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2008/08/20

姿勢のやたら正しいある人が言っていました。

世の中には二種類の人間しかいない。
ぎっぐり腰の痛みを知る慈悲深い人と、そうではない人。

先日、私は慈悲深い人の仲間入りすることになりました。

yakushi

それも強烈なやつを知ってしまったので、ホントに慈悲深い人間になれるのではないかと、自分に期待しています。でも現状は、このように大人しく感想がいえるほど完治しているわけでもなく、今のところ、「慈悲深さ二級」というところでしょうか。

くーーっ。

まだ骨盤から背中にかけて、痺れてるぜ。中途半端な恋愛と鎮痛剤は、常用すると危険です。

そもそもなんで『ぎっくり腰』などというものになったのか。

私の話をする前に、この体験がもたらした豊穣な物語体験をご紹介します。

この痛みを知ってから周囲の人に話すと、慈悲深い人だけでなく、そうではない人の中にも、この疾病のドキュメンタリー・ライターがたくさんいる事がわかりました。

◎ご主人が先月慈悲深くなったばかりだけど幼子がいてほとんど放置プレーだったと笑うご婦人。

◎テーブルの醤油ビンを取ろうと手を伸ばすたびに慈悲深い体験を再発している母上をもつ女性。

◎夕餉の沢庵をかじっていて突然硬直し慈悲深くなり、そのまま箸と茶碗を持ったまま横倒しに床に倒れた妻をみおろしながら、「冗談だろ」と思わず言ってしまったことをいまだに悔いている男性。

◎休日にバイクでツーリング中、人気のない山中で転倒し慈悲深くなったため、大声で号泣しながら巨大なバイクを数時間にわたって起こそうと奮闘した男性。

◎浮気をしていたのに、慈悲深くなった夫のパンツをはかせているうちに元の鞘に収まった妻、、、。

どれもこれも、涙なくしては聞くことのできない慈悲深い実話です。

ある日突然、腰から背中にかけて激痛が走り、ひどい場合は立っていることも座っていることも、寝返りすらもできない状態になってしまう。そのきっかけは、通常言われるような、靴を履こうとして、くしゃみをして、など日常的な些細なこと。

私の場合は、普段よりも重い楽器を首からぶら下げて中腰姿勢で一日練習したことになるようです。

初日、午後から半日ほど練習。その日はやや腰が重い程度。温泉に入り、夕刻マッサージしてもらい、それなりに酒も楽しんで就寝。筋肉の消炎剤を塗ったので、なんとか熟睡。翌日、午前と午後、練習。夕方から、腰から背中に鈍痛が続く。床に座り込む姿勢ができなくなる。それでも、やはり温泉に入り、半身浴を楽しむくらいの状態。宴会では体育座りすら不可能なくらいの痛みになり、早々に就寝。

その翌朝。寝返りで激痛のため目覚める。そのまま、起き上がることも不可能に。
やたらと叫び声をあげて硬直する変な物体と化す。

ぎゃー、ぐー、けーっ。

なんとか四つん這いになり、深呼吸で息を整え、バンジージャンプよろしく一大決心で立ち上がる。何とか直立猿人になるものの、ちょっと姿勢を変えたところで背中の筋肉全体が攣ったように硬直して激痛が走る。

ごぇーーーっ。

そのまま顔をしかめ涙を流し硬直。
息もできない。
傍から見ると、中途半端な姿勢の銅像のようにみえただろう。
だけど、好き好んで銅像しているわけではなく、動けるものなら動いているのだ。
上野の西郷さんも意識があればそう思ったにちがいない。もっとも顔は別人らしいが。
そんなことを考えている余裕は、実はまったくないのがこの痛み。

ぐ、ぐ、ぐっひぃ、いぇーーーーい。

ゆっくりと筋肉の弛緩をまち姿勢を変える。

こんな状態が代わらず続くと、すべての社会的活動はできなくなる。
口だけうるさく動く、やっかいなお荷物として、その後自宅まで搬送してもらいました。
合宿仲間の方々に、深く感謝。

今回、実感したこと。

ぎっくり腰というのは、腰が痛いだけではない。

身体感覚というのは個人差が激しいけれども、想定していた範囲での「腰」が痛いだけではないのですよ。
もちろん、通常あまり意識したことのない「腰骨」は、指で触るだけでがんがんに痛くて、もしかして全体が腫れ上がっているのではないかと思うほどの炎症をおこし、ちょうどお腹の鳩尾(みぞおち)の後ろ側の背中まで、びんびんに痛くなるものなのです。気がつくと、左足の付け根も痛く、左足全体が少し痺れていたりもします。もはや「痛みのデパートです」(って例えがすでに死語だ)。

一週間、鎮痛剤やシップでごまかし、暇があると床に寝そべって過ごした甲斐もあり、
本日はなんとか社会復帰しております。

でも、この話をすると、さまざまな「お得な情報」をくれる人が多く、実に面白い。
今、一番興味をもっているお得な情報は、以下のようなものです。

「品川の××式」の整体治療院は、「手翳し」のみでぎっくり腰の痛みをすべてとる、らしい。
新興宗教ではあるが布教することはなく、ありがたいご利益がえられる、とか。
すでに、同僚で理屈っぽく猜疑心の強そうな人々(I 氏、T氏、H氏など)が体験済み。
絶対にお勧めといっている。

ハンドパワーの強さを体験しに、いくべきか。慈悲深さ二級の私は、悩んでいます。
行ってこそ、慈悲深さもより深くなるような気もします。誘惑されてます、とっても。
でも、この気持ち、もう一種類の人間にはわからないでしょうね。

私の背中を見て、何かを感じる人間がいるとは思えませんが、
異常に姿勢が良くなったことだけは確かな、今日この頃です。

※冒頭のお写真は、明通時 木造薬師如来坐像 です。ありがたい。

(「痛がる背中の記憶」了。BGM 「背中まで45分」沢田研二)