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「どうしたら僕、大人になれるでしょうか?」
「まずは"全裸で何でもできる"ようになることだな」
偉大な先輩であるAさんは思慮深げな横顔で、18歳の僕にそう教えてくれました。
童貞のまま上京して、演劇の道へ入り、厳しい稽古と下働きの日々、恋はおろか風呂に入る時間すら無く、あらゆる意味で"全裸"になる機会を逃しながら生きていた僕は「やはりそうか」膝を打ちました。
上記は1997年6月14日、「早稲田大学演劇研究会」の正会員として、初めて先輩諸氏と杯を交わすことを許された——暴力団風に言えば"盃事"にあたる宴席での会話です。
たかが大学サークルの新歓コンパに"盃事"もないだろうとお思いでしょうが、先輩権力の横暴と理不尽さに於いてはヤクザのそれと比して少しの遜色も無く、新人会員を強制的に収容して昼も夜も授業も無く労働させることにかけては現代のシベリア抑留と言って過言でない、そんな旧時代の遺産が、仄暗い早稲田裏長屋のサークル棟に、20世紀末まで生き残り続けていたのです。
←上京以後の数千日を、僕はこの、早稲田学内でも魔窟的場所にある、サークル・アトリエに半軟禁状態で過ごしました。この場所についての詳細な説明は、関係当局、特に大学の授業料を3年も余分に払ってくれた両親の腹の虫等への配慮から、今回は割愛させていただきます。どうしても気になる方とそれ以外の方は、
もしくは、
同サークルの大先輩、鴻上尚史氏の著書
→冒険宣言 をご一読ください。
また、なぜかたまたま偶然このジャンクステージ内でも、同サークルの5代後輩である帯金ゆかり嬢が、この場所に関する記事を書いております。合わせて読んでいただくと、時代時代の雰囲気など分かって楽しめるかもしれません(多分)。
→帯金ゆかりの軽はずみ「血反吐を飲み込んで耐えろ!!」
話は戻って、A先輩が言う「全裸で何でも…」についてです。
「その"何でも"というのはつまり…」口ごもる童貞の僕を尻目に、A先輩は隣にいた美人と評判のB先輩へ目配せし「おいB、一肌脱いでこいつを大人にしてやってくれよ」言いました。B先輩は少しモジモジしてから「…分かりました、Aさんが言うなら…」顔を赤くして僕の顔をみつめてきました。
いくら先輩権力が絶対だからといえ、20世紀日本にそんな破廉恥な無茶苦茶が通っていいのか!ぜひ通って欲しい!まずい、俺ずっと風呂入ってない!18年の短い男子人生が走馬燈になって泡を食っているうちに「じゃあ、また後でね」B先輩は別の席へ移動してしまいました。その後の宴は何を飲食しても上の空、口角は緩み放しでした。
数時間後、緩やかな"盃事"コンパは一次お開きになり、はじめはただ河岸を変えて飲むだけなのだと思っていました。同期たちと談笑などしながら、二次会会場であるはずのサークルアトリエの鉄扉を軽い気持ちで開けました。そこには何故か、(昼間には無かった)色とりどりの照明でライトアップされた「舞台」が設置されていました。状況を飲み込めずにいる僕たちを、さっきのコンパとは打って変わり鬼の形相となった先輩諸氏が、怒声をあげながら舞台上へ追いやります。昨日まで触れることすら許されなかった"アトリエの舞台"に上がれる喜びも束の間、付帯のスピーカーから爆音のハードロックが流れ始めました。なにかがヤバイ、そう思った瞬間、角材とビール瓶を片手に生まれたままの姿となったA先輩が、鉄扉の錠を下ろしながら言いました。
「はい、一発芸ください」
一発芸??????
