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2008/01/20

楽しい会話は、「内容」が楽しいのではない
フレンズ
誘いたいなと思う異性を誘惑するのに、「何を言おうか」と悩んだりしていませんか。どんな話をすれば好意を持たれるかとか、なにをいうと相手は喜ぶかとか、そんなことを考えていませんか。はっきり言いましょう。それは、ほとんど徒労です。時間の無駄です。そんなことに悩むヒマがあったら、すぐに話しかけるべきです。なんでもかまいません。相手が応えられる話をすればいいだけです。

会話の内容は、誘惑するにあたって、実は重要ではないのです。
あなたは仲の良い友人や家族との会話を、そんな風に考えてしていますか?するわけないですよね。それと実は同じです。

たとえば、数時間にもおよぷカフェでの女の人同士の会話、関西人の挨拶から立ち話の内容、意識的に聞いてみるとわかりますが、とくにすごく大事な内容で話しているわけではないのです。誰かが話し、それを他の人が聞き相づちを打つ、という関係や状況の方が大切なわけです。内容は、とくに何でもいいんです。あの人は私の話を聞いてくれた、相づちを打ってくれた、長話を楽しくした、という事実の方が記憶に残ります。何を言うか、よりも、どう言うか、どうその場を過ごしたか、が大切なわけです。あの人と帰り道でばったり出会ったんだけど、なんだか楽しく話をしたわ、という事実こそが、好意をつくるのに大切なのです。何を話すかは、その時時の勢いでもいいのです。

笑いあうことの大切さ=感情の共有

広告の機能として、「認知拡大」というものがあります。知られていない商品は、選んでもらえないから、当然ではあります。でも名前をいくら連呼しても、「知ってもらう」「覚えてもらう」のには、不十分です。さらには、ほかの商品ではなくそのものを選んでもらうためには、名前だけではたりません。では、何が必要か。

商品や会社なら、その特徴や社会的な評価などの、自分にとって期待できるものかどうかの判断の材料になる情報も必要でしょう。政治家だって、同じです。どんな思想信条でマニュフェストで何を約束していて、、。正しい消費者、正しい有権者は、しっかり情報を収集して(自分がちゃんと説得されてから)判断するのが、正しいお作法です。

でも、そんなことしなくても、その人の外見・表情や「コミュニケーションの姿勢」だけをみても、私たちにとっての価値が、感覚的に、わかるような気もしませんか。話の内容は覚えていないけれど、あの人と会うといつも楽しく笑っているのよ私ったら。そういう相手なら好きになりませんか。少なくとも好印象を持ち続けられますよね。逆に、 駅頭で名前を叫ぶポマードおじさんには、いやな思いしか記憶に残らないわけです。ともに、話している内容は、その評価には関係ないんですね。

じつは、「広告」って、おなじようなものなんですね。
伝えている「内容」よりも、伝わってくる「感覚/感情」のほうが、心理的効果は大きかったりするです。

誤解を恐れずに言い切ってしまうと、

あの広告、すごく気持ちよくて、どこか共感できて、なんとなく好き。だから、何度見ても、うるさくないし、見れば見るほど、なんだかわからないけど、どんどん好きになる。そういうことが何を買うか決めるときにも、じつは影響してるのよね。

・・と言う状態をつくることを、多くの広告企画者はめざしているだと、思っています。


中身はいいんだけど、なかなかその良さがわかってもらえなくて。そうぼやく前に、相手に伝わっている「感覚」や「印象」にもっと注意しましょう、というお話でした。
でも、具体的に何をどうすればいいの、という話はまた。続きます。

2008/01/18

名前を連呼するのって、どうよ

選挙が近くなると、街頭に候補者が自分の名前の幟(のぼり)とともに立ち、政党名と名前を連呼する風景に良く出会いますよね。私が良く使う大きな駅は、JRと私鉄のターミナルで、近くに大企業も多く、要するに利用客がやたらと多いのです。通勤・通学時間や休日の買物時間に、自分の名前を誇らしげに書いた襷をかけ、マイクで名前を連呼しています。立ち止まる人は、ほとんどみたことない。どんな駅でも見られる、お決まりの風景。立ちんぼの本人は、多くの有権者に名前と顔を覚えてもらおうとしているのはわかります。でも、こういう態度って、「好意形成」って視点から見るとどうなの、ってのが今回のお話。image_senkyo

私には、選挙(投票)に当たっての「マイルール」があります。駅前で名前を連呼する候補者をみると「その人には投票しないポイント」が1点ずつ高くなるのです。選挙カーでの名前の連呼と、「五千円(「ご声援」と聞こえないことが多い)ありがとうございました」と聞くと、さらに1点ずつ加算されます。ほとんどの候補者がこれをやるので、私に出会った分候補者はポイントを稼ぐことになります。前回と前々回の選挙では、ある候補者はわたしの「しないポイント」が圧倒的な高得点になり、選挙速報のテレビ画面に、私から罵詈雑言をうけることになりました。無論、思想信条、政治経験、マニュフェスト、政党名などとは、まったく無関係に。

なぜか。

広告屋の私が思うに、、、
この候補者は、情報を受ける側の人の心理をまったくわかってない。
生活者の代表たる「政治家」という職業には、少なくとも、不向きだ。
そういう判断に基づいてます。

