2008.12.11

東京と言う街に、染まって参りました。
近頃ね、大阪の頃の友達、数名から言われたんです。
「もう東京弁の人やなあ」って。
なんかそれって、すごくさびしい気もしたのですが、
もう四年も住んでいるので、それはそうなんだろうなあって思いました。
東京に住み着いて1年目に出会った人に、今日電話で言われました。
「あ、なんか東京人だね、むかしとくらべて。」
やっぱりなんだか「ちがうよちがうよ」っていいたくなったのだけれど
もう四年も住んでいるので、それはそうなんだろうなあって思いました。
東京に住んで良かったことは、人との出会いです。
僕は、生きていて良かったことのほとんどは
出会いに集約されると思っていますが
東京という都市に集まってくる人は、
それだけで何か魅力的で、
夢が夢じゃなくなる感じがして、
すごく素敵です。
ジャンクステージも、そういう出会いのひとつ。
須藤代表のダイソンをはるかにしのぐ吸引力に引き寄せられて
きっと、コミュニケーションを望まなければ、一生出会わなかったような面々と出会うことができ
ひどく感謝しています。ありがたやありがたや。
とても、人生が楽しいのです。
これをよんでくれているあなたにも、ありがとうです。
たぶんね、出会いに対する開いている感じだと思うんです。
なんにしても、世界は人が作ったものなのだから、
人と人が出会うことで、全ては始まる。
当たり前すぎるこの事実を、僕はそいつをたまに忘れて
ひとりよがりなコミュニケーションをしてしまうとき時があるのですが
やっぱり、人なんだって事をあらためて思いました。
感謝、します。
あなた。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
ありがとう。
2008.11.07

なりゆきまかせに歩いている、と言ったら
それは導かれているのだ、と言われ
言い方が大事だってあらためて思った、秋の真夜中。
そんな真夜中は風が強すぎて、
自転車で大ごけしている人が、いた。
目の前ですてん、と転がった人を見て、
おお、と驚いた。
その人がおもしろいくらいにへたりこんでしまったので
大丈夫ですかー、のタイミングを逃してしまった。
タイミングは一度逃すと、きまずい。
「だだだだ、だっ、」
ようやく大丈夫ですかと言えそうなところで、
その人は何事もなかったかのように立ち上がって、
むしろ元気そうに自転車を漕いでいった。
言い方も、タイミングも、とっさだ。
そういうとっさの応対で、決まることってけっこう、多い。
仮にさっき、大丈夫ですか、と言ったとしたら、自分でツッコミを入れている。
「そうやって聞かれたら、血がドボドボしていたとしても人は大丈夫ですと答えるもんだ。言い方を考えろ」なんて。
自分のからだのことって、けっこう自分じゃわからないものだったり、する。
トライアンドエラー、というようなチャレンジ精神にもとづくものではなく、ただ単純に目の前にある現実に、対応していることが、生きることの8割を占めている。
その8割をどう楽しもうか、と考える。
近頃、それが楽しい。
それが、嬉しい。
とにかく、生きていることだ。
暇つぶしだってなんだっていいから、生きていることだ。
と、悪寒を感じながら、信じ、叫ぶふりをした。
2008年も、大好きな秋が流れていく。
2008.10.09

「長くなるんだけどいい?」と聞かれて、近頃は
「3時間くらい?」と話の腰を折って
「ひと言で言うとー?」と聞くようになりました。
昔だったら「うんいいよー」と、
どんな話にだって1から10まで聞いていたのですが
そうやって最初にひと言で言われた方が、最終的な理解度が高まることを発見したからです。
そのあとで、
結局は長くなる話を全部聞くのですが
最初に一言で言われているので、補完的機能が働くんですね。
でも、こうやって書いてみると、なんだか相手をないがしろにしている気もします。
話す内容よりも、その場の空気感のほうが大事な気がしていました、秋の昼は特に。
僕はなんだかたくさんのことを、忘れてしまっていて、たまにどうだってよくなるのですが
失ってしまったら、もう二度と戻らないものがたくさんあると聞くので、自重しようと思います。
近頃、光を浴びるのが好きです。
すてきな秋を存分に楽しんでいる所存です。
2008.08.27

