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2009/09/08

先日。気分転換に、JunkStageスタッフの美女とランチをした。
その中で彼女が「友達が育児に行き詰っている」と話を聞いた。
わたしはちょっと衝撃だった。「育児に行き詰る」とは、一体どういう状況なんだろうかと。

どうやら「良い親でありたいのに、そうできない自分とのギャップがつらい」とか「イライラしてしまう自分が嫌だ」とからしい。
ちなみに、こんな能天気なわたしだって、2時間起きに夜中に起こされれば疲れてイライラして口をふさいでやろうかと思う。
そんなの、1度や2度じゃない。
そんなことを思ってしまた自分に嫌気もさすが、ストレスがたまれば人間はおかしくなるのは自明の理だ。
余計なストレスを生む自己嫌悪は、そこまでストレスがたまってる妻のケアを怠っている旦那様のせいにして、うつ病とかになって一家心中を試みる前に、長風呂してみたり、チョコでも食べてみたり、友達に会ってみたり、ストレス解消に力を注ぐことにしたほうがいい。

わたしにまったく理解できないのは「良い母親である」と言う事だ。
「良い母親」とはどういう親だろう?
芸能人みたいに、いつもオシャレでキレイであることか?
皇族のように常に優雅で笑顔であることか?
素晴らしい幼稚園にいれられる親か?
家事も仕事も完璧に両立できることか?

よくわからない。まったくピンとこない。

赤子は、もちろん自分と旦那さまのDNAでできている。
だからわたしは「良くて自分、悪くて自分」と思っている。
自分と旦那さまの良い部分が似てくれればラッキー。
悪ければ自分の思春期の頃になるようになるだけだから、「なんで産んだんだ」「勝手に産んだんだから育てるのは当たり前だ」くらい言われる事は覚悟している。
旦那さまとわたしと比べると、偏差値はわたしの方が高いから、偏差値の上限はわたし。
運動神経は旦那さまの方が良いから、運動能力の上限は旦那さま。
悪い方に似たら、それはしょうがない、とわたしは思っている。
だから期待なんてしないし、「頭がよくて運動ができて、聞き分けがよくて、自分の意見をしっかりもっている子」になってもらおうなんてまったく思わない。
そして、「子どもは親の言う通りには育たない。親を見て育つ」と言うからし、実際問題、自分が親の言う事を聞いちゃいなかったので、自分の理想の子どもに育てたいなら、理想とする人間に自分がならなければならないことがよくわかる。
「英語が喋れて、自分から進んで勉強をし、本をたくさん良み、みんなに優しく、正義感が強くて、運動ができて、いつもにこにこ笑っている子」になってほしいなら。
自分で英語をしゃべれるようになり、勉強大好きで、暇さえあれば読書をし、休日にはスポーツに勤しみ、レジでお釣りがプラスに間違ってても申告し、世界平和を願い、友人には一切の優劣をつけず、ゴミのポイ捨てを見たら必ず注意し、人の悪口を言うなんてもってのほか、どんなにイライラいしてても笑顔を崩さない人間にならなくてはならない。
だとすれば、悩んでいる暇なんてどこにもない。そう人間になるべく、がんばらなくちゃいけない。

「そんな努力、無理」と思うのであれば、そんな無理な理想の子ども像を子どに押し付けるのはやめよう。
自分ができないのに、子どもに過剰に期待しするなんておかしい。
子どもの能力を信じることと、過剰に期待する事とは違う。
子どもに期待するということは、できなかったときに落胆するということだ。
それは子どもにとって、ものすごく勝手な親ではないだろうか。

じゃぁ、子どもにとっての「良い親」って何なんだろう。
わたしは、自分のことを100%理解してくれることでも、期待していろいろしてくれることよりも。
自分をわかろうと努力をしてくれて、自分と一緒に成長していってくれる親じゃないかと思う。
そういう親が、わたしにとっての理想だからだ。

だって、考えてみてほしい。
同じ言語を使い、同じ日本で育ち、同じような文化を共有している旦那さまや仲の良い友達、血のつながった親や兄弟を、100%理解できているだろうか。
答えは否だ。
親になってみてわかる親の気持ちがあるし、恋愛に悩む友人の新しい面を発見することなんて多々ある。
言葉を話せる者同士ですらそれなのに、赤子の気持ちを100%理解するなんて無理だ。
冷静に考えれば無理だとわかることを、どうして自分に課してしまうのだろう。
それが「できないから、ダメ」と思ってしまうのだろう。

