに掲載されたオーディション要項に、
演出としてY氏の名前が載せられていたからです。

続いてY氏から電話があり、
その電話では提案として、指揮だけすることを言われたのですが、
おそらくはすでに決定を出してしまってから、
あたかも提案であるように言ってくる、という
Y氏独特の手口だったのかもしれません。
まあ、ひょっとすると、私がそれすら拒否する可能性も見越し、
その場合は「じゃあ降りてくれ」という筋書きだったのかも。(笑)

私はそこはすんなりと了承しました。
次に待ち受けるのはオーディションです。
オーディション会場に着いた私にY氏は、
かなりぶっきらぼうな口調で、
「このオーディションは君のオーディションでもある」
と通告してきました。
Y氏のオーディション方法は、受験者に文句をつけ、
即座に直せるかどうかも見る方法なんですが、
それを私にやらせ、指揮者としてのオーディションもする、
という変な通告をしてきたわけです。

ちなみにこの方法、Y氏にとっては指導者として、
練習のスタートでもあるのです。
とはいえ、それは音楽的な意味以外の、
歌手たちとの駆け引きの先手をとる、という意味においてです。
オーディションでさんざん文句をつけ、
「これでは到底無理だと思うんですけど、
 もし合格させた場合、かなり頑張ってもらえますか?」
このようにもちかけます。
相手が「はい」と言ったらそれを言質として、
練習では服従させよう、チケットノルマにも文句を言わせない、
という一種の機先を制する目的があるわけです。

この日のY氏の態度たるや、
これまでの友情はどこにいったのか、というほどひどいもので、
私は爆発しつつ帰途につきました。

ここからY氏と私の、泥沼試合が始まったわけです。
この後、仮にも指揮者である私に対して、
無謀な要求がY氏から出されることになります。
次回はその攻防戦について書くことに致しましょう。

2010/06/18

皆様、おはようございます。

さて、今日は「こうもり&メリー」がどうなったか、
その公演当日の模様をお話し致しましょう。

平日夜、確か木金の公演だったと思いますが、
昼間に場当たりとゲネプロ(最終リハーサル)、
そして夜の本番、というスケジュールを
2日にわたってこなしました。

件の人妻は2日目「メリー・ウィドウ」にご出演でした。
1日目は大きな事故もなく、終えることができましたが、
翌日は場当たりからして波乱でした。

「こうもり」の場当たりを終え、
「メリー」の場当たりとなり、
この人妻が出る場面になるなり、
Y氏はプロデューサー権限と称して、
指示出し用のマイク(「ガナリ」といいます)を独占。
彼女の一挙手一投足にまで文句をつけ始めました。

そも「場当たり」と呼ばれるのは、
入退場の確認と、演技スペースに不都合はないか、
道具はしかるべく配置されているか、など、
場と物、そして人の運びを確認する作業です。
演技はほとんどしない行為なのですから、
演技に文句をつけるべき時間ではありません。

この場当たりに時間を使いすぎ、
さらにゲネプロでもY氏は彼女に直接ダメ出しを続けたため、
きちんと通したゲネプロは出来ませんでした。
本番になって初めて、ある場面で彼女の着替え(自前の服)が
間に合わないことがわかったのです。
それも、出るべき時になって本人が登場できなかった、
という事故が起こって初めてです。
これは、オペラ上演にあるまじき失態です。

さらにいえば、Y氏自身、この「メリー」のキャストでした。
主役の1人であるにも関わらず、
普通なら考えられない状態で舞台に臨んでいました。
歌詞がほとんど頭に入っていないのです。
少し歌詞を度忘れしてしまった場合、
何とかその場しのぎに適当なことを言って誤魔化すことはあります。
ところが、それが全体の9割に及んでいるとしたら、
それは大きな問題だと思います。

また、Y氏は歌詞を覚えられないものだから、
自分が演出する「こうもり」の稽古ばかりして、
「メリー」の方にはほとんど時間をくれない、
という稽古状況でした。
しかし、それでは益々歌詞は覚えられません。
結局、全体の9割はボソボソと嘘の歌詞を小声で歌い、
覚えているところだけ大きな声で歌う、という
極めて不誠実な歌い方で本番を乗り切りました。
・・・これを乗り切った、と言えるならですが。

とりあえずボロボロな本番を終え、
打ち上げの席に移動しました。
この席で一旦打ち上げを終了した後、
状況を見かねた共演者が中に入って、
Y氏の、例の人妻に対するパワハラ問題について
話し合いを持つことになりました。

話し合いの内容については、
書いてはいけない、などとは思わないのですが、
到底書きたいと思えるようなものではありません。
Y氏は自己弁護の抗弁に終始し、決裂して終わりました。
これほど胸糞の悪い打ち上げを終えたこともありません。
私は、ヘトヘトになって大阪に帰りました。

