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2010/01/16

みなさん,この冬は寒いですが、いかがお過ごしですか。巷では映画が話題ですね。
とくに、3D映画。grassavatar
これはメガネをかけて、おおーとか声を出して、気になる人と「新しい体験」をするのに、最適です。3D映画デートはこれからいいですよ。有名な「つり橋理論」とおなじで、数が少なくなっているお化け屋敷の変わりに、同じどきどき体験をして、仲良くなりましょう。

さて、今回から数回にわたって、この3D映画が、視聴覚体験としてどうして新しい体験なのか、について極私的な感想を中心に考えてみます。すでに、この映画を体験した人は自分の感覚を思い出して、まだの人はとりあえず「ただの3Dだろ」と思考停止にならずに、読んでいただけるとうれしいです。
※アバターの3D実現技術ですが、じつは4通りあります。そのあたりは、すばらしい比較体験レポートがあります。これから見よう、または一度見たけど期待したほどではという人には参考になります。http://bit.ly/5GhLSh

まず個人的体験から。

私は公開初日(昨年12・23)にIMAX3D方式で、座席は中央やや後ろという、3D映画を見るにはベストな環境で体験しました。ちなみに吹き替え版。これも字幕を目で追う負荷をできるだけ避けるためです。そうです。完全に映像体験のみに特化して、いわゆる映画体験とは切り離したものとして、ほとんど仕事のリサーチとして取材してきました。業界人ですねー。自分でも笑っちゃいます。

その取材の感想。まず、本編前にみた3Dの別アニメ映画の予告編で、オオーと館内で声が出ました。これは、文字が飛び出したり、ものが飛んで迫ってきたり、という典型的な立体映像への驚きです。タイトルロゴが宙に浮かんでどんどん迫ってくる。たしかに従来の映像よりもメリハリが利いています。近いもの(迫ってくるもの)に人は注意がいきます。槍や拳があなたの顔に迫ってくることがわかれば、誰だって注視して自分の身の安全を反射的に考えるものです。

ここで、熱心な業界人としては、「3Dは映像によって今まで以上に『自分ごと』化できるなぁ」と再確認します。3Dテレビがこれから普及するという話もあり、広告のクリエイティブも根本からかわりそうだ、とかもキャラメル味のポップコーンを頬張りながら思ったりします。

※「自分ごと」に関しては、二つほど前の記事も読んでください。もっと知りたかったら、こんな本もあります。

さて、映画本編をしっかり体験しました。映画自体の評価、評判はすでに莫大な量出ていますので、ここでは省略します。
リサーチとして3時間弱この映像体験をして思ったことはたくさんありますが、エンドロール(これも文字が飛び出して見える)をながめながら一部観客が拍手までしているのを、気恥ずかしく聞きながら、自問していました。

「私は2Dでこの映画を最後まで見られるだろうか」

冒頭の「飛び出す絵本」をみる驚きは、ものの5分くらいで慣れます。人間の感覚の環境適応力はすばらしい。3D映像を見ているということはすぐに忘れます。映像空間の奥行きにも慣れます。正直、ストーリーの大きな流れは前半で予想できましたし、細部のプロットは日本映画のいくつもを思い出し、それはそれでリミックスの曲を聴くような気分で楽しめたのですが、必ずしも「お話にどきどきする」という感じではありませんでした。それでも3時間弱という長さは、生来気が短く、飽きっぽい自分にしてみると、飽きずに楽しめたというのは、あきらかに3Dをふくめた映像の力だったわけです。3Dによる奥行きのある映像空間であるがゆえに、通常の映像よりも「没入感」が高かったから、というのがあたりなのでしょう。(さすがに目が疲れて3度ほどメガネをはずして目頭をもみましたが)

最新技術で、ここまでの新しい映像体験を現実にした人々の偉業はたたえなければなりません。あきらかに新しいエンターテインメントの技術を人類は手に入れたのだと、大げさですが確かに思いました。かつて、CG技術を活用して物理的には不可能な映像を錯視させることで表現の幅と人々の感情への刺激手段の幅を広げてきたこと以上の、一段上がった技術を手に入れたのだと思います。

一方で、この映像体験は私におおきなフラストレーションをもたらしました。

館内が明るくなり席を立つときになっても、飲み残しの気の抜けたコーラを飲み干しながら、考えていました。正直いって、「ブラボー、グレートジョブ」とスタンディングオベーションをする気分にはなりませんでした。逆に、なんだか腑に落ちない、居心地の悪さばかりが全身を包んでいました。その居心地の悪さの内容を、この一月ばかり考えているというのが、私の今日この頃です。

なぜこの3D体験は、居心地が悪いのだろうか。作品のせいではありません。こうしたSF映画ではない実写のしっとりした映画などを想定して3Dになったら面白いだろうなとも思いました。でも、やはり居心地が悪い。もっと正直に言うと、気持ち悪い。趣味ではない。

これは構造的なものではないか、と考えていたところ、「必要なときには必要なものが現れる」という私の独自の運のよさもあり、ヒントになる本に出会いました。それは、「映像(視覚)」と「音声(聴覚)」の分離と統合、および再統合に関する文化的な考察でした。その論点の延長から、3D映画体験の「見立て」をすることで、個人的な居心地の悪さを構造的に考えてみました。

人工的な映像と音声で現実を再現し、それをあらためて観賞すること、その「過剰同期」について。ミッキーマウシングと3D映画の関係。映像の中での立体視という「あらたな過剰同期」。ピント合わせを他者に委託するという行為。意図された空間で意図された情報に集中させる見えざる権力。新しい世紀のアメリカの力・・・。いろいろと余計なことを考え始めました。

(という予告だけで今回は終わります。続く)