朝、この駅を使って、これから会社に行こうという人は、どんな気分なのか・・・。
まだ眠いし、できれば休みたいし、結構ストレスだって貯まっているかもしれないし、さっき家族と口げんかしてきたばかりかも。それでなくても、混雑した朝のラッシュをいやいや耐えてきた身、もしくはこれからラッシュに臨む身なのです。・・・だれが、いまどきポマードを光らせた太ったおじさんの名前を大音響で聞きたいでしょうか。
へらへらと薄ら笑いまで浮かべて、満足そうな顔をしている。これは、完全に「暴力」です。こういう、他者への想像力がない乱暴者に、貴重な一票をあげるわけには、いかないのです。ちなみに、これは一個人の投票態度であり、いかなる文句・苦情・感想・脅迫・勧誘も受け付けないのです。あしからず。


マメだから好きになるわけではない

世の中ではこのように「送り手側」の自分勝手な勘違いが多く存在しているのです。

そのひとつが「見知ったものは好ましい」というもの。
人は、顔を見る頻度が多いと、親近感や好意を持つものですよというやつです。営業マンの心得として必ず出てきますね。とにかく、客先に足繁く通いなさい。用事がなくても顔を出すのだよ。
広告の世界でも、「リーチ(到達範囲)」と「フリークエンシー(頻度)」という、「メッセージの到達効果」を図る指標があります。あるメッセージに一人の人が何回接触したか、というのが「フリークエンシー」。一つのメッセージを認識させるには、何回か言わないと伝わらないだろうという発想。情報を受ける側(人)を、失礼にも、物理的機械的存在として扱っているとは思う。でも、調査などをすると、たしかに頻度高くメッセージを伝えたほうが記憶にも残るし、多くの場合「好意」を持つ人も多くなったりする。だから、ある意味で「好きになってもらうのに、頻度は重要」と、いえたりするとは思う。テレビ番組でしょっちゅう見かける人は、久しぶりに見る親戚よりも、親近感があったりもするし。ということで、「見知ったものは好ましい」のはあたっていると思います。(自分を振り返ってみても、恋愛対象はいつも身近だったり・・ゴニョゴニョ) でも会う頻度が高いほど好きになるわけでもないしなぁ。
頻度は、好きの前提ではないのです。

同じ理由で、「マメな男はモテル」というのも、実は謎の都市伝説だったりします。
たとえば、女性心理のわからない男がやたらと頻度多く接しようとすると、完全にストーカー扱いでしょ。とくに「自分はこんなにあなたのことを思っています」とかやたらめったら告白されたら、あなたどうしますか。・・・そんなに私のことを思ってくれているのなら、一つだけお願いしたいの。私の前から消えて・・・・となりますよね。
だから、告白はだめなんですよ(って、話は以前しましたね)。当たり前だけど、単にマメなだけじゃ好きになってもらえるわけがないんです。

マメなだけではダメだ、ではどうすればいいの?

それはまた。成功する誘惑のための心構え、続きます。

2008/01/10

恋愛に関して、こんな古典的な話があります。

人はもともとは一組の男女が一つになった存在、つまり両性具有の存在なのです。でも、この世に生を受けるとき、片割れはなぜか失われ、あなたは男もしくは女としてしか生まれてこれないのです。とはいえ、「完全」な状態の記憶が遺伝子に組み込まれているので、無意識のうちに、もともとの「片割れ」を探して生きているのです。そして、あなたの「片割れ」すなわち「運命の人」が目の前に現れたとき、すごくなつかしく、暖かい、満ち足りた気持ちになるのです。

どうですか。あまりに運命論、宿命論すぎる話ですよね。ロスト・ハーフを求める旅。ファムファタール(運命の女)。完全に、ファンタジー映画の世界ですね。冷静な人から見れば、夢ものがたりにすぎません。

megiruai
とはいえ、ごくたまに、現実にそういう感覚をもつことってありませんか。

初対面なのに、なぜかとってもなつかしく、その人の性格やくせまで知っているような気もして、一緒にいるだけでうれしくて、話しているだけで暖かい気持ちになってくるような、そんな出会いを経験したことはありませんか。物理的にはどう考えても、それまでに会っているはずはないのに、以前からよく知っているような感じを持ってしまう。幼友達のような、もっといえば、なつかしい自分に出会っているような、そんな一体感まで感じてしまう。これは完全に錯覚なんですね。だけど、あまりに魅力的な錯覚です。こういうときは、即座に恋に落ちたりするのです。それを一目惚れといったりもするわけです。基本的に錯覚です。それもわかっているつもりなんですけどね。どうしてこうも魅力的なのでしょう。

やっと、めぐりあえたね。

というときの、「めぐり会う」という言葉。考えてみると、「巡る」ではなく「廻る」なんですね。「廻る」という動詞の意味合いを調べてみると、「ぐるっと周りを回って、元に戻ってくる」というイメージ。「廻る季節の中で」というように、一度去ったものがぐるっと回ってまたやってくること。だから、元々一体だったカケラ同士が、長年離れ離れに彷徨い、時がたち、ぐるっと回って元に戻ってきて出会う。そしてもとの一体に戻る。それが「廻り会い」。

異性と付き合うことによって、自分一人では到達できない境地に行ってみたいと願っている人にとっては、これは甘い甘い物語。錯覚だとわかっていても、乗ってみたくなる誘惑の物語。それがわかっている誘惑者は、であってすぐにこういうのです。やっと、めぐりあえたね。

余談ですが、「廻る寿司」という看板の回転寿司屋を見たことがあります。こう書いて「まわる寿司」と読ませていましたが、とても入る気になりませんでした。自分の前を通り過ぎた寿司皿が一周してまた目の前を通る。いつまでも回っていて、どんどん干からびていく寿司。こういうものには、めぐり会いたくはないものです。

さぁ、明日出会う異性を見た瞬間、あなたは思うかもしれません。「やっと、廻り会えた」
そのときは、それを言葉にしてちゃんと相手に伝えてください。それが最高の誘惑になるはずですから。