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2008/12/10

編集部の提案により、広告についての擁護論を書きました。
かなり乱暴ですが、普通の人にも、業界の人にも、響いてくれるといいなと、思いながら。
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広告はもともと需要を作り出す装置

アメリカの金融ゲームの破綻に端を発した、現在の世界同時不況。
実経済への影響を世のジャーナリズムは取り上げ、リストラだの内定取り消しだの、ボーナス削減だのと不景気『気分』に拍車をかけるような話ばかりを騒ぎ立てています。それを日々、見聞きする人は、必要以上に将来に不安を持ち、財布の紐を締めてしまいます。

そろそろ、ブームに乗っかるだけのニュースを流すのをやめませんか
>テレビ、新聞のニュース記者の方々へ

日本の国内総生産(GDP)は景気判断の重要な指標ですが、国民の消費が縮小すると、これが下がります。国民が買物をしなくなるとメーカーは商品を作りません。結果として、メーカーの生産量は下がり、GDPも下がり、企業は利益が少なくなり、結果として企業に働く人の給与が下がるという「負のスパイラル」に入ります。これが俗にいう「不景気」です。ですから、「不景気だ」「不景気だ」と、マスメディアが騒げば騒ぐほど、ほんとうに不景気がやってくるのです。

当然、逆の場合もあります。他の指標がそれほどよくなくても、なんとなく景気がいい気分のときは人々の財布の紐がゆるくなってモノが売れる。そうすると、企業の生産量は増えて利益が出る。結果として、従業員のボーナスも増えて、さらに景気がよくなる。今回の金融ゲームの破綻による世界同時不況は、このような「生産⇒消費」という実質的な経済とは違うレベルでの出来事だったはずです。    *細かい話は割愛しています。突っ込まないでくださいね。

それを大変だ大変だと騒ぐだけで、ほんとうに実質的な経済にも影響が出るのが、この社会なのです。こうした「人々の消費したい気分」が現実に国民経済に影響するというのを納得していただければ、「広告」(を含めたマスメディアによるメッセージ)の、社会における重要性は理解してもらえるのではないかと思います。

もともと、広告は、マス・マーケティングという、消費と生産の「仕組み」を発明した企業が必要としたものだったのです。
一品一品手作りしていたもの(高価)を、画一的な大量生産品にして市場に送り出し、それを買ってくれる人を大量に作り出すために発明された情報の流し方が「広告」だったのです。広告のことを批判する人だって、この大量生産の恩恵をえているはずです。安く、品質の高い商品を買って使っているはずです。ネット企業だって、Googleにせよ、Yahoo!にせよ、企業サービスを支えているのは「広告」なのですから。
そういう市民生活の多くを陰で支えているのが「広告」なのです。

それは21世紀になっても必要な存在であるはずです。
もちろん、この世紀になって、以前に比べ情報は過多になっています。テレビのチャンネルは数十を超え、インターネット上には大量な情報が存在します。ケータイでメールも打たなきゃいけません。健康のためには睡眠時間も減らせません。人々のメディア接触時間はメディアの拡大に比べて、物理的には増えていません。(とはいえ、漠然とイメージされるほど接触時間は減ってもいないのですよ、実は)広告は、その中で、相対的に存在感が下がっているかもしれません。でも、資本主義社会において、健全な存在として機能していたなければならないものだと思います。

不景気なときに広告は役に立つのか、という問いかけがあります。不景気なときに広告をやっても効果が出ないのではないか、広告費は効果が明確じゃないから、一番最初に削減されるものではないのか。コストとしての広告という見方をしている限り、そういう意見が必ず出てくるのもしかたないかもしれません。でも、本質的な社会的な機能としての広告は、不景気なときほど必要なものなのです。

海外でのビジネスが急激な円高や不景気で利益が見込めない、少し前から始まっている原材料高で利益が見込めない、などの理由から、広告費を縮小している企業が増えています。単年度での利益を出さないと、株主への義務が果たせないなどの事情があるにせよ、マスマーケティングを前提にする企業にとっては、いかがなものでしょうか。

単なるコストではなく、商品の需要拡大のための投資として、不景気なときほど広告で「買いたい気分」をつくるべきではないでしょうか。元来、広告が果たしてきた役割の視点からは以上のような「広告擁護論」ができると思います。

「広告が効かなくなってきた」という声もあるけれど

そういえば、世紀の変わり目と時期を同じくして人々の生活に浸透してきたのがインターネットです。気になった情報は、パソコンやケータイで検索して探しに行くのが当たり前という人が増えています。そんなのあたりまえじゃん。ここの読者の方々はそういうかもしれません。でも、10年前まで、それは当たり前ではありませんでした。

ガンダムの全盛期の頃、ファンはその情報をネットでさくっと検索はできなかったのです。ファンコミュニティも身近になかったのです。一人こっそりと、ファンは雑誌などで楽しんでいたのです。そんな昔の話ではありません。