人の背中には、きっと本人が気付かないうちに背負い込んだ、だいたいのことが映し出される。
ちかごろずっと、すごく良すぎる気分で、色々と知らない場所を徘徊していた。
そのぶん、知っている場所のことがおろそかになっていた。
僕はみんなみたいに多忙じゃないぶん、時間配分がへたくそだ。
背中って、人生のだいたいが映し出される気がする。
いろいろな人の背中を追いかけて、生きていることがあって、
自分の専門分野外のことに生きるときはだいたいそんな感じで
誰かを追いかけるのに少し飽きたので、
ちょっくら、自分の少し未来を追いかけることにする。
他人を追いかけるのって、なんかほんと飽きたなあ。
自分を突き詰めたい、今日この頃。
2008.07.17

アンティークといえばあなたの中ではバロック様式の置物かもしれないけれど
僕の中で、アンティークといえば昭和だ。
そして、昭和の中にも良い昭和と、悪い昭和がある。
良い昭和とは手入れされているもの。悪い昭和は手入れが行き届いてないものだ。
東京タワーもそうなんだけど、アンティークをアンティーク足らしめるものためには、メンテナンスが一番肝心な要素だ。
とか書きつつ、アンティークの本来の意味を知らないし、僕の中のアンティークという漠然としたイメージを壊したくもないので、今回はあえて辞書はひかないことにする。
写真は、麻布とかその辺のマンション。8F建てくらいだけど、タワーとか言っちゃってる感じの、昭和的マンション。
こういう当時の重厚さとかが、時を隔てて、歴史とか、その他諸々として伝わってくる感じって好きだなあ。
なんだか最近メンテナンス不足で、僕の大事にしていたものが、見るに耐えなくなっていて
これを機にメンテしようと思い立ちました。さて、掃除掃除。
2008.07.05

なにかに所属するということは、
その団体のルールに則らなければならず、すなわち束縛の身となります。
僕は集まることが好きで、集まったり繋がったりして、
一人では出来ないことが出来るというのは、すてきなことだと感じます。
それは、僕の好きな自由を使いこなす、ひとつの方法です。
だけど、組織を維持することが目的とした集団は苦手であります。
たいてい、何かの目的のために集まった団体は、
その本来の目的から外れて、それを維持することに躍起になります。
団体というのはやっかいなものです。
大きくなるにつれて
「ルールを作らなければ無秩序化する」
という理由で マニュアルを作り始め、
こうであるべきだ、と その団体を維持するための秩序を、ちりばめます。
結果、背広とネクタイがいやで任侠の道に進んだヤクザは、
月イチの定例会でネクタイ着用を義務づけられることになっちまう。とほほ。
なんだかへんてこな話だけど
「目的は蚊帳の外、現状維持が未来永劫、本望」
なんて組織はごろごろあります。
そういえば、
なんだか、僕の生きている世界は、自由っぽいです。
なので、僕はその自由を肌で感じ、理解して、享受してやろうと生きています。
そこに、僕を束縛するものがあるとして、
どうやって折り合いをつけるのが妥当だろうかと考えていたら、
あまり自由じゃない気がしてきました。
僕は自由に束縛されているんじゃないか、
自由のために自由を行使してやいないか、
なんて考えていると、頭がくらくらして、まいりました。
というわけで、さよならです。
いつも自分や他人に言い聞かせているのですが、僕は誰のものでもないし、君は誰のものでもないです。
僕は僕のもので、君は君のものです。
それだけきちんと解っていれば、型にはまったとしても、心だけは自由であって、
それで、とりいそぎの全面的解決に至るわけです。
束縛されて嬉しいのは、それが団体からであれ個人からであれ、一晩くらいかなあ。
そんなもん、寝て、起きて、隣に居りゃあ、もうウンザリする代物じゃないですか、ね。
2008.06.16

