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2008/06/24

JVCHH

さぁ、今年の「夏フェス」の準備はオーケー?

夏です。梅雨のある国と地域だけでなく、初の黒人大統領を選ぼうという国でも、その隣の国でも、六月からすでにジャズ・フェスティバルのシーズンです。梅雨のない国ではすでにもう夏なのです。汗にまみれながらビールを飲みながら、大きなホールや緑の公園や街角で、レッツ・ミュージックな季節なのです。温度計の上昇とともに開放感もあげまくって、ひと夏の経験をするにはもってこいのステージです。梅雨のある国と地域の住人の方も、まだ見ぬ今年の夏フェスの予約はそろそろ手をつけないといけない季節です。日比谷野音、信州、北海道、国際フォーラム、、。まだ手を打っていない人は急いで急いで。
というわけで、なにゆえに「夏フェス」はこんなにも盛り上がるのか、というお話し。
私は音楽を聴くのはそんなに趣味じゃないし、関係ないかも、と言う方。これは趣味の問題ではないのです。フェスティバルというくらいです。お祭りなのです。社会的、文化的に、人々に開かれたイベントなのです。単なる「でっかいコンサート」ではないのです。サムシングエルスが魅力なのです。
もしお気に入りのお友達から誘われたらどうしますか。ビールを飲んで、だらだら音楽聞いてればいいから、気持ちよくて楽しいよって。ね、関係なくないでしょ。だから、実はみんなの関心事であるはずの夏フェス。そのサムシングエルス。
それがなぜこんなに誘惑的なのかということを、歴史的にといっても数十年のレンジですが、実体験に基づいてお話ししたいと思います。
夏突入特別企画。夏フェスのサムシングエルスの快楽をみんなで共有しよう、というお話し。

緑の街に舞い降りて。リゾート・フェスのサムシングエルス

話はバブル期以前、80年代までさかのぼります。
まだケータイもなく、もちろんiPodもインターネットもない時代。CDが颯爽と登場し、レコードを駆逐していた時代です。
ジャズの屋外コンサートが日本でもいろいろ企画されていました。情報誌が勢いがあり、いかにおしゃれに男女で過ごすか、が一大テーマになっていた、そんな牧歌的な気分が蔓延していた頃の話です。

あるビールブランドがスポンサーになったジャズフェスティバルがありました。斑尾ニューポートジャズフェスティバル。
冬場はスキーリゾートとして集客できても、雪のない季節に若者をどう集めるのかがテーマになっていた信州のリゾートエリアがその舞台になりました。これが、実に楽しいリゾートイベントだったのです。スキー場のスロープの降りたところに作られた屋外ステージに、ビバップの大御所トランペッターや大物ディーバがにこやかに演奏するという贅沢なライブ。それを、スキー場のスロープである雑草生い茂る斜面に、思い思いに座り込んだり寝ころんだりしながらビールを飲みながら拝聴する。昼間から夕方にかけての過ごし方。汗だくなんだけど、標高が高いこともあって木陰などでは涼しい風も吹いていて、だらだらと汗を流しながらも、だらだらと男女入り乱れてごろごろと、昼間っから雑魚寝状態なわけです。この開放感、ゆるーい感じ。今思えば、屋外音楽フェスティバルの「快楽装置」としての一つの典型がここにありました。
このあと音楽の種類は多様になるものの、「スキー場のスロープで聞く屋外ライブフェスティバル」は、当時軟派スキー場の代名詞だった「苗場」なども舞台にして、現代まで脈々と続いているのです。

ちなみに、お客はこの数日スキーペンションに宿泊し、午前中は、来日しているクロスオーバーのミュージシャンと「テニス」をする企画があったり、深夜はロッジでのジャムセッションを深酒しながら楽しむという、おしゃれでだらだらを満喫できる企画だったのです。

それにしても、

『スパイロジァイラとテニスをしよう』

という企画、参加した人は想い出になっただろうなぁ、といまでも感慨にふけることができるすごい企画でした。
(ここで笑える人、ありがとうございます。暖かい声援に感謝)

badplus

夏フェスは、ゆるくなきゃ、つまんなーい。

ポイントは、「ゆるさ」です。
このゆるいこその快楽。それが夏フェスの醍醐味、チーズ味、コクの元、だったのです。
首都圏周辺の遊園地敷地内での屋外ライブは、やたらと大人数がひしめきあうものです。座席が決まっていたり、立ち見でブロック分けがあってたち続けていたり。それらと根本的に異なるのは、このだらだらと寝っ転がって、だらだらビールなんか飲みながら、ときにはべたべたしながら、最高の音楽を楽しむという「弛緩方向への快楽」を満喫できることだったのです。
これは、実に夏の休日らしくて、いい!と思いませんか。海水浴や、花火大会に通じる、わくわくがありますよね。

