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2008/04/02

旦那ぁ。ちわっ。ご無沙汰で。何してた、って。まぁ、いろいろでさぁ。
今日はぁ、めずらしく自叙伝みたいなのを書いてみたくて、見てもらおうかと。
あっ、そうそう、ナントカ中学生ね。あれですよ、あれあれ。200万部突破すれば旦那とマンション経営ができまさぁ。どうでしょう。えっ、おまえそんな不幸があったのかって、いやだなぁ。私だって中学生の頃、公園でゴザしいて昼寝くらいしてましたし、海岸のテトラポットの上で朝まで釣りしてたりとか。って、それのどこが不幸なんじゃって、まぁまぁ、とりあえず、あらすじ考えてきたんで、聞いてくださいな。

今日まで生きててよかったぁ

昨日食した米国流日本料理店でのデザートのひと品なんですけどね。日本酒風味のパンナコッタ。
隣の人の表情がかろうじてわかる程度の、蝋燭の明かりだけでいただいた、薄白い三角お握りを横倒しにした形態で、大きめな白磁皿のほとんどを紅黒いラズベリーソースが占めてるんですね。オーダーしておいて、なかなか手が出せない。だって、マスカルポーネチーズをベースにしたケーキが、ほんのり日本酒の香りを漂わせているんですから。でも思ったんですよ。

sushi ここまでのアメリカ流にアレンジした寿司も銀陸奥の西京焼きも予想以上に美味かったじゃないか。ナバパレー産の白ワインもドライな割に後味に多少の甘みがあって、寿司飯を引き立ててくれたじゃないか。この白くて、酒粕を蒸したような匂いを放つものだって、おいしいに違いない。この不思議な組み合わせを食べるために今日まで生きてきたのかもしれないし・・。ちょっと気持ちの整理をした上で、銀のスプーンを立ててみたんですよ。こん。え? 固いの? そうなんです。その白い三角おにぎりは、なんとばりっとホワイトチョコレートでつつまれていたんですねー。手の込んだお握りだこと。とわかれば、一気にぐさっとスプーンで突き刺して取り分けるだけです。ぐさっと、いったところで中からどろっとあふれでる白い半液体。テーブルを包む、なつかしい香り。あきらかに、酒粕の匂い。アルコールを飛ばす前の甘酒の匂い。ここはどこ? 思えば小学生の臨海学校で遠泳をした瀬戸内海。疲れて上がった体に、あたたかい甘酒がうれしかったなぁ。あれはどこでしたかねぇ。今はどんな海岸になっているんでしょうねぇ。今も甘酒をくばってくれるのでしょうかねぇ。あぁ、あのころの純粋でシンプルな少年の気持ちは、どこへいきはったんでしょうねぇ。そいえば、ここはマンハッタン。思えば遠くに、きはったん、やねぇ。(間) 少年の頃には想像もしてなかったなぁとか何とか一人でにやにやして妄想に耽っている内に、同席のものがさきに口に運んでしまうわけです。それで、「あっ、これ、いける。さっぱりして、美味い美味い。あー、なんでこんな変な組み合わせが、うまいんだろうねー」とかいいながら、わたしもたべるわけです。そして、カフィを飲みながら、私は言ったんです。

ほんとに今日まで生きてきてよかったよ。だって昨日死んでたらこれ食べれなかった訳じゃない。いやぁ、いくつになってもこういうあたらし組み合わせの美味いものに出会えるんだから、食いしん坊は幸せだね。