この話し合いの中で、あることがY氏に知られてしまいました。
それは、mixiで私がその人妻の話を聞いてあげていた、ということ。
これを、感情の高ぶってしまった人妻は言ってしまったのです。

そのことが、私の運命を決定付けてしまうことになります。
それは、私もY氏の敵である、とY氏に認識されてしまった、
ということなのです。
次回は、その後に起こったことについて書きたいと思います。

2010/06/06

皆様、おはようございます。

今回は翌年、モーツァルトイヤーであった2006年に出演した、
「皇帝ティートの慈悲」、「こうもり&メリー・ウィドウ」
両公演について書いていきましょう。

前者にはタイトル役のローマ皇帝ティート役で、
後者には、両演目の指揮者、及びメリーの演出として参加しました。
前者が7月1日と2日、後者がその数日後という、
稽古日程としては過酷なものでした。

そんな過酷なスケジュールにしたのはなぜか、というと
私は仮にも大阪からの出張ですので、
効率的に稽古、上演しないとお金がかかりすぎるからなのです。
どちらも同じ団体の公演。(つまりY氏のプロデュース)
一方の稽古のない日に、他方の稽古を組むものですから、
私には休日というものがありませんでした。

「ティート」では主役を歌い、
「こうもり&メリー」ではずっと腕を振り回している、という状態。
これでは体はすぐにクタクタになってしまいます。
加えて、色々と思うように進まないことがありました。

まず、「こうもり&メリー」の合唱集めがうまくいきませんでした。
おかげで、実際に蓋をあけてみると、
苦心して書いた上演台本の意図は実現できなくなりました。
しかも、Y氏はプロデューサーであることの他に、
「こうもり」の演出、「メリー」のダニロ役をしていたのですが、
ドイツ語上演した「メリー」のダニロ役がいつまでも覚えられず、
それを誤魔化すために、「こうもり」の稽古ばかりするのです。
「メリー」は結構ダニロが活躍しますから、
それなりに稽古してくれなければ、立ちが決められない。

そして、同時進行の「ティート」がどんどん迫ってきて、
私にも余裕がなくなり、ものを考える力が失せてきます。
とうとう、「メリー」の演出が危なくなってきました。

さて、この「こうもり&メリー」には、
関西から私の友人も参加していたのですが、
彼が「メリー」の細かい演技をつけることを買って出てくれました。
つまり、私の台本に基づく下請け作業です。
Y氏からも、「どんどん下請けに出さなきゃだめだよ」
と言われたので、私はこの友人にかなり任せ、
最終的な調整のみ私がチェックして行うことにしました。
友人は、大変よくやってくれました。

一方、「ティート」の現場も大変なものでした。
私の組の女性歌手たちは皆、反Y氏派になり、
最終的には指揮者も反Y氏になりました。
ある時など、Y氏が演出の現場放棄をしたこともありました。
その結果、また統制がとれなくなって事態が紛糾、
一日として穏やかに終わる日はありませんでした。
それでも何とか上演が終わりました。

「ティート」が終わるまで、いかに私が殺人的スケジュールだったか、
よく表れていることがあります。
無事ティート役を終え、宿に帰って最初にしたこと。
それは、座ってテレビのスイッチを入れたことでした。
東京入り以来、1ヶ月ほどそこに滞在していたわけですが、
その間、一度もテレビをつけなかったのです。
役目の半分を終えて、初めてテレビをつける余裕が出来たのです。
もちろん、それまでにもテレビをつける時間くらいはありました。
でも、つけようと思うことも、つけようかどうか迷うことも、
一切なかったのです。
つまり、テレビのことなど、まったく意識にのぼりませんでした。
せっかく東京にいるのに、彼女と会う時間もありませんでした。
やっと会ったのは、「ティート」の後です。

さて、「こうもり&メリー」の方もかなり大変でした。
心理的に一番大変だったのが、メリーのキャストの1人です。
この女性キャスト、Y氏が以前より好意を抱いていた人妻で、
友達にはなっていたのですが、関係は持っていなかったと。
キャスティングの段階でY氏から、「カワイイよ」
そう聞いていたのですが、実際に稽古が始まってみると、
まったく可愛いとは思えない。
Y氏は何かと彼女の欠点をしつこく取り上げては、
横で指揮している私を差し置いて文句をつけていて、
彼女から発せられる嫌悪感が酷くて、
とてもじゃないけどカワイイなんて思える雰囲気ではない。

同じ年の秋に、別の現場で彼女と再会しましたけど、
この時はは気持ちよく仕事していたらしく、
その稽古で会った時に、初めて彼女を可愛いと思うことができました。
それくらい「こうもり&メリー」は異常な空気での稽古だったのです。

この「こうもり&メリー」がどんな公演となったか、
次回はそれを書いてみたいと思います。
期待を乞うても良いくらい、最悪なことになりました・・・。

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