ちなみに、今年の夏も開催される「東京ジャズ」。これも開催当初は、じつに夏フェスらしくて最高でした。
当初数年は、調布のサッカー専用競技場を会場に、真っ昼間から夜深くまで開催されていました。
昼間は灼熱地獄。たぶん45度は軽く超えたであろうステージで上半身裸になりながらサックスをふきまくったジョシュア・レッドマンの姿を今も忘れません。褐色の筋肉質なカラダを遠目に見ながら、「ごめんなさい近くで見れなくて、でも直射日光の下では熱射病で倒れるので」と小さく謝りつつ、スタンドの木陰でビールを飲んでいた自分を思い出します。さすがにアリーナ席は人もまばらでした。あのときは悲しかっただろうな、ジョシュア。ごめんね、ジョシュア。あのときからファンだからね。・・・。

その時の観客席。そこはコンクリートでしたが、スキー場のスロープとおなじ環境だったのです。
汗はダラダラ、首にはタオル巻いて、帽子にサングラス。昼間っからビールのんで酔っぱらってダラダラ。夕方からちょっと涼しくなって、暗くなれば至る処で男女がべたべたし放題。東京ジャズは、スキーリゾートの夏フェスと同じ、「ゆるい開放感」満喫の、隠れたデートイベントでもあったわけです。場所を都内のおおきな箱に移してからは、品のよいコンサートになってしまいました。さらに、昼の部、夜の部とわけて入れ替え制にしてしまっては、この「ダラダラ・べたべた」するまで酔っぱらう時間も余裕もなく、夏フェスとしての「サムシングエルス」が消滅してしまったのです。ほんとに残念。
今にして思うに、あの「東京ジャズ@味の素スタジアム」は、すごいイベントだったなぁ。今世紀最初の奇跡かもしれない。うん。ほんとに惜しい。
関係者の皆様、今年から人口減少にはいるこの国の恋愛装置として、ぜひこういう「ゆるい開放感」の夏フェスを数多く企画していただきたく、本気で思っております。実際のご相談は、JunkStage編集部あて受け付けております。
http://www.junkstage.com/ticket.php

さぁ、今年も夏フェスに、ゆるくてゆるくてとろけそうな、サムシングエルスのある快楽を探しに行きませんか?
ケータイなんて、細い線で結ばれているだけのせこい安心装置なんて、ひととき忘れて。
そうだ、夏フェス、行こう。

(「溶解の快楽。夏フェス」了。BGM「リゾ・ラバ」爆風スランプ)

2008/06/10


ku front
初物が好き、いいよね

成熟した大人にとって「初物」といえば、一足早い季節の味わい。初鰹、初松茸、初西瓜、初蟹、、、。季節の到来をほかの人よりもちょっとだけ先に味わうという贅沢。いかにも、風流でよろしい。季節を意図的に演出するための、フライング。「旬」の人為的な前倒し。通常より高価でも許容され、その行為が賞賛される、無理矢理な贅沢。地球温暖化が「温帯性気候」自体を破壊しつつある現在。それでもこんな風に「季節の扱い」にこだわる姿勢こそが、この国の文化だ。

世界でも、「初もの」に価値をつけるものは沢山ある。ボージョレー・ヌーボーしかり。ただし、それは「初荷」という「収穫」もしくは「デビュー」のシンボルだ。収穫を祝う祭りは世界各地にあり、日本にも多くの祭りがある。これは「収穫」という社会的価値を祝うイベント。一方、この国における「今年初の(ちょっと無理した)季節ものを楽しむ」のは、似て非なる価値、文化的な価値である。もっというと「イメージの消費」。

「初物」は、小宇宙に見立てられた、食卓の空間における「季節の始まり」。すなわち「その年の初めての季節」という「イメージの消費」を味わうもの。さすが、生産活動に従事しない「貴族」が開発した「精神文化」をもつ国だけのことはある。1200年も前から、和歌という言葉遊びで、ものの見方の優劣を争ってきただけのことはある。その、非生産者の視点からの、季節感の楽しみ方「上級編」の一つとして、「初物」の楽しみ方があるのだ。ワインの初出荷なんていう当たり前の祝い事とは、ラベルが、いやレベルがちがうのだ。くぅーっ、ホントに、いい国に生まれたのー。

初めての経験は、初めて故に、かっこわるい

あなたは、初めて海外旅行をしたときどんな経験をしたか、覚えてますか? 仔細に記憶している人もいるかも。でも、私は、実のところ、ほとんど覚えてない。海外旅行も回数を重ねるうちに、楽しい想い出も増えていき、過ごし方も慣れてきて、楽しみ方自分流にもなっていくもので、そうしているうちに、初めての体験それ自体の記憶が薄くなっていく。とはいえ、誰でも「初めて」はあったはずだし、かっこわるい経験もしているにちがいない。

恋愛だって、海外旅行だって、性体験だって、会社勤めだって、結婚生活だって、育児だって、なんだって、初めてのときはあったはずだし、かっこわるいことだって多かったはずだ。でも、そんなのは初めだけ。多くの体験は、複数回経験していくことで、ちがう楽しみを発見して、盛り上がったり盛り下がったりしながら、日常生活の中に堕していくものだ。初めての時がいくらかっこわるくても、すぐに別の欲望と快楽を発見していく中で、初体験は「過ぎ去りし日」として「心のアルバムの1ページ」になり、心のどこかにしまい込まれるのだ。かっこわるく、不安でどきどき過ごした体験をいつまでも覚えておくのは、それはそれで難しかったりするものだ。振り返るに、ふだんの生活のなかで、「初めて」話は、意外にしないしね。ふつうは、奥底の棚の中にしまい込まれている記憶だったりするものだ。