日々是「未知との遭遇」

子供の頃から転校生気質でした。小学校に上がるまでにすでに四回引っ越したとか。小学校で二回。卒業後も引っ越し・・。数年ごとに繰り返される引っ越しのおかげで、俗に言う「幼なじみ」はできないまま育ちました。引っ越しのたびに、新しい土地での暮らしや人との出会いに期待したり、失望したり。子供心に複雑な気持ちをもてあましていた記憶もあります。
引っ越しの車や電車の中で思うのは、新しい土地で、生まれ変わったかのように、光輝く、新しい自分の姿。ところがどっこい現実は、そんな一少年の妄想なんか相手にならないくらい厳しいものなわけです。そういえばと、思い出すのは光の薄いモノクロの風景ばかり。思い出そうにも思い出せない転校生生活もあったのでしょうが、今思えば、それも楽しい、未知との遭遇だったりもするわけです。
田舎の閉鎖的な村社会にぽつんと放り込まれて当然のごとくいぢめられたり、小さな企業城下町に全くの異物としてでもそのうち企業生協とか使ったり会社の運動会になぜか参加したり。ふつうに一カ所で暮らしていた人では経験できない、「未知の社会」「未知の人たち」との出会いが続く日々でした。周りの人たちとの折り合いをどうつけるのかと思い悩んでいただけではなく、未知の風習に驚き、異人たちとの交わりの中に、新しい快楽を覚えたりしたものです。
そういう経験が成人になってもいろいろと大なり小なりとあり、そのおかげで、昨夜の「日本酒風味パンナコッタ」もあるのです。どんな日もそこを過ごしたことで次のどこnyかの出会いにつながっている。なにもない単調な日々でも、そのおかげでその翌日に「ドライトマトとアボカドのカリフォルニアロール」という未知の美味との出会いがあったりするわけです。これもあっさり甘酸っぱくて美味しかったんすよ。

ツラサにも出会うものだけど

数年前に大病になって何人もの医者と出会い、おかげで「主治医」というものができた。それまで何かのアンケートでそういう欄があっても記入できずさみしい思いをしていたが、これからはさみしい思いをしなくてすむ。その他生活習慣病の類と、ここ数年でつきあいが親密になった。それはそれで未知の薬剤との出会いであり、新しい薬をもらうたび効能や副作用などを調べるのが楽しかったりする。また、数年前に職場内での異動があり未知の領域で未知の人たちと仕事をしている。そういう出会いがまた楽しい。そして、この仕事が変わったことを振り返って、あのタイミングだからあの人と知り合ったんだなぁと振り返ることが増えている。一年早くても遅くても、こんなことにはならなかったなぁ、とか。
今日の、ウナギの細巻きの上にさらにウナギが握ってある「ひつまぶし風ウナギロール」だって、今日ウナギ好きのメンバーで来たからこそ食べられたのだ。こうした出会いに感謝します。ほんとに、一口サイズのひつまぶし、美味しゅうございました。

必然としての出会い

と考えていると、全てが、出会うべき時に出会っているといっても過言ではないとか思ったりするのだ。これ、ちょっと真剣に、そう思うんですよ。
独身の成人男女がよく言うじゃないですか、「出会いがない」って。あれってねー、なんか身も蓋もない気がするのは、私だけ?
あっ、そういってた女性コメディアン、最近見かけないすね。嫁に行くか何かで引退したんすかねぇ?いやっけっして好みのタイプじゃなかったんですけどね。知らんって、そうすよね。
好みの異性との出会いというのは、そんなに頻繁にあることじゃないすよね。でもなんか「出会いがない」ってそれは理由じゃないような気がして、ねー。だって、その時がくれば、どんなことでもあなたは出会うはずなのですから。出会いは、冬の雪の日のように「今年は例年に比べ少ないですね」という風にはいえないもののはずですよねー。で、小生、こんな風に思ってるんすよ。

すべて出会いは必然です。そうです。ラッキーな偶然というものを含めた「必然」なのです。
アンラッキーな出会いだと思うものも含めて、そうなるべくして出会っているのです。昨夜食べた「アルデンテ耳たぶ型パスタのラグーソース」がことのほか美味しく感じられたのも、「ツナとフォアグラと大根おろしのわさび醤油添え」が唸るほど舌の快楽だったのも、すべては必然の出会いなのです。たとえ、相手が、この世で私を幸せにしてくれる大切な大切な唯一の異性だとしても、その人との出会いも、それは「必然」なのです。だから焦っても慌てても無駄なのです。

