« | Home | »

2009/04/07

この記事は、わたしが妊娠・出産ということに関して、非常に恵まれているので、そう思えるのかもしれません。今の状況でなければ、非常に傲慢で、残酷で、冷徹な考えなのかしれません。
不妊などに悩んでいる方には、非常に不愉快な内容かもしれませんので、読まないでください。
「分娩台よ、さようなら」という本を読んで。わたしは一種の覚悟を決めた。
「赤子に何かあった時のために、最新設備の整った病院で産む」、と思っていたけど。
本当に申し訳ないことだが、実際に、どんな手段をもってしても、残念ながら産まれてこれない命や、産まれてもすぐについえる命というのは存在する。
だから、そういう命だったらしょうがない、と。
昔、出産は、母子共に命をかけたものであってように。
でも今、出産は「当たり前に産まれてくるもの」と思われている。そのために、万一のことがあると、訴訟などをおこされる場合が多く、訴えられた時を想定して、しなくていい施術をしている事も多いのです(参照HP:http://osan-kojo.com/column/01_041015.html)。
そのせいで自然分娩が減っている、という一面もあります。

確かに今は、20年前と比べても格段に「悪い状態で産まれてきても、生きられる赤ちゃん」というのは増えています。
それは紛れもなく医療技術の向上の結果であり、素晴らしいことでもあります。
そうやって救われた命を否定する気は一切ありません。

でも、医療技術が進歩したからこそ、医療に頼らずに出産できる件数も減っているとも思います。
高齢出産、不妊治療による多胎妊娠(双子以上の妊娠)、太りすぎ、促進剤の使用など。
「妊娠したからには普通に産まれてくる」という思い込みと、医療現場の深刻な人手不足と過重労働。
いろんな要因があるでしょう。
でもわたしは、(自然に)妊娠した以上その人は自然に産めると思うし、生きられない状態で産まれてくるのは寿命だと思うのだ。

子ども産むにはやっぱり年齢的なリミットがあるし、妊娠できないのには理由があると思う。
究極で言えば、「ひとりで産めない種族は滅びている」のだ。
地球上に生命が誕生してから今まで、滅びた種族は数多い。それでも人類がこれだけのさばっているのは、人類の繁殖力と生命力が非常に優れたものであったからなわけで。
だったら、普通に産まれてこれないなら、産まれてもそれ以上生きられないのであれば、そういう運命を抱えて誕生した命なのだと受け入れよう、と思ったのだ。

赤ちゃんは、親を選んで生れてくると言われる。
大人になるころには覚えてなくても、兄弟も、親も、選んだ記憶を持っている子は少なくないらしい(4歳くらいまでに訊くと、答えてくれる子も多いらしい)。
中絶されることがわかっていても、そのお腹に宿ると言う。
そうであるならば、産んでくれることも、それ以上生きられるか生きられないかも、赤子は知っている。
だから、自然に授からない命、自然に産めない命、産んでも生きられない命なら、それを受け入れようと思った。
同時に、なんらかの障害を持って産まれてくるとしても。
わたしにとって「命を繋ぐ」という事はそういう事で。
わたしにとって出産は、そういう覚悟でした。

わたしがそうというだけで、世の中の9割は自然分娩できるし(そうでなきゃこれだけ人口は増えていないわけで)、助産院で産むのにそこまで覚悟する必要なんてまったくない。
助産院側も万一に備えて、そこで可能な出産なのかどうかを見極めるし、病院とだって提携しているので、危険な場合はすぐに病院へ搬送されたり、医師が診断に来る体制が整っている。
センセーショナルなニュースになるのは、ごくごく一部。
基本的に、みんな普通に産んで、普通に生きられるのだから、どうか安心してほしい。

もちろんそれも、自然妊娠ができて、自然に産めて、五体満足で、すくすく育っているから言えることなのかもしれません。
だから決して、医学の進歩なくして産まれなかった命、生きられなかった命を否定する気はありませんし、素晴らしいことだとも思います。
不妊治療で生れるってことは、いつかは自然妊娠してたのだろうとも思っていますし。

ただ、わたしはそういう覚悟を持っていた、というだけ。
一応、アホみたいに遊びまくったりしていたわけではないのだ(笑)

2009/04/07 10:49 | 妊婦がまじめに考える | No Comments