僕は緑が好きです。すると、必然的にまとわりついてくる虫がいます。
そのなかでも忌々しいのが、蚊です。
蚊に刺されると、赤く腫れてかゆいですよね。いらいらして、たまらない。
しかも「掻いちゃダメ」なんて言われるのがセオリー。
それで僕は、蚊に刺されると、爪あとをつけるようになりました。
なんか、一種のおまじないみたいなものですけど、
とりあえず爪で十字を切ると、掻かなくても大丈夫な気がします。
写真はブラジルの沼地です。
数ヶ月前にブラジルに行ってきたんですが
あちらではマラリアとデング熱という蚊を媒介とした病気が流行っていて
モスキートノー!とかいう薬を塗りたくったのにもかかわらず、ばしばし血を吸われました。
で、やっぱり僕は習慣的に爪あとで十字を切りました。不安を抱えながら。
けっきょく、感染症にかかることはありませんでした。
もしかしたらあの十字が助けてくれたのかも!とか 思って、とりいそぎ感謝しました。
今年の夏も、どうせたくさん蚊にさされるだろうから、爪で十字を切るのでしょう。
ああ、痒みよ、はりつけになれ。
2008.05.23

表参道にて不意に、ブラが落ちていた。
僕はそれを発見したばっかりに、
ブラがここにやってくるまでの経緯を、考えていた。
「あっ、ブラ忘れた!」
そんなシチュエーションは、いったいなんなのだろうか。
とにかく、普通の人はブラを忘れた事がないだろう。
と言うことは、このブラの持ち主は普通の人ではないということだ。
汚れているわけでもないから、そう言う理由で捨てた訳でもあるまい。
なんとなく窮屈になって、何もかもを脱ぎ捨てたのだろうか。
その横を通り過ぎていく人の渦はとてもかっこよくて、なんとなく劣等感を覚える僕が居た。
僕はこういうものを見つけると、最初のほうは、ものすごく挙動不審になる。
いけない物を見てしまったような気分になって、世間様に対して顔向けが出来ない。
でも、その物体のことを、考えれば考えるほど、周りがどうでも良くなる。
「この発見を楽しめない奴らがかわいそうさ」とか思ったりする。
今まで書いた中でも、たくさんの発見があって、
その発見をどう自分の中に落とし込んで、定着させていくか、っていうのが発見に次ぐプロセスだったりする。
「見つけようと思わなければ、何も見つかりはしない」
と言う言葉は、自分の中でピカピカに輝いている言葉のひとつで
あきらめがちな自分をたしなめる言葉だったりする。
生きるとは、見つけることです。
意外にも、見つけようと思うと、なんだって見つかるのが、僕の生きる甲斐です。
最近、世の中が解らないことを再認識して、
解らないから絶望なのではなく、
解らないからこそ希望、なのだと発見しました。
解りきった世界なんて、なんて生き甲斐のない人生でしょうか。
常に更新されていく世界の根本は、新たな発見から始まります。
それが、疑問になったり、希望になったり、解釈になったり、笑いになったり、します。
それって、人生を生きていくための、すてきな豊かだと思うのです。
だから、僕は電源をオンにして、心とかを開いて、見つけたいと願うのです。
で、何なんですかね、このブラの正体は。
わかるかた、答えをください。
2008.05.01