あーっ旦那ー。何で、スポーツ新聞とか読んでるんですかぁ。あっわかった。美味いものばかり食べているあっしを嫌いになってきましたね。
あはっ。旦那、旦那。これも必然なのです。旦那はあっしの文章に、出会うべくして出会ってしまった。えっ、イビキですか。無視ですねー。
旦那ー、おきてくださいよー。これもなにかの必然なんですから。聞いてくださいよー。


sakana(閑話休題/筆者乱入)
出会いの結果としての私

ところで、こうして、JunkStageという「発表の空間」に文章を書いていることも、ある人とのひょんな出会いが元にある、必然の結果です。そのひょんな人がある時私に出した短いメールが、仕事を一段落したタイミングの僕の昼休みと出会ってしまったことで、長々とした「返信メール」という必然を呼び、そのあといろいろなものやひとが出会ったり、必然したりした結果として、今のこの文章があります。そう思うと、今回いただいたお題「わたしを変えた出会い」というものに対しての私の「構え」をお伝えすることが必然のような気がしてきました。私はつねに様々な出会いによって変化してきました。そして今もこれからもそうなのです。だから、「出会い」が私を変えるのではなく、「出会いによって変わりつづけている」のが「私」なのです。「さまざまな出会いの中には特別に大きなものがあるでしょう、それについてのべよ。」というお題であることを重々承知の上で、やはり私には今目の前にある「出会い」が一番大事なものだと思っているということなのです。ということで、この場をお借りして、全ての出会いに感謝。

旦那にかまわず、必然を生きる

仕方ない。旦那は寝たふりしててください。続けますよ・・・。

さまざまな出会いは、常に私を変えるために存在している。仏教用語で言う「無常」とは、このように恒に変化してひとつの形態を持たないイメージをいう。私は、無常である。あなたも、実は無常である。いつも変わっている。どこがどんな風に、というのは自分ではわかりにくい。たとえば、上記のようなことを独り口走っている愚人がいたとして、その次の瞬間まったくちがうことを思っているのも、それはまた何らかの出会いの結果であり、必然なのです。だから、許してあげようね。

(某月某日某所の某氏の必然)
時差ボケで睡眠不足でボーとしてるし、ネイティブの英語は早口でよーわからんよー、咳が出てたと思ったら熱も上がってきたのにー。それに会議室がえろう寒いじゃねーか、なんで最低気温がマイナスなんだよ4月だというのにー。東京はサクラ満開だったのにー。早く帰りたいよー。明日も一日中、暗くて寒い会議場で英語ばかりだよー。えーん。えーん。えーん。

ということで、今回は、出会いは必然であり、私はその必然の結果であるので、それがどのような危害を加えようとも私だけの責任ではないかも、というお話でした。旦那ぁ、ほらぁ、そっぽむかないでくださいよー。うまいもんばっか食いやがって・・・って。ねー。くいもんの恨みは恐ろしいとか、言わないでくださいよー。滅相もない。
そうそう、こちらではねあのなんとかブッシュというおっさん、そのTシャツがこれから価値が上がるかも、とか言ってるんですけど、、、あっ、いらない。そりゃそうですよね。ごめんなさい。そのうちなんかつまむものでも持って、またお宅に伺いますから・・。えっ、なんですか? 鼻でもつまんで、寝ちまえって、、。
まぁ、そうですね。さすが旦那。時差ボケを治すためにも、そろそろ寝なきゃいけないところですね。お気遣いありがとうございます。旦那、お休みなさいまし。
え、後口上がなげー、ですって。これも、未練がましい私の「必然」と言うことで、ご勘弁をくださいまし。 じゃ旦那、しーゆーすーーん(^-^)

酩酊者日乗:日々偶然にあらず(了)