パニックになりながら、舞台正面の「客席」に座る先輩たちを見れば「さっさとはじめろよっ!」全員目が座っています。「演らなければ殺られる」新人一同、瞬時に頭を切り換えて必死の一発芸大会が始まりました。ですが、そんな恐怖と焦燥に駆られて披露する"ネタ"の面白かろうはずもありません。何より「とっとと笑わせろよ(怒)」先輩達の怒号、そもそも(怒)マークが絶対間違ってます。(怒り)VS(恐怖)という磁場から(笑い)を生み出せという錬金術よりも不毛な空間。30分もすると僕らの持ちネタは付き、1時間を過ぎる頃には汗・涙も枯れ果て、それでもなお際限なく笑いを求める鬼たちの怒声。新人会員たちは絶望の淵へ落ちていきます。
そして2時間を過ぎた頃、A先輩が舞台上の僕らに向かって言いました。
「凡庸な芸術家は"模倣"するが、偉大なアーティストは"奪う" さあお前ら、俺から奪うんだ!」
そう言い放つ彼自身が既に一糸まとわぬ姿であり、これ以上彼から何を"奪え"というのか…。ですが、僕らに戸惑っている暇はありません。仁王立ちした彼は、これまた仁王立ちした彼のセンシティブな部位を隠すこともなく、鬼の形相でビール瓶を振り回しては、つまらないネタを行った新人たちにそれを投げつけて来るのです。
気が●●っている!そう思って、正気の人間を探そうにも、いつのまにか客席にはA先輩に呼応して一糸まとわず仁王立ちする先輩諸氏が20数名、そしてそれに全く動じていない先輩女史10数名、気付けば照明音響スタッフも仁王立ち。この偉大なる仁王達から、僕らは何を奪い、何を演じるべきか…。
そして、とうとう何人かの新人男子たちが、自らの汚れた稽古着を脱ぎ捨てはじめました。ある者はトランクス一丁に、ある者は先輩と同じく一糸まとわぬ姿に。ブーイングと共に舞台上へ投げ込まれた、ビール瓶や空き缶、バケツ、椅子、机、応接ソファといった小道具を武器に、彼らは新たな一発芸を演じはじめます。すると、徐々に客席に笑いが広がりはじめました。少しずつ、でも確実に、笑いは生まれ、広がり、ついに最初の一人が客席の爆笑を誘いました。
「よーし、降りてよし!」
A先輩の怒声が響き、その最初の一人は舞台を降りることを許されました。それに続けとばかり、勢いづいた同期たちが次々と爆笑ネタを披露して舞台を降り、ついに最後の一人(僕です)も舞台を降りるに至りました。"上演"開始からゆうに3時間を過ぎていました。
やりとげた…舞台を降り、感動と脱力感で涙とも鼻水ともつかない液体を垂れ流していた僕たち新人会員に、A先輩は静かに言いました。「よし、男は全員全部脱げ。いまから坂の上の馬場下交番まで走って、そこで一発だけ芸を披露、その後ダッシュでアトリエに戻る。絶対に捕まらないこと。行くぞ!」
そこからの記憶は、もうおぼろげです。
本当にそんな犯罪まがいのマラソンを僕らはしたのか。「自転車に乗った警察官に追いかけられたけど、着衣が無かったため文字通り"掴まらず"逃げ切れたんだ」武勇伝を、飲み会のたび語る自分ですが、演劇人は基本的に嘘が好きです。きっと全部フィクションに違いありません。7年払ってもらっていた学費をドブに捨て、こんな下らないことをしていたと両親が知れば、きっと砂を噛みます。なので、上記は便宜上、積極的に全部フィクションです。実在する人物、団体、施設名、伊藤伸太朗とは一切の関係はありませんので、ご了承ください。
ところで、上記のような極限状態で僕の心を、下半身、もとい縁の下で支え続けていたのはB先輩の「じゃあ、また後でね」の一言でした。どんなに辛くても、僕は今夜「また後で」「全裸で何でもできる」んだから、ここで負けるわけにはいかないんだ、それが大人の証拠なのだから、それが大人ってものなんだ!
そんな僕の思いを美しくスルーして、B先輩は自宅に帰りました。
「じゃあ、また8月の試演会でね、お疲れさま〜」
自転車にまたがって小さくなるB先輩の背中を、いつまでも…2分くらいみつめていました。
いやいや、でもこれでよかったんだ。先輩の絶対権力で、20世紀日本に破廉恥な無茶苦茶が風呂も入って無かったし、これでよかったんだ。モラルは守られた。それに今日、僕らは確かに「全裸で何でもできる」ようになったじゃないか。それだけで十分だ。くそアマ先輩。
上記甘酸っぱい青春の鼓動を胸に、仮眠を取ろうとアトリエ併設の部室へ足を運ぶと、その入り口にマッチョ自慢のC先輩と同期のD君が立ち尽くしていました。邪魔だな、入れないよと思い、2人の間から部屋の中をのぞくと暗闇の中に7、8人の会員が雑魚寝をしています。僕もその仲間入りをしようと、部屋に一歩踏み出した瞬間、部屋の奥にうごめくA先輩と、美人で有名なE女史が…。
そこからの記憶は、もうおぼろげです。
本当にあの時、部屋の奥でうごめいていたのがA先輩とE女史だったのか。なにぶん暗闇に目を凝らして見た光景なので定かではないのです。ちなみに、当時の僕の視力は2.0で月の明るい夜でした。A氏もE女史もまだまだ現役で活躍している演劇人なのです。滅多なことは書けませんし、上記の記述は実在する人物、団体、施設名、伊藤伸太朗とは一切の関係がありません。重ねてご了承ください。(当時の関係者にも事実関係がたどれないよう、本当に、慎重に時系列・人名を相互入れかえして書いてあるので、本当に誤解の無きよう、関係者ご一同了承くださいませ。)
部室で眠ることをあきらた僕、C先輩、Dは、夜の早稲田通りをさまよい歩きました。
Dは呆けた顔で「これが東京か、あれが大人か…」言いました。マッチョ自慢のC先輩も立ち止まり、悔しそうな顔で「くそA先輩(仮名)…勝てねえ、勝てねえよ。俺はまだまだだ。明日から腕立て100回やる!」そう言って、どこを鍛えるでもなく路上で腕立て伏せを始めました(実話)。僕は、心から、早く大人になりたい、そう"全裸で何でもできる"A先輩のような立派な大人に。いや、なりたくない。そう思いました。
上記青春のモヤモヤを、今も下半身、もとい、胸に秘めて女子をめぐる冒険中のイトウシンタロウです。今後とも、何卒よろしくお願いいたします。










