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2008/05/07

「私」っていうものが、一番わからないのよ。いつまでたっても。

先日飲み屋での話。40歳の凛々しい女性が、後輩である30歳男性に説教していて、突然叫んだ言葉がこれだ。「人のことなら少しずつわかるようになってきたけど、いくつになってもわからないのは自分なのよ」とのこと。となりでヘロヘロに酔っ払っていた私も、この台詞に、ぴしっと背筋が伸び、深くうなづいたのだ。生きていくうえで、他者を理解するのは大変だ。でも、それ以上に、いくつになってもわからないのが「自分」と言う存在だ。だからといって、哲学的、認識論として、「僕って何?2008」okonomiといっても失笑をかうだけだろう。

で、考えてみた。私は自分のことをどこまで理解しているのか。とくに、物理的存在として。いろいろと思いだしながらいくつかのデータを並べてみた結果、ひとつだけ確かなことがわかった。それは、今更ながら愕然とせざるを得ない事実だったのだ。

私の体は、ほとんどが「粉」からできている。

そう、粉。ふっと息を吹きかけると、すぐにまいあがり、結果として塵芥にすぐに変身する。その、粉。固体ではあるが、なんとなく頼りなく、大体において、植物の果実を粉砕したものであることの多い、粉。小麦粉、米粉、もち米粉、きな粉、汁粉、てんぷら粉、から揚げ粉、、、。ふりかえると、私の肉体の多くが、この頼りなく、既に粉砕されている物質からできているのだ。あーあ、なんてこったい。

「粉」っていうものが、一番好きなのよ。どんな形になっても。

一説によると、28日間で人間の細胞と言うのは古いものから新しいものに換わるのだそうだ。月の満ち欠けから女性の生理までがそうであるように「太陰暦」にのっとり、人間の固体を形作る細胞は新しくなるのだそうだ。その説が正しいかどうかは別にして、肉体を形成する物質はそのほとんどが「食べもの」として摂取されることは確実であり、摂取される物質によってその人間の肉体の組成内容が決まってくるのも確かだろう。
ということで、自分の食生活を約一ヶ月、振り返ってみることにした。すると、以下のような感じで、「麺類」と「小麦粉焼き系」がやたらと多いことがわかった。

某日(平日) 
朝:うどんに卵とじ 昼:スーラータンメン 
夜:パイコーダンダンメン(ご飯小盛り+お新香つき)

某日(休日)
ブランチ: 焼きうどん(自作) おやつ:もんじゃ(めんたい餅チーズ) 
夕飯: 手作り餃子(+その他)

一日最低でも一回は「麺類」である。実は一日三食全部麺類でもぜんぜんかまわないほど好きだ。自宅では、デュラム・セモリナ粉(小麦粉)の「パスタ」、オーストラリア産讃岐向け特産小麦粉の「さぬきうどん」が、やたらと多い。休日に自宅で食事を作るときは三回に一回は「パスタ」udon料理であり、残りの二回に一回は「焼きうどん」もしくは「副菜つき汁うどん」である。それに、「焼きそば」や「カップめん」「カップ焼きそば」が紛れ込んでくることもある。我が家においては「麺類」はたとえインスタントであろうとも「ジャンクフード」には分類されない。

また、たぶん普通の世帯よりも圧倒的に高い頻度で「焼きビーフン」が登場する。
私の生家では昭和30、40年代から「ビーフン」「からすみ」が普通に食卓に上っていたという「台湾引揚者世帯の末裔」ゆえの特異事情なのだが、その引揚げた人が住んだのが「香川讃岐」だったものだから、幼少のころから本場の讃岐うどんを食べなれている。打ち立て茹でたてのうどんに、刻んだねぎと鰹節を載せ、生醤油をたらすだけの食べ方が最高だと信じている。ラーメンもふつうに大好きで、一人の外食となるとまずはラーメン屋を探すことが多い。おいしいラーメンを食べるためだけにレンタカーを借りたこともある。並ぶのは嫌いだが、本当に好きなラーメンのためなら並んでもいいと思っている(が、ならばない時間帯を狙うことにしている)
という感じで、どの地方に行こうとも、どの国に行こうとも、圧倒的な頻度で『麺』なのだ。
とはいえ例外があり、「日本そば」にはまったく執着がない。うまいものはうまいと思うが自ら思い立つメニューではない。人に付き合った結果の「うまい日本そば」を含めても、とにかく「麺」の頻度は尋常ではない(と自分でも思った)。