恋愛だって、海外旅行だって、性体験だって、会社勤めだって、結婚生活だって、育児だって、、、。そして、しまい込まれた記憶を呼び覚まそうとするとき、快感だった場面の感覚だけを、選択的に思い出しがちだから、必要以上の「美化」が「初体験」に施されることになるのだ。ほんとうは、不安だったはずだ。混乱もしたはずだ。だから、その行動はすごく、かっこわるかったはずだ。だけど、実際にはなかなかそんなことは思い出せない。美しく、懐かしく、かなり美化された記憶に変身していたりする。自分の体験の記憶とは、そういうものなのだ。

「未知」から「既知」への移行、もしくは、それ以上

成熟した大人文化(ってくどいなぁ)を大切にする社会では、「初めての体験」は、『成長物語』というパターンの映画や小説の中での「未熟さ」のシンボルとして、あつかわれることが多いように思う。今やりっぱな紳士淑女になっている人でも、その成長期にはこんなにも恥ずかしく、こんなにもかっこわるい場面もあったんですよ。アハハ、初々しくていいじゃないですか。そんな位置づけで「初体験」を描くことが多いように思われる。知らない状態から、知っている状態への「移行体験」としてみれば、それも理解できる。でも「初体験」は、それだけではないはずだ。

「あやうさ/はかなさ」の価値ku cushon

「初体験」を特別視してしまう傾向が、この国のメディアにはあるような気がする。芸能人相手のトーク番組で、どんな大人にも「初恋の相手は?」などと平気で質問していたりする。実は、非常にプライベートで、デリケートな質問なのだ。それを、欧米のシネマスター相手でも、平気で質問して困らせたりしている。こういうのを見ると、この国の人々は脳天気だなぁ、とつくづく思う。

「旅慣れて成熟することで人間的な魅力も増す」と考える人から見ると、こういう「初体験」重視のスタンスは、とっても子供っぽくも見えるかもしれない。とはいえ、季節のフライングに「背伸びの美学」をみる人たちからすれば、「初めて」であることの、危うさ、儚さ(はかなさ)こそが、美しいのだ。かっこよくなくてもいい、若い人が淡い熱を不器用に扱っている姿を見るだけで、ほほえましくも、うれしくなる。それがこの国の人をして、「初体験」を質問してしまう所以なのだろうと思ったりもする。

「初物」の「刷り込み」の効果

鳥類などの新生児は、外界を初めて認識できるようになったときに、たまたまでも、そばにいた成人を「親」と認識するらしい。俗に言う、「刷り込み」である。初めての個体認識が、欲望の対象としての「群」の代表として認識されるというお話し。

人間においても同様だとすると、初めて恋愛対象として見た異性(もちろん、たまたまそのとき目の前にいただけかもしれない個人)を、「異性」の代表として認識し、欲望するようになるということ。要するに、「初恋の相手」は、その後の恋愛対象の個人に対する「ものさし」として機能するのではないかという仮説もたてられるかも。初恋の相手が持っている特徴は、その関係が終わったとしても、新たな相手を値踏みするときに、ある基準として作用する。その結果として、どこかしら初恋の相手と共通点のある異性を探している自分を見つけるということなのです。ku hajime

さぁ、みなさん。胸に手を当てて、思い出してみてください。初恋の相手を。
何、思い出せない? じゃ、もっと胸に手をしっかり当てて。あっ、そこのお嬢様、揉まなくても結構ですから。揉んだからってサイズアップする訳でもないですから。手じゃなくて頭を働かせましょう。

さぁ、思い出せましたか。では次に、その後の恋愛対象になった異性の顔を思い出してください。あまりにたくさんで思い出したくないですと? 思い出せる相手だけでいいです。どうですか? 初恋の相手から「刷り込まれて」いませんか? 初恋の相手とどこかしら似ている異性に惹かれていたりしませんか?

なかには、そんなこと全くない、という方もいらっしゃるでしょうね。一期一会、それも人生です。

個人的に、思い描くのは・・・
和服を休日に着るのが普通で、現代音楽が趣味で、ピアノが弾けて、明治の近代詩人が好きで、スポーツは嫌いで、ソプラノのきれいな声で、情熱的で、小柄で、睫が長くて、・・・・。

こういう刷り込みは、「一生もの」だったりします。お気をつけください。(いまさら。なにに?)
もしくは、もっと自覚することで、自分の好みが明確になるかもしれませんね。それもよいことです。

でも、実際の恋愛は、つねに初めてのことばかり。
二度目だろうが、二十回目だろうが、その相手との関係は、いつでも初めてです。すぎさりし初恋を偲びながら、いま目の前の初恋を生きる。そんなモットーで死ぬまでどきどきしていたいものですね。あはっ。

(「初恋の終身効果」了。BGM「セカンド・ラブ」中森明菜)