僕は食事に関して、きっと普通だと思ってたんですけど、
周りに聞いてみたところ、どうやらそうでもなかったみたいです。
基本的に、一日一食か、多くて二食。小食なのであまり食べず、牛丼一杯とかで満腹です。
あとは、水とかをばがばが飲んで、お菓子とかつまんで、そしたらもう生きてられます。
「エンゲル係数がものすごく低い生活」と誰かに笑われました。
テレビ朝日で展示をしたときに、ソイジョイをがっつりと、いただきました。
そのあと、旅に発ったのですが、そのあいだはかなりそいつに救われました。
おかげで、今もソイジョイをちょくちょく買ってはつまんでいます。
おかげで鉄分とか、取れてる気もするけど、そういうのって結局、よくわからんです。
しかし、ソイジョイは美味しいので、全然おっけーです。どんと食う。
それに対抗するみたいに、友人とかとの食事には、すごくうるさいです。
大盛りとか、食べ放題とか、そう言うのには全然興味が無くて、
そんなことより素敵な空間で、新鮮な食材で、楽しくて思い出に残る時間を過ごしたいのです。
それに価値を感じれば、別に値段とかってどうでも良いです。
価値を感じない割に、高いメシが多い東京にて、そういう店があることに感謝なわけです。
それに近頃、東京にも安くてうまい店が点在していることを知り、とても嬉しいです。
あ、なんかいい店あったら、ぜひぜひおしえてください。
僕は、人に勧められないと冒険できない胃袋の持ち主なのです。
2008.04.19

僕はライバルという人と出会ったことがないです。それに気づいてからは、けっこう、意図的に出会わないようにしています。
「競争で鍛えられてより良いものができる」とかいうけれども、別にそんなビシバシ鍛えられたくありません。鍛えるとしても、自分の好きなようにマイペースに鍛えたいのです。
神経をすり減らして、消耗戦みたいな人生を生きている人は思ったより多くて、結局そういう人って「何のために生きているのか」という大事な大事な問いを「くだらない」とか言って切り捨ててしまったように思えます。
基本的に僕はへなちょこなので、競争には十中八九負けます。
なので、あんまり人が見ないところを見るつもりで生きています。
そうすると、生きるのがとても楽です。
なんか、自分の常識を世間の常識みたいにして、押し付けてくる人が多いです。
この前、ライバルについて、親戚にこんな話をされました。その人は小五の息子を持つママで、教育な感じのママでした。
「結局さ、鍛えられなきゃ伸びないのよ、人は焦燥感で強くなる、だからそう、良いお友達を作らせなきゃね」僕は焦燥感までについてはおおむね同意したんですけど、なんかこう、前提が親の”期待視点”すぎるんだよなあ、と思いました。
それが親心ってものよ、みたいなことを言っていましたが、なんなんでしょう、子供に自由意志はないのでしょうか。絶対あるじゃないですか、もう小学校も高学年になると、大まかに「こう生きたい」って感じが。もちろん、ちゃんと言葉にできないかもだけど、子供ってよく大人のこと見てるし、よく自分に置き換えてますよ。
「よきライバルと切磋琢磨して、学歴上の上を目指すのが正しい親心」
多分、これってよくある話なんだろうけど、すごく気持ち悪くなりました。
こんなにも多くのものがあふれてて、自由な考え方ができる僕たちは、別になんだっていいんじゃないかと、いつも思います。
ちなみに、受験競争に打ち勝ってきた人と、飲む機会が結構増えましたが、たいていそれとなく苦しんでるんですよね。
たしかに日本って、肩書きにひれ伏す人が多いから、世間的に見れば悪くはない道なんだろうけど、世間とか見栄のために生きるのって、なんかクソですよね。
ライバルという言葉を浮かべると、もうなんか、やだやだやだーってなります。
今後僕にライバルが現れたりして、競争にさらされたりしたら、僕はそのスペースから、他のスペースに行くと思います。
意外と探せば開いているもんですからね、一人でまったりできる場所って。
みんな探さないけど、ありますよ、ライバルの居ない場所って。
いや、もしかすると僕がライバルという言葉に過剰反応しているだけで、ほとんどの人はライバルなんて居ない理想郷に生きているんなら、それが本望なんですけど。どうなんでしょうか。
とにかく僕はまったり行かせてください。