休日の定番が、お好み焼き、たこ焼き、もんじゃである。
関西および近隣県の出身者にしてみれば、これは当たり前である。独身時代から「電器たこ焼き器」は一人暮らしの定番器具であり、生家では鉄工所に特注した厚切り鉄板で、お好み焼きを焼いていたものである。現在では大判のホットプレートなどという軟弱な道具を使うものの、広島風お好み焼き(出身地はその隣県にあたり、大阪風ではけっしてなかった)を基本に、様々なものを焼くのが、休日の正しい過ごし方なのだ。
まずは、イカや野菜、肉などを焼きそのまま食す。その後、おもむろにお好み焼き。当然ベースは「小麦粉」。そして、〆は「焼きそば」である。味付けは、原則「○たふくお好みソース」なのだが、ときに「塩味」「しょうゆ味」などに変化する。ちなみに、自宅には、「○たふく焼きそばソース」「○たふくたこ焼きソース」など「メニュー対応ソース」も揃っている。また先日、「○たふくしょうが焼きソース」というのを店頭で発見したが、あえて購入しなかった。だって、おろししょうがと酒と醤油だけの味付けが好みだからだ。
また、カレーショップでは「ナン」のうまい店が好みだ。神田神保町交差点近くの「マ○ダラ」の「ナン」は最高に好みであり、このナンを食べるために月に一回は行きたい店だっnannたりする。
余談はさておき、このように、徹底的に「粉系焼きモノ・ラブ」な私である。

「こなじじい」予備軍としての自分

麺とこの「粉もの」あわせると、年間何トンの小麦粉を私一人で消費しているのだろうか。食事の頻度から推測すると、体重の約三分の一は「粉もの」でできているに違いない。このまま、粉ばかり食っていると、あと数年で「こなじじい(粉爺)」と呼ばれても反論できないかもしれない。あのー、「こなきじじい(子泣き爺)」じゃないですから、そこの人。鬼太郎じゃないんでね。あっ、頭頂部を指さして粉吹いてるっていわないように。それって、頭髪が多くないだけですから。人間違いですから。そこんとこ、間違えないように。おねがいね。

こう考えてくると、本来よくわからないはずの「自分」も、少しはわかったような気になってくるのが不思議だ。
私の体が「粉」からできているのであれば、あとは簡単だ。よりよい「粉・化合物」として、自分を調理していくだけだ。

まずは、水。
粉は粉のままでは、ふっと息を吹きかけると、すぐにまいあがり、結果として塵芥にすぐに変身する。塵芥にならないためには、まずは「水」を含んで、ジェル状態になることが前提だ。さぁ、水を大量に摂取するぞ。水を最低でも二リットルは飲みましょう、そうモデルの人はいうではないか。理由は異なるが、私にも水は必須なのだ。塵芥と成り果てることを避けるために水分補給は十分に。これから暑い季節になることもあり、今日から始めることにしよう。

つぎにするべきことは、「練り」である。
お好み焼き、たこ焼きなどの場合は、「混ぜ」ですむのだが、それは他に豚肉やキャベツ、蛸などの華やかなるメイン素材がある場合に限られる。私の肉体のように「粉」がメインの場合は、「混ぜ」ただけでは物足りない。やはり、腰の強い麺類が好まれるように、腰の強い肉体にならなければ。そのためには「練り」である。「讃岐うどん」に代表される「腰の強さ」は、全体重をかけた「踏み」による「練り」によってこそもたらされることを、皆さんはご存知であろうか。そうなのだ、「粉」は「踏まれて、練られて」初めてうまくなる。ならば、私とて同じ「粉」。思い切り「踏まれ、練られ」なければ、うまくならないのでは。ということで、今日からは、みなさんの足元に横たわる人柱のつもりになって、踏まれ、練られることを良しとしよう。まちがっても、女王さまの足元にひざまづくことは、やめるように。ピンヒールで踏みつけられても、目の内側にきれいな星は飛ぶかもしれないが、腰の強いうどんにはなれないのだから。

それにしても、粉系の肉体をもつ「自分」は、なんとも、はかなげな存在であることよのー。

ふーっ。

あっ、飛んじゃったよー。ほんとに軽いなー、存在感が。

(「コナジジイの話」了。BGM 「私の青空」高田渡)