おっぱいをあげて、おむつを替えて、抱っこして。
それでも泣いてるなら、わたしは放置して、見てるか本でも読んでいる。
だって、わからないもん。
わたしが満たしてあげられるのは基本的にその3つだけだ。
「泣く」以外の要求をできない赤子の、それ以外の要求をわかって満たそうとするなんて、はなっからできないとわたしは思っている。
あり余ったあエネルギーを発散させるために泣いてるのかもしれないし、なんだか泣きたくて泣いてるだけかもしれない。
だから、放置。「おかあさんはわかんないから、泣いてな」と言い、読書にふける。
5分もすれば、理由がわかんなかった泣きから「放置されて嫌だ」という泣きになる。
そしたら欲求を満たすのは簡単だ。
抱っこして、話しかけて、遊ぶなり寝かしつけるなりすればいい。
寝ぐずも夜泣きも、わたしは同じようにしている。

赤子はお母さんと自分の感情の区別があまりつかない。
「もうわかんない!!」とイライラすればするほど、赤子もイライラして余計に泣く。
お母さんが「これでいいのかな?大丈夫かな?」と不安になれば、赤子も不安になってしまう。
だから、お母さんの心が平穏であれば、赤子も平穏でいられる。

じゃぁどうやって平穏であればいいか。
わたしは「赤ちゃんが親を選んで生れてくる」という説を信じている。
親になってみて、やっぱり自分の親のところに生れて良かったと思うし。
3歳くらい子どもが、産まれる前の記憶としてそういう事を話す子がたくさんいるからでもある。

あなたもわたしも、赤ちゃんに選ばれた。
赤ちゃんは、あなたが好きで、あなたのところに生れたかったから、きてくれた。
それは「良い親」でも何でもない、悩んだり笑ったり怒ったり、ただあなたとして生きていたころのあなただ。
そんなただのあなたが好きで、赤ちゃんはきてくれた。
だから、自分でつくる「良い親」である必要なんてない。
「良い親」のあなたを選んできたわけじゃなく、ただのあなたが、赤ちゃんに選ばれた唯一無二の存在なのだ。
赤ちゃんにとって「良い親」でありたいなら、ただのあなただった頃のように、自分で自分に恥じない生き方をすればいいだけだ。
自分で作った「良い親」の枠にとらわれる必要なんて、まったくない。

だからわたしは、王子が泣いてても笑ってるし、放置するし、世間で言う「良い親」であろうとは思わない。
わたしがストレスなく、笑っていられることが赤ちゃんにとって一番良いと思うから。
むしろそのための労力と、自分が好きな自分であるための努力は惜しまない。

だいたい、親なんて、子どもができたから「親」という立場になっただけだ。
母親にだって、赤ちゃんを産んだからすぐになれるもんじゃない。
「産みの親より、育ての親」なんて言うつもりはないが、血のつながりがなくたって親にはなれる。
つまり、親になるっているのは、子どもと一緒に成長して親になっていくという事だ。

わたしの「親歴」はたった5ヶ月半。
初心者もいいところだ。
これから自分が死ぬまで続く「親歴」の、たった一歩を踏み出したばかりなんだから。

わたしが死ぬまでざっと60年。
60年のうちの5ヶ月半なんて、笑っちゃうほど短い。
たぶん、思春期になったらもっと悩んでいるんだから、悩むのは未来の自分に任せればいい。
今やることは、自分が笑っているための労力を惜しまないことと、自分で誇れる自分になる努力を惜しまないことだけだ。
赤ちゃんは、悩み苦しんでいるあなたを見たくはない。

と、思って育ててきている。
そしたらいろんな人から、「良い子だね」とおほめの言葉をいただけている。
親に似ず愛想が良く、外出すれば必ず3人は笑顔でナンパし「かわいいわね」と言われてご満悦な王子。
最近は、朝起きたら「母ちゃんの二度寝は許さないゼ」とばかりにわたしの睡眠妨害に勤しんでくれる。
おかげでわたしは起きてお弁当を作らなくてはならなくて旦那様は喜んでいる。
…………すでに、親よりデキがいいな(笑)