テレビ番組を見て、その場で検索。新商品の広告で気になったらすぐに検索してメーカーのサイトで詳しくチェック。食べ歩き番組で紹介された店も、ネットでチェックしてクーポンとっておく。料理番組でよだれを流したらそのまま番組サイトでレシピをゲットして、その日の晩御飯はばっちり。あなたもそういうことをしていませんか。純粋な広告だけでなく、マスメディアの発信する情報をふくめた「商品やサービス、生活スタイル」の情報が、消費をつくっていることは、現在でもかわりありません。

料理番組や情報番組の消費への影響力は絶大です。スーパーはその日の人気番組で取り上げる食材を事前に調べて、仕入れを増やしているところも多いと聞きます。料理番組や情報番組で取り上げる食材やテーマを選ぶときも、ものによっては企業の広告費が使われているのです。「広告」というとき、純粋な「広告」だけでなく、こうした「ニュースや情報番組のコンテンツ」にふくまれた「商品・サービスがらみの情報」までも含んでみてみると、広告が消費の気分を作っていることを理解してもらえると思います。

広い意味で、消費の気分を作り出す情報。それが広い意味での、「広告」です。

単純に、きれいでかっこよくて、シズル感の高い、インパクトの強い広告作品をマスメディアで流すことだけが、広告ではない。というだけだと思います。

広告は「生活の当たり前」を作っている

そろそろクリスマスです。クリスマスといえば、サンタクロース。では、なぜサンタクロースの衣装は「赤い」のかご存知ですか。有名な話です。もしご存じなかったらこの機会に。

もともとサンタクローズの衣装は緑色中心だったとか。それを1950年代のアメリカで、コカコーラがクリスマスキャンペーンを実施したときに、ブランドカラーの「赤」を使ったのが始まりだそうです。それが、日本を初めとする各国でキャンペーンを開始し、クリスマス=赤い服のサンタ、となったとか。

日本でもクリスマスの定番曲の一つに「クリスマス・イブ」があります。これも、新幹線のキャンペーンソングでした。今も、広告のタイアップ曲がヒットランキングの上位にあります。季節の気分も、時代の気分も、二十世紀後半の都市生活においては、広告が荷担していたのです。

いまはどうでしょうか。その魔力は衰えたのでしょうか。

ユニクロを着ることは、かつて多くの人にとって、ちょっと気恥ずかしいことだったこともあったはずです。それがいまは、どうでしょうか。多くの著名人がモデルとなって、かっこよく、きもちよさそうにCMに出続けています。そのこともあって、安いけど高品質で気持ちよく着られる服、というものに変わっていませんか。これこそが、広告の力です。

企業は努力しています 応援するなら買い物しましょう

不景気とはいえ、企業活動はとまりません。

働く人たちはいろんな知恵を使い、よい商品を、よいサービスを送り出そうと努力しています。海外の食材がリスクが高いとなれば、国内の農家と契約して、安全で安心できて、かつ美味しい食材を使おうとします。当然、コストも高くなります。皆さんは、どう思いますか。高いものは買わない。それも一つの選択です。でも、企業努力に敬意を表して、買ってあげようじゃありませんか。食品だけじゃなく、家電製品だって、それぞれに研究開発をして、よりよいものを市場に出しているのです。そのことにもっと敬意をもってつきあってもいいのではないのでしょうか。

製品の比較や、企業の悪しき対応にクレームをつけることも大切です。消費者としての権利を声高にいうのも大切です。
でも、もし、「あー、がんばってるなー」と思える商品やサービスに出会ったら、そのことに応えてあげるというのも、消費者の選択の自由、権利の一つだと思うのです。環境によいことをしている商品を開発したら、買ってあげる。恵まれない社会に貢献している商品や仕組みがあれば、少し高くても買ってあげる。そのことが、あなたの買い物自体が社会に参加することになるのですから。

では、その「がんばっていること」をどうやって知ればいいのでしょうか。誰かが教えてくれますか?あなたはその企業を「検索」でみつけることができますか? そうなのです。「広告」はそのためにも、必要なのです。不景気な気分が蔓延しているとしても、人の、企業に勤める人の、がんばりは形になって、日々世の中に出てきているのです。そんな「がんばっている商品」を多くの人が知るためにも、広告はもっと社会に貢献しなければならないと思います。

企業のコスト管理が厳しくなる中、広告は不利な立場にいます。でも、社会的な広告の機能、需要創造のための装置としての機能を、もっともっと理解する人が増えることで、広告はあたらしい「投資」としてみられる日が来るのではないかとも思っています。そのためには、この情報過多の社会の中で、ほんとうに「響く情報」として機能することが前提条件になります。過去の成功は忘れて、新しい「広告」へ。

広告はけっして、情報テクノロジーに吸収され自動化されるものではありません。
「気分」を変える仕事は、人間にしかできないものですから。

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(追記)「広告」について個人的に語ることは避けてきました。でも、編集からの依頼に応えてみました。
ご感想、ご意見、まじめにお待ちしております。

寒い日が多くなってきました。インフルエンザ、風邪などに侵されませんように、ご自愛ください。

また、「誘惑の方法」などでお目にかかります。


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